書評:深町=山口『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)


書評:深町隆=山口義正『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)


本書の概要

本書は,オリンパス事件(2011年)の第一通報者(深町隆)と,それをスクープしたジャーナリスト(山口義正)との共著であり,ジャーナリストが執筆した第1部(内部告発をめぐる現在)と,オリンパス事件の第一通報者が執筆した第2部(オリンパス事件の真相)から成り立っています。

本書は,内部告発者が語る内部情報とそれを踏まえた客観的な分析とに支えらえており,私たち部外者に貴重な情報を与えてくれるばかりでなく,いざというときには,「内部告発する勇気」を私たちに与えてくれる本となっています。

本書の特色

本書の特色は,内部通報者とジャーナリストがコンビを組んで執筆されたものであり,社会全体の視点からも,また,組織内部の視点からも,内部告発の重要性を明らかにしている点に特色があります。

第1部(山口義正「内部告発をめぐる現在」)

本書の第1部では,わが国で最初の内部通報事件であるトナミ運輸・闇カルテル事件(2002年)(本書52-60頁)をはじめとして,化血研・偽和事件(2015年)(本書36-40頁),東洋ゴム・免震偽装事件(2015年)(本書66-70頁),東芝・粉飾決算事件(205年)(本書71-87頁)等,最近立て続けに生じている内部告発事件を取り上げて,それらとオリンパス事件との客観的な対比がなされています。

しかも,内部通報の意味と内部通報をする場合のリスク回避のための詳細なマニュアルまで用意されています(本書102-148頁)。公益通報者保護法(2004年)という内部通報者を保護すべき法律が,現状では,ザル法であり,この法律を信用して,行動すると大変な目にあうこと(本書114-122頁)が案外と知られていないからです。

なお,「内部告発者に必要な条件」として列挙している以下の事項(本書123頁)は,なかなか厳しい条件ではありますが,これこそが,今後の人材教育の目標とされるべきである点で,重要な指摘であると思われます。

 もしもあなたが内部告発を敢行するのなら,できれば満たしておいたほうがいい条件がある。それは,①あなた自身が優秀な人材で,精神的に会社から自立していること,②我慢強い性格であること,③組織の内外に味方になってくれる人物が何人かいること - の三点である。

組織ぐるみの不正に巻き込まれそうになった時に,内部告発をすることも,辞職することも選択できずに,ずるずると不正に手を染めるようになる人がこの社会の大半を占めているとすれば,それは,正社員・役員を含めて,わが国のほとんどの人々が,経済的にも精神的にも,実は,自立ができていないことを意味することになります。

そのように考えると,これまでのわが国の教育が,そのような従順な会社人間を育てることを目指してきたこと,少なくとも,それでよしとしてきたことに対して,根本的な変更を迫ることになるように思われます。

第2部(深町隆「オリンパス事件の真相」)

第2部では,事件の発端から,顛末に至るまで,実名も含めて,内部情報が暴露されています。

本書を読んでいて,私が一番印象に残った箇所は,私のような財務諸表を読めない素人にとっても,事件の核心となった「巨額の損失隠し」を秘密裏に処理する「飛ばし」の意味が,以下のように,段階に分けて,見事な比喩で説明されている箇所です(本書156-161,162-172頁)。

少し長くなりますが,原文を引用します。(なお〔 〕の部分は,私の補足です。また,山一証券の「飛ばし」の実態については,[国広・修羅場の経営責任(2011)]を参照ください。)

飛ばしの解説第1段階(本書157-158頁)

 「飛ばし」とは,〔バブル期の財テク等で,〕含み損の生じた金融商品を第三者に簿価で転売し,表面上は損失の計上を回避する経済行為である。わかりやすい例で説明しよう。
たとえば,Aさんが,奥さんに内緒で株式1000万円投資している。しかし,相場の低迷で不幸にも100万円に値下がりしてしまった。奥さんには怖くて言い出せない。そこで,知り合いのBさんにお願いして,保有している株式を簿価の1000万円で買い取ってもらうことにした。
もちろん,Bさんがタダではこんな取引に応じることはない。資金の1000万円はAさんが銀行に債務保証し〔Aさんは信用がある〕,Bさんに借りてもらった。Bさんはそのお金でAさんから株式を買い取る。これによって,Aさんは表面上,含み損が消える。Aさんの含み損は銀行からの借金に変わった格好となる。
一方,Bさんはいつまでも含み損を抱えた株式を保有しておくわけにはいかない。そのため,Aさんは一定期間にBさんに迷惑料を付けて,株式を買い戻す。その間に相場が回復しない限り,含み損は生じたままである。今度は,AさんはCさんという別の友人に頼み,Bさんと同様に含み損を抱えている株式を簿価で買い取ってもらった。
このように,含み損を抱えた金融商品を延々と飛ばし続けるから,「飛ばし」という名前がついている。

飛ばしの第2段階(本書162-163頁)

 オリンパスは,海外に簿外ファンド(投資事業組合〔Limited Partnership〕:GCNVV)を設立し,含み損を抱えた金融資産を飛ばしたが,これは,Aさん,Bさんの例を借りれば,Aさんの含み損が銀行からの借金に変わったのと同じことだ。この借金はいつか返済する必要がある。
しかし,ただ,単に借金を返済すれば,「あなた,何をやってんの」と奥さんに損失隠しが発覚する恐れがある。
そこで,Aさんは,100万円の価値しかない絵画〔オリンパスの場合では,アルティス,ヒューマラボ,ニューズシェフという零細三社〕をBさんから1000万円で買い取り,Bさんに900万円を渡す。Bさんはその900万円に,持っている株式を売って得た100万円を合わせ,1000万円を銀行に返済すれば,すべての取引は終わることになる。あとは,奥さんに絵画の本当の価値がバレないよう,天に祈ればよい。
オリンパスの一連の粉飾決算は,上記の取引を,舞台〔装置:GCNVV〕を世界のタックスヘイブン(租税回避地)に替えて,グローバルな規模で行ったことにほかならない。

そのほかの損失隠しの手の込んだやり方については,本書を読んでもらうほかありませんが,このような損失隠しは,2チャンネル,闇壁新聞等によって,その存在が気づかれるようになり,筆者らの活躍によって,最終的には,オリンパスが損失隠しを公表し,生き残りのための改革を迫られることになります。

本書によって,私たちは,内部告発の意味を多面的にとらえることができるばかりでなく,内部通報は,「裏切り」行為ではなく,むしろ,組織の中枢にいる権力者が,社会を裏切って行っている不正行為と腐敗を防止するための正当な行為であり,内部通報は,正規の社会的制度として位置付け,守り育てていくことが必要であることを理解できるのではないでしょうか。

その意味で,わが国で最初の内部通報者となった串岡弘昭氏の「本来なら(闇カルテルを結んだ)経営者が会社から出ていかなければならないはずなのに。」(本書55頁)という述懐は,不正事件に共通する課題として,今なお大きな意味を有していると思われます。

本書の課題

本書は,とても素晴らしい本なのですが,私が,人に本書を推薦するうえで,引用したくない箇所が一か所だけあります。本書のあとがきの最後の部分ですが,公平を期するために,あえて引用すると,以下の通りです。

 私は今こそ,日本のエリートたちが〔西郷隆盛のような〕サムライの精神を取り戻すことが必要だと,堅く信じている。やれ「ガバナンスだ」,やれ「コンプライアンスだ」と,仕組みばかり作っても何の意味もないことをオリンパスや東芝は示した。要は器ではなく,そこに盛る中身の問題なのだ。
そして,組織の長にサムライの心を持った人々が増えてくれば,自然に社会や国家も治まってくる。若い人たちも「日本も,まんざら悪い国ではない」と思うようになるだろう。隣国の住民たちも,もっと日本が好きになってくれるに違いにない(本書264-265頁)。

