法学部の危機的状態と学部改革の提言


明治学院大学法学部の危機的状態と法学部改革の提言

The Critical situation of the Faculty of Law of Meiji Gakuin University
and some Recommendations for the Faculty Reform

明治学院大学法学部教授 加賀山 茂


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • 1.明治学院大学法学部の危機的現状
      • 2.明治学院大学法学部に必要な学部改革
    • Ⅱ 法学部教育における腐敗の現状
      • 1.授業参観の低迷と教員同士の切磋琢磨の不在・馴れ合い
      • 2.授業担当の固定化による専門以外の科目に対する無関心・マンネリ化
    • Ⅲ 法学部における腐敗の防止策
      • 1.講義室の密室化による講義の腐敗と腐敗の防止策としてのビデオ教材の作成
      • 2.教員本位の構成から,個々の学生の知的レベルを向上させるためのカリキュラムへ
      • 3.教育改善のためのチェックリスト
      • 4.研究改善のためのチェックリスト
      • 5.任期付でないために生じる研究の腐敗の防止策
      • 6.教員の腐敗を防止するための教員の評価基準
    • Ⅳ 大学教員の腐敗を防止するための教員の自立能力の養成
      • 1. 教育目標としての学生の自立の実現
      • 2.学生の自立に先立つ教員の自立
      • 3.教員の自立を支援する起業セミナーの実施
    • Ⅴ 教員の腐敗を防止するための倫理規定の作成
      • 1.倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)の必要性
      • 2.法学部教員の職業倫理規定(就任時の誓い)
    • Ⅵ 結論
      • 1.教員は学生にとって絶対的権力者である
      • 2.大学は真理探究の場であると同時に,腐敗の温床でもある
      • 3.大学教員の腐敗を防止するには,不断の改革が必要である
      • 4.明治学院大学法学部のFD会議の再編による改革の推進の提言
      • 5.明治学院大学法学部の改革を実践するための7項目
    • Ⅶ 参考文献

Ⅰ 問題の所在


1.明治学院大学法学部の危機的現状

18yearoldPopulation本号(『法学研究』第101号)は,明治学院大学法学部50周年記念号であり,本来なら,法学部50年の歴史を寿ぐべきであろう。しかし,現在の法学部は,そのような呑気なことを言っておられない危機的な状態にあると,私は感じている。わが国における少子化の急激な進行によって,大学に入学する18歳人口が減少しており,多くの大学の存続自体が困難になっている。

そればかりでなく,司法改革の一環として実施された法科大学院構想が思わしい成果を挙げられなかったこともあって,法曹志望者が激減しており,そのあおりをうけて,法学部人気も徐々に下降しつつある。つまり,「潰しのきく学部」として享受してきた法学部人気は,その実質を失っており,「法学部の売り」を説得的に主張できる学生は,ほとんどいなくなりつつある。

それに追い討ちをかけるかのように,文科省が,2015年6月8日の通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し」を出し,これが,国立大学は「文系学部廃止」へ向かうと報道されたことから,文系学部のひとつである法学部人気が,私立大学の場合を含めて,さらに落ち込むことになった([吉見・文系学部廃止の衝撃(2016)] )参照)。

そのような逆風を受けて,明治学院大学の法学部のランキングは,このところ,慢性的な下降傾向にあり,入学者の偏差値が50前後を漂うという危機的な状況に陥っている(たとえば,「法学部系大学偏差値ランキング2016年度版」http://大学偏差値.biz/law.php 参照)。

その主要な原因は,都心の周辺大学(明治大学,法政大学,東洋大学など)が大学・学部改革を行い,その人気を上げているのに反して,明治学院大学法学部は,その改革を怠ってきたためであり,その結果として,明治学院大学法学部は,これらの周辺大学に学生を奪われ続けているのである。

2.明治学院大学法学部に必要な学部改革

それでは,明治学院大学法学部が,本来なすべき学部改革とは何だろうか。

結論を先取りして言うと,今必要とされているのは,教員のための学部改革ではなく,高い授業料を支払っている学生(学生の保証人を含む)の立場に立った学部改革である。

しかも,学生のための学部改革は,従来の教育目標である学生一人ひとりの知的レベルの向上だけでなく,学生の一人ひとりが,自らの意に反する仕事を押し付けられそうになったときに,辞職できるように,起業して自立できる知識と技術とを身につけさせることを従来の教育目標に追加することである。さらには,学生に自立を求める以上,教員も,それ以前に自立する能力を養う必要がある。

そして,これらの目標を実現するためには,民主的でかつ強力な権限を持つFD会議を新設し,そこでの議論を反映しながら学部改革を推進することが必要である。改革の目玉は,教員同士の切磋琢磨,ICTを活用した反転授業等の教育改革,および,専門分野横断的なカリキュラム改革であろう。それと併行して,教員の自立能力を要請するための起業セミナーの実施,さらには,不断の自己評価を行う基準として,医学部におけるヒポクラテスの誓いに似た,法学部の倫理規定を制定すべきであると,私は考えている。

ところが,明治学院大学法学部は,これまでの地の利,すなわち,「白金人気」に安住して,学部改革の努力をほとんど行ってこなかった。このため,法学部の教育・研究には,以下に述べるような構造的な腐敗が生じている。


Ⅱ 法学部教育における腐敗の現状


1.授業参観の低迷と教員同士の切磋琢磨の不在・馴れ合い

何事においても,向上のきっかけは,切磋琢磨である。したがって,教員は,知的レベルを向上させるために,学生同士が切磋琢磨することを要求する。しかし教員自身は,相互に切磋琢磨することを怠っている。

教員同士の切磋琢磨の最も簡便な方法は,互いの授業参観を活性化することである。明治学院大学の法科大学院(ロースクール)では,毎年,半期ごとに教員に2科目以上の授業を参観すること,および,授業参観の報告書を提出することを義務づけてきた。さらに,協力関係にある他大学(國學院大學,東海大学,獨協大学)に出かけて,授業参観をし,他大学の教員に評価レポートを渡す試みも行ってきた。

同僚の授業参観をしてみると,同僚が学生のためにどのような教育上の工夫をしているかがよくわかり,自己評価,および,自らの教育改善に役立つことが多い。しかも,授業参観について,同僚から文書で評価を受けるため,授業参観を受ける教員にとっても,非常に有益である。

授業参観の意義は,その参観レポートが,専門家によってなされる点にある。どこの大学でも,学生アンケートは盛んに行われており,一定の成果を挙げてはいるものの,それが匿名である点で,自由な意見表明が可能である反面,単なる誹謗中傷の域を出ないものも多く,また,教育内容については,素人であるため,厳格な教育評価とはいえないものが多いなど,不十分な点が多い。この点,大学教員による授業参加とその参観報告は,専門家による記名コメントであるため,教育の改善にとって必要不可欠であるといってよい。

ところが,法学部では,教員に対して,授業参観を義務づけておらず,しかも,授業参観にとって最も重要な授業参観の報告書の提出を義務づけていない。これでは,切磋琢磨による教育改善が全く期待できない。

したがって,法学部において,最初に行うべき教育改革は,授業参観と参観報告書の提出を全教員に義務づけることからはじめるべきである。

2.授業担当の固定化による専門以外の科目に対する無関心・マンネリ化

現代は専門化の時代である。教員は専門性を高め,その専門分野で大きな成果をあげることが要求される。しかし,専門化は,法学の使命である法的な紛争解決を総合的な観点から行うことを阻害する。したがって,現代社会においては,教員も,学生も,学問横断的な視野を持つことが求められている。つまり,教員は,専門分野について研究を深めるとともに,他分野についても,知見を広め,幅広い視点から教育を行うことが要求されている。博士(法学)が Doctor of Lawsとして,複数形で表現されているように,法学の教員は,専門分野のほかに,他の分野についても,教育研究することが重要である。

たとえば,民法は,条文数が最も多い法典を対象としており,専門分野が細分化されている。本学の法学部においても,民法は,民法総則,物権,債権総論,契約法,不法行為法,親族法,相続法というように細分化されている。

しかし,そのような細分化された科目を分担して担当し,かつ,その担当を固定化してしまうと,教員は,いわゆる専門バカとなり,民法にかぎっても,民法を総合的に研究したり,総合的に教育したりすることができなくなる。

ところが,本学の法学部では,民法関係のA教員は,民法総則,物権法,不法行為法を担当し,それ以外の民法科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。つまり,他の分野について,輪番で担当するという仕組みを作っていない。同様にして,B教員は,民法総則,物権法,債権総論を担当し,それ以外の民法の固有科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。C教員も,民法総則,物権法を担当し,それ以外の民法の固有科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。D教員も,契約法を担当するが,その他の民法科目(たとえば,物権法,親族・相続法)を担当しない。E教員も,債権総論,物権を担当するが,その他の民法科目(たとえば,契約法,親族・相続法)は担当しない。F教員も民法総則,物権法,契約法は担当するが,その他の民法科目(たとえば,親族・相続法)は担当しない。

このように,民法の担当教員は,自分の専門分野に関係する科目だけを担当し,その他の分野を輪番制で担当するという努力をしていない。しかし,親族・相続法を講義する経験なしに民法総則を講義することは困難であるし,契約法を講義する経験なしに債権総論を講義することは,さらに,困難であろう。同様にして,債権総論,契約法の講義経験なしに,担保物権を講義することは不可能であろう。私自身も,大阪大学で債権総論と担保物権を講義した経験から,「担保法革命」([加賀山・DVD講義(2013)])の発想を得たのであり,両者を切り離して理解することはできないと思われる。

したがって,民法総則を講義するには,親族・相続法の講義経験を積むことが必要であるし,少なくとも望ましいことは明らかであろう。この点,主要な国立大学では,民法の担当者は,すべての科目を輪番で講義する体制を採用しており,そのような経験を踏まえているからこそ,民法を総合的に講義することが可能なのである。

このことは,商法にも当てはまる。商法総則・商行為と会社法に固定するとか,会社法と有価証券法とかに固定するのではなく,保険法を含めて,輪番制を実施し,学生たちが就職した際に,企業をめぐる法律問題を扱う際に,不自由がないように総合力をつけさせるべきであろう。

その他の学問分野においては,一人の教員が,たとえば,民事訴訟関連では,民事訴訟法と破産法等を担当しており,刑法関係では,刑法総論と刑法各論とを担当しているのであるから,すべての法分野で輪番制を実施することは,教員がその気になりさえすれば,困難なことではないであろう。そして,そのことを通じて,教育の活性化が促進され,教育のマンネリ化を防止することになると思われる。


Ⅲ 法学部における腐敗の防止策


1.講義室の密室化による講義の腐敗と腐敗の防止策としてのビデオ教材の作成

(1) 密室の講義室で生じる腐敗の現状

大学教育で最も重要なことは,学生一人ひとりの知的レベルを向上させることである。自らの講義の質を向上させることが大学教育の目標だと勘違いしている教員が多いが,自らの講義の質をいくら高めたとしても,単位を落とす学生を大量に(50%以上)出すようでは,教員として失格であろう。

学生一人ひとりの知的レベルを向上させる最も効果的な方法は,第1に,予習を中心に,予習・復習の習慣をつけさせること,第2に,教員の講義時間を半減させて,残りの部分を学生との間の質疑応答(リアクションペーパーを活用した質疑応答),および,学生のプレゼンテーションの機会(講義の何回分かを学生自身による講義の機会,または,グループによるプレゼンテーションの機会)を与えることである。

第1の予習の習慣を身につけさせることは,教育において最も重要なことである。なぜなら,予習とは,講義を聞く前に,自分自身の力で教材を理解しようとすることであり,このことが習慣化すると,「指示待ち」とか,「習ったことしか答えられない」という,わが国の学生に特徴的な消極性を打破し,自ら進んで学習し,積極的に質問し,発言できるという能力を身につけさせることができる。

しかしながら,従来の大学教育において,予習の習慣を身につけさせることは,困難であった。その理由は,教員がわかりやすく丁寧な講義をすればするほど,学生の予習のインセンティブが失われるという,以下のような,ジレンマが生じるからである。

第1に,教員が,あらかじめ教材とレジュメを用意し,懇切丁寧に講義をすると,学生は,予習をしなくても,講義を理解できたような気になるため,学生は,わざわざ,予習をする必要を感じなくなる。そこで,第2に,講義中に学生との質疑応答を丁寧にしようとすると,今度は,講義が余り進まなくなり,講義の進度に支障が生じる。

このようなジレンマを解決する方法として,注目されるのが,反転教育に代表されるように,教員によるビデオ教材の作成である([芝池・反転授業(2014)])。

(2) ビデオ教材の作成によるジレンマの解決

講義に先立って,ビデオ教材を作成し,Webで事前に公開しておくと,学生たちは,ワン・クリックで,ビデオ画像を楽しめるため,予習をはじめる障害が低くなる([Trefler, Build for change (2014)] )。

また,講義でわからない箇所に出会っても,後で,ビデオ教材を何度でも繰り返してプレイして復習ができるので,予習も復習も楽になる。さらに,何らかの理由(病気や親戚の不幸など)で,講義を欠席したとしても,講義についていけなくなるということも防止できる([加賀山・授業の可視化とビデオ教材の制作(1013)])。

ビデオ教材を作成して,Webで公開しておくと,教員同士で,相互に鑑賞できるため,教員同士が授業参観したのと同じ効果が生じる。このため,教員間の切磋琢磨も同時に実現できる。

(3) ICTを利用したライブ講義の実現

それだけではない。ビデオ教材を含めて,学生たちが自学自習できるワークブック形式の教材を作成しておくと,次の段階である,インターネットを利用したライブ講義を実現することができるようになる。

授業時間に教員は自宅,または,研究室でコンピュータに向かってライブで講義をし,学生たちは,講義室,または,自宅で,講義を聞き,チャットで次々に質問をし,教員が,即座に対応するという,ライブ講義の実現である。

このようなライブ講義が実現できると,その波及効果として,社会人に対する教育が容易になるばかりでなく,ライブ講義を録画したビデオ教材は,予習,復習のほか,教員の客観的な教育評価にとっても有用となるため,講義室の密室化による,講義のマンネリ化と腐敗を防止することが可能となる。

2.教員本位の構成から,個々の学生の知的レベルを向上させるためのカリキュラムへ

これまでのカリキュラム改革は,カリキュラムを充実させることに偏重し,講義時間を減らす努力を怠ってきたため,教員と学生の負担をいたずらに増加させる傾向があった。

しかし,これでは,学生一人ひとりの知的レベルを向上させることはできない。これまでの教員本位のカリキュラム構成を廃止し,以下に述べるような学生本位のカリキュラム構成へと根本的な変更を行うべきである([鈴木・教材設計(2002)] )。

第1に,教員の講義時間を半減させ,その時間を使って,リアクションペーパーを活用した,質疑応答の時間と学生のプレゼンテーションを行う機会を増加させるべきである。なぜなら,知識の伝達は,教えることではなく,自ら学習し,それを他者に教える作業を通じて獲得されるということが明らかになっているからである([戸田・教えるな(2011)],[プラトン・メノン(1994)])。つまり,「教えることが,学ぶこと」であり,人は,「教える機会を得ることによって,初めて,真剣に学ぶことができる」のである。

第2に,ゼミ等のケース研究を倍増させる一方,講義は,体系のみを解説することにして,半減させるべきである。それを補うために,細かい論点は,ワークブック教材とか,ビデオ教材にして,自学自習させるべきである([加賀山・DVD講義(2013)])。

第3に,学問分野を融合させることによって,講義時間を短縮することを検討すべきである。たとえば,これまで,膨大な時間を割いて講義してきた民法については,民法通則(第1条,第2条)によって,民法全体の体系を示した後,国際私法としての「法の適用に関する通則法(法適用通則法)」に即して,国際私法によって準拠法として日本法が選択された場合にどのように解釈すべきかを教えるという方法を採用してみる等,思い切った講義の短縮方法を模索すべきである。

