法学部の危機的状態と学部改革の提言


明治学院大学法学部の危機的状態と法学部改革の提言

The Critical situation of the Faculty of Law of Meiji Gakuin University
and some Recommendations for the Faculty Reform

明治学院大学法学部教授 加賀山 茂


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • 1.明治学院大学法学部の危機的現状
      • 2.明治学院大学法学部に必要な学部改革
    • Ⅱ 法学部教育における腐敗の現状
      • 1.授業参観の低迷と教員同士の切磋琢磨の不在・馴れ合い
      • 2.授業担当の固定化による専門以外の科目に対する無関心・マンネリ化
    • Ⅲ 法学部における腐敗の防止策
      • 1.講義室の密室化による講義の腐敗と腐敗の防止策としてのビデオ教材の作成
      • 2.教員本位の構成から,個々の学生の知的レベルを向上させるためのカリキュラムへ
      • 3.教育改善のためのチェックリスト
      • 4.研究改善のためのチェックリスト
      • 5.任期付でないために生じる研究の腐敗の防止策
      • 6.教員の腐敗を防止するための教員の評価基準
    • Ⅳ 大学教員の腐敗を防止するための教員の自立能力の養成
      • 1. 教育目標としての学生の自立の実現
      • 2.学生の自立に先立つ教員の自立
      • 3.教員の自立を支援する起業セミナーの実施
    • Ⅴ 教員の腐敗を防止するための倫理規定の作成
      • 1.倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)の必要性
      • 2.法学部教員の職業倫理規定(就任時の誓い)
    • Ⅵ 結論
      • 1.教員は学生にとって絶対的権力者である
      • 2.大学は真理探究の場であると同時に,腐敗の温床でもある
      • 3.大学教員の腐敗を防止するには,不断の改革が必要である
      • 4.明治学院大学法学部のFD会議の再編による改革の推進の提言
      • 5.明治学院大学法学部の改革を実践するための7項目
    • Ⅶ 参考文献

Ⅰ 問題の所在


1.明治学院大学法学部の危機的現状

18yearoldPopulation本号(『法学研究』第101号)は,明治学院大学法学部50周年記念号であり,本来なら,法学部50年の歴史を寿ぐべきであろう。しかし,現在の法学部は,そのような呑気なことを言っておられない危機的な状態にあると,私は感じている。わが国における少子化の急激な進行によって,大学に入学する18歳人口が減少しており,多くの大学の存続自体が困難になっている。

そればかりでなく,司法改革の一環として実施された法科大学院構想が思わしい成果を挙げられなかったこともあって,法曹志望者が激減しており,そのあおりをうけて,法学部人気も徐々に下降しつつある。つまり,「潰しのきく学部」として享受してきた法学部人気は,その実質を失っており,「法学部の売り」を説得的に主張できる学生は,ほとんどいなくなりつつある。

それに追い討ちをかけるかのように,文科省が,2015年6月8日の通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し」を出し,これが,国立大学は「文系学部廃止」へ向かうと報道されたことから,文系学部のひとつである法学部人気が,私立大学の場合を含めて,さらに落ち込むことになった([吉見・文系学部廃止の衝撃(2016)] )参照)。

そのような逆風を受けて,明治学院大学の法学部のランキングは,このところ,慢性的な下降傾向にあり,入学者の偏差値が50前後を漂うという危機的な状況に陥っている(たとえば,「法学部系大学偏差値ランキング2016年度版」http://大学偏差値.biz/law.php 参照)。

その主要な原因は,都心の周辺大学(明治大学,法政大学,東洋大学など)が大学・学部改革を行い,その人気を上げているのに反して,明治学院大学法学部は,その改革を怠ってきたためであり,その結果として,明治学院大学法学部は,これらの周辺大学に学生を奪われ続けているのである。

2.明治学院大学法学部に必要な学部改革

それでは,明治学院大学法学部が,本来なすべき学部改革とは何だろうか。

結論を先取りして言うと,今必要とされているのは,教員のための学部改革ではなく,高い授業料を支払っている学生(学生の保証人を含む)の立場に立った学部改革である。

しかも,学生のための学部改革は,従来の教育目標である学生一人ひとりの知的レベルの向上だけでなく,学生の一人ひとりが,自らの意に反する仕事を押し付けられそうになったときに,辞職できるように,起業して自立できる知識と技術とを身につけさせることを従来の教育目標に追加することである。さらには,学生に自立を求める以上,教員も,それ以前に自立する能力を養う必要がある。

そして,これらの目標を実現するためには,民主的でかつ強力な権限を持つFD会議を新設し,そこでの議論を反映しながら学部改革を推進することが必要である。改革の目玉は,教員同士の切磋琢磨,ICTを活用した反転授業等の教育改革,および,専門分野横断的なカリキュラム改革であろう。それと併行して,教員の自立能力を要請するための起業セミナーの実施,さらには,不断の自己評価を行う基準として,医学部におけるヒポクラテスの誓いに似た,法学部の倫理規定を制定すべきであると,私は考えている。

ところが,明治学院大学法学部は,これまでの地の利,すなわち,「白金人気」に安住して,学部改革の努力をほとんど行ってこなかった。このため,法学部の教育・研究には,以下に述べるような構造的な腐敗が生じている。


Ⅱ 法学部教育における腐敗の現状


1.授業参観の低迷と教員同士の切磋琢磨の不在・馴れ合い

何事においても,向上のきっかけは,切磋琢磨である。したがって,教員は,知的レベルを向上させるために,学生同士が切磋琢磨することを要求する。しかし教員自身は,相互に切磋琢磨することを怠っている。

教員同士の切磋琢磨の最も簡便な方法は,互いの授業参観を活性化することである。明治学院大学の法科大学院(ロースクール)では,毎年,半期ごとに教員に2科目以上の授業を参観すること,および,授業参観の報告書を提出することを義務づけてきた。さらに,協力関係にある他大学(國學院大學,東海大学,獨協大学)に出かけて,授業参観をし,他大学の教員に評価レポートを渡す試みも行ってきた。

同僚の授業参観をしてみると,同僚が学生のためにどのような教育上の工夫をしているかがよくわかり,自己評価,および,自らの教育改善に役立つことが多い。しかも,授業参観について,同僚から文書で評価を受けるため,授業参観を受ける教員にとっても,非常に有益である。

授業参観の意義は,その参観レポートが,専門家によってなされる点にある。どこの大学でも,学生アンケートは盛んに行われており,一定の成果を挙げてはいるものの,それが匿名である点で,自由な意見表明が可能である反面,単なる誹謗中傷の域を出ないものも多く,また,教育内容については,素人であるため,厳格な教育評価とはいえないものが多いなど,不十分な点が多い。この点,大学教員による授業参加とその参観報告は,専門家による記名コメントであるため,教育の改善にとって必要不可欠であるといってよい。

ところが,法学部では,教員に対して,授業参観を義務づけておらず,しかも,授業参観にとって最も重要な授業参観の報告書の提出を義務づけていない。これでは,切磋琢磨による教育改善が全く期待できない。

したがって,法学部において,最初に行うべき教育改革は,授業参観と参観報告書の提出を全教員に義務づけることからはじめるべきである。

2.授業担当の固定化による専門以外の科目に対する無関心・マンネリ化

現代は専門化の時代である。教員は専門性を高め,その専門分野で大きな成果をあげることが要求される。しかし,専門化は,法学の使命である法的な紛争解決を総合的な観点から行うことを阻害する。したがって,現代社会においては,教員も,学生も,学問横断的な視野を持つことが求められている。つまり,教員は,専門分野について研究を深めるとともに,他分野についても,知見を広め,幅広い視点から教育を行うことが要求されている。博士(法学)が Doctor of Lawsとして,複数形で表現されているように,法学の教員は,専門分野のほかに,他の分野についても,教育研究することが重要である。

たとえば,民法は,条文数が最も多い法典を対象としており,専門分野が細分化されている。本学の法学部においても,民法は,民法総則,物権,債権総論,契約法,不法行為法,親族法,相続法というように細分化されている。

しかし,そのような細分化された科目を分担して担当し,かつ,その担当を固定化してしまうと,教員は,いわゆる専門バカとなり,民法にかぎっても,民法を総合的に研究したり,総合的に教育したりすることができなくなる。

ところが,本学の法学部では,民法関係のA教員は,民法総則,物権法,不法行為法を担当し,それ以外の民法科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。つまり,他の分野について,輪番で担当するという仕組みを作っていない。同様にして,B教員は,民法総則,物権法,債権総論を担当し,それ以外の民法の固有科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。C教員も,民法総則,物権法を担当し,それ以外の民法の固有科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。D教員も,契約法を担当するが,その他の民法科目(たとえば,物権法,親族・相続法)を担当しない。E教員も,債権総論,物権を担当するが,その他の民法科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。F教員も民法総則,物権法,契約法は担当するが,その他の民法科目(たとえば,親族・相続法)は担当しない。

このように,民法の担当教員は,自分の専門分野に関係する科目だけを担当し,その他の分野を輪番制で担当するという努力をしていない。しかし,親族・相続法を講義する経験なしに民法総則を講義することは困難であるし,契約法を講義する経験なしに債権総論を講義することは,さらに,困難であろう。同様にして,債権総論,契約法の講義経験なしに,担保物権を講義することは不可能であろう。私自身も,大阪大学で債権総論と担保物権を講義した経験から,「担保法革命」([加賀山・DVD講義(2013)])の発想を得たのであり,両者を切り離して理解することはできないと思われる。

したがって,民法総則を講義するには,親族・相続法の講義経験を積むことが必要であるし,少なくとも望ましいことは明らかであろう。この点,主要な国立大学では,民法の担当者は,すべての科目を輪番で講義する体制を採用しており,そのような経験を踏まえているからこそ,民法を総合的に講義することが可能なのである。

このことは,商法にも当てはまる。商法総則・商行為と会社法に固定するとか,会社法と有価証券法とかに固定するのではなく,保険法を含めて,輪番制を実施し,学生たちが就職した際に,企業をめぐる法律問題を扱う際に,不自由がないように総合力をつけさせるべきであろう。

その他の学問分野においては,一人の教員が,たとえば,民事訴訟関連では,民事訴訟法と破産法等を担当しており,刑法関係では,刑法総論と刑法各論とを担当しているのであるから,すべての法分野で輪番制を実施することは,教員がその気になりさえすれば,困難なことではないであろう。そして,そのことを通じて,教育の活性化が促進され,教育のマンネリ化を防止することになると思われる。


Ⅲ 法学部における腐敗の防止策


1.講義室の密室化による講義の腐敗と腐敗の防止策としてのビデオ教材の作成

(1) 密室の講義室で生じる腐敗の現状

大学教育で最も重要なことは,学生一人ひとりの知的レベルを向上させることである。自らの講義の質を向上させることが大学教育の目標だと勘違いしている教員が多いが,自らの講義の質をいくら高めたとしても,単位を落とす学生を大量に(50%以上)出すようでは,教員として失格であろう。

学生一人ひとりの知的レベルを向上させる最も効果的な方法は,第1に,予習を中心に,予習・復習の習慣をつけさせること,第2に,教員の講義時間を半減させて,残りの部分を学生との間の質疑応答(リアクションペーパーを活用した質疑応答),および,学生のプレゼンテーションの機会(講義の何回分かを学生自身による講義の機会,または,グループによるプレゼンテーションの機会)を与えることである。

第1の予習の習慣を身につけさせることは,教育において最も重要なことである。なぜなら,予習とは,講義を聞く前に,自分自身の力で教材を理解しようとすることであり,このことが習慣化すると,「指示待ち」とか,「習ったことしか答えられない」という,わが国の学生に特徴的な消極性を打破し,自ら進んで学習し,積極的に質問し,発言できるという能力を身につけさせることができる。

しかしながら,従来の大学教育において,予習の習慣を身につけさせることは,困難であった。その理由は,教員がわかりやすく丁寧な講義をすればするほど,学生の予習のインセンティブが失われるという,以下のような,ジレンマが生じるからである。

第1に,教員が,あらかじめ教材とレジュメを用意し,懇切丁寧に講義をすると,学生は,予習をしなくても,講義を理解できたような気になるため,学生は,わざわざ,予習をする必要を感じなくなる。そこで,第2に,講義中に学生との質疑応答を丁寧にしようとすると,今度は,講義が余り進まなくなり,講義の進度に支障が生じる。

このようなジレンマを解決する方法として,注目されるのが,反転教育に代表されるように,教員によるビデオ教材の作成である([芝池・反転授業(2014)])。

(2) ビデオ教材の作成によるジレンマの解決

講義に先立って,ビデオ教材を作成し,Webで事前に公開しておくと,学生たちは,ワン・クリックで,ビデオ画像を楽しめるため,予習をはじめる障害が低くなる([Trefler, Build for change (2014)] )。

また,講義でわからない箇所に出会っても,後で,ビデオ教材を何度でも繰り返してプレイして復習ができるので,予習も復習も楽になる。さらに,何らかの理由(病気や親戚の不幸など)で,講義を欠席したとしても,講義についていけなくなるということも防止できる([加賀山・授業の可視化とビデオ教材の制作(1013)])。

ビデオ教材を作成して,Webで公開しておくと,教員同士で,相互に鑑賞できるため,教員同士が授業参観したのと同じ効果が生じる。このため,教員間の切磋琢磨も同時に実現できる。

(3) ICTを利用したライブ講義の実現

それだけではない。ビデオ教材を含めて,学生たちが自学自習できるワークブック形式の教材を作成しておくと,次の段階である,インターネットを利用したライブ講義を実現することができるようになる。

授業時間に教員は自宅,または,研究室でコンピュータに向かってライブで講義をし,学生たちは,講義室,または,自宅で,講義を聞き,チャットで次々に質問をし,教員が,即座に対応するという,ライブ講義の実現である。

このようなライブ講義が実現できると,その波及効果として,社会人に対する教育が容易になるばかりでなく,ライブ講義を録画したビデオ教材は,予習,復習のほか,教員の客観的な教育評価にとっても有用となるため,講義室の密室化による,講義のマンネリ化と腐敗を防止することが可能となる。

2.教員本位の構成から,個々の学生の知的レベルを向上させるためのカリキュラムへ

これまでのカリキュラム改革は,カリキュラムを充実させることに偏重し,講義時間を減らす努力を怠ってきたため,教員と学生の負担をいたずらに増加させる傾向があった。

しかし,これでは,学生一人ひとりの知的レベルを向上させることはできない。これまでの教員本位のカリキュラム構成を廃止し,以下に述べるような学生本位のカリキュラム構成へと根本的な変更を行うべきである([鈴木・教材設計(2002)] )。

第1に,教員の講義時間を半減させ,その時間を使って,リアクションペーパーを活用した,質疑応答の時間と学生のプレゼンテーションを行う機会を増加させるべきである。なぜなら,知識の伝達は,教えることではなく,自ら学習し,それを他者に教える作業を通じて獲得されるということが明らかになっているからである([戸田・教えるな(2011)],[プラトン・メノン(1994)])。つまり,「教えることが,学ぶこと」であり,人は,「教える機会を得ることによって,初めて,真剣に学ぶことができる」のである。

第2に,ゼミ等のケース研究を倍増させる一方,講義は,体系のみを解説することにして,半減させるべきである。それを補うために,細かい論点は,ワークブック教材とか,ビデオ教材にして,自学自習させるべきである([加賀山・DVD講義(2013)])。

第3に,学問分野を融合させることによって,講義時間を短縮することを検討すべきである。たとえば,これまで,膨大な時間を割いて講義してきた民法については,民法通則(第1条,第2条)によって,民法全体の体系を示した後,国際私法としての「法の適用に関する通則法(法適用通則法)」に即して,国際私法によって準拠法として日本法が選択された場合にどのように解釈すべきかを教えるという方法を採用してみる等,思い切った講義の短縮方法を模索すべきである。

たとえば,民法全体について国際私法を通じて講義するという上記の方法を採用するならば,財産法,家族法を含めて,民法全体を,半期2単位,または,通年4単位で講義することが可能となる。しかも,法適用通則法を対象とするならば,民法だけでなく,その特別法である消費者契約法(法適用通則法第11条),労働契約法(同法第12条),製造物責任法(同法第18条)についても,その体系を含めて同時に講義することができるのであるから,講義時間を短縮する方法として,最良の方法のひとつであると,私は考えている。

3.教育改善のためのチェックリスト

これまで述べてきたような法学部の教育改善を実現するために,それぞれの教員が,たとえば,以下のようなチェックリストを独自に作成し,講義をする前後に常にチェックをするという習慣をつけるとよいと思われる([ガアンデ・チェックリストの方法(2011)])。

□ 講義は,学期の初めに示したシラバス通りの進度で行われているか。
□ 学生の予習を促すため,講義レジュメ,または,ビデオ教材は,少なくとも1週間前に作成し,公開しているか。
□ 講義の前に,復習の時間,または,前回の講義で学生が提出したリアクションペーパーの質問に答えるようにしているか。
□ 講義に際しては,学生の理解度を知るため,学生との間で質疑応答を行ったり,プレゼンを行わせたりしているか。
□ 講義の終わりに,リアクションペーパーを書く時間を確保しているか。
□ 学生が提出したリアクションペーパーを読み,適切と思われる質問事項を抜き出し,次回の講義に学生たちに答えるように準備をしているか。
□ 答案の採点は,事前に採点基準を作成し,それにしたがって厳格に行っているか。
□ 採点済みの答案を学生に返却することが義務づけられることになる場合に備えて,採点が厳正に行われていることを証明するための仕組みを用意しているか。

4.研究改善のためのチェックリスト

上記のような教育改善のためのチェックリストと同時に,大学教員は,先進的な研究成果を次々と公表するために,日ごろから,以下に述べる大学教員の使命に関する明確なイメージを持つとともに,以下に述べるように,研究を進める上で有用なチェックリストを用意して,節目ごとにチェックする習慣をつけるのがよいと思われる。

(1) 大学教員の使命に関する明確なイメージの重要性

すべての大学教員は,「大学教員とは,どのような使命を果たすべきであるのか」について,自覚を持つべきであるが,そのことを明確なイメージとして有している教員は多くない。しかも,大学教員の使命を具体的に把握し,かつ,実行している教員はまれである([杉原・大学教授という仕事(2010)])。

しかし,大学教員となった以上,学生の知的レベルを向上させる講義を行い,後継者を育てる([フィリップス&ピュー・博士号のとり方(2010)],[Phillips=Pugh, How to get a PhD(2015)])ばかりでなく,先進的な研究を行い,それを公表して社会に還元することが何よりも重要である。

大学の自治によって,大学教員が時の権力等から守られているのは,大学教員が,権力に都合の悪いことを含めて,真理を探究することが,究極的に人類の幸福に貢献することを社会が理解しているからである。したがって,学問の自由が保護されているからといって,学問をしない自由まで保護されているわけではない。

(2) 研究を推進するためのチェックリストの作成

定期的に先進的な論文を書いて,社会に貢献するためには,たとえば,以下のようなチェックリストを独自に作成し,常時チェックするのがよいと思われる。

□ 一日のうち,最低で3時間,論文の執筆の準備と執筆のために確保しているか。
□ 論文のテーマを見つけたら,常に,テーマをノートに書きとめ,漸次,その構想のアウトラインをメモし,論文作成の契機としているか。
□ 本や論文を読んだら,その概要,特色,課題をノートにとって,将来引用すべきと思われる箇所をメモしているか。
□ 論文は,たとえば,アウトラインプロセッサを使って,構造的に作成するようにしているか。
□ 論文を執筆する際には,問題提起と結論との関係が,問いと答えとの関係になるように,問題提起と結論とを配置しているか。
□ 論文を書き上げたら,明治学院大学研究者情報の自らの項目に必要事項を記入し,さらに,論文の概要を記入しているか。

5.任期付でないために生じる研究の腐敗の防止策

大学教員,とりわけ,専任教員になるのは,非常に難しい。法科大学院が次々と廃止に追い込まれ,その教員が法学部へと移籍している現状においては,特に,法学部の教員になるのは至難の業である。

しかし,専任教員になってしまえば,大学教員という職業は,腐敗しやすい。その理由は,先に述べたように,学問をする自由のほか,学問をしない自由まで保障されているからである。たとえば,大学教員は,研究成果を出さないと10年で任期が終わるというリスクもなく,定年まで勤めることができる。授業は密室で行われ,同僚による授業参観も義務づけられていないので,他人の書いた教科書を読んで済ませることもできる。さらに,答案の返還が義務づけられていないため,いい加減な評価でお茶を濁すこともできる。

そこで,大学教員の腐敗を防止するための方法として,人事の採用のときだけでなく,少なくとも10年ごとに,すべての大学教員は,その適格性が審査されるべきであろう。その場合の審査基準はどのように設定されるべきであろうか,審査基準があいまいであれば,さらに大きな腐敗が生じるおそれがある。

6.教員の腐敗を防止するための教員の評価基準

大学教員の任期を定める場合には,更新の際の基準を明確にする必要がある。この基準としては,特に,以下の3点が考慮されるべきである。

第1に,10年間に先進的な論文を少なくとも三つ以上公表しているかどうかが審査されるべきである。

第2に,10年間に学生が自主的に学習できるための教材(体系書,ワークブック,ビデオ教材など)を二つ以上公表しているかどうかが審査されるべきである。

第3に,大学院の博士課程を担当することになった教員は,10年間に少なくとも1名の大学院生(留学生が含まれていることが望ましい)に対して,学位を習得させるための研究指導を行うべきである。その学生が学位を取得できるかどうかは,本人の努力しだいであるが,学位を取得した場合,さらには,希望する研究機関等に就職できた場合には,指導教授は,よい評価を受けるべきである。

以上のように,大学教員の評価基準としては,先進的な学術論文を継続的に公表しているかどうか,学生の予習・復習に資する学習用教材を定期的に公表しているかどうか,さらに,後継者の養成に資する研究指導を継続的に行っているかどうかという三原則を中心として,審査を行うべきであろう。


Ⅳ 大学教員の腐敗を防止するための教員の自立能力の養成


1. 教育目標としての学生の自立の実現

これまでの明治学院大学の教育目標は,学生の知的能力の向上,および,建学の精神に基づく人格育成であった。しかし,その実態は,世間体からも,保証人を喜ばせるためにも,「大企業(国や自治体を含む)に就職させる」ことに主眼が置かれていたように思われる。

しかし,現在においては,大企業に就職しても,従来のような終身雇用制は終わりを告げており,必ずしも,安定的な生活が送れるとは限らない。そのうえ,昨今は,大企業においても,不祥事が露見し,倒産の危機に直面することが少なくない。そのような場合には,リストラの嵐が吹き荒れ,せっかく就職した学生たちが職を失う危険性が大きくなっている。

このような現状を直視するならば,大学教育の目標は,もはや,大企業に就職できる学生を育成することでは十分ではなく,たとえ,就職先が倒産しても,十分に生きていける能力,すなわち,起業ができる学生を育てる必要が生じているといってよい[ギボレー・1万円起業(2013)]。

大学で,起業ができる能力を養うことにすれば,卒業生は,大企業に就職して,不祥事に巻き込まれそうになったときも,手を染めずに,辞職することが可能となる。たとえ,リストラにあっても,生きていける。

2.学生の自立に先立つ教員の自立

学生の自立を促すためには,教員自体が自立の能力を有している必要がある。学生は,たとえ,教員の言うことを素直に聴かないとしても,教員が実践していることについては,手本として学ぶことが多いからである。

たとえば,e-Learningを実施しようと思えば,まず,教員に対するセミナーを開催して,その方法をマスターしてもらう必要がある。それと同様に,学生に自立の能力,特に,起業の能力を育てるためには,教員にその方法をマスターしてもらうためのセミナーを開催する必要がある。

3.教員の自立を支援する起業セミナーの実施

学生の教育目標に,起業の能力を育成するという目標が追加されるならば,起業育成のためのカリキュラムが組まれることになる。

その際に,大学教員向けの起業セミナーを同時に開催し,大学教員が辞職しても,その資質を活かして起業し,生活に困らないようにするためのプログラムを用意し,就活している学生の身になって,起業を助ける精神を養う必要がある。


Ⅴ 教員の腐敗を防止するための倫理規定の作成


1.倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)の必要性

先に述べたように,少子化が急激に進む中,大学においては,入学者が減少し,組織の維持・発展が困難な状況が生じている。このような状況の中で,ある大学が生き残るためには,高校生,その保護者等の関係者に対して,その大学が他の大学と比較して優位にあることを証明することが求められている。そして,その大学が他の大学と比較して優位であるためには,第1に,その大学の教員の質が他の大学よりも優れていること,第2に,その大学の卒業生の質が他の大学よりも優れていることを客観的に証明しなければならない。

後者の卒業生の「品質」保証については,これまでも,厳格な成績認定と卒業認定による客観的な評価基準が策定されており,それを実施することで,差別化の実現が可能である。しかし,前者の大学教員の「品質」保証については,社会が納得し,高校生およびその保護者等の関係者に対して,容易に理解できる評価基準は,いまだに策定されていない。

したがって,大学教員の「品質」保証を実現するためには,大学教員が以下のような「職業倫理規定」に従って職務に専念していることを社会に公表するとともに,FD会議において,その実践活動を相互に評価し,教員の質の確保が行われていることを社会に示すことが有効であると思われる。

そもそも,誰も真似のできない研究成果を挙げるために,大学教員には,一方で,ストレスのない理想的な職務環境が社会から与えられているが,そのことは,他方で,独創的な研究によって社会貢献をすることなしに,よい環境だけを享受するという,質の悪い大学教員が生まれる危険性も秘めている([杉原・大学教授という仕事(2010)])。すなわち,大学の自由な研究環境は,「学問の自由」の名の下に,大学教員に腐敗(独創的な論文を執筆しない自由)が生じる危険性を秘めていることを全ての大学教員が自覚する必要がある。

そのことを未然に防止するために,すでに,一部の医学部においては,教員が,長い伝統によって培われてきた「ヒポクラテスの誓い」を継承した「ジュネーブ宣言」に則り,良心に従って職務を行うことが実践されている([伊藤・医療の倫理(2013)] )。

そこで,法学部においても,医学部における「ヒポクラテスの誓い」を参考にして,法学部の教員に適した「職業倫理規定」を作成し,それを着実に実践することが,大学の社会的責任を果たす上でも,さらには,大学の客観的評価を高めるためにも必要であると考える。

以上の点を考慮するならば,法学部の教員は,その就任に際して,以下の「職業倫理規定」,いわゆる「法学部におけるヒポクラテスの誓い」を立てるとともに,定期的に行われるFD会議においてその実践状況を再確認すべきである。このことを通じて,法学部の教員の質が向上し,社会的に高い評価を得ることができると信じる。

法学部教員は,就任に際して,法学部の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うべきであると,私は考えている。

2.法学部教員の職業倫理規定(就任時の誓い)

第1条(建学の精神と職業倫理)

私は,独立して研究する能力を有する者として法学部に受け入れられたことに感謝し,今後とも独立して研究を推進すると同時に,私が担当する学生一人ひとりが,自立する能力を獲得できるよう,法学部の教員として,“Do for others”の精神を尊重し,この職業倫理規定,および,学則に従って,職務を誠実に遂行することを誓います。

第2条(教育・研究の責務)

私は,社会の平和と人々の幸福を実現するため,弱者救済,個人の尊厳の視点から教育・研究を行ない,コンスタントに先進的な学術論文を公表し,FD会議で報告することを誓います。

第3条(組織のマネジメント)

私は,恩師たちに対して尊敬と感謝の念を捧げるとともに,同僚たちを姉妹兄弟とみなし,教員と職員とが協力し合い,互いに生き生きと働くことのできる組織環境を維持・発展させることを誓います。

第4条(法教育と入学者の確保)

私は,高等学校での法教育の実践,および,国内・国外を問わず,他大学の学生との交流の発展に努め,優秀な人材を入学させるために尽力すること,並びに,その実践記録をFD会議で報告することを誓います。

第5条(後継者の養成と輩出)

私は,独立研究能力を有する学問と教育の後継者を養成して,社会に輩出するよう努力することを誓います。

第6条(学生の人格の尊重と社会貢献)

私は,職務の遂行に当たっては,常に,学生の人格と知的水準を向上させることを第一に考慮し,一方で,学生の個別の対応においては,差別と偏見を排して,秘密を厳守するとともに,他方で,教育方法,講義内容は,すべて,社会に公表し,社会に貢献することを誓います。

第7条(この規定を遵守できない場合の責任)

私は,5年ごとに第2条,および,その他の誓いを実現しているかどうかについて,職務上の地位を考慮して総合的に検討し,もしも,2度にわたってこの規定を遵守していないことを自覚したときは,直ちに学部長に辞表を提出することを誓います。


Ⅵ 結論


1.教員は学生にとって絶対的権力者である

アクトン卿の格言(Lord Acton’s epigram)によれば,「権力は腐敗に向かう,絶対的権力は絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」とされている。

私たち教員は,自覚していないかもしれないが,学生にとっては,絶対的な権力者である。なぜなら,教員は,単位認定という学生の生殺与奪の権を握っており,しかも,その認定基準となる試験問題を自ら作成し(いわば立法),自ら採点し(いわば行政),自らが単位認定することができるのであり(いわば司法),これらの権限をチェック機関による制約なしに行使しているからである。

しかも,権力を行使できる期間が長ければ長いほど,腐敗の確率は高まるといわれている。司法権力の担い手である裁判官の任期が10年であることを考慮すれば,法学部の通常の専任教員が,更新のチェックを受けることなく,定年まで,最大で40年間,その権力の座に収まることができるとすれば,その腐敗の確率は,格段に高くならざるをえない。

そこで,すべての権力者が陥りやすい腐敗を防止する手段を応じる必要が生じる。権力の腐敗を防止するためには,第1に,権力を分立させる,第2に,権力の行使期限(任期)を区切る,第3に,権力の行使の透明化を促進する,その上で,第4に,賃金を平均以上に上げるというのが常套手段である。

ところが,大学の専任教員は,腐敗防止の方策の埒外にある。なぜなら,大学教員という職業においては,真理の探究にとって有用である反面,研究・教育に関するチェック機能がほとんど働いていないため,以下のような腐敗の温床となっているからである。

2.大学は真理探究の場であると同時に,腐敗の温床でもある

第1に,裁判官が10年の任期制であるのと同様に([瀬木・絶望の裁判所(2014)],[瀬木・ニッポンの裁判所(2015)],[フット・名も顔もない司法(2007)]),大学教員も,更新可能な10年の任期制とし,10年ごとに業績審査を受けるべきであると思われる。ところが,大学教員の場合,期限付きでない専任教員が多くを占めており,その任期は,定年にまで及ぶ。このため,10年以上,全く学術論文を公表しない教員であっても,定年まで在職し続けることができる。

第2に,大学教員の教育評価の対象とされるべき講義は密室化していて,一般に公開されていない。しかも,教員に授業参観が義務づけられていないため,講義について,教員同士によるチェック機能が働いていない。このため,法科大学院では,一掃されたにもかかわらず,法学部においては,教科書を読んで講義とするという旧態依然の講義をしている教員とか,学生との間の質疑応答を行わず,マイペースで講義をする教員とかが,今なお存在する。

第3に,単位認定に関する試験問題の作成,採点,評価について,チェック機関が存在しないため,恣意的な単位認定がなされる危険性が高い。確かに,答案の採点基準は公表されつつあり,学生による異議申し立ての制度が整備されてはいるが,中等教育の場合等とは異なり,答案を返却することが義務づけられていないため,厳密な採点がなされているかどうかについての検証は,全くなされていない。

第4に,大学教員の研究費も賃金も,その他の研究職に比較すると,かなり低い。通常,研究費や賃金が低いと,士気が低下し,それ相応の仕事をすればよいと思うようになり,そこからさまざまな腐敗が生じることになる。

3.大学教員の腐敗を防止するには,不断の改革が必要である

これまで,大学改革といえば,すでに確立されている制度を革新するものであって,「しなくてもよいが,すればなおよい」という程度のものと考えられてきた。しかし,大学が上記のような構造的な腐敗の原因(業績の審査,授業運営の評価,試験の採点等をチェックする機関の不在)をかかえている以上,大学における改革は,「すればなおよい」というレベルのものではなく,教員の腐敗防止するために,恒常的に「しなければならない」作業である。自ら,または,同僚教員が腐敗を免れるためには,不断の大学改革が必要であり,これを怠ったときには,必然的に腐敗が生じることを,すべての大学教員が自覚すべきであろう。

本稿は,創立50年を経過した明治学院大学法学部が,現状において,教員に生じる構造的な腐敗を防止するに十分な体制を整えているかどうかを検証し,今後の本学部の50年間の生き残り戦略を含めて,法学部の教員の腐敗の防止策を提言しようとするものである。

4.明治学院大学法学部のFD会議の再編による改革の推進の提言

《Noblesse oblige》(高貴な立場には義務が伴う)という格言がある。大学教員は,社会から尊敬される地位にあるのであるから,その地位にふさわしい仕事をすることが,高い授業料を支払っている学生,保証人,ならびに,地域社会から求められているといえよう。

教員になる際に,高い志(先進的な研究でトップをめざし,学生たちに自立の力と高い知的能力を獲得させ,後継者を養成して社会に貢献するという志)を持たないと,日々の講義,学内外の事務処理にまぎれて,研究も教育も,いつの間にかマンネリに陥るという,典型的な腐敗に陥りやすい。

そのようなマンネリ化,腐敗を防止するためには,教員同士が,授業参観とそのレポートの提出による同僚間の切磋琢磨,および,FD会議での真剣な議論と新しい教育方法の実践,ならびに,内外の研究会,学会に参加することによる国内のトップレベル,海外のトップレベルの専門家との交流によって,常に新鮮な刺激を受ける努力を怠ってはならない。大学教員の腐敗防止のために行った本稿で提言は,大学教員が本来の使命を全うするために必要な最低限のものに過ぎない。

これまで,膨大な時間を費やすと考えられてきた講義の準備,講義後の採点等について,似ている専門科目を横断的に講義する方法を採用し,厳格かつ公正な成績評価システム([加賀山・答案採点システム(2005)])を採用するならば,教えたり,評価したりするために費やしてきた時間を少なくとも半減させることができる。これによって空いた時間を,ゼミや学生のプレゼンテーションに解放する工夫をするならば,学生の知的レベルを飛躍的に向上させることができるはずである。

5.明治学院大学法学部の改革を実践するための7項目

本稿を契機として,明治学院大学法学部の教員が,以下の七つの項目を実践し,不断の教育改革を続けるならば,迫りくる少子化の波を乗り越え,50年後には,誇らしい創立100周年を迎えることができると信じる。

  1. 教員は,学生にとって権力者であり,「権力は改革なしには腐敗する」ことを自覚する。
  2. 教員は,学生一人ひとりの知的レベルを向上するために,学生・保証人が支払う学費に見合うだけのサービスを提供する義務を負っていることを銘記する。
  3. 「学問の自由」によって得た研究成果を公表し,学生と社会のために還元するとともに,後継者を養成するための研究指導に励む。
  4. 教員の倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)を作成し,新任,昇進に際して,宣誓式を挙行する。
  5. 教員は,「教えることは学ぶことである」という格言に留意し,教員は,「教えること」を控え目にして,講義の半分程度を,「学生が教えること」に充てる。すなわち,学生が講義のテーマについて報告する機会と時間を確保する。
  6. 不祥事の露見が相次ぐ大企業(オリンパス[深町=山口・内部告発の時代(2016)],東芝[今沢・東芝不正会計(2016)],三菱[小林・裁かれる三菱自動車(2005)]など)における不祥事の原因は,大学が送り出す「優秀な」卒業生たちが,自立する知識も技術も習得しておらず,企業に依存しているため,不祥事にかかわることになっても,「不祥事に手を貸すぐらいなら辞職する」というまっとうな道を選択できないからである。したがって,大学教育の目的については,従来の知的レベルの向上に加えて,自立するために必要な知識,技術を習得させる必要がある。
  7. 学生を自立させるためには,まず,大学教員が自立する必要がある。学生を自立させるためには,自ら,いつでも「辞表」を出せる準備をし,辞職した場合にも,自ら起業して自立できる力を養うことが教員にも要請されている。

このような提案は,同僚にとって耳の痛いことであろう。しかし,本稿は,定年を間近に控えた教員である筆者が,「嫌われる勇気」([岸見=古賀・嫌われる勇気(2013)]
,[岸見=古賀・幸せになる勇気(2016)],[岸見・アドラー心理学(1999)] )を振り絞って執筆したものであり,本稿が,明治学院大学の今後の50年の発展を託された若い教員たちに勇気を与え,構造的な腐敗体質を持つ法学部の学部改革を推進することに貢献ができれば幸いである。


Ⅶ 参考文献


[伊藤・医療の倫理(2013)]
伊藤道哉『医療の倫理 資料集』〔 第2版〕丸善出版(2013/6/22)
[今沢・東芝不正会計(2016)]
今沢真『東芝 不正会計 底なしの闇』毎日新聞出版(2016/1/30
[加賀山・答案採点システム(2005)]
加賀山茂「「厳格な成績評価」を実現するための『公正かつ透明な』答案採点システムの構築-Microsoft Excelを利用した答案採点システム-」(名大法政論集206号(2005)69-96頁
[加賀山・授業の可視化とビデオ教材の制作(1013)]
加賀山茂「ビデオを利用した授業の可視化とビデオ教材の制作」名古屋大学法政論集250号(松浦好治教授退職記念論文集)(2013/07)1-29頁
[加賀山・DVD講義(2013)]
加賀山茂『DVD講義 ビジュアル民法講義シリーズ1 民法入門・担保法革命』信山社(2013/12)86頁
[ガアンデ・チェックリストの方法(2011)]
アトゥール・ガアンデ『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? -重大な局面で”正しい決断”をする方法』普遊舎(2011/6/30)
[岸見・アドラー心理学(1999)]
岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
[岸見=古賀・嫌われる勇気(2013)]
岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(1013/12/12)
[岸見=古賀・幸せになる勇気(2016)]
岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
[ギボレー・1万円起業(2013)]
クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
[小林・裁かれる三菱自動車(2005)]
小林秀之『裁かれる三菱自動車』日本評論社(2005/6)
[芝池・反転授業(2014)]
芝池宗克=中西洋介『反転授業が変える教育の未来―生徒の主体性を引き出す授業への取り組み』明石書店 (2014/12/18)
[杉原・大学教授という仕事(2010)]
杉原厚吉『大学教授という仕事』水曜社(2010/1/25)
[鈴木・教材設計(2002)]
鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
[瀬木・絶望の裁判所(2014)]
瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)
[瀬木・ニッポンの裁判所(2015)]
瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)
[戸田・教えるな(2011)]
戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011)
[Trefler, Build for change (2014)]
Alan Trefler, “Build for change” Wiley (2014)
[フィリップス&ピュー・博士号のとり方(2010)]
フィリップス&ピュー(角谷快彦訳)『博士号のとり方』大樹舎(2010)
[Phillips=Pugh, How to get a PhD(2015)]
Estelle Phillips, Derek.S. Pugh, “How to get a PhD: a handbook for students and their supervisors”Open University Press; 6th Revised (2015/8/1).
[深町=山口・内部告発の時代(2016)]
深町隆=山口義正『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)
[フット・名も顔もない司法(2007)]
ダニエル H. フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007/11/20)
[プラトン・メノン(1994)]
プラトン著,藤沢令夫(訳)『メノン』岩波文庫(1994)
[吉見・文系学部廃止の衝撃(2016)]
吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書 (2016/2/22)

法学部におけるアクティブラーニング・反転授業展開のノウハウと教育評価基準


法学部でのアクティブラーニング・反転授業展開のノウハウと教育に関する評価基準


1.アクティブ・ラーニングの普及と大学教育におけるパラダイムシフト


1-1. アクティブ・ラーニングの基本的な考え方

アクティブ・ラーニングとは,教育の主体は教員ではなく,学習主体としての生徒・学生であると考え,教育目標としての知識の修得は,知識の伝達ではなく,学習主体が既存の知識を再編成することによって知識を創造・獲得するという教育・学習理論に基づいた教育方法のことをいう。この教育方法は,大学において主流を占めていた教員主導による一方通行的な講義形式の教育では不十分であるとし,これに替えて,教員に対して,学習主体を支援するため優れた教材を作成し,学生同士の切磋琢磨を促進する役割に徹することを求めるものであり,まさに,大学教育のパラダイム・シフトというにふさわしい([クーン・科学革命の構造(1971)]参照)。

アクティブ・ラーニングにおいては,教員は,教育の主役の役割を学生に譲り(大政奉還),自らは,学習の支援者の役割を果たすべく,優れた教材(特にビデオ教材)を作成して,学習主体である学生に対して,予習を促し,それらの教材を事前に提供することから始めなければならない。そして,教室では,学習上の疑問点の解明とか,新しい問題の解法とかが,学生同士によって議論されるのであり,教員は,教師と学生,学生同士の議論を活発化させたり,助言を通じて,議論があらぬ方向に向かうのを修正したり,質問に答えたり,ともに学んだりすることに徹しなければならない([芝池=中西・反転授業が変える未来の教育(2014)])。

つまり,教員は,従来の講義スタイルを捨てて,学習の支援者となり,教えることを極力控えなければならない([戸田・教えるな(2011)])。したがって,教員の教育に対する報酬も,これからは,研究業績に基づく一方的な講義の対価ではなく,研究業績を踏まえた優れた教材の作成・更新(結果債務)と,アクティブ・ラーニングの授業運営(手段債務)に対する対価へと変化していくものと思われる。

1-2. アクティブ・ラーニングの潮流

このようなアクティブ・ラーニングが注目される契機となったのは,2012(平成24)年8月28日の中央教育審議会(中教審)の答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ~」(質的転換答申)である。

この中教審の答申,すなわち,「質的転換答申」(2012)において,大学がわが国にとって必要な人材を養成するためには,「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から,教員と学生が意思疎通を図りつつ,一緒になって切磋琢磨し,相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り,学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である」との提言が,アクティブ・ラーニングが注目されるきっかけを作ったのである。

その後,アクティブ・ラーニングの考え方は,小・中・高の教育改革の指導原理としても位置づけられ,教育改革の目玉として,初等教育にも波及していく。2014年11月20日に文科省の下村大臣の諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」は,初等教育においても,「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や,そのための指導の方法等を充実させていく必要が必要」ではないのかとの諮問がなされるに至る。

それを受けて,2014(平成26)年12月22日に出された,中教審の答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育,大学教育,大学入学者選抜の一体的改革について」においては,高等学校の指導要領を改訂し,アクティブ・ラーニングを実施すべきこと,さらに,大学においても,「学生が主体性を持って多様な人々と協力して問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(以下「アクティブ・ラーニング」という。)の充実などに向けた教育改善」が求められるとの方向性が明らかにされる。

その後も,2015(平成27)年5月14日における教育再生実行会議における第7次提言「これからの時代に求められる資質・能力と,それを培う教育,教師の在り方について」においても,「小・中・高等学校から大学までを通じて,課題解決に向けた主体的・協働的で,能動的な学び(アクティブ・ラーニング)へと授業を革新し,学びの質を高め,その深まりを重視することが必要」であるとされている。さらに,2015(平成27)年8月21日の教育課程企画特別部会における論点整理について(報告・8月26日確定)では,特に高等学校において,「アクティブ・ラーニング」を重視することが求められるに至っている。

このようにして,現在,文科省は,予算措置を含めて,初等教育におけるアクティブ・ラーニングの普及に本腰を入れている。したがって,やがては,大学へ入学を希望する高校生たちは,小・中・高校ばかりでなく,大学においても,アクティブ・ラーニングを継続できる環境を求めるようになることが明らかであろう(法教育の必要性の一般理論については,[加賀山・法教育の必要性(2012)]参照)。