アマゾンのカスタマー・レビューでも,上記の個所があるために,評価を1ランク落としたことが,以下のように,記されています。

 第2部の,現役社員から見たオリンパス事件も貴重な記述だと思う。ただ,忠誠心やサムライ精神の問題でない(忠誠心があれば告発しにくいだろうが、それでいいのか?おそらく不祥事は万国共通で,サムライ精神なきが故ではない),といった一部内容に問題がある点で星1つ減らし、星4つ。

あとがきの最後の方の上記の部分は,まさに,蛇足であり,この部分がなければ,本書の価値は,さらに増したと思いますので,とても残念です。

参考文献

・今沢真『東芝 不正会計 底なしの闇』毎日新聞出版(2016/1/30)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
・串岡弘昭『ホイッスルブローア=内部告発者 -我が心に恥じるものなし-』桂書房(2002・3・13)
・国広 正『修羅場の経営責任-今,明かされる「山一・長銀破綻」の真実』文春新書(2011/9/20)
・宮本一子『内部告発の時代-組織への忠誠か社会正義か』家伝社(2002/5/16)

書評:中山康雄『規範とゲーム』勁草書房(2011/9/15)


書評:中山康雄『規範とゲーム-社会の哲学入門』勁草書房(2011/9/15)


Ⅰ 本書の概要

本書は,社会組織の生成と発展を規範のサブ体系としてのゲームの体系によって説明しようとするものであり,その試みは十分に成功していると思います。

著者が本書の言いたいことをざっくりとまとめると,すべての社会組織は,野球のようなチーム同士のゲームの仕組みによって,ほぼ説明できるというものです。つまり,野球ゲーム,および,野球ゲームを運用する球団組織を説明できれば,すべての社会組織,例えば,通常の企業も,非営利団体としての大学組織も,また,国家組織についても,規範とゲーム体系で説明できるというわけです。

本書は,規範とゲーム体系によって,あらゆる社会組織,および,そこで生活する人々の行動を説明しようとするものであり,社会契約論(1762年)に代わる革命的な社会組織論と呼ぶことができるように思われます。本書の構成は,以下の通りです。

第1部(言語哲学を基盤にした社会的現実性の分析)

本書は,社会の生成と展開を根源から説明することを試みるものです。その出発点として,筆者は,ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論,それを制度的側面において補完するハートの法哲学から出発しています。そして,社会の生成における言語の重要性を明らかにしようとするオースティンの言語行為論,サールの行為の社会論が紹介され,それらが,サールとハーバーマスとの間の論争を通じて,批判的に検討されています。

第2部(規範とゲームについての哲学的分析)

筆者の提案する規範体系とゲーム体系が詳しく紹介され,規範体系としては,規範体系論理学が,ゲーム体系としては,ゲームの一般的定義に続いて,具体的な一人ゲーム(クロスワードパズル,魔法陣など),二人ゲーム(将棋,九マス遊び,百メートル競走など),そして,多人数ゲーム(野球,サッカーなど)について,それぞれのゲームの体系,その構造化と入れ子構造について,詳細な検討がなされています。

第3部(社会生活における規範とゲーム)

筆者が提案する規範とゲームの理論が,実際の社会生活にうまく適用できるかどうか,言語行為,社会組織,法体系,裁判手続き,さらには,経済活動について,検証が行われています。

ここでは,ゲーム理論と筆者の提唱するゲーム体系と違いについても,具体的な例で説明されています。詳しくは,本書を読んでもらうしかありませんが,囚人のジレンマについての考察から,いじめの問題,国家間の武力行使に至るまで,筆者のゲーム体系との対比で,ゲーム理論の限界について論じる箇所は,説得力があります。

Ⅱ 本書の特色

1.ヴィトゲンシュタイン,ハート,サールの学説の巧みな関連づけ

私は,大学院生のころ,ハートの『法の概念』を原書で読んだことがあります。そのころから民法を専攻していたため,ハートのルール中心の考え方は,納得のいくものであり,何の違和感も覚えずに読み終えました。

しかし,今回,本書によって,ハートの理論とヴィトゲンシュタインとの連続性,ハートとケルゼンとの間の断絶を知り,「民法は,裁判規範である」という現在の通説の問題点を理解することができました。特に,以下の記述は,印象的でした。

「法規範は誰に向けられたものか」という問いには,ハートなら,「一般市民と法執行機関の両方に向けられている」と応えるだろう。これに加えて,「一般市民に向けられた法規範の方がより根源的だ」と彼は答えたに違いない。(本書15頁)

2.社会の生成,発展を規範とゲームの体系に基づいて記述

民法を専門にしていると,国家の生成と展開については,ルソーの社会契約論に親近感を覚えます。また,国際公法についても,公法とはいえ,第1に,国家間の平等な関係を基盤としている上に,第2に,民法の法人の規定が国際機関の組織法に反映されており,第3に,民法における慣習法の考え方が国際慣習法にも反映されており,第4に,当事者間の契約法を国家間に拡大したのが,国際条約法であると考えることができるというように,何事も,民法を基盤として制度を説明する傾向に陥りやすくなります。

しかし,本書を読んで,すべての類推の根源となる人間の成長過程において,第1に,子どもは,言語を習得しないうちから,「いないいないばぁ」というゲームを演じることができること,第2に,ゲームは言語に先行し,むしろ,ゲームを通じて,言語やコミュニケーションを学ぶようになるといってもよいとの本書の記述(65-67頁,98-99頁)を読んで,筆者の規範とゲームの体系理論こそが,社会の生成と発展を説明するのに適した考え方であると感じました。

3.ゲームの入れ子構造,ゲームの重なりによる社会生活のわかりやすい記述

本書の書評として,アマゾンのカスタマーレビューに以下のものがあります。

有限の行為空間から特定の行為を選ぶという考え方においてゲームと規則化された社会に違いはないという内容であるという認識です。
著者の主張には共感するのですが素人目線ではだから何なのだろうかという気もします。

「だから何なのだろうか」という問いについては,筆者に代わって,本書のキャラクター康麻呂君(やすまろくん)が,以下のように述べています。

人々がゲームをやっていると考えると,そのゲームの中で行動するやり方がすごく限られてくるということなんだ。ゲームなしで考えると何をやっていいか複雑すぎてわからなくても,あるゲームをしているんだと考えると,次にやらなくてはいけないことが見えてきやすいということなんだね(本書211頁)。

民法を専門とする者としては,本書を読みながら,民事裁判ゲームを含めて,民法のルールに則ったゲームが,本当にわかりやすいものとなっているかどうかを再検討し,市民にとってわかりやすくて楽しいゲームとなるよう,様々な努力を積み重ねていくことが必要であることを実感できました。

Ⅲ 本書の課題

1.領域横断的な試みから生じる専門知識に関する誤解

本書の「まえがき」で,筆者は,法律の専門家ではないため,誤りを犯しているかもしれないことについて,以下のように,事前に断り書きを記しています。

本書もまた,そのような領域横断的な試みであり,専門家たちからは,ある意味で素人のたわごとのように受け取れられるかもしれない。
そして,実際に私は社会学や法哲学や経済学の専門家ではないのだから,そう思われてもしかたがない。しかし,そのような大それた試みが,学問の発展のためにはときに必要だとも考えている。(本書viii頁)

しかし,このような領域横断的な試みだからこそ,私のような民法の専門家にとっても,先に詳しく述べたように,本書は非常に有益です。専門家から見た場合の本書の誤りは,些細な誤りであり,専門家によって指摘された箇所を修正すれば済む問題に過ぎません。