たとえば,民法全体について国際私法を通じて講義するという上記の方法を採用するならば,財産法,家族法を含めて,民法全体を,半期2単位,または,通年4単位で講義することが可能となる。しかも,法適用通則法を対象とするならば,民法だけでなく,その特別法である消費者契約法(法適用通則法第11条),労働契約法(同法第12条),製造物責任法(同法第18条)についても,その体系を含めて同時に講義することができるのであるから,講義時間を短縮する方法として,最良の方法のひとつであると,私は考えている。

3.教育改善のためのチェックリスト

これまで述べてきたような法学部の教育改善を実現するために,それぞれの教員が,たとえば,以下のようなチェックリストを独自に作成し,講義をする前後に常にチェックをするという習慣をつけるとよいと思われる([ガアンデ・チェックリストの方法(2011)])。

□ 講義は,学期の初めに示したシラバス通りの進度で行われているか。
□ 学生の予習を促すため,講義レジュメ,または,ビデオ教材は,少なくとも1週間前に作成し,公開しているか。
□ 講義の前に,復習の時間,または,前回の講義で学生が提出したリアクションペーパーの質問に答えるようにしているか。
□ 講義に際しては,学生の理解度を知るため,学生との間で質疑応答を行ったり,プレゼンを行わせたりしているか。
□ 講義の終わりに,リアクションペーパーを書く時間を確保しているか。
□ 学生が提出したリアクションペーパーを読み,適切と思われる質問事項を抜き出し,次回の講義に学生たちに答えるように準備をしているか。
□ 答案の採点は,事前に採点基準を作成し,それにしたがって厳格に行っているか。
□ 採点済みの答案を学生に返却することが義務づけられることになる場合に備えて,採点が厳正に行われていることを証明するための仕組みを用意しているか。

4.研究改善のためのチェックリスト

上記のような教育改善のためのチェックリストと同時に,大学教員は,先進的な研究成果を次々と公表するために,日ごろから,以下に述べる大学教員の使命に関する明確なイメージを持つとともに,以下に述べるように,研究を進める上で有用なチェックリストを用意して,節目ごとにチェックする習慣をつけるのがよいと思われる。

(1) 大学教員の使命に関する明確なイメージの重要性

すべての大学教員は,「大学教員とは,どのような使命を果たすべきであるのか」について,自覚を持つべきであるが,そのことを明確なイメージとして有している教員は多くない。しかも,大学教員の使命を具体的に把握し,かつ,実行している教員はまれである([杉原・大学教授という仕事(2010)])。

しかし,大学教員となった以上,学生の知的レベルを向上させる講義を行い,後継者を育てる([フィリップス&ピュー・博士号のとり方(2010)],[Phillips=Pugh, How to get a PhD(2015)])ばかりでなく,先進的な研究を行い,それを公表して社会に還元することが何よりも重要である。

大学の自治によって,大学教員が時の権力等から守られているのは,大学教員が,権力に都合の悪いことを含めて,真理を探究することが,究極的に人類の幸福に貢献することを社会が理解しているからである。したがって,学問の自由が保護されているからといって,学問をしない自由まで保護されているわけではない。

(2) 研究を推進するためのチェックリストの作成

定期的に先進的な論文を書いて,社会に貢献するためには,たとえば,以下のようなチェックリストを独自に作成し,常時チェックするのがよいと思われる。

□ 一日のうち,最低で3時間,論文の執筆の準備と執筆のために確保しているか。
□ 論文のテーマを見つけたら,常に,テーマをノートに書きとめ,漸次,その構想のアウトラインをメモし,論文作成の契機としているか。
□ 本や論文を読んだら,その概要,特色,課題をノートにとって,将来引用すべきと思われる箇所をメモしているか。
□ 論文は,たとえば,アウトラインプロセッサを使って,構造的に作成するようにしているか。
□ 論文を執筆する際には,問題提起と結論との関係が,問いと答えとの関係になるように,問題提起と結論とを配置しているか。
□ 論文を書き上げたら,明治学院大学研究者情報の自らの項目に必要事項を記入し,さらに,論文の概要を記入しているか。

5.任期付でないために生じる研究の腐敗の防止策

大学教員,とりわけ,専任教員になるのは,非常に難しい。法科大学院が次々と廃止に追い込まれ,その教員が法学部へと移籍している現状においては,特に,法学部の教員になるのは至難の業である。

しかし,専任教員になってしまえば,大学教員という職業は,腐敗しやすい。その理由は,先に述べたように,学問をする自由のほか,学問をしない自由まで保障されているからである。たとえば,大学教員は,研究成果を出さないと10年で任期が終わるというリスクもなく,定年まで勤めることができる。授業は密室で行われ,同僚による授業参観も義務づけられていないので,他人の書いた教科書を読んで済ませることもできる。さらに,答案の返還が義務づけられていないため,いい加減な評価でお茶を濁すこともできる。

そこで,大学教員の腐敗を防止するための方法として,人事の採用のときだけでなく,少なくとも10年ごとに,すべての大学教員は,その適格性が審査されるべきであろう。その場合の審査基準はどのように設定されるべきであろうか,審査基準があいまいであれば,さらに大きな腐敗が生じるおそれがある。

6.教員の腐敗を防止するための教員の評価基準

大学教員の任期を定める場合には,更新の際の基準を明確にする必要がある。この基準としては,特に,以下の3点が考慮されるべきである。

第1に,10年間に先進的な論文を少なくとも三つ以上公表しているかどうかが審査されるべきである。

第2に,10年間に学生が自主的に学習できるための教材(体系書,ワークブック,ビデオ教材など)を二つ以上公表しているかどうかが審査されるべきである。

第3に,大学院の博士課程を担当することになった教員は,10年間に少なくとも1名の大学院生(留学生が含まれていることが望ましい)に対して,学位を習得させるための研究指導を行うべきである。その学生が学位を取得できるかどうかは,本人の努力しだいであるが,学位を取得した場合,さらには,希望する研究機関等に就職できた場合には,指導教授は,よい評価を受けるべきである。

以上のように,大学教員の評価基準としては,先進的な学術論文を継続的に公表しているかどうか,学生の予習・復習に資する学習用教材を定期的に公表しているかどうか,さらに,後継者の養成に資する研究指導を継続的に行っているかどうかという三原則を中心として,審査を行うべきであろう。


Ⅳ 大学教員の腐敗を防止するための教員の自立能力の養成


1. 教育目標としての学生の自立の実現

これまでの明治学院大学の教育目標は,学生の知的能力の向上,および,建学の精神に基づく人格育成であった。しかし,その実態は,世間体からも,保証人を喜ばせるためにも,「大企業(国や自治体を含む)に就職させる」ことに主眼が置かれていたように思われる。

しかし,現在においては,大企業に就職しても,従来のような終身雇用制は終わりを告げており,必ずしも,安定的な生活が送れるとは限らない。そのうえ,昨今は,大企業においても,不祥事が露見し,倒産の危機に直面することが少なくない。そのような場合には,リストラの嵐が吹き荒れ,せっかく就職した学生たちが職を失う危険性が大きくなっている。

このような現状を直視するならば,大学教育の目標は,もはや,大企業に就職できる学生を育成することでは十分ではなく,たとえ,就職先が倒産しても,十分に生きていける能力,すなわち,起業ができる学生を育てる必要が生じているといってよい[ギボレー・1万円起業(2013)]。

大学で,起業ができる能力を養うことにすれば,卒業生は,大企業に就職して,不祥事に巻き込まれそうになったときも,手を染めずに,辞職することが可能となる。たとえ,リストラにあっても,生きていける。

2.学生の自立に先立つ教員の自立

学生の自立を促すためには,教員自体が自立の能力を有している必要がある。学生は,たとえ,教員の言うことを素直に聴かないとしても,教員が実践していることについては,手本として学ぶことが多いからである。

たとえば,e-Learningを実施しようと思えば,まず,教員に対するセミナーを開催して,その方法をマスターしてもらう必要がある。それと同様に,学生に自立の能力,特に,起業の能力を育てるためには,教員にその方法をマスターしてもらうためのセミナーを開催する必要がある。

3.教員の自立を支援する起業セミナーの実施

学生の教育目標に,起業の能力を育成するという目標が追加されるならば,起業育成のためのカリキュラムが組まれることになる。

その際に,大学教員向けの起業セミナーを同時に開催し,大学教員が辞職しても,その資質を活かして起業し,生活に困らないようにするためのプログラムを用意し,就活している学生の身になって,起業を助ける精神を養う必要がある。


Ⅴ 教員の腐敗を防止するための倫理規定の作成


1.倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)の必要性

先に述べたように,少子化が急激に進む中,大学においては,入学者が減少し,組織の維持・発展が困難な状況が生じている。このような状況の中で,ある大学が生き残るためには,高校生,その保護者等の関係者に対して,その大学が他の大学と比較して優位にあることを証明することが求められている。そして,その大学が他の大学と比較して優位であるためには,第1に,その大学の教員の質が他の大学よりも優れていること,第2に,その大学の卒業生の質が他の大学よりも優れていることを客観的に証明しなければならない。

後者の卒業生の「品質」保証については,これまでも,厳格な成績認定と卒業認定による客観的な評価基準が策定されており,それを実施することで,差別化の実現が可能である。しかし,前者の大学教員の「品質」保証については,社会が納得し,高校生およびその保護者等の関係者に対して,容易に理解できる評価基準は,いまだに策定されていない。

したがって,大学教員の「品質」保証を実現するためには,大学教員が以下のような「職業倫理規定」に従って職務に専念していることを社会に公表するとともに,FD会議において,その実践活動を相互に評価し,教員の質の確保が行われていることを社会に示すことが有効であると思われる。

そもそも,誰も真似のできない研究成果を挙げるために,大学教員には,一方で,ストレスのない理想的な職務環境が社会から与えられているが,そのことは,他方で,独創的な研究によって社会貢献をすることなしに,よい環境だけを享受するという,質の悪い大学教員が生まれる危険性も秘めている([杉原・大学教授という仕事(2010)])。すなわち,大学の自由な研究環境は,「学問の自由」の名の下に,大学教員に腐敗(独創的な論文を執筆しない自由)が生じる危険性を秘めていることを全ての大学教員が自覚する必要がある。

そのことを未然に防止するために,すでに,一部の医学部においては,教員が,長い伝統によって培われてきた「ヒポクラテスの誓い」を継承した「ジュネーブ宣言」に則り,良心に従って職務を行うことが実践されている([伊藤・医療の倫理(2013)] )。

そこで,法学部においても,医学部における「ヒポクラテスの誓い」を参考にして,法学部の教員に適した「職業倫理規定」を作成し,それを着実に実践することが,大学の社会的責任を果たす上でも,さらには,大学の客観的評価を高めるためにも必要であると考える。

以上の点を考慮するならば,法学部の教員は,その就任に際して,以下の「職業倫理規定」,いわゆる「法学部におけるヒポクラテスの誓い」を立てるとともに,定期的に行われるFD会議においてその実践状況を再確認すべきである。このことを通じて,法学部の教員の質が向上し,社会的に高い評価を得ることができると信じる。

法学部教員は,就任に際して,法学部の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うべきであると,私は考えている。

2.法学部教員の職業倫理規定(就任時の誓い)

第1条(建学の精神と職業倫理)

私は,独立して研究する能力を有する者として法学部に受け入れられたことに感謝し,今後とも独立して研究を推進すると同時に,私が担当する学生一人ひとりが,自立する能力を獲得できるよう,法学部の教員として,“Do for others”の精神を尊重し,この職業倫理規定,および,学則に従って,職務を誠実に遂行することを誓います。

第2条(教育・研究の責務)

私は,社会の平和と人々の幸福を実現するため,弱者救済,個人の尊厳の視点から教育・研究を行ない,コンスタントに先進的な学術論文を公表し,FD会議で報告することを誓います。

第3条(組織のマネジメント)

私は,恩師たちに対して尊敬と感謝の念を捧げるとともに,同僚たちを姉妹兄弟とみなし,教員と職員とが協力し合い,互いに生き生きと働くことのできる組織環境を維持・発展させることを誓います。

第4条(法教育と入学者の確保)

私は,高等学校での法教育の実践,および,国内・国外を問わず,他大学の学生との交流の発展に努め,優秀な人材を入学させるために尽力すること,並びに,その実践記録をFD会議で報告することを誓います。

第5条(後継者の養成と輩出)

私は,独立研究能力を有する学問と教育の後継者を養成して,社会に輩出するよう努力することを誓います。

第6条(学生の人格の尊重と社会貢献)

私は,職務の遂行に当たっては,常に,学生の人格と知的水準を向上させることを第一に考慮し,一方で,学生の個別の対応においては,差別と偏見を排して,秘密を厳守するとともに,他方で,教育方法,講義内容は,すべて,社会に公表し,社会に貢献することを誓います。

第7条(この規定を遵守できない場合の責任)

私は,5年ごとに第2条,および,その他の誓いを実現しているかどうかについて,職務上の地位を考慮して総合的に検討し,もしも,2度にわたってこの規定を遵守していないことを自覚したときは,直ちに学部長に辞表を提出することを誓います。


Ⅵ 結論


1.教員は学生にとって絶対的権力者である

アクトン卿の格言(Lord Acton’s epigram)によれば,「権力は腐敗に向かう,絶対的権力は絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」とされている。

私たち教員は,自覚していないかもしれないが,学生にとっては,絶対的な権力者である。なぜなら,教員は,単位認定という学生の生殺与奪の権を握っており,しかも,その認定基準となる試験問題を自ら作成し(いわば立法),自ら採点し(いわば行政),自らが単位認定することができるのであり(いわば司法),これらの権限をチェック機関による制約なしに行使しているからである。

しかも,権力を行使できる期間が長ければ長いほど,腐敗の確率は高まるといわれている。司法権力の担い手である裁判官の任期が10年であることを考慮すれば,法学部の通常の専任教員が,更新のチェックを受けることなく,定年まで,最大で40年間,その権力の座に収まることができるとすれば,その腐敗の確率は,格段に高くならざるをえない。

そこで,すべての権力者が陥りやすい腐敗を防止する手段を応じる必要が生じる。権力の腐敗を防止するためには,第1に,権力を分立させる,第2に,権力の行使期限(任期)を区切る,第3に,権力の行使の透明化を促進する,その上で,第4に,賃金を平均以上に上げるというのが常套手段である。

ところが,大学の専任教員は,腐敗防止の方策の埒外にある。なぜなら,大学教員という職業においては,真理の探究にとって有用である反面,研究・教育に関するチェック機能がほとんど働いていないため,以下のような腐敗の温床となっているからである。

2.大学は真理探究の場であると同時に,腐敗の温床でもある

第1に,裁判官が10年の任期制であるのと同様に([瀬木・絶望の裁判所(2014)],[瀬木・ニッポンの裁判所(2015)],[フット・名も顔もない司法(2007)]),大学教員も,更新可能な10年の任期制とし,10年ごとに業績審査を受けるべきであると思われる。ところが,大学教員の場合,期限付きでない専任教員が多くを占めており,その任期は,定年にまで及ぶ。このため,10年以上,全く学術論文を公表しない教員であっても,定年まで在職し続けることができる。

第2に,大学教員の教育評価の対象とされるべき講義は密室化していて,一般に公開されていない。しかも,教員に授業参観が義務づけられていないため,講義について,教員同士によるチェック機能が働いていない。このため,法科大学院では,一掃されたにもかかわらず,法学部においては,教科書を読んで講義とするという旧態依然の講義をしている教員とか,学生との間の質疑応答を行わず,マイペースで講義をする教員とかが,今なお存在する。

第3に,単位認定に関する試験問題の作成,採点,評価について,チェック機関が存在しないため,恣意的な単位認定がなされる危険性が高い。確かに,答案の採点基準は公表されつつあり,学生による異議申し立ての制度が整備されてはいるが,中等教育の場合等とは異なり,答案を返却することが義務づけられていないため,厳密な採点がなされているかどうかについての検証は,全くなされていない。