1-3. アクティブ・ラーニングの不可避性と根強い抵抗

教育の歴史を振り返っても,江戸時代に発展を遂げた寺子屋の学習は,年齢の違う子供たちが学び合い教え合うというアクティブ・ラーニングであったし([芝池=中西・反転授業が変える未来の教育(2014)]),明治以降に進められた画一的な講義形式の教育の下でも,勉学意欲のあるエリート学生たちは,予習を中心とした自学自習を行い,学生同士で切磋琢磨を行ってきたのである。つまり,アクティブ・ラーニングは,歴史上の教育上の成功体験を踏まえて,エリートだけでなく,すべての学習者に対して,そのような成功体験を追体験させようとする試みであり,今後もこの流れがとどまることはないと思われる。

この点を考慮するならば,アクティブ・ラーニングをオーガナイズできる教員,および,アクティブ・ラーニングが実行できる教育設備を準備できない大学は,学習意欲の高い高校生から見放され,必然的に淘汰される運命にあることを覚悟すべきであろう。

これまでは,大学の教員は,たとえ,まともな論文が書けなくても,また,学生の知的レベルを高めるような教育ができなくても,とにもかくにも,一方的な講義さえしておけば,定年退職まで,低いとはいえ,安定的に給料を受け取ることができた。しかし,大学教育が,講義による一方的な知識伝達方式から,学生が主体となるアクティブ・ラーニングへとシフトしていくにつれて,教員は,事前に反転授業用の優れた教材(ワークブックとかビデオ教材)を作成し,授業では,学生の集団学習ををオーガナイズできるようでなければ,十分な給料を受け取ることができなくなるか,もしくは,契約を更新してもらうことができなくなると思われる([鈴木克明・教材設計マニュアル(2002)]参照)。

その意味で,各大学で進行中の講義形式からアクティブ・ラーニングへの転換は,「腐敗した教員」(ともかく教えてさえいればそれでよしと考えて,学生が何を学び,何ができるようになったかについて無関心である教員のことをいう)にとって,命がけで反対すべき最大の敵であり,最大の脅威となっている。したがって,このような「漫然と同じことをするのが好きで,それ以外の面倒なことをするのを嫌がる」抵抗勢力との戦いを経ることなしに,アクティブ・ラーニングが成功することはないといえよう。

1-4. アクティブ・ラーニングを実現するための教員評価の厳格な基準の必要性

これまでの教員に対する教育に関する評価は,教員がどんなに素晴らしい講義をしているかであり,その派生的効果として,学生に満足を与えているかどうかであった([加賀山・法科大学院の経験を学部教育に活かす(2014)])。しかし,アクティブ・ラーニングにおいては,教員の教育に関する評価基準は,学習主体である個々の学生がいかに主体的に学習(特に予習)に励むようになったか,その結果として,どのくらい知的レベルを向上させたかという点に絞られる。教員が,いかに素晴らしく,かつ,いかに知的レベルの高い講義をしても,その結果,学生が予習を必要としなくなったり,講義についていけずに知的レベルの向上が見られなければ,その教員の教育に関する評価は限りなくゼロに近づく。

そのように考えると,教員は,その評価を高めるためには,第1に,いかにして学生たちの学習意欲を高め,予習に取り組ませることができるか,第2に,授業では,学生同士が切磋琢磨しながら,困難な問題に立ち向かう能力を養うことができるか,第3に,学生たちの主観的な評価を超えた,客観的な自己評価基準を身につけさせているかを問題としなければならない。この目標を実現するために,各大学が,例えば,以下のような項目を中心にした教員の教育評価システムを作成し,FD会議で評価するというのも一案と思われる。

第1に,教員は,単にシラバスを作成したり,レジュメを作成するだけでは不十分であり,学生たちが進んで予習することができるような,興味深い教材(ワークブック,または,ビデオ教材)を作成して事前に学生に配布する必要がある([加賀山・ビデオ教材の作成と授業の可視化(2013)])。このことが,アクティブ・ラーニングを実現するための最初の作業であることをすべての教員が自覚すべきである。これを実現しない教員は,その時点で,教育に関する評価がゼロとなると考えるべきであろう(教材による評価:30点)。

第2に,教員は,授業運営において,学生たちが予習によって身に着けた能力を発揮できるような,または,それだけでは太刀打ちができない困難な問題を取り上げて,いかにして,そのような困難な問題を解決することができるのかを,学生同士の共同作業,または,学生同士の議論を通じて実現できるように,環境を整え,適宜にアドバイスをし,学生たちの知的レベルが向上するように支援しなければならない。このような授業運営ができなければ,教育に関しいて,よい評価を得ることはできないと考えるべきである(学生アンケート,授業参観のレポートによる評価:20点)。

第3に,学生たちは,授業を通じて,優越感とか劣等感とかの主観的な自己評価を形成することになるが,小テストを実施したり,レポートを作成させ,それを添削して返却したりすることを通じて,そのような主観的な評価基準を客観的な自己評価基準へと矯正する手段を講じなければならない。小テストを実施するが,その採点結果を返却をしないとか,レポートを提出させても,その添削と返却をしないようでは,教育に関して,よい評価を得ることができないと考えるべきである(レポートの添削による評価:20点)。

第4に,期末試験においては,客観的な評価基準に基づいて,答案の採点を行い,その採点について,異議を申し立てる機会を確保すべきである。答案の採点基準の透明性と,採点過程の透明性を実現できなければ,教員の教育に関する評価はふたたび,ゼロに近づくことになる(答案の採点による評価:30点)。

このような教員の教育評価基準は,大学の各学部・学科ごとのFD会議で作成し,すべての教員に事前に開示し,時間をかけてブラッシュアップしていくことが必要であろう。


2.アクティブ・ラーニングに必須のビデオ教材の事前作成の必要性と効用


少人数教育が実現可能となりつつある現代において,アクティブ・ラーニングは,個々人の知的レベルのアップにとっても,知識の応用力を向上される上でも,メリットが大きい。しかし,アクティブ・ラーニングにもデメリットがないわけではない。最大のデメリットは,知識の獲得に時間がかかることであろう。

教室での議論を実りあるものにするためには,事前の学習を通じて,学生が一定水準の知識を修得していることが必要である。そこで,教師が作成し,授業の前に提供すべきワークブック,または,ビデオ教材が,アクティブ・ラーニングのデメリットを克服するために必要となる。

特に,重要なのはビデオ教材であり,ビデオ教材は,パソコンではもちろんのこと,現代の学生のライフスタイルに合わせて,スマートフォンでも見ることができるように作成し,ワンクリックで学習ができるように工夫されていなければならない。

学生たちは,授業に先立って,ビデオ教材を見ながら自分のノートを作成し,疑問点や理解したことをまとめてから,教室での議論に参加し,新しい問題の解法に挑戦する。それだからこそ,アクティブ・ラーニングは,従来の講義形式の教育と比較して,学生の知識の応用力の獲得だけでなく,知識獲得においても,著しい効果を発揮することができるのである。


3.教師が独自にビデオ教材を作成する際の負担を軽減する方法


私は,担当する教科すべて(債権総論1,債権総論2,1年次演習,2年次演習,ビジネス総論,中小企業研究,契約法)について,毎回の授業に対応するビデオ教材の事前の作成を完了し,そのほかにも,高校生に対する法教育用のビデオ教材(例えば,「法解釈は面白く,おそろしい」),FD会議用のビデオ教材(例えば,「厳格かつ公正の成績評価の方法」)など,多数のビデオ教材を作成して,以下のWebサイトにおいて,学生ばかりでなく,社会一般に公開している。

CyberLawschool

加賀山茂のホームページ
http://cyberlawschool.jp/kagayama/

 ・ 加賀山茂が作成したビデオ教材の一覧
http://cyberlawschool.jp/kagayama/PublishedBooks/VideoMaterials/VideoMaterialsIndex.html

学生たちは,これらの私のサイトにアクセスし,授業の前に予習用教材として,また,授業でわからなかった点を複数するために,さらには,授業を欠席した場合の補習用に,ビデオ教材を利用している。

これらの用途に対応するため,上記のサイトに掲載されているファイルは,すべてについて,(1) ビデオ教材,(2) パワーポイントファイル,(3)そのPDFファイルの3種類が用意されており,予習のための視聴,わからなかった点の復習,予習用の書き込みノートの作成など,それぞれの用途に応じて,使い分けることができるように工夫されている。

従来は,ビデオ教材の作成は,時間と経費がかかる「苦役」に等しい作業であったが([加賀山・DVD講義1(2013)]),技術革新のおかげで,現在では,例えば,PowerPointにノートを書き込むだけで,滑らかな合成音声によって自動的にビデオ教材を作成するソフト(例えば,ロゴスウェア社のSTORM Maker)が市販されており,私は,それを利用して,1年間(経費10万円)で,上記のビデオ教材すべてを制作することができた。


4.実際の講義方法の一例


私の講義スタイルを100名の受講生で実施している債権総論を例にとって紹介する([加賀山・法科大学院の経験を学部教育に活かす(2014)]参照)。

4-1. リアクション・ペーパーに答えることによる復習(30分)

明治学院大学では,毎回の授業ごとに,学生が授業中でわからない点を質問したり,感想を書いたりできる以下のような用紙(リアクションペーパー)を作成している。

 ReactionPaper0

 明治学院大学で共通のリアクションペーパー

筆者もこれを毎回学生たちに配布し,予習で疑問に思ったこと,授業を聞いてわかりにくかった点,疑問点,感想等を書けるよう,講義の最後に10分間の時間を与えて回収している。回収したリアクションペーパーを読み,授業を振り返るのが,私の授業後の仕事であり,第2回目からの授業は,これらのリアクションペーパーに対する感想から始まることになる。

私は,授業開始前の休憩時間に教室に入り,前回の授業の最後に回収したリアクション・ペーパーのうち,代表的な質問として数人分を選別し,質問の趣旨と,解答・解説を板書することにしている。そして,講義開始と同時に,取り上げるリアクション・ペーパーを読み上げ,黒板に描いた図等を使って説明する。取り上げる問題が,一般的な問題である場合には,説明の途中で,学生たちに,解答を求めたり,解説で納得が得られたかどうかを質疑応答で確認したりする。

4-2. 通常の双方向の講義(50分)

パワーポイントで用意したアニメーション付きのプレゼンテーションで,教科の体系,重要な用語の説明,判例の事案,判旨,判例批評を展開する。

授業は,通常の授業ではなく,説明の過程で,教壇から学生の席に降りていき,学生たちにマイクを向けて質疑を行ったり,複雑な事例の場合には,寸劇や,ロールプレイイングを行ったりして,学生の興味と理解を引き出すように工夫をしている。

受講生の数(100名前後)が多いため,ゼミのような討論はできないが,授業の最初に行うリアクション・ペーパーを使った復習の際には,学生を教壇に導き,その学生に他の学生に向かって説明をさせることも試みている。はじめのうちは,学生たちは大いに緊張するが,次第に,教壇に立って説明することにも慣れてくるようである。

4-3. リアクション・ペーパーライティングと提出(10分)

予習で疑問に思ったことと,それが授業で解決したかどうか,授業で新たに生じた疑問,質問を書いて提出してもらう。リアクション・ペーパーは,何を書いてもよく,2行以上を書くと,内容のいかんにかかわらず,15回で10点を獲得する仕組みにしており,遠慮のない批判や,質問が出てきて,毎回,リアクション・ペーパーを読みながら,授業を振り返り,次回に向けて,どのように解答すべきかを考えるのが,私の無上の楽しみとなっている。

リアクションペーパーを読むと,学生のうちの何割かは,事前にビデオを見て,講義で知識を確認していることがわかる。これが理想なのだが,現在のところは,事前にビデオを見る意欲的な学生はまだ少ない。しかし,講義でわからなかった箇所を繰り返し見て,復習している学生は次第に多くなっており,「ビデオが長すぎるからもう少し短縮してほしい」とか,逆に,「長いからよくわかるので短縮には反対だ」とか,いろいろ要望を寄せてくれている。

さらに,リアクションペーパーを学生個人ごとに整理しておくと,学生たちの成長の記録ともなる。たとえば,以下のように,第1回目のリアクションペーパーと第15回めの最終回リアクションペーパーを対比してみると,学習態度や成長の様子がよくわかる。

成績優秀者のリアクションペーパー

Reaction02_01 Reaction02_02
 第1回目のリアクションペーパー 第15回目のリアクションペーパー

5.レポート課題の提出と添削・返却

学期の途中にレポート課題を出し,学生にレポートを提出することを義務づけている(レポートの書き方については,[ハフト・法律学習法(1992)],[澤田・論文のレトリック(1983)]などの考え方を使って説明している)。レポート課題を義務づけているため,レポート課題の説明をすると,学生たちが熱心に聴き,提出期限が迫ると,レポート課題に関する質問も多くなる。提出されたレポートは丁寧に添削し,誤りを逐一指摘するとともに,最後に感想と学習上の注意,励ましを添えて,全員に返却する。

Report2015Edited

レポートの添削例

レポートの添削に際して,私は,以下の基準を採用している。第1に,誤字を含めて,誤りは具体的に指摘する。第2に,誤りが生じた原因を探り,自分で誤りを訂正できるヒントを丁寧に解説する。3に,自分の頭で考えたことが分かる箇所は,「よく書けています」というコメントともに,もっとよくなるヒントを書き加えておく。4に,最後に,レポート全体の評価とコメントを丁寧に書く。ただし,点数をつけることはしない。

レポートに点数をつけると,内容を読まずに,そのまま,ゴミ箱へ捨てる学生がいるからである。レポートを返却する目的は,学生の主観的評価を客観的な自己評価へと変える手がかりを与えることにあるので,点数だけ見て,ゴミ箱に捨てられるのでは,意味がない。コメントをよくよみ,次のレポートの作成に向けて,改善を促すのが目的であるとすれば,レポートに点数をつける必要はないと思われる。

法科大学院とは異なり,学部では,レポートを添削した上で返却する教員がほとんどいないため([加賀山・法科大学院の経験を学部教育に活かす(2014)]参照),講義が難しすぎると批判している学生を含めて,この時ばかりは,ほとんどの学生に感謝されている。


6.定期試験と厳格な採点


試験問題は,予め公表した10題の予想問題のうちから,内容を少しばかり変更して,数題を出題する。最後の1題は,論述式問題で,アイラック(IRAC)という形式で記述することを義務づけている([加賀山・法教育の必要性(2012)]参照)。

試験の採点は,通常は,苦役に該当するようだが,私の場合は,Excelを使った自動採点プログラムを自作して利用しており,厳格で公正な採点をしている([加賀山・答案採点システム(2005)])。

答案をコンピュータ上で採点すると,一人の採点が終わるごとに,成績分布がグラフで示され,すべての採点が終了するとともに,成績報告書が完成するように設計しているので,答案の採点も,私の楽しみの一つとなっている。

 EvaluationSystem02

 定期試験の答案の採点システムの実際の使用例

私が自作して利用している採点システムは,以下のサイトで紹介している。

FD用のビデオ教材:http://cyberlawschool.jp/kagayama/LegalInformatics/How2/how2evaluate/How2Evaluate2015/index.html

論文:加賀山 茂「厳格な成績評価を実現するための公正かつ透明な答案採点システムの構築-Microsoft Excelを利用した答案採点システム-」名大法政論集206号(2005)69-96頁
http://cyberlawschool.jp/kagayama/LegalInformatics/How2/how2evaluate/familylawexam.html

現在のところ,定期試験の答案については,返却はしていない。しかし,採点を厳密・公平に行っているので,答案の返却が義務づけられたとしても,何の問題も生じないように,準備を整えている。


7.うまくいかないこと


どんなに努力をしても,うまくいなないことは多い。教育に工夫をしているものの,学生の中には,「通説と判例だけ教えてくれれば十分で,高度の問題への取り組みは不要です」などとリアクション・ペーパーに書いてくる学生も存在する。ビデオ教材を完成してからは,そのような不満は激減したが,従来通りの講義で十分であるとの考えを持つ学生が少なからずいることは感じている。

しかし,不満や質問には,誠実に対応しつつも,レベルを落とすことだけは,頑として拒否している(法律学においては,通説や判例を教えることでは不十分である事情については,[太田・法律(2000)],[加賀山・法創造教育((2004)]参照)。現在のところ,私の授業で,1割以上の学生が単位を落としているので,これを1割以内にとどめるには,ビデオ教材の短縮版(15分以内)の作成等,さらなる工夫が必要であると考えている。

研究にも,教育にも,完成はない。常に学生の反応に真摯に対応することを通じて,教育方法を改善していく必要がある。


8.今後の展望


アクティブ・ラーニングと反転授業のためのビデオ教材の作成は,次のステップへの飛躍につながる。それが,インターネットを利用した,100人規模にも対応できる「ライブ講義」である。

ライブ講義では,講義時間帯を決めるだけで,教員も学生も,講義室以外の自由な場所,すなわち,自宅や職場で講義をライブで聴取し,チャットで講義に参加することができるようになる。教員は,チャットを見ながら,講義の進行を自在に制御することができるため,双方向の講義が実現できる。

このようなライブ講義は,社会人を受け入れている学部や学科の講義科目にとって,特に有用であると思われる。

このようなライブ講義では,受講者は,事前に作成され,配布されたビデオで予習し,ライブ講義にチャットで参加する。しかも,そのライブ講義は,録画され,プライバシーに注意して編集され,復習に利用できるようになるので,大学教育は,さらに自由度を増すことになろう。

法と経営学研究科では,次年度からの試験的な開講に向けて,ライブ講義の実験を今年度の後期から開始することを計画中である。今後も,明治学院大学 法と経営学研究科 の教育改革のプロセスと成果に注目していただきたい。


参考文献


[太田・法律(2000)]
太田勝造『法律(社会科学の理論とモデル)』東大出版会(2000)

[加賀山・法創造教育((2004)]
加賀山茂「法教育改革としての法創造教育 - 創設される法科大学院における法教育方法論 -」(名大法政論集201号(伊藤高義教授退官記念論文集)(2004)691-744頁)

[加賀山・答案採点システム(2005)]
加賀山茂「厳格な成績評価」を実現するための「公正かつ透明な」答案採点システムの構築-Microsoft Excelを利用した答案採点システム-(名大法政論集206号(2005)69-96頁

[加賀山・法教育の必要性(2012)]
加賀山茂「法教育の必要性とその実現方法 -アイラック(IRAC)を考慮したトゥールミン図式の特殊化とその応用-」明治学院大学法科大学院ローレビュー16号(2012/03)3-36頁

[加賀山・ビデオ教材の作成と授業の可視化(2013)]
加賀山茂「ビデオを利用した授業の可視化とビデオ教材の制作」名古屋大学法政論集250号(松浦好治教授退職記念論文集)(2013/07)1-29頁

[加賀山・DVD講義1(2013)]
加賀山茂『DVD講義 ビジュアル民法講義シリーズ1 民法入門・担保法革命』信山社(2013/12)

[加賀山・法科大学院の経験を学部教育に活かす(2014)]
加賀山茂「法科大学院での教育実践を法学部教育の改革に活かす-100人規模の講義で一人一人の知的レベルをどれだけ向上させることができるか?-」明治学院大学法科大学院ローレビュー 21号(2014/12)1-31頁

[クーン・科学革命の構造(1971)]
トーマス・クーン,中山 茂 (訳) 『科学革命の構造』みすず書房(1971/01)

[澤田・論文のレトリック(1983)]
澤田昭夫『論文のレトリック-わかりやすいまとめ方』講談社学術文庫(1983)

[芝池=中西・反転授業が変える未来の教育(2014)]
芝池宗克=中西洋介『反転授業が変える教育の未来―生徒の主体性を引き出す授業への取り組み』明石書店 (2014/12/18)

[鈴木克明・教材設計マニュアル(2002)]
鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)

[戸田・教えるな(2011)]
戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011/6/8)

[ハフト・法律学習法(1992)]
フリチョフ・ハフト/平野敏彦訳『レトリック流法律学習法』〔レトリック研究会叢書2〕木鐸社(1992年)

民法学の失敗の原因とその再生方法(その2)


民法学の失敗の原因とその再生方法(その2) -あるものをない,ないものをあるという不遜からの脱却方法-


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?
    • Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権
      • 1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている
        • A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する
        • B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する
        • C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている
      • 2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由
      • 3.所有権に基づく請求権の3類型
      • 4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係
        • A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)
        • B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)
        • C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)
      • 5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)
        • A. 事実の概要
        • B. 判決理由
        • C. 判例批評
      • 6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担
      • 7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)
        • A. リーディング・ケース
        • B. 事実の概要
        • C. 判決理由
        • D. 判例批評
    • Ⅲ 結論
    • Ⅳ 参考文献

Ⅰ 問題の所在


わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?

わが国の民法には,占有訴権は別として,本権としての物権に関しては,所有権に基づく請求権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないというのが,[鳩山・物上請求権(1930)117頁]以来のわが国の通説であり,これまで,これに異議を唱える学説は存在しなかった。

わが国の通説を代表する我妻説([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁])も,以下のように述べて,わが国には,所有権を含めて物権的請求権についての規定は存在しないとしている。

動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し,土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる。物権のこのような効力を「物権的請求権」または「物上請求権」という。民法は,占有についてこれを規定しているが,(§§198~200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない。

しかし,この記述は,明文の規定(民法193条,および,民法233条)を参照するならば,誤りであることが分かる。その理由は,以下の通りである。

第1に,民法193条は,「占有物が盗品又は遺失物であるときは,被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定している。そして,我妻説によれば,民法193条における「物の回復を請求すること」とは,「所有権又は質権を回復することである」[我妻=有泉コンメンタール民法(2013)409頁]と解しているのであるから,民法は,所有権に基づく返還請求について「何らの規定も設けていない」のではなく,民法193条という明文の規定によって,「動産の所有者は盗人に対してその返還を請求」することができることを明文で規定しているといわなければならない。

第2に,民法233条第1項は,「隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは,その竹木の所有者に,その枝を切除させることができる」と規定している。枝が倒れずに境界線を越えただけで,土地の所有者は,隣地の所有者に対して,竹木の枝の切除を請求できるのであるから,竹木が倒れてきた場合にも,その枝の切除を請求できることは当然であろう。すなわち,土地の所有者は,民法233条のもちろん解釈として,「隣地から倒れてきた樹木の除去を請求できる」と解すべきである。

このように考えると,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,なんらの規定も設けていないというのは「あるものをない」とする根拠のない暴論であるといわなければならない。


Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権


1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている

先に述べたように,わが国の民法を調べてみると,以下のように,所有権に基づく請求権が明文で規定されていることが分かる。第1に,所有権に基づく返還請求権を規定しているのが,民法193条(盗品又は遺失物の回復)であり,第2に,所有権に基づく妨害排除請求権を規定しているのが,民法233条第1項(竹木の枝の切除)であり,所有権に基づく妨害予防請求権を規定しているのが,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)である。さらに,民法は,第4に,所有権に基づく受忍請求権についても,民法233条第2項(竹木の根の切取り)など,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。これらの規定について,体系的に検討してみることにしよう。

A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する

所有権に基づく返還請求権については,わが国の民法は,少なくとも,1箇条ではあるが,民法193条が占有者に対する本権に基づく返還請求権を規定している。

この条文(民法193条)は,善意取得の例外の条文として,占有の箇所に規定されているため,占有訴権であるかのように見える。しかし,その内容は,盗品または遺失物の所有者が,占有を失っていることを前提にして,盗品または遺失物の占有者に対して,本権に基づいて,その返還を求めることを認めた規定である。したがって,この規定が,占有訴権とは異なる所有権に基づく返還請求権を含んでいることについては,疑いの余地がない。

B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する

わが国の民法は,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,少なくとも以下の3箇条の条文を有している。明文の規定であるため,それが,物権的請求権のうちの,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権であるかどうかは,誰の目にも明らかである。それにもかかわらず,「所有権に基づく請求権については,わが国は明文の規定を欠いている」という誤った考え方が,4半世紀にわたって通説・判例となってきたこと,しかも,今なお,それが学説の一致した見解であることが,わが国の民法学の最大の悲劇であるといってよい。

第1は,民法216条(水流に関する工作物の修繕等)であり,相隣関係の規定に含まれているものの,ある土地とその隣地の関係に限定されているわけではなく,工作物による危険が及ぶすべての土地に関連しており,単なる相隣関係の範囲を超えて,所有権に基づく妨害排除・予防請求権の典型的な規定として位置づけることができる。

第2は,民法233条1項(竹木の枝の切除請求)であり,隣地の枝が境界線を越えて土地の所有権を妨害している場合について,その土地の所有権者は,隣地の所有権者に対して,枝を切除することによって妨害を排除するよう請求できることを明文で認めている(なお,民法233条2項については隣地の根の所有者に対して,自らが妨害排除を行うことを忍容するよう求める請求権であり,受忍請求権の問題として後に検討する)。

第3は,民法234条(境界付近の建築の制限)であり,民法234条1項の境界線から50センチメートルの距離を保つことなしに建物を建築しようとしている隣地の所有者に対して,建築の中止,または,建築の変更を求めるものであり,これが,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権(建築差止請求権)である。この請求権が,民法199条の占有訴権とは別個の「所有権本権に基づく請求権」であることも,疑いの余地がない。

C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている

わが国の民法が,一般論としても,物権的請求権を認めていることは,民法202条1項が,「占有の訴えは本権の訴えを妨げず,また,本権の訴えは占有の訴えを妨げない」と規定していることからも明らかである。なぜなら,上記の本権の訴え(いわゆる物権的請求権)が,占有訴権と併存することを前提としているからである。

そこで,民法202条の意味について,本権である所有権に基づく請求権としての民法234条(境界付近の建築の制限)と占有訴権である民法199条(占有保全の訴え),201条2項(占有保全の訴えの提起期間)とを例に挙げて,両者の関係を整理しておこう。

たとえば,ある土地の所有者Aの隣地の所有者BがAとの境界線から50センチメートルの距離を置かずに建物を建築しようとしたとする。

第1に,Aは,Bに対して,占有訴権を選択し,民法199条および201条2項に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に「妨害の予防」として,工事の差止を請求することができる。第2に,Aは,Bに対して,本権の訴えを選択し,民法234条に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に,「建築を中止」または建築の「変更」を請求することができる」。

このように,民法は,所有権に基づく請求権と占有訴権の両者を明文で規定し,かつ,所有者は,両者をともに利用することができるとしているのである。

なお,ここで注意すべきは,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,民法234条が消滅時効(または除斥期間)を定めていることである。後に述べるように,通説・判例は,いわゆる「物権的請求権は消滅時効にかからない」と考えている。しかし,民法は,そのような一般化はしていないのである。わが国の民法は,いわゆる物権的請求権といえども,消滅時効にかかる場合があることを民法234条(境界付近の建築の制限)によって明確に規定していることに留意しなければならない。

2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由

現行民法とは異なり,旧民法財産編36条は,本権に基づく請求権(本権訴権)と占有訴権との関係を,以下のように一般的に規定していた。

旧民法 財産編 第36条
①所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し,証拠編に記載したるものは此限に在らず。
②又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。

現行民法は,旧民法財産編36条の規定を削除したのであるが,その理由は,それに反対したからではなく,「占有権及び時効に関する規定に因りて自から明らかなるが故」[民法理由書(1987)243頁]であり,旧民法財産編36条の考え方(本権訴権と占有訴権との併存)は,民法202条1項にそのまま受け継がれている。

言い換えると,いわゆる物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権は,わが国の民法に明文(民法193条,216条,233条,234条など)をもって規定されている。そして,民法202条は,それを当然のこととして規定している。つまり,民法の立場は,占有訴権と本権訴権(所有権に基づく請求権,用益権(賃借権)に基づく請求権を含む)とがあれば十分であり,それ以外に,一般的な物権的請求権の概念を必要としてないのである。

このように考えると,わが国の学説が一貫して主張してきた「わが国には物権的請求権に関する明文の規定は存在しない」という誤った命題を金科玉条のように信奉し,それを補うために,ドイツ民法の条文に頼ってきた民法学のあり方自体が問われることになる

むしろ,わが国の物権的請求権論は,民法の具体的な規定を考慮せずに,一般論を展開するものとなっているため,本来物権的請求権を認めるべきでない場合でも,安易に物権的請求権を認めるという問題を引き起こしている。

例えば,占有を伴わない抵当権についても,抵当権者による物権的請求権としての返還請求権まで認めている(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)。

最一判平17・3・10民集59巻2号356頁
抵当不動産の占有者に対する抵当権に基づく妨害排除請求権の行使に当たり,抵当不動産の所有者において抵当権に対する侵害が生じないように抵当不動産を適切に維持管理することが期待できない場合には,抵当権者は,当該占有者に対し,直接自己への抵当不動産の明渡しを求めることができる

この最高裁判決に対しては,批判的な学説があるものの,これを支持するのが多数説となっていることから,わが国の物権的請求権論は,危険な理論へと変化しており,わが国の物権的請求権論は,「ないものをある」とする点で,ドイツ民法を越えて,暴走しているといわざるをえない。

なぜなら,物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においては,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされているからである。

3.所有権に基づく請求権の3類型

物権的請求権には,物権的妨害排除請求権,物権的妨害予防請求権,物権的返還請求権の3種類があるというのが通説である。この3種類は,わが国の民法が占有訴権として規定してる占有保持の訴え(民法198条),占有保全の訴え(民法199条),占有回収の訴え(民法200条)に対応しており,その占有訴権の名称ではなく,その内容が,以下のように,「妨害の停止」(民法198条),「妨害の予防」(民法199条),「物の返還」(民法200条)となっていることに由来している。

第198条(占有保持の訴え)
占有者がその占有を妨害されたときは,占有保持の訴えにより,その妨害の停止及び損害の賠償を請求することができる。

第199条(占有保全の訴え)
占有者がその占有を妨害されるおそれがあるときは,占有保全の訴えにより,その妨害の予防又は損害賠償の担保を請求することができる。

第200条(占有回収の訴え)
①占有者がその占有を奪われたときは,占有回収の訴えにより,その物の返還及び損害の賠償を請求することができる。
②占有回収の訴えは,占有を侵奪した者の特定承継人に対して提起することができない。ただし,その承継人が侵奪の事実を知っていたときは,この限りでない。

これらの占有訴権は,占有を伴う物権を有する者(本権者)は,当然に,これを利用できる。また,占有に関する本権には,賃借権者,受寄者等も含まれるのであり,占有を伴う債権も本権となるので,債権者においても,占有訴権を利用することができる(民法202条)。反対に,物権であっても,占有を伴わない物権,たとえば,先取特権,抵当権等は,占有訴権を有しない。

物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においても,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされている。

4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係

所有権に基づく請求権に関しては,誰が相手方の行為を請求できるのか,それとも,所有権者が自力で妨害を排除することを相手方に受忍するように求めることができるだけなのかが問題となる。この問題については,以下の順序を追って考察するのが適切である。

第1に,1つの条文の中で,所有権に基づく妨害排除に関して行為請求権と受忍請求権とをかき分けている民法233条について分析する。第2に,受忍請求権に特化して,隣地への立ち入りを認めることを規定している民法209条について分析する。第3に,妨害排除・妨害予防を含めて,行為請求権を規定している民法216条と234条とを,請求権の主体と相手方の特定の問題を含めて考察する。

A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)

行為請求権と受忍請求権との違いを明確に規定しているのは,民法233条である。民法233条1項は,甲土地(隣地)の竹木の枝が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合に,乙土地の所有者に,その枝を切除するように請求する権利(所有権に基づく妨害排除請求権)を認めている。

これに対して,甲土地(隣地)の竹木の根が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合には,乙土地の所有者に,その根を切り取ることを認めている。これは,一見,自力救済を認めたものであるかのように見えるが,実は,乙土地の所有者が自ら妨害排除を行うことを甲土地(隣地)の所有者が受忍しなければならないという義務が法律によって課され,その結果,乙土地の所有者は,妨害目的物の所有者である甲土地(隣地)の所有者に対して,妨害を排除することを受忍せよとの受忍請求権を取得しているのである。

同じ土地所有権を妨害する物でありながら,竹木の枝と根とを区別したのは,なぜか。それは,以下の2つの考慮によるものと考えられる。

第1は,民法211条1項に規定されている原理であるが,権利者にとって「必要であり,かつ,他の土地のために損害が最も少ないものを選ばなければならない」という,所有権に基づく請求権に関する根本原理としての「必要かつ損害最小限の原理」への考慮が働いていると考えられる。

甲土地の竹木の枝が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合には,乙土地の所有者が甲土地の境界を越えて切除するのではなく,甲土地の所有者にその枝を切除させる方が,損害を最小限に抑えることができる。なぜなら,甲土地の所有者は,妨害を除去するために,枝のどの部分から切除するかを決定することができからである。しかも,場合によっては,その竹木を移植することによって,乙土地の所有権の妨害が停止され,かつ,甲土地の所有者にとっても損害が全くないという結果を実現することも可能となる。

これに対して,甲土地の根が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合は,甲土地の所有者が乙土地の境界を越えて根を切り取るのではなく,乙土地の所有者にその根を切り取らせる方が,損害を最小限に抑えることができる。乙土地の所有者は,根を元から切り取るのではなく,妨害が生じている部分だけを切り取るという選択をすることによって,甲土地の所有者の損害を最小限に抑えることが可能となるからである。

第2は,妨害が妨害する側の者の目に見えるか,目に見えないかの区別(帰責性への考慮)があると考えられる。目に見える妨害の場合には,妨害をしている方(枝をはみ出させている帰責性のある甲土地の所有者)に妨害排除義務を課すのが適切である。これに対して,妨害が目に見えない場合には,帰責性のない妨害者ではなく,妨害を受けている側(根によって妨害を受けている乙土地の所有者)に相手方への受忍請求権を与えるのが適切である。

甲土地の竹木の枝が,見える部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者に帰責性があるため,乙土地の所有者に相手方に対する行為請求権(枝を切り取るという行為請求権)を認めるのが妥当である。これに対して,甲土地の竹木の根が見えない部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者には帰責性が認められないため,乙土地の所有者に行為請求権を与えるのではなく,相手方に対する受忍請求権(根の切り取りを受忍せよとの権利)を認めるのが妥当である。すなわち,妨害者に帰責性がある場合には,所有者に行為請求権を与え,妨害者に帰責性がない場合には,所有者に行為請求権ではなく,受忍請求権を認めるのが適切である。すなわち,所有権に基づく請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるということになる。

物権的請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるという考え方は,阪神淡路大震災のように,不可抗力によって甲土地の建物や竹木が倒れて乙土地の所有権を侵害している場合を想定してみるとよくわかる。このような場合には,所有権に基づく請求権を絶対視して,甲土地の所有者に対する乙土地の所有者の行為請求権を認めるのは適切ではなく,逆に,甲土地の所有者が,乙土地に立ち入って後片付けをすることを認める,すなわち,妨害者である甲土地の所有者の方に,乙土地の所有者に対する受忍請求権(立入請求権)を認めるのが妥当であろう。このように,所有権に基づく受忍請求権は,妨害者に帰責性のない場合の解決方法として,デフォルト値(初期値)として尊重することが適切である。

B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)

受忍請求権を考える上で,重要な論点のひとつに,たとえば,甲土地の所有者の洗濯物が風で飛ばされて乙土地の上に落下したり,甲土地でボール遊びをしていてボールが,乙土地に飛んでいったりしたような場合に,甲土地の所有者は,乙土地に立ち入って洗濯物やボールを探して引き取ることを要求できるかどうかである。この点について,ドイツ民法には,以下のような明文の規定がある(ドイツ民法867条)。

§867
BGB
(占有者の探索・引取の忍容請求権)
物が占有者の支配を離れて他人の占有する土地の上に移動した場合に,土地の占有者がその物を自己の占有に移転しない間は,その物の探索(Aufsuchung)及び引取り(Wegschaffung)を忍容しなければならない。その場合において,土地の占有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の占有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。

わが国には,上記のような他人の土地への立入忍容請求権についての明文の規定がない。このため,このような請求権は,物権的請求権の3つの類型に該当せず,第4の類型として独立した類型と考えるべきであるとの主張がなされている[山田・引取請求権(1983)1頁以下]。

しかし,このような請求権は,先に述べたように,所有権に基づく妨害排除請求権について,相手方が進んでその義務を履行しようとするものに過ぎない。すなわち,これは,妨害排除義務を負う側の方から,自ら妨害排除を行うことの認容を求めるものに過ぎず,妨害排除に関する忍容請求権として位置づければ足りる。

確かに,民法233条2項(竹木の根の切り取り)の場合には,妨害を受けた乙土地の所有者から,根の所有者(甲土地の所有者)に対して,根の切り取りを受忍する請求権を認めている。しかし,一定の要件を満たした場合には,逆に,根の所有者(甲土地の所有者)が自ら妨害を排除すること,すなわち,乙地に立ち入って根を切り取ることの認容を請求することを認める方が効率的な場合もありうる。その場合が,「必要かつ損害最小限」の原則(民法211条1項)を満たす場合には,甲土地の所有者からの乙土地への立入受忍請求権が認められるべきであろう。

民法の相隣関係の最初の規定である民法209条が,隣地への立入受忍請求権を規定していることは,この意味で,重要な意義を有するといえよう。したがって,立入受忍請求権を物権的請求権の第4類型とすることを提唱する学説[山田・引取請求権(1983)1頁以下]
が,条文上の根拠として民法209条の類推を示唆しているのは,むしろ,当然のことといえよう。

このようにして,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,所有権に基づく返還請求権(民法193条),所有権に基づく妨害排除請求権(民法216条,民法233条1項),所有権に基づく妨害予防請求権(民法216条,234条)の3類型ばかりでなく,所有権に基づく妨害排除・予防請求権を実現するために,権利者から妨害者に対する受忍請求権(民法233条2項),または,妨害者から所有者に対する受忍請求権(民法209条)といういわゆる第4の類型も認めており,条文の数は少ないとはいえ,内容的には,所有権に基づく請求権のすべての類型について,ドイツ民法に劣らない明文の規定を有していることが明らかになったと思われる。

C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)

所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,侵害を受けた,または,侵害の恐れがある所有者から,妨害者に対して行為請求権が請求できるのは,妨害者に帰責事由がある場合であり,妨害者に帰責事由がない場合には,所有者には,行為請求権ではなく,妨害排除に関する受忍請求権が認められていることについては,民法233条,および,民法209条の分析を通じて明らかにした。

このことを,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,所有者に行為請求権を認めた民法216条,234条を通じて再確認することにしよう。

民法216条は,土地に貯水,排水又は引水のために設けられた「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定している。この場合において,工作物の破壊又は閉塞により,所有権侵害,または,損害の発生することは,工作物のある土地の所有者にとって予見可能であり,かつ,その回避が可能である。したがって,工作物の所有者に帰責事由があることは明らかであり,行為請求権が認められている。

また,民法234条の場合にも,所有権に基づく建築差止め,または,建築変更の請求権が認められるためには,建物を築造しようとする者に,民法234条1項の違反(境界線から50センチメートル以上の距離を保つべきことに対する違反)があることが要件とされており,したがって,行為請求権が認められている。

なお,民法234条は,物権的請求権について,1年間の除斥期間を認めており,所有権に基づく請求権は,時効にかからないという命題が,普遍的な命題ではないことを明らかにしている点でも注目に値する。

5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

所有権に基づく請求権の法的性質,種類等が明らかになると,次に,所有権に基づく請求権間の競合の問題をも容易に解決することができる。以下の例は,境界を接する宅地と田との間で,土砂が落下して迷惑をしている田の所有者が妨害排除請求をすることができるのか,それとも,田を作る際に土砂が崩壊しないように配慮すべきであったことを理由に,家屋の崩壊のおそれがある敷地の所有者が,田の所有者に対して妨害予防請求をできるのかが争われた事例である(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件
土地の所有者は,其の隣地が自己の所有地内に崩壊するの危険ある場合に於ては,該危険が隣地所有者の行為に基きたると否とを問はず,又,隣地所有者に故意過失の有無を問はず,隣地所有者に対し該危険の防止に必要なる相当設備の施行を請求することを得るものとす。

A. 事実の概要

X(被控訴人,原告)の先代Aの所有宅地に隣接して畑を所有するBは,①昭和7年5月,その畑を掘下げて水田に変換するに際し,A所有の宅地との境界線上から垂直に掘下げたため,Aの宅地とBの水田との境界に直高約73cmの断崖を生じさせた。②Y(控訴人,被告)は昭和10年2月12日,Bからこの水田を買受けて所有権を取得し,③Xは同年3月30日,先代Aの死亡による家督相続の結果,Aの宅地の所有権を取得した。現在のところ,④XとYの両地の境界における断崖は,一部は斜面となり,一部はその下部において窪んで洞窟状となり,そのような断崖の状況は,過去においてX所有宅地の土砂がY所有水田内へ崩落したためであり,一方,X所有の宅地上には境界からわずか約1.8mを距てて住居としての家屋があり,しかも,Xの宅地の地質は砂地であるため,Xの宅地は将来,その断崖からYの水田内へ自然崩壊する危険が生じている。

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上記の事実関係に基づき,⑤Xは,その宅地の所有権に基き,Yに対して,断崖の崩落の危険を予防するため,特定の設備の施行を求めたところ,原審は,Xの主張を入れて,Yに対し,危険防止に必要な特定の設備の施行を命じた。そこで,これを不服として,Yが上告した。

B. 判決理由

上告棄却。

凡そ所有権の円満なる状態が他より侵害せられたるときは,所有権の効力として其の侵害の排除を請求し得べきと共に,所有権の円満なる状態が他より侵害せらるる虞あるに至りたるときは,又,所有権の効力として,所有権の円満なる状態を保全する為,現に此の危険を生ぜしめつつある者に対し,其の危険の防止を請求し得るものと解せざるべからず。

土地の所有者は,法令の範囲内に於て,完全に土地を支配する権能を有する者なれども,其の土地を占有保管するに付ては,特別の法令に基く事由なき限り,隣地所有者に侵害又は侵害の危険を与へざる様,相当の注意を為すを必要とするものにして,其の所有にかかる土地の現状に基き,隣地所有者の権利を侵害し若くは侵害の危険を発生ぜしめたる場合に在りては,該侵害又は危険が不可抗力に基因する場合,若くは,被害者自ら右侵害を認容すべき義務を負ふ場合の外,該侵害又は危険が自己の行為に基きたると否とを問はず,又,自己に故意過失の有無を問はず,此の侵害を除去し,又は,侵害の危険を防止すべき義務を負担するものと解するを相当とす

果して然らば,被上告人は,其の土地所有権に基き,現に隣地の所有者たる上告人に対し,右危険の防止に必要なる相当設備を請求する権利を有すること前説示するところに照し,洵に明白なりと云ふべく,従て被上告人の右請求を容認したる原判決には所論の如き違法あるものにあらず。

原審は証拠に依りて,被上告人所有の本件宅地は,将来,其の断崖面に於て上告人所有の水田地内に自然崩壊するの危険あること,並に,右宅地上には人の住居に供する家屋あり,該家屋と前記崩落の虞ある個所との距離は僅々約一間なることを認定し,斯くては安んじて右宅地上に生活を営むを得ざるものなりと為し,本件宅地の崩壊に因りて生ずることあるべき損害は極めて重大なりと判示したるものにして,かかる重大なる危険に対し,原判決主文表示の如き予防設備を命じたるは洵に相当にして,上告人に対し過大の負担を課したるものと為すを得ず。