そこで,本書の改訂の際に,修正する材料にしていただけることを願って,民法の専門家から見た場合に,本書の著者が誤りに陥っていると思われる個所を指摘しておくことにします。

(1) 法律といえば刑法という勘違い(本書88-89頁,183-185頁)

刑法と民法とは,かなり異なる性質を有していますので,法律といえば,刑法のことを考えるというのは,かなり危険です。本書では,以下の2か所で誤りを犯しています。

第1の誤りは,以下のように,「法律の条文は,厳密には,…」と指摘しつつ,刑法だけに特有の問題を取り上げています。しかし,次に詳しく述べるように,民法はそうではありません。

法律の条文は,厳密には,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰を規定している。だから,厳密には,法律そのものは,直接に一般行為者に適用されるものではなく,法律の実行に携わる司法関係者への規範体系となっている。
しかし,法が定められた社会組織に生きる人々は,法体系を規範体系に翻訳して理解している。実際,法は何が犯罪であるかを帰結し,人々が,犯罪的行為をなすことを禁止文脈に属すると解釈することにより,一つの社会組織全体への規範体系が帰結する。(本書88頁)

刑法は,確かに,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰のみを規定しています。しかし,法律の中で,刑法と同様に重要な民法においては,以下のように,第1条において,行為を禁止する規定を明文で置いています(特に,権利濫用の禁止は,禁止が明確に規定されています)。

民法第1条(基本原則)
①私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は,これを許さない。

本書において,このような初歩的な誤りが生じているのは,法律の典型例として例示するのに,刑法199条の殺人に関する条文を挙げるのが,わかりやすいからでしょう。確かに,公法である刑法は,裁判規範としての性格が強いため,裁判官が判決を下す根拠としての条文の形式が選ばれているのでしょう。しかし,私法である民法の場合は,裁判規範だけでなく,市民生活の行為規範としての役割を果たすものであるため,解釈に頼るまでもなく,直接に行為を禁止する規定が存在するのです。

第2の誤りは,以下のように,刑事裁判だけを念頭に置いて裁判ゲームが論じています(183頁183-185頁)。

裁判は,ゲーム構造を持っている。裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。

この記述は,刑事裁判だけにいえることなので,「『刑事』裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。」とすべきです。正確を期するなら,「刑事裁判の場合は,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。これに対して,民事裁判の場合には,原告側,被告側,裁判所側の三集団である。以下においては,刑事裁判に特化して記述する。」とすべきでしょう。

(2) 契約自由の原則と法規定との関係についての誤解

第3の誤りは,約束と契約との違いについて,契約とは,「法規定により定められた一種の相互約束」であると考えている点にあります(本書137頁,148-149頁)。

契約自由の原則が認められている契約法においては,法規定により定められた契約(典型契約)と法規定に定められていない非典型契約(例えば,ファイナンスリース契約,フランチャイズ契約など)との間で,その拘束力についての区別はありません。

申込と承諾が合致している約束は,たとえ,法規定によって定められていなくても,その約束違反については,債務不履行として,履行の強制,契約の解除による原状回復,損害賠償等の救済措置を裁判所に求めることができます。

2.私たち専門家の課題

以上のような専門家から見た場合の多少の誤りはありますが,本書は,すべての学問分野の専門家が読むに値する価値を有していると思います。そして,それぞれの専門家が,自らの学問領域をゲームとして見立て,もしも,門外漢がそのゲームに参加したいと思った場合に,その門外漢にも理解できるルールブックが用意されているかどうか,そのルールは,ゲーム体系としてふさわしいものとなっているかどうかを,時々立ち止まって考えてみるとよいと思います。

具体的には,自らの専門分野をゲームの場と見立て,ゲームの初期状態とゲーム進行中の状態とゲームの終了条件が,野球のスコアボードのように,明確に示されるようにするには,どのような仕組み が必要なのか,そのゲームの体系が市民の間で承認を受け,共有信念となるほどにわかりやすくするには,どうすればよいのかを考えるとよいと思います。

多くの専門家がそのような努力を続け,一般市民が,高度な専門分野に分け入って,そこでのシミュレーションゲームを楽しめるようになってこそ,衆愚政治ではない,真の民主主義が実現するのではないでしょうか。

本書に影響を受けた私自身は,研究目標である「民法のGoogleマップ」を,単なるマップではなく,民法ゲームのルールブックを兼ねることができるようなものにしようと考え,少しずつ実践に移しています。民法に興味のある方は,日々改訂を重ねており,未完成の段階ではありますが,以下のURLを参照してみてください。

・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PowerPointファイル,アニメーションとノート付き
・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PDFファイル
・法的推論の基礎(ビデオ教材(60分),PowerPointファイル(ノート付き),PDF

書評:岸見=古賀『幸せになる勇気』ダイヤモンド社(2016/2/26)


岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)


本書の概要

本書は,アドラー心理学の基礎を学んだ人が,その理論を教育(カウンセリング等の広い意味での再教育)を実践する際にぶつかる疑問点について,対話形式で解説するものであり,ベストセラーである同一著者による『嫌われる勇気』(2013)の続編です。

3年間にわたってアドラー心理学を実践してみて,ついに挫折した教師と哲学者との対話を通じて,『嫌われる勇気』(2013)では具体的に論じられなかった以下の点について,詳しく解説されています。

1.問題行動の心理学的分析

アドラー心理学の特色である「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を現場で実践する場合に,強固に立ちはだかる障害は,それに反発する伝統的な考え方です。

本書は,教育の現場で「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を実践してみて,見事に挫折した教師の愚痴(「悪いあの人」,「かわいそうな私」)の話から始まります。(なお,本書では,すべての悩み相談の内容は,このパターン(「1. 悪いあの人,2. かわいそうな私」)に集約されるとしています。カウンセリングでは,そこ(過去の原因の究明)は聞き流し,「3. これからどうするか」(将来の目標)に話題を転じることが必要だとされています。)

それを受けて,本書では,対人関係で生じる相手方の問題行動が心理学的に分析されます。そして,問題行動は,対処を誤ると,以下の5段階へと発展することが明らかにされます。すなわち,1.賞賛要求(いい子),2. 注目喚起(よい子がだめなら悪い子),3. 権力争い(どれもだめなら,反抗・妨害),4. 復讐(憎しみによる嫌がらせ・ストーカー行為),5. 無能の証明(絶望)です。

これらの問題行動をする人の目的は,すべて,「共同体の中で特別の地位を確保すること」から始まっているので,3の段階にまで悪化する前に,私たちは,共同体の中で,特別の地位を占めるのではなく,普通の地位を占め,構成員と「横の関係」を築くことが重要であること,そのことを身をもって示すことが大切であることが語られています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,その心理分析は見事であり,しかも,その段階ごとに注意すべき点が明らかにされており,この部分は,アドラー心理学の真髄でもあるので,皆さんも,本書を読んで,詳しく検討されることをお勧めします。

2.自立を阻害する要因の分析と克服

生まれたばかりの人間が,1. 賞賛要求,2. 注目喚起を行うのは自然のことです。しかし,そこから生じる依存体質を克服し,自立をめざすには,他人からの賞賛や注目を期待するのではなく,自らが,「ありのままの自分を承認すること」が必要だというのがアドラー心理学の出発点です。