第4に,大学教員の研究費も賃金も,その他の研究職に比較すると,かなり低い。通常,研究費や賃金が低いと,士気が低下し,それ相応の仕事をすればよいと思うようになり,そこからさまざまな腐敗が生じることになる。

3.大学教員の腐敗を防止するには,不断の改革が必要である

これまで,大学改革といえば,すでに確立されている制度を革新するものであって,「しなくてもよいが,すればなおよい」という程度のものと考えられてきた。しかし,大学が上記のような構造的な腐敗の原因(業績の審査,授業運営の評価,試験の採点等をチェックする機関の不在)をかかえている以上,大学における改革は,「すればなおよい」というレベルのものではなく,教員の腐敗防止するために,恒常的に「しなければならない」作業である。自ら,または,同僚教員が腐敗を免れるためには,不断の大学改革が必要であり,これを怠ったときには,必然的に腐敗が生じることを,すべての大学教員が自覚すべきであろう。

本稿は,創立50年を経過した明治学院大学法学部が,現状において,教員に生じる構造的な腐敗を防止するに十分な体制を整えているかどうかを検証し,今後の本学部の50年間の生き残り戦略を含めて,法学部の教員の腐敗の防止策を提言しようとするものである。

4.明治学院大学法学部のFD会議の再編による改革の推進の提言

《Noblesse oblige》(高貴な立場には義務が伴う)という格言がある。大学教員は,社会から尊敬される地位にあるのであるから,その地位にふさわしい仕事をすることが,高い授業料を支払っている学生,保証人,ならびに,地域社会から求められているといえよう。

教員になる際に,高い志(先進的な研究でトップをめざし,学生たちに自立の力と高い知的能力を獲得させ,後継者を養成して社会に貢献するという志)を持たないと,日々の講義,学内外の事務処理にまぎれて,研究も教育も,いつの間にかマンネリに陥るという,典型的な腐敗に陥りやすい。

そのようなマンネリ化,腐敗を防止するためには,教員同士が,授業参観とそのレポートの提出による同僚間の切磋琢磨,および,FD会議での真剣な議論と新しい教育方法の実践,ならびに,内外の研究会,学会に参加することによる国内のトップレベル,海外のトップレベルの専門家との交流によって,常に新鮮な刺激を受ける努力を怠ってはならない。大学教員の腐敗防止のために行った本稿で提言は,大学教員が本来の使命を全うするために必要な最低限のものに過ぎない。

これまで,膨大な時間を費やすと考えられてきた講義の準備,講義後の採点等について,似ている専門科目を横断的に講義する方法を採用し,厳格かつ公正な成績評価システム([加賀山・答案採点システム(2005)])を採用するならば,教えたり,評価したりするために費やしてきた時間を少なくとも半減させることができる。これによって空いた時間を,ゼミや学生のプレゼンテーションに解放する工夫をするならば,学生の知的レベルを飛躍的に向上させることができるはずである。

5.明治学院大学法学部の改革を実践するための7項目

本稿を契機として,明治学院大学法学部の教員が,以下の七つの項目を実践し,不断の教育改革を続けるならば,迫りくる少子化の波を乗り越え,50年後には,誇らしい創立100周年を迎えることができると信じる。

  1. 教員は,学生にとって権力者であり,「権力は改革なしには腐敗する」ことを自覚する。
  2. 教員は,学生一人ひとりの知的レベルを向上するために,学生・保証人が支払う学費に見合うだけのサービスを提供する義務を負っていることを銘記する。
  3. 「学問の自由」によって得た研究成果を公表し,学生と社会のために還元するとともに,後継者を養成するための研究指導に励む。
  4. 教員の倫理規定(法学部におけるヒポクラテスの誓い)を作成し,新任,昇進に際して,宣誓式を挙行する。
  5. 教員は,「教えることは学ぶことである」という格言に留意し,教員は,「教えること」を控え目にして,講義の半分程度を,「学生が教えること」に充てる。すなわち,学生が講義のテーマについて報告する機会と時間を確保する。
  6. 不祥事の露見が相次ぐ大企業(オリンパス[深町=山口・内部告発の時代(2016)],東芝[今沢・東芝不正会計(2016)],三菱[小林・裁かれる三菱自動車(2005)]など)における不祥事の原因は,大学が送り出す「優秀な」卒業生たちが,自立する知識も技術も習得しておらず,企業に依存しているため,不祥事にかかわることになっても,「不祥事に手を貸すぐらいなら辞職する」というまっとうな道を選択できないからである。したがって,大学教育の目的については,従来の知的レベルの向上に加えて,自立するために必要な知識,技術を習得させる必要がある。
  7. 学生を自立させるためには,まず,大学教員が自立する必要がある。学生を自立させるためには,自ら,いつでも「辞表」を出せる準備をし,辞職した場合にも,自ら起業して自立できる力を養うことが教員にも要請されている。

このような提案は,同僚にとって耳の痛いことであろう。しかし,本稿は,定年を間近に控えた教員である筆者が,「嫌われる勇気」([岸見=古賀・嫌われる勇気(2013)]
,[岸見=古賀・幸せになる勇気(2016)],[岸見・アドラー心理学(1999)] )を振り絞って執筆したものであり,本稿が,明治学院大学の今後の50年の発展を託された若い教員たちに勇気を与え,構造的な腐敗体質を持つ法学部の学部改革を推進することに貢献ができれば幸いである。


Ⅶ 参考文献


[伊藤・医療の倫理(2013)]
伊藤道哉『医療の倫理 資料集』〔 第2版〕丸善出版(2013/6/22)
[今沢・東芝不正会計(2016)]
今沢真『東芝 不正会計 底なしの闇』毎日新聞出版(2016/1/30
[加賀山・答案採点システム(2005)]
加賀山茂「「厳格な成績評価」を実現するための『公正かつ透明な』答案採点システムの構築-Microsoft Excelを利用した答案採点システム-」(名大法政論集206号(2005)69-96頁
[加賀山・授業の可視化とビデオ教材の制作(1013)]
加賀山茂「ビデオを利用した授業の可視化とビデオ教材の制作」名古屋大学法政論集250号(松浦好治教授退職記念論文集)(2013/07)1-29頁
[加賀山・DVD講義(2013)]
加賀山茂『DVD講義 ビジュアル民法講義シリーズ1 民法入門・担保法革命』信山社(2013/12)86頁
[ガアンデ・チェックリストの方法(2011)]
アトゥール・ガアンデ『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? -重大な局面で”正しい決断”をする方法』普遊舎(2011/6/30)
[岸見・アドラー心理学(1999)]
岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
[岸見=古賀・嫌われる勇気(2013)]
岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(1013/12/12)
[岸見=古賀・幸せになる勇気(2016)]
岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
[ギボレー・1万円起業(2013)]
クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
[小林・裁かれる三菱自動車(2005)]
小林秀之『裁かれる三菱自動車』日本評論社(2005/6)
[芝池・反転授業(2014)]
芝池宗克=中西洋介『反転授業が変える教育の未来―生徒の主体性を引き出す授業への取り組み』明石書店 (2014/12/18)
[杉原・大学教授という仕事(2010)]
杉原厚吉『大学教授という仕事』水曜社(2010/1/25)
[鈴木・教材設計(2002)]
鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
[瀬木・絶望の裁判所(2014)]
瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)
[瀬木・ニッポンの裁判所(2015)]
瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)
[戸田・教えるな(2011)]
戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011)
[Trefler, Build for change (2014)]
Alan Trefler, “Build for change” Wiley (2014)
[フィリップス&ピュー・博士号のとり方(2010)]
フィリップス&ピュー(角谷快彦訳)『博士号のとり方』大樹舎(2010)
[Phillips=Pugh, How to get a PhD(2015)]
Estelle Phillips, Derek.S. Pugh, “How to get a PhD: a handbook for students and their supervisors”Open University Press; 6th Revised (2015/8/1).
[深町=山口・内部告発の時代(2016)]
深町隆=山口義正『内部告発の時代』平凡社新書(2016/5/13)
[フット・名も顔もない司法(2007)]
ダニエル H. フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007/11/20)
[プラトン・メノン(1994)]
プラトン著,藤沢令夫(訳)『メノン』岩波文庫(1994)
[吉見・文系学部廃止の衝撃(2016)]
吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書 (2016/2/22)

トゥールミンの図式とヴェン図を使った法教育の方法論


トゥールミン図式とヴェン図を使った法教育-法律専門家の腐敗を防止するために-


Ⅰ 問題の所在 - 法教育の必要性と法教育の方法

1.教育の必要性

生まれた状態の人間の子どもは,放置すればすぐに死んでしまうだけでなく,人間の特色である言語を習得することもできない。したがって,人間の「子ども」を自立できる「おとな」へと育てる営みである教育は,生まれてくる子にとって必要不可欠のものである。

しかし,教育は子にとって必要不可欠というだけではない。教育は,それをする側にとっても大きな意味を持つ。人間は,いつかは死ぬ存在であり,永遠を求める人間は,生殖によって子孫を育てるとともに,教育によって文化の後継者を育てる。つまり,教育は,受ける側にとって必要不可欠であると同時に,行う側にとっても最も価値のある営みである[加賀山・法教育(2013)32頁]  。

2.法教育の必要性

法は,社会的動物である人間が秩序を保って平和に生活する上で不可欠のルールの集合である。法を理解しない人間は,派閥を作り,力と数にものを言わせて人を支配しようとする。その集団が,人を支配する権力を手に入れると,その権力は必ず腐敗へと向かい,個人の尊厳と社会の平和が破壊される。したがって,社会的動物である人間が個人の尊厳と社会の平和を維持するためには,人の支配ではなく,法の支配を実現しなければならない。

法の支配を実現するためには,立法,行政,司法との間で権力の分立と相互監視が必要である。しかし,それだけでは権力の腐敗を防止するには不十分である。法の番人を自認する法曹三者(弁護士,検察官,裁判官)も人の子であり,法の仕組みを理解した素人である市民の有効な監視がなければ,必ず腐敗するからである。

専門家である法曹の腐敗を防止するためには,素人である市民も,法の最低限の仕組みだけは,理解しておく必要がある。したがって,法教育は,全ての市民が自らの人権を守れるようにするだけでなく,法曹の腐敗を防止するためにも不可欠の教育である(この点を含めて,レトリック教育の必要性については,[ペレルマン・法律家の論理(1986)316頁]参照)。

3.裁判員制度において要求される法的思考のレベル

この意味で,2009年5月21日から実施されている裁判員制度ほど法教育の必要性を明らかにするものはない。重大な刑事事件について,被告人の生死(死刑から無罪まで)にかかわる事件について,専門家である3人の裁判官と同等の立場で,全くの素人である国民から任意に選ばれた6人の裁判員が評議・評決に加わることになったからである。

法律に関して全く学習をしていない国民が,突如,裁判員の候補者であることの通知を受け,しかも辞退ができないことがわかり,いよいよ裁判所に出向かなければならなくなった時に陥るであろう「困惑・不安・恐れ」の大きさは想像に難くない。このような「困惑・不安・恐れ」を軽減するためにも,義務教育の一環として法教育を行うべきであることは,もはや避けることはできないといえよう。

もっとも,最高裁判所の公式見解によれば,裁判員の役割は,事実認定と量刑だけだから,「法律の知識はなくても,裁判員としての職務は全うできる」とされている。しかし,事実認定は,法律の条文に即して行われ,必然的に法律の推論(解釈・あてはめ)が介在する。したがって,裁判員が職務を全うするためには,法律に関する常識と推論に関する知識は不可欠である。

つまり,裁判員には,「法律の知識はなくてもよい」という公式見解は,残念ながら,気休めの「建前」に過ぎない。確かに,裁判員には,条文に関する専門的な知識は必要ではないかもしれないが,条文の要件に適合する事実を発見したり,その事実に条文を当て嵌めたりして結論を導くという法的推論に関する思考力は,必要である。

4.法的思考の起源と法教育の方法

Platon_Aristotelis_ss幸いなことに,裁判員に要求される法的推論は,実は,特別な推論ではない。裁判員に必要な考え方は,アリストテレスによって理論化された弁論修辞術(レトリック)の1部門としての常識による説得証明法(ピスティス)の考え方に従っている[浅野・論証のレトリック(1996)60-64頁]。

また,法的思考のプロセスは,同じくレトリックの1部門である配列法(タクシス)から発展したアイラック(IRAC)という法律家に共通の思考方法によって実現されている。つまり,国民が司法に参加するに際して必要不可欠な素養としての法律家の思考方法(IRAC)とその基礎(レトリック)は,すでに,民主制が発祥した古代ギリシャにおいては,市民が一般常識として有していた思考方法なのである。

I. 説得立証法(ピスティス
・・A 共通の説得立証(演繹的推論,帰納的推論など)
・・B 固有の説得立証
1. ロゴス(論理)による説得立証
・・A. 審議弁論(将来の問題を利害・得失の観点から論じる)
・・B. 法廷弁論(過去の問題を正・不正の観点から論じる)
・・C. 演示弁論(現在の問題を美・醜,徳・悪徳の観点から論じる)
2. エートス(品格)による説得立証
3. パトス(感情)よる説得立証
II. 修辞法(レクシス)…法解釈(拡大・縮小解釈,反対解釈,類推解釈)の源流
・・A. 提喩(類似性に着目したプロトタイプ的認識・表現)
・・B. 換喩(牽連性に着目した結合的認識・表現)
・・C 隠喩(対立性に着目した逆説的認識・表現)
III. 配列法(タクシス)…法律家の思考方法としてのアイラック(IRAC)の起源
・・1. 序言
・・2. 論題提起
・・3. 説得立証
・・4. 結語

問題は,どのような理念と方法によって法教育を実現するかである。そこで,本稿では,この問題について,「法廷弁論」にヒントを得てトゥールミンによって形式化され,最近では,小・中学校でも利用されているトゥールミン図式[トゥールミン・議論の技法(2011)原著の初版は1958年]を媒介としながら,法律家の思考方法である(アイラック(IRAC))とは何か,法の解釈はなぜ必要で,何をすることなのか,法の解釈に集合論は,どのように役立つのか,つまり,法教育の内容と方法はどのようなものとすべきか,順を追って明らかにしていく。

Ⅱ 法教育の理念と方法

1.法教育の到達目標の設定

学習をするに際して,学習の到達目標がしっかりしていると,目標を達成する確率が高まる。それでは,法教育の到達目標をどこに置くべきだろうか。

法律家の育成の到達目標について,司法改革審議会の意見書(2001)は,法科大学院の教育理念について,以下のように述べている。

事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。

このような能力は,総合診療医が,具体的な患者の症状を見てその病名を的確に判断する能力に似ている。

病名がわかった後に,病状と対処法を述べるのは,困難なことではない。しかし,症状から病名を判断するには,熟練を要する。

DrGeneralNHK総合が毎週水曜日の午後10時25分から11時15分まで放映している病名推理番組「総合診療医ドクターG」では,以下のように,患者の病状から,病名を解明し,診療方法を確定するまでのプロセスを見せている。
・研修医の最初の見立ては,全て外れ。
・総合診療医のアドバイスを受けながら,可能性のある病名を全てチェックし,除外すべきものを除外して,正解にたどり着くことができる。

医学とは異なるが,法律の場合も同じことが言える。条文について,その意味を述べたり,どのような事例がそれに当てはまるかを述べることは,困難ではない。しかし,反対に,具体的な事例にどの法律のどの条文が適用されるのかを判断するには熟練を要する。

したがって,法教育の最終的な学習目標は,その点に集約すべきである。学修計画を立て,地道な学習を重ねることによって,学習が一段落した後に,以下のように言えるようになるのが,法教育の最終目標となる。

私は,具体的な問題が生じた場合に,その問題にどの法律のどの条文が適用されるのか,その結果,どのような判決が出るか,その結論が覆るのは,どのような場合かを予測する能力を有します。