C. 判例批評

本件は,従来の物権的請求権に関する学説(行為請求権説,受忍請求権説,責任説)のうち,どの説が最も妥当な説かを判断する試金石として,重要な意義を有する事案である。なぜなら,本件は,土砂の落下による侵害を被っているYがXに対して妨害排除請求をするのが通常のように見える事案であるにもかかわらず,判例は,それとは逆に,XにYに対する予防工事の請求を認めることを通じて,自分の土砂を落下させているXから,いかにも被害者に見えるYに対する妨害予防請求権を認めており,判例法理の理論的根拠の解明が望まれているからである。

判決は,この点に関して,妥当な結論を述べているのであるが,その根拠となる条文を示していない。しかし,民法の条文を丁寧に検索すると,本件の紛争を解決するにふさわしいいくつかの条文を見つけることができる。それらの条文を活用して,様々な解決方法を模索した後,本件の解決に最もふさわしい条文を選び出すことにしよう。

第1は,本件判決が示しているように,Xの請求を認め,Yに妨害予防措置として,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を義務づけることである。判例は,民法の条文を引用することなく,物権的請求という根拠のない概念を使っているが,物権的請求権という概念が安易に用いられるべきでないことは,すでに述べた。民法にない概念を無理に使う前に,まず,民法にある具体的な条文が活用されるべきである。

民法216条を見てみよう。「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」という,本件に利用できそうな規定があることがわかる。もっとも,この規定は,すべての工作物ではなく,「上流にある貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という限定が加えられている。これに対して,本件の事案では,いわば下流の施設について上流の土地所有者が請求するという逆向きの請求になっている。そこで,民法216条については,予防工事が認められる要件を厳密に検討し,その検討の結果を踏まえて,多少の抽象化(類推の可能性)を図る必要がある。

民法216条が,所有権に基づいて,予防工事を認めているのは,第1に,貯水,排水又は引水のために設けられた工作物によって他人の土地に損害が生じるおそれが生じているからであるが,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という制限は,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある土地工作物」一般に置き換えることが可能である。そのような抽象化の代わりに,「危険な土地工作物の設置については,設置者の帰責性が要求される」という制約条件を付加することによって,抽象化による危険を回避することができよう。つまり,民法216条は,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」だけでなく,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある工作物の設置・保存に瑕疵がある場合」にも類推が可能であると考えられる。

この考え方を本件の事案に応用してみよう。Yが行った行為は,畑を水田という設備に作り直す際に,民法237条の趣旨を無視して,境界から距離を置かずに田を設置した結果,危険な断崖が生じていると考えられる。そうだとすると,本件の危険な断崖について,民法216条の規定を類推することができると思われる。

通常であれば,土砂を他の土地(田)に落下させているXに対して,田の所有者であるYから妨害排除の請求ができそうにも見える。しかし,本件においては,危険な崖を作り出したことについて,帰責性のあるのはYであって,Xにはないことが重要である。この点を考慮して,通常なら認められるはずのYからの妨害排除請求を否定し,Xからの予防工事請求のみを正当化できる点に,この考え方のメリットがある。

第2は,Yがやるべきことをやらないのであるから,Xの方からYの土地に立ち入り,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を行うことを認めることである。その際,これらの場合において,費用負担は,誰がすべきだろうか。

相隣関係の最初の規定である民法209条は,「境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定してる。したがって,Xの方からYの田に立ち入って,土地の崩壊防止に必要な障壁を築造または修繕することができる。

第3に,判決の結論とは逆に,YにXに対する妨害排除請求(落下物に対する予防・妨害排除請求)を認めることはできるであろうか。

もしも,通説のように,条文の根拠なしに,無過失責任としての物権的請求権を認めることになると,Xの土地から落下している土砂に対して,Yから妨害排除請求を認めることも可能となるはずである。

しかし本件の場合,土砂の落下の原因である断崖を作ったのは,Yの前主であるBであり,Bが作成した危険な状態を放置しているために土砂の落下が生じても,妨害排除請求は認めるべきでないと思われる。

しかし,その結論(土砂の落下の危険にさらされているYの物権的請求権を否定する)を導くための理論は,費用負担は別として,通説のように,無過失責任としての物権的請求権の存在を認める以上は,見つからないのではないだろうか。

この問題を解決するために,物権的請求権とは,侵害者にたいする作為請求権ではなく,侵害者に対する忍容請求権に過ぎない。すなわち,Xは,Yに対して,「危険の防止に必要なる相当設備」を請求する権利という作為請求権を有するのではなく,XがYの土地に立ち入り,Yの費用で「危険の防止に必要なる相当設備」を設置することを受忍せよという,忍容請求権を有するに過ぎない(前記の第2の解決方法しか認めない)という考え方がある。しかし,この考え方によれば,本件における妥当な結論である判例の見解を否定しなければならなくなる上に,民法が明文で認めている216条の「工作物の修繕・障害の除去・予防工事請求権」,および,民法235条の「目隠し設置請求権」を否定することになり,わが国の民法の解釈論としては成り立たない考え方であろう。

もっとも,忍容請求権の考え方自体が否定されるべきではない。むしろ,不可抗力の場合,すなわち,侵害者に故意または過失がない場合,または,所有者に忍容義務がある場合には,所有者の行為請求権が成立しないという意味で,認容請求権(忍容義務)は,大きな意味を有している。

判決のような妥当な結論を導くためには,ドイツから輸入された一般的な物権的請求権という考え方にとらわれるのではなく,わが国の民法に規定された,占有訴権,および,相隣関係において規定されている所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関する条文およびその趣旨を考慮した上で,具体的な事例に適合することのできる緻密な解釈論を展開すべきではないだろうか。

このように考えると,大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件の判旨は,最高裁民事判例集に掲載された,判決理由の法理を反映していない不正確な要旨とは異なり,以下のようにまとめることができよう。

〔1〕甲土地の所有者は,隣接する乙土地の所有者,または,前主が境界線上より掘り下げて断崖を生じさせ,甲土地(宅地)に自然崩壊の危険を生じさせた場合には,乙土地の所有者に対して,危険防止に必要な相当の設備の施行を請求することができる。

〔2〕乙土地の所有者は,隣接する甲土地の土砂が乙土地に崩落する危険があり,または,土砂が崩落している場合には,原則として,甲土地の所有者に対して侵害の防止または除去を請求することができる。ただし,その原因が,不可抗力による場合,または,自ら若しくはその前主が乙土地を境界線上より垂直に掘り下げて断崖を生じさせたことによるため,その侵害を受忍する義務がある場合には,乙土地の所有者は,甲土地の所有者に対して,侵害の防止または除去を請求することができない。

6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担

所有権に基づく請求権に関しては,だれが費用を負担すべきかが問題となる。わが国の民法には,物権的請求権についての規定はなく,費用負担についての規定もないとされてきた。しかし,相隣関係の規定全体を見ると,費用負担に関して,以下の原理を抽出することができる。

第1に,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条),または,「費用の増加額を負担しなければならない」(民法227条但し書き)と規定されている。

第2に,両者の利益になる場合には,「利益を受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)と規定されている。

第3に,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)と規定されている。

7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)

所有権に基づく請求権は,所有権者が,その目的物の排他的な支配(使用・収益,換価・処分)を侵奪,または,侵奪以外の方法で妨害している者に対して,物の返還,または,物の妨害の除去,または,妨害の予防を請求する権利である。したがって,所有権に基づく請求権の権利主体は,目的物の所有者であり,相手方は,目的物を侵奪したり,妨害したり,妨害のおそれを生じさせている者である。

所有権に基づく請求権の相手方については,所有権の目的物を妨害している占有者であるのが原則である。しかし,例外として,占有をしていないがその物の処分権を有している者,処分権を有するとの外観を有している者も含まれると解されている。

例外として,目的物の登記名義人も,所有権に基づく請求権の相手方となることを明らかにしたのは,平成6年最高裁判決(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)である。

A. リーディング・ケース

最三判平6・2・8民集48巻2号373頁(建物収去土地明渡請求事件)(民法判例百選Ⅰ第47事件)
甲所有地上の建物の所有権を取得し,自らの意思に基づいてその旨の登記を経由した乙は,たとい右建物を丙に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,甲に対し,建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできない。

B. 事実の概要

X(原告,控訴人,上告人)は,平成2年11月5日,本件土地を競売による売却により取得したが,本件土地上には,本件建物が存する。本件建物はYの夫であるAの所有であったが,Aが昭和58年5月4日に死亡したため,Yが相続によりこれを取得して,同年12月2日にその旨の登記を経由した。Yは,同年5月17日,本件建物をBに代金250万円で売り渡したが,登記簿上,本件建物はY所有名義のままとなっている。

本件訴訟において,Xは,本件建物の所有者はその所有権移転登記を有するYであり,同人が本件建物を所有することにより本件土地を占有していると主張して,所有権に基づき本件建物収去による本件土地明渡しを求めるのに対し,Yは,Bへの売却により本件建物の所有権を失ったから本件土地を占有するものではないと主張するところ,原審は,右事実関係の下において,Yの主張を容れ,Yが本件建物を所有し本件土地を占有しているとのXの主張は理由がないとして,Xの右請求を棄却すべきものとし,これと同旨の第一審判決に対するXの控訴を棄却した。これを不服として,Xが上告。

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C. 判決理由

破棄自判。

1 土地所有権に基づく物上請求権を行使して建物収去・土地明渡しを請求するには,現実に建物を所有することによってその土地を占拠し,土地所有権を侵害している者を相手方とすべきである。したがって,未登記建物の所有者が未登記のままこれを第三者に譲渡した場合には,これにより確定的に所有権を失うことになるから,その後,その意思に基づかずに譲渡人名義に所有権取得の登記がされても,右譲渡人は,土地所有者による建物収去・土地明渡しの請求につき,建物の所有権の喪失により土地を占有していないことを主張することができるものというべきであり(最高裁昭和31年(オ)第119号同35年6月17日第二小法廷判決・民集14巻8号1396頁参照),また,建物の所有名義人が実際には建物を所有したことがなく,単に自己名義の所有権取得の登記を有するにすぎない場合も,土地所有者に対し,建物収去・土地明渡しの義務を負わないものというべきである(最高裁昭和44年(オ)第1215号同47年12月7日第一小法廷判決・民集26巻10号1829頁参照)。

2 もっとも,他人の土地上の建物の所有権を取得した者が自らの意思に基づいて所有権取得の登記を経由した場合には,たとい建物を他に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,土地所有者に対し,右譲渡による建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできないものと解するのが相当である。けだし,建物は土地を離れては存立し得ず,建物の所有は必然的に土地の占有を伴うものであるから,土地所有者としては,地上建物の所有権の帰属につき重大な利害関係を有するのであって,土地所有者が建物譲渡人に対して所有権に基づき建物収去・土地明渡しを請求する場合の両者の関係は,土地所有者が地上建物の譲渡による所有権の喪失を否定してその帰属を争う点で,あたかも建物についての物権変動における対抗関係にも似た関係というべく,建物所有者は,自らの意思に基づいて自己所有の登記を経由し,これを保有する以上,右土地所有者との関係においては,建物所有権の喪失を主張できないというべきであるからである。もし,これを,登記に関わりなく建物の「実質的所有者」をもって建物収去・土地明渡しの義務者を決すべきものとするならば,土地所有者は,その探求の困難を強いられることになり,また,相手方において,たやすく建物の所有権の移転を主張して明渡しの義務を免れることが可能になるという不合理を生ずるおそれがある。他方,建物所有者が真実その所有権を他に譲渡したのであれば,その旨の登記を行うことは通常はさほど困難なこととはいえず,不動産取引に関する社会の慣行にも合致するから,登記を自己名義にしておきながら自らの所有権の喪失を主張し,その建物の収去義務を否定することは,信義にもとり,公平の見地に照らして許されないものといわなければならない。

3 これを本件についてみるのに,原審の認定に係る前示事実関係によれば,本件建物の所有者であるYはBとの間で本件建物についての売買契約を締結したにとどまり,その旨の所有権移転登記手続を了していないというのであるから,Yは,Xに対して本件建物の所有権の喪失を主張することができず,したがって,本件建物収去・土地明渡しの義務を免れないものというべきである。

そうしてみると,本件建物の譲渡を理由に被上告人は本件土地の占有者に当たらず,建物収去・土地明渡しの義務を負わないとした原審の判断には,右明渡義務が認められる場合についての法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,その趣旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れず,前示事実関係に照らせば,上告人の請求は認容すべきものである。

D. 判例批評

通説([司法研修所・類型別(2006)58頁])は,建物所有による土地の占有によって土地の所有権が侵害されている場合,土地所有者には,土地返還請求権が発生するだけであって,建物収去は,土地明渡しの手段ないし履行態様であるにすぎないと考えている(訴訟物1個説)。この見解に基づいている本判決においても,参照条文には,返還請求権に関する民法200条しか挙げられていない。

しかし,これに対して,[遠藤・注解財産法2(1997)27頁]は,建物収去と土地明渡しの執行方法は明らかに異なるから,建物の収去が土地明渡しの手段ないし履行態様にすぎないというのは無理があると批判している。確かに,建物収去が認められなければ土地明渡しも認められないのであるから,両者は密接不可分の関係にあり,両者を1つの訴訟物と考えることも可能であるように見える。しかし,建物収去が認められないままに(たとえば,建物買取請求権が認められた場合など)土地明渡し請求のみが認められることがあるのであるから,建物収去と土地明渡しとは,別の訴訟物と考えるべきであろう(訴訟物2個説)。通説・判例が,旧訴訟物理論を採用しながら,根拠条文も執行方法も異なる建物収去(民法198条)と土地明渡し(民法200条)とを1つの訴訟物であるとするのは,ご都合主義のそしりを免れない。

訴訟物1個説を主張する[吉川・明渡請求の要件事実(2005)89頁],[塚原・民事裁判の主文(2006)113頁]が,請求の趣旨に関して,「建物を収去して目録記載の土地を明け渡せ」と書くべきところを,「収去して」の後に「,」(読点)を入れると,訴訟物に関する2個説のように読めるので,これを入れるべきでないとするのは,要件事実論者の本質(不親切の親切)がよく表れている。

この判決は,競売による土地の買受人に,建物収去(妨害排除)および土地明しを認めた判決である。しかし,建物収去の相手方が,建物の収去権を有している者(建物の現在の所有者B)ではなく,単にその建物の登記名義人である者(建物の売り主Y)であり,しかも,土地明渡しの相手方も,土地を全く占有していない者(Y)であり,Yに対して土地明渡しの判決を下しても,Yは,本件土地も建物も占有していないのであるから,何の執行もできない実現不能な判決である。

判決は,Xとの関係では,Yを土地所有者だと認定し,その理由を民法177条に求めている。しかし,民法177条は,不動産物権を取得しても,登記がなければ,第三者に対抗できないとする規定であり,反対に,登記を得ていれば,第三者に所有権の取得を対抗できるという,公信力を認めた規定ではない。

本件の適用条文は,所有権に基づく建物収去という,所有権に基づく妨害排除請求権(民法189条の類推),および,所有権に基づく土地の明渡しという,所有権に基づく返還請求権(民法200条の類推)に求められるべきであり,請求の相手方は,当該土地の所有権を妨害している者に対する妨害排除と返還請求である。本件の場合,被告となっているYは,土地を占有しているわけではなく,土地の上にある建物について,すでにその建物をBに譲渡したが,登記名義だけが残っているにすぎない者であり,妨害があるとすれば,Bに移転登記をすべき義務を負っているだけであり,これを実現するには,Bの協力が必要であるため,Xは,Aの権利に代位して,Bに対して登記の移転を受領すべき訴えを提起すべきであって,Yを相手方とする根拠はどこにも存在しない。

本判決は,訴訟の相手方の選択の誤りを,実体法の問題として解決しようとしたところにそもそもの誤りがあり,下された判決も,当事者を誤っているために,理論上は,執行不法の判決といわざるを得えない。

訴訟の相手方を誰にするかは,それ自体が困難な問題であるが,それは,すべての訴訟につきまとう問題であり,今回の事件は,原告が訴訟の相手方を誤った事件に過ぎず,最高裁は,1審,2審の判断を尊重すべきであったのを,公平の観点を持ち出して破棄したものであるが,結果は,惨憺たるものであり,無価値な判決である。

最高裁は,これに懲りることなく,駐車場に放置された自動車の妨害排除事件(車両撤去土地明渡事件)について,1審,2審の請求棄却判決を破棄し,自動車の所有名義人(クレジット会社)を相手方として,自動車の撤去を認める可能性を示唆する判決を下している(最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,金判1314号24頁)。

最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,判タ1306号217頁,金法1882号78頁,金判1314号24頁
動産の購入代金を立替払した者が,立替金債務の担保として当該動産の所有権を留保する場合において,買主との契約上,期限の利益喪失による残債務全額の弁済期の到来前は当該動産を占有,使用する権原を有せず,その経過後は買主から当該動産の引渡しを受け,これを売却してその代金を残債務の弁済に充当することができるとされているときは,所有権を留保した者は,第三者の土地上に存在してその土地所有権の行使を妨害している当該動産について,上記弁済期が到来するまでは,特段の事情がない限り,撤去義務や不法行為責任を負うことはないが,上記弁済期が経過した後は,留保された所有権が担保権の性質を有するからといって撤去義務や不法行為責任を免れることはない。

もっとも,この事件の場合には,弁済期が経過した後は,相手方であるクレジット会社が目的物について処分権を有するに至るため,この事件については,所有名義人を妨害排除事件の相手方とすることが許される。しかし,その理由は,決して,クレジット会社が所有権留保によって所有名義を有していたからではない。所有権留保(実質的な譲渡担保)に基づく担保権が,実行可能な状態となることによって,クレジット会社に目的物の処分権限が生じたからに過ぎない。

すなわち,この判決の事案は,駐車場の所有者であるXが,駐車中の自動車について,同自動車の購入代金を立替払して同自動車の所有権を留保しているY(クレジット会社)に対し,同自動車の撤去と駐車場の明渡し等を求めたものであり,所有権に基づく請求権の相手方が,単なる所有名義人ではなく,目的物の処分権を有している点で,上記のリーディング・ケースの場合とは,事案が異なっており,具体的な妥当性を有するものとなっているのである。

これに対して,本件(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)の場合には,目的物について,Yには,何らの処分権限もないのであるから,所有名義があるからという理由だけで,建物収去(妨害排除請求),および,土地明渡請求のの相手方とすることは,無意味なのである。


Ⅲ 結論


わが国の通説は,わが国の民法には,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしている([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁]など参照)。しかし,わが国の民法をよく読めば,以下のように,所有権に基づくあらゆる種類の請求権(物権的請求権)が明文で規定されていることを発見することができる。

第1に,民法193条(盗品又は遺失物の回復)が,「所有権に基づく返還請求権」を規定している。第2に,民法233条第1項(竹木の枝の切除)が,「所有権に基づく妨害排除請求権」を規定している。第3に,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)が,「所有権に基づく妨害予防請求権」を規定している。第4に,民法209条(隣地の使用請求),民法210条以下の囲繞地通行権,民法214条(自然水流に対する妨害の禁止),民法221条(通水用工作物の使用),民法233条第2項(竹木の根の切取り)などが,「所有権に基づく受忍請求権」についても規定している。このように,わが国の民法は,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。

わが国の民法学が,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないという誤りに陥ったのは,旧民法財産編第36条(所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得)とか,ドイツ民法903条(物の所有者は,法律又は第三者の権利に反しない範囲において自由に物を処分し及び物に対する他人のすべての干渉を排除することができる)と比較した場合に,所有権の規定に,このような所有権に基づく請求権の一般規定が存在しないからである。

しかし,わが国の民法も,占有訴権に関する民法202条において,占有訴権(占有保持の訴え,占有保全の訴え,占有回復の訴え)に対応する,本権の訴えがあることを一般的に規定しており,しかも,所有権の個々の条文において,上記のように,所有権に基づく妨害排除請求権,所有権に基づく妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権,所有権に基づく認容請求権,それぞれに関する費用負担の規定を有しているのであるから,わが国の通説は,「あるものをないという」誤りに陥っているといわなければならない。

しかも,わが国の通説は,上記のような条文を無視して,物権的請求権の理論を構築しているため,物権の中で,占有を伴う物権か,占有を伴わない物権かを明確に意識することなく,すべての物権に共通の性質として物権的請求権を一律に認めてしまう危険性を有しており,そのことが,占有を伴わない物権であるはずの抵当権についても,抵当権に基づく返還請求権を認める(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)という誤りを是認する結果を導いている。この点では,わが国の民法学は,「ないものをあるという」誤りに陥っているといわなければならな。このことは,共同不法行為について,民法が連帯責任としているにもかかわらず,それを連帯債務と認めず,民法の体系からは否定すべき「不真正連帯債務」を認ている現在の民法学説についても,同様のことがあてはまる。

このように,わが国の民法学は,権威のある学者が,主としてドイツ民法の学説にならった理論を展開すると,わが国の民法の条文とか,体系とかを深く検討しないままに,権威に追随して通説を形成するという傾向が見られる。つまり,わが国の民法学説は,条文を無視した学説上の権威とか,判例の権威にめっぽう弱く,民法の条文に「あるものをない」といい,民法の条文,または,民法の体系からは肯定すべきでは「ないものをあるもの」という誤った議論に陥る傾向がみられる。したがって,わが国の民法学の最大の課題は,条文の立法理由に立ち返り,しかも,現代社会に適合する矛盾のない民法学の体系を構築することによって,このような傾向を打破していくことにあるといえよう。


Ⅳ 参考文献


[石田・物権的請求権(1986)]
石田喜久夫「物権的請求権について」『物権法拾遺』(1986)1頁以下

[伊藤・物権的返還請求権(1971)]
伊藤高義『物権的返還請求権序論-実体権的理解への疑問として-』(1971)

[大木・物権的請求権の消滅時効(1985)]
大木康「物権的請求権の消滅時効に関する覚書き-通説に対する疑問を中心として-」慶應義塾大学大学院法学研究科論文集22号(1985)155頁以下

[小川・物権的請求権(1985)]
小川保弘「物権的請求権に関する研究」『物権法研究』(1985)1頁以下

[於保・物権的請求権の本質(2000)]
於保不二雄「物権的請求権の本質」『民法著作集Ⅰ-財産法-』(2000)87頁以下

[加賀山・担保法(2009)]
加賀山茂『現代民法・担保法』信山社(2009/12)

[金山・物権的請求権(1962)]
金山正信「物権的請求権」同法69号(1962)1頁以下,70号48頁以下

[鎌野・妨害排除と自力救済(1993)]
鎌野邦樹「物権的請求権について-妨害排除と『自力救済』を中心に-」『高島平蔵教授古稀記念(民法学の新たな展開)』(1993)119頁以下

[川島・物権的請求権と責任(1937)]
川島武宜「物権的請求権に於ける『支配権』と『責任』の分化」法協55巻6号(1937)25頁以下,9号(1937)34頁以下,11号(1937)67頁以下

[川角・所有権と物権的請求権(1985,1986)]
川角由和「近代的所有権の基本的性格と物権的請求権との関係-その序論的考察-」九法50号(1985)61頁以下,51号(1986)27頁以下

[川角・ネガトリア責任(1996)]
川角由和「ネガトリア責任と金銭賠償責任との関係について-ドイツにおける判例分析を中心に-」『広中俊雄先生古稀祝賀論集(民事法秩序の生成と展開)』(1996)537頁以下

[川角・ヨホウ草案以降のネガトリア請求権(1999)]
川角由和「ヨホウ物権法草案以降におけるネガトリア請求権規定(1004条)形成史の探求-イミッシオーン規定(906条)との関連性を顧慮した覚え書き-」(1999)」『ドイツ民法典の編纂と法学』(1999)419頁以下

[川角・ピッカー『物権的妨害排除請求権』(2004-)]
川角由和「エドアルト・ピッカー著『物権的妨害排除請求権』-Eduard Picker, Der negatorische Beseitigungsanspruch-」龍谷法学37巻2号1頁以下,3号1頁以下,4号1頁以下,38巻1号1頁以下,4号165頁以下,39巻 2号107頁以下

[川角・物権的請求権の独自性(2006)]
川角由和「物権的請求権の独自性・序説-ヴィントシャイト請求権論の『光と影』-」原島重義先生傘寿(市民補学の歴史的・思想的展開)』(2006)397頁以下

[佐賀・物権的請求権(1984)]
佐賀徹哉「物権的請求権」星野英一編集代表『民法講座2』有斐閣(1984)15頁以下

[七戸・物権的請求権概念の推移(1987)]
七戸克彦「我が国における『物権的請求権』概念の推移-旧民法から現代民法に至るまで-」慶應義塾大学大学院法学研究科論文集25 号(1987)79頁以下

[鷹巣・所有権に基づく妨害排除請求権(2003)]
鷹巣信孝「所有権に基づく妨害排除請求権」『所有権と占有権-物権法の基礎理論-』(2003)57頁以下

[田島・物権的請求権の取扱(1939)]
田島順「物権的請求権の取扱」法叢40巻2号(1939)51頁以下

[田中・物権的請求権の拡張(1985)]
田中康博「物権的請求権の拡張」六高台論集32巻2号(1985)173頁以下

[田中・物権的請求権の責任要件(1988)]
田中康博「物権的請求権における『責任要件』について」六高台論集34巻4号(1988)123頁以下

[田中・物権的請求権の内容(1990)]
田中康博「所有権に基づく物権的請求権の請求権内容について」京都学園法学創刊号(1990)53頁以下

[玉樹・妨害除去請求権の機能(1982)]
玉樹智文「妨害除去請求権の機能に関する一考察-ドイツにおける議論を巡って-」『林良平先生還暦記念論文集(現代私法学の課題と展望)』中(1982)127頁以下

[道垣内・物権的請求権(2000)]
道垣内弘人「物権的請求権:『法と経済学』風」『石田喜久夫先生古稀記念(民法学の課題と展望)』日本評論社(2000)199頁以下

[納富・ソフィスト(2006)]
納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006/09)

[西村=古座・物権的請求権の相手方(2008)]
西村嶺裕=古座昭宏「物権的請求権の相手方」産大法学41巻1号(2008)39頁以下

[鳩山・物上請求権(1930)]
鳩山秀夫「所有権より生じる物上請求権」民法研究2巻(1930)117頁以下

[民法理由書(1987)]
広中俊雄『民法修正案(前三編)の理由書』有斐閣(1987)

[堀田・物権的請求権の再検討(1998,1999)]
堀田親臣「物権的請求権の再検討-成立要件という側面からの考察-」広法22巻2号(1998)161頁以下,3号(1999)61頁以下

[堀田・物権的請求権と費用負担(1999)]
堀田親臣「物権的請求権と費用負担の問題の一考察-自力救済との関係を中心に-」広法22巻4号(1999)207頁以下,23巻 1号(1999)141頁以下

[堀田・物権的請求権の共働原因(2000)]
堀田親臣「物権的請求権における共働原因と費用負担-ドイツ法における議論を中心に-」広法23巻4号(2000)165頁以下,24巻1号(1999)89頁以下

[堀田・物権的請求権と破産法(2001)]
堀田親臣「物権的請求権の破産法上の取り扱いに関する一考察-損害賠償請求権との対比を念頭に置いて-」広法24巻4号(2001)87頁以下,25巻1号(2001)27頁以下

[松岡・物権的請求権(2005)]
松岡久和「物権的請求権」『要件事実と民法学との対話』186頁以下

[三野・物権的請求権と請求権(1988)]
三野陽治「物権的請求権と請求権規範」洋法31巻1・2号(1988)1頁以下

[柳沢・ドイツ警察責任(2000)]
柳沢弘士「ドイツ警察責任法立法史管見」日法66巻3号(2000)481頁以下

[山田・引取請求権(1983)]
山田晟「物権的請求権としての『引取請求権』について」法学協会百周年記念論文集3巻(1983)1頁以下

[和田・妨害排除請求権の制限(1993)]

我妻=有泉・コンメンタール民法(2013)]
我妻栄=有泉享=清水誠=田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-』〔第3版〕日本評論社(20013/8/20)

和田真一「費用の過大さを理由とする妨害排除請求の制限-BGB251条2項の適用範囲論をめぐって-」立命225・226号(1993)27頁以下

妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則


妊娠中の女性の権利章典


  • 目次
    • Ⅰ 問題提起
      • 1. 問題の所在
      • 2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
    • Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官
      • 1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則
      • 2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合
    • Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)
      • 1. 母体保護法第14条とその問題点
      • 2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案
    • Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正
      • 1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性
      • 2. 嫡出推定から父子関係推定へ
      • 3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性
    • Ⅴ 結論および今後の展望
      • 1. 結論
        • A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性
        • B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
      • 2. 今後の課題
    • 参考文献

Ⅰ 問題提起


1. 問題の所在

2016年7月23日,京都寒梅舘で開催された民法学研究会において,高嶌英弘教授の報告「日本における生殖補助医療の現状と法的対応」を拝聴して,以下の3点に気づかされた。

  1. 生殖医療においては,子どもができない夫婦の利害をはじめ,生まれ来る子の福祉,医療を実施する医師の利害,社会の利害が複雑に絡み合っており,それらの利害関係を調整するには,利害関係人が納得できる優先順位を含めた法原理の創設が求められている(事実認識)
  2. 親族法における男女不平等の規定(嫡出の否認・承認)及び男女不平等の解釈(母の認知を認めないとする解釈)を放置しながら,生殖医療についての解釈論を積み重ねても,総合的な問題解決を実現することはおぼつかない(従来から気になっている点の再確認)。
  3. 生殖補助医療における主体は,医師でも,夫でも,出生すべき子でもなく,「子を産むことを決意した女性」であり,受精から子の出生の瞬間までの間(期間限定)においては,社会的法益よりも,夫の法益よりも,胎児の法益よりも,「懐胎(妊娠)した女の法益(自己決定の権利)」が優先すると解すべきである(「妊婦の権利章典」の発想)。

もちろん,妊娠期間の前と妊娠期間終了後,すなわち,子の懐胎に至るまで,および,それが完結して子が出生(誕生)してからは,すべての人の法の下の平等,個人の尊厳と,両性の本質的平等の観点が重視されなければならない。特に,子の福祉は,重要な問題である。

2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

それにもかかわらず,妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の自己決定権が何よりも優先されなければならないと考えるべきではないだろうか。

このことは,少子化の現状において,女性が子を産むことの決意する際の最大の障害となっていると思われる「不安」,すなわち,妊娠・出産に要する費用を用意できるか,妊娠中・出産後の子育てを含めて配偶者による十分な協力が得られるか,出産後の経済的な支援が十分に得られるかどうかなどの不安ばかりでなく,望まない妊娠や母体が危険となった場合に人工妊娠中絶が可能かという不安を解消するためにも重要な意味を有すると思われる。

妊娠期間中の妊婦の自己決定(幸福追求)の権利を尊重したうえで,社会が,必要最小限の費用を支援し,育児費用の一部を援助するならば,たとえ,配偶者からの全面的な協力が得られない場合でも,女性が子を産み育てるインセンティブを高めることができるように思われる。

確かに,犯罪行為(例えば,堕胎罪等)に対する社会のコントロールは及ぶべきであるが,夫の利益はもちろんのこと,胎児の利益も,妊婦の利益には,常に劣後するように法律関係を構成し解釈すべきだと思われる。すなわち,堕胎罪などの犯罪を除いては,妊婦自身がその妊娠の継続,および,中止について自己決定権を有すると解すべきであろう。

 時の
経過
 精子提供  卵子提供 受精 妊娠期間  出生
 状況  ・夫(AIH)
・AID
 ・妻
・代理母
 ・体内
・体外
胎芽→胎児  子の福祉
 原理  個人の尊厳,両性の本質的平等  女の利益(自己決定権)がすべてに優先する。男,胎児,社会の利益はそれに劣後する。
女の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先する(民法330条1項2文参照)。
 個人の尊厳,両性の本質的平等

代理母の議論において,「子宮を産む道具(機械)として利用することは認められない」という見解が主張されている。その見解はまさに正当であり,代理母が出生した子の引渡を拒絶した場合には,代理母の利益が依頼主の利益よりも優先されるべきである。そうであるならば,通常の婚姻の場合であっても,「妻の子宮を産む道具とみなすことは許されない」と考えるべきであろう。妊娠期間中においては,妊婦の権利(母体の保護,自己決定権)こそが,胎児や夫の権利や社会の利益よりも優先されるべきではあるまいか。

以上の点を考慮しつつ,法曹における男性偏重主義からの脱却,および,妊娠期間中の妊婦の権利章典,並びに,民法における男女不平等の規定とその改正の必要性について論じることにする。


Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官


1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則

夫である男は,精子を提供する役割を担うのが通常であるが,社会は男には甘い。自分で精子を提供できない場合でも,AIDと嫡出推定,嫡出承認の組み合わせによって,妻が産んだ子の父となることができる。自分で精子を提供できる場合でも,子の出生が夫のではなく,他の男の精子を使ったとわかれば,嫡出の否認もできる。要するに,男は,やりたい放題ができる。

性同一障害が認められて,生物的な女が法律上の男となった場合には,たとえ,精子を提供できる可能性がゼロの場合であっても,嫡出推定によって,配偶者である妻が産んだ子の父となることができる([羽生・性同一障害と民法772条(2015)]参照)。このことは,「女ならだめだが,男なら何でもあり」と言うに等しいように思われる。

最二判平25・12・10民集67巻9号1847頁
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻が婚姻中に懐胎した子は,民法772条の規定により夫の子と推定されるのであり,夫が妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に実質的に同条の推定を受けないということはできない。(補足意見及び反対意見がある。)

これに対して,妻である女は,卵子を提供し,かつ,約40週にわたる受精卵の養育と出産を義務づけられる。女は,たとえ,自分の卵子を提供したとしても,受精卵の養育と分娩ができなければ,母とは認められない(「腹を痛めない女は,母になれない」と言うに等しいように思われる)。

最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件)
女性が自己以外の女性の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し出産した場合においても,出生した子の母は,その子を懐胎し出産した女性であり,出生した子とその子を懐胎,出産していない女性との間には,その女性が卵子を提供していたとしても,母子関係の成立は認められない。(2につき補足意見がある。)

つまり,男は,自分の精子を提供しなくても,嫡出推定・嫡出承認によって父となることができるばかりでなく,自分の精子を提供していれば,認知によって,父となることができる。これに対して,妻は,卵子を提供したとしても,懐胎と分娩を経なければ,認知によって母となることはができない。民法の条文自体は,父と母とを平等に扱い,父も母も認知ができると規定している(民法779条)。それにもかかわらず,最高裁が母の認知を認めないのであるから,わが国の法曹が,いかに男女差別に鈍感であるかがわかる。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

なお,本稿では,代理母が妊娠した後の女性の自己決定の権利を取り扱うため,代理母を認めるべきかどうかについては直接には論じない。妊娠前の利害対立を調整する際には,広い意味での合意形成の考え方に基づくことが必要であり,したがって,女性の自己決定権だけが優先されるわけではなく,配偶子の提供者,代理母の依頼者,代理母,社会の利益を同等に考慮した上で,有効,無効,条件付き承認等の判断がなされなければならない(これらの問題を総合的に考察したものとして,[大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]参照。また,後に述べるように,凍結精子による懐胎の問題([西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁])についても同様の考慮が必要である)。

ところで,上記の代理母による実子の出生届不受理事件(向井亜紀さん事件)の場合には,代理母によって出生した子は,原告夫婦の嫡出子ではないと認定されている。そうであるならば,この事件の場合,出生した子は,民法789条2項の準正によって,原告夫婦の実子としての嫡出子となると考えるのが,民法2条(解釈基準)に従った解釈方法であろう。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

それにもかかわらず,最高裁は,父母が精子と卵子を提供した場合の代理母によって出生した子が父母の実子であることを否定している。このことは,男は精子を提供できなくても,父となること認め,精子を提供していれば,認知によって父となることができるのに対して,女は,たとえ,卵子を提供しても,分娩までしなければ,母となれないということを意味するのであり,明らかな男女差別である。

このように考えると,最高裁の裁判官は,民法2条(解釈の基準)をわきまえておらず,その結果,民法779条(認知)や民法789条(準正)の規定を無視していることが明らかであり,わが国の法曹には,男女平等の視点が欠落していることがよくわかる。

2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合

ところで,通説・判例は,代理母が子出産した場合でも,その子は,依頼者の養子としては認めているのだから,それでもよいのではないかとの反論がなされている。確かに,世界的な潮流においても,代理懐胎により子をもうけた場合,生まれた子の親は代理懐胎者とするのが判例および近時の立法提案の立場であり,また,依頼者夫婦との親子関係を養子縁組により確立する裁判例や立法提案もあるのが現状である[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)25頁]とされている。

しかしながら,現代においては,子の「出自を知る権利」が尊重されるべきことを考慮するならば,その子の産みの親(遺伝的な親)が誰であるか,育ての親が誰であるかは,子に開示すべき段階に入っていると考えるべきであろう([小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)40-46頁]参照)。

したがって,遺伝的な関係がない者の間で実子関係を認めたり,遺伝的な親子関係があるにもかかわらず,実子関係を否定することは,「出自を知る権利」の下では,破綻することが目に見えている。なぜなら,嘘は嘘を,誤魔化しは更なる誤魔化しを呼ぶことになり,際限のない嘘の上塗りを重ねることになって,結局,法に対する市民の信頼を失墜させることは,これまでの経験から明らかだからである。

嫡出子には,養子も含まれるが,実子と養子との違いは,遺伝子によって判別されるべきである。民法772条による嫡出の推定(実子関係の推定)は,あくまで,その場しのぎの推定に過ぎず,期間が限定されるとはいえ,遺伝子情報によって覆されうると考えるべきである(民法786条参照)。

第786条(認知に対する反対の事実の主張)
子その他の利害関係人は,認知に対して反対の事実を主張することができる。

したがって,代理母の問題に関しては,第1に,父母の精子と卵子を利用して出生した子は,後に述べるように,代理母が依頼主への引渡を拒絶した場合には,代理母が養母となり,したがって,精子と卵子の提供者としての父母は,出生した実子を代理母に養子として手放すことを強制されると考えるべきである。これに対して,第2に,代理母の卵子を利用した出生した子は,代理母が実の母であり,依頼主の夫の精子を利用した場合には,子は,父の実子(いわゆる婚外子)であり,第三者の精子を利用した場合と同様に,依頼主は養親となることができると考えるべきである。

そのような前提の下でのみ,代理母の契約は有効であり,代理母が最後まで,任意に契約を履行した場合にのみ,依頼主である配偶者は,子を実子として届け出ることが可能となると考えるべきであろう。


Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)


妊娠期間中の権利関係は,法益が交錯する複雑な様相を呈する。その場合に,誰の利益を優先するかについて,明確な基準がなければ,錯綜する利害を調整することは困難である。

妊娠期間中の法律関係は,受精卵を胎児として成長させ,出生に至るプロセスを遂行できる妊婦だけである。したがって,妊娠期間中の法律関係は,「妊婦の権利」を最優先する必要がある。

1. 母体保護法第14条とその問題点

受精卵を育てるかどうか,胎児を育てるかどうか,出生させるかどうかは,そのプロセスごとに,妊婦の自己決定に委ねられる。受精卵を育てることを拒絶すれば,医師による人工中絶を求めることができる。配偶者がいる場合には,母体保護法第14条1項は,配偶者の同意が必要としているが,理論的には配偶者の同意は必要ではない。同法14条2項が,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときは,本人の同意だけで足りるとしているのがその根拠の一つである。夫(配偶者)は,妻(妊婦)の意向を尊重すべきであり,同条文の規定とは異なり,夫(配偶者)の同意は不要というべきであろう。

母体保護法 第14条(医師の認定による人工妊娠中絶)
①都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一  妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二  暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
②前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案

妊娠した女性の権利を考える場合には,考えたくないかもしれないが,第1に,男の最も恥ずべき行為としての強姦から議論を始め,第2に,夫が妊娠後に死亡した場合を考察し,第3に,夫の経済力が極端に乏しい場合へと議論を展開していくのがよいと思われる。

第1に,強姦されて,意にそまない妊娠をした場合には,妊娠した女性の権利(自己決定権)が最優先されるべきことについては,大方の理解を得られると思われるのであり,配偶者の同意は要しないと思われる。

母体保護法第14条第1項第2号は,配偶者の同意を得ることを要件としているが,この場合も,たとえ配偶者が同意しなくても,本人が望めば,人工妊娠中絶を認めるべきであろう。配偶者の同意は,強姦の確認の意味を有するに過ぎないと考えるべきだからである。したがって,立法論的には,母体保護法第14条第1項規定中,「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと変更すべきである

第2に,母体保護法14条第2項は,上記の修正を行えば不要となるが,念のために,論じておく。

まず,配偶者が妊娠後に亡くなった場合であるが,二人で協力して子育てをするつもりが,一人で子育てをすることができなくなった場合には,妊娠した女性の自己決定権が尊重されるべきである。この場合の考慮事項は,母体保護だけではありえない。妊娠した女性にとって,妊娠を継続する前提として,生まれるべき子が愛する人(配偶者)の子であること,配偶者が子育てに協力してくれること,配偶者から経済的な支援が得れられることを条件とすることを否定すべきではない。民法752条(同居,協力及び扶助義務)が,婚姻の効力として協力・扶助義務を規定していることからも,これらの効力が失われた場合には,母体保護とは無関係に,妊娠した女性の権利(自己決定権)が尊重されるべきである。

次に,以上のことは,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないときについても,同様に考えることができる。

第3に,配偶者の経済力が極端に乏しく,妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合(母体保護法第14条第1項)について考察する。

この規定(母体保護法第14条第1項第1号)が,わが国において,人工妊娠中絶の濫用,または,中絶天国という悪評を生じさせていることは事実である。しかし,妊娠期間中の法律関係において,妊娠を継続するか継続しないかを決定する主体は,妊娠した女性であることを再度確認する必要がある。女の子宮を「産む機械」とさせないためにも,妊娠を継続するか,継続しないかを決定できるのは,妊娠した女だけであるからこそ,婚姻という契約が有効となるのと考えるべきであろう。

もしも,母体保護法第14条第1項第1号には該当しないが,ある男が,莫大な財産の相続税を軽減するという目的のために実子の数を増したいという目的だけのために女と婚姻して妊娠させた場合に,その目的を知った妻が妊娠の継続を拒絶することは認められるべきであろう。

このように考えると,妊娠期間中の法律関係の主体は,妊娠した女性であり,その自己決定権が,犯罪の構成要件に該当しない限り,最大限の尊重に値することが明らかとなったと思われる。

もっとも,妊娠中の女性の権利を最優先に考えるとすると,濫用が問題とならないかとの危惧が生じるかもしれない。例えば,凍結精子による懐胎も自由になるのではないとの危惧が生じるかもしれない([小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)],[西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁]参照)。しかし,この問題は,妊娠前の選択の問題であり,本稿で扱う,妊娠期間の女性の自己決定の問題ではない。つまり,凍結精子による懐胎については,代理母を認めるべきかどうかという判断と同様に,精子の提供者,社会の利益が凍結精子を利用する女性の権利と同等の価値をもって考慮されなければならないのであり,凍結精子の利用が許された範囲で,妊娠が始まった場合には,本稿で扱ったように,妊娠中の女性の権利が最優先されるとともに,生まれてくる子の出自を知る権利が尊重されなければならないと考える。


Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正


1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性

民法は,法律婚から生まれた子である「嫡出子」と,法律婚の以外から生まれた子である「嫡出でない子」を区別している(民法790条(子の氏))。

第791条(子の氏の変更)
①子が父又は母と氏を異にする場合には,子は,家庭裁判所の許可を得て,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父又は母の氏を称することができる。
②父又は母が氏を改めたことにより子が父母と氏を異にする場合には,子は,父母の婚姻中に限り,前項の許可を得ないで,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父母の氏を称することができる。
③子が15歳未満であるときは,その法定代理人が,これに代わって,前2項の行為をすることができる。
④前3項の規定により氏を改めた未成年の子は,成年に達した時から1年以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,従前の氏に復することができる。