もちろん,自立をめざすと,とたんに,理想と現実のギャップから生じ,誰でも劣等感を持ちます。しかし,この劣等感に対しては,「Aだから,Bできない」という劣等コンプレックスに陥るのではなく,反対に,「自分のありのままを受け入れる勇気をもつこと」によって,自立の第一歩を踏み出すことができます。なぜなら,自立とは,「わたくし」の価値を,「自らが決定すること」であり,そのことが,「自分のことは,自分で決めることができる」という確信を持つことにつながっていくからです。

3.課題の分離と共同体のミッションの実現に向けた協力

「自分のことは自分で決めることができる」という確信(勇気)は,同時に,「他人のことは,他人が決めるのであって,他人の領域には,土足で踏み込まない」という,課題の分離,そして,「自己中心性からの脱却」という,「自立」のもう一つの定義につながっていきます。そして,いったん分離した課題を統合するのが,共同体のミッションに向けた相互協力であり,お互いに支援しあう横の関係の構築です。

以上のプロセス,すなわち,「自分のありのままを受け入れること」,同時に,「他人を自己と異なるものとして受け入れること」,したがって,「課題分離すること」,しかし,共同体のミッションを実現するために,他人と競争ではなく,横の関係の中で協力すること,それらの一連のプロセスを通じて,人間は,共同体への貢献感を得ることができるようになる。それが,人間が幸せになるということだというのが本書の概要です。

本書の特色と示唆

本書を読むと,心理学的分析が,哲学とつながっていることがよくわかります。哲学とは,人生で生じる様々な問題点について,「権威や神話から離れて,自分の頭で考えること」だからです。

しかし,自分で考えたことを科学の世界へと高めていくためには,疑うことのできない事実と仮説のみに基づいて,普遍的な原理を探求していかなければなりません。私は,これまで,人類に普遍的な原理は,以下の5つに集約できると考えてきました。

1. 人間は社会的動物である。なぜなら,生まれたままで放置されたら,すぐに死ぬのであって,親とか社会による支援が不可欠である。
2. 人間は,生まれながらに,支援を求めるが,次第に,自由を求めるようになる。しかし,自由は,他人の自由とも調和させなけば,社会の平和を保つことができない。
3. そこで,人間は,自分にとって,または,社会的に有用だと思うことは自由に行動してよいが,その際に,他の人の損害,または,社会的費用を最小限にするように注意を払う義務を負うというルールに服さなければならない。
4. もしも,そのような義務を怠って他人に損害を与えた場合には,民事的な,または,刑事的な責任を負わなければならない。
5. 自由と責任の関係がバランスをとって実現されている社会において,互いに協力しあうことが,すべての人の幸福につながる。

しかし,以上の5つの命題には,個人が自立するプロセスと,その過程で生じる問題についての考察が欠けていました。(もっとも,私は,定年を控えた最近になって,教育の目標は,単に学習者一人ひとりの「知的レベルの向上」だけではなく,一人ひとりの「自立」にあると思うようになってきましたが,自立についての考察は,まだまだ発展途上です)。

本書は,先に述べたように,自立を求めて生きる人間が陥りやすい問題行動の5段階を明らかにしており,しかも,それぞれの段階における問題行動に対処する方法を明らかにしているため,私の未熟な考え方を修正し,自立の部分を追加する契機となりました。現在のところ,上記の2.と3.との間に,「自己のありのままの承認,他人の課題と自分の課題との分離,それを前提としつつも,共同体のミッションを実現するための相互協力」という考え方を追加したいと考えています。そして,将来的には,「求めるよりも与えることを先行させること」を前提とする,『愛の家族法』の執筆へと,私の学説を発展させていきたいと考えています。

本書の課題

本書が採用している対話方式(ソクラテスの弁証法)ですが,本書の姉妹編『嫌われる勇気』(2013)のように,アドラー心理学の全体像を知るためには,対話による部分を少なくして,アリストテレスのレトリック流の体系的な記述を増やした方がよいのかもしれません。本書の筆者の一人が執筆した体系書である『アドラー心理学入門』(1999)の方が,アドラー心理学の全体像を理解するには,便利だからです。

しかし,アドラー心理学の基礎を学んだ上で,アドラー心理学を教育等の現場で実践しようとすると,いろいろな問題点が出てきます。そのような問題点について,どのように解決すべきかという点については,本書のようなソクラテス流の対話方式は,まさに効果的であると思います。

同一著者による『嫌われる勇気』(2013)と『幸せになる勇気』(2016)を続けて読んだ者としては,前著『嫌われる勇気』(2013)については,体系的な概説を中心に据えたうえで,部分的に対話を挿入するという方法を採用し,本書『幸せになる勇気』(2016)については,対話を中心としてよいが,最後のまとめとして,アドラー心理学の哲学的観点から総まとめを追加するとさらによいのではないかと感じています。

参考文献

・浅野樽英『論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術』講談社現代新書(1996/4/20)
・アリストテレス(戸塚 七郎訳)『弁論術』 岩波文庫)(1992/3/16)
・NHKスペシャル取材班『ヒューマン-なぜヒトは人間になれたのか-』角川書店(2012/3/25)
・ポール・エクマン(管靖彦訳)『顔は口ほどに嘘をつく(Emotions Revealed)』河出書房新社(2006/6/3)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
・鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
・戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011/6/8)
・中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014)
・プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波文庫(1994/10/17)
・プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫(1967/1/16)
・プラトン(加来 彰俊 訳)『ゴルギアス』 岩波文庫(1967/6/16)

書評:岸見=古賀『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)


書評:岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)


本書の概要

本書は,対人関係で悩む人々に対して,そもそも,すべての悩みは対人関係から生じているのであり,それを乗り切り,幸せをつかむためには,あえて,「嫌われる勇気」を持たなければならないという,アドラー心理学の基礎知識を対話形式で明らかにする本です。

そして,本書は,以下の5章において,私たちが,対人関係乗り切るための基礎理論を明らかにしています。

第1夜:トラウマを否定せよ

ここでは,自分との接し方として,決定論となりがちな「因果律」や「過去」にとらわれという「決定論」に組するのではなく,人生の目標に向かって生きるという「目的論」的な考え方の重要性が詳しく論じられています。

人間は,目的にあわせて怒りを捏造したり(例えば,カッとなって怒ってしまったという場合も,実は,人を支配したいという目的のために,怒りを道具として使っているにすぎないとされます),記憶を再生させたりする(例えば,子供の時に犬に咬まれた悲惨な体験から,世間は恐ろしいことだらけだと世間を拒絶していた人も,世間と折り合いをつけようと思ったとたんに,犬にかまれたあの時に,病院に連れて行ってくれた優しい人がいたことが思い出される)のです。

しがたって,逆に,現在を規定する(決定的影響を及ぼす)ような過去の事件としてのトラウマも存在しないと,アドラーは,断言します。

第2夜:すべての悩みは対人関係

ここでは,対人関係に入ることを恐れている人に対して,劣等感は誰にでもあること,しかし,それを劣等コンプレックスへと悪化させてはならないことが論じられています。

例えば,身長が平均よりも低いということは,劣等感として持つことはあっても,「背が低い」から「もてない」というように,「AであるからBできない」と考えるのは,劣等コンプレックスであり,逆に,「背が高ければもてるのに」と考えることを含めて,避けるべきだというのです。

なぜなら,背が低いということは,人を和ませるというような長所ともなりうるのであって,「もてる」とか「もてない」とかの決定要素だと考えるのは,見かけの因果律に陥っているからです。

そして,ここでは,対人関係に入る準備として,行動目標として,①自立,および,②社会との調和心理面での目標として,①ありのままの能力を受け入れること,および,②人々は敵ではなく,仲間であるとの自覚の大切さが説明されています。