このような能力を有していることこそが,法教育を受けたことのない人とは異なる,「法教育を受けた者」が獲得する能力なのである。

2.判決三段論法とその問題点

法の学習においては,論理が重要であるといわれている。そして,判決の正当性を保証するものとして,判決三段論法が紹介されることがある。

判決三段論法とは,論理学的な三段論法と対比して,以下のように説明されている。

JudgmentSyllogism_s

しかし,判決が,三段論法にしたがって論理的に構成されているかというと,大前提に当たる法律の条文は,本文(原則)と但し書き(例外)という組み 合わせ,または,一般的な条文とそれに対する特別法という条文とが組み合わせられているのがほとんどであり,実は,三段論法が使えない場合の方が多い。

したがって,上記のような,民法の中で,最も高い適用頻度を誇る民法709条を例にとった場合であっても,それと矛盾する民法712条,713条,720条等の条文の適用が問題となることがあり,その場合には,民法709条の条文を大前提として三段論法を利用することはできない。なぜなら,加害者が責任能力のない未成年者の場合,三段論法を使うと,709条では,損害賠償請求の肯定が正当化され,逆に,712条では,損害賠償請求の否定が正当化され,両方の判断が矛盾に陥るからである。民法712条,720条の場合も同様である。

第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う

第712条(責任能力1)
未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない

第713条〔責任能力2〕
精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は,その賠償の責任を負わない。ただし,故意又は過失によって一時的にその状態を招いたときは,この限りでない。

第720条(正当防衛及び緊急避難)
①他人の不法行為に対し,自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため,やむを得ず加害行為をした者は,損害賠償の責任を負わない。ただし,被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
②前項の規定は,他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。

Toulmin_Kagayama2012民法709条の不法行為の要件を満たす場合には,被害者は加害者に対して損害賠償を請求できるはずである。しかし,加害者が責任能力のない未成年者の場合,民法709条の要件をすべて満たした場合でも,加害者は損害賠償責任を負わない。このような,原則と例外の関係を三段論法によって正当化することはできるであろうか。

このような場合の矛盾の解決方法として,通常は,「特別法は一般法を破る」というメタ規範が用いられて,矛盾を解消することが試みられる。しかし,例えば,民法1条2項の信義則とか,民法90条の公序良俗違反を無効とする条文は,いかなる特別法にも優先して適用されるため,「特別法は一般法に優先する」というメタ規範も,絶対的な規定とはいえず,常に妥当するとはいえないため,個別的に解決するほかない。

3.正当化の推論から発見の推論へ

法律学は,解釈学にとっては,正当化の推論が重要であるが,現行条文では具体的な問題をうまく解決することができない場合には,条文を超えた普遍的な原理を発見して,その原理に従った新しい解釈をする必要がある場合が少なくない。

Abductionその時に有用なのが,論理的には,常に正しい推論とはいえないため,注意をする必要があるが,帰納推論とか,発見の推論といわれるアブダクションを使って,普遍的な原理に基づいた解釈を行う必要がある。

発見の推論は,対象となる範囲を絞り,そこに焦点を当てて分析を行い,そこで得られた結果をさらに広い範囲で応用できないかを検討する推論であり,学問的研究には非常に適した推論である。

Ⅲ 法的思考とは何か

1.アイラック(IRAC)で考える

法的思考とは,法律専門家が日常的に行っている思考方法のことであり,アイラック(IRAC)として表現できる思考方法である。

(1) アイラック(IRAC)とは何か?

アイラックというのは,以下に示すように,紛争が生じている事件を解決するための思考方法とその順序,すなわち,第1に事案の分析,第2に,仮説と仮の結論,第3に,反対説との間の議論,第4に,結論,というように,法律専門家の思考の順序を示すものである。

IRAC_s・ I(Issue)
・争点,すなわち,争いになっている事実関係は何かを明らかにする作業である。
・ R(Rule)
・ 争いとなっている事実に適用すべきルールを発見する作業である。ただし,発見した事実によって適用すべきルールが発見される,逆に,発見されたルールから見ると,重要な事実が再発見されるというように,IとRとは,相互に密接な関係にある。
・ A(Application/Argument)
・原告が主張する事実と被告が主張する事実に相違があるのが普通であり,したがって,それぞれの事実に適用すべきルールも異なることになるため,法の適用の結果は,分裂することになる。そこで,事実と適用すべきルールの適切性について,議論をすることになる。そのような議論を通じて,「真実」と「正しい法」の適用に接近する道が開かれることになる。
・ C(Conclusion)
・このような厳しい議論を通じて得られる結論,訴訟であれば,判決である。

(2) 事実とルールの相互関係

事実とルールとの関係については,発見した事実によって適用すべきルールが発見される,逆に,発見されたルールから見ると,重要な事実が再発見されるというように,IとRとは,相互に密接な関係にある。

rule_based_j1

(3) 行網用タール事件の事実と適用すべきルール

漁網用タール事件(最三判昭30・10・18民集9巻11号1642頁)の概要は,以下の通りである。

昭和21年2月,原告であるX漁業協同組合(買主)は,A社の溜池に貯蔵されている被告Y(売主)所有の漁業用タール(3,000トン~3,500トン)のうち,2,000トンをYから見積価格49万5,000円で購入する契約を締結した。そして,物品の引き渡しについては,買主Xが売主Yに対して,必要の都度その引き渡しを申し出て,Yが引き渡し場所を指定し,Xがドラム缶を当該場所に持ち込んで,タールを受領し,1年間で2,000トン全部を引き取ることにし,手付金(内金ともいう)20万円をYに交付した。

昭和21年8月,Yは,Xの求めに応じて10万7,500円分のタールの引き渡しを行ったが,その後,Xは,タールの品質が悪いといって,しばらくの間,引き取りに来なくなってしまう。その間,Yはタールの引き渡し作業に必要な人夫を配置する等,引き渡しの準備をしていたが,その後,これを引き上げ,監視人も置かなかった。そのため,同年12月,A社の労働組合員がこれを他に売却してしまい,タールは,すべて滅失してしまった。

Xは,Yのタールの引き渡し不履行を理由に残余部分につき契約を解除する意思表示をした。そして,昭和24年11月15日,Xは,Yに対して,手付金(20万円)から,引き渡しを受けたタールの代価(10万7,500円)を差し引いた,残金9万2,500円の返還を請求した。

この事件での問題は,以下の通りである。

第1に,Xは,Yの債務不履行を理由に契約を解除して残代金の支払いを免れ,9万2,500円の返還を求めることができるか? 第2に,反対に,Yは,残代金(29万5,000円)の支払いを求めうるか? という問題である。

IRAC_Issue_vs_Rue_s原審は,売買の目的物は特定し,Y(売主)は善良なる管理者の注意を以てこれを保存する義務を負っていたのであるから,その滅失につき注意義務違反の責を免れず,従って本件売買はYの責に帰すべき事由により履行不能に帰したものとし,X(買主)が昭和24年11月15日になした契約解除を有効と認め,前記手附金からすでに引渡を終えたタールの代価を差し引いた金額に対するXの返還請求を認容した。

これに対して,最高裁(最三判昭30・10・18民集9巻11号1642頁)は,以下のように判示した。

売買契約から生じた買主たるXの債権が,通常の種類債権であるのか,制限種類債権であるのかも,本件においては確定を要する事柄である。

例えば通常の種類債権であるとすれば,特別の事情のない限り,原審の認定した如き履行不能ということは起らない筈であり,これに反して,制限種類債権であるとするならば,履行不能となりうる代りには,目的物の良否は普通問題とはならないのであって,Xが「品質が悪いといって引取りに行かなかった」とすれば,Xは受領遅滞の責を免れないこととなるかもしれないのである。

最高裁は,以上のように述べて,原審判決を破棄し,原審に差し戻した。批判された高裁は,最高裁の趣旨を汲んで,以下のような判決を下している。

売買契約から生じた買主たるXの債権は特定の溜池にあるタールの一部を目的物とする債権であるから,制限種類債権に属するものというべきである。残余タールを取り出して分離する等物の給付をなすに必要な行為を完了したことは認められないから,未だ特定したと云い得ない。

特定の溜池に貯蔵中のタールが全量滅失したのであるから,Yの残余タール引渡債務は特定しないまま,履行不能に帰したものといわなければならない。
本件残余のタールは特定するに至らなかったのであるから,Yは特定物の保管につき要求せられる善良な管理者の注意義務を負うものではない。債務者はその保管につき自己の財産におけると同一の注意義務を負うと解すべきである。

本件目的物の性質,数量,貯蔵状態を勘案すれば,Yとしては本件タールの保管につき自己の財産におけると同一の注意義務を十分つくしたものと認めるのが相当であって,この点についてYに右注意義務の懈怠による過失はなかった。

XがYに対しなした債務不履行を理由に本件売買契約を解除する旨の意思表示は無効であって,本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。(札幌高函館支判昭37・5・29高民集15巻4号282頁)

ここで注意しなければならないことは,「その余の点について判断するまでもなく失当」という判断である。

本件は,差し戻し後の高裁判決によって,履行は不能となり,しかも,その履行不能について債務者に過失(帰責事由)がないという場合である。そうだとすれば,その場合に適用されるべき条文は,危険負担に関する民法536条である。もしも,債権者にも過失がないとすると,危険負担の原則である民法536条1項の債務者主義に基づいて,代金債務は消滅するので,買主は,解除の意思表示を必要とすることもなしに,代金支払の義務を免れる。したがって,この点が問題とされなければならないはずである。「本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」という判断こそが,条文を無視した失当判決にほかならない。

もっとも,「その余の判断」をした結果,買主だけに帰責事由があることが判明した場合には,危険負担の例外規定である民法536条2項が適用されて,買主は代金債務を免れないという事態が生じるかもしれない。しかし,その場合でも,「本訴請求は,その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」のではなく,その余の判断を行い,買主だけに帰責事由があることが認定され,その結果,民法536条2項が適用されて,売主が代金の支払いを受けることになることもありうる。しかし,その場合でも,きちんと「その余の点について判断する」ことが必要であり,「その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。」というのは,乱暴な議論だと,私は考えている。

2.トゥールミン図式で議論する

かなり以前から,小・中学校における国語教育[井上・言語論理教育入門(1989)第4章]や社会科教育において,トゥールミン図式を利用した議論に関する授業が行われるようになっている。実際,インターネット上には,トゥールミン図式を応用した実践授業がいくつも公表されている。そこでは,議論のプロセスと全体像を視覚的に理解できるトゥールミン図式の特色が十分に活かされている(トゥールミン図式の特色と位置づけについては,([嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)467-475頁],[平井・議論の構造(1989)64-67頁],[亀本・法的思考(2006)226-270頁]参照)。

(1) トゥールミン図式の原型

トゥールミン図式の原型は,レトリックの基本である三段論法を図式化したものである。

Toulmin01トゥールミン・モデルにおいては,議論をするには,最初にデータ(Data)を示して,自分の言いたいこと(Claim:主張)を言うべきである。その際に,相手方が一応なりとも納得できるような理由(Warrant:論拠)を示してから議論をはじめるべきであるという,議論の基本が以下の図によって示されている[トゥールミン・議論の技法(2011)147頁]。

(2) トゥールミン図式の完成図

上記のトゥールミン図式の原型は,このままだと,従来の三段論法と代わり映えがしない。なぜなら,W(推論保証=論拠)を大前提(例えば「人間は死ぬ」),D(データ)を小前提(例えば,「ソクラテスは人間である」),C(主張)を結論(例えば「ソクラテスは死ぬ」)と置き換えれば,三段論法を図式化したに過ぎないからである。

Toulmin02しかし,この図は,次に述べるように,蓋然性を取り込むことができるように拡張されて,主張(Claim)の様相を限定する,「十中八九」とか「おそらく」という「様相限定詞(Qualifier)」を付け加えること,および,「反論(Rebuttal)」を付け加えることができるようになっているため,現実の議論のプロセスと全体像とを示すことができる以下の図へと発展させることができる[トゥールミン・議論の技法(2011)153頁]。

トゥールミン図式はシンプルでわかりやすい構図となっている。それにもかかわらず,困難な問題を生じさせているのは,「W:推論保証(論拠)」と「B:裏づけ」との区別が一見したところではわかりにくい点である。もっとも,「D:データ」と「W:論拠」の区別についても議論はある[嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)471頁]。しかし,トゥールミン自身が,「データと論拠の区別は,法廷における事実問題と法律問題の間に引かれる区別に似ている」[トゥールミン・議論の技法(2010)147頁]と述べており,法律を学習する者にとっては,「D:データ」と「W:論拠」との区別は困難ではないと思われる。

問題のW:論拠とB:裏づけとの区別であるが,トゥールミン自身の記述[トゥールミン・議論の技法(2011)154頁] によれば,「W:論拠」は反駁可能な「仮言的言明(AならばBである)」であるとしているので,要件と効果で書かれた法律の条文も「W:論拠」に含まれることになる。これに対して,「B:裏づけ」は「定言的事実命題(Aである)」としているので,反駁を予定していない定義や公理がここに含まれることになると思われる。

しかし,この点については議論があり,見解が分かれている([嶋崎「立証の構造とトゥールミン図式」(1986)471頁],[亀本・法的思考(2006)235頁])。わが国の有力な見解によれば,法的議論の場合には,「W:論拠」は法規範であり,「B:裏づけ」は条文であるとされている([高橋「三段論法から対話的デフォルト論理へ」(2009)]28頁,[高橋「法的三段論法を超える法的推論モデル」(2009)149-152頁] 参照)。

しかし,先にも述べたように,筆者は,法律の個々の「条文」は例外を有し,反論を許すのであるから,[トゥールミン・議論の技法(2011)154頁] に従って,個々の条文は「B:裏づけ」ではなくて「W:論拠」に過ぎないと考えている。そして,「B:裏づけ」は,立法趣旨等から明らかになる条文を支えている原理・原則であり,個々の条文とは性質の異なる強行規定としての一般条項(信義則,公序良俗,公共の福祉等)も,主張する側と反論する側とがともに従うべき言明であるという点で,「B:裏づけ」に含まれるのが妥当であると考えている。

このような問題点があるとはいえ,トゥールミンの図式の特色は,必ずしも従来の論理学や法律を根拠とせずに,「常識」や「ことわざ」を論拠としても,説得的な議論を展開することを可能するばかりでなく,さらに,あらゆる議論のプロセスを図の中に正確に位置づけることができる点にある。このため,トゥールミンの図式を活用すれば,議論の全体像が明らかとなり,議論が拡散したり,横道にそれたりすることを防ぐことができるようになる。この点が,トゥールミン図式の実践的な利点となっている。

(3) トゥールミン図式から法的議論の図式へ

先に述べたトゥールミン図式は,法廷弁論を念頭に置いて,法律の議論だけでなく,ありとあらゆる議論のプロセスをデータ,論拠,裏づけ,様相限定詞,反論,主張という6つの要素を使って図式化できるように一般化されたものである[トゥールミン・議論の技法(2011)10,15,59,142頁]。
したがって,トゥールミン図式の分かり易さを生かしつつ,アイラック(IRAC)に適合するように,トゥールミン図式を法律家向けに洗練させることによって,法教育の教育効果を一気に向上させることが可能となる。

以上の観点,および,新しい要件事実論([加賀山・新しい要件事実論の必要性(2010)23-49頁],[加賀山・新しい要件事実論の構築(2012)])をも考慮して,トゥールミン図式を筆者の専門である民事の議論に特化した図式を示すと以下のようになる。

Toulmin_Kagayama2011

上記の図は,トゥールミン図式が曖昧とされてきた,W:推論保証(論拠)とB:裏づけとを明確に区別し,かつ,B:は,R:反論の裏づけとしても有用なものであることが示されている点に特色がある。紛争の解決が,当事者にとっても,専門家にとっても,また,世論にとっても納得がいくためには,当事者双方の主張と反論とが共通の裏づけによって等しく理由づけられている場合だからである。