しかし,子の氏の問題は,家庭裁判所の許可を得て(民法790条1項),または,家庭裁判所の許可を得ずに(民法790条2項,5項)に氏を変更できるため,大きな問題は生じない。

嫡出子と嫡出でない子の効果の違いは,法定相続分の違いであり,嫡出でない子の法定相分は,嫡出子の半分であった(民法旧900条)。しかし,平成25(2013)年9月4日の最高裁大法廷決定によって,「民法第900条第4号但し書きのうち,嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分は憲法違反である」との判断が下された。これを受けて,平成25(2013)年12月5日,民法の一部を改正する法律が成立し,嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になった(平成25(2013)年12月11日公布・施行)。

旧第900条(法定相続分)
同順位の相続人が数人あるときは,その相続分は,次の各号の定めるところによる。
一 子及び配偶者が相続人であるときは,子の相続分及び配偶者の相続分は,各2分の1とする。
二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは,配偶者の相続分は,3分の2とし,直系尊属の相続分は,3分の1とする。
三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者の相続分は,4分の3とし,兄弟姉妹の相続分は,4分の1とする。
四 子,直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは,各自の相続分は,相等しいものとする。ただし,嫡出でない子の相続分は,嫡出である子の相続分の2分の1とし,父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は,父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

このようにして,2013年12月6日以降は,嫡出子であることと嫡出でない子であることの実質的な効力の違いであった相続分の違いが解消されたのであるから,現在においては,嫡出子と嫡出でない子とを区別する実益も解消されたといってよい([二宮=棚村=水野=窪田「親子法のあり方」(2015)14-16頁]参照)。

2. 嫡出推定から父子関係推定へ

そのような観点から現行法の体系を見直してみると,現行民法が「嫡出」の用語を用いている場合というのは,法律婚上の夫婦の実子(民法772条(嫡出の推定)~778条),または,その養子(民法809条)という意味で使われていることがわかる。

しかし,嫡出の推定は,婚姻関係にある夫婦とその下で生まれた子との間の実親子関係を推定するものであり,実子にも養子にも当てはまるため,実子かどうかを特定できないあいまいな用語を用いる必要性はなく,嫡出という概念は,夫婦と子との間の実親子関係,または,養親子関係というように,実子と養子とを区別する用語を用いることが有用であることが明らかである。

もっとも,実子と養子とを同列に考えるという視点からは,嫡出子という言葉は有用である。しかし,民法制定以来,2013年の最高裁の大法廷決定を契機として民法900条第4号の但し書き部分が削除されるまでは,嫡出子と嫡出でない子の間の差別は長きにわたって存続していたのであり,嫡出子と嫡出でない子の差別を解消することが重要である。したがって,子の区別は,子の「出自を知る権利」を配慮して,「出生による実子」と「契約による養子」とを区別するにとどめ,嫡出子と嫡出でない子の間の区別は除去することが重要であると思われる。

そのように考えると,現民法において「嫡出」という用語が用いられている条文は,すべて,実子若しくは実親子関係,養子又は養親子関係という明確な明確な用語によって,読み替えることが可能となることがわかる。

しかも,その読み替えに際して,男女差別を廃するような読み替えを行うと,該当条文は,以下のように,男女差別がなく,しかも,内容が明確であり,子の「出自を知る権利」にも資する条文へと生まれ変わることが分かる。

第772条(嫡出の推定)
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。
②婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

第772条実親子関係の推定)改正(加賀山)私案
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫子と推定する。
②婚姻の成立の日から280日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から280日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

もっとも,この条文は,内縁や事実婚の場合には,実子関係の推定規定としては利用できないばかりか,法律婚においても,いわゆる「できちゃった婚」の場合にも,嫡出子としての出生届を認める現状においては,ほとんど意味を失っている。

したがって,民法772条2項の規定は,婚姻の成立の日を憲法第24条第1項に合わせて,婚姻の合意の日(プロポーズが受け入れられた日)からとするか,同棲の日からとするか,いずれかの日と解釈することが必要であろう。

3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性

先にも述べたように,現行民法は,嫡出の推定,嫡出の承認において,夫の権利と妻の権利を不当に差別しており,両性の本質的平等の見地に立ち返って,「夫は」という規定を「夫又は妻は」へと改正すべきである。

また,現行民法は,認知について,男女を平等に扱っているにもかかわらず,通説・判例は,分娩の事実を尊重するあまり,妻の認知を無視するに至っており,民法2条に従って,解釈の変更が必要である。

第774条(嫡出の否認)
第772条〔嫡出の推定〕の場合において,夫は,子が嫡出であることを否認することができる。

第774条実親子関係の否認)改正(加賀山)私案
第772条〔実親子関係の推定〕の場合において,夫又は妻は,子が夫婦の実子であることを否認することができる。

第775条(嫡出否認の訴え)
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第775条実親子関係否認の訴え)改正(加賀山)私案
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母又は夫に対する実親子関係否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第776条(嫡出の承認)
夫は,子の出生後において,その嫡出であることを承認したときは,その否認権を失う。

第776条(嫡出の承認)改正(加賀山)私案
又は妻は,子の出生後において,その実親子関係を承認したときは,その否認権を失う。

男女平等の観点からは,このような改正がなされるべきであるが,否認と承認とは,単に肯定と否定の関係にあるだけなので,嫡出の否認の制度があれば,嫡出承認の制度は不要であり,理論的には,民法776条を削除することが可能である([木村・認知無効の取消し(2015)76頁参照])。

第777条(嫡出否認の訴えの出訴期間1)
嫡出否認の訴えは,夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第777条実親子関係否認の訴えの出訴期間1)改正(加賀山)私案
実親子関係否認の訴えは,夫又は妻が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第778条〔嫡出否認の訴えの出訴期間2〕
夫が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫が子の出生を知った時から起算する。

第778条実親子関係否認の訴えの出訴期間2〕改正(加賀山)私案
又は妻が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫又は妻が子の出生を知った時から起算する。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第779条(認知)改正(加賀山)私案
夫婦の実親子関係が推定されない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第789条(準正)改正(加賀山)私案
①父又は母が認知した子は,その父母の婚姻によって夫婦の実子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,夫婦の実子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第790条(子の氏)
①嫡出子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
②嫡出でない子は,母の氏を称する。

第790条(子の氏)改正(加賀山)私案
①夫婦の実子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
夫婦の実親子関係が推定されない子は,母の氏を称する。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の嫡出である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)改正(加賀山)私案
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の実子である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第809条(嫡出子の身分の取得)
養子は,縁組の日から,養親の嫡出子の身分を取得する。

第809条夫婦の養子の身分の取得)改正(加賀山)私案
養子は,縁組の日から,養親の養子の身分を取得する。
②養子は,その性質に反しない限りで,実子と同一の権利義務を有する。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)
①養親となる者は,配偶者のある者でなければならない。
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の嫡出である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)改正(加賀山)私案
①養親となる者は,配偶者のある者であることを要しない
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の実子である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。


Ⅴ 結論および今後の展望


1. 結論

A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性

生殖補助医療が進展している現代においては,例えば,AIDにおいては,法律婚上の父と遺伝子上の父との分離が生じる。さらに,代理母については,サロゲートマザー(人工授精型)の場合には,法律上の父と遺伝子上の父の分離,さらに,法律上の母(代理母)と契約上の母(依頼主)との分離が生じるし,ホストマザー(体外受精型)の場合には,父の分離の問題は生じないものの,法律上の母(代理母)と遺伝子上の母(依頼主)との分離が生じる。

このような現状においては,生殖補助医療に関する法の不備によって,利害関係者は,困難な問題に直面する。子の出自を知る権利を尊重するならば,実子関係は,遺伝子上の親子,法律上の親子関係は,民法の定めるところによる(民法2条に従って解釈を含む)ということになる。

例えば,AIDの場合には,生まれてくる子は,ドナーの実子であり,法律上の父は,民法の規定によって定めることにすべきである。厳格な要件の下に認められるべき代理出産の場合についても,生まれてくる子は,配偶子の提供者の実子であり,法律上の母は,通説・判例の解釈に従い,第1義的には代理母であるが,代理母が契約通りに任意に子の引渡を行えば,依頼主が法律上の母となると考えるべきである。この場合の現行法の解釈は,母による認知(民法780条)と準正(民法789条2項)の組合せによる。

現行民法の規定,および,通説・判例による解釈の問題点は,民法2条に従っていないことにある。たとえば,男であるパートナーは,自分の精子を提供てもしなくても,いずれの場合でも,嫡出の推定(民法772条),民法774条(嫡出否認),民法776条(嫡出の承認),779条(認知)を駆使すれば,法律上の父となることができる。ところが,女であるパートナーは,たとえ卵子を提供したとしても,分娩の事実がない限り,男のパートナーが使えるすべての法的手段を利用することができない。これが,不当な男女差別でなくて何であろうか。いずれの規定も,以下にのべる修正を行わない限り,憲法に違反して無効と考えるべきであろう。

男だけが使える上記の民法上の制度(法律上の推定,嫡出の否認,嫡出の承認,認知の制度)は,現代においては,男女差別の規定となっているばかりでなく,いずれも,機能不全に陥っており,以下に述べるように条文の改正,または,解釈の変更が必要である。

第1に,民法772条(嫡出の推定)は,相続において嫡出子と嫡出でない子の区別がなくなった現在において,「嫡出の推定」ではなく,「父子関係の推定」と改められるべきである。しかも,「婚姻の成立の日から200日を経過した後」という要件も,妊娠してから婚姻届を出す人が多い現状においては,ほとんど無意味となっている上に,200日には,科学的な根拠がない。また,「婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内」という要件についても,300日の科学的根拠がない上に,婚姻の成立から200日という計算と平仄を合わせていないために,妻の再婚機関の禁止(民法733条)という,男女差別の条文を生み出す原因になっている。このように,民法772条は,どの点をとっても,改正が必要である。

第2に,民法774条(嫡出の否認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…できる。」は,「夫又は妻は,…できる」と改正すべきである。
第3に,民法776条(嫡出の承認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…失う」は,「夫又は妻は,…失う」と改正されるか,嫡出の否認の規定があれば十分であるとして削除されるべきである。上記の第2と第3の改正によって,科学的な根拠なしに濫用されてきた民法772条(嫡出の推定)が,妻によっても覆すことができる法律上の推定に過ぎないことが明らかとなることが重要である。

第4に,民法779条(認知)は,条文の文言を尊重し,厳格な要件の下でみとめられるべき代理出産(ホストマザー方式)の場合に,卵子を提供したことを根拠にして,分娩をしない妻が認知する場合にも適用されるよう,最高裁の解釈(最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件))の変更をすることが必要である。

B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の母体の保護を前提にして,自己決定権が何よりも優先されなければならない。そして,女性の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先すると考えるべきである(民法330条1項2文参照)。

また,妊娠中は,妊娠した女性の母体の保護および自己決定権が何よりも尊重されるべきであるから,保体保護法第14条第1項の「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと修正されるべきであり,第2項は,確認規定に過ぎず,理論上は不要となる。

2. 今後の課題

生殖補助医療は,子を産み育てたいと願う婚姻カップルが有する幸福追求を科学的にサポートする制度であり,わが国で進行している少子化の問題を解決するものの一つとして,尊重すべきである。そのためにも,民法,および,その解釈は,民法2条に規定されている「個人の尊厳と両性の本質的な平等」に立ち返って行う必要がある。結論で示した上記の提言は,いずれも,民法2条の基本原則に立ち返ったものに過ぎない。

本稿では,妊娠以後,特に,生殖補助医療が実施された後の女性の権利の優先的な地位を明らかにすることに焦点を当てて論じたが,この前提となる,生殖補助医療の有効要件を明らかにすることは,今後の課題である([大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]が参考になる])。今後は,生殖補助医療の利害関係者である,妊娠の主体となる女性(代理母を含む),配偶子(精子・卵子)のドナー,遺伝的なつながりのない子どもを育てるパートナー,生まれてくる子どもたち,医師,社会の利益を考慮しつつ,厳格な実施要件を定める方法と立法上の提言を行うことにしたい。


参考文献


[江口・妊娠中絶の生命倫理(2011)]
江口 聡(編・監訳)『妊娠中絶の生命倫理-哲学者たちは何を議論したか』勁草書房 (2011/10/11)

[大野・代理出産(2009)]
大野 和基『代理出産―生殖ビジネスと命の尊厳 』集英社新書(2009/5/15)

[木村・認知無効の取消し(2015)]
木村 敦子「任意認知者による認知無効の取消し」法律時報87巻11号(2015/11)71-78頁

[小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)]
小池 泰「AIDにおける子の出自を知る権利」法律時報87巻11号(2015/11)40-46頁

[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]
小林 亜津子『生殖医療はヒトを幸せにするのか-生命倫理から考える』光文社新書(2014/3/18)

[角田・性と法律(2013)]
角田 由紀子『性と法律 ―変わったこと・変えたいこと』岩波新書(2013/12/21)

[西・凍結精子による懐胎(2015)]
西 希代子「凍結精子による懐胎」法律時報87巻11号(2015/11)32-39頁

[二宮=棚村=水野=窪田・親子法のあり方(2015)]
二宮周平=棚村政行=水野紀子=窪間充見「[座談会]親子法のあり方を求めて」法律時報87巻11号(2015/11)4-24頁

[ノーグレン・中絶と避妊の政治学(2008)]
ティアナ ノーグレン(岩本 美砂子他 (訳))『中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策』青木書店 (2008/08)

[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)]
幡野 弘樹「代理懐胎と親子関係-ヨーロッパ人権裁判所判決とフランス法を参照しつつ」法律時報87巻11号(2015/11)24-31頁

[羽生・性同一障害と民法772条(2015)]
羽生 香織「性同一性障害を理由とする性別の変更と民法772条」法律時報87巻11号(2015/11)63-70頁

[山根・産む産まないは女の権利か(2004)]
山根 純佳『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』勁草書房(2004/8)

[米本他・優生学と人間社会(2000)]
米本 昌平=ぬで島 次郎=松原 洋=市野川 容孝『優生学と人間社会』 講談社現代新書(2000/7/19)

保証・連帯債務の本質から見た民法学の腐敗の一斑


保証の本質から見た民法改正案の問題点
-民法学における腐敗の構造の一斑-


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • 1.設例による問題
      • 2.連帯債務の定義における矛盾と民法学の腐敗
        • (1)通説の第1の誤り
        • (2)通説の第2の誤り
        • (3)いつまでも通説の誤りを正すことができない民法学の腐敗
      • 3.連帯債務に関する通説の失敗の原因の解明と解決の方法
        • (1)通説が誤りに陥っている原因 -連帯債務に付従性はない? -
        • (2)通説の再生のための道筋 -相互保証理論によるジレンマからの解放-
      • 4.通説からの相互保証理論に対する批判とその反論(再評価)
    • Ⅱ 保証の本質に関する民法学の腐敗
      • 1.物上保証と保証は債務か,債務のない責任か?
      • 2.保証の定義における矛盾とは何か?
      • 3.保証人の弁済は,主たる債務を消滅させるか?
      • 4.保証契約は,無償かつ片務の契約か?保証人保護の理由は何か?
    • Ⅲ 民法改正案の問題点
      • 1.保証契約の性質に関する理解不足
      • 2.保証の付従性の確保の失敗
      • 3.保証人の補充性の確保の失敗
      • 4.債権者の担保保存義務の強化の失敗
      • 5.経営者保証は会社の有限責任と矛盾する
    • Ⅳ 結論
      • 1.連帯債務と保証に関する学説は,民法学における腐敗の構造の典型例である
      • 2.保証の性質と保証人による弁済の効果
        • (1) 保証契約は,債務者と保証人との間で締結される「第三者(債権者)のためにする契約」(民法537条)である
        • (2) 保証契約の内容は,「保証人による債務の履行の引受け」であり,保証人が負うのは,「債務のない責任」である
        • (3) 保証人の弁済によって求償権が生じ,債権は,消滅せず,保証人に移転する
      • 3.保証契約の公序良俗違反性
      • 4.連帯債務の性質
      • 5.連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの基準
      • 6.保証人と連帯債務者の求償権の性質
      • 7.民法改正案の失敗の原因と廃案の必要性
    • 参考文献

Ⅰ 問題の所在


1.設例による問題

本稿の問題提起として,読者に以下のような問題を実際に解いてもらうことから始めてみたい。

(なお,問題を解くのが苦手な人は,【問題】の部分を読み飛ばしてもらっても差し支えない。また,論文を読んでいて,気分が悪くなった人は,論文を読むのを直ちに中止すべきである。加賀山の論文は,刺激が強すぎるため,読んでいて吐き気を催す人があるので,予め注意を促しておく)。


【問題】
以下の記述は,有斐閣『法律学小辞典』〔第4版補訂版〕における「連帯債務」の項目の最初の記述(定義)である。問題を鮮明にするために,この記述の後に具体例を当てはめて,わかりやすくパラフレーズしている。以下の文章をよく読んで,そこに矛盾または誤りがあるかどうかを検討し,矛盾または誤りがあれば,それをすべて指摘しなさい。


〔連帯債務の意義〕
複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務を連帯債務という。

〔具体例によるパラフレーズ〕
連帯債務とは,例えば,債権者(X)から,Y1が300万円を借り,Y2が200万円を借り,Y3が100万円を借りて,Y1 ,Y2,Y3 が,Xに対して連帯して債務を負うことを約した場合に,「複数の債務者(Y1,Y2,Y3)は,同一内容の給付(600万円の支払い)について,それぞれ独立に債権者(X)に対して全部(600万円)の給付をする債務を負い,その中の一人(例えばY1 )が(600万円)弁済すれば,他の者(Y2,,Y3)も債務を免れるという多数当事者の債務」である。


読者のうち,この「間違い探し」の問題を解くことができる人は何人いるのであろうか。私は,民法を長く勉強した人ほど,この問題を解くことができず,反対に,民法以外の学問分野を修めた人は,割と容易にこの問題を解くことができるのではないかと予想している。

2.連帯債務の定義における矛盾と民法学の腐敗

筆者の見解によれば,連帯債務の性質・定義に関する民法学の通説の誤りは,以下の2点である。

(1)通説の第1の誤り

第1は,通説が,連帯債務者はそれぞれ「独立に」債権者に対して「全部の給付義務を負う」としている点にある。

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独立の意味は,一つがなくなっても他には影響が及ばず,かつ,金額の合計は足し算によって求められるということである。

ところが,具体例の場合,それぞれの連帯債務の額は600万円であるが,連帯債務の総額は,600万円×3=1,800万円ではなく,600万円である。そうだとすると,「それぞれ独立に…全部の給付義務を負う」という記述は誤りであるということになる。

通説の考え方は,1+1=1としているのに等しいことに気づくべきである。通説の中には,これを「連帯債務における給付の一倍額性」という名称までつけて,正当化しようとしている(尾崎三芳「連帯債務・不真正連帯債務」(1985)212頁,近江幸治『債権総論』(2005)180頁)。しかし,この考え方も,1×2=1(正確には,連帯債務額:S,連帯債務者の人数:n>1のとき,S×n=S)とするものであり,誤りである。

後に詳しく述べるように,この答えは,1+1=1でも,1×2=1でもなく,正解は,1+0=1である(正確には,連帯債務者の負担部分がP1 ,P2,…,Pnのとき,連帯債務の総額S = ΣPn + 0 である)。

(2)通説の第2の誤り

第2は,通説が,「一人が弁済すれば,他の者も債務を免れる」としている点にある。

連帯債務者の一人であるY1 が,連帯債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,Y1 は,Y2に対して200万円,Y3に対して100万円を求償請求できる(民法442条)。したがって,他の債務者Y2,Y3は,Y1に対して求償に応じなければならない。

この場合における,Y2,Y3の求償に応じる義務とは,何であろうか。通説は,連帯債務の内部関係から生じるものであり,外部関係としては,債権は,すでに消滅していると考えている。

しかし,それは誤りである。なぜなら,弁済者の求償権を確保するために,弁済者は,「自己の権利に基づいて求償をすることができる範囲内において,債権の効力及び担保としてその債権者が有していた一切の権利を行使することができる」(民法501条)と規定しており,求償権の範囲で,債権は消滅することなく,Y1に移転しており,Y1のY2,および,Y3に対する請求は,Y1がXに代わって,Xの債権を行使するものだからである。

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つまり,連帯債務者間の求償問題に関する正解は,Y1のY2に対する200万円の請求,および,Y1 のY3に対する請求は,消滅せずに残存する300万円の債権について,債権者に代位したY1が,債権者の立場に代位して,本来の債務の弁済として,Y2 ,Y3に対して,それぞれ,200万円,100万円を請求できるというものである。これは,債権者に基づく連帯債務者への主たる債権に基づく請求であるから,単なる連帯債務者間の内部関係とはいえない。

したがって,連帯債務の定義は,以下のように改正すべきであろう。

〔正解としての連帯債務の定義〕

複数の債務者が各自の債務(負担部分)に加えて,他の債務者の債務を相互に連帯保証(保証部分)することが,契約によって,または,法律の規定によって義務づけられているために,各債務者のそれぞれが,負担部分と保証部分の合計額を債権者に対して弁済する責任を負う多数当事者の債権・債務関係を連帯債務という。

連帯債務の債務者の一人が自己の負担部分のみを弁済した場合には,他の連帯債務者の当該債務者に対する保証部分は付従性によって消滅する。さらに,自己の負担部分を越えて弁済した場合には,その他の連帯債務者に対して,その負担部分に応じて,債権者に代位して求償することができる。

(3)いつまでも通説の誤りを正すことができない民法学の腐敗

このような結論は,いずれも,求償に関する明文の規定(422条)および,民法500条以下の弁済による代位の規定に従って導き出されているのであるから,通説も,この結論を覆すことはできない。

それにもかかわらず,通説が,「各連帯債務者は,独立して連帯債務額を負担するが,一人が全額を弁済すると他の連帯債務者も債務を免れる(『有斐閣・法律学小辞典』)」という記述を訂正せずに使い続けており,ほとんどの民法学者(内田貴,近江幸治,奥田昌道,潮見佳男,高橋眞,椿寿夫,円谷峻,中田裕康,前田達明など)がそれを鵜呑みにしている現状は,民法学の腐敗といわざるをえない。

3.連帯債務に関する通説の失敗の原因の解明と解決の方法

(1)通説が誤りに陥っている原因 -連帯債務に付従性はない?

このような基本的な誤りが通説として通用してきた理由は何か。その原因は,保証の性質にまでさかのぼる。

通説は,後に述べるように,保証を「債務のない責任」ではなく,「主たる債務とは別個・独立の保証債務」であると考えているばかりでなく,連帯債務は,「本来的な債務であり,保証債務とは異なり,主従の差はなく」,連帯債務には付従性は存在しないと考えている([平井・債権総論(1994)327,330頁],[淡路・債権総論(2002)342頁],[内田・民法Ⅲ(2005)374頁])。

そのことによって,通説は,連帯債務の総額が,それぞれ独立するはずの連帯債務者の連帯債務額の合計とはならない(足し算ができない)のはなぜなのかを説明することができず,さらに,連帯債務者の一人が自らの独立した連帯債務額を弁済すると,他の連帯債務者に影響が及ぶのか(民法440条には,弁済が絶対的効力を有することは規定されていない)も説明することができず,しかも,最終的には,一人の連帯債務者が連帯債務の総額を弁済すると,他の債務者が債務を免れるという誤った結論に陥っているのである。

(2)通説の再生のための道筋 -相互保証理論によるジレンマからの解放

このように破綻した通説を再生するには,出発点から見直す必要がある。連帯債務者は,求償を通じて,最初に負担した負担部分の債務しか,結果的には債務を負担しないのであり,連帯債務者の本来の債務は,負担部分であること,その他の部分は,他の連帯債務者に対する連帯保証であり,債務額の足し算からは免れていることから出発しなければならない。

なぜなら,そのように考えないと,連帯債務者の一人が,自己の負担部分を越えて弁済し,共通の免責を得た場合の求償の根拠は,債務の弁済からは導き出すことができないからであり,連帯債務の本質を本来の債務(負担部分)と連帯債務者の相互の連帯保証(保証部分)との結合であると考え(相互保証理論),かつ,連帯債務者の全額弁済を負担部分の弁済と保証部分の弁済との二つの部分に分けて考えることによってはじめて,以下の三つの謎が解明されるからである。

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第1に,連帯債務の合計額が600万円になる理由は,債務の額は,負担部分だけの合計であり,連帯保証部分は,保証が本来の債務ではないからである。つまり,合計額の計算式は,600×3=1,800ではなく,(300+0)+(200+0)+(100+0)=600となる。

第2に,連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済した場合(弁済と同様の効果が生じる相殺,更改,混同の場合も同様である)には,債務が消滅せず,負担部分を超えた金額の範囲で,債権が保証人に移転する理由は,民法442条,500条,501条の組合せによって明らかとなる。

第3に,連帯債務の絶対的効力のうち,負担部分についてのみ効力が生じる(無効・取消,免除,消滅時効)は,すべて,負担部分の無効・消滅による連帯保証部分の付従性に基づく無効・消滅として,論理必然的に説明できる。

第4に,請求の絶対的効力も,民法457条(主たる債務者について生じた事由の効力)第1項が,「主たる債務者に対する履行の請求その他の事由による時効の中断は,保証人に対しても,その効力を生じる」を準用することによって説明が可能となる。ただし,保証の規定を連帯債務に準用する場合には,「主たる債務者に対する履行の請求」は,「連帯債務者の一人の負担部分に対する請求」へと,「保証人に対して」は,「他の連帯債務者に対して」へとパラフレーズされるため,連帯債務の履行の請求は,請求を行った連帯債務者の負担部分にしか効力を生じない。したがって,現行民法434条(連帯債務者の一人に対する履行の請求)が,連帯債務全体について時効を中断すると解されているのは行き過ぎであり,それを理由に,民法改正案が,この規定を削除しようとしているのは,誤解に誤解を重ねて,二重に誤りを犯していることになり,いずれも妥当ではない。

このように,連帯債務に関する通説は,定義・性質論から始まり,連帯債務者の一人に生じた問題と求償の関係に至るまで,すべて論理破綻しており,反対に,連帯債務に関する相互保証理論は,連帯債務のすべての問題を整合的に解決できる理論であることが明らかとなったと思われる。

4.通説からの相互保証理論に対する批判とその反論(再評価)

それにもかかわらず,通説が相互保証理論の採用をためらってきた理由はどこにあるのだろうか。それは,連帯債務は,債務であり,連帯保証などの保証とは,性質が全く異なるというかたくなな考え方に固執しているからである。

椿説,淡路説,平井説に代表されるように,相互保証理論を理解していると自認している学説でさえ,連帯債務は債務であって,保証とは異なり付従性は存在しないとしており,実は,相互保証理論のイロハも理解していないことがよくわかる。

なお,相互保証理論の提唱者である中島玉吉(従来は,相互保証理論の提唱者は,山中康雄とされていたが,成田博『連帯債務論攷』日本評論社(2015)1~37頁によって,相互保証理論の提唱者は,中島玉吉([中島・連帯債務(1911)1頁以下],[中島・連帯債務再論(1911)1621頁以下])にまでさかのぼることが論証されている)と通説を代表する石坂音四郎([石坂・中島第一批判(1911)],[石坂・中島第二批判(1911)])との間の激しい論争については,上記の成田博『連帯債務論攷』に詳細に紹介されており,議論の分析も的確であるので,そこに譲り,ここでは取り上げない。

ここでは,相互保証理論を理解したと称しつつ,相互保証理論を批判する代表的な学説である平井説([平井・債権総論(1994)327,330頁])を取り上げ,この批判に反論しておく。平井説による相互保証理論に対する批判の概要は以下の通りである。

〔保証と異なり〕連帯債務においては,複数の債務の間に主従の別(付従性)が存在せず,各自が同一内容の独立の債務を負担しているにとどまる(327頁)。

〔相互保証〕説はきわめて明快であり,連帯債務を対人担保の側面において理解しようとする本書の立場の理論的根拠となるものではあるけれども,負担部分を基礎とした効果を生じる場合以外の場合(435条〔更改〕,438条〔混同:民法438条によって弁済をしたものとみなされる〕についての説明に窮する(330頁)。

なお,[淡路・債権総論(2002)342頁],[内田・民法Ⅲ(2005)374頁]も平井説に賛成し,「この考え方〔相互保証理論〕は明快で理解しやすいが,請求の絶対効などはうまく説明できない」とし,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すことは困難である」との平井説に賛同している。

しかしながら,通説からの相互保証理論に対する批判は,上記で明らかなように,相互保証理論が,本来の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合であり,したがって,負担部分の無効・消滅は,「付従性」によって保証部分の無効・消滅を導くという,相互保証理論の出発点,および,理論の中核部分を理解せずに批判を加えており,全くの的外れである。

しかも,先に述べたように,弁済の絶対的効力(更改,混同の絶対的効力も同じ)を,債権が消滅しないことを含めて,求償関係の法理まで,きちんと説明できるのは,相互保証理論だけである[深川・相互保証理論の再評価(2014)357-391頁] 。通説は,このことに,全く気づいていない。

法律学にも,学問的独自性は必要であるが,「独立」とか「従属」とかいう基本的な用語については,他の学問分野(特に,論理学と数学)の学者にも理解できるような用語法を採用すべきである。もしも,「独立」という用語を使いながら,他に影響を及ぼすことがあり,しかも,合計が足し算によって求められない(1+1=1)というときは,法律学の理論自体が誤っていることに気づくべきであろう。

わが国において,連帯債務に関する研究を発展させた代表的学者は椿寿夫,および,淡路剛久であると評価されている([尾崎・連帯・不真正連帯債務(1985)207頁])。しかし,椿,および,淡路は,連帯債務の個数と独立性について,以下のように述べており([尾崎・連帯・不真正連帯債務(1985)213-214頁]),私は,このことが,わが国の連帯債務論の出発点に誤り(1+1=1)をもたらしたと考えている。

だいたい個数論などというものは,どちらとみたほうが連帯債務の諸現象を無難に説けるか,というくらいの意味しかない([椿・多数当事者の債権(1965)51頁])。

この個数論は,連帯債務概念を無意識のうちに実体化したため生じた問題であり,債務の個数など全く問題にする必要がない([淡路・連帯債務(1975)3-4頁,8頁] )。

さらに言えば,相互保証理論に対する通説の批判,すなわち,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すことは困難である」という言明は,民法学の学説が陥りがちな「論理的に説明できないが,法律学とはそういうものだ」という考え方の典型例であって,きちんと反論しておく必要があろう。

確かに,すべての問題について論理的・演繹的な説明が成功するとは限らないが,相互保証理論は,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すこと」に成功した稀有の例であり,通説がこれを十分に理解することなしに非難するとすれば,それは,通説が,学問的探究を放棄していることを意味する。椿,淡路,平井等の上記批判こそが,民法学が腐敗に向かう傾向の一斑を示しているといえよう。


Ⅱ 保証の本質に関する民法学の腐敗


1.物上保証と保証は債務か,債務のない責任か?

通常の保証の性質について考察する前に,「債務のない責任」とされている物上保証(民法351条)について,概観しておく。

通説に従った解説の代表例である,『有斐閣・法律学小事典』によれば,物上保証の性質は,以下のように記述されている。

自己所有の財産を他人の債務の担保に供することを物上保証といい,これをした者を物上保証人という。例えば,他人の債務のために,自己所有の財産の上に抵当権を設定するなどである。

物上保証人は保証人と違って債務を負わず,単に担保に提供した財産に対し担保権が実行されるのを甘受する責任を負担するにすぎない。

したがって,債権者は物上保証人に対し,担保物によって弁済されなかった残余の債務の弁済の請求はもちろんのこと,債務自体について履行の請求等はできない。

しかし,物上保証人は,実質的には保証人と同様な地位に立つ ので,担保権が実行され又は債務者に代わって弁済したときは,保証人と同様の求償権を取得する〔民351・372〕。

以上の『有斐閣・法律学小辞典』の記述の問題点は,物上保証は,「債務のない責任」であることを明確に述べつつ,「物上保証人は,実質的には保証人と同様な立場に立つ」としているものの,どの点が同じなのかを明確に述べていない点にある。

物上保証人も,担保に提供した物によって,債務の弁済を行うのであり,だからこそ,債権者の債権は,その額の範囲で満足を受け,したがって,物上保証人は,その額の範囲で,債務者に求償権を有するのである。

そうだとすると,物上保証人も,提供した担保が執行されることによって,間接的にせよ,弁済を行っている。したがって,債権者は,物上保証人に対して「債務自体について履行の請求ができない」というのは,実体を無視していると言わざるをえない。なぜなら,債権者は,物上保証人に対して,債務を弁済する目的で物的担保の提供を受け,それに対して,債務の弁済を受ける目的で履行を強制し,換価し,配当金から債務の弁済を受けるのであるから,実質的には,担保権の実行を通じて,債務の弁済を強制できるといわなければならない。

つまり,物上保証人は,物上担保の実行を強制され,その実行によって債務の弁済をしているのであるから,物上保証の性質は,保証人が債務の弁済を履行する責任を有しているのと同様に,物上保証人も債務の履行を引き受けているということができる。つまり,物上保証と保証とは,その性質は,主たる債務とは別個の債務ではなく,求償ができる「主たる債務の間接的な履行の引受け(物上保証),または,直接的な履行の引き受け(通常保証)」であって,その実質は同じである。そして,両者の違いは,保証が無限責任であるのに対して,物上保証は,有限責任である点にあるに過ぎない。

このように考えると,『有斐閣・法律学小辞典』の記述は,物上保証人は,債務を負わない点で保証人とは異なるといいつつ,実質は,保証人と同じであるという点で,意味不明の記述となっており,物上保証の性質を正確には記述していない。

2.保証の定義における矛盾とは何か?

それでは,『有斐閣・法律学小辞典』は,保証債務については,正確な記述を行っているのであろうか?

辞典の記述を見る前に,保証に関する民法の冒頭条文(民法446条1項)を掲げて,民法が保証をどのように定義づけているのかの確認をしておこう。

第446条(保証人の責任等)
①保証人は,主たる債務者がその債務を履行しないときに,その履行をする責任を負う。

ここで重要なことは,「保証人は,その(主たる債務の)履行をする責任を負う」と規定している点である。すなわち,条文を素直に読めば,「保証人は,主たる債務について主たる債務者に代わって,主たる債務を履行する責任を負っている」,すなわち,「保証人は,主たる債務の履行引受けの責任を負っている」と規定していることがわかる。要するに,民法の条文からは,保証は,債務ではなく,物上保証人と同様,「債務のない責任」を負っていると読むことが可能である。

さて,『有斐閣・法律学小事典』によれば,保証は,物上保証とは異なり,債務のない責任ではなく,本来の債務であるとして,以下のような記述を行っている。

1 意義・機能

SがGに対して債務を負っている場合に,BとGとの間の契約で,もしSが債務を履行しないときにはSに代わってBがその履行をする旨の債務を負担することがある。

この場合のGに対するBの債務を保証債務といい〔民446~465の5〕,Sを主たる債務者,Bを保証人という。

保証は主たる債務を担保する債権担保の手段(人的担保)であり,抵当権などの物的担保と並んで頻繁に用いられる。

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しかし,保証債務の弁済が債務の履行であるとすると,債権者の債権は消滅するはずである。ところが,保証人が債務を弁済した場合には,債権者の債権は消滅せず,民法500条以下の規定によって,当然に保証人へと移転する。本来の債権が消滅せず,債権が保証人に移転するのであるから,保証人が独自の債務を負担するとはいえない。保証人が負担するのは,債務者に代わって本来の弁済するという負担,すなわち,「履行の引受責任」を負担しているに過ぎないと解すべきなのである。

2 付従性のない保証(損害担保契約)との比較

身元引受けのような損害担保契約における損害担保債務は保証債務と類似するが,前者においては,必ずしも主たる債務が存在しなくてもよい点で(例えば,被用者の身元保証の場合に,被用者が無過失のために使用者に対して損害賠償債務を負わない場合であっても,身元保証人が損害をてん補しなければならないことがある),後者と区別される。

保証は,損害担保契約等とは異なり,常に付従性を有する。付従性とは,本来の債務に従属するという意味であり,独立の債務ではないことを意味する。

ところで,債務者が破産し,破産手続きを経て免責されると,債務者は自由の身となる。ところが,保証の付従性(民法448条)によって保証人も免責されるというのが実体法としての民法の帰結であるが,以下の破産法第253条第2項によって,保証人の責任は,付従性のない債務へと劇的に変化すると解されている。

破産法 第253条 第2項
②免責許可の決定は,破産債権者が破産者の保証人その他破産者と共に債務を負担する者に対して有する権利及び破産者以外の者が破産債権者のために供した担保に影響を及ぼさない。

しかし,保証の性質は,民法448条に明確に規定されているように,主たる債務者の責任よりも重くなることはないのであり,このことが,保証契約を締結する際の前提事項であろう。債務者が破産した場合に,債務者が債務を負う限りは,保証人も責任を負うのは当然である。しかし,債務者が免責されても,保証人だけが責任を負担しなければならないとしたら,それは,契約の前提と矛盾しており,保証契約の錯誤無効をもたらすことになるのであって,破産法253条 第2項の規定は,実体法の原則に反するものとして無効と解するか,「影響を及ぼさない」という文言の意味を,保証契約の性質(付従性)に影響を及ぼさないと解すべきである。いずれにせよ,債務者が免責される以上は,当然に,保証人も免責されると解すべきであろう(加賀山・契約法講義(2007)377-379頁,加賀山・担保法(2009)151頁)。

3 成立

保証債務は保証人と債権者との間の契約によって生ずるのが普通である。主たる債務者との関係では,その者の委託を受けて保証人になること(受託保証人)が多いが,民法上は委託を必要としないし,その意思に反しても保証人になれる〔民462〕。

保証契約は,書面でしなければその効力を生じない〔民446<2>〕が,保証契約の内容が電磁的記録によってされたときは,書面によってされたものとみなされる〔民446<3>〕。

この記述も,実務を無視している。保証契約のほぼ100パーセントが,債務者と保証人間の保証委託契約によって成立している(実は,これが,「第三者のためにする保証契約」であり,これまで,保証契約とされてきた,債権者と保証人との間のやり取りは,第三者のためにする保証契約の受益の意思表示の書面化に過ぎない。保証契約の書面は,保証委託契約においてこそ,必要であると考えるべきである)。しかも,債権者と保証人との間で,直接契約交渉が行われることは,むしろ,まれであり,いわゆる保証委託契約の成立の証拠として,形式的に債権者と保証人との間で,形式的に締結されるに過ぎない。

従来は,保証契約とは,債権者と保証人との間でなされるとされてきたが,保証委託契約を抜きにした保証(委託のない保証)は,事前求償権が与えられないばかりか(民法460条参照),求償権が制限される(民法462条)など,保証人にとってきわめて不利な契約であり,このような契約を通常の保証人が行う意味は存在しない。したがって,委託のない保証は,債権者を不当に優遇する一方で,保証人の地位を著しく不利にするものでであり,特別の事情のない限り,虚偽表示として,無効と考えるべきであろう。

つまり,通常の保証契約とは,債務者と保証人との間で行わる,いわゆる保証委託契約であり,これこそが,第三者のためにする真正の保証契約と考えるべきである。

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そうすると,債権者と保証人との間で行われている保証契約とは,通説とは異なり,債務者と保証人との間で行われる第三者のためにする保証契約(真の保証契約)に対する,債権者の受益の意思表示を書面で明らかにしたものに過ぎないと考えるべきであろう。

4 効力

イ 保証債務は附従性をもつ。

すなわち,主たる債務の内容の変更に応じて,保証債務もその内容を変更し,主たる債務が無効であったり,消滅したりすると保証債務も無効,消滅を来す。また,保証債務は主たる債務より重い態様であってはならない〔民448〕。

保証債務が付従性を持つことについて,争いはない。しかし,そのことは,保証債務が主たる債務とは別個独立の債務であるとする通説の見解と矛盾することに気づかなければならない。

もしも,すべての人が保証に付従性を認めるのであれば,保証は,主たる債務から独立した債務ではないことを認めなければならない。そして,従たる債務とは,一体,どのような債務であるのかを,保証の冒頭条文,すなわち,民法446条1項に即して考えなければならない。

第446条(保証人の責任等)
①保証人は,主たる債務者がその債務を履行しないときに,その履行をする責任を負う。

民法446条を素直に読めば,保証人は,主たる債務を履行する責任を負うのであるから,保証も,「主たる債務について,債権者に対して『履行の引受け』をしたことによる責任」であると考えるべきである。

保証人は,債務者ではなく,第三者として,主たる債務の履行を引き受けているに過ぎない。第三者として履行を引き受けているからこそ,債権者に主たる債務の履行をしても,債務も債権も,ともに消滅せず,債務者に対する求償権の範囲で,債権は,自動的に,保証人へと移転するのである(民法500条以下)。

主たる債務が無効であったり,消滅すれば,「履行の引受け」としての保証も効力を失うのであり,それこそが,保証の付従性の意味である。主たる債務とは別個独立に保証債務が存在するといいつつ,保証債務に付従性があると認めるのは,矛盾以外のなにものでもないことに気づくべきである。

なお,保証人は主たる債務者がもつ抗弁権(時効の抗弁や同時履行の抗弁権など。取消権や解除権については争いがあるが,それが行使されるかどうか不確定の間は履行を拒絶できるとするのが通説)を主張できる。

先に述べたように,真の保証契約とは,債権者と保証人との間で締結される,委託を受けない保証契約ではなく,債務者と保証人との間で締結される,債権者のためにする保証契約であると解するならば,保証人のもつ抗弁権は,民法539条(債務者の抗弁)によって,学説ばかりでなく,明文の根拠を持つことになる。このように考えることによってこそ,保証人の保護の法理が明確となるのである。

ロ 保証債務は主たる債務に随伴する(随伴性)。

すなわち,主たる債務が移転されると,保証債務もこれとともに移転する。

保証には,付従性があると同時に,随伴性があるのは,保証が主たる債務の履行を引き受けているからである。主たる債務が消滅すれば,主たる債務の履行引受けの責任も消滅するのは,当然である。主たる債務が移転すれば,主たる債務の履行引受けの責任も移転するのが原則となる。

もしも,保証が,主たる債務とは別個独立の債務であるならば,付従性とは矛盾するし,随伴性についても,それを説明することはできないであろう。

保証の付従性と随伴性を説明できるのは,保証は,第三者による主たる債務の履行の引受けに基づく責任であり,主たる債務とは別個の保証債務という債務が存在するのではないことを認めなければならない。債務は,主たる債務ただ一つであり,保証債務という債務は実は存在しないのである。存在するのは,第三者による主たる債務の履行の引受けから生じる,債務のない責任のみである。

ハ 保証債務は補充性をもつ。

すなわち,主たる債務者が履行しない場合に,履行しなければならない義務である。したがって,保証人は,催告の抗弁権〔民452〕・検索の抗弁権〔民453〕をもつ。

しかし,連帯保証人はこれらの抗弁権をもたない〔民454〕。

保証が主たる債務に対して補充性を持つのは,付従性が理論上の必然的な結果であるのとも,随伴性が,実務上の要請に合致しているからでもなく,債権回収の手段として人のよい第三者に,「無償で無限責任を負担させる」という,保証契約が必然的に有する,「公序良俗違反性」を緩和するためのものである。

債務者以外の第三者に無償で無限責任を負わせるという制度は,そのままでは,公序良俗に違反して無効となる。保証契約が,かろうじて無効とならないのは,民法によって,保証人の求償権が確保されているからである。保証人がいったん弁済すると,求償権の確保は困難となる。したがって,保証人の求償権を確保するための最良の方法は,なるべく債務者に弁済させて,求償権の必要をなくすことであり(保証の補充性:民法452条~455条),事前求償権を認めて,弁済の前に求償権を確保することである(民法460条)。

したがって,求償権の確保を困難にする連帯保証は,民法454条の規定にもかかわらず,無償の保証人の責任をさらに強化するものであり,原則に立ち返って無効と考えるべきである。

もっとも,民法が規定している連帯保証の考え方そのものは,否定されるべき概念ではなく,例えば,連帯債務とか,民法719条の共同不法行為とかの場合のように,もともと債務を負っている者に対して,他の債務者の負担部分を連帯保証するという場合には,重要な意義を有している。

しかし,債務を負っていない第三者に連帯保証責任を負わせるという,連帯保証契約は,原則に立ち返って,無効と考えなければならない。

市販の保証契約書は,保証で済む問題を,すべて,一律に,連帯保証とするように規定されている。したがって,このような契約書によって締結された保証契約,すなわち,連帯保証契約は,すべて無効と考えるべきである。

ニ 貸金等根保証契約

貸金等根保証契約とは,一定の範囲に属する不特定の債務を主たる債務とする保証契約(根保証契約)であって,その債務の範囲に金銭の貸渡しや手形割引によって負担する債務(貸金等債務)が含まれるものをいう。なお,保証人が法人であるものを除く)〔民465の2以下〕

貸金等根保証契約については,元本の確定期日と確定事由が問題となる。前者については,確定期日を定めた場合において,それが5年以内であればその期日であり,5年を超える期日(これは無効とされる)か,又は確定期日を定めなかった場合には,3年を経過する日とされる〔民465の3<1><2>〕。

また元本の確定事由は,債権者が主たる債務者又は保証人の財産について金銭の支払を目的とする債権について強制執行又は担保権の実行を申し立てたとき〔民465の4〔1〕〕,主たる債務者又は保証人が破産手続開始の決定を受けたとき〔民465の4〔2〕〕,主たる債務者又は保証人が死亡したとき〔民465の4〔3〕〕である。

根保証契約は,保証人の負担を加重するものであり,本来的には,無効と考えるべきであるが,民法によって,極度額が定められ,かつ,確定期日,または,確定事由が明確に定められているという理由によって,かろうじて,無効を免れている契約である。

5 求償

保証人は他人(主たる債務者)のために弁済するのであるから,保証人が弁済したときには,主たる債務者に対して求償権をもつ。その範囲は,受託保証人か委託なき保証人かで異なる〔民459~465〕。なお,受託保証人は一定の場合には,求償権を確保するため事前求償権をもつ〔民460〕。

保証を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えた場合に陥る最大の問題点は,保証人が債務を弁済した場合に,債務者が債務の弁済をしたのであれば,求償権が生じるはずはないのに,なぜ,保証人が弁済すると,保証人は債務者に求償権を取得し,かつ,弁済を受けた債権が,自動的に保証人に移転するのかを説明することができないことである。

保証を主たる債務とは,別個・独立の債務とは考えず,第三者(保証人)による主たる債務の履行引受けであると考えると,利害関係者の弁済による求償権の取得も,弁済による代位が生じることも,すべて,理論上の当然の帰結として説明することができる。

主たる債務と保証との関係を理解しようと思うのであれば,主たる債務者が債務を全額弁済した場合の法律関係と,保証人が主たる債務者に代わって全額弁済した場合の法律関係を比較・検討してみればよくわかる。

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第1に,主たる債務者が主たる債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって,主たる債務は消滅する。さらに,主たる債務の消滅による付従性によって,保証責任も消滅する。つまり,主たる債務者が債務の全額を弁済した場合には,すべてが消滅する。

第2に,保証人が債務者に代わって,債権者に全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって債権者は満足するが,保証人には,債務者に対する求償権が残る。この求償権を確保するため,民法500条以下によって,弁済による代位が発生する。すなわち,満足した債権者に代わって,保証人が債権者に代位して,債務者に債務の履行を請求できるのである。つまり,この場合には,債権は消滅せず,あらゆる担保を含めて,債権者のすべての権利が消滅することなく,保証人へと移転するのである(民法501条)。

従来の通説は,保証人による保証債務の弁済によって,保証債務は消滅し,主たる債務も消滅すると考えた上で,内部関係として,保証人には,不当利得に基づく返還請求権としての求償権が生じると考えてきた。

しかし,この考え方は,以下のように,完全に破綻している。

第1に,保証債務の弁済によっても保証債務は消滅しない。民法501条によって,債権に随伴して,保証債務も保証人に移転した上で,混同によって消滅するに過ぎない。

第2に,保証債務の弁済によっても,主たる債務も消滅しない。保証人の求償権を確保するために,債権者の有していた債権は,保証人へと移転し,存続するからである。主たる債務が消滅するのは,債務者が保証人の求償に応じて,債務を弁済したときである。

第3に,求償権は,広い意味での不当利得の考え方に含まれるが,民法上は,求償権は,民法459条~民法465条までの詳細な規定によって保証人に与えられる権利であり,「法律上の原因」に該当する。したがって,「法律上の原因がない」ことを発生原因とする,民法703条以下の不当利得の規定は適用されない。

6 種類

以上に述べた通常の保証債務のほか,連帯保証と共同保証とがある。

これらについては,民法に特別の規定〔民454・456〕がある。 【通常の保証・保証連帯・連帯保証の比較】

3.保証人の弁済は,主たる債務を消滅させるか?

