妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則


妊娠中の女性の権利章典


  • 目次
    • Ⅰ 問題提起
      • 1. 問題の所在
      • 2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
    • Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官
      • 1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則
      • 2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合
    • Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)
      • 1. 母体保護法第14条とその問題点
      • 2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案
    • Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正
      • 1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性
      • 2. 嫡出推定から父子関係推定へ
      • 3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性
    • Ⅴ 結論および今後の展望
      • 1. 結論
        • A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性
        • B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
      • 2. 今後の課題
    • 参考文献

Ⅰ 問題提起


1. 問題の所在

2016年7月23日,京都寒梅舘で開催された民法学研究会において,高嶌英弘教授の報告「日本における生殖補助医療の現状と法的対応」を拝聴して,以下の3点に気づかされた。

  1. 生殖医療においては,子どもができない夫婦の利害をはじめ,生まれ来る子の福祉,医療を実施する医師の利害,社会の利害が複雑に絡み合っており,それらの利害関係を調整するには,利害関係人が納得できる優先順位を含めた法原理の創設が求められている(事実認識)
  2. 親族法における男女不平等の規定(嫡出の否認・承認)及び男女不平等の解釈(母の認知を認めないとする解釈)を放置しながら,生殖医療についての解釈論を積み重ねても,総合的な問題解決を実現することはおぼつかない(従来から気になっている点の再確認)。
  3. 生殖補助医療における主体は,医師でも,夫でも,出生すべき子でもなく,「子を産むことを決意した女性」であり,受精から子の出生の瞬間までの間(期間限定)においては,社会的法益よりも,夫の法益よりも,胎児の法益よりも,「懐胎(妊娠)した女の法益(自己決定の権利)」が優先すると解すべきである(「妊婦の権利章典」の発想)。

もちろん,妊娠期間の前と妊娠期間終了後,すなわち,子の懐胎に至るまで,および,それが完結して子が出生(誕生)してからは,すべての人の法の下の平等,個人の尊厳と,両性の本質的平等の観点が重視されなければならない。特に,子の福祉は,重要な問題である。

2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

それにもかかわらず,妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の自己決定権が何よりも優先されなければならないと考えるべきではないだろうか。

このことは,少子化の現状において,女性が子を産むことの決意する際の最大の障害となっていると思われる「不安」,すなわち,妊娠・出産に要する費用を用意できるか,妊娠中・出産後の子育てを含めて配偶者による十分な協力が得られるか,出産後の経済的な支援が十分に得られるかどうかなどの不安ばかりでなく,望まない妊娠や母体が危険となった場合に人工妊娠中絶が可能かという不安を解消するためにも重要な意味を有すると思われる。

妊娠期間中の妊婦の自己決定(幸福追求)の権利を尊重したうえで,社会が,必要最小限の費用を支援し,育児費用の一部を援助するならば,たとえ,配偶者からの全面的な協力が得られない場合でも,女性が子を産み育てるインセンティブを高めることができるように思われる。

確かに,犯罪行為(例えば,堕胎罪等)に対する社会のコントロールは及ぶべきであるが,夫の利益はもちろんのこと,胎児の利益も,妊婦の利益には,常に劣後するように法律関係を構成し解釈すべきだと思われる。すなわち,堕胎罪などの犯罪を除いては,妊婦自身がその妊娠の継続,および,中止について自己決定権を有すると解すべきであろう。

 時の
経過
 精子提供  卵子提供 受精 妊娠期間  出生
 状況  ・夫(AIH)
・AID
 ・妻
・代理母
 ・体内
・体外
胎芽→胎児  子の福祉
 原理  個人の尊厳,両性の本質的平等  女の利益(自己決定権)がすべてに優先する。男,胎児,社会の利益はそれに劣後する。
女の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先する(民法330条1項2文参照)。
 個人の尊厳,両性の本質的平等

代理母の議論において,「子宮を産む道具(機械)として利用することは認められない」という見解が主張されている。その見解はまさに正当であり,代理母が出生した子の引渡を拒絶した場合には,代理母の利益が依頼主の利益よりも優先されるべきである。そうであるならば,通常の婚姻の場合であっても,「妻の子宮を産む道具とみなすことは許されない」と考えるべきであろう。妊娠期間中においては,妊婦の権利(母体の保護,自己決定権)こそが,胎児や夫の権利や社会の利益よりも優先されるべきではあるまいか。