法教育で重要なことは,具体的な事実(D)を憲法または法律の条文(W)に則って解決するという道筋を理解することであるが,その際に,同じ事実から反対の結論を導くルール(R)が存在することを認識することが重要である。健全な常識には,常に反論が用意されている。たとえば,「善は急げ」と「急がば回れ」とが対立しており,「渡る世間に鬼はなし」と「人を見たら泥棒と思え」とが対立している。一文自体が矛盾しているものも多い。たとえば,「負けるが勝ち」,「損して得取れ」,「毒をもって毒を制す」,「敵の敵は味方」などである。法律の条文は,なお,重複する条文や,相互に対立・矛盾する条文を抱えているとはいえ,詳しい前提条件をまとうことによって,このような対立・矛盾を極限まで押さえ込んでいる。上記のようなトゥールミン図式の特殊化が可能であるのは,法が閉じられた体系を志向し,これにある程度成功しているからである。

Ⅳ ヴェン図による難解な法的思考の明確化

1.法の解釈とは何か

裁判官は,憲法第76条第3項によって,憲法・法律の条文を適用して紛争の解決を図らなければならない。

憲法 第76条
③すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。

しかし,社会の進展によって,立法者が予想しないような事件が生じるのであり,新しい問題の解決に適した法律の条文が存在しないという事態が生じる。これが,法律の解釈が必要な理由であり,以下のような解釈方法があるとされている。

InterpretationStopHorseOrCar_s(1) 文理解釈…要件集合に厳密に属するものだけに法律効果を与えるとする解釈
(2) もちろん解釈…要件集合に属しないものに対して,「より強い理由による」として法律効果を与える解釈
(3) 拡大解釈…要件集合を拡大して法律効果を与える解釈
(4) 縮小解釈…要件集合を縮小して,法律効果を与えないとする解釈
(5) 反対解釈…要件集合の差集合には,「反対の」法律効果を与えるとする解釈
(A→Bならば¬A→¬Bとする解釈(常に正しいとは限らないので注意が必要))
(6) 類推解釈…要件集合には属さない(拡大にも限度がある)が,似たような事実には,同じ法律効果を与えるとする解釈
(7) 例文解釈…要件として上げられているものは,一例に過ぎないとする解釈

2.一番むつかしい解釈としての例文解釈

(1) 民法770条の裁判上の離婚原因

法律の解釈で最も困難な場合と言うのは,条文に書かれた要件が正確でない場合である。

CauseOfDivorce_s例えば,民法770条(裁判上の離婚原因)を見てみよう。

第770条(裁判上の離婚)
①夫婦の一方は,次に掲げる場合に限り,離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり,回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
②裁判所は,前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても,一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは,離婚の請求を棄却することができる。

民法770条1項の要件のうち,1号から4号までの要件は,5号の要件を推定する要件に過ぎない。したがって,1号から4号までの要件が証明されたとしても,2項によって,それが,「婚姻を継続しがたい重大な事由」があると認められない場合には,離婚が認められない。

(2) 民法612条の解除原因

法律の解釈で最も難しい問題の一つとして,民法612条の解釈に挑戦する。

LogicTerminationOfLeaseContract01_s第612条(賃借権の譲渡及び転貸の制限)
①賃借人は,賃貸人の承諾を得なければ,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸することができない。
②賃借人が前項の規定に違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。

この条文の解釈がなぜ難しいかというと,学説および最高裁の判例が,以下のように,条文に書いていることと反対の結論を導いているからである。

最一判昭和41・1・27民集20巻1号136頁
土地の賃借人が賃貸人の承諾を得ることなく,その賃借地を他に転貸した場合においても,賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があるときは,賃貸人は民法612条2項による解除権を行使し得ない。

LogicTerminationOfLeaseContract02_sなぜそのような解釈が可能なのだろうか? それがここでの問題である。

裁判での議論をトゥールミンの議論の図式に沿って説明すると,以下のとおりである。

・(データ) 賃借人は,賃貸人に無断で賃借目的物を第三者に転貸した。
・(主張)賃貸人は賃貸借契約を解除する。転借人は,建物を収去して土地を明け渡せ。
・(論拠)民法612条2項は,賃借人が賃貸人に無断で賃貸目的物を譲渡したり,転貸した場合には,賃貸人は賃貸借契約を解除できると規定している。
・(反論) 賃貸人は,賃貸人と転借人とが夫婦であり,転借人が建物を所有していることを知りながら賃貸借契約を締結した。たとえ賃貸人の同意を得ていないとしても,離婚に際して,夫が財産分与として,妻に賃借権を譲渡したり転貸したりすることは,背信行為と認めるに足りない特段の事由がある。
・(裏づけ)
①原則:賃借人との間の信頼関係が破壊されるに至ったときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。
②法律上の推定:賃借人が,賃貸人の承諾を得ないで,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸したときは,信頼関係が破壊されたものと推定する。
③例外:賃借人の行為が,賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があることを賃借人が証明したときは,賃貸人は,契約の解除をすることができない。

Toulmin_Kagayama_art612civ

このように,判例は,契約当事者間の信頼関係が破壊されないような特別の場合には,条文の文言にもかかわらず,判例は,賃貸借契約を解除することはできないと判断している。

以上の考察を踏まえて,条文に判例・通説の考え方を反映させるため,民法612条の改正案を作成してみよう。

第612条(賃借権の譲渡及び転貸の制限)(民法改正私案)
①賃借人が契約の目的に違反して使用又は収益をしたため,賃貸人と賃借人との間の信頼関係が破壊されるに至ったときは,賃貸人は,契約の解除をすることができる。
②賃借人が,賃貸人の承諾を得ないで,その賃借権を譲り渡し,又は賃借物を転貸したときは,信頼関係が破壊されたものと推定し,賃貸人は,契約の解除をすることができる。ただし,賃借人の行為が,賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があることを賃借人が証明したときは,賃貸人は,契約の解除をすることができない。

(3) 民法の条文の文言に反する解釈が可能な理由:体系的な理解による統一の原理の発見

LogicTerminationOfLeaseContract03_s判例がこのような,条文の文言とは異なる判決を下したのは,以下のような歴史的な背景があるからである。

ただし,このような条文の文言に反する解釈が,学説によっても正当と考えるに至った理由は,そのような考え方が,民法の体系上も整合性を有するからであると思われる。

ここでいう,民法の体系上の整合性とは,すべての解除の要件は,「契約目的を達することができないときに限る」という考え方であると思われる。

通常の契約の解除の要件は,民法542条,566条において明文化されているように,「契約の目的を達することができない場合」であり,離婚の場合は,民法770条で見たように,「婚姻を継続しがたい重大な事由」であり,継続的契約における解除の洋館へ,民法612条の判例法理で見たように,「信頼関係が破壊された場合」である。

これらの要件は,「契約をした目的が失われたとき(契約目的不達成,契約を継続しがたい重大な事由,信頼関係の破壊)は,その契約から当事者を解放するのが妥当であるとの民法の根本法理に従っていると考えられるからである。

Ⅴ 結論

法律家の思考方法は,アイラック(IRAC)で考え,トゥールミン図式で議論し,ヴェン図で要件の境界を明確にすることである。

法教育の方法も,知識を伝達するという従来の方法ではなく,法的思考方法としてのアイラック(IRAC)を理解させ,具体的な事例をアイラック(IRAC)で考えさせ,トゥールミンの図式に即して議論させ,議論の結果をヴェン図でまとめあげる作業をさせるという方向へと変えていくべきであろう。そして,その成果が,現行法とは異なるものである場合には,現行法の改正案を提案するという作業を繰り返すことによって,学習者は,学習の到達目標を徐々に達成することができるようになると思われる。

「どうせ言ってもわからない」として,蚊帳の外に置き去りにされたり,説明なしに同意が求められたりしていた市民は,法的思考の仕組みを知ることによって,思考方法と行動様式が劇的に変化するであろう。なぜなら,市民は,公開されれば理解できる専門的な情報の公開を求めるようになり,それを通じて,あらゆる権力行使における透明化が促進されるようになるからである。

したがって,市民が,法的思考の仕組みを理解し,身近な問題について,アイラック(IRAC)で理解し,トゥールミン図式で議論することができるようになれば,世の中は透明化に向けて変わりうるという希望の光を見出すことができるようになると思われる。

Ⅵ 今後の課題

1.民法の統一原理

民法のように条文数が千条を超える法典については,その目的を一言で表現することが困難であり,民法学者の多くも,民法の目的が何かを1か条で宣言することを断念し,個々の条文についての解釈や分析を行うことが通例となっている。

しかし,最近の法律の条文は,それぞれの法律の第1条において,その法律の目的を記すのが慣例となっている。したがって,学問的にには,民法の目的についても,それを1か条で宣言することが望ましい。

CivilLawArt1-2Original_s確かに,民法には,その目的を明文で規定する条文は存在しないが,民法が適用されるすべての場面において,潜在的に適用されることが予定されている条文が存在しないわけではない。民法総則の中の民法通則(民法第1条,および,第2条)は,民法の目的を考えるうえで,重要なヒントを与えてくれる。

特に,民法第2条は,解釈の基準という見出しの下,「この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。」と規定している。この規定は,単に,民法の解釈基準にとどまらず,民法の目的について,すべての市民が,女であれ,男であれ,差別されることなく,個人として平等な私権を享有することを促進することを前提にして書かれているのではないだろうか。

CivilLawArt01_02sそうだとすると,民法第2条は,むしろ,以下のように改正することによって,民法の目的を明らかにしていると考えることができる。

第2 条(目的)(民法改正 仮私案)

①この法律は,私権の主体及び客体,並びに,私権の発生,変更及び消滅を規定することを通じて,個人の尊厳と両性の本質的平等を実現することを目的とする。
②この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。

現在の民法第2条を以上のように改正すると,それは,現在の第1条(基本原則)の規定,すなわち,内容からみると,私権の制限に関する規定と重複することが分かる。

そうだとすれば,民法第1条(基本原則)に先立って,民法第1条の第1項に,民法の目的を追加すればよいこともわかる。そして,それに続く第2条は,現行民法のままでよいことになる。

以上の考察を基づくならば,民法1編(総則)第1章(通則)は,以下のように改正すべきことになる。

民法第1編(総則)第1章 通則

CivilLawArt1-2Purpose_s

第1条(民法の目的並びに私権の行使及びその制限)

①この法律は,私権の主体及び客体,並びに,私権の発生,変更及び消滅を規定することを通じて,個人の尊厳と両性の本質的平等を実現することを目的とする。
①の2 私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
①の3 私権は自由に行使することができる。ただし,その行使に際しては,それによって得られる社会的利益と他人に損害を生じさせる等の社会的損失とを考慮して,社会的損失が最小となるように注意しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は、これを許さない。

第2 条(解釈の基準)

この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。

Law_Econoicsなお,上記の第1条第1項の3における「社会的損失を最小にする」という考え方は,法の経済分析において,よく利用されている考え方であり,それを反映したものである。

この点については,[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)352-358頁]が参考になる([詳細については,加賀山・定量分析の必要性(2011)26-28頁] 参照)。

2.民法の適用頻度の分析と頻度準の学習方法の検討

これまでの民法の学習においては,民法の条文の順序に従って,民法総則から学習を始めるのが,慣例となっている。しかし,民法総則は,民法の個々の条文の共通部分を取り出して作成されたものなので,極めて抽象度が高い。

確かに,先に述べたように,民法総則の中の通則(民法1条と2条のみ)について,民法の全体像を理解するために学習することは,先に述べたように,非常に重要である。しかし,民法総則すべてについて,最初に学習しようとすると,挫折することが多い。

この点,民法が裁判の中でどの程度の頻度で適用されているかを調査し,裁判での適用頻度の高いものをピックアップし,例えば,適用頻度ベスト10の条文と判例だけで,どの程度の事例を解決することができるか,次に適用頻度ベスト20の条文と判例だきで,どの程度の事例を解決することができるか,というように,よく利用される条文をある程度まとめてケース研究として学習させることができると,民法を楽しく学習するこができるように思われる。

3.閉ざされた体系における電子回路図化の試み

民法の体験の中には,閉ざされた体系として考察が可能な分野が存在する。例えば,不幸行為法は,適用頻度が最も高いにも関わらず,条文の数は,わずか,20条にも満たない。

しがって,不法行為法の全体像は,まとまった電子回路図によって以下のように表現することができる。

CivSysPart3Chap5Circuit01

しかも,不法行為法の一般法と,特別法の関係も,並列回路としてのバイバスをつけることで,以下のように,不法行為法のすべての条文を電気回路図によって表現することができる。

TortCircuit03_s

4.民法のGoogleマップをめざす

民法を学習する場合に,学習していることが,民法の全体の中で,どのような位置を占めているのかがわかるように,民法の体系図を具体的な問題を解くことを考慮して,フロー図として展開することが有用であると思われる。

例えば,契約の問題を考える際には,以下のような契約の流れ図が有用であろう。

 

FlowOf.Contract「契約」の流れ図の中の「契約の成立」については,そこをクリックすると,さらに,以下のような,「契約成立」の流れ図が表れるようにすると,学習効率が高まると思われる。

Flow_FormationOfContract_s

同様にして,「契約」の流れ図の中の「契約の有効・無効」については,そこをクリックすると,さらに,以下のような「契約の有効・無効」の流れ図が表れると便利であろう。

CauseOfInvalidContract_s

もっとも,契約の成立,契約の有効・無効,契約の履行・不履行等については,契約の類型ごとに要件と効果が異なる場合があるので,上記の契約の流れ図は,以下のような,契約の類型ごとに,微妙な調整を行ったうえで,各契約をクリックすると,先に示した契約の流れ図が表れるように調整する必要がある。

CivilLaw3Obligation02ContractsType

民法のGoogleマップを作成する際の言語的表現

民法のGoogleマップを作成する理由は,一般市民が困難な法的にな問題に総合した場合に,適切な条文と判例について,比ゆ的に言えば,世界地図から,国の地図,地方地図,住宅地図というように,迷子になることなしに,適切な条文にたどり着くための支援を行うことにある。

さらに一歩を進めるならば,学習支援の究極的なシステムは,学習者が,具体的な事例を入力すると,その根拠条文が法の体系図をたどって表れ,しかも,検討すべき,参考判例,参考文献が示され,最後に,問題解決のいくつかの提案(少なくとも,肯定的結論と,否定的結論の両者)が自動的に出力されるようなシステムを作ることであると思われる。

もちろん,最終的な結論は,それらの出力結果を参考にた上で,学習者の判断にゆだねられることになるが,このようなシステムを作成するには,民法のGoogleマップを自在に操るための言語的に表現が必要となると思われる。

詳細は,今後の研究にゆだねざるを得ないが,現在の段階では,民法体系,および,法的推論の言語的表現としては,以下のような,Prologによるのが簡便であると考えている。

PrologContract_s


なお,これまで述べたことをアニメーションで自学自習できるプレゼンテーションファイル「民法の体系と推論」を私のHPにアップロードしているので,ご参照いただけると幸いです。


Ⅶ 参考文献

[浅野・論証のレトリック(1996)]
浅野樽英『論証のレトリック-古代ギリシャの言論の技術-』講談社現代新書(1996)

[井上・言語論理教育入門(1989)]
井上尚美『言語論理教育入門-国語科における思考-』明治図書(1989)

[加賀山・定量分析の必要性(2011)]
加賀山茂「故意又は過失,因果関係における定量分析の必要性 -過失に関する「ハンドの定式」の誤解の克服,および,因果関係におけるベイズの定理の応用を中心に-」明治学院大学法科大学院ローレビュー15号(2011/12)17-58頁

[加賀山・法教育(2013)]
加賀山茂「法教育の必要性とその実現方法 -アイラック(IRAC)を考慮したトゥールミン図式の特殊化とその応用-」明治学院大学法科大学院ローレビュー16号(2012/03)3-36頁