最二判平25・9・13民集67巻6号1356頁は,債務者を相続した場合の事例においてではあるが,以下のように述べて,保証人が,保証人として「保証債務」を一部弁済した場合でも,主たる債務の時効が中断すると判示している。

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債務の弁済が,債務の承認を表示するものにほかならないことからすれば,主たる債務者兼保証人の地位にある者が主たる債務を相続したことを知りながらした弁済は,これが保証債務の弁済であっても,債権者に対し,併せて負担している主たる債務の承認を表示することを包含するものといえる。

もしも,保証債務を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えるならば,保証債務の弁済は,あくまで,保証債務の消滅原因に過ぎないと考えるべきであり,それは,主たる債務の消滅原因でもなく,一部弁済の場合も,主たる債務の時効中断原因ともならないと考えなければ一貫しない。

しかし,保証人の弁済は,保証債務という主たる債務とは別個・独立の債務ではなく,正当な権限者として,主たる債務の履行を引き受けているのであるから,保証人の弁済は,たとえ,主たる債務者を相続していない場合であっても,主たる債務の一部弁済であるから,常に,主たる債務の時効を中断すると考えるならば(加賀山 茂「判批・債務者を相続した保証人が「保証債務」を弁済した場合の時効の中断」法律時報87巻12号(2015/11)113-116頁),最高裁の判決するところの意味がよく理解できる。

通説の出発点である,保証債務は,本来の債務と同様,独立した債務であるとしながら,本来の債務に付従するとしている点は,論理的な破綻である。このような論理の破綻を重大であると考えないところに,法律学が,社会科学としての存在を危ぶまれる原因がある。法律学にとって,論理は重要であり,論理学を無視した法律学は,学問として成り立たないといわなければならない。

このように考えると,民法の保証に関する学説は,はじめ(債務のない責任であるのに,主たる債務とは別個・独立の債務であると誤解)から終わり(保証債務の弁済による求償のメカニズム)まで,すべての点で誤りに陥っていることがわかる。しかし,出発点を誤れば,最後まで誤るのは当然の帰結であり,民法学は,その点は,一貫しているともいえよう。

4.保証契約は,無償かつ片務の契約か?保証人保護の理由は何か?

民法の保証契約は,原則として,無償契約かつ片務契約だと考えられてきた。

第1に,有償の保証契約としては,保証協会による信用保証契約があるが,これは,保証ではなく,有償の債権売買(ファクタリング)と考えるべきであろう。この契約においては,資本主義の契約にふさわしく,有償性と交換性が兼ね備えられており,国家の保護まで受けている信用保証協会を民法上の保証人として保護する必要がないからである。その他の場合であっても,有償性と交換性が備わっている保証契約は,民法上の保証契約とは異なる契約として,民法上の特別の保護を必要としないと考えるべきであろう。

第2に,保証を片務契約だと考えるのは,民法上も誤りであると考える。民法は,債権者が催告の抗弁,検索の抗弁に違反した場合に,保証人を免責することを規定しており(民法455条),このことから,債権者は,適時執行義務を負っていると考えられている。また,民法5054条は,債権者の担保保存義務を規定しているが,この場合の債権者の典型例は,保証人と考えられている。したがって,民法上も,債権者は,債務者に対して,保証人に対して,債務を負っており,片務契約とはいえないと思われる。さらに,民法改正案は,民法458条の2,458条の3を新設し,そこにおいて,債権者の保証人に対する情報提供義務を規定することになっており,保証契約の双務契約性が強化されることになる。

保証契約は,資本主義の特色である,交換性と対価性を欠いており,利子を含めた債務額の範囲ではあるが,債務者の無資力のリスクを保証人に,無償で,かつ,無限責任を負わせるものであり,本来は,公序良俗に違反する契約というべきである。

保証契約が公序良俗に違反して無効となれない理由は,民法が,保証人の責任を付従性,補充性,求償権の確保に万全を期しているからである。

したがって,民法における保証人保護に関する規定について,債権者の有利に変更した場合には,保証契約は,保証人に無償で過酷な無限責任を負わせる契約として無効となると考えるべきであろう。

このことが,保証人保護の意味であり,たとえば,保証の補充性を奪う,連帯保証契約は,特別の理由が示されない限り,無効と解すべきであるし,債権者の担保保存義務を免責する約款も,同様にして,無効と解すべきである。


Ⅲ 民法改正案の問題点


1.保証契約の性質に関する理解不足

以上の考察を通じて,保証契約において,保証の付従性,補充性,求償権の確保が必要な理由が明らかになったと思われる。

保証人を保護しなければならない理由は,単に人のいい保証人を保護するという政策的配慮以上に,保証契約の性質が,現代社会にそぐわない前近代的な契約だからである。

保証契約は,本来債権者が負担すべき債務者の無資力のリスクを無償で,無制限に保証人に転嫁するという,資本主義社会においては,あるまじき契約であり,しかも,資本主義において促進すべき交換性も有償性も存在しない契約である。

したがって,債務者の無資力を無償かつ無制限に転嫁しようとする保証契約は,本来的には,公序良俗に反する無効な契約であり,将来的には,有償でリスクを分散する保険契約へと転化・解消されていくべき契約であると考えるべきである。

このような本来公序良俗に反する契約が,民法において有効とされている理由は,民法においては,以下の三つの要素が確保されているからである。

  1. 保証の付従性が確保されている(民法448条)
  2. 保証人に対する債権者の義務が確保されている(民法455条,504条)
  3. 保証人の求償権が確保されている(民法459条~465条)

したがって,このような保証人保護の規定が確保されない場合,または,債権者の義務が免責される場合には,保証契約は,原則に戻って,無効と考えるべきである。

それにもかかわらず,今回の民法改正は,保証人保護を標榜しているものの,以上の要件を確保するどころか,債権者に免責を与える規定を新設するなど,保証人の保護に反する規定を増加させており,保証人保護の期待を裏切るものとなっている。

2.保証の付従性の確保の失敗

保証人は,債務者の無資力の危険を一時的に回避する責任であり,債務者の責任よりも重い責任であってはならない。

民法は,このことを,保証の付従性として,明文で規定している(民法448条)。ところが,破産法は,この原則に反して,債務者が免責されても,保証人は責任を負い続けるとしている(破産法 第253条第2項)。

したがって,民法改正の理由の一つが,保証人の保護とされている以上は,債務者を免責させる一方で,保証人を免責しないという破産法の規定を改正することが重要である。

その方法としては,アメリカの一部の州のように保証人がいる場合には,債務者の破産免責を認めないとするか,フランス法のように,保証人の求償権は破産後も消滅しないとするか,いずれかの方法を採用すべきである。このような提案をしないのであれば,今回の民法改正について,保証人の保護を目的とすると標榜すべきではない。

3.保証人の補充性の確保の失敗

現代においては,純粋な保証契約はほとんど存在せず,ほとんどが連帯保証契約となっている。しかし,連帯保証契約には,補充性がなく,債権者が負担すべき適時執行義務違反による保証人の免責のチャンスを奪っている。

今回の民法改正の目玉である,債権者の保証人に対する情報提供義務(改正案第485条の2,第485条の3)は,まさに,債権者の義務を強化するものであるが,連帯保証を野放しにしていたのでは,債権者の義務を強化したことにはならない。

保証人の保護を強化するのであれば,保証人の補充性を強化するため,特別の理由がない限り,連帯保証契約は,無効とするという改正を行うべきである。

4.債権者の担保保存義務の強化の失敗

今回の民法改正は,保証人の保護を奪う規定が多い。その最たるものが,債権者の担保保存義務を免責する明文の規定(民法504条第2項の免責規定)を置いた点に表れている。フランス民法(2314条)は,保証人を保護し,債権者の保証人に対する義務を強化するために,債権者の担保保存義務を免責する条項は無効と定めている(加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学法科大学院ローレビュー第24号(2016/3/) 1-20頁)。

これに反して,保証人の保護を標榜しながら,保証人の保護を弱める規定を新設するようでは,誇大表示といわざるを得ない。したがって,改正案第504条第2項は,削除されるべきである。

5.経営者保証は会社の有限責任と矛盾する

今回の民法改正における保証人保護の目玉として,個人根保証契約における保証人の保護がある。

しかし,個人保証で最も過酷な責任を負わされるのが,経営者保証であり,株式会社等の有限責任会社について,個人保証契約を認めることは,経営者個人の無限責任を認めるものであり,株式会社の有限責任の法理に逆行する。この点からも,改正案465条の9は,削除されるべきである。


Ⅳ 結論


1.連帯債務と保証に関する学説は,民法学における腐敗の構造の典型例である

民法学者のほとんどは,連帯債務とは,「複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務である」という定義を是認し続けている。

しかし,この定義は,独立の債務が複数合わさっても,債権額が同一である(1+1=1)という点で誤っており,連帯債務者の一人が全額を弁済すれば,弁済した者は,債権者に代わって,他の者に対して債務の履行を請求できる点でも,誤っている。

このような,論理学や数学の基本にも悖る定義を是認し続けて,少数とはいえ,このような根本的な誤りの指摘があるにもかかわらず,それらの指摘を無視し続けている民法学は,腐敗しているといわなければならない。

また,保証債務は,主たる債務とは別個・独立の債務であるとしながら,主たる債務が消滅すると,保証債務も消滅するとしているのは,論理的に矛盾している。さらに,保証人が保証債務を弁済すると,主たる債務は消滅するとしているが,主たる債務とは独立の債務を弁済しても,主たる債務は消滅するはずがないし,実際にも,保証人の求償権を確保するために,主たる債務は存続する。

このような論理的にも破綻し,実際にも誤った結論を保持し続けている民法学は,腐敗しているといわなければならない。

2.保証の性質と保証人による弁済の効果

本稿によって,保証契約の当事者,保証の性質と保証人による弁済の効果について,以下の3点が明らかにされた。

(1) 保証契約は,債務者と保証人との間で締結される「第三者(債権者)のためにする契約」(民法537条)である

保証契約は,従来は債権者と保証人との間で締結される契約であると考えられてきたが,それだけでは,委託受けない保証という,事前求償権もなく(民法460条の反対解釈),求償権も制限される(民法462条)という,保証人にとって非常に不利な契約となってしまうため,実際には,保証契約のすべてが,委託を受けた保証となっている。

この点を考慮するならば,現実の保証契約は,委託を受けた保証契約であり,契約当事者も,債権者と保証人との間で行われているというのは形式的な見せかけの保証契約に過ぎず,真の保証契約とは,債務者と保証人との間で行われる書面による「債権者のためにする保証契約」(民法537条~539条)であると考えるべきである。そうすると,債権者と保証人との間で行われる保証契約とは,債権者の受益の意思表示を書面で明確にしたものに過ぎないということになる。

しかも,このように考えると,債務者と保証人との間の契約が書面で行われていなければ無効となる(民法446条2項)ため,保証人が保護される上に,保証人が債務者に対して有している抗弁は,すべて,債権者に対抗できることになる(民法539条)。さらに,保証人は,債権者と債務者との間で生じた主たる債務の不成立・無効・消滅についても,保証の付従性(民法448条)によって保護されることになる。

(2) 保証契約の内容は,「保証人による債務の履行の引受け」であり,保証人が負うのは,「債務のない責任」である

上記の保証契約(書面による無償の債権者のための保証契約)によって生じる保証の内容は,債務者が任意に弁済しない場合に,債権者のために,保証人が債務者に代わって債務を弁済することを引受けることであり,その契約によって,保証人は,直接,債権者に対して債務を履行する責任負う。したがって,保証人が負う責任は,債務のない責任に過ぎず,本来の債務のほかに保証債務という独立の債務が存在するわけではない。

(3) 保証人の弁済によって求償権が生じ,債権は,消滅せず,保証人に移転する

保証人の弁済は,保証債務という債務の弁済ではなく,第三者による主たる債務の肩代わり弁済であり,第三者である保証人の求償権を確保するために,主たる債権・債務は消滅することはない。

保証人の求償権を確保するために,債権は存続し,保証人に移転するのであって(民法500条,501条),債権が消滅するのは,債務者が保証人に債務を弁済したときである。

3.保証契約の公序良俗違反性

保証契約は,債権者を保護するために,債務者の無資力のリスクを無償で保証人に転嫁するという契約であり,取引における交換性,対価性を欠いており,本来は,公序良俗に違反する契約として無効とされるべき契約である。

しかし,保証の付従性が確保され,かつ,債権者にも,保証人に対して,債務および債務者に関する情報提供義務,債務者に対する適時執行義務,および,担保保存義務が確実に課され,さらに,保証人の求償権が確保されている場合にのみ,かろうじて無効となることを免れて,有効となる。

4.連帯債務の性質

連帯債務とは,本来の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合である。したがって,連帯債務の定義は,従来の定義に替えて,以下のように定義しなおすべきである。

連帯債務とは,複数の債務者が各自の債務(負担部分)に加えて,他の債務者の債務を相互に連帯保証(保証部分)することが,契約によって,または,法律の規定によって義務づけられているために,各債務者のそれぞれが,負担部分と保証部分の合計額を債権者に対して弁済する責任を負う多数当事者の債権・債務関係をいう。

連帯債務の債務者の一人が自己の負担部分のみを弁済した場合には,他の連帯債務者の当該債務者に対する保証部分は付従性によって消滅する。さらに,自己の負担部分を越えて弁済した場合には,その他の連帯債務者に対して,その負担部分に応じて,債権者に代位して求償することができる。

連帯債務が連帯保証契約を含むものである以上,連帯債務契約の場合にも,保証債務の場合と同様,連帯債務者間の債権者のためにする連帯保証契約を書面で作成し,債権者の受益の意思表示が必要である。いずれを欠いても,連帯債務契約は無効となる(民法446条2項)。もっとも,法律上の連帯債務(民法719条など)の場合には,法定責任であるため,書面の作成は必要ではない。

5.連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの基準

連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの決定的基準は,保証の付従性である。

連帯債務の一人に生じた事由が連帯債務に影響を及ぼす場合は,以下の3つにまとめることができる。

  1. 連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済した場合(弁済と同様の効果が生じる相殺,更改,混同の場合も同様である)には,債務が消滅せず,負担部分を超えた金額の範囲で,債権が保証人に移転する理由は,民法442条,500条,501条の組合せによって明らかとなる。
  2. 連帯債務の絶対的効力のうち,負担部分についてのみ効力が生じる(無効・取消,免除,消滅時効)については,すべて,負担部分の無効・消滅による連帯保証部分の付従性に基づく無効・消滅として,論理必然的に説明できる。
  3. 請求の絶対的効力も,民法457条(主たる債務者について生じた事由の効力)第1項が,「主たる債務者に対する履行の請求その他の事由による時効の中断は,保証人に対しても,その効力を生じる」を準用することによって説明が可能となる。

6.保証人と連帯債務者の求償権の性質

保証人と連帯債務者が,それぞれの負担部分を越えて弁済し,共通の免責を得てことによって生じる求償権は,債権者の満足によって生じる債権の保証人・連帯債務者への法定移転によって確保される。

7.民法改正案の失敗の原因と廃案の必要性

民法(債権関係)改正案の保証と連帯債務に関する部分の失敗は,保証の本質と連帯債務の本質に対する無知から生じている。

民法学の腐敗を防止するためには,民法典論争の場合と同様に,民法改正案を廃案とし,新しいメンバーによって改正案を作成し直すべきである(なお,今回の民法改正における法制審議会の構造的な腐敗については,鈴木仁志『民法改正の真実-自壊する日本の法と社会』講談社(2013/03/10)参照)。


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清水元『プログレッシブ民法[債権総論]』成文堂(2010/4/20)198-249頁

[鈴木仁志・民法改正の真実(2013)]
鈴木仁志『民法改正の真実-自壊する日本の法と社会』講談社(2013/03/10)

[鈴木禄弥・債権法講義(1987)]
鈴木禄弥『債権法講義』〔改訂版〕(1987)創文社

[高橋眞・入門債権総論(2913)]
高橋眞『入門 債権総論』成文堂(2013/4/20)230-269頁

[椿・多数当事者の債権(1965)]
椿寿夫「多数当事者の債権・債権の譲渡」西村信雄編『注釈民法(11)債権(2)』有斐閣(1965)

[円谷・債権総論(2010)]
円谷峻『債権総論-判例を通じて学ぶ-』〔第2版〕成文堂(2010/9/20)239-291頁

[中島・連帯債務(1911)]
中島玉吉「連帯債務ノ性質ヲ論ス」法学志林13号8=9号(梅博士追悼記念論文集)(1911)1頁以下

[中島・連帯債務再論(1911)]
中島玉吉「再ヒ連帯債務ノ性質ヲ論シテ石坂博士ニ答フ」京都法学会雑誌6巻11号(1911)1621頁

[中田・債権総論(2008)]
中田裕康『債権総論』有斐閣(2008/1/30)

[成田・連帯債務論攷(2015)]
成田博『連帯債務論攷』日本評論社(2015)1頁以下

[平井・債権総論(1994)]
平井宜雄『債権総論』〔第2版〕弘文堂(1994)327,330頁

[深川・相互保証理論の再評価(2014)357-391頁]
深川裕佳「連帯債務に関する相互保証説の再評価-フランスにおける議論を参考にして」名古屋大学法政論集254号(中舎寛樹教授退職記念論文集)(2014/3/28)357-391頁

[福田・連帯債務の学説史(2015)]
福田誠治「連帯債務の学説史」平井一雄・清水 元編『日本民法学史・続編』信山社(2015)257-305頁

[前田・口述債権総論(1993)]
前田達明『口述 債権総論』〔第3版〕成文堂(1993/4/1)317-390頁

[山中・連帯債務の本質(1955)]
山中康雄「連帯債務の本質」勝本正晃=村教三編『石田文次郎先生還暦記念 私法学の諸問題(1)私法』有斐閣(1955)371頁

[山中・連帯の意味(1956)]
山中康雄「いわゆる連帯ということの意味」民商法雑誌33巻3号(1956)317頁

[我妻・債権総論(1964)]
我妻栄『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』岩波書店(1964)401頁以下

民法学の失敗の原因とその再生方法(その1)


民法学の失敗の原因とその再生方法について(その1)


  • 目次
    • Ⅰ 問題提起
    • Ⅱ 通説の失敗の分類
      • 1.論理学的に矛盾しているもの
        • (1) 事実的因果関係
        • (2) 保証債務
        • (3) 連帯債務
        • (4) 担保物権
      • 2.反対解釈を誤っているもの
        • (1) 抵当権の消滅
        • (2) 保証債務(民法465条)と連帯債務(民法442条)との間の求償の要件(負担部分を越えて弁済することが必要かどうか)に関する区別
        • (3) 転貸借における転借人の前払いと後払い
      • 3.数学的に誤っているもの
        • (1) 足し算ができない-連帯債務の合計額が足し算で求まらないのはなぜか?
        • (2) 引き算の理解が不十分-差額説と個別損害項目積み上げ方式の関係が不明
        • (3) 現価計算(等比級数の和の計算)の誤り-逸失利益の算定におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の誤り
        • (4) 微分が理解できない-ハンドの公式の誤り
      • 4.基準が恣意的なもの
        • (1) 対抗問題とは何か
        • (2) 連帯債務の絶対的効力の範囲
        • (3) 不真正連帯債務とは何か
        • (4) 第三者のためにする契約に該当する契約
    • Ⅲ 民法学の失敗の原因の究明
      • 1.事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の温存にみられる論理的思考の不徹底とごまかしに頼る傾向
      • 2.連帯債務の法的性質にみられる足し算さえできない概念に頼る論理的思考の欠如
        • (1) 通説の誤りの始まり(独立した債務なのに足し算ができない)
        • (2) 通説の暴走の始まり(民法の明文の規定を無視しても,通説にしがみつく)
        • (3) 歯止めの効かない暴走(民法改正案にみる連帯債務の性質の無理解)
    • Ⅳ 結論
    • Ⅴ 今後の課題
    • 参考文献

Ⅰ 問題提起


民法を学び始めると,以下のように,民法の条文に直接は出てこない奇妙な考え方や,難解な学術用語に出会って,とまどうのが普通であろう。

・因果関係の判断は,『あれがあるのは,これがあるからだ』と考えるのではなく,法的には,まず,『事実的因果関係』の考え方,すなわち,『あれなければ,これなし(sine qua non)』によって判断すべきである。

・条文には「対抗できない」と書かれていても,民法177条の不動産の二重譲渡の場合のように『食うか食われるかの対抗問題』という『本当の対抗問題』と,民法96条3項の「詐欺の取消しをもって善意の第三者にに対抗できない」というような『対抗問題ではない場合』とを区別しなければならない。

・担保物権は,被担保債権に「付従する物権」であるが,被担保債権とは「別個で独立する物権」である。

・保証債務は,主たる債務に「付従する債務」であるが,主たる債務とは「別個で独立の債務」である。

・債務者A,B,Cが債権者Dから,それぞれ,300万円,200万円,100万円を借りて,それぞれ連帯債務を負担することにすると,A,B,Cは,それぞれ,600万円の独立の連帯債務を負担することになる。しかし,連帯債務全体の合計額は,600(万円)×3=1,800(万円)ではなく,600万円のままである

・民法719条の共同不法行為の効果は,条文では「各自が連帯して…責任を負う」としているが,この責任は,『連帯債務』とは異なる『不真正連帯債務』と考えるべきである。

このような,門外漢にとっては奇異に映る通説の考え方に対して,はじめこそ戸惑っていた人々も,通説を唱える民法学者から何度も繰り返しそれらの考え方を聞いているうちに,違和感をなくしていく。そして,民法学の内部では,次第に,通説とか判例としての地位を確保するようになる。そうなると,その権威によって,仲間内からの批判は見事に消えていく。これが現在も進行中の民法学の腐敗の始まりである。

さらには,論理的に破綻したり,数学的に誤った学説であるため,他の社会科学や自然科学の専門家にとっては理解できない学説であっても,それが,多数説を占め,民法学の常識となってしまうと,民法学は,他の学問分野から孤立して行き,独善化と腐敗の道をたどることになる。なぜなら,論理的に破綻した学説は,内部者以外には理解できるはずもなく,他の専門分野の学者との間の交流が阻害されてしまうからである。

しかし,民法学が,世の中に起こる紛争に対して,単に当事者の利害を調整するだけでなく,専門家にとっても,また,他分野の専門家を含めた広く社会一般にとっても,合理的であると納得される解決方法を提案できるようになるためには,論理学や数学をも尊重して理論を構成することが望ましい

論理的にも,また,数学的にも誤りがなく,しかも,他分野の専門家を含めて,民法学を市民にとってわかりやすいく体系化するためには,孤立化の歩みを止めて,いったん立ち止まり,現在の民法の通説がどのような論理的破綻,数学的な破綻に陥っており,その結果,どのような不都合が生じているのかを振り返ってみることが有用であろう。

そこで,筆者は,民法を学ぼうとする人が,必ず躓く問題として,「あれなければこれなし」とか,「対抗問題」とかの考え方をはじめ,民法を理解する上で理解すべき重要な考え方について,「ほとんどの学習者が,そこで躓くのはなぜなのか」,「ほとんどの人が躓くのは,素人のゆえなのか,それとも,通説を説く学者の側に誤りが生じているのか」について,長年の教育実践を通じて,徹底的に検討してみた。

その結果として,民法を学び始める人が必ず躓く難解な考え方は,単に素人にとって難解であるという以上に,論理学的に矛盾しているもの(反対解釈の誤りを含む),数学的な誤りに陥っているもの,基準があいまいで,定義の体をなしていないものであることが次第に浮かび上がってきた。

そこで,本稿では,民法を初めて学ぶ人々が必ず躓く難解な考え方について,以下の分類に従って,問題点の指摘とその問題の解決方法を探っていくことにする。

1.通説のうち,論理学的に矛盾しているもの

(1) 事実的な因果関係(あれなければこれなし)の考え方

(2) 担保物権は被担保債権とは別個・独立の物権であるという考え方

(3) 保証債務は主たる債務とは別個・独立の債務であるという考え方

2.通説のうち,反対解釈の誤りに陥っているもの

(1) 抵当権は,債務者又は抵当権設定者に対しては,消滅時効によって消滅しないが(民法369条),それ以外の者に対しては,反対解釈により,消滅時効によって消滅する。

(2) 共同保証人の求償権は,負担部分を越えて弁済したときにのみ生じるが(民法465条1項),連帯債務の場合は,その反対解釈により,負担部分を越える弁済でなくても,求償権が発生する(民法442条には明文の規定がないので,民法465条1項を反対解釈する)。

(3) 転借人は,賃料の「前払い」は賃貸人に対抗できないが(民法613条1項2文),その反対解釈によって,賃料の「後払い」は,賃貸人に対抗できる。

3.通説のうち,数学的な誤りに陥っているもの

(1) 連帯債務者の一人一人が独立して負うという連帯債務の額とその合計額であるはずの連帯債務の合計額との計算が合わない(足し算が合わないような理論では,もはや,学問とは言えない。一部に付従性が存在することに気づいていないからである)。

(2) 損害賠償額の計算について,差額説と個別損害項目積上げ方式が併存しているにもかかわらず,実務は個別損害項目積上げ方式のみを利用している(両者は,数学的に全く同じものであり,個別損害項目積上げ方式は,漏れが生じる恐れがあるので,算定に誤りがないか,差額説によって誤りをチェックすべきである)。

(3) 上記の損害賠償額の計算のうち,逸失利益の算定については,将来収入が一定でない場合でも,ホフマン方式,ライプニッツ方式によって算定することができる(会計学上は,現価計算の完全な誤り)。

(4) 過失の判断におけるハンドの方式の肯定的評価(費用と限界費用とを混同していることに気づいていない)。

4.通説のうち,定義とか基準とかがあいまいなために混乱に陥っているもの

(1) 民法の条文のうち「対抗することができない」と書かれていても,民法177条の場合は,対抗問題であるが,民法94条2項や民法96条3項の場合には,対抗問題ではない(基準が不明。何が「対抗問題」なのかは,「登記が必要な場合」という点で一致が見られるものの,どの場合に登記が必要かは,学説によって大きく異なる)。

(2) 連帯債務の絶対的効力は,弁済以外の事由については,なるべく認めないように解釈すべきであり,無効・取消の絶対効,免除の絶対効は制限的に解釈すべきである(民法440条の恣意的な解釈)。

(3) 民法719条の責任は,連帯債務ではなく,不真正連帯債務である(不真正連帯債務が何であり,負担部分が存在するのかどうかも学説と判例で対立があり,求償できるのであれば,負担部分を認めるべきであり,負担部分があれば,絶対的効力が生じるのは必然であるにもかかわらず,絶対的効力を恣意的に制限しようとしている)。

(4) 第三者のためにする契約が該当する契約の範囲について,判例は,生命保険契約は第三者のためにする契約であるが,振込・振替契約の前身である電信送金契約は,第三者のためにする契約ではないとしているが,その根拠は明確ではなく,学説は多様である。


Ⅱ 通説の失敗の分類


1.論理学的に矛盾しているもの


(1) 事実的因果関係


(A)通説の論理学上の誤り

通説によれば,因果関係を判断する際に利用される,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,場合によっては,因果関係が広がりすぎることがあるため,相当因果関係であるとか,保護範囲とかによって,修正を加える必要がある。しかし,そのような修正が後に必要となるとしても,因果関係の判断として,最初に考えるべき重要な考え方は,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方であるとされている。

しかし,「あれなければ,これなし」という事実的因果関係の考え方というのは,本来の因果関係である「あれがあるから,これがある」(A→B)を証明するのに,「あれなければこれなし」(¬A → ¬B)で代用しているのであり,論理学的な厳密さからいえば,誤った使い方である。

なぜなら,「Aという原因から,Bという結果が生じる かどうか(A → B)」を判断するのに,「Aという原因を取り除くとBという結果が生じない(¬A → ¬B)」という「裏」命題で代用すると,AとBとが同値(A ⇔ B)の時に,かつ,その時に限って,論理的に成り立つに過ぎず,そうでない場合,例えば,Aが複数の時には,常に誤りに陥るからである。

(B)複数原因の場合の致命的な誤り

事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,特に,複数原因の場合に,致命的な誤りに陥る。

例えば,致死量10mgの毒物をY1,Y2,Y3 が,それぞれ,(1) 4mgずつ,(2) 5mgずつ,(3) 10mgずつ,Xのワイングラスに入れて,Xを殺害したという場合を考えてみよう。そうすると,事実的因果関係の考え方(あれなければ,これなし)が誤りに陥ることがよくわかる([加賀山・共同不法行為(1997)373頁以下]参照)。

なぜなら,第(1)の場合(Yらが4mgずつ入れる場合)には,因果関係があるとする点では正しいが,Y1も,Y2も,Y3も,Xの死亡について,全面的な因果関係があることになる。しかし,それぞれ4mgしか毒を入れていない第(1)の場合については,Y1もY2もY3も,単独では,Xを死亡させることはできないのであるから,Y1も,Y2も,Y3も,Xの死亡について,全面的な因果関係があると考えるのは誤りである。

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すなわち,(Y1∧Y2∧Y3 ) → R(Xの死亡)という前提から始まっているにもかかわらず,事実的因果関係の理論を経由することによって,(Y1 → R,Y2 → R,Y3 → R),すなわち,(Y1∨Y2∨Y3) → R(Xの死亡)という,とんでもない結論が導かれることになる。

このことが原因となって,共同不法行為は,単独不法行為の単なる寄せ集めに過ぎないという誤った考え方が一般に流布されることになるのだが,この問題については,後に詳しく論じる。

第(2)の場合(Yらが5mgずつ入れる場合)には,第(1)の場合よりもそれぞれが毒の量を増やしたにも関わらず,一人を取り除いても,結果が生じるため,Y1も,Y2 も,Y3も,いずれもXの死亡について因果関係がないという,予想外の結果が生じてしまう。

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第(3)の場合(Yらが10mgずつ入れる場合)には,それぞれが,第(1)の場合よりも,第(2)の場合よりも,さらに,毒の量を増やしているのにもかかわらず,事実的因果関係の理論を経由すると,Y1も,Y2も,Y3 も,Xの死亡について,因果関係がないという,とんでもない結論が導かれることになる。

SineQuaNon03_s

従来の理論によれば,第(3)の場合だけは,さすがに,事実的因果関係の理論(あれなければこれなし)の考え方は使えないが,第(1)の場合には,事実的因果関係の理論は正しいと考えられ,第(2)の場合は,無視されてきた。しかし,以上の考察によって,第(1)の場合も,第(2)の場合も,第(3)の場合も,いずれについても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,誤りであることが明らかとなったと思われる。

このようにして,事実的因果関係の考え方は,世の中で生じる最も多くの場合である複数原因の場合には,常に誤りに陥るのであり,複数原因の場合には,事実的因果関係の考え方を利用することは非常に危険でり,決して使ってはならないことを銘記すべきである。

(C)民法学の失敗の原因の根源は「あれなければこれなし」の信仰にある

筆者は,かつて,多くの民法学者に次の質問をしてみたことがある。

「因果関係の判断において,「あれなければ,これなし」の考え方は,正しい,または,因果関係の判断において有用だと考えますか?」

この問いに「はい」と答えた学者は,例外なしに,因果関係における定量的分析,すなわち,部分的因果関係の考え方に反対し,かつ,不真正連帯債務の考え方に賛成していることが判明している。

つまり,事実的因果関係「あれなければこれなし」の考え方が論理学的に誤りであることを民法学者が理解できるようになれば,民法学は,定性分析だけに終始し,定量分析をほとんど行わないという体質を脱して,社会科学の一分野として立ち直ることができるはずである([加賀山・不法行為法の定量分析(2011)17頁以下参照])。

これとは逆に,因果関係の判断において,全面的に「あれなければ,これなし」を使い続けるならば,共同不法行為は,独立の単独不法行為の単なる寄せ集めということになり,その結果として,加害者の責任は,連帯責任ではなく,不真正連帯責任(全部義務:obligation in solidum)であると考えることになってしまい,民法学の失敗をさらに拡大することになる。

なぜなら,不真正連帯債務とは何かについては,学者の間で激しく争われており,もともと求償権が生じない債務(全部義務)として生成した不真正連帯債務について,なぜ,求償権が生じるのか不明だからである。もしも,不真正連帯債務の求償の根拠として負担部分を観念するのであれば,それは,概念としては,連帯債務と同じであり,いずれにしても,「不真正連帯債務とは何か」を定義することはできないからである。

「あれなければこれなし」を信じる学者の暴走はそれにとどまらない。これらの学者の多くは,被害者保護の錦の御旗の下に,債権者のみを保護し,連帯債務者の一人に生じた事由の絶対的効力を極力抑えるために,連帯債務は,不真正連帯債務を基本にして再構成すべきであるというように,本末転倒の考え方に突き進んでいるからである([加賀山・民法改正案の評価(2015)11-12頁])。

民法学を論理学的にも,また,数学的にも誤りがないものにするためには,民法学が陥っている最大の誤りである,事実的因果関係「あれなければこれなし」の考え方の適用を単一原因の場合に限定し,世の中で一番多い例である複数原因の因果関係には使用できないことをすべての民法学者が認識することが必要であると思われる。

(D)ほとんどの民法学者は,誤りに陥っていることの自覚がない

このように警告しても,ほとんどの民法学者は,それを自分のこととは考えない。なぜなら,「あれなければこれなし」の危険性(上記の毒物の例のうちの第(3)の事例(Y1,Y2,Y3が10mgずつ入れた場合))は十分に認識していると考えているからである。

しかし,これは錯覚に過ぎない。「因果関係がある」という結論だけは正しいだけに,誤りに気づくのが難しいとはいえ,第(1)の事例(Y1,Y2,Y3が4mgずつ入れた場合)においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,致命的な誤りに陥っていることを,ほとんどの民法学者は,自覚できないままである。

第1の事例(Y1,Y2,Y3が4mgずつ入れた場合)においては,確かに,因果関係があるという点だけは正しい。しかし,Y1,Y2 ,Y3 は,単独では,結果を生じさせることができないことが前提とされているにもかかわらず,「あれなければこれなし」の考え方を利用すると,「Y1,Y2,Y3のそれぞれが結果のすべてについて因果関係を有する」という誤った結論が導かれていることに,ほとんどの民法学者は,気づいていない。

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その結果として,最近のほとんどの民法学者は,「民法719条の共同不法行為の要件は,民法709条の単独不法行為の要件を常に満たしている」と考えている。しかし,そのこと自体が,「あれなければこれなし」の理論に影響された誤った考えであることを自覚することができないでいる。

民法学者の自覚を促すために,もう一度,繰り返すことにするが,多くの民法学者は,上記の第1の例,すなわちち,Y1,Y2,Y3が致死量10mgの毒をそれぞれ4mgずつ入れてXを死亡させた例において,Y1 ,Y2 ,Y3 は,民法719条の共同不法行為の要件を満たしているばかりでなく,単独不法行為,すなわち民法709条の因果関係の要件をも満たしていると考えている。しかし,これこそが,「あれなければこれなし」の誤った適用であることを自覚すべきである。

確かに,上記の例において「あれなければこれなし」を適用すると,Y1も,Y2 も,Y3 もそれぞれが,Xの死亡について単独で因果関係を有していることになる。しかし,これが根本的な誤りなのである。なぜなら,前提に立ち戻れば,Y1の4mgではXは死亡しないし,Y2 の4mgでも,Xは死亡しないし,Y3の4mgでも,Xは死亡しない。それらが共同して,はじめてXの死亡という結果が生じるのからである。

このような基本的な問題において,多くの民法学者が「民法719条の共同不法行為において,各当事者は,民法709条の要件も満たしている」と考えているのであるから,民法学における腐敗は,想像を超えるほどに根が深いことがわかる。

(E)民法719条における通説の変容と課題

従来の共同不法行為の通説は,「各行為者自身の行為は損害の全部に対して相当因果関係に立たない場合もあるから,この点においても特殊の不法行為となすことを得る([我妻・不法行為(1937)191-192頁])として,共同不法行為の要件は,各行為者と損害との間の因果関係は必ずしも要求されないとしていた。

もっとも従来の通説も,狭義の(共同正犯的な)共同不法行為の場合には,「数人の行為は何れも当該の損害の原因を為し独立して不法行為となるのである」([我妻・不法行為(1937)193頁])として,共同不法行為者は,独立して不法行為の要件を満たしているとのあいまいな記述も残していた。

この点については,従来の通説(我妻栄,加藤一郎)は,行為者との間には関連共同性があることを要件としてたため,関連共同性を中間項として置いているために,関連共同性のある行為全体と結果との間には因果関係が成り立つので,問題は顕在化しなかった。

しかし,このような共同不法行為の因果関係における通説のあいまいさを批判し,通説の見解によるならば,各自の行為と一つの損害という結果との間に因果関係が存在するのであるから,共同不法行為は単独不法行為に還元できることになってしまうはずであるとして,従来の民法学を誤りを指摘したのが,その当時としては画期的な淡路教授の論文「淡路剛久「最近の公害訴訟と私法理論(2)」判タ271号(1972/3/15)2頁以下」であった。

淡路教授の論理は,以下のように要約できる。

(1) 従来の通説判例(例えば,加藤一郎『不法行為』207頁,徳本鎮『注釈民法』(19)323頁以下,特に324頁)によると,民法717条1項前段の共同不法行為の成立要件は,共同行為者各人の行為は独立に不法行為の要件を満たすものでなければならない(4頁)。

(2) しかし,被害者側が各人の行為と損害の発生との間の因果関係を立証できたならば,各人は-もちろん故意・過失,権利侵害(違法性)などその他の要件が満たされている限り,民法709条によって当然不法行為責任を負うことになり,行為の関連共同性という要件を付け加えるところの共同関連性の規定は,成立要件としては無意味・無用のものとなる(5頁)。

この理論によって,法律の条文には存在しない関連共同性の欺瞞性が暴露されることになった。しかし,共同不法行為のなかでも,上記の事例の第2,および,第3の場合(致死量10mgの毒をY1,Y2,Y3が,それぞれ,5mgずつ,および,10mgずつXのワイングラスに入れる場合)には,事実的因果関係の理論を貫徹することができないことは,自明であるため,最近の理論は,共同不法行為の要件として,関連共同性のある共同行為全体と結果との間の事実的因果関係の存在だけを要求することにしている。