以上の点を考慮しつつ,法曹における男性偏重主義からの脱却,および,妊娠期間中の妊婦の権利章典,並びに,民法における男女不平等の規定とその改正の必要性について論じることにする。


Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官


1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則

夫である男は,精子を提供する役割を担うのが通常であるが,社会は男には甘い。自分で精子を提供できない場合でも,AIDと嫡出推定,嫡出承認の組み合わせによって,妻が産んだ子の父となることができる。自分で精子を提供できる場合でも,子の出生が夫のではなく,他の男の精子を使ったとわかれば,嫡出の否認もできる。要するに,男は,やりたい放題ができる。

性同一障害が認められて,生物的な女が法律上の男となった場合には,たとえ,精子を提供できる可能性がゼロの場合であっても,嫡出推定によって,配偶者である妻が産んだ子の父となることができる([羽生・性同一障害と民法772条(2015)]参照)。このことは,「女ならだめだが,男なら何でもあり」と言うに等しいように思われる。

最二判平25・12・10民集67巻9号1847頁
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻が婚姻中に懐胎した子は,民法772条の規定により夫の子と推定されるのであり,夫が妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に実質的に同条の推定を受けないということはできない。(補足意見及び反対意見がある。)

これに対して,妻である女は,卵子を提供し,かつ,約40週にわたる受精卵の養育と出産を義務づけられる。女は,たとえ,自分の卵子を提供したとしても,受精卵の養育と分娩ができなければ,母とは認められない(「腹を痛めない女は,母になれない」と言うに等しいように思われる)。

最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件)
女性が自己以外の女性の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し出産した場合においても,出生した子の母は,その子を懐胎し出産した女性であり,出生した子とその子を懐胎,出産していない女性との間には,その女性が卵子を提供していたとしても,母子関係の成立は認められない。(2につき補足意見がある。)

つまり,男は,自分の精子を提供しなくても,嫡出推定・嫡出承認によって父となることができるばかりでなく,自分の精子を提供していれば,認知によって,父となることができる。これに対して,妻は,卵子を提供したとしても,懐胎と分娩を経なければ,認知によって母となることはができない。民法の条文自体は,父と母とを平等に扱い,父も母も認知ができると規定している(民法779条)。それにもかかわらず,最高裁が母の認知を認めないのであるから,わが国の法曹が,いかに男女差別に鈍感であるかがわかる。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

なお,本稿では,代理母が妊娠した後の女性の自己決定の権利を取り扱うため,代理母を認めるべきかどうかについては直接には論じない。妊娠前の利害対立を調整する際には,広い意味での合意形成の考え方に基づくことが必要であり,したがって,女性の自己決定権だけが優先されるわけではなく,配偶子の提供者,代理母の依頼者,代理母,社会の利益を同等に考慮した上で,有効,無効,条件付き承認等の判断がなされなければならない(これらの問題を総合的に考察したものとして,[大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]参照。また,後に述べるように,凍結精子による懐胎の問題([西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁])についても同様の考慮が必要である)。

ところで,上記の代理母による実子の出生届不受理事件(向井亜紀さん事件)の場合には,代理母によって出生した子は,原告夫婦の嫡出子ではないと認定されている。そうであるならば,この事件の場合,出生した子は,民法789条2項の準正によって,原告夫婦の実子としての嫡出子となると考えるのが,民法2条(解釈基準)に従った解釈方法であろう。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

それにもかかわらず,最高裁は,父母が精子と卵子を提供した場合の代理母によって出生した子が父母の実子であることを否定している。このことは,男は精子を提供できなくても,父となること認め,精子を提供していれば,認知によって父となることができるのに対して,女は,たとえ,卵子を提供しても,分娩までしなければ,母となれないということを意味するのであり,明らかな男女差別である。