[加賀山・民法の体系と推論(2016/6/7)]
http://cyberlawschool.jp/kagayama/CivilLaw/IntroductionCivilLaw/OhgakiIntroCivLaw/CivilLawSystem2016.pptx

[亀本・法的思考(2006)]
亀本洋『法的思考』有斐閣(2006)

[嶋崎「立証の構造と構造とトゥールミン図式」(1986)]
嶋崎隆「立証の構造について:『トゥールミン図式』を中心にして」一橋論叢第95巻3号(1986/03/01)467-475頁

[高橋・三段論法から対話的デフォルト論理へ(2009)]
高橋文彦「『法論理』再考-三段論法から対話的なデフォルト論理へ-」法学研究第82巻1号(2009/01/20)15-34頁

[平井・議論の構造(1989)]
平井宜雄「『議論の構造』と『法律論』の性質-法律学基礎論覚書2」(1989)平井宜雄『法律学基礎論の研究-平井宜雄著作集Ⅰ』有斐閣(2010)63-92頁所収

[ペレルマン・法律家の論理(1986)]
カイム・ペレルマン(江口三角訳)『法律家の論理-新しいレトリック-』木鐸社(1986)

書評:岸見=古賀『幸せになる勇気』ダイヤモンド社(2016/2/26)


岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)


本書の概要

本書は,アドラー心理学の基礎を学んだ人が,その理論を教育(カウンセリング等の広い意味での再教育)を実践する際にぶつかる疑問点について,対話形式で解説するものであり,ベストセラーである同一著者による『嫌われる勇気』(2013)の続編です。

3年間にわたってアドラー心理学を実践してみて,ついに挫折した教師と哲学者との対話を通じて,『嫌われる勇気』(2013)では具体的に論じられなかった以下の点について,詳しく解説されています。

1.問題行動の心理学的分析

アドラー心理学の特色である「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を現場で実践する場合に,強固に立ちはだかる障害は,それに反発する伝統的な考え方です。

本書は,教育の現場で「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を実践してみて,見事に挫折した教師の愚痴(「悪いあの人」,「かわいそうな私」)の話から始まります。(なお,本書では,すべての悩み相談の内容は,このパターン(「1. 悪いあの人,2. かわいそうな私」)に集約されるとしています。カウンセリングでは,そこ(過去の原因の究明)は聞き流し,「3. これからどうするか」(将来の目標)に話題を転じることが必要だとされています。)

それを受けて,本書では,対人関係で生じる相手方の問題行動が心理学的に分析されます。そして,問題行動は,対処を誤ると,以下の5段階へと発展することが明らかにされます。すなわち,1.賞賛要求(いい子),2. 注目喚起(よい子がだめなら悪い子),3. 権力争い(どれもだめなら,反抗・妨害),4. 復讐(憎しみによる嫌がらせ・ストーカー行為),5. 無能の証明(絶望)です。

これらの問題行動をする人の目的は,すべて,「共同体の中で特別の地位を確保すること」から始まっているので,3の段階にまで悪化する前に,私たちは,共同体の中で,特別の地位を占めるのではなく,普通の地位を占め,構成員と「横の関係」を築くことが重要であること,そのことを身をもって示すことが大切であることが語られています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,その心理分析は見事であり,しかも,その段階ごとに注意すべき点が明らかにされており,この部分は,アドラー心理学の真髄でもあるので,皆さんも,本書を読んで,詳しく検討されることをお勧めします。

2.自立を阻害する要因の分析と克服

生まれたばかりの人間が,1. 賞賛要求,2. 注目喚起を行うのは自然のことです。しかし,そこから生じる依存体質を克服し,自立をめざすには,他人からの賞賛や注目を期待するのではなく,自らが,「ありのままの自分を承認すること」が必要だというのがアドラー心理学の出発点です。

もちろん,自立をめざすと,とたんに,理想と現実のギャップから生じ,誰でも劣等感を持ちます。しかし,この劣等感に対しては,「Aだから,Bできない」という劣等コンプレックスに陥るのではなく,反対に,「自分のありのままを受け入れる勇気をもつこと」によって,自立の第一歩を踏み出すことができます。なぜなら,自立とは,「わたくし」の価値を,「自らが決定すること」であり,そのことが,「自分のことは,自分で決めることができる」という確信を持つことにつながっていくからです。

3.課題の分離と共同体のミッションの実現に向けた協力

「自分のことは自分で決めることができる」という確信(勇気)は,同時に,「他人のことは,他人が決めるのであって,他人の領域には,土足で踏み込まない」という,課題の分離,そして,「自己中心性からの脱却」という,「自立」のもう一つの定義につながっていきます。そして,いったん分離した課題を統合するのが,共同体のミッションに向けた相互協力であり,お互いに支援しあう横の関係の構築です。

以上のプロセス,すなわち,「自分のありのままを受け入れること」,同時に,「他人を自己と異なるものとして受け入れること」,したがって,「課題分離すること」,しかし,共同体のミッションを実現するために,他人と競争ではなく,横の関係の中で協力すること,それらの一連のプロセスを通じて,人間は,共同体への貢献感を得ることができるようになる。それが,人間が幸せになるということだというのが本書の概要です。

本書の特色と示唆

本書を読むと,心理学的分析が,哲学とつながっていることがよくわかります。哲学とは,人生で生じる様々な問題点について,「権威や神話から離れて,自分の頭で考えること」だからです。

しかし,自分で考えたことを科学の世界へと高めていくためには,疑うことのできない事実と仮説のみに基づいて,普遍的な原理を探求していかなければなりません。私は,これまで,人類に普遍的な原理は,以下の5つに集約できると考えてきました。

1. 人間は社会的動物である。なぜなら,生まれたままで放置されたら,すぐに死ぬのであって,親とか社会による支援が不可欠である。
2. 人間は,生まれながらに,支援を求めるが,次第に,自由を求めるようになる。しかし,自由は,他人の自由とも調和させなけば,社会の平和を保つことができない。
3. そこで,人間は,自分にとって,または,社会的に有用だと思うことは自由に行動してよいが,その際に,他の人の損害,または,社会的費用を最小限にするように注意を払う義務を負うというルールに服さなければならない。
4. もしも,そのような義務を怠って他人に損害を与えた場合には,民事的な,または,刑事的な責任を負わなければならない。
5. 自由と責任の関係がバランスをとって実現されている社会において,互いに協力しあうことが,すべての人の幸福につながる。

しかし,以上の5つの命題には,個人が自立するプロセスと,その過程で生じる問題についての考察が欠けていました。(もっとも,私は,定年を控えた最近になって,教育の目標は,単に学習者一人ひとりの「知的レベルの向上」だけではなく,一人ひとりの「自立」にあると思うようになってきましたが,自立についての考察は,まだまだ発展途上です)。

本書は,先に述べたように,自立を求めて生きる人間が陥りやすい問題行動の5段階を明らかにしており,しかも,それぞれの段階における問題行動に対処する方法を明らかにしているため,私の未熟な考え方を修正し,自立の部分を追加する契機となりました。現在のところ,上記の2.と3.との間に,「自己のありのままの承認,他人の課題と自分の課題との分離,それを前提としつつも,共同体のミッションを実現するための相互協力」という考え方を追加したいと考えています。そして,将来的には,「求めるよりも与えることを先行させること」を前提とする,『愛の家族法』の執筆へと,私の学説を発展させていきたいと考えています。

本書の課題

本書が採用している対話方式(ソクラテスの弁証法)ですが,本書の姉妹編『嫌われる勇気』(2013)のように,アドラー心理学の全体像を知るためには,対話による部分を少なくして,アリストテレスのレトリック流の体系的な記述を増やした方がよいのかもしれません。本書の筆者の一人が執筆した体系書である『アドラー心理学入門』(1999)の方が,アドラー心理学の全体像を理解するには,便利だからです。

しかし,アドラー心理学の基礎を学んだ上で,アドラー心理学を教育等の現場で実践しようとすると,いろいろな問題点が出てきます。そのような問題点について,どのように解決すべきかという点については,本書のようなソクラテス流の対話方式は,まさに効果的であると思います。

同一著者による『嫌われる勇気』(2013)と『幸せになる勇気』(2016)を続けて読んだ者としては,前著『嫌われる勇気』(2013)については,体系的な概説を中心に据えたうえで,部分的に対話を挿入するという方法を採用し,本書『幸せになる勇気』(2016)については,対話を中心としてよいが,最後のまとめとして,アドラー心理学の哲学的観点から総まとめを追加するとさらによいのではないかと感じています。

参考文献

・浅野樽英『論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術』講談社現代新書(1996/4/20)
・アリストテレス(戸塚 七郎訳)『弁論術』 岩波文庫)(1992/3/16)
・NHKスペシャル取材班『ヒューマン-なぜヒトは人間になれたのか-』角川書店(2012/3/25)
・ポール・エクマン(管靖彦訳)『顔は口ほどに嘘をつく(Emotions Revealed)』河出書房新社(2006/6/3)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
・鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
・戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011/6/8)
・中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014)
・プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波文庫(1994/10/17)
・プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫(1967/1/16)
・プラトン(加来 彰俊 訳)『ゴルギアス』 岩波文庫(1967/6/16)

書評:岸見=古賀『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)


書評:岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)


本書の概要

本書は,対人関係で悩む人々に対して,そもそも,すべての悩みは対人関係から生じているのであり,それを乗り切り,幸せをつかむためには,あえて,「嫌われる勇気」を持たなければならないという,アドラー心理学の基礎知識を対話形式で明らかにする本です。

そして,本書は,以下の5章において,私たちが,対人関係乗り切るための基礎理論を明らかにしています。

第1夜:トラウマを否定せよ

ここでは,自分との接し方として,決定論となりがちな「因果律」や「過去」にとらわれという「決定論」に組するのではなく,人生の目標に向かって生きるという「目的論」的な考え方の重要性が詳しく論じられています。

人間は,目的にあわせて怒りを捏造したり(例えば,カッとなって怒ってしまったという場合も,実は,人を支配したいという目的のために,怒りを道具として使っているにすぎないとされます),記憶を再生させたりする(例えば,子供の時に犬に咬まれた悲惨な体験から,世間は恐ろしいことだらけだと世間を拒絶していた人も,世間と折り合いをつけようと思ったとたんに,犬にかまれたあの時に,病院に連れて行ってくれた優しい人がいたことが思い出される)のです。

しがたって,逆に,現在を規定する(決定的影響を及ぼす)ような過去の事件としてのトラウマも存在しないと,アドラーは,断言します。

第2夜:すべての悩みは対人関係

ここでは,対人関係に入ることを恐れている人に対して,劣等感は誰にでもあること,しかし,それを劣等コンプレックスへと悪化させてはならないことが論じられています。

例えば,身長が平均よりも低いということは,劣等感として持つことはあっても,「背が低い」から「もてない」というように,「AであるからBできない」と考えるのは,劣等コンプレックスであり,逆に,「背が高ければもてるのに」と考えることを含めて,避けるべきだというのです。

なぜなら,背が低いということは,人を和ませるというような長所ともなりうるのであって,「もてる」とか「もてない」とかの決定要素だと考えるのは,見かけの因果律に陥っているからです。

そして,ここでは,対人関係に入る準備として,行動目標として,①自立,および,②社会との調和心理面での目標として,①ありのままの能力を受け入れること,および,②人々は敵ではなく,仲間であるとの自覚の大切さが説明されています。

第3夜:他者の課題を切り捨てる

ここでは,対人関係を乗り切るための「課題の分離,他者の課題をちり捨てる」という方法論が,以下のように,語られます。

・ われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から,自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
・ 『他者の課題には踏み込まない。』それだけです。
・ およそあらゆる対人関係のトラブルは,他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。
・ 対人関係のベースに「見返り」があると,自分はこんなに与えたのだから,あなたもこれだけ返してくれ,という気持ちが湧き上がってきます。もちろんこれは,課題の分離とはかけ離れた発想です。われわれは見返りを求めてもいけないし,そこに縛られてもいけません。

アドラー心理学の特色としての「叱ってはいけない,ほめてもいけない」という格言が語られるのもこの個所です。

・賞罰教育の先に生まれるのは,「ほめてくれる人がいなければ,適切な行動をしない」「罰する人がいなければ,不適切な行動もとる」という,誤ったライフスタイルです。
・ ほめてもらいたいという目的が先にあって,例えば,ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ,憤慨するか,二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。

第4夜:世界の中心はどこにあるのか

ここでは,対人関係を克服した後に,また,対人関係に敗れたときに生じる課題として,自己中心に閉じこもるのではなく,社会との調和の重要性が,以下のように語られています。

・ もちろん,社会と調和するといっても,八方美人である必要はありません。
・ それは,ポピュリズムに陥った政治家のようなもので,できないことまで「できる」と約束したり,取れない責任まで引き受けたりしてしまうことになります。無論,その嘘はほどなく発覚してしまうでしょう。そして信用を失い,自らの人生をより苦しいものとしてしまう。もちろん嘘をつき続けるストレスも,想像を絶するものがあります。

破滅が目に見えている八方美人にならないためにも,「嫌われる勇気」が必要です。

第5夜:「いま,ここ」と真剣に生きる

ここでは,人生を幸せに生きる方法を惜しげもなく披露しています。詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,以下のような,私たちにほぼ共通する問題を解決するには,的確なヒントを見つけることが出ると思います。

・ たとえば会議のとき,なかなか手を挙げられない。「こんな質問をしたら笑われるかもしれない」「的外れな意見だと馬鹿にされるかもしれない」と余計なことを考え,躊躇してしまう。
・ いや,それどころか人前で軽い冗談を飛ばすことにも,ためらいを覚えてしまう。いつも自意識が自分にブレーキをかけ,その一挙手一投足をがんじがらめに縛りつけている。無邪気に振る舞うことを,わたしの自意識が許してくれないのです。

本書の特色

本書の特色は,以下に示すように,私たちが,信じてきた人生の生き方の常識を,次々と破壊し(常識へのアンチテーゼ),かつ,それに代わる生き方を提示している点に特色があります。

第1に,自分との向き合い方については,トラウマは存在しない。因果律とか過去にとらわれずに,目的に合わせて与えられた能力を使い切ることが大切である。

第2に,他人との向き合い方については,他人の課題に土足で踏み込むことをせず,他人の課題を切り捨てることによって,自分の本来の課題に向き合うようにすべきである。

第3に,社会生活においては,従来の常識とは異なるが,「叱ってはならないし,ほめてはならない」。なぜなら,それらは,縦の関係を作り出し,依存を助長するだけだからである。

第4に,人生を幸せに生きるためには,自己のありのままを受容し,他人を信頼し,他人への貢献を通じて,人生の瞬間,瞬間を生きることが大切である。

本書の課題

本書は,以上に述べたように,アドラー心理学の基礎と特色が,哲学者と青年との対話を通じて,非常にわかりやすく解説されています。

確かに,人間関係の悩みを解決するために,自分の課題と他者の課題とを切り分け,「他者の課題を切り捨てる」ことによって,人間関係は非常にシンプルなものとなりうるでしょう。

しかし,教育のように,他者との密接な関係が必要される局面で,横の関係だけで問題が解決するのでしょうか? 信賞必罰を否定して,人間関係がうまく機能するのでしょうか? さらには,競争原理を否定して,切磋琢磨は実現するのでしょうか?

より親密な関係である夫婦や親子の関係は,「他者の課題を切り捨てる」ことでは,うまくいかないと思われますが,どうなのでしょうか?