第3夜:他者の課題を切り捨てる

ここでは,対人関係を乗り切るための「課題の分離,他者の課題をちり捨てる」という方法論が,以下のように,語られます。

・ われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から,自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
・ 『他者の課題には踏み込まない。』それだけです。
・ およそあらゆる対人関係のトラブルは,他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。
・ 対人関係のベースに「見返り」があると,自分はこんなに与えたのだから,あなたもこれだけ返してくれ,という気持ちが湧き上がってきます。もちろんこれは,課題の分離とはかけ離れた発想です。われわれは見返りを求めてもいけないし,そこに縛られてもいけません。

アドラー心理学の特色としての「叱ってはいけない,ほめてもいけない」という格言が語られるのもこの個所です。

・賞罰教育の先に生まれるのは,「ほめてくれる人がいなければ,適切な行動をしない」「罰する人がいなければ,不適切な行動もとる」という,誤ったライフスタイルです。
・ ほめてもらいたいという目的が先にあって,例えば,ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ,憤慨するか,二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。

第4夜:世界の中心はどこにあるのか

ここでは,対人関係を克服した後に,また,対人関係に敗れたときに生じる課題として,自己中心に閉じこもるのではなく,社会との調和の重要性が,以下のように語られています。

・ もちろん,社会と調和するといっても,八方美人である必要はありません。
・ それは,ポピュリズムに陥った政治家のようなもので,できないことまで「できる」と約束したり,取れない責任まで引き受けたりしてしまうことになります。無論,その嘘はほどなく発覚してしまうでしょう。そして信用を失い,自らの人生をより苦しいものとしてしまう。もちろん嘘をつき続けるストレスも,想像を絶するものがあります。

破滅が目に見えている八方美人にならないためにも,「嫌われる勇気」が必要です。

第5夜:「いま,ここ」と真剣に生きる

ここでは,人生を幸せに生きる方法を惜しげもなく披露しています。詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,以下のような,私たちにほぼ共通する問題を解決するには,的確なヒントを見つけることが出ると思います。

・ たとえば会議のとき,なかなか手を挙げられない。「こんな質問をしたら笑われるかもしれない」「的外れな意見だと馬鹿にされるかもしれない」と余計なことを考え,躊躇してしまう。
・ いや,それどころか人前で軽い冗談を飛ばすことにも,ためらいを覚えてしまう。いつも自意識が自分にブレーキをかけ,その一挙手一投足をがんじがらめに縛りつけている。無邪気に振る舞うことを,わたしの自意識が許してくれないのです。

本書の特色

本書の特色は,以下に示すように,私たちが,信じてきた人生の生き方の常識を,次々と破壊し(常識へのアンチテーゼ),かつ,それに代わる生き方を提示している点に特色があります。

第1に,自分との向き合い方については,トラウマは存在しない。因果律とか過去にとらわれずに,目的に合わせて与えられた能力を使い切ることが大切である。

第2に,他人との向き合い方については,他人の課題に土足で踏み込むことをせず,他人の課題を切り捨てることによって,自分の本来の課題に向き合うようにすべきである。

第3に,社会生活においては,従来の常識とは異なるが,「叱ってはならないし,ほめてはならない」。なぜなら,それらは,縦の関係を作り出し,依存を助長するだけだからである。

第4に,人生を幸せに生きるためには,自己のありのままを受容し,他人を信頼し,他人への貢献を通じて,人生の瞬間,瞬間を生きることが大切である。

本書の課題

本書は,以上に述べたように,アドラー心理学の基礎と特色が,哲学者と青年との対話を通じて,非常にわかりやすく解説されています。

確かに,人間関係の悩みを解決するために,自分の課題と他者の課題とを切り分け,「他者の課題を切り捨てる」ことによって,人間関係は非常にシンプルなものとなりうるでしょう。

しかし,教育のように,他者との密接な関係が必要される局面で,横の関係だけで問題が解決するのでしょうか? 信賞必罰を否定して,人間関係がうまく機能するのでしょうか? さらには,競争原理を否定して,切磋琢磨は実現するのでしょうか?

より親密な関係である夫婦や親子の関係は,「他者の課題を切り捨てる」ことでは,うまくいかないと思われますが,どうなのでしょうか?

このような課題については,本書では,具体例に即した詳しい解説はなされていません。これらの課題については,実は,本書の続編である,岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)で詳しく解説されることになるのです。

したがって,本書によって,アドラー心理学の基礎を知り,さらに,教育の実践等に応用してみたいと思うのであれば,その応用編である『幸せになる勇気』を読むことをお勧めします。関連する2冊の本を読みこなすならば,アドラー心理学の基礎と応用を身に着けることができるので,その考え方を,日常生活や,教育の現場等で使いこなせるようになると思います。

参考文献

・ 岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
・ 岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・ 戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011)

 

書評:陳昭瑛(池田辰彰=池田晶子訳)『台湾と伝統文化』風響社(2015/12/10)


書評:陳昭瑛(池田辰彰=池田晶子訳)『台湾と伝統文化-郷土愛と抵抗の思想史』風響社(2015/12/10)


本書の概要

本書の著者は,台湾で生まれ育った研究者であり、現在,台湾で最も活躍している女性研究者のひとりといわれている,台湾大学の陳昭瑛教授です。

本書は,台湾の伝統文化が,清朝による統治,および,日本統治下の皇民化運動に抵抗しながら,世界の思潮の中で洗練され,さらに新文化運動によって転換の時代に向かったことを,それぞれの時代を象徴する人物と出来事を中心に詳しく解説する論考群です。

本書の特色

ある国を理解する上で,その国の歴史を知ることは決定的といえるほどに重要です。その国の歴史の中で,その国を象徴する何人かの注目すべき人物の行動と成果,それを裏付ける思想を知ることができるからです。

しかも,その歴史的記述が,それらの人物の思想の中身について,現在の私たちにとって重要な以下の視点,すなわち,個人の尊厳両性の本質的平等世界平和にとって,どのような貢献をしているのかが記述されていると,素直にうれしくなります。

本書は,台湾の歴史を鄭成功がオランダ勢力を駆逐した1661年から記述を開始し,清朝統治時代(1684-1895),日本統治時代(1895-1945),中華民国統治時代(1945-)を通じて,台湾の伝統文化の視点から,台湾の伝統文化の歴史が詳しく述べられていますが,それだけにとどまりません。

現代の台湾の総統民選時代(1996-)の思想的な基盤を作り上げた,以下のような歴史上の重要人物について,詳しい記述がなされているからです。

・ 大陸国の祖国(ハートランド)が,幾たびも異民族の支配に屈しても,海洋国(リムランド)としての台湾は,民族の自律と伝統文化を保持するとの気概から,日本の占領下で,『台湾通史』を執筆した連横(1878-1936)の生き様が詳しく語られています。
・ 儒学を基本としながらも,日本留学中に接したマルクス主義を吸収しつつ,フェミニズムの考え方を推し進めた王敏川(1889-1942)の人となりを伝えています。私は,この人物の記述に感銘を受け,早速,論語を読み直すことにしました。
・ 台湾の新文学捜索に尽力し,「台湾新文学の父」とも「台湾の魯迅」とも呼ばれる頼和(1894-1943)については,本書の第8章(一本の金細工)で,1925年に書かれた作品「一本の竿秤(さおばかり)」が詳しく紹介され,日本統治時代における主人公(秦得参)をめぐる腐敗した日本の警察と台湾女性の情愛の深さとがみごとに対比されています。

本書を通じて,私たちは,現在の台湾が,国会議員の数で男女比をほぼ3対1とし,女性(蔡英文氏)を総統(大統領)に選出しており,男女平等・女性の社会進出の点で,わが国がその後塵を拝しているという現状に関する歴史的基盤を知ることができます。