このように考えると,最高裁の裁判官は,民法2条(解釈の基準)をわきまえておらず,その結果,民法779条(認知)や民法789条(準正)の規定を無視していることが明らかであり,わが国の法曹には,男女平等の視点が欠落していることがよくわかる。

2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合

ところで,通説・判例は,代理母が子出産した場合でも,その子は,依頼者の養子としては認めているのだから,それでもよいのではないかとの反論がなされている。確かに,世界的な潮流においても,代理懐胎により子をもうけた場合,生まれた子の親は代理懐胎者とするのが判例および近時の立法提案の立場であり,また,依頼者夫婦との親子関係を養子縁組により確立する裁判例や立法提案もあるのが現状である[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)25頁]とされている。

しかしながら,現代においては,子の「出自を知る権利」が尊重されるべきことを考慮するならば,その子の産みの親(遺伝的な親)が誰であるか,育ての親が誰であるかは,子に開示すべき段階に入っていると考えるべきであろう([小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)40-46頁]参照)。

したがって,遺伝的な関係がない者の間で実子関係を認めたり,遺伝的な親子関係があるにもかかわらず,実子関係を否定することは,「出自を知る権利」の下では,破綻することが目に見えている。なぜなら,嘘は嘘を,誤魔化しは更なる誤魔化しを呼ぶことになり,際限のない嘘の上塗りを重ねることになって,結局,法に対する市民の信頼を失墜させることは,これまでの経験から明らかだからである。

嫡出子には,養子も含まれるが,実子と養子との違いは,遺伝子によって判別されるべきである。民法772条による嫡出の推定(実子関係の推定)は,あくまで,その場しのぎの推定に過ぎず,期間が限定されるとはいえ,遺伝子情報によって覆されうると考えるべきである(民法786条参照)。

第786条(認知に対する反対の事実の主張)
子その他の利害関係人は,認知に対して反対の事実を主張することができる。

したがって,代理母の問題に関しては,第1に,父母の精子と卵子を利用して出生した子は,後に述べるように,代理母が依頼主への引渡を拒絶した場合には,代理母が養母となり,したがって,精子と卵子の提供者としての父母は,出生した実子を代理母に養子として手放すことを強制されると考えるべきである。これに対して,第2に,代理母の卵子を利用した出生した子は,代理母が実の母であり,依頼主の夫の精子を利用した場合には,子は,父の実子(いわゆる婚外子)であり,第三者の精子を利用した場合と同様に,依頼主は養親となることができると考えるべきである。

そのような前提の下でのみ,代理母の契約は有効であり,代理母が最後まで,任意に契約を履行した場合にのみ,依頼主である配偶者は,子を実子として届け出ることが可能となると考えるべきであろう。


Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)


妊娠期間中の権利関係は,法益が交錯する複雑な様相を呈する。その場合に,誰の利益を優先するかについて,明確な基準がなければ,錯綜する利害を調整することは困難である。

妊娠期間中の法律関係は,受精卵を胎児として成長させ,出生に至るプロセスを遂行できる妊婦だけである。したがって,妊娠期間中の法律関係は,「妊婦の権利」を最優先する必要がある。

1. 母体保護法第14条とその問題点

受精卵を育てるかどうか,胎児を育てるかどうか,出生させるかどうかは,そのプロセスごとに,妊婦の自己決定に委ねられる。受精卵を育てることを拒絶すれば,医師による人工中絶を求めることができる。配偶者がいる場合には,母体保護法第14条1項は,配偶者の同意が必要としているが,理論的には配偶者の同意は必要ではない。同法14条2項が,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときは,本人の同意だけで足りるとしているのがその根拠の一つである。夫(配偶者)は,妻(妊婦)の意向を尊重すべきであり,同条文の規定とは異なり,夫(配偶者)の同意は不要というべきであろう。

母体保護法 第14条(医師の認定による人工妊娠中絶)
①都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一  妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二  暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
②前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案

妊娠した女性の権利を考える場合には,考えたくないかもしれないが,第1に,男の最も恥ずべき行為としての強姦から議論を始め,第2に,夫が妊娠後に死亡した場合を考察し,第3に,夫の経済力が極端に乏しい場合へと議論を展開していくのがよいと思われる。