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しかし,条文にない概念である関連共同性が何かについては,最近の通説も,説明に窮している。主観的な共同性ばかりでなく,客観的な共同性が判例によって認められているため,何をもって関連共同性があるかは,学説の間でも激しく争われているからである。

関連共同性という概念を利用して,共同不法行為を一体としてとらえ,そのことによって,共同不法行為における事実的因果関係の破綻を隠そうとしても,共同不法行為を一つの行為として観念することは,複数当事者の不法行為であることを単独不法行為として扱うのに等しい暴挙であり,理論的な破綻を免れることができない。

つまり,現在における共同不法行為理論は,従来の通説を批判した最近の不法行為学説も,自らが批判した関連共同性を利用せざるを得ず,結局のところ,後に述べる部分的因果関係を採用するごく少数の学説を除いて,論理的に破綻しているといわざるを得ない。

もっとも,従来の不法行為学説を批判した学説は,加害行為を除外しても結果が生じると思われる「弱い関連共同性」しかない加害者を除外しつつ,加害行為を除外すると結果が生じなくなると思われる「強い関連共同性」を有する加害者にのみに,全部の因果関係を認め,それらの加害者に全部義務(不真正連帯債務)を負わせることができるという点で,被害者救済の法理としては,有用性を持っていた。

しかし,そのような考え方は,他方で,いったん全損害の賠償を行った加害企業がが求償を行う段階においては,不具合が生じる。なぜなら,損害賠償を行った加害者は,「事実的因果関係」の考え方に基づいて,損害全部について因果関係を有するとされているため,求償の根拠を失っているからである。

(F)事実的因果関係の問題点の解決方法

この問題を解決するためには,共同不法行為に「あれなければこれなし」の考え方を適用するのをやめ,加害企業が損害発生にどの程度寄与したかという「部分的な因果関係」(浜上則雄「損害賠償法における『保証理論』と『部分的因果関係の理論』(1) 民商66巻4号(1972/07/15)523-553 頁,(2) 民商66巻5号(1972/08/05)737- 767頁参照)を認定し,すべての加害企業が連帯して責任を負った上で,負担(寄与)部分を越えて弁済した加害者は,他の加害者の負担部分の限度で求償できるとする理論を採用すべきである。

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被害者の救済を行うことは重要であるが,自己の寄与割合を越えて損害を賠償した加害者も,代位弁済者として,被害者同様に救済されるべきであり,「あれなければこれなし」によって,全部義務を負わせることは,負担部分を越えて弁済をした加害者に対して,過酷な責任を負わせる点で不当である。

世の中に生起する複雑な問題は,そのほとんどが,広い意味での共同不法行為に還元することができるのであり,共同不法行為について,適正な因果関係の理論と損害の公平な分配を実現できれば,民法理論は,飛躍的に発展することになる。このためにも,民法学は,事実的因果関係の理論から決別し,部分的因果関係の理論へと移行することが必要である。


(2) 保証債務


通説によれば,保証債務とは,「主たる債務とは別個独立の債務」であるが,「主たる債務に付従する」という性質を有するとされている。

しかし,「独立かつ付従(従属)」というのは論理的に矛盾している。このような矛盾が法律学では通説として認められていることを恥ずべきであろう([加賀山・担保法(2009)137-139頁],[加賀山・債権担保法(2011)111頁]参照)。

物上保証が「債務のない責任」であると認められているように,保証債務といわれているものも,実は,主たる債務とは別個独立の債務ではなく,主たる債務について,その履行を引き受けたことによる「債務のない責任」に過ぎないと考えるべきである。

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このように考えると,最二判平25・9・13民集67巻6号1356頁は,債務者を相続した場合の事例においてではあるが,保証人が,保証人として「保証債務」を一部弁済した場合でも,主たる債務の時効が中断すると判示している理由が明らかとなる。

保証人の弁済は,保証債務という主たる債務とは別個・独立の債務ではなく,正当な権限者として,主たる債務の履行を引き受けているのであるから,保証人の弁済は,たとえ,主たる債務者を相続していない場合であっても,主たる債務の一部弁済であるから,常に,主たる債務の時効を中断するのである(加賀山 茂「判批・債務者を相続した保証人が「保証債務」を弁済した場合の時効の中断」法報87巻12号(2015/11)113-116頁)。

 

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もしも,保証債務を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えるならば,保証債務の弁済は,あくまで,保証債務の消滅原因に過ぎないと考えるべきであり,それは,主たる債務の消滅原因でもなく,一部弁済の場合も,主たる債務の時効中断原因ともならないと考えなければ一貫しないからである。

主たる債務と保証との関係を理解しようと思うのであれば,主たる債務者が債務を全額弁済した場合の法律関係と,保証人が主たる債務者に代わって全額弁済した場合の法律関係を検討してみればよくわかる。

第1に,主たる債務者が主たる債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって,主たる債務は消滅する。さらに,主たる債務の消滅による付従性によって,保証責任も消滅する。つまり,主たる債務者が債務の全額を弁済した場合には,すべてが消滅する。

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第2に,保証人が債務者に代わって,債権者に全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって債権者は満足するが,保証人には,債務者に対する求償権が残る。この求償権を確保するため,民法500条以下によって,弁済による代位が発生する。すなわち,満足した債権者に代わって,保証人が債権者に代位して,債務者に債務の履行を請求できるのである。つまり,この場合には,債権は消滅せず,あらゆる担保を含めて,債権者のすべての権利が消滅することなく,保証人へと移転するのである。

従来の通説は,保証人による保証債務の弁済によって,保証債務は消滅し,主たる債務も消滅すると考えた上で,内部関係として,保証人には,不当利得に基づく返還請求権としての求償権が生じると考えてきた。

しかし,この考え方は,以下のように,完全に破綻している。

第1に,保証債務の弁済によっても保証債務は消滅しない。民法501条によって,債権に随伴して,保証債務も保証人に移転した上で,混同によって消滅するに過ぎない。

第2に,保証債務の弁済によっても,主たる債務も消滅しない。保証人の求償権を確保するために,債権者の有していた債権は,保証人へと移転し,存続するからである。主たる債務が消滅するのは,債務者が保証人の求償に応じて,債務を弁済したときである。

第3に,求償権は,広い意味での不当利得の考え方に含まれるが,民法上は,求償権hあ,民法459条~民法465条までの詳細な規定によって保証人に与えられる権利であり,「法律上の原因」に該当する。したがって,「法律上の原因がない」ことを発生原因とする,民法703条以下の不当利得の規定は適用されない。

このように考えると,民法の保証に関する学説は,はじめ(債務のない責任であるのに,主たる債務とは別個・独立の債務であると誤解)から終わり(保証債務の弁済による求償のメカニズム)まで,すべての点で誤りに陥っていることがわかる。しかし,出発点を誤れば,最後まで誤るのは当然の帰結であり,民法学は,その点は,一貫しているともいえよう。


(3) 連帯債務


連帯債務について考察するに際して,次のような具体例を考えてみる。すなわち,債権者Xから,Y1が300万円借り,Y2が200万円借り,Y3が100万円を借りて,それぞれがXに対して600万円を連帯して返済するという連帯債務を負担したとしよう。

この場合,通説によれば,Y1も,Y2も,Y3も,各自が,独立して,600万円の連帯債務を負うと考えている。

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このように,通説は,連帯債務は,保証ととは異なり,純粋な債務であるから,保証とは異なり付従性はないと考えている。

しかし,「付従性は存在しないが,連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済をした場合には,連帯債務は消滅する」というのは,矛盾している。

その理由は以下の通りである([加賀山・連帯債務の相互保証モデル(2001)19頁以下参照])。

たとえば,Y1が返済期日に連帯債務の全額600万円を弁済したとする。

通説は,Y1,Y2,Y3のそれぞれが600万円について,独立した連帯債務を負うしているにもかかわらず,Y1が連帯債務の全額600万円を支払うと,Y2の連帯債務も,Y3の連帯債務も消滅すると考えている。

しかし,この考え方は,第1に,通説の唱える「連帯債務の独立性」に反している。第2に,全額弁済をしたY1は,Y2 ,Y3に対して,それぞれの負担部分に応じて,200万円,100万円を求償する権利を有しており(民法442条1項),その求償権を確保するために,民法500条,501条によって,債権者の有する債権のうち,300万円は消滅せず,すべての権利がY1に移転するのであるから,通説の考え方は,自らの理論的前提にも,また,民法の明文の規定(民法500条以下)にも反している。

通説の考え方をしばし離れて,論理的に順を追って考えるならば,連帯債務者の一人であるY1が連帯債務の全額である600万円を弁済した場合,その結果については,二つのことを区別して考える必要がある。

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第1は,Y1の負担部分である300万円の弁済である。負担部分300万円の弁済によって,他の連帯債務者の保証部分は,付従性によって消滅する。

第2は,Y1の保証部分である300万円の弁済である。保証部分の弁済によって,弁済した連帯債務者Y1は,他の連帯債務者Y2,Y3に対して求償権を取得する。なぜなら,負担部分を超える保証部分の弁済は,連帯保証人としての弁済であり,その部分については,主たる債権・債務は消滅せず,求償権を確保するために,連帯債務者に移転するからである。

このように考えると,連帯債務は,負担部分は真正の債務であって付従性は存在しないが,負担部分は,連帯保証であり,付従性が存在することが分かる。

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さらに,連帯債務の絶対的効力とは,負担分が不成立・無効・消滅したときに,付従性によって,他の連帯債務者に生じる利益であることもわかる。

つまり,連帯債務の絶対的効力は,連帯債務が真正の債務と連帯保証の結合によって成り立っている必然的結果であり,連帯債務者の一人に生じた負担部分の不成立・無効・消滅によって,他の連債務者の保証部分が付従性によって消滅するという,いわゆる「絶対的効力」は,実は,例外的な現象でも,付随的な効果でもなく,連帯債務に本質的な効果なのである。


(4) 担保物権


通説によれば,担保物権は,債務とは別個独立の物権であるが,債権に付従するとされている。

しかし,「独立かつ付従(従属)」というのは矛盾している。このような矛盾が法律学では通説として認められていることを恥ずべきであろう([加賀山・債権の優先弁済権としての担保物権(2002)291頁以下]参照)。

担保物権は,債権が有する固有の効力である掴取力(債務者の財産を強制執行を通じて換価処分できるという効力)について,他の債権者に先立って配当を受けるという権利に過ぎず,債権のほかに,別個独立の物権が存在するわけではない。その理由は,以下の通りである([加賀山・担保法のパラダイム(2011)1頁以下]参照)。

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第1に,留置権は,債権者の許可を得ずに,目的物を使用することも,収益することも,処分することもできない(民法298条2項)。これは,物権の定義に反する。また,動産留置権の対抗要件は,引渡ではく,占有の継続であり(民法302条),不動産留置権の対抗要件は,登記ではなく,占有の継続である(民法302条)。これは,物権総則の対抗要件規定に反している。

第2に,先取特権は,特定の債権に与えられた優先弁済権に過ぎず,以下に述べるように,物権として性質を持っていないし,物権の対抗要件の原則に従っていない。

(1) 一般先取特権の対象は,債務者の全財産に及ぶ(民法306条)。しかし,他人の全財産を対象とするという物権は存在するのであろうか。考えるだけでも恐ろしいことである。そればかりでなく,一般先取特権は,物権に必要な特定の原則にも反しているし,物権としての対抗要件とは異なり,対抗要件として,引渡も登記も不要である点でも,物権ではありえない。つまり,一般先取特権とは,特定の債権について,他の債権者に先立って配当を受ける権利を有するだけであり,債権以外の何物でもない。

(2) 動産先取特権も,動産物権変動の対抗要件に従っておらず,目的物の引渡しを要しない。しかも,優先順位についても,のちの保存が先の保存に優先するなど,物権法の法理とは逆の法理に服している。

(3) 不動産先取特権は,抵当権の規定が準用されるため,対抗要件が登記とされ,物権の対抗要件と同様となるが,不動産賃借権の対抗要件も登記であり,登記が対抗要件だから物権であるとはいえない。しかも,後に述べるように,抵当権自体が,その処分(抵当権の放棄・譲渡)に関しては,物権としての性質に反している側面があるばかりでなく(民法377条は,抵当権の処分の対抗要件は,登記ではなく,債権譲渡の対抗要件の規定を準用している),不動産保存・工事の先取特権は,抵当権の登記が先行しており,その後に登記をした場合であっても,抵当権に優先する効力を有する点で(民法339条),物権の法理に従っていない。

第3に,質権も,そのほとんどが,物権の対抗要件に従ってない。

(1) 動産先度特権の対抗要件は,引渡しではなく,占有の継続であり(民法352条),物権の対抗要件に従っていない。

これに対して,(2) 不動産質権の場合は,抵当権の規定が準用されるため,対抗要件が登記とされ,物権の対抗要件と同様となる。

しかし,(3) 権利質については,その対象が無体物であり(民法362条),物権の対象は有体物に限るという原則(民法85条の立法理由参照)に反しており,それゆえに,民法の起草者は,権利質については,物権であることを否定していた。

第4に,抵当権についても,冒頭条文にある地上権,永小作権を対象とする抵当権(民法369条2項)は,無体物に対する権利であり,物権の対象は有体物に限るという原則に反している。

また,先に述べたように,抵当権の放棄(民法376条)は,抵当権が物権であれば,抵当権が消滅するはずであるが,抵当権の放棄は,一般債権者との間で,その優先権を放棄するにとどまっており,このことからも,抵当権が物権ではなく,債権に付された優先権に過ぎないことが明らかとなっている。しかも,抵当権の処分の対抗要件が,登記ではなく,債権譲渡の対抗要件を準用している(民法377条)ことも,抵当権が物権ではないことの傍証となっている。

さらに,さきに述べたように,抵当権の登記が先になされていても,後に登記した不動産保存・登記の先取特権に劣後する(民法339条)ことも,物権法の法理からは説明不能である。

以上のことから,担保物権は,被担保債権から独立した物権ではなく,被担保債権が,法律の規定により(留置権,先取特権),または,当事者の合意と公示によって(質権,抵当権),他の債権者に先立って弁済を受ける権利,すなわち,優先弁済権が付加されているに過ぎないと考えるべきである。

担保物権の付従性は,被担保債権とは別個・独立の物権が存在するのではなく,存在するのは,被担保債権のみであり,したがって,被担保債権が消滅すれば,被担保債権に付与されていた優先弁済権も必然的に消滅するのである。担保物権の付従性とは,被担保債権以外に別個・独立の担保物権は存在しないということの証明でもある。


2.反対解釈を誤っているもの


(1) 抵当権の消滅

民法396条によると,「抵当権は,債務者及び抵当権設定者に対しては,その担保する債権と同時でなければ,時効によって消滅しない。」のであるから,抵当権は,債務者又は抵当権設定者以外の者については,債権とは独立に,20年の消滅時効によって消滅する(民法167条2項)。

しかし,民法397条によれば,「債務者又は抵当権設定者でない者が抵当不動産について取得時効に必要な要件を具備する占有をしたときは,抵当権は,これによって消滅する。」とされており,債務者又は抵当権設定者以外の者についても,抵当目的物について所有権の原始取得によって消滅(混同による消滅,または,追及効の消滅による抵当権の消滅)する場合以外は,抵当権は消滅しないと解すべきである(([加賀山・担保法(2009)575-583頁],[加賀山・債権担保法(2011)478-486頁]))。

(2) 保証債務(民法465条)と連帯債務(民法442条)との間の求償の要件(負担部分を越えて弁済することが必要かどうか)に関する区別

通説は,保証債務の場合は,負担部分を越えて弁済をした場合についてのみ求償ができるとしているので(民法465条),連帯債務の場合には,そのような制限が規定されていないので(民法442条),反対解釈によって,連帯債務の場合には,負担部分を越えて弁済をしていなくても,求償ができると考えている。

しかし,現行民法の起草の際に参考にされ,その規定の内容について修正がされてない旧民法の規定を見てみると,そこでは,共同保証人の求償権が先に規定されており,そこにおいて,共同保証人は,負担部分を超えて弁済をした場合についてのみ求償ができることが規定され,次に,連帯債務の規定において,この共同保証人の求償の規定が準用されていたのである。この場合には,連帯債務の求償において反対解釈を行うことはできず,共同保証のばあいも,また,連帯債務の場合も,負担部分を越えて弁済をした場合にのみ求償権が発生することが明らかである([加賀山・担保法(2009)140-142頁],[加賀山・債権担保法(2011)116-119頁])。

現行法の連帯債務者および共同保証人の求償の規定は,その内容を旧民法から受け継いでおり,内容の変更はなされていない。ただし,現行民法は,両者の規定の順序を入れ替え,連帯債務の求償の規定(442条)を保証の求償の規定(465条)よりも先に置いたため,反対解釈の余地が生まれたに過ぎない。

現行民法の立法の歴史を振り返り,規定の意味をよく理解するならば,民法442条について,民法465条の反対解釈をすることは無意味であることがよくわかるはずである。

(3) 転貸借における転借人の前払いと後払い

民法613条は,以下のように規定している。

第613条(転貸の効果)

①賃借人が適法に賃借物を転貸したときは,転借人は,賃貸人に対して直接に義務を負う。この場合においては,賃料の前払をもって賃貸人に対抗することができない。
②前項の規定は,賃貸人が賃借人に対してその権利を行使することを妨げない。

民法613条1項2文が,「賃料の前払をもって賃貸人に対抗することができない。 」としているため,通説は,「賃料の『後払』をもって賃貸人に対抗することができる」と解している。

しかし,そのように解すると,民法613条1項1文と矛盾することになる。なぜなら,民法613条の趣旨は,賃貸人を保護するため,賃料の支払い期限も到来し,転貸借の賃料の期限も到来し,いずれも,賃料を支払いをしていない場合に,賃貸人は,民法613条1項1文に従って,転借人に対して直接に賃料の支払いを請求できるとすることであるからである。

もしも,この場合に,転借人が,「後払い」だから,賃貸人に対抗できる,すなわち,賃貸人の請求を無視して,賃借人に払ってもよいということになると,民法613条は,その意味を失ってしまう([加賀山・民法613条の直接訴権(2)(1977)87頁以下]参照)。

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現実を見ても,賃借人が賃料不払いを続け,賃貸人が転借人に請求しても,転借人がこれを拒むということになると,賃貸人は,債務不履行を理由に賃貸借契約を解除することができ,その場合には,転貸借契約も終了するに至るというのが,通説・判例の見解だからである。

民法613条の立法趣旨は,賃貸人の転借人に対する直接の権利は,賃料債権の存在と,転借料債権の存在との2つの要件を前提として,両者の債権額の共通の範囲内で,賃貸人の転借人に対する直接の請求を認めるものである。したがって,賃貸人の直接請求の前に転借人がすでに転借料を支払っておれば,その前提が崩れるため,そもそも直接請求権は発生しない。しかし,転借人が賃貸人を害するために,何年分も転借料を前払いするなど,詐害的な前払いをした場合には,その前払いをもって賃貸人に対抗委できないとしたのである。したがって,直接請求権の要件が満たされた後は,転借人は,賃借人に支払いをすることは禁止され,必ず,賃貸人に支払わなければならないのである([加賀山・契約法(2007)493頁]参照)。

民法613条の直接請求権をさらに発展させた,交通事故の場合における被害者の保険会社に対する直接請求権場合には,交通事故の発生時点から,保険会社が,加害者である被保険者に保険金を支払うことを明文で禁止している(自賠法15条)。

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この場合と同様に,民法613条の場合においても,賃貸人が直接請求をするまでは,慣習に基づいた前払い,期日後の後払いも許されるが,賃貸人が直接請求したのちは,転借人は転借料を賃貸人に支払うことはできないのである。

つまり,民法613条1項2文の反対解釈は,民法613条1項1文に反する限りで許されないのである。


3.数学的に誤っているもの


(1) 足し算ができない-連帯債務の合計額が足し算で求まらないのはなぜか?

通説によると,連帯債務者は,それぞれ,連帯債務額全額について,独立して債務を負担するとしている。

例えば,債権者Xから,Y1が300万円借り,Y2が200万円借り,Y3が100万円を借りて,それぞれがXに対して600万円を連帯して返済するという連帯債務を負担したとすると,各連帯債務者は,それぞれ,600万円の独立した債務を負担するという。

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独立した債務であれば,債権者は,各連帯債務者が負担する600万円の3倍の債権を有することになるはずであるが,さすがに,通説も,債権者は,600万円の債権しか有さないとしている。

合計額が600万円ならば,各自が独立して600万円ずつの債務を負担するはずはない。
したがって,通説は,次のいずれかを選択しなけれならない。

第1に,連帯債務者が,それぞれ独立して600万円の債務を負担するというのであれば,連帯債務の総額は,1,800万円とならなければならない。
第2に,連帯債務額の総額が600万円であるというのであれば,連帯債務者は,各自が独立に600万円の債務を負担するのではなく,各自の債務は,それぞれが借り入れた300万円,200万円,100万円のみであり,残りは,本来の債務ではなく,相互に連帯保証をしているに過ぎないと考えなければならない。もしも,そう考えるのであれば,連帯債務の総額は600万円で計算が合うが,連帯保証を負う範囲で,付従性が生じることを認めなければならない。

通説は,いまだに,連帯債務者は,各自が独立して連帯債務額全額について債務を負担し,連帯債務は保証と異なり,付従性を有しないとしている。債務が独立ならば,合計額は足し算によって求められるはずであり,その計算が合わないまま,それが学説として認められているというのが,法律学の悲劇であろう。

すべての民法学者は,足し算もできない哀れな通説を捨てるべきであり,その代わりに,理論的な整合性を有する相互保証理論を学び直すべきであろう。

(2) 引き算の理解が不十分-差額説と個別損害項目積み上げ方式の関係が不明

損害額に算定に当たり,通説・判例は,損害項目ごとの損害を積算する方法を採用している(個別損害項目積み上げ方式)。この方法の問題点は,積極損害(治療費とか,修理代金等)消極損害(逸失利益)を積算する際に,積算項目に見落としが生じるおそれが付きまとう点である。

これに対して,差額説は,不法行為や債務不履行がなければ被害者が置かれているであろう抽象的な財産状態を計算し,そこから,不法行為や債務不履行があったために被害者が置かれている財産状態(収入-支出)を引き算するという方法を採用する。

差額説の場合は,現在の財産状態は,(事故後の収入-事故後の支出)として確実に計算できる上に,不法行為や債務不履行がなければ置かれていた財産状態も,(事故の前の財産状態-事故前の収入)を基準として,現状に回復するか,事故による症状が固定するまでの間の財産状態を試算することによって,算定することが可能である。

しかも,差額説は,個別損害項目積上げ方式と同値になることが明確であるため,個別損害項目積上げ方式による計算は,実は,不要である。

その理由は,以下の通りである。

差額 = あるべき財産状態 - 現実の財産状態
差額 = (あるべき収入-あるべき支出) - (現実の収入 - 現実の支出)
差額 = (あるべき収入 - 現実の収入)+ (現実の支出 - あるべき支出)
差額 = 消極損害(逸失利益)+ 積極損害

したがって,損害賠償額を決定するためには,二つの方向から計算した式が一致しているときにのみ,その限りで損害賠償請求を認めるべきである。

なぜなら,個別損害項目積み上げ方式は,損害項目が抜け落ちる危険性があるばかりでなく,水増し請求の温床となる危険性が高いからである。そこで,個別損害積み上げ方式で計算された損害賠償額について,家計簿等から,事故前の収入から想定されるあるべき収入から現実の収入を引いた額に,現実の支出から従来の支出から想定されるあるべき支出を加えた額が,個別損害積み上げ方式によって示されている損害額とが一致する範囲でのみ,損害額を認定すべきである。

このような二重のチェックを行わずに,安易に損害額を算定したり,認定することは,不正経理を行うに等しいことを法律家は自覚すべきであろう。

(3) 現価計算(等比級数の和の計算)の誤り-逸失利益の算定におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の誤り

現在の法律家の多くは,逸失利益の計算に際して,特に年収が増加傾向にある被害者について,正しい計算式に比して法外な逸失利益の算定を行って,損害賠償額の水増し請求を行っている。

なぜなら,逸失利益の計算は,会計上は,将来収入を現在価値に変換する手続きであり,現価計算の正しい方法があるにもかかわらず,,現在の法律実務は,それを利用せず,年収が一定でない場合についても,年収を一定と仮定して,ホフマン係数やライプニッツ係数を利用しているが,このような取り扱いは,年収が増加傾向になる被害者の損害賠償額が大幅に水増しされることになり,不正経理に手を染めているに等しい。

逸失利益の計算は,将来に得ることができる収入を現在価値に換算することなので,以下のようにして,中間利息の控除する手続きを行わなければならない。

現在価値×(1+年利)^年=将来価値であるから,複利計算をするのであれば,
現在価値=将来価値/(1+年利)^年として算定される。

具体的には,年収がa1, a2, a3, …, anとなる場合の逸失利益の現在価値は,以下のように計算されなければならない。

S=a1/(1+r) + a2/(1+r)^2 +…+an/(1+r)^n

確かに,a1=a2=…anの時に限っては,以下のように,

初項:a×(1/(1+r)),公比:1/(1+r);項数:n

という場合の等比級数の和の公式を当てはめることができる。

Sn=a×(1/(1+r))×(1-(1/(1+r))^n)/(1-(1/(1+r)))
S1=a×0.952380952
S2=a×1.859410431
S3=a×2.723248029

Sn=a×(1/1.05)×(1-(1/1.05^n)/(1-(1/1.05))

上記の式の右辺のaを除いた数が,ライプニッツ係数であるが,このライプニッツ係数が意味を持つのは,あくまで,年収aが一定である場合に限定される([加賀山=竹内・中間利息控除の問題点(1990)17-26頁])。

しかも,aを平均年収で代替することは,数百万,数千万単位の誤差を生じさせるため,年収を平均年収で代替することはできない(加賀山茂「逸失利益(4)-中間利息控除(ホフマン方式)(最二判平3・11・8交通民集24巻6号1333頁)」交通事故判例百選[第4版](1999)118-119頁)。

したがって,単利計算に基づいて計算されたホフマン係数も,複利計算に基づいて計算されたライプニッツ係数も,現実の損害賠償の額を決定するのに使うことはできないのである。

その代わりに,逸失利益の計算は,原理に立ち返って,以下のように計算しなければならない。

Sn=a1×(1/(1+r)^1)+a2×(1/(1+r)^2)+ … +an×(1/(1+r)^n)

この計算は,表計算ソフトを利用すれば,一瞬で計算が完了するのであり,計算に時間がかかった時代に濫用されたホフマン係数やライプニッツ係数を利用し続けることは,不正経理を行うに等しいことをすべての法律家が自覚すべきである。

このように考えると,法律家としても,ホフマン方式やライプニッツ方式で逸失利益を算定することは,年収が増加傾向にある被害者の逸失利益の算定は,水増し請求となるのであって,そのような不正な請求を行うことは,専門家として恥ずべき行為であり,直ちに停止すべきであろう。

(4) 微分が理解できない-ハンドの公式の誤り

民法学においては,従来は,過失とは,「うっかりしている」等の内心的な緊張を欠く状態を意味していたが,それでは,故意と同じように証明が困難である上に,恣意的な認定が行われるおそれがあった。

そこで,現在では,外形から判断できる行為に着目し,「自らの行為から一定の好ましくない結果が発生することが認識できるにもかかわらず,不注意で,予見可能な結果を回避する注意義務に違反することである」と考えられるようになっており,客観的な証明が可能な概念へと進化している。

そうはいっても,過失の判断は,「あるか,ないか」の判断であり,定量的な分析にはなじまないとされてきた。この点について,法と経済学(法の経済学的分析)の研究は,過失についても,定量的な分析を可能にしてくれている([加賀山・不法行為法の定量分析(2011)17頁以下]参照)。

法と経済学の知見によると,過失の判断における注意義務の程度,すなわち,行為者が果たすべき合理的な注意の量(x)は,その注意の量に応じた「注意費用」(Bx)とそのような注意を払ってもなお生じる可能性のある損害の額,すなわち,「期待損害」(p(x)L)との合計額,すなわち,社会費用(SC)を最小とするような注意の量(x*)として決定される[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)352-358頁]。

下の図においては,以下の3つの線が重要な役割を果たしている。

・注意費用直線:注意の量が増えるに従って増加する注意費用が,右上がりの直線(Bx)として表示されている。
・期待損害曲線:注意の量に応じて,減少する期待損害が,右下がりの曲線(p(x)L)として表示されている。
・社会費用曲線:上記の2つの費用の合計額が社会費用(SC: Social Cost = Bx+p(x)L)であり,この社会費用は,下に凸の曲線として表示されている。

この社会費用曲線が最小となる点,すなわち,限界注意費用と限界期待損害との和がゼロとなる点(B(x)’+ p(x)’L = 0)を求めると,その場合のxの値が,注意義務の量として決定される。下の図では,このxの量が縦の直線で表されている。

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図 法の経済分析からみた「ハンドの定式」の誤り
ハンドの定式:注意費用 <期待損害 のとき,過失となる
法の経済分析:限界費用 < 限界期待損害 のとき,過失となる

社会的費用を最小にする注意の量は,以下に述べるように,「ハンドの定式」(United States v. Carroll Towing Co. 159 F. 2d 169(2d Cir. 1947)([藤倉他・英米法判例百選(1996)170-171頁])参照)において決定的に重要とされる「注意費用と期待損害費用とが一致する点」,すなわち,注意費用直線と期待損害曲線との交点とは,全く異なる点であることに注意する必要がある。

「ハンドの定式」においては,注意費用と期待損害とが等しくなる点,すなわち,B(x) = p(x)Lを満たす注意の量であるxの値が過失と無過失とを分ける点とされている(ハンド判事自身が,「過失を決める方程式をB = PDとする。Bは危険を避けるのに必要な注意,Lは被害の大きさ, Pは被害の発生する蓋然性である」([藤倉他・英米法判例百選(1996)171頁])と述べている。そして,注意費用が期待損害を下回る場合,すなわち,B(x) <p(x)Lの場合に,行為者に過失があるとしている([藤倉他・英米法判例百選(1996)170頁])。

しかし,上の図でも明らかなように,過失と無過失とを分ける点は,注意費用と期待損害とが等しくなる点ではなく,限界注意費用と限界期待費用とが等しくなる点,すなわち,社会費用が最少となる点である。その点で,ハンドの公式は,費用と限界費用とを取り違えた基本的な誤りを犯しているといえよう(ハンドの方式に対しては,[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)369-373頁]が,「法と経済学」の立場から,徹底的な批判と問題の解明を行っている)。


4.基準が恣意的なもの


(1) 対抗問題とは何か


通説は,民法177条の「対抗することができない」は,対抗問題だが,民法94条2項,民法96条3項の「対抗することができない」は,対抗問題ではないとしている。

このような区別の基準を探求してみると,通説は,第三者に対抗するために登記が必要と考える場合には,それを対抗問題といい,第三者に対抗するのに登記を必要としない場合は,対抗問題ではないと言い換えているに過ぎないことがわかる。

しかし,基準となる「登記を必要としない場合とは,対抗問題ではない」という命題は,その対偶(元の命題と同値)を取ってみると,「対抗問題とは,登記を必要とする問題である」ということになる。しかし,AがBによる詐欺によって不動産をBに売却し,Bが善意の第三者に転売したところ,AがBの詐欺に気づいて取消をした場合に,保護を求めるA,または,Cは,検視保護資格要件として登記を必要とすると考えるが有力説となっており,民法96条3項の「対抗することができない」という意味を,対抗問題ではないとは言い切れない状況となっている。

そこで,「対抗することができない」という意味を一般的に定義したり,「対抗することができない」という意味を民法全体にわたって整合的に理解することが,民法学の課題となる([加賀山・対抗不能の一般理論(1986)6頁以下]参照)。

この問題について,わが国で最初に取り組み,「対抗不能の一般理論」を提唱したのがが筆者であることは,私法学会のシンポジウムの中舎発言でも明らかにされている。

そこで,ここで,筆者の「対抗不能の一般理論」を紹介し,民法にでてくる「対抗することができない」という意味は,整合的,かつ,統一的に解釈できることを示すことにする。

(A)民法37条が最初の一歩

民法において,「対抗することができない」という用語が初めて現れるのは,民法37条であり,この条文は,「対抗することができない」という意味を統一的に理解するうえで,非常に意味深い条文である。

ここでは,民法37条のうち,「対抗することができない」という条文と,それを言い換えて表現している「否認することができない」という条文を対比して示すことにする。

第37条(外国法人の登記)

②前項各号に掲げる事項に変更を生じたときは,3週間以内に,変更の登記をしなければならない。この場合において,登記前にあっては,その変更をもって第三者に対抗することができない

⑤外国法人が初めて日本に事務所を設けたときは,その事務所の所在地において登記するまでは,第三者は,その法人の成立を否認することができる

民法37条2項は,「A(外国法人)は,登記するまでは,B(登記事項の変更)をもって,C(第三者)に対抗できない」と表現しているのに対して,民法37条5項は,主語を逆転させて,「C(第三者)は,A(外国法人)が登記するまでは,B(法人の成立)を否認することができる。」と規定している。

後者については,これを「外国法人は,登記をするまでは,法人の成立をもって第三者に対抗することできない」という意味であることに,争いはない。

そうだとすると,Aに一定の不備があると,「AはBをもってCに対抗できない」という意味は,主語を逆転させて,Aに一定の不備がある場合には,「Cは,Cの利益を保護する範囲で,Aの有するBの効果を否認することができる」と言い換えることができそうである。

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つまり,民法において「対抗することができない」という用語が最初に出現する民法37条2項「登記前にあっては,その変更をもって第三者に対抗することができない」は,「第三者は,登記前にあっては,その変更を否認することができる」と言い換えることができることになる。

「AはBをもってCに対抗することができない」という用語法を「Cは,Cが保護されるべき範囲に限ってAが有するBの効果を否認できる」と言い換えるメリットは,「対抗できない」というあいまいな否定形ではなく,主語と範囲が明確となる肯定文として表現できるからである。

(B)民法37条の民法176条,民法177条への応用

民法37条の分析を通じて,「Aは,Bをもって,Cに対抗できない」というあいまいな表現は,主語と効果の範囲が明確な「Cは,Cの利益が保護されるべき範囲で,AのBの権利を否認できる」と言い換えることができることが明らかとなった。

そこで,この考え方を,民法176条,および,177条に応用してみることにしよう。

民法176条によると,不動産の物権変動は,意思表示の合致のみで実現できる。したがって,例えば,不動産の買主Aが売主Bと売買契約をし,契約条項にある所有権移転の条件として売買代金を完済すると,所有権は,BからAに移転し,Aは,完全な所有権者となる。

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しかし,Aが登記をBから移転せずに放置している間に,Cが登記を有しているBから当該不動産を買い受けて先に登記をすると,第一買主であるAは,所有権の移転の効果を第二買主であるCに対抗できなくなる。これが,民法177条の意味である。

民法177条の意味は,民法37条で習得した「否認」による書き換えをすると,一層わかりやすくなる。

すなわち,民法177条は,「(権利保護要件としての登記を先に得た)第三者は,民法176条によって取得したAの権利のうち,売買契約上の不履行責任等の効力までは奪えないものの,Bの利益を害する物権的移転の効力に限って,これを否認することができる」と書き換えることができる。

このように書き換えると,登記を怠った第一買主は,売買契約は有効であるので,売主に対して,債務不履行に基づく損害賠償を請求できることになるが,所有権の取得は,はじめに遡って否認されることになることがよく理解できる。

(C)民法37条の民法96条3項への応用

通説によれば,条文上は「対抗することができない」と書かれているが,民法177条にいわゆる「対抗問題ではない」とされている,民法96条3項についても,民法37条の分析から得た「否認」の考え方を応用して,民法96条3項を書き換えてみて,その意味を理解することにしよう。

民法96条3項は,「詐欺による意思表示の取消しは,善意の第三者に対抗することができない」と規定している。

「AはBをもってCに対抗することができない」を「Cは,Cの利益を害する範囲でAの有する権利のうちの一部を否認することができる」として,書き換えるのであるが,民法177条の場合は,例えば,売買契約の効果のうち,物権移転の効果だけが否認された。

これに対して,民法96条3項の場合には,否認されるのは,「はじめに遡って無効となる」(民法121条)という取消しの効果のうち,遡及効だけが否認される。

つまり,民法96条3項は,「善意の第三者は,その利益を害されることになる遡及効に限って,詐欺による意思表示の取消しの効果を否認することができる」と書き換えることができる。

そうすると,善意の第三者によって,詐欺による意思表示の効果は,民法748条の「婚姻の取消しの場合と同様,「将来に向かってのみその効力を生ずる」,すなわち,復帰的物権変動が,初めに遡るのではなく,取消しの時点から生じることになる。

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このように考えると,取消しによる売主Bから第一買主に対する復帰的物権変動と,売主Bから善意の第三との間に生じる売買契約による物権変動が,まさに,二重譲渡の関係になるため,この時から,民法177条が適用されることになるのである。

(D)詐害行為取消権の取消しも否認として理解する

このようにして,第1に,「AはBをもってCに対抗することができない」の意味を,「Cは,自己の利益が害する範囲で,BについてAの権利を否認できる」であると理解できるようになり,第2に,この場合の否認とは,当事者間で法律行為を無効にする取消とは異なり,第三者が当事者間の法律行為の効果の一部を取り消すことであると理解することができるようになると,さらに視野が広がるようになる。

なぜなら,詐害行為取消権の取消しも,実は,当事者間で行われる法律行為の取消しではなく,第三者(債権者)が債務者と受益者との間で行われた法律行為,または,受益者と転得者との間の法律行為,さらには,転得者と別の転得者との間で行われた法律行為について,責任財産を逸失刺せるという効果のみを否認して,逸失した債務者の目的財産を債務者の責任財産とみなして目的財産に対して強制執行をする準備をするものであることが理解できるようになるからである。

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このように考えると,詐害行為取消権とは,破産法上の否認権が債務者の総財産を対象にして,債務者の総財産を管理する破産管財人が債務者の財産の逸失行為を否認するものであるのに対して,民法上の詐害行為取消権は,特定財産に対して,債権者が債務者等の責任財産の逸失行為を否認するものであることが理解できるようになる。

つまり,民法424条における「債権者は,債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求することができる。」は,以下のように書き換えることができることになる。

債務者が債権者を害することを知ってした法律行為は,債権者に対抗することができない。
債権者は,その法律行為意によって逸失した財産について,債務者の財産とみなし,受益者,または,転得者の下で強制執行をすることを裁判所に請求することができる。


(2) 連帯債務の絶対的効力の範囲


債権者と連帯債務者の一人との間で生じた事由は,契約の相対的効力の原則にしたがって,原則として,他の連帯債務者に及ばないとするのが,民法440条(相対的効力の原則)の趣旨である。

第440条(相対的効力の原則)

第434条から前条まで〔連帯債務者の1人について生じた事由の他の連帯債務者に対する絶対的効力〕に規定する場合を除き,連帯債務者の1人について生じた事由は,他の連帯債務者に対してその効力を生じない。

しかし,民法440条は,逆から見ると,434条~439条までの規定について,絶対効があることを明確にしているほか,厳密には,絶対的効力のすべてを尽くしていないという点で,立法の過誤というべき規定である。

なぜなら,弁済については,すべての学説が,絶対的効力を認めているが,民法440条には,弁済が絶対的効力を有する例外であることが規定されていない。

さらに問題であるのは,絶対的効力の例外を民法434条から始めているが,その前の民法433条も絶対的効力の規定であるにもかかわらず,433条の規定を絶対的効力に含めていない点である。

民法433条は,旧民法債権担保編第58条を修正したものであるが,旧民法が,取消しについてのみ,行為無能力,瑕疵ある意思表示を理由に取り消されたときは,「債務に於ける其者の部分に付き他の債務者を利す」と規定していた。現行民法の立法理由によれば,現行民法は,「既成法典は,取消の場合のみに付きて規定を設けたるを以て,無効の場合に於ては如何なる結果を生ずべきかに付き疑を生ずるに至れり。」と述べて,旧民法が取消しについてのみ規定しているのを,むしろ,不十分とし,無効の場合をも追加して規定したものであり,「無効・取消の絶対的効力」を否定したものではない。

このように,現行民法には,立法理由とは異なり,「絶対的効力」をすべて列挙していないという立法上の過誤が存在している。このため,学説は,絶対的効力についての整合的な解釈に失敗しており,民法が絶対的効力として認めている免除の絶対効(民法437条),消滅時効の絶対効(民法439条)を制限的に解釈し,民法改正においては,これらを削除するとの提案までしている。

しかし,連帯債務の性質を,真の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合であると理解する場合には,絶対的効力の意味を以下のように理解することが可能となる。

連帯債務者の一人に生じた事由は,原則として他の連帯債務者に影響を及ぼさないが,一定の場合には,他の連帯債務者に対して影響を及ぼすことがある。


(3) 不真正連帯債務とは何か


連帯債務とは異なり,弁済以外には絶対的効力が生じないが,負担部分を越えて弁済をした場合には,求償はできる。

しかし,負担部分があるのであれば,それは連帯債務そのものであり,負担部分が消滅すれば,絶対的効力も生じるはずである。

この点について,興味深い事例を提供しているのが,最一判平6・11・24判時1514号82頁であり,以下のような事案である([加賀山・連帯債務の相互保証モデル(2001)19頁以下]参照)。

妻Xと夫Aとの婚姻関係を継続中,第三者であるY女が夫Aと不貞行為に及び,そのため右婚姻関係が破綻するに至ったとして,妻Xは,Y女に対し,不法行為に基づく慰謝料300万円とこれに対する遅延損害金の支払を請求して訴えを提起した。

この事案について,第一審は,Xの請求を全部認容した。これに対して,控訴審は,本件不法行為に基づく慰謝料は300万円が相当であると判断したものの,Yが原審において主張した債務免除の抗弁を一部認め,YがXに支払うべき慰謝料は150万円が相当であるとし,一審判決を変更して,Yに対し,150万円及びこれに対する遅延損害金の支払を命じた。

控訴審判決は,以下のように,民法719条の連帯責任について,民法437条の規定を適用しており,事案の解決として妥当である。

Y女と夫Aの不貞行為は妻Xに対する共同不法行為というべきところ,XとAとの間には平成元年6月27日離婚の調停が成立し,その調停条項には,調停の「条項に定めるほか名目の如何を問わず互いに金銭その他一切の請求をしない」旨の定めがあるから,XはAに対して離婚に伴う慰謝料支払義務を免除したものというべきである。

YとAがXに対して負う本件不法行為に基づく損害賠償債務は不真正連帯債務であるところ,両名にはそれぞれ負担部分があるものとみられるから,本件調停による右債務の免除はAの負担部分につきYの利益のためにもその効力を生じ,YとAがXに対して負う右損害賠償債務のうちY固有の負担部分の額は150万円とするのが相当である。

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ところが最高裁判例は,「民法719条所定の共同不法行為(者)が負担する損害賠償債務は,いわゆる不真正連帯債務であって連帯債務ではないから,その損害賠償債務については連帯債務に関する同法437条(免除の絶対効)の規定は適用されないものと解するのが相当である(最高裁昭和43年(オ)第431号同48年2月16日第二小法廷判決・民集27巻1号99頁参照)。」と判示している。

しかし,この事案は,共同不法行為者とされる夫と不倫関係に女性の二人であり,まさしく,共謀がある事案であるから,競合的共同不法行為とは異なり,加害者間に主観的関連共同がある事案であり,したがって,その責任を通常の連帯債務と考えても,何の不都合もない事案であった。

