書評:中山康雄『規範とゲーム-社会の哲学入門』勁草書房(2011/9/15)
Ⅰ 本書の概要
本書は,社会組織の生成と発展を規範のサブ体系としてのゲームの体系によって説明しようとするものであり,その試みは十分に成功していると思います。
著者が本書の言いたいことをざっくりとまとめると,すべての社会組織は,野球のようなチーム同士のゲームの仕組みによって,ほぼ説明できるというものです。つまり,野球ゲーム,および,野球ゲームを運用する球団組織を説明できれば,すべての社会組織,例えば,通常の企業も,非営利団体としての大学組織も,また,国家組織についても,規範とゲーム体系で説明できるというわけです。
本書は,規範とゲーム体系によって,あらゆる社会組織,および,そこで生活する人々の行動を説明しようとするものであり,社会契約論(1762年)に代わる革命的な社会組織論と呼ぶことができるように思われます。本書の構成は,以下の通りです。
第1部(言語哲学を基盤にした社会的現実性の分析)
本書は,社会の生成と展開を根源から説明することを試みるものです。その出発点として,筆者は,ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論,それを制度的側面において補完するハートの法哲学から出発しています。そして,社会の生成における言語の重要性を明らかにしようとするオースティンの言語行為論,サールの行為の社会論が紹介され,それらが,サールとハーバーマスとの間の論争を通じて,批判的に検討されています。
第2部(規範とゲームについての哲学的分析)
筆者の提案する規範体系とゲーム体系が詳しく紹介され,規範体系としては,規範体系論理学が,ゲーム体系としては,ゲームの一般的定義に続いて,具体的な一人ゲーム(クロスワードパズル,魔法陣など),二人ゲーム(将棋,九マス遊び,百メートル競走など),そして,多人数ゲーム(野球,サッカーなど)について,それぞれのゲームの体系,その構造化と入れ子構造について,詳細な検討がなされています。
第3部(社会生活における規範とゲーム)
筆者が提案する規範とゲームの理論が,実際の社会生活にうまく適用できるかどうか,言語行為,社会組織,法体系,裁判手続き,さらには,経済活動について,検証が行われています。
ここでは,ゲーム理論と筆者の提唱するゲーム体系と違いについても,具体的な例で説明されています。詳しくは,本書を読んでもらうしかありませんが,囚人のジレンマについての考察から,いじめの問題,国家間の武力行使に至るまで,筆者のゲーム体系との対比で,ゲーム理論の限界について論じる箇所は,説得力があります。
Ⅱ 本書の特色
1.ヴィトゲンシュタイン,ハート,サールの学説の巧みな関連づけ
私は,大学院生のころ,ハートの『法の概念』を原書で読んだことがあります。そのころから民法を専攻していたため,ハートのルール中心の考え方は,納得のいくものであり,何の違和感も覚えずに読み終えました。
しかし,今回,本書によって,ハートの理論とヴィトゲンシュタインとの連続性,ハートとケルゼンとの間の断絶を知り,「民法は,裁判規範である」という現在の通説の問題点を理解することができました。特に,以下の記述は,印象的でした。
「法規範は誰に向けられたものか」という問いには,ハートなら,「一般市民と法執行機関の両方に向けられている」と応えるだろう。これに加えて,「一般市民に向けられた法規範の方がより根源的だ」と彼は答えたに違いない。(本書15頁)
2.社会の生成,発展を規範とゲームの体系に基づいて記述
民法を専門にしていると,国家の生成と展開については,ルソーの社会契約論に親近感を覚えます。また,国際公法についても,公法とはいえ,第1に,国家間の平等な関係を基盤としている上に,第2に,民法の法人の規定が国際機関の組織法に反映されており,第3に,民法における慣習法の考え方が国際慣習法にも反映されており,第4に,当事者間の契約法を国家間に拡大したのが,国際条約法であると考えることができるというように,何事も,民法を基盤として制度を説明する傾向に陥りやすくなります。
しかし,本書を読んで,すべての類推の根源となる人間の成長過程において,第1に,子どもは,言語を習得しないうちから,「いないいないばぁ」というゲームを演じることができること,第2に,ゲームは言語に先行し,むしろ,ゲームを通じて,言語やコミュニケーションを学ぶようになるといってもよいとの本書の記述(65-67頁,98-99頁)を読んで,筆者の規範とゲームの体系理論こそが,社会の生成と発展を説明するのに適した考え方であると感じました。
3.ゲームの入れ子構造,ゲームの重なりによる社会生活のわかりやすい記述
本書の書評として,アマゾンのカスタマーレビューに以下のものがあります。
有限の行為空間から特定の行為を選ぶという考え方においてゲームと規則化された社会に違いはないという内容であるという認識です。
著者の主張には共感するのですが素人目線ではだから何なのだろうかという気もします。
「だから何なのだろうか」という問いについては,筆者に代わって,本書のキャラクター康麻呂君(やすまろくん)が,以下のように述べています。
人々がゲームをやっていると考えると,そのゲームの中で行動するやり方がすごく限られてくるということなんだ。ゲームなしで考えると何をやっていいか複雑すぎてわからなくても,あるゲームをしているんだと考えると,次にやらなくてはいけないことが見えてきやすいということなんだね(本書211頁)。
民法を専門とする者としては,本書を読みながら,民事裁判ゲームを含めて,民法のルールに則ったゲームが,本当にわかりやすいものとなっているかどうかを再検討し,市民にとってわかりやすくて楽しいゲームとなるよう,様々な努力を積み重ねていくことが必要であることを実感できました。
Ⅲ 本書の課題
1.領域横断的な試みから生じる専門知識に関する誤解
本書の「まえがき」で,筆者は,法律の専門家ではないため,誤りを犯しているかもしれないことについて,以下のように,事前に断り書きを記しています。
本書もまた,そのような領域横断的な試みであり,専門家たちからは,ある意味で素人のたわごとのように受け取れられるかもしれない。