第1に,強姦されて,意にそまない妊娠をした場合には,妊娠した女性の権利(自己決定権)が最優先されるべきことについては,大方の理解を得られると思われるのであり,配偶者の同意は要しないと思われる。

母体保護法第14条第1項第2号は,配偶者の同意を得ることを要件としているが,この場合も,たとえ配偶者が同意しなくても,本人が望めば,人工妊娠中絶を認めるべきであろう。配偶者の同意は,強姦の確認の意味を有するに過ぎないと考えるべきだからである。したがって,立法論的には,母体保護法第14条第1項規定中,「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと変更すべきである

第2に,母体保護法14条第2項は,上記の修正を行えば不要となるが,念のために,論じておく。

まず,配偶者が妊娠後に亡くなった場合であるが,二人で協力して子育てをするつもりが,一人で子育てをすることができなくなった場合には,妊娠した女性の自己決定権が尊重されるべきである。この場合の考慮事項は,母体保護だけではありえない。妊娠した女性にとって,妊娠を継続する前提として,生まれるべき子が愛する人(配偶者)の子であること,配偶者が子育てに協力してくれること,配偶者から経済的な支援が得れられることを条件とすることを否定すべきではない。民法752条(同居,協力及び扶助義務)が,婚姻の効力として協力・扶助義務を規定していることからも,これらの効力が失われた場合には,母体保護とは無関係に,妊娠した女性の権利(自己決定権)が尊重されるべきである。

次に,以上のことは,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないときについても,同様に考えることができる。

第3に,配偶者の経済力が極端に乏しく,妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合(母体保護法第14条第1項)について考察する。

この規定(母体保護法第14条第1項第1号)が,わが国において,人工妊娠中絶の濫用,または,中絶天国という悪評を生じさせていることは事実である。しかし,妊娠期間中の法律関係において,妊娠を継続するか継続しないかを決定する主体は,妊娠した女性であることを再度確認する必要がある。女の子宮を「産む機械」とさせないためにも,妊娠を継続するか,継続しないかを決定できるのは,妊娠した女だけであるからこそ,婚姻という契約が有効となるのと考えるべきであろう。

もしも,母体保護法第14条第1項第1号には該当しないが,ある男が,莫大な財産の相続税を軽減するという目的のために実子の数を増したいという目的だけのために女と婚姻して妊娠させた場合に,その目的を知った妻が妊娠の継続を拒絶することは認められるべきであろう。

このように考えると,妊娠期間中の法律関係の主体は,妊娠した女性であり,その自己決定権が,犯罪の構成要件に該当しない限り,最大限の尊重に値することが明らかとなったと思われる。

もっとも,妊娠中の女性の権利を最優先に考えるとすると,濫用が問題とならないかとの危惧が生じるかもしれない。例えば,凍結精子による懐胎も自由になるのではないとの危惧が生じるかもしれない([小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)],[西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁]参照)。しかし,この問題は,妊娠前の選択の問題であり,本稿で扱う,妊娠期間の女性の自己決定の問題ではない。つまり,凍結精子による懐胎については,代理母を認めるべきかどうかという判断と同様に,精子の提供者,社会の利益が凍結精子を利用する女性の権利と同等の価値をもって考慮されなければならないのであり,凍結精子の利用が許された範囲で,妊娠が始まった場合には,本稿で扱ったように,妊娠中の女性の権利が最優先されるとともに,生まれてくる子の出自を知る権利が尊重されなければならないと考える。


Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正


1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性

民法は,法律婚から生まれた子である「嫡出子」と,法律婚の以外から生まれた子である「嫡出でない子」を区別している(民法790条(子の氏))。

第791条(子の氏の変更)
①子が父又は母と氏を異にする場合には,子は,家庭裁判所の許可を得て,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父又は母の氏を称することができる。
②父又は母が氏を改めたことにより子が父母と氏を異にする場合には,子は,父母の婚姻中に限り,前項の許可を得ないで,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父母の氏を称することができる。
③子が15歳未満であるときは,その法定代理人が,これに代わって,前2項の行為をすることができる。
④前3項の規定により氏を改めた未成年の子は,成年に達した時から1年以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,従前の氏に復することができる。