このような課題については,本書では,具体例に即した詳しい解説はなされていません。これらの課題については,実は,本書の続編である,岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)で詳しく解説されることになるのです。

したがって,本書によって,アドラー心理学の基礎を知り,さらに,教育の実践等に応用してみたいと思うのであれば,その応用編である『幸せになる勇気』を読むことをお勧めします。関連する2冊の本を読みこなすならば,アドラー心理学の基礎と応用を身に着けることができるので,その考え方を,日常生活や,教育の現場等で使いこなせるようになると思います。

参考文献

・ 岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)
・ 岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・ 戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011)

 

判例評釈「JR東海への認知症罹患者の立入り死亡事件」(最判平28・3・1)


線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条に基づく損害賠償責任が否定された事例

(JR東海への認知症高齢者の線路立入り事件)

第1審:名古屋地裁平22(ワ)第819号,平25・8・9判決
控訴審:名古屋高裁平25(ネ)第752号,平26・4・24判決
上告審:最高裁三小平26(受)第1434号,平28・3・1判決


要約

本件は,アルツハイマー型認知症に罹患し,在宅看護を受けていた高齢者A(91歳)が,同居しているAの妻Y1(85歳)が目を離したわずかの間に徘徊をはじめ,近くの駅からX(JR東海)の列車に乗り,排尿のため次の駅で下車して,ホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてそこから線路に立ち入り,列車と衝突して死亡した事案である。

Xは,列車に遅れが生じるなどの損害が生じたとして,Y1とAの長男Y2,および,Aのその他の相続人2名に対して損害賠償金719万7,740円及び遅延損害金の連帯支払を求めた。

Aの責任能力を否定し,Y1,Y2に対してXを全面勝訴させた第1審判決に対しては,老々介護に対して厳しすぎるなどの社会的な反響が生じ,控訴審は,Y1,Y2に対するXの賠償額を半額に制限する判決を下した。そして,最高裁は,Y1(高齢の配偶者),Y2(別居の長男) ともに,民法714条の監督義務者には該当しないとして,両者の責任を全面的に否定するに至っている。

ただし,最高裁の法廷意見および補足意見によると,本件のような事案の場合には,責任を負う者が全くいなくなることを考慮したためか,裁判官2名による意見(結論は同じだが,理由が異なる)が付されており,その意見においては,別居の長男Y2は民法714条の監督義務者に該当するとした上で,Y2は,監督義務者としての注意義務を尽くしているとの判断がなされている。


Ⅰ 事実関係


Aは,平成12年ころから,認知症の症状をきたすようになったため,平成14年3月頃,Y1(同居しているAの妻),Y2(別居しているAの長男),B(Y2の妻),C(Y2の妹:介護福祉士の資格を有し平成11年から特養併設の介護施設に勤務している)は,Aの介護をどうするかを話し合い,妻のY1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市から愛知県A市にあるA宅の近隣に転居し,Y1によるAの介護を補助することを決めた。

その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度A市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。

平成19年の事故当時,Aは,アルツハイマー型の認知症が進行し,要介護4の認定を受け,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

また,Aは,人物の見当識障害があり,昼夜を問わず徘徊するようになり,行方不明となってコンビニエンス・ストアで保護されることが2度も生じたため,Yらは,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通るとY1の枕元でチャイムが鳴ることで,Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。しかし,事務所出入口については,かつて本件事務所でたばこ等を販売していた頃に来客を知らせるために設置した事務所センサー付きチャイムが存したものの,長らく営業を停止していたため,その電源は切られたままであった。

その間,Yら,B及びCは,Aの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,介護のプロであるCが以下のような意見を述べたため,Aを引き続きA宅で介護することに決めていた。

特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。

Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及びY1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,AとY1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。

Aは,I駅から列車に乗り,I駅の北隣の駅であるJ駅で降り,排尿のためホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,J駅構内において本件事故が発生した。

Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

第1審判決は,Y1に対しては,民法709条に基づく不法行為責任を認め,また,Y2に対しては,「社会通念上,民法714条1項の法定監督義務者や同条2項の代理監督者と同視し得るAの事実上の監督者であったと認めることができ,これら法定監督義務者や代理監督者に準ずべき者としてAを監督する義務を負い,その義務を怠らなかったこと又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったことが認められない限り,その責任を免れないと解するのが相当である。」と述べて, Yらは連帯してXに対して損害賠償責任を負うと判示した。

また,第1審判決は,Xの過失等について,「Xに対し,線路上を常に原告の職員が監視することや,人が線路に至ることができないような侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能を強いるもので相当でないというべきであるから,Xに注意義務違反を認めることはできない。よって,本件の損害賠償額を定めるに当たって,職権により原告の過失を斟酌することは相当でない。」と判示した。

このように,大企業であるXには甘く,一般市民であるYらには厳しい責任を課す第1審判決に対して,Yらが控訴した。

控訴審では,「配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻であるY1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。」とし,「Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった」等の事情に照らして,Y1のみが民法714条によって損害賠償責任(過失相殺の趣旨を考慮して意,請求額の半額)を負うと判断した。

このため,Y1 及びXの双方が上告した。


Ⅱ 主たる争点及び当事者の主張


本件の争点は,Aの同居の妻であるY1,および,別居の長男であるY2 が,それぞれ民法714条1項所定の法定の監督義務者又は,同条2項のこれに準ずべき者に当たるか否か,監督義務者に当たるとすれば,Yらは,監督義務を尽くしたか,他方で,Xには,過失相殺に該当する事由があるかどうかである。

本件においては,以下のように,各審級の裁判所の見解がすべて異なっており,最高裁判決においても意見が分かれている点に大きな特色がある。

第1審判決は,一方で,Aが富裕である(5,000万円を超える金融資産を有していた)ことを考慮して,同居の妻Y1(事故当時85歳)に対しては,事故の予見可能性,結果回避可能性を認めて民法709条により責任を認め,別居の長男Y2に対しては,民法714条2項の準用により責任を認め,両者ともに損害額全額を連帯して損害する責任があるとし,他方で,X(資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者)が駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出したことについては,Xの過失相殺を認めなかった。

これに対して,控訴審は,別居の長男Y2については,監督者責任を否定したが,同居の妻Y1 に対しては,民法714条1項の監督責任者を認めた上で,双方の事情(Yらが相当に充実した介護体制を構築していたのに対して,Xの駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情等)を考慮して,Y1 の賠償すべき額を請求額の半額とした。

最高裁は,Yらの上告受理申立てを認め,Xの請求をすべて棄却した。


Ⅲ 判決の要旨


Y1の監督義務者該当性

民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務についてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。

したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y2の監督義務者該当性

また,Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。

その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

Yらの監督義務者適合性(結論)

これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。

Y1は,長年Aと同居していた妻であり,Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

また,Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながらY1によるAの介護を補助していたものの,Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

以上によれば,Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうちY1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいうY1の論旨は理由がある。

そして,以上説示したところによれば,第1審原告のY1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取消し,第1審原告の請求を棄却することとする。

他方,Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理由がないから,第1審原告のY2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。


Ⅳ 評釈


1. 認知症に罹患した高齢者の監督義務者は誰か

精神的障害がある者について,民法714条の監督義務者が誰になるかの問題は,もしも,特別法に該当する規定がある場合には,それに従って監督義務者が決定されるし,民法上も,成年後見の審判がなされていれば,成年後見人が監督義務者となるとされている。

しかし,本件のように,成年後見の審判もなされておらず,特別養護老人ホームへの入所もせずに,在宅看護をしている場合に,民法714条の監督義務者が誰になるのかは,明らかではない。

最高裁は,前記「Ⅲ判決の要旨」の下線部分で示した一般法理を援用しつつ,法廷意見は,Yらについては,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情がないとして,Yらは,監督義務者ではないとした。

しかし,結論は同じものの,理論を異にする岡部裁判官の意見は,「Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。」として,多数意見のいう「特別の事情」の存在をみとめて,Y2は,民法714条1項の法定の監督義務者に準ずべき者といえると判示している。

同居の配偶者だからとか,相続人だからだとか,成年後見制度を利用していたら成年後見人に就任していたとかなどの,画一的な判断とは異なり,岡部裁判官の意見における民法714条の監督義務者の判断基準は,画一的ではない上に,その基準が「第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうか」という明確なものであり,今後の認知症罹患者の徘徊による事故に関する監督義務者の判断について,最も適切な判断基準をしめしたものとして,高く評価できる。

2. 認知症に罹患した高齢者に監督義務者が存在する場合の責任の所在

しかし,岡部意見に従って,Y2が民法714条1項の監督義務者に準じる者と考えた場合には,岡部意見,または,大谷意見(Y2が法定の監督義務者であるとする点で岡部意見と異なるが,Y2が監督義務を尽くしたという点では同じである)にもかからず,Y2の免責の立証は十分とはいえないように思われる。

介護のプロフェッショナルであるCの助言に従ってとはいえ,特別養護老人ホームへの入所を断念し,在宅看護による看護体制を選択して,「第三者に対する加害防止もまた引き受けた」のであれば,それに相応する注意義務を尽くす必要がある。このように考えると,本件事故以前に,Aが事務所の出入り口から徘徊して保護されたことがある以上は,Y2が,事務所の出入り口を施錠せず,そこに設置されたセンサー付チャイムの電源を切ったままに放置したのは,注意義務に違反しているといわざるを得ないであろう。

そうだとすると,Y2の監督者責任を認めつつ,鉄道会社として,第三者に対する加害防止を引き受けているXが,駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出していたことは,控訴審が明らかにしていたように,「駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される」のであり,過失相殺,または,過失相殺の趣旨の類推に値するものであって,賠償額を大幅に減額することで,問題を解決するのが適切であったように思われる。

3. 徘徊事故を未然に防止するための責任のあり方

本件事故は,認知症に罹患したAが徘徊を始めるようになって以降,同居の高齢の配偶者Y1では,徘徊をとめることができず,Y2の妻Bが徘徊に付き添うことにも限界が生じていたのであるから,Y2は,Aが裕福であること考慮して,在宅看護だけに頼らず,特別養護老人ホームへの入所手続きを始めるべきであった。介護のプロフェッショナルとはいえ,相続人の一人であって利益相反関係にあるCの助言に従って特別養護老人ホームへの入所手続きを断念したことが,今回の事故につながる遠因となった。

しかも,最高裁の法廷意見によれば,Y1も,Y2も民法714条の監督義務者に該当しないというのであり,しかも,両者とも,「第三者に対する加害行為の防止に向けて…危険を引き受けている」わけではないというのであるから,最高裁の法廷意見によれば,Yらの介護体制は,それぞれが,民法697条以下の事務管理者としてAの介護に当たったと解釈せざるを得ない。

Yらが,事務管理者であるとすれば,Yらは,本人の意思を知ることができるときは,本人の意思に従って,外出に付き添い(民法697条2項),本人の意思を知ることも,推知することもできないときは,「最も本人の利益に適する方法」によってその事務を管理しなければならない(民法697条1項)。

すなわち,本件のような,認知症に罹患した高齢者による徘徊行為に基づく事故は,在宅看護を引き受けるのであれば,相続人のそれぞれが,相続財産を確保するという自 己の利益を図るのではなく,高齢者の意思を尊重し,意思を知ることも推知できなくなったときは,「最も本人の利益に適合する方法」として,徘徊に付き 添うか,すべての出入り口の施錠,または,センサーつきのチャイムを作動させるという方法を選択するか,それが限界に達している場合に は,特別養護老人ホーム等への入所手続きを開始し,十分な介護と第三者への加害行為を防止を両立させることが必要であったと思われる。

他方で,Xは,控訴審判決が明確に述べているように,資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者であり,「Xが営む鉄道事業にあっては,専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し,そのことで収益を上げているものであるところ,社会の構成員には,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者なども含まれており,このような社会的弱者も安全に社会で生活し,安全に鉄道を利用できるように,利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で,列車の発着する駅ホーム,列車が通過する踏切等の施設・設備について,人的な面も含めて,一定の安全を確保できるものとすることが要請されている」のであるから,Xも,「駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば,また,J駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあった」以上,本件事故の責任の多くの部分を負担すべきである。

鉄道事業者は,立入り事故について,本件のように遺族等に損害賠償請求をするのではなく,自らの社会的責任として,線路への人の立入りの防止策を進めるとともに,今後は,頻繁に生じている踏切事故の防止を緊急の課題とすべきであり,道路と交差する箇所は,順次,高架,または,地下にすることによって,踏切そのものを撤廃することを目標として掲げることが,鉄道事業者の社会的責任の中でも,最も重要な課題であるように思われる。

4. 結論

本件におけるAの看護体制とは,Aの相続人を中心にして,Y2の妻Bが加わって形成された一種の組合と考えるべきではないだろうか。そのように考えると,その実質的な代表者であるY2が,単に長男だからと言う理由ではなく,責任無能力者であるAの監督義務者,または,監督義務者に準じる者と考えることが可能となる。

このように考えると,最高裁判決の岡部・大谷「意見」が述べているように,Y2を民法714条の監督者,または,これに準じるものと考えるべきであり,しかも,これらの「意見」とは異なり,Y2に過失がある以上,Xによる責任の追及が可能であると考えるべきである。ただし,X自身にも重大な過失があるため,控訴審判決のように,Xの請求を大幅に減額するというのが,妥当な結論であると思われる。

書評:陳昭瑛(池田辰彰=池田晶子訳)『台湾と伝統文化』風響社(2015/12/10)


書評:陳昭瑛(池田辰彰=池田晶子訳)『台湾と伝統文化-郷土愛と抵抗の思想史』風響社(2015/12/10)


本書の概要

本書の著者は,台湾で生まれ育った研究者であり、現在,台湾で最も活躍している女性研究者のひとりといわれている,台湾大学の陳昭瑛教授です。

本書は,台湾の伝統文化が,清朝による統治,および,日本統治下の皇民化運動に抵抗しながら,世界の思潮の中で洗練され,さらに新文化運動によって転換の時代に向かったことを,それぞれの時代を象徴する人物と出来事を中心に詳しく解説する論考群です。

本書の特色

ある国を理解する上で,その国の歴史を知ることは決定的といえるほどに重要です。その国の歴史の中で,その国を象徴する何人かの注目すべき人物の行動と成果,それを裏付ける思想を知ることができるからです。

しかも,その歴史的記述が,それらの人物の思想の中身について,現在の私たちにとって重要な以下の視点,すなわち,個人の尊厳両性の本質的平等世界平和にとって,どのような貢献をしているのかが記述されていると,素直にうれしくなります。

本書は,台湾の歴史を鄭成功がオランダ勢力を駆逐した1661年から記述を開始し,清朝統治時代(1684-1895),日本統治時代(1895-1945),中華民国統治時代(1945-)を通じて,台湾の伝統文化の視点から,台湾の伝統文化の歴史が詳しく述べられていますが,それだけにとどまりません。

現代の台湾の総統民選時代(1996-)の思想的な基盤を作り上げた,以下のような歴史上の重要人物について,詳しい記述がなされているからです。

・ 大陸国の祖国(ハートランド)が,幾たびも異民族の支配に屈しても,海洋国(リムランド)としての台湾は,民族の自律と伝統文化を保持するとの気概から,日本の占領下で,『台湾通史』を執筆した連横(1878-1936)の生き様が詳しく語られています。
・ 儒学を基本としながらも,日本留学中に接したマルクス主義を吸収しつつ,フェミニズムの考え方を推し進めた王敏川(1889-1942)の人となりを伝えています。私は,この人物の記述に感銘を受け,早速,論語を読み直すことにしました。
・ 台湾の新文学捜索に尽力し,「台湾新文学の父」とも「台湾の魯迅」とも呼ばれる頼和(1894-1943)については,本書の第8章(一本の金細工)で,1925年に書かれた作品「一本の竿秤(さおばかり)」が詳しく紹介され,日本統治時代における主人公(秦得参)をめぐる腐敗した日本の警察と台湾女性の情愛の深さとがみごとに対比されています。

本書を通じて,私たちは,現在の台湾が,国会議員の数で男女比をほぼ3対1とし,女性(蔡英文氏)を総統(大統領)に選出しており,男女平等・女性の社会進出の点で,わが国がその後塵を拝しているという現状に関する歴史的基盤を知ることができます。