しかも,原告(妻)は,夫への請求を免じしているのであるから,妻は夫と不倫関係にある女性に対して連帯債務の全額を請求した場合には,その女性は夫に対して求償ができるため,夫にした免除は実質的な意味を持たず,回り求償を生じさせる分,免除を受けない連帯債務者にとって,不当に重い責任を課すものとなっている。


(4) 第三者のためにする契約に該当する契約


「第三者のためにする契約」は,三当事者にかかわる様々な制度,例えば,生命保険契約,債権譲渡,債務引受,契約上の地位の譲渡,保証などを公正に構築できる優れた制度である。しかし,現状では,その利点が活かされていない。なぜなら,「振込制度」の前身である「電信送金契約」に関して,判例は「第三者のための契約」ではないと断定したからである(大判大11・9・29民集1巻557頁,最一判昭43・12・5民集22巻13号2876頁)。

これが,「第三者のためにする契約」の解釈学の悲劇の始まりである。その後,振込についても,「判例(大判昭9・5・25民集13巻829頁)は,振込契約を第三者のための制度ではないと判断している」という考え方が通説となっている。

このため,「第三者のためにする契約」に基づいて振込制度の基礎理論を形成するという機会が阻害されている。

「振込契約」に関する最近の判例(最二判平8・4・26 民集50巻5号1267頁)も,第三者のためにする契約の考え方を無視し,以下のように,誤振込のように,原因関係がなくても振込は有効」という考え方を採用するに至っている。

振込みの原因となる法律関係が存在しない場合であっても,受取人と銀行との間に,振込金額相当の普通預金契約が成立する。

このため,反社会的集団による「振り込め詐欺」に対しても,「原因関係がなくても振込は有効」であるという判例法理が足枷となって,適切な対処できないという混迷状態が続いている。

そこで,「第三者のためにする契約」について,原点に立ち返って基礎的研究を行い,その効用を再評価をすることが必要となっている。


Ⅲ 民法学の失敗の原因の究明


最後に,民法学の最大の失敗のうちの二つを例(事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方,および,連帯債務の法的性質)を取り上げ,なぜ,このような失敗が放置されているのかを考えてみよう。


1.事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の温存にみられる論理的思考の不徹底とごまかしに頼る傾向


事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が,一定の場合に誤りに陥るということは,昔から指摘されてきた。すなわち致死量10mgの毒をY1が10mg,Y2が10mg,Y3が10mgをXのワイングラスに入れて,Xが死亡するという場合(上記第(3)の場合)には,一人を取り除いても,結果が生じるので,例外的に事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は使えないとされてきた。

しかし,Y1が4mg,Y2 が4mg,Y3が4mgを入れた場合(上記第(1)の場合)には,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の結果が正しいため,この考え方自体が誤りであるとは,認識されなかった。

もしも,Y1が4mg,Y2 が4mg,Y3が4mgを入れた場合(上記第(1)の場合)においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を使うと,Y1もY2もY3もXの死亡という結果全体について因果関係があるという結論が生じる。このため,この場合においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が誤りに陥ることに気づいていれば,複数原因の場合には,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,常に誤りに陥るので,使ってはならないという結論が導かれる可能性が存在していた。しかし,民法学は,このような絶好の機会を生かすことができなかった。

しかも,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,相当因果関係,または,規範の保護範囲の考え方に先立って適用されるという役割を果たしているため,Y1が5mg,Y2が5mg,Y3が5mgを入れたという第(2)の場合には,深刻な問題が生じる。なぜなら,この場合には,Y1,Y2,Y3の行為とXの死亡という結果との間に,第(1)の場合よりも,より強い因果関係があるはずであるにもかかわらず,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方によれば,Y1の行為も,Y2の行為も,Y3の行為も結果との間に因果関係がないという判断が下されてしまい,相当因果関係の判断も,規範の保護範囲の考え方も経由することなく,因果関係はないとの判断が下される危険性があるからである。

ところが,法律学は,上記のような徹底的な論理的な追究を行うことなく,関連共同性というごまかしの概念に逃げ込んでしまう。

関連共同性という概念が無意味な概念であることは,多くの学者が指摘しているにもかかわらず,ほとんどの民法学者が,この概念に頼ることになっているのはなぜかというと,関連共同性という中間概念を共同行為者と結果の間にかませると,その概念から結果までの因果関係は,一対一に対応しており,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が誤りに陥ることはないからである。

つまり,民法学は,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の論理の誤りを詰めていくという面倒な思考を避け,その誤りについて考察することから免れることができる安易な方法として,共同不法行為を一つにまとめるという,結果的に,共同不法行為の概念を破壊するに等しい「関連共同性」という概念を共同不能行為の因果関係を判断する場合の中間項として利用することを選択したのである。

しかし,このようなごまかしをすることによって,民法学は,第1に,複数原因の場合に事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を利用する危険性をきちんと考察する機会を失っただけでなく,第2に,共同行為者の一人が全額を弁済した場合の求償関係について,負担部分をどのように算定するのかについての考察について,部分的な因果関係の考え方を含めて,因果関係との関係を遮断されることを認めてしまう。その結果,第3に,上記のすべての場合について,Y1,Y2 ,Y3の負う責任を,部分的因果関係にもとづく寄与部分に従って成立する真正の連帯債務と考えることを否定し,不真正連帯債務という,人によって,その定義も効果も異なる破綻した考え方を採用して,ごまかしを拡大するという悲惨な結果を生じさせているのである。


2.連帯債務の法的性質にみられる足し算さえできない概念に頼る論理的思考の欠如


通説によれば,連帯債務とは,以下のように定義されている([有斐閣・法律学小辞典])。

複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務を連帯債務という。


(1) 通説の誤りの始まり(独立した債務なのに足し算ができない)


これを具体例で説明すれば,以下の通りとなる。

(A) 連帯債務とは,債権者(X)から,Y1が300万円を借り,Y2が200万円を借り,Y3が100万円を借りて,Y1 ,Y2,Y3 が,Xに対して連帯して債務を負うことを約した場合に,「複数の債務者(Y1,Y2,Y3)は,同一内容の給付(600万円)について,それぞれ独立に債権者(X)に対して全部(600万円)の給付をする債務を負う。

(B) そして,その中の一人(例えばY1 )が弁済すれば,他の者(Y2,,Y3)も債務を免れるという多数当事者の債務である。

しかし,この定義は,(A)についても,また,(B)についても,ごまかしにあふれている。まず,(A)について,Y1も,Y2も,Y3も,独立して債務を負うのであれば,連帯債務の額は,600万円×3=1,800万円となるはずである。ところが,連帯債務の額は,600万円のままである。

もしも,民法学者が,足し算ができないのだから,それぞれの連帯債務は,独立の関係にないと見破っていれば,今回のような破綻は生じなかった。そして,連帯債務の性質は,負担部分という本来の債務(負担部分)と他の連帯債務者の負担部分を相互に保証する連帯保証(保証部分)とから成り立つという,相互保証理論の正しさを認識できたはずである。

その考え方に立ってのみ,連帯債務の総額は,連帯保証の部分を除いた,それぞれの連帯債務者の負担部分の総計(300万円+200万円+100万円=600万円)であるという足し算が可能となるのである。

しかし,民法学者らは,自分の頭で考えることをやめ,連帯債務の中に存在する付従性を抱えた連帯保証の存在に気づくこともなく,通説を唱える権威に盲従しているのである。これが,私のいう民法学の腐敗の第1の原因である。


(2) 通説の暴走の始まり(民法の明文の規定を無視しても,通説にしがみつく)


次に,(B)について考察すると,これも完全な誤りであることが判明する。なぜならば,Y1が600万円全額を支払った場合には,Y1は,Y2 に対して200万円,Y3に対して,100万円の求償権を取得する(民法442条)。この点について,争いはない。

そして,Y1の求償権を保護するために,民法は,その500条以下において,Y1に対して,弁済による代位の権利を与えている。すなわち,民法501条は,「自己の権利に基づいて求償することができる範囲内において,債権の効力及び担保としてその債権者が有していった一切の権利を行使することができる」と規定しており,この意味が,債権の法定的移転であることについても,現在においては,争いがない。

そうすると,債権者のY2に対する債権は,Y1の求償権である200万円の範囲でY1 に移転して存続し,債権者のY1 に対する債権も,Y1の求償権である100万円の範囲でY1に移転するのであって,Y2もY3も求償権に応じて,Y1に弁済するまでは,債務を免れることはできないことになる。

したがって,通説による上記の(B)の説明は,誤りであることが分かる。この説明は,ほぼすべての教科書がそのような記述に従っているので,民法学は,連帯債務の性質について,すべて誤りを犯していることになる。

しかし,なぜ,このような誤りが生じたのであろうか。この場合も,通説は,一応もっともらしい説明を付けてその場をとりつくろう「ごまかし」(外部関係の内部関係の遮断)に逃げ込んでいる。

そのもっともらしい説明というのは,「Y1が連帯債務の全額を弁済すると,外部的には,Y2,Y3も債務を免れる。しかし,内部関係としては,不当利得に基づいて,Y1は,Y2,Y3に対して新たな求償権を有することになる」というものである。

しかし,これは,先に説明した民法500条以下の弁済による代位の明文の規定に反しており,破綻を免れることができない。

それでもな,通説が,このようなごまかしで生き残っているのは,民法学者が通説に弱いからに他ならない。これが,私の指摘する民法学の腐敗の第2の原因である。


(3) 歯止めの効かない暴走(民法改正案にみる連帯債務の性質の無理解)


以上の二つの例は,連帯債務が分からないまま,債権者を保護するという理由だけで,連帯債務者に一人に生じた事由の絶対的効力を極力否定しようとする通説の考え方につながる。

そして,この考え方は,不真正連帯債務を説明する通説によって,加速度をつけ,さらに,先に述べた事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が加わることによって,もはや,民法学の暴走に歯止めがかけられない事態にまで進んでいるのである。

民法(債権関係)の改正案が,連帯債務の本質を誤解している通説に従って,連帯債務に本質的に有する保証部分の付従性を否定し,民法437条(連帯債務の一人に対する免除),および,民法439条(連帯債務者の一人についての時効の完成)を削除しようとしているのは,民法学の失敗の暴走の一例に過ぎない。

このような暴走が,以上に述べた民法学の失敗の原因に基づいていることに気づかないと,民法学の腐敗は,やがて,自らを自滅に追い込むことになることを,すべての民法学者が理解すべきであり,腐敗を防止するための活動を開始しなければならないと,私は考えている。


Ⅳ 結論


以上の検討を通じて,民法学における難解な以下のような学術用語は,実は,学説の過誤によって生成し,誤りが正されないままに存続しているに過ぎず,民法を初めて学ぶ人が理解できないのは,むしろ当然のことが明らかになった。

1.複数原因の判断における事実的因果関係(あれなければこれなし)の採用
2.物権変動における対抗問題の定義
3.被担保債権とは別個・独立に存在するとされる担保物権の定義
4.主たる債務とは別個・独立に存在するとされる保証債務の定義
5.連帯債務における相対的効力の原則の強化
6.各人が独立して負うとされる不真正連帯債務の存在
7.中間利息控除におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の採用
8.詐害行為取消権における「取消し」の定義

したがって,民法学の課題は,以下のように,誤りは誤りとして認め,それらを正していくことであることも明らかであろう。

1.複数原因の場合の因果関係の判断について,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を用いると,すべて,誤りに陥る。複数原因に関しては,部分的因果関係の理論によって考察すべきである。

2.物権変動の対抗問題は,「AはBについてCに対抗することができない」という条文の意味を「Cはその権利が保護される範囲で,Bについて,Aの権利を否認できる」と書き換えることを通じて整合的に判断すべきである。

3.担保物権は,被担保債権の掴取力に優先弁済効が付加されたものに過ぎない。したがって,「被担保債権から独立した物権としての担保物権は存在しない」。

4.保証は,第三者による主たる債務の履行引受けの一種であり,物上保証と同じく,「債務のない責任」である。したがって,主たる債務から独立した「保証債務という債務は存在しない」。

5.連帯債務の絶対的効力は,連帯債務に存する保証部分から必然的に生じる付従性の効果である。したがって,連帯債務の一人について生じた負担部分の消滅事由について,絶対的効力を否定することは誤りである。

6.弁済以外の絶対的効力を否定するという不真正連帯債務は,概念矛盾でり,真正な連帯債務に置き換えられるべきである。

7.中間利息控除に利用されているホフマン方式,ライプニッツ方式は,収入が一定の場合にしか使えない方式であり,実務で利用すべきでない。特に,収入が増加傾向にある被害者の損害賠償額の算定に利用すると,損害賠償額を大幅に水増しすることになり,不正な会計処理の問題を生じる。

8.詐害行為取消権は,法律行為の当事者にだけに与えられる「取消権」ではなく,第三者が詐害的な責任財産の逸失行為を否認し,受益者または転得者の下で強制執行を可能にする権利である。

民法学が,このような誤りを正す努力を重ねることによってこそ,民法学は,他の法学分野,および,他の社会科学と協力体制を組むことができるようになり,世の中に生じる様々な紛争を平和的に解決することに貢献できるようになると思われる。


Ⅴ 今後の課題


読者の中にも,民法の通説の中に,矛盾や誤りを見出している人々は多いと思われる。読者の協力を得て,そのような通説の破綻をすべて収集し,それぞれについて,破綻の原因を突き止め,それらをすべて克服できる民法の体系的な理論を構築することが今後の課題となる。

私の仮説は,通説に誤りが生じている原因は,民法の研究者・学習者たちが,ある通説がおかしいと感じても,「法律学とは,そういうものだ」とあきらめているからではないかというものである。

ひと昔になるが,三ケ月 章 教授が,学者には,第1に,「通説からの自由」,第2に,「恩師の学説からの自由」,第3に,「自らの過去の学説からの自由」という三つの態度を怠らない努力が求められると力説されたことがある。

私の観察するところによれば,民法学者だけでなく,一般的にいって法学者には,これとは反対に,第1に,通説に甘く,第2に,恩師の学説には逆らわず,第3に,自分の書いたものを訂正する勇気がない人が少なくないように思われる。それが,法律学に腐敗をもたらせているのではないだろうかと,私は考えている。

読者の方々には,法律家のそのような傾向にストップをかけ,民法学が腐敗から立ち直るような方法を模索していただきたいと考えている。読者の協力をお願いする次第である。


参考文献


[加賀山・民法613条の直接訴権(1)(1977)]
「民法613条の直接訴権《action directe》について(1) 」阪大法学102号(1977年 3月) 65-105頁

[加賀山・民法613条の直接訴権(2)(1977)]
民法613条の直接訴権《action directe》について(2・完) 阪大法学103号(1977/10) 87-136頁

[加賀山・対抗不能の一般理論(1986)]
加賀山茂「対抗不能の一般理論について- 対抗要件の一般理論のために -」判例タイムズ 618号(1986/12) 6-22頁

[加賀山=竹内・中間利息控除の問題点(1990)]
加賀山茂,竹内尚寿「逸失利益の算定における中間利息控除方式の問題点について」判タ714号(1990/02/15)17-26頁

[加賀山・錯誤における民法93条等の類推解釈(1990)]
加賀山茂「錯誤における民法93条但書,96条2項の類推解釈」阪大法学153・154号(1990/03) 707-727頁

[加賀山・消費者の差止請求権(1995)]
加賀山茂「消費者被害と事故予防 - 消費者の差止請求権の法律構成」『森島昭夫先生還暦記念』日本評論社(1995/11) 493-528頁

[加賀山・共同不法行為(1997)]
加賀山茂「共同不法行為」『新・損害賠償法講座第4巻』 日本評論社(1997)373-394頁

[加賀山・手付の法的性質(2000)]
加賀山茂「手付の法的性質-申込の誘引,予約と手付との関係-」『民法学の課題と展望』(石田喜久夫先生古稀記念)成文堂(2000)543-570頁

[加賀山・連帯債務の相互保証モデル(2001)]
加賀山茂「民法における理論モデルの提示と検証-連帯債務に関する相互保証理論モデルを例として-」法学教室244号(2001/01)19-28頁

[加賀山・債権の優先弁済権としての担保物権(2002)]
加賀山茂「債権に付与された優先弁済権」としての担保物権『國井和郎先生還暦記念論文集』日本評論社(2002)291-324頁

[ドイツ債務法改正(2002)]
加賀山茂「債務不履行法の新しい展開 - ドイツ民法・債務法の大改正(2002年)を踏まえて -」(経営実務法研究第6号(2004/04)73-96頁)

[加賀山・民法学習法(2007)]
加賀山茂『現代民法 学習法入門』信山社(2007)

[加賀山・契約法講(2007)]
加賀山茂『契約法講義』日本評論社(2007/11)

[加賀山・担保法(2009)]
加賀山茂『現代民法・担保法』信山社(2009/12)

[加賀山・担保法のパラダイム(2011)]
加賀山茂「担保法の新しいパラダイムとその教育-担保法革命とは何か-」明治学院大学法科大学院ローレビュー14号(2011/03)1-46頁

[加賀山・債権担保法(2011)]
加賀山茂『債権担保法講義』日本評論社(2011/09)

[加賀山・不法行為法の定量分析(2011)]
加賀山茂「故意又は過失,因果関係における定量分析の必要性 -過失に関する「ハンドの定式」の誤解の克服,および,因果関係におけるベイズの定理の応用を中心に-」明治学院大学法科大学院ローレビュー15号(2011/12)17-58頁

[加賀山・新しい要件事実論(2011)]
加賀山茂「司法研修所の要件事実論に代わる『新しい要件事実論』の構築のために」法学研究84巻12号(斎藤和夫先生退職記念号)(2011/12)203-240頁

[加賀山・第三者のためにする契約の位置づけ(2012)]
加賀山茂「第三者のためにする契約の位置づけ-典型契約とは異なり,契約総論に規定されている理由は何か?-」 明治学院大学法科大学院ローレビュー17号(2012/12)1-14頁

[加賀山・振込みと組戻しの理論(2013)]
加賀山茂「振込と組戻しの民法理論-『第三者のためにする契約』による振込の基礎理論の構築-」明治学院大学法科大学院ローレビュー18号(2013/03)1-19頁

[加賀山・第三者のためにする契約の機能(2013)]
加賀山茂「第三者のためにする契約の機能-債務者のイニシアティブによる公平な三面関係の創設機能-」高森八四郎先生古希記念(2013/10)

[加賀山・ビジュアル民法講義(2013)]
加賀山茂『DVD講義 ビジュアル民法講義シリーズ1 民法入門・担保法革命』信山社(2013/12)

[加賀山・民事訴訟法理論の破綻と修復(2014)]
加賀山茂「民事訴訟法理論の破綻と修復の必要性-法律上の推定の復権という観点からの民訴法学に対する苦言と提言-」明治学院大学法科大学院ローレビュー 20号(2014/03)5-36頁

[加賀山・サブ契約の理論(2015)]
加賀山茂「保証人,転借人,下請人の保護のための『サブ契約』理論の構築」明治学院大学法科大学院ローレビュー 22号(2015/03)1-11頁

[加賀山・判批「保証債務の弁済と時効の中断」(2015)]   加賀山茂「民事判例研究(948)債務者を相続した保証人が『保証債務』を弁済した場合の時効の中断」法律時報2015年11月号113-116頁

[加賀山・第三者のためにする契約の活用(2015)]
加賀山茂「『第三者のためにする契約』の活用による立替払い契約の購入者の保護」明治学院大学法科大学院ローレビュー第23号(2015/12)1-12頁

[加賀山・民法改正案の社会通念の不要性(2016)]
加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学ローレビュー第23号(2016/03)1-20頁

[加賀山・判批「JR東海線路立入り事件」(2006)]
加賀山茂「判批・線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条1 項に基づく損害賠償責任が否定された事例(JR東海認知症高齢者線路立入事件)」『速報税理』2016年5月1日号(ぎょうせい) 50-56頁

 

書評:深町=山口『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)


書評:深町隆=山口義正『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)


本書の概要

本書は,オリンパス事件(2011年)の第一通報者(深町隆)と,それをスクープしたジャーナリスト(山口義正)との共著であり,ジャーナリストが執筆した第1部(内部告発をめぐる現在)と,オリンパス事件の第一通報者が執筆した第2部(オリンパス事件の真相)から成り立っています。

本書は,内部告発者が語る内部情報とそれを踏まえた客観的な分析とに支えらえており,私たち部外者に貴重な情報を与えてくれるばかりでなく,いざというときには,「内部告発する勇気」を私たちに与えてくれる本となっています。

本書の特色

本書の特色は,内部通報者とジャーナリストがコンビを組んで執筆されたものであり,社会全体の視点からも,また,組織内部の視点からも,内部告発の重要性を明らかにしている点に特色があります。

第1部(山口義正「内部告発をめぐる現在」)

本書の第1部では,わが国で最初の内部通報事件であるトナミ運輸・闇カルテル事件(2002年)(本書52-60頁)をはじめとして,化血研・偽和事件(2015年)(本書36-40頁),東洋ゴム・免震偽装事件(2015年)(本書66-70頁),東芝・粉飾決算事件(205年)(本書71-87頁)等,最近立て続けに生じている内部告発事件を取り上げて,それらとオリンパス事件との客観的な対比がなされています。

しかも,内部通報の意味と内部通報をする場合のリスク回避のための詳細なマニュアルまで用意されています(本書102-148頁)。公益通報者保護法(2004年)という内部通報者を保護すべき法律が,現状では,ザル法であり,この法律を信用して,行動すると大変な目にあうこと(本書114-122頁)が案外と知られていないからです。

なお,「内部告発者に必要な条件」として列挙している以下の事項(本書123頁)は,なかなか厳しい条件ではありますが,これこそが,今後の人材教育の目標とされるべきである点で,重要な指摘であると思われます。

 もしもあなたが内部告発を敢行するのなら,できれば満たしておいたほうがいい条件がある。それは,①あなた自身が優秀な人材で,精神的に会社から自立していること,②我慢強い性格であること,③組織の内外に味方になってくれる人物が何人かいること - の三点である。

組織ぐるみの不正に巻き込まれそうになった時に,内部告発をすることも,辞職することも選択できずに,ずるずると不正に手を染めるようになる人がこの社会の大半を占めているとすれば,それは,正社員・役員を含めて,わが国のほとんどの人々が,経済的にも精神的にも,実は,自立ができていないことを意味することになります。

そのように考えると,これまでのわが国の教育が,そのような従順な会社人間を育てることを目指してきたこと,少なくとも,それでよしとしてきたことに対して,根本的な変更を迫ることになるように思われます。

第2部(深町隆「オリンパス事件の真相」)

第2部では,事件の発端から,顛末に至るまで,実名も含めて,内部情報が暴露されています。

本書を読んでいて,私が一番印象に残った箇所は,私のような財務諸表を読めない素人にとっても,事件の核心となった「巨額の損失隠し」を秘密裏に処理する「飛ばし」の意味が,以下のように,段階に分けて,見事な比喩で説明されている箇所です(本書156-161,162-172頁)。

少し長くなりますが,原文を引用します。(なお〔 〕の部分は,私の補足です。また,山一証券の「飛ばし」の実態については,[国広・修羅場の経営責任(2011)]を参照ください。)

飛ばしの解説第1段階(本書157-158頁)

 「飛ばし」とは,〔バブル期の財テク等で,〕含み損の生じた金融商品を第三者に簿価で転売し,表面上は損失の計上を回避する経済行為である。わかりやすい例で説明しよう。
たとえば,Aさんが,奥さんに内緒で株式1000万円投資している。しかし,相場の低迷で不幸にも100万円に値下がりしてしまった。奥さんには怖くて言い出せない。そこで,知り合いのBさんにお願いして,保有している株式を簿価の1000万円で買い取ってもらうことにした。
もちろん,Bさんがタダではこんな取引に応じることはない。資金の1000万円はAさんが銀行に債務保証し〔Aさんは信用がある〕,Bさんに借りてもらった。Bさんはそのお金でAさんから株式を買い取る。これによって,Aさんは表面上,含み損が消える。Aさんの含み損は銀行からの借金に変わった格好となる。
一方,Bさんはいつまでも含み損を抱えた株式を保有しておくわけにはいかない。そのため,Aさんは一定期間にBさんに迷惑料を付けて,株式を買い戻す。その間に相場が回復しない限り,含み損は生じたままである。今度は,AさんはCさんという別の友人に頼み,Bさんと同様に含み損を抱えている株式を簿価で買い取ってもらった。
このように,含み損を抱えた金融商品を延々と飛ばし続けるから,「飛ばし」という名前がついている。

飛ばしの第2段階(本書162-163頁)

 オリンパスは,海外に簿外ファンド(投資事業組合〔Limited Partnership〕:GCNVV)を設立し,含み損を抱えた金融資産を飛ばしたが,これは,Aさん,Bさんの例を借りれば,Aさんの含み損が銀行からの借金に変わったのと同じことだ。この借金はいつか返済する必要がある。
しかし,ただ,単に借金を返済すれば,「あなた,何をやってんの」と奥さんに損失隠しが発覚する恐れがある。
そこで,Aさんは,100万円の価値しかない絵画〔オリンパスの場合では,アルティス,ヒューマラボ,ニューズシェフという零細三社〕をBさんから1000万円で買い取り,Bさんに900万円を渡す。Bさんはその900万円に,持っている株式を売って得た100万円を合わせ,1000万円を銀行に返済すれば,すべての取引は終わることになる。あとは,奥さんに絵画の本当の価値がバレないよう,天に祈ればよい。
オリンパスの一連の粉飾決算は,上記の取引を,舞台〔装置:GCNVV〕を世界のタックスヘイブン(租税回避地)に替えて,グローバルな規模で行ったことにほかならない。

そのほかの損失隠しの手の込んだやり方については,本書を読んでもらうほかありませんが,このような損失隠しは,2チャンネル,闇壁新聞等によって,その存在が気づかれるようになり,筆者らの活躍によって,最終的には,オリンパスが損失隠しを公表し,生き残りのための改革を迫られることになります。

本書によって,私たちは,内部告発の意味を多面的にとらえることができるばかりでなく,内部通報は,「裏切り」行為ではなく,むしろ,組織の中枢にいる権力者が,社会を裏切って行っている不正行為と腐敗を防止するための正当な行為であり,内部通報は,正規の社会的制度として位置付け,守り育てていくことが必要であることを理解できるのではないでしょうか。

その意味で,わが国で最初の内部通報者となった串岡弘昭氏の「本来なら(闇カルテルを結んだ)経営者が会社から出ていかなければならないはずなのに。」(本書55頁)という述懐は,不正事件に共通する課題として,今なお大きな意味を有していると思われます。

本書の課題

本書は,とても素晴らしい本なのですが,私が,人に本書を推薦するうえで,引用したくない箇所が一か所だけあります。本書のあとがきの最後の部分ですが,公平を期するために,あえて引用すると,以下の通りです。

 私は今こそ,日本のエリートたちが〔西郷隆盛のような〕サムライの精神を取り戻すことが必要だと,堅く信じている。やれ「ガバナンスだ」,やれ「コンプライアンスだ」と,仕組みばかり作っても何の意味もないことをオリンパスや東芝は示した。要は器ではなく,そこに盛る中身の問題なのだ。
そして,組織の長にサムライの心を持った人々が増えてくれば,自然に社会や国家も治まってくる。若い人たちも「日本も,まんざら悪い国ではない」と思うようになるだろう。隣国の住民たちも,もっと日本が好きになってくれるに違いにない(本書264-265頁)。

アマゾンのカスタマー・レビューでも,上記の個所があるために,評価を1ランク落としたことが,以下のように,記されています。

 第2部の,現役社員から見たオリンパス事件も貴重な記述だと思う。ただ,忠誠心やサムライ精神の問題でない(忠誠心があれば告発しにくいだろうが、それでいいのか?おそらく不祥事は万国共通で,サムライ精神なきが故ではない),といった一部内容に問題がある点で星1つ減らし、星4つ。

あとがきの最後の方の上記の部分は,まさに,蛇足であり,この部分がなければ,本書の価値は,さらに増したと思いますので,とても残念です。

参考文献

・今沢真『東芝 不正会計 底なしの闇』毎日新聞出版(2016/1/30)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
・串岡弘昭『ホイッスルブローア=内部告発者 -我が心に恥じるものなし-』桂書房(2002・3・13)
・国広 正『修羅場の経営責任-今,明かされる「山一・長銀破綻」の真実』文春新書(2011/9/20)
・宮本一子『内部告発の時代-組織への忠誠か社会正義か』家伝社(2002/5/16)

書評:中山康雄『規範とゲーム』勁草書房(2011/9/15)


書評:中山康雄『規範とゲーム-社会の哲学入門』勁草書房(2011/9/15)


Ⅰ 本書の概要

本書は,社会組織の生成と発展を規範のサブ体系としてのゲームの体系によって説明しようとするものであり,その試みは十分に成功していると思います。

著者が本書の言いたいことをざっくりとまとめると,すべての社会組織は,野球のようなチーム同士のゲームの仕組みによって,ほぼ説明できるというものです。つまり,野球ゲーム,および,野球ゲームを運用する球団組織を説明できれば,すべての社会組織,例えば,通常の企業も,非営利団体としての大学組織も,また,国家組織についても,規範とゲーム体系で説明できるというわけです。

本書は,規範とゲーム体系によって,あらゆる社会組織,および,そこで生活する人々の行動を説明しようとするものであり,社会契約論(1762年)に代わる革命的な社会組織論と呼ぶことができるように思われます。本書の構成は,以下の通りです。

第1部(言語哲学を基盤にした社会的現実性の分析)

本書は,社会の生成と展開を根源から説明することを試みるものです。その出発点として,筆者は,ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論,それを制度的側面において補完するハートの法哲学から出発しています。そして,社会の生成における言語の重要性を明らかにしようとするオースティンの言語行為論,サールの行為の社会論が紹介され,それらが,サールとハーバーマスとの間の論争を通じて,批判的に検討されています。

第2部(規範とゲームについての哲学的分析)

筆者の提案する規範体系とゲーム体系が詳しく紹介され,規範体系としては,規範体系論理学が,ゲーム体系としては,ゲームの一般的定義に続いて,具体的な一人ゲーム(クロスワードパズル,魔法陣など),二人ゲーム(将棋,九マス遊び,百メートル競走など),そして,多人数ゲーム(野球,サッカーなど)について,それぞれのゲームの体系,その構造化と入れ子構造について,詳細な検討がなされています。

第3部(社会生活における規範とゲーム)

筆者が提案する規範とゲームの理論が,実際の社会生活にうまく適用できるかどうか,言語行為,社会組織,法体系,裁判手続き,さらには,経済活動について,検証が行われています。

ここでは,ゲーム理論と筆者の提唱するゲーム体系と違いについても,具体的な例で説明されています。詳しくは,本書を読んでもらうしかありませんが,囚人のジレンマについての考察から,いじめの問題,国家間の武力行使に至るまで,筆者のゲーム体系との対比で,ゲーム理論の限界について論じる箇所は,説得力があります。

Ⅱ 本書の特色

1.ヴィトゲンシュタイン,ハート,サールの学説の巧みな関連づけ

私は,大学院生のころ,ハートの『法の概念』を原書で読んだことがあります。そのころから民法を専攻していたため,ハートのルール中心の考え方は,納得のいくものであり,何の違和感も覚えずに読み終えました。

しかし,今回,本書によって,ハートの理論とヴィトゲンシュタインとの連続性,ハートとケルゼンとの間の断絶を知り,「民法は,裁判規範である」という現在の通説の問題点を理解することができました。特に,以下の記述は,印象的でした。

「法規範は誰に向けられたものか」という問いには,ハートなら,「一般市民と法執行機関の両方に向けられている」と応えるだろう。これに加えて,「一般市民に向けられた法規範の方がより根源的だ」と彼は答えたに違いない。(本書15頁)

2.社会の生成,発展を規範とゲームの体系に基づいて記述

民法を専門にしていると,国家の生成と展開については,ルソーの社会契約論に親近感を覚えます。また,国際公法についても,公法とはいえ,第1に,国家間の平等な関係を基盤としている上に,第2に,民法の法人の規定が国際機関の組織法に反映されており,第3に,民法における慣習法の考え方が国際慣習法にも反映されており,第4に,当事者間の契約法を国家間に拡大したのが,国際条約法であると考えることができるというように,何事も,民法を基盤として制度を説明する傾向に陥りやすくなります。

しかし,本書を読んで,すべての類推の根源となる人間の成長過程において,第1に,子どもは,言語を習得しないうちから,「いないいないばぁ」というゲームを演じることができること,第2に,ゲームは言語に先行し,むしろ,ゲームを通じて,言語やコミュニケーションを学ぶようになるといってもよいとの本書の記述(65-67頁,98-99頁)を読んで,筆者の規範とゲームの体系理論こそが,社会の生成と発展を説明するのに適した考え方であると感じました。

3.ゲームの入れ子構造,ゲームの重なりによる社会生活のわかりやすい記述

本書の書評として,アマゾンのカスタマーレビューに以下のものがあります。

有限の行為空間から特定の行為を選ぶという考え方においてゲームと規則化された社会に違いはないという内容であるという認識です。
著者の主張には共感するのですが素人目線ではだから何なのだろうかという気もします。

「だから何なのだろうか」という問いについては,筆者に代わって,本書のキャラクター康麻呂君(やすまろくん)が,以下のように述べています。

人々がゲームをやっていると考えると,そのゲームの中で行動するやり方がすごく限られてくるということなんだ。ゲームなしで考えると何をやっていいか複雑すぎてわからなくても,あるゲームをしているんだと考えると,次にやらなくてはいけないことが見えてきやすいということなんだね(本書211頁)。

民法を専門とする者としては,本書を読みながら,民事裁判ゲームを含めて,民法のルールに則ったゲームが,本当にわかりやすいものとなっているかどうかを再検討し,市民にとってわかりやすくて楽しいゲームとなるよう,様々な努力を積み重ねていくことが必要であることを実感できました。

Ⅲ 本書の課題

1.領域横断的な試みから生じる専門知識に関する誤解

本書の「まえがき」で,筆者は,法律の専門家ではないため,誤りを犯しているかもしれないことについて,以下のように,事前に断り書きを記しています。

本書もまた,そのような領域横断的な試みであり,専門家たちからは,ある意味で素人のたわごとのように受け取れられるかもしれない。
そして,実際に私は社会学や法哲学や経済学の専門家ではないのだから,そう思われてもしかたがない。しかし,そのような大それた試みが,学問の発展のためにはときに必要だとも考えている。(本書viii頁)

しかし,このような領域横断的な試みだからこそ,私のような民法の専門家にとっても,先に詳しく述べたように,本書は非常に有益です。専門家から見た場合の本書の誤りは,些細な誤りであり,専門家によって指摘された箇所を修正すれば済む問題に過ぎません。

そこで,本書の改訂の際に,修正する材料にしていただけることを願って,民法の専門家から見た場合に,本書の著者が誤りに陥っていると思われる個所を指摘しておくことにします。

(1) 法律といえば刑法という勘違い(本書88-89頁,183-185頁)

刑法と民法とは,かなり異なる性質を有していますので,法律といえば,刑法のことを考えるというのは,かなり危険です。本書では,以下の2か所で誤りを犯しています。

第1の誤りは,以下のように,「法律の条文は,厳密には,…」と指摘しつつ,刑法だけに特有の問題を取り上げています。しかし,次に詳しく述べるように,民法はそうではありません。

法律の条文は,厳密には,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰を規定している。だから,厳密には,法律そのものは,直接に一般行為者に適用されるものではなく,法律の実行に携わる司法関係者への規範体系となっている。
しかし,法が定められた社会組織に生きる人々は,法体系を規範体系に翻訳して理解している。実際,法は何が犯罪であるかを帰結し,人々が,犯罪的行為をなすことを禁止文脈に属すると解釈することにより,一つの社会組織全体への規範体系が帰結する。(本書88頁)

刑法は,確かに,行為を禁止する代わりに,その行為を遂行した場合の罰のみを規定しています。しかし,法律の中で,刑法と同様に重要な民法においては,以下のように,第1条において,行為を禁止する規定を明文で置いています(特に,権利濫用の禁止は,禁止が明確に規定されています)。

民法第1条(基本原則)
①私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は,これを許さない。

本書において,このような初歩的な誤りが生じているのは,法律の典型例として例示するのに,刑法199条の殺人に関する条文を挙げるのが,わかりやすいからでしょう。確かに,公法である刑法は,裁判規範としての性格が強いため,裁判官が判決を下す根拠としての条文の形式が選ばれているのでしょう。しかし,私法である民法の場合は,裁判規範だけでなく,市民生活の行為規範としての役割を果たすものであるため,解釈に頼るまでもなく,直接に行為を禁止する規定が存在するのです。

第2の誤りは,以下のように,刑事裁判だけを念頭に置いて裁判ゲームが論じています(183頁183-185頁)。

裁判は,ゲーム構造を持っている。裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。

この記述は,刑事裁判だけにいえることなので,「『刑事』裁判には,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。」とすべきです。正確を期するなら,「刑事裁判の場合は,三種の集団が関わる。検察官側,被告人側,裁判所側の三集団である。これに対して,民事裁判の場合には,原告側,被告側,裁判所側の三集団である。以下においては,刑事裁判に特化して記述する。」とすべきでしょう。

(2) 契約自由の原則と法規定との関係についての誤解

第3の誤りは,約束と契約との違いについて,契約とは,「法規定により定められた一種の相互約束」であると考えている点にあります(本書137頁,148-149頁)。

契約自由の原則が認められている契約法においては,法規定により定められた契約(典型契約)と法規定に定められていない非典型契約(例えば,ファイナンスリース契約,フランチャイズ契約など)との間で,その拘束力についての区別はありません。

申込と承諾が合致している約束は,たとえ,法規定によって定められていなくても,その約束違反については,債務不履行として,履行の強制,契約の解除による原状回復,損害賠償等の救済措置を裁判所に求めることができます。

2.私たち専門家の課題

以上のような専門家から見た場合の多少の誤りはありますが,本書は,すべての学問分野の専門家が読むに値する価値を有していると思います。そして,それぞれの専門家が,自らの学問領域をゲームとして見立て,もしも,門外漢がそのゲームに参加したいと思った場合に,その門外漢にも理解できるルールブックが用意されているかどうか,そのルールは,ゲーム体系としてふさわしいものとなっているかどうかを,時々立ち止まって考えてみるとよいと思います。

具体的には,自らの専門分野をゲームの場と見立て,ゲームの初期状態とゲーム進行中の状態とゲームの終了条件が,野球のスコアボードのように,明確に示されるようにするには,どのような仕組み が必要なのか,そのゲームの体系が市民の間で承認を受け,共有信念となるほどにわかりやすくするには,どうすればよいのかを考えるとよいと思います。

多くの専門家がそのような努力を続け,一般市民が,高度な専門分野に分け入って,そこでのシミュレーションゲームを楽しめるようになってこそ,衆愚政治ではない,真の民主主義が実現するのではないでしょうか。

本書に影響を受けた私自身は,研究目標である「民法のGoogleマップ」を,単なるマップではなく,民法ゲームのルールブックを兼ねることができるようなものにしようと考え,少しずつ実践に移しています。民法に興味のある方は,日々改訂を重ねており,未完成の段階ではありますが,以下のURLを参照してみてください。

・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PowerPointファイル,アニメーションとノート付き
・民法(財産法)の体系と推論の基礎(PDFファイル
・法的推論の基礎(ビデオ教材(60分),PowerPointファイル(ノート付き),PDF

トゥールミンの図式とヴェン図を使った法教育の方法論


トゥールミン図式とヴェン図を使った法教育-法律専門家の腐敗を防止するために-


Ⅰ 問題の所在 - 法教育の必要性と法教育の方法

1.教育の必要性

生まれた状態の人間の子どもは,放置すればすぐに死んでしまうだけでなく,人間の特色である言語を習得することもできない。したがって,人間の「子ども」を自立できる「おとな」へと育てる営みである教育は,生まれてくる子にとって必要不可欠のものである。

しかし,教育は子にとって必要不可欠というだけではない。教育は,それをする側にとっても大きな意味を持つ。人間は,いつかは死ぬ存在であり,永遠を求める人間は,生殖によって子孫を育てるとともに,教育によって文化の後継者を育てる。つまり,教育は,受ける側にとって必要不可欠であると同時に,行う側にとっても最も価値のある営みである[加賀山・法教育(2013)32頁]  。

2.法教育の必要性

法は,社会的動物である人間が秩序を保って平和に生活する上で不可欠のルールの集合である。法を理解しない人間は,派閥を作り,力と数にものを言わせて人を支配しようとする。その集団が,人を支配する権力を手に入れると,その権力は必ず腐敗へと向かい,個人の尊厳と社会の平和が破壊される。したがって,社会的動物である人間が個人の尊厳と社会の平和を維持するためには,人の支配ではなく,法の支配を実現しなければならない。

法の支配を実現するためには,立法,行政,司法との間で権力の分立と相互監視が必要である。しかし,それだけでは権力の腐敗を防止するには不十分である。法の番人を自認する法曹三者(弁護士,検察官,裁判官)も人の子であり,法の仕組みを理解した素人である市民の有効な監視がなければ,必ず腐敗するからである。

専門家である法曹の腐敗を防止するためには,素人である市民も,法の最低限の仕組みだけは,理解しておく必要がある。したがって,法教育は,全ての市民が自らの人権を守れるようにするだけでなく,法曹の腐敗を防止するためにも不可欠の教育である(この点を含めて,レトリック教育の必要性については,[ペレルマン・法律家の論理(1986)316頁]参照)。

3.裁判員制度において要求される法的思考のレベル

この意味で,2009年5月21日から実施されている裁判員制度ほど法教育の必要性を明らかにするものはない。重大な刑事事件について,被告人の生死(死刑から無罪まで)にかかわる事件について,専門家である3人の裁判官と同等の立場で,全くの素人である国民から任意に選ばれた6人の裁判員が評議・評決に加わることになったからである。

法律に関して全く学習をしていない国民が,突如,裁判員の候補者であることの通知を受け,しかも辞退ができないことがわかり,いよいよ裁判所に出向かなければならなくなった時に陥るであろう「困惑・不安・恐れ」の大きさは想像に難くない。このような「困惑・不安・恐れ」を軽減するためにも,義務教育の一環として法教育を行うべきであることは,もはや避けることはできないといえよう。

もっとも,最高裁判所の公式見解によれば,裁判員の役割は,事実認定と量刑だけだから,「法律の知識はなくても,裁判員としての職務は全うできる」とされている。しかし,事実認定は,法律の条文に即して行われ,必然的に法律の推論(解釈・あてはめ)が介在する。したがって,裁判員が職務を全うするためには,法律に関する常識と推論に関する知識は不可欠である。

つまり,裁判員には,「法律の知識はなくてもよい」という公式見解は,残念ながら,気休めの「建前」に過ぎない。確かに,裁判員には,条文に関する専門的な知識は必要ではないかもしれないが,条文の要件に適合する事実を発見したり,その事実に条文を当て嵌めたりして結論を導くという法的推論に関する思考力は,必要である。

4.法的思考の起源と法教育の方法

Platon_Aristotelis_ss幸いなことに,裁判員に要求される法的推論は,実は,特別な推論ではない。裁判員に必要な考え方は,アリストテレスによって理論化された弁論修辞術(レトリック)の1部門としての常識による説得証明法(ピスティス)の考え方に従っている[浅野・論証のレトリック(1996)60-64頁]。

また,法的思考のプロセスは,同じくレトリックの1部門である配列法(タクシス)から発展したアイラック(IRAC)という法律家に共通の思考方法によって実現されている。つまり,国民が司法に参加するに際して必要不可欠な素養としての法律家の思考方法(IRAC)とその基礎(レトリック)は,すでに,民主制が発祥した古代ギリシャにおいては,市民が一般常識として有していた思考方法なのである。