しかし,子の氏の問題は,家庭裁判所の許可を得て(民法790条1項),または,家庭裁判所の許可を得ずに(民法790条2項,5項)に氏を変更できるため,大きな問題は生じない。

嫡出子と嫡出でない子の効果の違いは,法定相続分の違いであり,嫡出でない子の法定相分は,嫡出子の半分であった(民法旧900条)。しかし,平成25(2013)年9月4日の最高裁大法廷決定によって,「民法第900条第4号但し書きのうち,嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分は憲法違反である」との判断が下された。これを受けて,平成25(2013)年12月5日,民法の一部を改正する法律が成立し,嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になった(平成25(2013)年12月11日公布・施行)。

旧第900条(法定相続分)
同順位の相続人が数人あるときは,その相続分は,次の各号の定めるところによる。
一 子及び配偶者が相続人であるときは,子の相続分及び配偶者の相続分は,各2分の1とする。
二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは,配偶者の相続分は,3分の2とし,直系尊属の相続分は,3分の1とする。
三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者の相続分は,4分の3とし,兄弟姉妹の相続分は,4分の1とする。
四 子,直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは,各自の相続分は,相等しいものとする。ただし,嫡出でない子の相続分は,嫡出である子の相続分の2分の1とし,父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は,父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

このようにして,2013年12月6日以降は,嫡出子であることと嫡出でない子であることの実質的な効力の違いであった相続分の違いが解消されたのであるから,現在においては,嫡出子と嫡出でない子とを区別する実益も解消されたといってよい([二宮=棚村=水野=窪田「親子法のあり方」(2015)14-16頁]参照)。

2. 嫡出推定から父子関係推定へ

そのような観点から現行法の体系を見直してみると,現行民法が「嫡出」の用語を用いている場合というのは,法律婚上の夫婦の実子(民法772条(嫡出の推定)~778条),または,その養子(民法809条)という意味で使われていることがわかる。

しかし,嫡出の推定は,婚姻関係にある夫婦とその下で生まれた子との間の実親子関係を推定するものであり,実子にも養子にも当てはまるため,実子かどうかを特定できないあいまいな用語を用いる必要性はなく,嫡出という概念は,夫婦と子との間の実親子関係,または,養親子関係というように,実子と養子とを区別する用語を用いることが有用であることが明らかである。

もっとも,実子と養子とを同列に考えるという視点からは,嫡出子という言葉は有用である。しかし,民法制定以来,2013年の最高裁の大法廷決定を契機として民法900条第4号の但し書き部分が削除されるまでは,嫡出子と嫡出でない子の間の差別は長きにわたって存続していたのであり,嫡出子と嫡出でない子の差別を解消することが重要である。したがって,子の区別は,子の「出自を知る権利」を配慮して,「出生による実子」と「契約による養子」とを区別するにとどめ,嫡出子と嫡出でない子の間の区別は除去することが重要であると思われる。

そのように考えると,現民法において「嫡出」という用語が用いられている条文は,すべて,実子若しくは実親子関係,養子又は養親子関係という明確な明確な用語によって,読み替えることが可能となることがわかる。

しかも,その読み替えに際して,男女差別を廃するような読み替えを行うと,該当条文は,以下のように,男女差別がなく,しかも,内容が明確であり,子の「出自を知る権利」にも資する条文へと生まれ変わることが分かる。

第772条(嫡出の推定)
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。
②婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

第772条実親子関係の推定)改正(加賀山)私案
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫子と推定する。
②婚姻の成立の日から280日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から280日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

もっとも,この条文は,内縁や事実婚の場合には,実子関係の推定規定としては利用できないばかりか,法律婚においても,いわゆる「できちゃった婚」の場合にも,嫡出子としての出生届を認める現状においては,ほとんど意味を失っている。

したがって,民法772条2項の規定は,婚姻の成立の日を憲法第24条第1項に合わせて,婚姻の合意の日(プロポーズが受け入れられた日)からとするか,同棲の日からとするか,いずれかの日と解釈することが必要であろう。