台湾を訪れ,台湾の文化や政治に興味をもたれた方には,本書を読まれることをお薦めします。本書を読むことによって,台湾の文化の真髄と政治の基盤となる台湾人の思想を読み解くヒントが与えられるからです。

本書の課題

読者としての私にとって,現代の台湾を知る上で,最も興味深い記述,すなわち,ワクワクするほどの記述が始まるのは,第7章以下,特に(六)代表的な人物-王敏川(286頁)からでした。

もちろん,それまでの記述も貴重であり,翻訳もこなれていて読みやすいのですが,文学の素人の私にとって,漢詩の部分に限っては読みにくく,途中で何度も挫折しそうになりました。その原因のひとつは,漢詩の読み下し文にルビが非常に少なく,私にとって読めない漢字が多いことに原因があったように思われます。

そこで,本書の訳者に対して,以下の二点を提案したいと思います。

第1点は,本書の改定に当たっては,できる限りルビを増やすこと,特に,漢詩の読み下し文には,満遍なくルビを振り,読者が音読を楽しめるようにすることを提案します。

第2点は,巻末の「台湾史年表」は,簡潔に整理されており,本書を読む際に常に参照して,本書の理解を深めることができました。ただし,本書に登場する重要人物についての記述がない点が惜しまれます。そこで,年表に登場人物に関する記述を追加することを提案します。

書評:ダニエル・フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007)


ダニエル H. フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007/11/20)


本書の概要

この本の著者は,1981年にアメリカ合衆国のロースクールを卒業して連邦地方裁判所および連邦最高裁判所のロー・クラーク(裁判官の下で法律の調査や判決の起案をする人のこと)を勤め,合衆国での弁護士経験もある人物です。著者は,1983年に外国人研究生として来日して,東京大学,最高裁等で日本の裁判制度をアメリカの裁判制度と比較しながら研究し,東京大学法学部の助手を経て,2000年からは,東京大学大学院法学政治学の教授(現職)です。

本書は,日本の裁判所とアメリカ合衆国の裁判所を比較することを通じて,日本の裁判所の裁判官の没個性,世間との没交渉性,人事の不透明性,面子にこだわり内部からの批判を排除するという官僚的な性質を見事に暴き出した優れた本です。

本書の特色

本書の第1の特色は,21頁の2枚の写真(最高裁の大法廷の統一した椅子の写真と,アメリカ合衆国連邦裁判所の不揃いの椅子の写真比較する2枚の写真)によって,日本の裁判所の裁判官の没個性と合衆国の裁判所の裁判官の個性の尊重とを一目で理解できるようにしている点にあります。

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わが国の最高裁判所の法廷の統一規格の椅子
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Iphonezine/Iphonezine_6703_1.jpg

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アメリカ合衆国連邦裁判所の法廷の不揃いな椅子
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/Ussupremecourtinterior.JPG
なお,本書21頁の写真では,椅子の不揃いの様子がもっと鮮明に写っています。

本書の第2の特色は,41頁の2枚の写真(最高裁の大法廷の剣を振り上げ,目隠しをしない女神像と,合衆国連邦裁判所の目隠しをした女神像の写真)の対比によって,日本の裁判所の書面重視主義と,アメリカ合衆国の弁論重視主義とを一目で理解できるようにしている点にあります。

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わが国の最高裁判所の女神像
http://www.geocities.jp/wpo_explorer/exp2/003.jpg
最高裁の女神像は,お顔こそ穏やかですが,所作は恐ろしいものです。
目を見開いていることは,偏見と書面重視・弁論軽視の姿勢を示しています。
天秤を下ろして剣を高くかかげた姿は,まさに,官僚的権威主義の象徴です。
これでは,最高裁の裁判官たちの人権感覚が疑われても仕方がないでしょう。
本書の指摘を受けて,最高裁の改革が実現する時というのは,
この女神像が撤去され,この女神像とは正反対に
目隠しをし,天秤を高く掲げ,剣を降ろした女神像に入れ替った時でしょう。
アメリカ合衆国連邦最高裁判所の目隠しをした女神像は,本書41頁をご覧ください。

本書の第3の,そして,最大の特色は,裁判官の政治活動が問題とされた非常によく似た日本の事件(寺西事件)とアメリカ合衆国の事件(サンダース事件)とを取り上げ,優れた比較を行っている点にあります。

すなわち,本書は,上記の二つの事件の内容はほとんど同じにもかかわらず,日本では,政治活動をした裁判官を有罪とし(正確には,仙台高等裁判所の分限裁判で戒告処分を受け,最高裁でも賛成10と反対5で戒告処分が妥当と判断された),アメリカ合衆国では無罪としたという結論の違いだけでなく,日本では,手続きを非公開の裁判としたのに対して,合衆国は,公開の法廷で審理を行ったことに着目し,なぜ,そのような差が生じたのかについて,鋭い分析をしている点にあります。

詳しい内容は,本書を読んでいただくほかありませんが,以下の記述(181-182頁)は,まさに,日本の裁判所の本質を突いていると思われます。

私は,日本の裁判所が〔非公開の〕懲戒手続きをとると決めた際に,〔懲戒手続きは内部の問題であると考えるのとは別の〕もうひとつ別の要因が作用したのではないかという思いを捨て切れない。それは,組織の面子がつぶされたという感覚である。

これを実証的に証明することはできない。しかし,懲戒手続きとして耳目を集めた二つの事件-寺西事件と第3章でみた福島重雄の事件-が,ともに裁判官が裁判所の恥を公にさらした事件だったというのは,単なる偶然とは思えない。

寺西事件は,裁判官は検察や警察による令状の請求に対して盲判を押していると示唆する朝日新聞への投稿に端を発し,福島事件では,知人に送られた(そして報道機関の手に渡った)いわゆる平賀書簡の写しが,若手裁判官が事件で特定の結論を出すように上司から圧力をかけられているような印象を与えた。

もちろん合衆国でも,内部問題についての好ましくない情報を暴露して組織の評判を落とした人に対して,かなりの非難が浴びせられる点では変わりはない。内部告発者は組織の対外的責任を確保するという重要な役割を果たすが,組織内では決して好かれる人物ではない。

日本では,組織の「裏切り者」に対しては,合衆国よりも一段と激しい非難が集中するといえよう。さらに,日本ではキャリアシステムがとられ,労働力の流動性が低いこともあり,組織内部の好ましくない情報を公に暴露する行為に対しては,合衆国よりも相当大きな圧力がかかる。こういった要素が重なることによって,日本では好ましくない事実が秘匿される傾向が強くなっているといえよう。

本書の第4の特色は,わが国で裁判員制度について,アメリカ合衆国の陪審員制度と比較した場合,その制度趣旨が明確でないため,裁判員の利益があまりにも少なく,守秘義務等,負担があまりにも大きいことを明らかにしています。

本書の課題

本書は,アメリカ合衆国の裁判制度との比較を通じて,わが国の裁判制度の特色を見事に浮き彫りにした傑作です。

ただし,本書の著者が接する裁判官が最高裁のトップや優秀な裁判官に限定されているためでしょうか,日本の裁判官に甘い点が少なからず見られる点については,鵜呑みにすべきではないでしょう(瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16) も,この点を強調しています)。

たとえば,完全に形骸化して,機能不全に陥っている最高裁の裁判官の「国民審査」について,限界を認めつつも,以下のように指摘していますが(105頁),いかにも甘すぎる評価のように思われます。