I. 説得立証法(ピスティス
・・A 共通の説得立証(演繹的推論,帰納的推論など)
・・B 固有の説得立証
1. ロゴス(論理)による説得立証
・・A. 審議弁論(将来の問題を利害・得失の観点から論じる)
・・B. 法廷弁論(過去の問題を正・不正の観点から論じる)
・・C. 演示弁論(現在の問題を美・醜,徳・悪徳の観点から論じる)
2. エートス(品格)による説得立証
3. パトス(感情)よる説得立証
II. 修辞法(レクシス)…法解釈(拡大・縮小解釈,反対解釈,類推解釈)の源流
・・A. 提喩(類似性に着目したプロトタイプ的認識・表現)
・・B. 換喩(牽連性に着目した結合的認識・表現)
・・C 隠喩(対立性に着目した逆説的認識・表現)
III. 配列法(タクシス)…法律家の思考方法としてのアイラック(IRAC)の起源
・・1. 序言
・・2. 論題提起
・・3. 説得立証
・・4. 結語

問題は,どのような理念と方法によって法教育を実現するかである。そこで,本稿では,この問題について,「法廷弁論」にヒントを得てトゥールミンによって形式化され,最近では,小・中学校でも利用されているトゥールミン図式[トゥールミン・議論の技法(2011)原著の初版は1958年]を媒介としながら,法律家の思考方法である(アイラック(IRAC))とは何か,法の解釈はなぜ必要で,何をすることなのか,法の解釈に集合論は,どのように役立つのか,つまり,法教育の内容と方法はどのようなものとすべきか,順を追って明らかにしていく。

Ⅱ 法教育の理念と方法

1.法教育の到達目標の設定

学習をするに際して,学習の到達目標がしっかりしていると,目標を達成する確率が高まる。それでは,法教育の到達目標をどこに置くべきだろうか。

法律家の育成の到達目標について,司法改革審議会の意見書(2001)は,法科大学院の教育理念について,以下のように述べている。

事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。

このような能力は,総合診療医が,具体的な患者の症状を見てその病名を的確に判断する能力に似ている。

病名がわかった後に,病状と対処法を述べるのは,困難なことではない。しかし,症状から病名を判断するには,熟練を要する。

DrGeneralNHK総合が毎週水曜日の午後10時25分から11時15分まで放映している病名推理番組「総合診療医ドクターG」では,以下のように,患者の病状から,病名を解明し,診療方法を確定するまでのプロセスを見せている。
・研修医の最初の見立ては,全て外れ。
・総合診療医のアドバイスを受けながら,可能性のある病名を全てチェックし,除外すべきものを除外して,正解にたどり着くことができる。

医学とは異なるが,法律の場合も同じことが言える。条文について,その意味を述べたり,どのような事例がそれに当てはまるかを述べることは,困難ではない。しかし,反対に,具体的な事例にどの法律のどの条文が適用されるのかを判断するには熟練を要する。

したがって,法教育の最終的な学習目標は,その点に集約すべきである。学修計画を立て,地道な学習を重ねることによって,学習が一段落した後に,以下のように言えるようになるのが,法教育の最終目標となる。

私は,具体的な問題が生じた場合に,その問題にどの法律のどの条文が適用されるのか,その結果,どのような判決が出るか,その結論が覆るのは,どのような場合かを予測する能力を有します。

このような能力を有していることこそが,法教育を受けたことのない人とは異なる,「法教育を受けた者」が獲得する能力なのである。

2.判決三段論法とその問題点

法の学習においては,論理が重要であるといわれている。そして,判決の正当性を保証するものとして,判決三段論法が紹介されることがある。

判決三段論法とは,論理学的な三段論法と対比して,以下のように説明されている。

JudgmentSyllogism_s

しかし,判決が,三段論法にしたがって論理的に構成されているかというと,大前提に当たる法律の条文は,本文(原則)と但し書き(例外)という組み 合わせ,または,一般的な条文とそれに対する特別法という条文とが組み合わせられているのがほとんどであり,実は,三段論法が使えない場合の方が多い。

したがって,上記のような,民法の中で,最も高い適用頻度を誇る民法709条を例にとった場合であっても,それと矛盾する民法712条,713条,720条等の条文の適用が問題となることがあり,その場合には,民法709条の条文を大前提として三段論法を利用することはできない。なぜなら,加害者が責任能力のない未成年者の場合,三段論法を使うと,709条では,損害賠償請求の肯定が正当化され,逆に,712条では,損害賠償請求の否定が正当化され,両方の判断が矛盾に陥るからである。民法712条,720条の場合も同様である。

第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う

第712条(責任能力1)
未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない

第713条〔責任能力2〕
精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は,その賠償の責任を負わない。ただし,故意又は過失によって一時的にその状態を招いたときは,この限りでない。

第720条(正当防衛及び緊急避難)
①他人の不法行為に対し,自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため,やむを得ず加害行為をした者は,損害賠償の責任を負わない。ただし,被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
②前項の規定は,他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。

Toulmin_Kagayama2012民法709条の不法行為の要件を満たす場合には,被害者は加害者に対して損害賠償を請求できるはずである。しかし,加害者が責任能力のない未成年者の場合,民法709条の要件をすべて満たした場合でも,加害者は損害賠償責任を負わない。このような,原則と例外の関係を三段論法によって正当化することはできるであろうか。

このような場合の矛盾の解決方法として,通常は,「特別法は一般法を破る」というメタ規範が用いられて,矛盾を解消することが試みられる。しかし,例えば,民法1条2項の信義則とか,民法90条の公序良俗違反を無効とする条文は,いかなる特別法にも優先して適用されるため,「特別法は一般法に優先する」というメタ規範も,絶対的な規定とはいえず,常に妥当するとはいえないため,個別的に解決するほかない。

3.正当化の推論から発見の推論へ

法律学は,解釈学にとっては,正当化の推論が重要であるが,現行条文では具体的な問題をうまく解決することができない場合には,条文を超えた普遍的な原理を発見して,その原理に従った新しい解釈をする必要がある場合が少なくない。

Abductionその時に有用なのが,論理的には,常に正しい推論とはいえないため,注意をする必要があるが,帰納推論とか,発見の推論といわれるアブダクションを使って,普遍的な原理に基づいた解釈を行う必要がある。

発見の推論は,対象となる範囲を絞り,そこに焦点を当てて分析を行い,そこで得られた結果をさらに広い範囲で応用できないかを検討する推論であり,学問的研究には非常に適した推論である。

Ⅲ 法的思考とは何か

1.アイラック(IRAC)で考える

法的思考とは,法律専門家が日常的に行っている思考方法のことであり,アイラック(IRAC)として表現できる思考方法である。

(1) アイラック(IRAC)とは何か?

アイラックというのは,以下に示すように,紛争が生じている事件を解決するための思考方法とその順序,すなわち,第1に事案の分析,第2に,仮説と仮の結論,第3に,反対説との間の議論,第4に,結論,というように,法律専門家の思考の順序を示すものである。

IRAC_s・ I(Issue)
・争点,すなわち,争いになっている事実関係は何かを明らかにする作業である。
・ R(Rule)
・ 争いとなっている事実に適用すべきルールを発見する作業である。ただし,発見した事実によって適用すべきルールが発見される,逆に,発見されたルールから見ると,重要な事実が再発見されるというように,IとRとは,相互に密接な関係にある。
・ A(Application/Argument)
・原告が主張する事実と被告が主張する事実に相違があるのが普通であり,したがって,それぞれの事実に適用すべきルールも異なることになるため,法の適用の結果は,分裂することになる。そこで,事実と適用すべきルールの適切性について,議論をすることになる。そのような議論を通じて,「真実」と「正しい法」の適用に接近する道が開かれることになる。
・ C(Conclusion)
・このような厳しい議論を通じて得られる結論,訴訟であれば,判決である。

(2) 事実とルールの相互関係

事実とルールとの関係については,発見した事実によって適用すべきルールが発見される,逆に,発見されたルールから見ると,重要な事実が再発見されるというように,IとRとは,相互に密接な関係にある。

rule_based_j1

(3) 行網用タール事件の事実と適用すべきルール

漁網用タール事件(最三判昭30・10・18民集9巻11号1642頁)の概要は,以下の通りである。

昭和21年2月,原告であるX漁業協同組合(買主)は,A社の溜池に貯蔵されている被告Y(売主)所有の漁業用タール(3,000トン~3,500トン)のうち,2,000トンをYから見積価格49万5,000円で購入する契約を締結した。そして,物品の引き渡しについては,買主Xが売主Yに対して,必要の都度その引き渡しを申し出て,Yが引き渡し場所を指定し,Xがドラム缶を当該場所に持ち込んで,タールを受領し,1年間で2,000トン全部を引き取ることにし,手付金(内金ともいう)20万円をYに交付した。

昭和21年8月,Yは,Xの求めに応じて10万7,500円分のタールの引き渡しを行ったが,その後,Xは,タールの品質が悪いといって,しばらくの間,引き取りに来なくなってしまう。その間,Yはタールの引き渡し作業に必要な人夫を配置する等,引き渡しの準備をしていたが,その後,これを引き上げ,監視人も置かなかった。そのため,同年12月,A社の労働組合員がこれを他に売却してしまい,タールは,すべて滅失してしまった。

Xは,Yのタールの引き渡し不履行を理由に残余部分につき契約を解除する意思表示をした。そして,昭和24年11月15日,Xは,Yに対して,手付金(20万円)から,引き渡しを受けたタールの代価(10万7,500円)を差し引いた,残金9万2,500円の返還を請求した。

この事件での問題は,以下の通りである。

第1に,Xは,Yの債務不履行を理由に契約を解除して残代金の支払いを免れ,9万2,500円の返還を求めることができるか? 第2に,反対に,Yは,残代金(29万5,000円)の支払いを求めうるか? という問題である。

IRAC_Issue_vs_Rue_s原審は,売買の目的物は特定し,Y(売主)は善良なる管理者の注意を以てこれを保存する義務を負っていたのであるから,その滅失につき注意義務違反の責を免れず,従って本件売買はYの責に帰すべき事由により履行不能に帰したものとし,X(買主)が昭和24年11月15日になした契約解除を有効と認め,前記手附金からすでに引渡を終えたタールの代価を差し引いた金額に対するXの返還請求を認容した。

これに対して,最高裁(最三判昭30・10・18民集9巻11号1642頁)は,以下のように判示した。

売買契約から生じた買主たるXの債権が,通常の種類債権であるのか,制限種類債権であるのかも,本件においては確定を要する事柄である。

例えば通常の種類債権であるとすれば,特別の事情のない限り,原審の認定した如き履行不能ということは起らない筈であり,これに反して,制限種類債権であるとするならば,履行不能となりうる代りには,目的物の良否は普通問題とはならないのであって,Xが「品質が悪いといって引取りに行かなかった」とすれば,Xは受領遅滞の責を免れないこととなるかもしれないのである。

最高裁は,以上のように述べて,原審判決を破棄し,原審に差し戻した。批判された高裁は,最高裁の趣旨を汲んで,以下のような判決を下している。

売買契約から生じた買主たるXの債権は特定の溜池にあるタールの一部を目的物とする債権であるから,制限種類債権に属するものというべきである。残余タールを取り出して分離する等物の給付をなすに必要な行為を完了したことは認められないから,未だ特定したと云い得ない。

特定の溜池に貯蔵中のタールが全量滅失したのであるから,Yの残余タール引渡債務は特定しないまま,履行不能に帰したものといわなければならない。
本件残余のタールは特定するに至らなかったのであるから,Yは特定物の保管につき要求せられる善良な管理者の注意義務を負うものではない。債務者はその保管につき自己の財産におけると同一の注意義務を負うと解すべきである。

本件目的物の性質,数量,貯蔵状態を勘案すれば,Yとしては本件タールの保管につき自己の財産におけると同一の注意義務を十分つくしたものと認めるのが相当であって,この点についてYに右注意義務の懈怠による過失はなかった。

XがYに対しなした債務不履行を理由に本件売買契約を解除する旨の意思表示は無効であって,本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。(札幌高函館支判昭37・5・29高民集15巻4号282頁)

ここで注意しなければならないことは,「その余の点について判断するまでもなく失当」という判断である。

本件は,差し戻し後の高裁判決によって,履行は不能となり,しかも,その履行不能について債務者に過失(帰責事由)がないという場合である。そうだとすれば,その場合に適用されるべき条文は,危険負担に関する民法536条である。もしも,債権者にも過失がないとすると,危険負担の原則である民法536条1項の債務者主義に基づいて,代金債務は消滅するので,買主は,解除の意思表示を必要とすることもなしに,代金支払の義務を免れる。したがって,この点が問題とされなければならないはずである。「本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」という判断こそが,条文を無視した失当判決にほかならない。

もっとも,「その余の判断」をした結果,買主だけに帰責事由があることが判明した場合には,危険負担の例外規定である民法536条2項が適用されて,買主は代金債務を免れないという事態が生じるかもしれない。しかし,その場合でも,「本訴請求は,その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」のではなく,その余の判断を行い,買主だけに帰責事由があることが認定され,その結果,民法536条2項が適用されて,売主が代金の支払いを受けることになることもありうる。しかし,その場合でも,きちんと「その余の点について判断する」ことが必要であり,「その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」というのは,乱暴な議論だと,私は考えている。

2.トゥールミン図式で議論する

かなり以前から,小・中学校における国語教育[井上・言語論理教育入門(1989)第4章]や社会科教育において,トゥールミン図式を利用した議論に関する授業が行われるようになっている。実際,インターネット上には,トゥールミン図式を応用した実践授業がいくつも公表されている。そこでは,議論のプロセスと全体像を視覚的に理解できるトゥールミン図式の特色が十分に活かされている(トゥールミン図式の特色と位置づけについては,([嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)467-475頁],[平井・議論の構造(1989)64-67頁],[亀本・法的思考(2006)226-270頁]参照)。

(1) トゥールミン図式の原型

トゥールミン図式の原型は,レトリックの基本である三段論法を図式化したものである。

Toulmin01トゥールミン・モデルにおいては,議論をするには,最初にデータ(Data)を示して,自分の言いたいこと(Claim:主張)を言うべきである。その際に,相手方が一応なりとも納得できるような理由(Warrant:論拠)を示してから議論をはじめるべきであるという,議論の基本が以下の図によって示されている[トゥールミン・議論の技法(2011)147頁]。

(2) トゥールミン図式の完成図

上記のトゥールミン図式の原型は,このままだと,従来の三段論法と代わり映えがしない。なぜなら,W(推論保証=論拠)を大前提(例えば「人間は死ぬ」),D(データ)を小前提(例えば,「ソクラテスは人間である」),C(主張)を結論(例えば「ソクラテスは死ぬ」)と置き換えれば,三段論法を図式化したに過ぎないからである。

Toulmin02しかし,この図は,次に述べるように,蓋然性を取り込むことができるように拡張されて,主張(Claim)の様相を限定する,「十中八九」とか「おそらく」という「様相限定詞(Qualifier)」を付け加えること,および,「反論(Rebuttal)」を付け加えることができるようになっているため,現実の議論のプロセスと全体像とを示すことができる以下の図へと発展させることができる[トゥールミン・議論の技法(2011)153頁]。

トゥールミン図式はシンプルでわかりやすい構図となっている。それにもかかわらず,困難な問題を生じさせているのは,「W:推論保証(論拠)」と「B:裏づけ」との区別が一見したところではわかりにくい点である。もっとも,「D:データ」と「W:論拠」の区別についても議論はある[嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)471頁]。しかし,トゥールミン自身が,「データと論拠の区別は,法廷における事実問題と法律問題の間に引かれる区別に似ている」[トゥールミン・議論の技法(2010)147頁]と述べており,法律を学習する者にとっては,「D:データ」と「W:論拠」との区別は困難ではないと思われる。

問題のW:論拠とB:裏づけとの区別であるが,トゥールミン自身の記述[トゥールミン・議論の技法(2011)154頁] によれば,「W:論拠」は反駁可能な「仮言的言明(AならばBである)」であるとしているので,要件と効果で書かれた法律の条文も「W:論拠」に含まれることになる。これに対して,「B:裏づけ」は「定言的事実命題(Aである)」としているので,反駁を予定していない定義や公理がここに含まれることになると思われる。

しかし,この点については議論があり,見解が分かれている([嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)471頁],[亀本・法的思考(2006)235頁])。わが国の有力な見解によれば,法的議論の場合には,「W:論拠」は法規範であり,「B:裏づけ」は条文であるとされている([高橋「三段論法から対話的デフォルト論理へ」(2009)]28頁,[高橋「法的三段論法を超える法的推論モデル」(2009)149-152頁] 参照)。

しかし,先にも述べたように,筆者は,法律の個々の「条文」は例外を有し,反論を許すのであるから,[トゥールミン・議論の技法(2011)154頁] に従って,個々の条文は「B:裏づけ」ではなくて「W:論拠」に過ぎないと考えている。そして,「B:裏づけ」は,立法趣旨等から明らかになる条文を支えている原理・原則であり,個々の条文とは性質の異なる強行規定としての一般条項(信義則,公序良俗,公共の福祉等)も,主張する側と反論する側とがともに従うべき言明であるという点で,「B:裏づけ」に含まれるのが妥当であると考えている。

このような問題点があるとはいえ,トゥールミンの図式の特色は,必ずしも従来の論理学や法律を根拠とせずに,「常識」や「ことわざ」を論拠としても,説得的な議論を展開することを可能するばかりでなく,さらに,あらゆる議論のプロセスを図の中に正確に位置づけることができる点にある。このため,トゥールミンの図式を活用すれば,議論の全体像が明らかとなり,議論が拡散したり,横道にそれたりすることを防ぐことができるようになる。この点が,トゥールミン図式の実践的な利点となっている。

(3) トゥールミン図式から法的議論の図式へ

先に述べたトゥールミン図式は,法廷弁論を念頭に置いて,法律の議論だけでなく,ありとあらゆる議論のプロセスをデータ,論拠,裏づけ,様相限定詞,反論,主張という6つの要素を使って図式化できるように一般化されたものである[トゥールミン・議論の技法(2011)10,15,59,142頁]。
したがって,トゥールミン図式の分かり易さを生かしつつ,アイラック(IRAC)に適合するように,トゥールミン図式を法律家向けに洗練させることによって,法教育の教育効果を一気に向上させることが可能となる。

以上の観点,および,新しい要件事実論([加賀山・新しい要件事実論の必要性(2010)23-49頁],[加賀山・新しい要件事実論の構築(2012)])をも考慮して,トゥールミン図式を筆者の専門である民事の議論に特化した図式を示すと以下のようになる。

Toulmin_Kagayama2011

上記の図は,トゥールミン図式が曖昧とされてきた,W:推論保証(論拠)とB:裏づけとを明確に区別し,かつ,B:は,R:反論の裏づけとしても有用なものであることが示されている点に特色がある。紛争の解決が,当事者にとっても,専門家にとっても,また,世論にとっても納得がいくためには,当事者双方の主張と反論とが共通の裏づけによって等しく理由づけられている場合だからである。

法教育で重要なことは,具体的な事実(D)を憲法または法律の条文(W)に則って解決するという道筋を理解することであるが,その際に,同じ事実から反対の結論を導くルール(R)が存在することを認識することが重要である。健全な常識には,常に反論が用意されている。たとえば,「善は急げ」と「急がば回れ」とが対立しており,「渡る世間に鬼はなし」と「人を見たら泥棒と思え」とが対立している。一文自体が矛盾しているものも多い。たとえば,「負けるが勝ち」,「損して得取れ」,「毒をもって毒を制す」,「敵の敵は味方」などである。法律の条文は,なお,重複する条文や,相互に対立・矛盾する条文を抱えているとはいえ,詳しい前提条件をまとうことによって,このような対立・矛盾を極限まで押さえ込んでいる。上記のようなトゥールミン図式の特殊化が可能であるのは,法が閉じられた体系を志向し,これにある程度成功しているからである。

Ⅳ ヴェン図による難解な法的思考の明確化

1.法の解釈とは何か

裁判官は,憲法第76条第3項によって,憲法・法律の条文を適用して紛争の解決を図らなければならない。

憲法 第76条
③すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。

しかし,社会の進展によって,立法者が予想しないような事件が生じるのであり,新しい問題の解決に適した法律の条文が存在しないという事態が生じる。これが,法律の解釈が必要な理由であり,以下のような解釈方法があるとされている。

InterpretationStopHorseOrCar_s(1) 文理解釈…要件集合に厳密に属するものだけに法律効果を与えるとする解釈
(2) もちろん解釈…要件集合に属しないものに対して,「より強い理由による」として法律効果を与える解釈
(3) 拡大解釈…要件集合を拡大して法律効果を与える解釈
(4) 縮小解釈…要件集合を縮小して,法律効果を与えないとする解釈
(5) 反対解釈…要件集合の差集合には,「反対の」法律効果を与えるとする解釈
(A→Bならば¬A→¬Bとする解釈(常に正しいとは限らないので注意が必要))
(6) 類推解釈…要件集合には属さない(拡大にも限度がある)が,似たような事実には,同じ法律効果を与えるとする解釈
(7) 例文解釈…要件として上げられているものは,一例に過ぎないとする解釈

2.一番むつかしい解釈としての例文解釈

(1) 民法770条の裁判上の離婚原因

法律の解釈で最も困難な場合と言うのは,条文に書かれた要件が正確でない場合である。

CauseOfDivorce_s例えば,民法770条(裁判上の離婚原因)を見てみよう。

第770条(裁判上の離婚)
①夫婦の一方は,次に掲げる場合に限り,離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり,回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
②裁判所は,前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても,一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは,離婚の請求を棄却することができる。

民法770条1項の要件のうち,1号から4号までの要件は,5号の要件を推定する要件に過ぎない。したがって,1号から4号までの要件が証明されたとしても,2項によって,それが,「婚姻を継続しがたい重大な事由」があると認められない場合には,離婚が認められない。

(2) 民法612条の解除原因

法律の解釈で最も難しい問題の一つとして,民法612条の解釈に挑戦する。

LogicTerminationOfLeaseContract01_s第612条(賃借権の譲渡及び転貸の制限)
①賃借人は,賃貸人の承諾を得なければ,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸することができない。
②賃借人が前項の規定に違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。

この条文の解釈がなぜ難しいかというと,学説および最高裁の判例が,以下のように,条文に書いていることと反対の結論を導いているからである。

最一判昭和41・1・27民集20巻1号136頁
土地の賃借人が賃貸人の承諾を得ることなく,その賃借地を他に転貸した場合においても,賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があるときは,賃貸人は民法612条2項による解除権を行使し得ない。

LogicTerminationOfLeaseContract02_sなぜそのような解釈が可能なのだろうか? それがここでの問題である。

裁判での議論をトゥールミンの議論の図式に沿って説明すると,以下のとおりである。

・(データ) 賃借人は,賃貸人に無断で賃借目的物を第三者に転貸した。
・(主張)賃貸人は賃貸借契約を解除する。転借人は,建物を収去して土地を明け渡せ。
・(論拠)民法612条2項は,賃借人が賃貸人に無断で賃貸目的物を譲渡したり,転貸した場合には,賃貸人は賃貸借契約を解除できると規定している。
・(反論) 賃貸人は,賃貸人と転借人とが夫婦であり,転借人が建物を所有していることを知りながら賃貸借契約を締結した。たとえ賃貸人の同意を得ていないとしても,離婚に際して,夫が財産分与として,妻に賃借権を譲渡したり転貸したりすることは,背信行為と認めるに足りない特段の事由がある。
・(裏づけ)
①原則:賃借人との間の信頼関係が破壊されるに至ったときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。
②法律上の推定:賃借人が,賃貸人の承諾を得ないで,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸したときは,信頼関係が破壊されたものと推定する。
③例外:賃借人の行為が,賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があることを賃借人が証明したときは,賃貸人は,契約の解除をすることができない。

Toulmin_Kagayama_art612civ

このように,判例は,契約当事者間の信頼関係が破壊されないような特別の場合には,条文の文言にもかかわらず,判例は,賃貸借契約を解除することはできないと判断している。

以上の考察を踏まえて,条文に判例・通説の考え方を反映させるため,民法612条の改正案を作成してみよう。

第612条(賃借権の譲渡及び転貸の制限)(民法改正私案)
①賃借人が契約の目的に違反して使用又は収益をしたため,賃貸人と賃借人との間の信頼関係が破壊されるに至ったときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。
②賃借人が,賃貸人の承諾を得ないで,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸したときは,信頼関係が破壊されたものと推定し,賃貸人は,契約の解除をすることができる。ただし,賃借人の行為が,賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があることを賃借人が証明したときは,賃貸人は,契約の解除をすることができない。

(3) 民法の条文の文言に反する解釈が可能な理由:体系的な理解による統一の原理の発見

LogicTerminationOfLeaseContract03_s判例がこのような,条文の文言とは異なる判決を下したのは,以下のような歴史的な背景があるからである。

ただし,このような条文の文言に反する解釈が,学説によっても正当と考えるに至った理由は,そのような考え方が,民法の体系上も整合性を有するからであると思われる。

ここでいう,民法の体系上の整合性とは,すべての解除の要件は,「契約目的を達することができないときに限る」という考え方であると思われる。

通常の契約の解除の要件は,民法542条,566条において明文化されているように,「契約の目的を達することができない場合」であり,離婚の場合は,民法770条で見たように,「婚姻を継続しがたい重大な事由」であり,継続的契約における解除の洋館へ,民法612条の判例法理で見たように,「信頼関係が破壊された場合」である。

これらの要件は,「契約をした目的が失われたとき(契約目的不達成,契約を継続しがたい重大な事由,信頼関係の破壊)は,その契約から当事者を解放するのが妥当であるとの民法の根本法理に従っていると考えられるからである。

Ⅴ 結論

法律家の思考方法は,アイラック(IRAC)で考え,トゥールミン図式で議論し,ヴェン図で要件の境界を明確にすることである。

法教育の方法も,知識を伝達するという従来の方法ではなく,法的思考方法としてのアイラック(IRAC)を理解させ,具体的な事例をアイラック(IRAC)で考えさせ,トゥールミンの図式に即して議論させ,議論の結果をヴェン図でまとめあげる作業をさせるという方向へと変えていくべきであろう。そして,その成果が,現行法とは異なるものである場合には,現行法の改正案を提案するという作業を繰り返すことによって,学習者は,学習の到達目標を徐々に達成することができるようになると思われる。

「どうせ言ってもわからない」として,蚊帳の外に置き去りにされたり,説明なしに同意が求められたりしていた市民は,法的思考の仕組みを知ることによって,思考方法と行動様式が劇的に変化するであろう。なぜなら,市民は,公開されれば理解できる専門的な情報の公開を求めるようになり,それを通じて,あらゆる権力行使における透明化が促進されるようになるからである。

したがって,市民が,法的思考の仕組みを理解し,身近な問題について,アイラック(IRAC)で理解し,トゥールミン図式で議論することができるようになれば,世の中は透明化に向けて変わりうるという希望の光を見出すことができるようになると思われる。

Ⅵ 今後の課題

1.民法の統一原理

民法のように条文数が千条を超える法典については,その目的を一言で表現することが困難であり,民法学者の多くも,民法の目的が何かを1か条で宣言することを断念し,個々の条文についての解釈や分析を行うことが通例となっている。

しかし,最近の法律の条文は,それぞれの法律の第1条において,その法律の目的を記すのが慣例となっている。したがって,学問的にには,民法の目的についても,それを1か条で宣言することが望ましい。

CivilLawArt1-2Original_s確かに,民法には,その目的を明文で規定する条文は存在しないが,民法が適用されるすべての場面において,潜在的に適用されることが予定されている条文が存在しないわけではない。民法総則の中の民法通則(民法第1条,および,第2条)は,民法の目的を考えるうえで,重要なヒントを与えてくれる。

特に,民法第2条は,解釈の基準という見出しの下,「この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。」と規定している。この規定は,単に,民法の解釈基準にとどまらず,民法の目的について,すべての市民が,女であれ,男であれ,差別されることなく,個人として平等な私権を享有することを促進することを前提にして書かれているのではないだろうか。

CivilLawArt01_02sそうだとすると,民法第2条は,むしろ,以下のように改正することによって,民法の目的を明らかにしていると考えることができる。

第2 条(目的)(民法改正 仮私案)

①この法律は,私権の主体及び客体,並びに,私権の発生,変更及び消滅を規定することを通じて,個人の尊厳と両性の本質的平等を実現することを目的とする。
②この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。

現在の民法第2条を以上のように改正すると,それは,現在の第1条(基本原則)の規定,すなわち,内容からみると,私権の制限に関する規定と重複することが分かる。

そうだとすれば,民法第1条(基本原則)に先立って,民法第1条の第1項に,民法の目的を追加すればよいこともわかる。そして,それに続く第2条は,現行民法のままでよいことになる。

以上の考察を基づくならば,民法1編(総則)第1章(通則)は,以下のように改正すべきことになる。

民法第1編(総則)第1章 通則

CivilLawArt1-2Purpose_s

第1条(民法の目的並びに私権の行使及びその制限)

①この法律は,私権の主体及び客体,並びに,私権の発生,変更及び消滅を規定することを通じて,個人の尊厳と両性の本質的平等を実現することを目的とする。
①の2 私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
①の3 私権は自由に行使することができる。ただし,その行使に際しては,それによって得られる社会的利益と他人に損害を生じさせる等の社会的損失とを考慮して,社会的損失が最小となるように注意しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は、これを許さない。

第2 条(解釈の基準)

この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。

Law_Econoicsなお,上記の第1条第1項の3における「社会的損失を最小にする」という考え方は,法の経済分析において,よく利用されている考え方であり,それを反映したものである。

この点については,[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)352-358頁]が参考になる([詳細については,加賀山・定量分析の必要性(2011)26-28頁] 参照)。

2.民法の適用頻度の分析と頻度準の学習方法の検討

これまでの民法の学習においては,民法の条文の順序に従って,民法総則から学習を始めるのが,慣例となっている。しかし,民法総則は,民法の個々の条文の共通部分を取り出して作成されたものなので,極めて抽象度が高い。

確かに,先に述べたように,民法総則の中の通則(民法1条と2条のみ)について,民法の全体像を理解するために学習することは,先に述べたように,非常に重要である。しかし,民法総則すべてについて,最初に学習しようとすると,挫折することが多い。

この点,民法が裁判の中でどの程度の頻度で適用されているかを調査し,裁判での適用頻度の高いものをピックアップし,例えば,適用頻度ベスト10の条文と判例だけで,どの程度の事例を解決することができるか,次に適用頻度ベスト20の条文と判例だきで,どの程度の事例を解決することができるか,というように,よく利用される条文をある程度まとめてケース研究として学習させることができると,民法を楽しく学習するこができるように思われる。

3.閉ざされた体系における電子回路図化の試み

民法の体験の中には,閉ざされた体系として考察が可能な分野が存在する。例えば,不幸行為法は,適用頻度が最も高いにも関わらず,条文の数は,わずか,20条にも満たない。

しがって,不法行為法の全体像は,まとまった電子回路図によって以下のように表現することができる。

CivSysPart3Chap5Circuit01

しかも,不法行為法の一般法と,特別法の関係も,並列回路としてのバイバスをつけることで,以下のように,不法行為法のすべての条文を電気回路図によって表現することができる。

TortCircuit03_s

4.民法のGoogleマップをめざす

民法を学習する場合に,学習していることが,民法の全体の中で,どのような位置を占めているのかがわかるように,民法の体系図を具体的な問題を解くことを考慮して,フロー図として展開することが有用であると思われる。

例えば,契約の問題を考える際には,以下のような契約の流れ図が有用であろう。

 

FlowOf.Contract「契約」の流れ図の中の「契約の成立」については,そこをクリックすると,さらに,以下のような,「契約成立」の流れ図が表れるようにすると,学習効率が高まると思われる。

Flow_FormationOfContract_s

同様にして,「契約」の流れ図の中の「契約の有効・無効」については,そこをクリックすると,さらに,以下のような「契約の有効・無効」の流れ図が表れると便利であろう。

CauseOfInvalidContract_s

もっとも,契約の成立,契約の有効・無効,契約の履行・不履行等については,契約の類型ごとに要件と効果が異なる場合があるので,上記の契約の流れ図は,以下のような,契約の類型ごとに,微妙な調整を行ったうえで,各契約をクリックすると,先に示した契約の流れ図が表れるように調整する必要がある。

CivilLaw3Obligation02ContractsType

民法のGoogleマップを作成する際の言語的表現

民法のGoogleマップを作成する理由は,一般市民が困難な法的にな問題に総合した場合に,適切な条文と判例について,比ゆ的に言えば,世界地図から,国の地図,地方地図,住宅地図というように,迷子になることなしに,適切な条文にたどり着くための支援を行うことにある。

さらに一歩を進めるならば,学習支援の究極的なシステムは,学習者が,具体的な事例を入力すると,その根拠条文が法の体系図をたどって表れ,しかも,検討すべき,参考判例,参考文献が示され,最後に,問題解決のいくつかの提案(少なくとも,肯定的結論と,否定的結論の両者)が自動的に出力されるようなシステムを作ることであると思われる。

もちろん,最終的な結論は,それらの出力結果を参考にた上で,学習者の判断にゆだねられることになるが,このようなシステムを作成するには,民法のGoogleマップを自在に操るための言語的に表現が必要となると思われる。

詳細は,今後の研究にゆだねざるを得ないが,現在の段階では,民法体系,および,法的推論の言語的表現としては,以下のような,Prologによるのが簡便であると考えている。

PrologContract_s


なお,これまで述べたことをアニメーションで自学自習できるプレゼンテーションファイル「民法の体系と推論」を私のHPにアップロードしているので,ご参照いただけると幸いです。


Ⅶ 参考文献

[浅野・論証のレトリック(1996)]
浅野樽英『論証のレトリック-古代ギリシャの言論の技術-』講談社現代新書(1996)

[井上・言語論理教育入門(1989)]
井上尚美『言語論理教育入門-国語科における思考-』明治図書(1989)

[加賀山・定量分析の必要性(2011)]
加賀山茂「故意又は過失,因果関係における定量分析の必要性 -過失に関する「ハンドの定式」の誤解の克服,および,因果関係におけるベイズの定理の応用を中心に-」明治学院大学法科大学院ローレビュー15号(2011/12)17-58頁

[加賀山・法教育(2013)]
加賀山茂「法教育の必要性とその実現方法 -アイラック(IRAC)を考慮したトゥールミン図式の特殊化とその応用-」明治学院大学法科大学院ローレビュー16号(2012/03)3-36頁

[加賀山・民法の体系と推論(2016/6/7)]
http://cyberlawschool.jp/kagayama/CivilLaw/IntroductionCivilLaw/OhgakiIntroCivLaw/CivilLawSystem2016.pptx

[亀本・法的思考(2006)]
亀本洋『法的思考』有斐閣(2006)

[嶋崎「立証の構造と構造とトゥールミン図式」(1986)]
嶋崎隆「立証の構造について:『トゥールミン図式』を中心にして」一橋論叢第95巻3号(1986/03/01)467-475頁

[高橋・三段論法から対話的デフォルト論理へ(2009)]
高橋文彦「『法論理』再考-三段論法から対話的なデフォルト論理へ-」法学研究第82巻1号(2009/01/20)15-34頁

[平井・議論の構造(1989)]
平井宜雄「『議論の構造』と『法律論』の性質-法律学基礎論覚書2」(1989)平井宜雄『法律学基礎論の研究-平井宜雄著作集Ⅰ』有斐閣(2010)63-92頁所収

[ペレルマン・法律家の論理(1986)]
カイム・ペレルマン(江口三角訳)『法律家の論理-新しいレトリック-』木鐸社(1986)

書評:岸見=古賀『幸せになる勇気』ダイヤモンド社(2016/2/26)


岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)


本書の概要

本書は,アドラー心理学の基礎を学んだ人が,その理論を教育(カウンセリング等の広い意味での再教育)を実践する際にぶつかる疑問点について,対話形式で解説するものであり,ベストセラーである同一著者による『嫌われる勇気』(2013)の続編です。

3年間にわたってアドラー心理学を実践してみて,ついに挫折した教師と哲学者との対話を通じて,『嫌われる勇気』(2013)では具体的に論じられなかった以下の点について,詳しく解説されています。

1.問題行動の心理学的分析

アドラー心理学の特色である「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を現場で実践する場合に,強固に立ちはだかる障害は,それに反発する伝統的な考え方です。

本書は,教育の現場で「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を実践してみて,見事に挫折した教師の愚痴(「悪いあの人」,「かわいそうな私」)の話から始まります。(なお,本書では,すべての悩み相談の内容は,このパターン(「1. 悪いあの人,2. かわいそうな私」)に集約されるとしています。カウンセリングでは,そこ(過去の原因の究明)は聞き流し,「3. これからどうするか」(将来の目標)に話題を転じることが必要だとされています。)

それを受けて,本書では,対人関係で生じる相手方の問題行動が心理学的に分析されます。そして,問題行動は,対処を誤ると,以下の5段階へと発展することが明らかにされます。すなわち,1.賞賛要求(いい子),2. 注目喚起(よい子がだめなら悪い子),3. 権力争い(どれもだめなら,反抗・妨害),4. 復讐(憎しみによる嫌がらせ・ストーカー行為),5. 無能の証明(絶望)です。

これらの問題行動をする人の目的は,すべて,「共同体の中で特別の地位を確保すること」から始まっているので,3の段階にまで悪化する前に,私たちは,共同体の中で,特別の地位を占めるのではなく,普通の地位を占め,構成員と「横の関係」を築くことが重要であること,そのことを身をもって示すことが大切であることが語られています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,その心理分析は見事であり,しかも,その段階ごとに注意すべき点が明らかにされており,この部分は,アドラー心理学の真髄でもあるので,皆さんも,本書を読んで,詳しく検討されることをお勧めします。

2.自立を阻害する要因の分析と克服

生まれたばかりの人間が,1. 賞賛要求,2. 注目喚起を行うのは自然のことです。しかし,そこから生じる依存体質を克服し,自立をめざすには,他人からの賞賛や注目を期待するのではなく,自らが,「ありのままの自分を承認すること」が必要だというのがアドラー心理学の出発点です。

もちろん,自立をめざすと,とたんに,理想と現実のギャップから生じ,誰でも劣等感を持ちます。しかし,この劣等感に対しては,「Aだから,Bできない」という劣等コンプレックスに陥るのではなく,反対に,「自分のありのままを受け入れる勇気をもつこと」によって,自立の第一歩を踏み出すことができます。なぜなら,自立とは,「わたくし」の価値を,「自らが決定すること」であり,そのことが,「自分のことは,自分で決めることができる」という確信を持つことにつながっていくからです。

3.課題の分離と共同体のミッションの実現に向けた協力

「自分のことは自分で決めることができる」という確信(勇気)は,同時に,「他人のことは,他人が決めるのであって,他人の領域には,土足で踏み込まない」という,課題の分離,そして,「自己中心性からの脱却」という,「自立」のもう一つの定義につながっていきます。そして,いったん分離した課題を統合するのが,共同体のミッションに向けた相互協力であり,お互いに支援しあう横の関係の構築です。

以上のプロセス,すなわち,「自分のありのままを受け入れること」,同時に,「他人を自己と異なるものとして受け入れること」,したがって,「課題分離すること」,しかし,共同体のミッションを実現するために,他人と競争ではなく,横の関係の中で協力すること,それらの一連のプロセスを通じて,人間は,共同体への貢献感を得ることができるようになる。それが,人間が幸せになるということだというのが本書の概要です。

本書の特色と示唆

本書を読むと,心理学的分析が,哲学とつながっていることがよくわかります。哲学とは,人生で生じる様々な問題点について,「権威や神話から離れて,自分の頭で考えること」だからです。

しかし,自分で考えたことを科学の世界へと高めていくためには,疑うことのできない事実と仮説のみに基づいて,普遍的な原理を探求していかなければなりません。私は,これまで,人類に普遍的な原理は,以下の5つに集約できると考えてきました。

1. 人間は社会的動物である。なぜなら,生まれたままで放置されたら,すぐに死ぬのであって,親とか社会による支援が不可欠である。
2. 人間は,生まれながらに,支援を求めるが,次第に,自由を求めるようになる。しかし,自由は,他人の自由とも調和させなけば,社会の平和を保つことができない。
3. そこで,人間は,自分にとって,または,社会的に有用だと思うことは自由に行動してよいが,その際に,他の人の損害,または,社会的費用を最小限にするように注意を払う義務を負うというルールに服さなければならない。
4. もしも,そのような義務を怠って他人に損害を与えた場合には,民事的な,または,刑事的な責任を負わなければならない。
5. 自由と責任の関係がバランスをとって実現されている社会において,互いに協力しあうことが,すべての人の幸福につながる。

しかし,以上の5つの命題には,個人が自立するプロセスと,その過程で生じる問題についての考察が欠けていました。(もっとも,私は,定年を控えた最近になって,教育の目標は,単に学習者一人ひとりの「知的レベルの向上」だけではなく,一人ひとりの「自立」にあると思うようになってきましたが,自立についての考察は,まだまだ発展途上です)。

本書は,先に述べたように,自立を求めて生きる人間が陥りやすい問題行動の5段階を明らかにしており,しかも,それぞれの段階における問題行動に対処する方法を明らかにしているため,私の未熟な考え方を修正し,自立の部分を追加する契機となりました。現在のところ,上記の2.と3.との間に,「自己のありのままの承認,他人の課題と自分の課題との分離,それを前提としつつも,共同体のミッションを実現するための相互協力」という考え方を追加したいと考えています。そして,将来的には,「求めるよりも与えることを先行させること」を前提とする,『愛の家族法』の執筆へと,私の学説を発展させていきたいと考えています。

本書の課題

本書が採用している対話方式(ソクラテスの弁証法)ですが,本書の姉妹編『嫌われる勇気』(2013)のように,アドラー心理学の全体像を知るためには,対話による部分を少なくして,アリストテレスのレトリック流の体系的な記述を増やした方がよいのかもしれません。本書の筆者の一人が執筆した体系書である『アドラー心理学入門』(1999)の方が,アドラー心理学の全体像を理解するには,便利だからです。

しかし,アドラー心理学の基礎を学んだ上で,アドラー心理学を教育等の現場で実践しようとすると,いろいろな問題点が出てきます。そのような問題点について,どのように解決すべきかという点については,本書のようなソクラテス流の対話方式は,まさに効果的であると思います。

同一著者による『嫌われる勇気』(2013)と『幸せになる勇気』(2016)を続けて読んだ者としては,前著『嫌われる勇気』(2013)については,体系的な概説を中心に据えたうえで,部分的に対話を挿入するという方法を採用し,本書『幸せになる勇気』(2016)については,対話を中心としてよいが,最後のまとめとして,アドラー心理学の哲学的観点から総まとめを追加するとさらによいのではないかと感じています。

参考文献

・浅野樽英『論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術』講談社現代新書(1996/4/20)
・アリストテレス(戸塚 七郎訳)『弁論術』 岩波文庫)(1992/3/16)
・NHKスペシャル取材班『ヒューマン-なぜヒトは人間になれたのか-』角川書店(2012/3/25)
・ポール・エクマン(管靖彦訳)『顔は口ほどに嘘をつく(Emotions Revealed)』河出書房新社(2006/6/3)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
・鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
・戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011/6/8)
・中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014)
・プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波文庫(1994/10/17)
・プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫(1967/1/16)
・プラトン(加来 彰俊 訳)『ゴルギアス』 岩波文庫(1967/6/16)