そして,実際に私は社会学や法哲学や経済学の専門家ではないのだから,そう思われてもしかたがない。しかし,そのような大それた試みが,学問の発展のためにはときに必要だとも考えている。(本書viii頁)
しかし,このような領域横断的な試みだからこそ,私のような民法の専門家にとっても,先に詳しく述べたように,本書は非常に有益です。専門家から見た場合の本書の誤りは,些細な誤りであり,専門家によって指摘された箇所を修正すれば済む問題に過ぎません。
そこで,本書の改訂の際に,修正する材料にしていただけることを願って,民法の専門家から見た場合に,本書の著者が誤りに陥っていると思われる個所を指摘しておくことにします。
(1) 法律といえば刑法という勘違い(本書88-89頁,183-185頁)
刑法と民法とは,かなり異なる性質を有していますので,法律といえば,刑法のことを考えるというのは,かなり危険です。本書では,以下の2か所で誤りを犯しています。
第1の誤りは,以下のように,「法律の条文は,厳密には,…」と指摘しつつ,刑法だけに特有の問題を取り上げています。しかし,次に詳しく述べるように,民法はそうではありません。
法律の条文は,厳密には,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰を規定している。だから,厳密には,法律そのものは,直接に一般行為者に適用されるものではなく,法律の実行に携わる司法関係者への規範体系となっている。
しかし,法が定められた社会組織に生きる人々は,法体系を規範体系に翻訳して理解している。実際,法は何が犯罪であるかを帰結し,人々が,犯罪的行為をなすことを禁止文脈に属すると解釈することにより,一つの社会組織全体への規範体系が帰結する。(本書88頁)
刑法は,確かに,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰のみを規定しています。しかし,法律の中で,刑法と同様に重要な民法においては,以下のように,第1条において,行為を禁止する規定を明文で置いています(特に,権利濫用の禁止は,禁止が明確に規定されています)。
民法第1条(基本原則)
①私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は,これを許さない。
本書において,このような初歩的な誤りが生じているのは,法律の典型例として例示するのに,刑法199条の殺人に関する条文を挙げるのが,わかりやすいからでしょう。確かに,公法である刑法は,裁判規範としての性格が強いため,裁判官が判決を下す根拠としての条文の形式が選ばれているのでしょう。しかし,私法である民法の場合は,裁判規範だけでなく,市民生活の行為規範としての役割を果たすものであるため,解釈に頼るまでもなく,直接に行為を禁止する規定が存在するのです。
第2の誤りは,以下のように,刑事裁判だけを念頭に置いて裁判ゲームが論じています(183頁183-185頁)。
裁判は,ゲーム構造を持っている。裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。
この記述は,刑事裁判だけにいえることなので,「『刑事』裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。」とすべきです。正確を期するなら,「刑事裁判の場合は,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。これに対して,民事裁判の場合には,原告側,被告側,裁判所側の三集団である。以下においては,刑事裁判に特化して記述する。」とすべきでしょう。
(2) 契約自由の原則と法規定との関係についての誤解
第3の誤りは,約束と契約との違いについて,契約とは,「法規定により定められた一種の相互約束」であると考えている点にあります(本書137頁,148-149頁)。
契約自由の原則が認められている契約法においては,法規定により定められた契約(典型契約)と法規定に定められていない非典型契約(例えば,ファイナンスリース契約,フランチャイズ契約など)との間で,その拘束力についての区別はありません。
申込と承諾が合致している約束は,たとえ,法規定によって定められていなくても,その約束違反については,債務不履行として,履行の強制,契約の解除による原状回復,損害賠償等の救済措置を裁判所に求めることができます。
2.私たち専門家の課題
以上のような専門家から見た場合の多少の誤りはありますが,本書は,すべての学問分野の専門家が読むに値する価値を有していると思います。そして,それぞれの専門家が,自らの学問領域をゲームとして見立て,もしも,門外漢がそのゲームに参加したいと思った場合に,その門外漢にも理解できるルールブックが用意されているかどうか,そのルールは,ゲーム体系としてふさわしいものとなっているかどうかを,時々立ち止まって考えてみるとよいと思います。
具体的には,自らの専門分野をゲームの場と見立て,ゲームの初期状態とゲーム進行中の状態とゲームの終了条件が,野球のスコアボードのように,明確に示されるようにするには,どのような仕組み が必要なのか,そのゲームの体系が市民の間で承認を受け,共有信念となるほどにわかりやすくするには,どうすればよいのかを考えるとよいと思います。
多くの専門家がそのような努力を続け,一般市民が,高度な専門分野に分け入って,そこでのシミュレーションゲームを楽しめるようになってこそ,衆愚政治ではない,真の民主主義が実現するのではないでしょうか。
本書に影響を受けた私自身は,研究目標である「民法のGoogleマップ」を,単なるマップではなく,民法ゲームのルールブックを兼ねることができるようなものにしようと考え,少しずつ実践に移しています。民法に興味のある方は,日々改訂を重ねており,未完成の段階ではありますが,以下のURLを参照してみてください。
・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PowerPointファイル,アニメーションとノート付き)
・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PDFファイル)
・法的推論の基礎(ビデオ教材(60分),PowerPointファイル(ノート付き),PDF)