台湾を訪れ,台湾の文化や政治に興味をもたれた方には,本書を読まれることをお薦めします。本書を読むことによって,台湾の文化の真髄と政治の基盤となる台湾人の思想を読み解くヒントが与えられるからです。

本書の課題

読者としての私にとって,現代の台湾を知る上で,最も興味深い記述,すなわち,ワクワクするほどの記述が始まるのは,第7章以下,特に(六)代表的な人物-王敏川(286頁)からでした。

もちろん,それまでの記述も貴重であり,翻訳もこなれていて読みやすいのですが,文学の素人の私にとって,漢詩の部分に限っては読みにくく,途中で何度も挫折しそうになりました。その原因のひとつは,漢詩の読み下し文にルビが非常に少なく,私にとって読めない漢字が多いことに原因があったように思われます。

そこで,本書の訳者に対して,以下の二点を提案したいと思います。

第1点は,本書の改定に当たっては,できる限りルビを増やすこと,特に,漢詩の読み下し文には,満遍なくルビを振り,読者が音読を楽しめるようにすることを提案します。

第2点は,巻末の「台湾史年表」は,簡潔に整理されており,本書を読む際に常に参照して,本書の理解を深めることができました。ただし,本書に登場する重要人物についての記述がない点が惜しまれます。そこで,年表に登場人物に関する記述を追加することを提案します。

書評:森信三『若き友への人生論』致知出版(2015/12/25)


森信三『若き友への人生論』致知出版(2015/12/25)


本書の概要

生涯,人間の生き方を問い続け1992年に97歳でなくなった著者が若い世代(65歳以上のシニア世代を含む。89歳で『全集』の執筆を完結した著者にとって,シニア世代は若い世代である)に対して,「二度とない人生」を幸福に過ごすためには何をなすべきかを語りかけた啓蒙書です。

97歳まで生きた哲人だけに,人生のそれぞれの段階について,以下のように,どのように生きるべきかを詳しく述べています。

  • 第1期:立志以前(0歳~14歳)
    胎児の段階,生まれてから保育所(幼稚園),小学校,中学校を経て,15歳になるまで)の教育のあり方が述べられています。
  • 第2期:基礎作りの時期(15歳~29歳)
    15歳から30歳になるまでに「二度とない人生を覚悟して生きる自覚」を育てるための方法が示されています。
  • 第3期:活躍期(30歳~59歳)
    30歳~34歳までの準備期,35歳~39歳までの信用確立期,40歳代の勇断を身につける時期,天命を自覚する50歳代の生き方について述べられています。
  • 第4期:人生の結実期(60歳~69歳)
    定年を迎える前にすべきことが示されています。
  • 第5期:人生の晩年(70歳~)
    すべての人が後世のために自伝を書くべきことが論じられています。

本書の特色

自分の人生の意味を知ることが「二度とない」人生を幸福に生きるために必要ですが,それが,実は,難しい理由が以下のように的確に述べられています(43頁)。

それでは,自分の天命を知るためには,どうすればよいのでしょうか。そのヒントは,好き」,「得手」,「得意」という事実によって啓示されていると筆者は述べています(47頁)。

われわれが,他人から命ぜられて使いに出かける場合には,われわれはその使命について直接知らされるわけであるが,われわれがこの地上に「生」を 受けた場合,われわれはこの地上において,自己の為すべき任務については,何らコトバを以って知らされて来たわけではないのである。

その啓示を頼りに,どのようにしたら「人のために尽くす」ことができるかを考えたときに,幸福な人生を送るための最初の条件が満たされると筆者は述べています(50頁)。

筆者によれば,幸福とは,以下のように,「その人の生活自体が,一個の統一を保っている状態をいう」とされます(200頁)。

わたくしは,幸福とは、さしあたっては、その人の生活自体が、一ケの統一を保っている状態をいうと考えているのである。随ってもしその人の生活の統一が乱れたり、さらには破れた場合は、それは幸福の反対の不幸と考えるわけである。

そして,本書の白眉は,「隠岐の聖者」永海佐一郎博士の言葉である「幸福は最初は不幸の形をして現れるのがつねである」という言葉と,筆者の経験から生じた「神はよりよいものを与えるために取り上げる」という言葉を関連させながら,「不幸をしのぶことで我見が払われ」幸福を手に入れるというプロセスの見事な記述でしょう(215~226頁)。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,一般的な幸福ではなく,「私の幸福とは何か」,「私は,どうすれば,今の不幸から幸福にたどり着くことができるのか」と考えている人にとって,福音となる記述であると思います。

本書の課題

本書の前提は,「人生に二度はない」ということです。だからこそ,一日一日の生活を充実させることが大切であり,そのことが積もり積もって,幸福な人生となるという考え方を採用しています。

しかし,人生で大切なことは,人生のいくつかの場面で,決定的な決断を迫られたときにどのような選択をするかであり,安易な判断をしようとする際に,「もう一度生まれてきたとしても,その判断をするだどうか」というニーチェ風の観点から,その選択をすべきかどうか考え直すということも大切だと思います(本書に対するささやかな異論)。

本書の結論に異論はないのですが,「人生に二度なし」を生き方の基準とするのか,「もう一度生まれ変わったとしても,同じことをするだおろうか」という基準とで,どちらが,有効な基準なのかを,今一度考えてみたいと思っています。

面白い本の紹介(鈴木敏文=勝見明『働く力を君に』講談社(2016/1/20))


常識を覆すやり方で次々と成功を導いてきた筆者(鈴木敏文:セブンイレブンの生みの親)が読者に伝える「仕事の仕方」


本書で著者が伝えたい「仕事の方法」


筆者がこの本で社会人になろうとする人々に伝えたいと考えている「仕事の仕方」とは,本書の最後の部分にまとめられており,その要旨は,以下の通りです。

「自分の頭で考え,仮説を立て,答えを導いていく。その際,変わらない視点をもち,ものごとの本質を見抜き,できるだけ難しく考えずに単純明快に発想し,迷わず決断し,実行すること」である。

これだけだと,常識的な「仕事の仕方」だと思われるかもしれませんが,この本の著者は,小型店が大型店に太刀打ちできるはずがないという世間の常識を覆し,セブンイレブン第1号店を出店し,その後,セブンイレブンを日本一のコンビに育て上げ,セブン銀行まで創設した猛者なのですから,「常識どおりの仕事の仕方」と簡単に片付けるわけにはいきません。


著者の「仕事の方法」のついての疑問点とその解答


この結論部分を詳しく検討してみると,その実行は,そう簡単でないことがわかります。

第1に,「自分の頭で考える」ということですが,これが結構難しいのです。他人の「ものまね」ではだめだとしても,素人が自分の頭で考えて,それで玄人に太刀打ちができるのでしょうか。

第2に,「仮説を立て,〔検証を通じて〕答えを導いていく」ということですが,素人が,自分の頭で考えたくらいで,簡単に仮説を立てることができるのでしょうか。また,その仮説を検証するのに,時間とお金を誰かが出してくれるものでしょうか。

第3に,筆者は,「変わらない視点を持つ」ことが大切とされていますが,筆者は,他方では,変化の激しい次代においては,これまでの知識や過去の成功にとらわれず,常に変化する「お客様の視点にたって考える」ことを重視しています。変わらない視点を持つことと,変化する社会の動きにとは別の「変わらない視点」を持って「ものごとの本質を見抜くことが可能なのでしょうか。

第4に,素人が,「できるだけ難しく考えずに単純明快に発想し,迷わず決断し,実行する」などいうことをやったら,それこそ,社会に大混乱が発生するのではないでしょうか。

第5に,そもそも,流行を追って考えがめまぐるしく変化する「顧客の視点」に立つことは,「変わらない視点を持つ」ことと矛盾するのではないでしょうか。また,顧客の視点に立つということと,自分の頭で考えるということも矛盾しているのではないでしょうか。第1から第4までの考えの中に一貫した理念は存在するのでしょうか。

本書は,このような疑問に対して,筆者の常識破りの考え方が,実は,一貫した考え方に基づいていることを明らかにしており,優れた啓蒙書となっています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,最も重要な観点というのは,惰性に傾きやすい自分と,「お客様の立場に立った」自分とを対立させ,その間でコミュニケーションをとることによって,自分自身を成長させていくという方法であり,その方法を突破口として,以上の5つの点を矛盾なく解決することができることが詳しく語られています。


みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗するとは?


ところで,本書では,「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」という,これまでの常識を覆す,それでいて,なかなか意味深い文章が何度か繰り返されています。私は,本書を読みながら,その理由を考えてみました。私が考えた回答は,以下の通りでした。

「みんなが反対することは,これまでとは異なる時代を先取りしていることが多いので,たいてい成功する。これに対して,みんなが賛成することは,過去の蓄積に沿っているだけのことなので,時代が変わるときには,失敗する。」

種明かしになってしまいますが,本書の最後の方に,この問題に関する筆者自身の答えが,以下のように披露されています。

みんなが賛成することは,「それを実現する方法がすでに存在しているか,もしくは,容易につくり出せるので,誰もが参入しようとする。」〔その結果,無意味な過当競争(いわゆるレッド・オーシャン)に陥って失敗してしまう〕。
「一方,何かを始めようとするとき,多くの人に反対されるのは,現状ではそれを実現するのが難しいか,実現する方法そのものが容易に考えられないからです。」〔その結果,いわゆるブルー・オーシャンが開かれることになる。〕

「実現するのが難しいか,実現する方法そのものが容易に考えられない」という状況を乗り越えていく方法について,筆者は,以下のように述べています。

「一歩先の未来に目を向け,新しいものを生み出そうとするとき,目的を実現する方法がないなら,自分たちでつくり上げていけばいい。必要な条件が整っていなければ,その条件を変えて,不可能を可能にすればいい。壁にぶつかったときはものごとを難しく考えず,もっとも基本の発想に立ち戻るべきなのです。」

皆さんも,著書を読みながら,「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」という命題の意味を,自分の頭で,考えてみましょう。


常識を覆す著者の名言の数々


本書には,先に紹介した「みんなに反対されることは,たいてい成功し,みんなが賛成することは,たいがい失敗する」というような常識とか,社会通念とかを覆す名言が,このほかにも,次々と飛び出します。私が注目したものだけでも,以下のように,従来の常識が次々と覆されていきます。

1.大規模店が隆盛をみせるなか、小型店が大型店と競争して成り立つはずがない。
--でも、本当にそうなのか。商店街の小型店が競争力を失ったのは、本当はスーパーの進出という要因以前に、取り扱う商品が市場のニーズの変化に取り残されていたことや、生産性の低さが根本的な原因で、その問題を解決すれば、小型店と大型店は共存できるはずと、わたし(筆者)は考えました。

2.コンビニでの弁当やおにぎりの発売については、「そういうのは家でつくるのが常識だから売れるわけがない」とみんなにいわれました。
──本当にそうか。 弁当やおにぎりは、日本人の誰もが食べるからこそ、逆に大きな需要が見込まれるはずだと、わたし(筆者)は考えました。

3.セブン銀行についても、「収益源がATM手数料だけで成り立つはずがない」と否定論の嵐です。
──なぜそうなのか。わたし(筆者)は既存の銀行の延長上ではなく、二四時間営業のコンビニの店舗にATMが設置されれば、利便性は飛躍的に高まり、ニーズに応えることができるので経営は成り立つのではないかと単純明快にとらえました。

こんな調子で,世間の常識とか,社会通念とか,これまで誰も疑っていなかった考え方が次々と破壊されていきます。私は,本書を読みながら,指折り数えてみたのですが,合計で,17の常識,社会通念が,筆者によって覆されていると思っています。

みんさんも,本書を読んでみて,自分の常識がいくつ破壊されるか数えてみると興味深いと思います。


 

面白い本の紹介(中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014))


一人でネットビジネスを立ち上げる方法を伝授する本です。

自らの失敗とそれを克服した体験(資本20万円(1人)→1年間売り上げなし→年商5億(社員30名)→失敗→借金7,000万円(1人)→年商3億円(2人))に基づいて論じており,自立を目指す人にとって非常に参考になります。

特に,第2章「ノーリスクではじめるネットビジネス」(43-106頁)は,ネットビジネスを始める際の注意点から,具体的なソフトウエアの導入方法,運用のノウハウうに至るまで,非常に丁寧に解説されており,読者は,この記述に従って,自分自身でもネットビジネスを開始できると思われるほどに充実しています。

私も,この本の記述を参考にして,WordPressを使った「質疑応答のできるWebサイト」を立ち上げることを思い立ち,実際に立ち上げることができましたた。

本書は,ネットビジネスを始める人にとって,必読の書といってよいと思われます。


 

大学の教育目標に欠けていたもの-自立できる学生の養成


これまでの大学教育の目標-企業に依存する人材の育成


私たち大学教員は,これまで,大学教育の目標を大学生の知的能力を向上させるという点においてきました。そして,学生たちが,自ら望む会社,特に有名会社に就職することをもって,大学教育の完結を見たように錯覚してきたように思います。

終身雇用が実現している時代には,そのような錯覚も許されてきたかもしれません。しかし,年功序列に基づく終身雇用が崩れつつある現代においては,有名会社に就職することは,必ずしも生活の安定を意味しません。

た とえ,無事に定年退職をしたとしても,それ以後に続く長い定年後の生活をまっとうするための年金が確実に支払われる保証はありません。つまり,たとえ,望む会社に就職できたとしても,定年までにリストラされる確率は決して低くなく,しかも,定年後の生活保障は必ずしも万全とはいえないのが現状なのです。


これからの大学教育の目標-企業から離れても自立できる人材の養成


そうだとすると,大学教育においても,会社に依存するサラリーマンを育成するのではなく,会社を離れても,一人の力だけでも生きていける能力を育成することを重視する必要があります。

つまり,これからの大学教育は,会社に依存するサラリーマンを育成することを前提にした教育目標を根本から見直し,会社を離れても自立できる人間,さらには,一人で,または,数人で積極的に起業して,社会貢献をする人材を育てることを教育の目標とすべきだと思います。

もちろん,今後も,しばらくの間は,サラリーマンになる学生が多数派となるでしょうが,その場合でも,いざというときには,その人たちが,いつでも自立することができる能力を養うことを大学教育の中心に据えることは,決して,多数派のための教育と矛盾しないと思われます。

企 業のあり方としても,自立能力のあるサラリーマンを多く抱えることは,企業の発展にとって有益であり,自立の能力を有する社員を独立させ,その社員とのネットワークを保持することは,会社のリーダーの養成にとって有益であるばかりでなく,会社の透明性を高めることになり,コンプライアンスの推進の観点か らも有益であると思われます。


これからの大学教育の必須科目


そうなると,大学教育の必須科目には,第1に,学生の一人ひとりが,自らの力でWebサイトを立ち上げて,得意分野でネット取引をできる技能を身につけることができるような,実践的な授業が設定されるべきでしょう。

第2に,個人が生きていくために,これまでは,企業で働くための技術が必要だったのですが,これからは,それにとどまらず,自分の能力を使って「何が売れるのか」,「どのようなサービスで収入を得ることができる」のかを常に考え,どのようにしたら,多くの顧客から支持される能力を育成することが必要となります。したがって,それに対応する必須科目を設置する必要があるでしょう。

大学教育の目標が大きく変化するのですから,教育科目も大きく変化するのは,当然のことだと思います。したがって,私たちの法学部においても,また,広く,法教育の場においても,一人で自立して,健康で文化的な生活を送ることができる能力を育てるためのカリキュラムを用意する必要があると思います。


参考文献


  • クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業 片手間で始めてじゅうぶんな収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
  • 中村あきら『東京以外で、1人で年商1億円のネットビジネスをつくる方法』朝日新聞出版 (2014/11/20)
  • 石川栄和=大串肇=星野邦敏『いちばんやさしい WordPress の教本 人気講師が教える本格Webサイトの作り方 』インプレスジャパン (2013/10/25)
  • 鈴木 敏文=勝見 明『働く力を君に』講談社(2016/1/20)