私個人としてはこの国民審査制はよい制度だと思っている。この制度は,少なくとも定期的に最高裁判所に対する人々の関心を呼び起こす役割を果たしている。

日本の裁判官について得られる情報量は,ミズーリ州や合衆国の他の州と比べると格段に少ないものの,インターネットの普及とともに裁判官に関する情報はかなり手に入りやすくなっている。そして,退官した裁判官の話によれば,裁判官自身,罷免を求める票の割合にはかなり関心をもっており,その割合は小さくとも一定の影響力はあるのかもしれない。

また,瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)は,本書について,以下のように,厳しく批判しています。

フット教授による日本の司法の分析については,全体としては評価すべき部分があると思うが,前記の書物〔本書〕についてみると,日本の裁判所・裁判官制度の決定的な特色であるヒエラルキー的な上位下達の官僚組織という側面の問題点に関する十分な認識が欠けているように思われる。

〔裁判員制度に対する期待(本書289頁以下)についても〕,法社会学者の分析としてはいくら何でも甘すぎるのではないかと私〔『絶望の裁判所』の著者・瀬木〕は考える。私の周囲の学者にも,私の知る限りの民事訴訟法学者にも,裁判員が裁判官に及ぼす効果についてそのような甘い期待ないし幻想を抱いている人はあまりいない。

それにもかかわらず,本書は,日本人が見過ごしているさまざまな点について,比較研究の視点から鋭く抉り出しており,わが国の裁判所に関する一級の啓蒙書であることに間違いはありません。

上記のような批判点があることに留意するならば,本書は,なお,私たちが読むに値する優れた本であり,法律の専門家だけでなく,広く市民一般に読まれるべき良書として,すべての人に,本書の一読を勧めたいと思います。

書評:瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)


瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)


本書の概要

本書は,瀬木 比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書(2014)の姉妹書です。『絶望の裁判所』が制度批判の書物であったのに対し,本書『ニッポンの裁判』は,裁判批判を内容とするものです。

本書は,99.9%という異常な有罪率を誇る刑事裁判において生み出されている数多くの冤罪と恣意的な国策捜査,民事の名誉毀損損賠賠償訴訟・原発訴訟における最高裁事務総局による下級審の裁判内容のコントロール,原告勝訴率わずかに8.4%の行政訴訟,調査官のいいなりと揶揄される憲法裁判,刑事系裁判官による裁判員制度の悪用,裁判員制度のイベント企画にまつわる不正経理の実態など,具体的な事例を紹介しつつ,裁判所と裁判官は自浄作用が期待できないほどに腐敗していることを明らかにしています。

本書の特色

本書によって,裁判所は,前近代的な服務規律が改めら得れることもなく,ハラスメント防止のためのガイドラインも,相談窓口や審査機関もなく,セクシュアル,パワー,モラル等の各種のハラスメントが横行するというように,究極の腐敗状態に陥っていることが明らかにされています。

しかし,筆者によれば,裁判所は,清く正しくあってこそ,正当性を有しているのであって,人々がそう思っているから,人々を従わせることができるに過ぎません。したがって,もしも,国民が,裁判所が究極的に腐敗していることを知るようになれば,裁判所の権威など誰も認めなくなり,提訴率は激減し,裁判所の判断には誰も従わなくなるに違いありません。

そこで,筆者は,腐敗をとめられずに暴走しつつあるわが国の裁判所・裁判官制度を根本的に改革するには,事務総局人事局の解体とそれ以外のセクションの大学事務局的な部門への改革,キャリアシステムの法曹一元制度への移行以外にないと断言しています。

本書の課題

本書の筆者は,第7章(株式会社ジャスティスの悲惨な現状)において,以下のように豪語しています。

裁判所・裁判官制度の根本的な改革は,事務総局人事局の解体とそれ以外のセクションの大学事務局的な部門への改革(権力的な要素をなくして事務方に徹するようにするという趣旨),そして,キャリアシステムの法曹一元制度への移行以外によってはなしえないのではないかと考える(『絶望』第6章)。それ以外の有効な方法があると考える人がいるなら,きちんと実名を示してそれを提案していただきたいと思う。

『絶望』に対する専門家の意見はかなりの数あった(もっとも多くは匿名)が,私の知る限り,現在の裁判所・裁判官制度の改善に関する有効な対案は,示されたことがないのではないかと考える。

以下の記述は,本書の筆者に対するささやかな反論と実名を示した提案です。

本書で提言されている裁判所改革は,自浄作用が期待できないはずの裁判所(絶望の裁判所)による改革です。これでは,効果は期待できないのではないでしょうか。

裁判所の腐敗を止めるには,以下のように,国会,および,国民という,外部からの裁判所に対する監視・弾劾機能を強化することが必要です。

第1に,三権のうちで国民に近い存在であり,裁判官を罷免する実績を有する国会による弾劾裁判(裁判官弾劾法第2条以下)のいっそうの強化によって,下級審の裁判官の基本的人権を侵害している最高裁の事務総局のトップ,裁判官の独立を侵害している下級裁判所のトップ等を罷免できるようにすることが不可欠でしょう。

第2に,国民自身による国民審査の改革を進めて,国民に奉仕するのではなく,最高裁の事務総局に奉仕したり,天下り先の大手の弁護士事務所や銀行の利益に奉仕している腐敗した最高裁の裁判官を国民審査(憲法第79条第2項~第4項)を通じて罷免したり,事後収賄罪(刑法第197条の3第3項)で告発したりするほかないと思われます。

そうではなく,裁判所による改革に頼っていたのでは,法の解釈に関して,最終的な決定権を有するため,実質的に,国権の最高機関となっている最高裁の改革は,いつまでたっても実現できないでしょう。

書評:瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)


瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)


本書の概要

わが国の裁判官は,一般には,優秀で,公正,中立,廉直という印象をもたれています。しかし,その印象は誤りであり,実際の裁判官は,さほど優秀でもなく,公正でも,中立でも,廉直でもなく,むしろ,腐敗しており,しかも,裁判所自身の努力によってそれを改善することは絶望的であるというのが,33年間裁判官を務めた筆者の見解です。

本書の特色

筆者は,現在,裁判官を辞任し,学者に転進しています。筆者によれば,現在の裁判所は,情実人事,裁判官の不祥事等が横行しており,裁判官の個人の尊厳も,表現の自由も奪われており,サービス業で最も重要な「顧客志向」の精神が完全に欠落しているといいます。そして,裁判所がそのような危機的な状態に陥っているのは,最高裁による巧妙な裁判官支配によって,現在の裁判官の視線は,国民に向けられているのではなく,判決が評価され,昇進に響く,上級審や最高裁(事務総局)に向けられているからであるというのが筆者の分析です。

その結果,裁判を利用した人々の満足度は,2割を切っているのですが,それを改善しようとする裁判所の動きは皆無であり,裁判所は,その自浄作用も期待できない危機的な状態にあるということを筆者が実際に経験した具体的な事例を踏まえて明らかにしている点に本書の特色があります。

本書の課題

司法官僚の支配によって絶望的な腐敗状況にある裁判所を国民のための裁判所にするためには,裁判官の任官制度を改革して,弁護士を経験し,人生の機微を理解すようになった上で,裁判官になるという法曹一元の制度を構築することが必要であるというのが筆者の改革提言です。

しかし,司法を改革するのに,司法の内部で改革しようとしても,おそらく問題は解決できないと思います。人間ばかりでなく,法律が無効であるかどうかを裁くという,物事の最終的な決定権を最高裁が握っている以上,司法によって司法の腐敗を止めることはできないでしょう。

三権のバランスを回復し,これまでにも,裁判官を罷免する実績を有する,国会の内部に開設される弾劾裁判所のシステムを強化・整備し,憲法に反する支配体制を進めている最高裁判所のトップを弾劾できるようにしなければ,裁判所の腐敗を止めることはできないでしょう。

なぜなら,アクトン卿の格言にあるように,「権力は腐敗に向かう,絶対的権力は絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」からです。

 

面白い本の紹介(鈴木敏文=勝見明『働く力を君に』講談社(2016/1/20))


常識を覆すやり方で次々と成功を導いてきた筆者(鈴木敏文:セブンイレブンの生みの親)が読者に伝える「仕事の仕方」


本書で著者が伝えたい「仕事の方法」


筆者がこの本で社会人になろうとする人々に伝えたいと考えている「仕事の仕方」とは,本書の最後の部分にまとめられており,その要旨は,以下の通りです。

「自分の頭で考え,仮説を立て,答えを導いていく。その際,変わらない視点をもち,ものごとの本質を見抜き,できるだけ難しく考えずに単純明快に発想し,迷わず決断し,実行すること」である。

これだけだと,常識的な「仕事の仕方」だと思われるかもしれませんが,この本の著者は,小型店が大型店に太刀打ちできるはずがないという世間の常識を覆し,セブンイレブン第1号店を出店し,その後,セブンイレブンを日本一のコンビに育て上げ,セブン銀行まで創設した猛者なのですから,「常識どおりの仕事の仕方」と簡単に片付けるわけにはいきません。


著者の「仕事の方法」のついての疑問点とその解答


この結論部分を詳しく検討してみると,その実行は,そう簡単でないことがわかります。

第1に,「自分の頭で考える」ということですが,これが結構難しいのです。他人の「ものまね」ではだめだとしても,素人が自分の頭で考えて,それで玄人に太刀打ちができるのでしょうか。

第2に,「仮説を立て,〔検証を通じて〕答えを導いていく」ということですが,素人が,自分の頭で考えたくらいで,簡単に仮説を立てることができるのでしょうか。また,その仮説を検証するのに,時間とお金を誰かが出してくれるものでしょうか。

第3に,筆者は,「変わらない視点を持つ」ことが大切とされていますが,筆者は,他方では,変化の激しい次代においては,これまでの知識や過去の成功にとらわれず,常に変化する「お客様の視点にたって考える」ことを重視しています。変わらない視点を持つことと,変化する社会の動きにとは別の「変わらない視点」を持って「ものごとの本質を見抜くことが可能なのでしょうか。

第4に,素人が,「できるだけ難しく考えずに単純明快に発想し,迷わず決断し,実行する」などいうことをやったら,それこそ,社会に大混乱が発生するのではないでしょうか。

第5に,そもそも,流行を追って考えがめまぐるしく変化する「顧客の視点」に立つことは,「変わらない視点を持つ」ことと矛盾するのではないでしょうか。また,顧客の視点に立つということと,自分の頭で考えるということも矛盾しているのではないでしょうか。第1から第4までの考えの中に一貫した理念は存在するのでしょうか。

本書は,このような疑問に対して,筆者の常識破りの考え方が,実は,一貫した考え方に基づいていることを明らかにしており,優れた啓蒙書となっています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,最も重要な観点というのは,惰性に傾きやすい自分と,「お客様の立場に立った」自分とを対立させ,その間でコミュニケーションをとることによって,自分自身を成長させていくという方法であり,その方法を突破口として,以上の5つの点を矛盾なく解決することができることが詳しく語られています。


みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗するとは?


ところで,本書では,「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」という,これまでの常識を覆す,それでいて,なかなか意味深い文章が何度か繰り返されています。私は,本書を読みながら,その理由を考えてみました。私が考えた回答は,以下の通りでした。

「みんなが反対することは,これまでとは異なる時代を先取りしていることが多いので,たいてい成功する。これに対して,みんなが賛成することは,過去の蓄積に沿っているだけのことなので,時代が変わるときには,失敗する。」

種明かしになってしまいますが,本書の最後の方に,この問題に関する筆者自身の答えが,以下のように披露されています。

みんなが賛成することは,「それを実現する方法がすでに存在しているか,もしくは,容易につくり出せるので,誰もが参入しようとする。」〔その結果,無意味な過当競争(いわゆるレッド・オーシャン)に陥って失敗してしまう〕。
「一方,何かを始めようとするとき,多くの人に反対されるのは,現状ではそれを実現するのが難しいか,実現する方法そのものが容易に考えられないからです。」〔その結果,いわゆるブルー・オーシャンが開かれることになる。〕

「実現するのが難しいか,実現する方法そのものが容易に考えられない」という状況を乗り越えていく方法について,筆者は,以下のように述べています。

「一歩先の未来に目を向け,新しいものを生み出そうとするとき,目的を実現する方法がないなら,自分たちでつくり上げていけばいい。必要な条件が整っていなければ,その条件を変えて,不可能を可能にすればいい。壁にぶつかったときはものごとを難しく考えず,もっとも基本の発想に立ち戻るべきなのです。」

皆さんも,著書を読みながら,「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」という命題の意味を,自分の頭で,考えてみましょう。


常識を覆す著者の名言の数々


本書には,先に紹介した「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」というような常識とか,社会通念とかを覆す名言が,このほかにも,次々と飛び出します。私が注目したものだけでも,以下のように,従来の常識が次々と覆されていきます。

1.大規模店が隆盛をみせるなか、小型店が大型店と競争して成り立つはずがない。
--でも、本当にそうなのか。商店街の小型店が競争力を失ったのは、本当はスーパーの進出という要因以前に、取り扱う商品が市場のニーズの変化に取り残されていたことや、生産性の低さが根本的な原因で、その問題を解決すれば、小型店と大型店は共存できるはずと、わたし(筆者)は考えました。

2.コンビニでの弁当やおにぎりの発売については、「そういうのは家でつくるのが常識だから売れるわけがない」とみんなにいわれました。
──本当にそうか。 弁当やおにぎりは、日本人の誰もが食べるからこそ、逆に大きな需要が見込まれるはずだと、わたし(筆者)は考えました。

3.セブン銀行についても、「収益源がATM手数料だけで成り立つはずがない」と否定論の嵐です。
──なぜそうなのか。わたし(筆者)は既存の銀行の延長上ではなく、二四時間営業のコンビニの店舗にATMが設置されれば、利便性は飛躍的に高まり、ニーズに応えることができるので経営は成り立つのではないかと単純明快にとらえました。

こんな調子で,世間の常識とか,社会通念とか,これまで誰も疑っていなかった考え方が次々と破壊されていきます。私は,本書を読みながら,指折り数えてみたのですが,合計で,17の常識,社会通念が,筆者によって覆されていると思っています。

みんさんも,本書を読んでみて,自分の常識がいくつ破壊されるか数えてみると興味深いと思います。


 

面白い本の紹介(中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014))


一人でネットビジネスを立ち上げる方法を伝授する本です。

自らの失敗とそれを克服した体験(資本20万円(1人)→1年間売り上げなし→年商5億(社員30名)→失敗→借金7,000万円(1人)→年商3億円(2人))に基づいて論じており,自立を目指す人にとって非常に参考になります。

特に,第2章「ノーリスクではじめるネットビジネス」(43-106頁)は,ネットビジネスを始める際の注意点から,具体的なソフトウエアの導入方法,運用のノウハウうに至るまで,非常に丁寧に解説されており,読者は,この記述に従って,自分自身でもネットビジネスを開始できると思われるほどに充実しています。

私も,この本の記述を参考にして,WordPressを使った「質疑応答のできるWebサイト」を立ち上げることを思い立ち,実際に立ち上げることができましたた。

本書は,ネットビジネスを始める人にとって,必読の書といってよいと思われます。