3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性

先にも述べたように,現行民法は,嫡出の推定,嫡出の承認において,夫の権利と妻の権利を不当に差別しており,両性の本質的平等の見地に立ち返って,「夫は」という規定を「夫又は妻は」へと改正すべきである。

また,現行民法は,認知について,男女を平等に扱っているにもかかわらず,通説・判例は,分娩の事実を尊重するあまり,妻の認知を無視するに至っており,民法2条に従って,解釈の変更が必要である。

第774条(嫡出の否認)
第772条〔嫡出の推定〕の場合において,夫は,子が嫡出であることを否認することができる。

第774条実親子関係の否認)改正(加賀山)私案
第772条〔実親子関係の推定〕の場合において,夫又は妻は,子が夫婦の実子であることを否認することができる。

第775条(嫡出否認の訴え)
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第775条実親子関係否認の訴え)改正(加賀山)私案
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母又は夫に対する実親子関係否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第776条(嫡出の承認)
夫は,子の出生後において,その嫡出であることを承認したときは,その否認権を失う。

第776条(嫡出の承認)改正(加賀山)私案
又は妻は,子の出生後において,その実親子関係を承認したときは,その否認権を失う。

男女平等の観点からは,このような改正がなされるべきであるが,否認と承認とは,単に肯定と否定の関係にあるだけなので,嫡出の否認の制度があれば,嫡出承認の制度は不要であり,理論的には,民法776条を削除することが可能である([木村・認知無効の取消し(2015)76頁参照])。

第777条(嫡出否認の訴えの出訴期間1)
嫡出否認の訴えは,夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第777条実親子関係否認の訴えの出訴期間1)改正(加賀山)私案
実親子関係否認の訴えは,夫又は妻が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第778条〔嫡出否認の訴えの出訴期間2〕
夫が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫が子の出生を知った時から起算する。

第778条実親子関係否認の訴えの出訴期間2〕改正(加賀山)私案
又は妻が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫又は妻が子の出生を知った時から起算する。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第779条(認知)改正(加賀山)私案
夫婦の実親子関係が推定されない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第789条(準正)改正(加賀山)私案
①父又は母が認知した子は,その父母の婚姻によって夫婦の実子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,夫婦の実子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第790条(子の氏)
①嫡出子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
②嫡出でない子は,母の氏を称する。

第790条(子の氏)改正(加賀山)私案
①夫婦の実子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
夫婦の実親子関係が推定されない子は,母の氏を称する。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の嫡出である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)改正(加賀山)私案
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の実子である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第809条(嫡出子の身分の取得)
養子は,縁組の日から,養親の嫡出子の身分を取得する。

第809条夫婦の養子の身分の取得)改正(加賀山)私案
養子は,縁組の日から,養親の養子の身分を取得する。
②養子は,その性質に反しない限りで,実子と同一の権利義務を有する。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)
①養親となる者は,配偶者のある者でなければならない。
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の嫡出である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)改正(加賀山)私案
①養親となる者は,配偶者のある者であることを要しない
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の実子である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。


Ⅴ 結論および今後の展望


1. 結論

A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性

生殖補助医療が進展している現代においては,例えば,AIDにおいては,法律婚上の父と遺伝子上の父との分離が生じる。さらに,代理母については,サロゲートマザー(人工授精型)の場合には,法律上の父と遺伝子上の父の分離,さらに,法律上の母(代理母)と契約上の母(依頼主)との分離が生じるし,ホストマザー(体外受精型)の場合には,父の分離の問題は生じないものの,法律上の母(代理母)と遺伝子上の母(依頼主)との分離が生じる。

このような現状においては,生殖補助医療に関する法の不備によって,利害関係者は,困難な問題に直面する。子の出自を知る権利を尊重するならば,実子関係は,遺伝子上の親子,法律上の親子関係は,民法の定めるところによる(民法2条に従って解釈を含む)ということになる。

例えば,AIDの場合には,生まれてくる子は,ドナーの実子であり,法律上の父は,民法の規定によって定めることにすべきである。厳格な要件の下に認められるべき代理出産の場合についても,生まれてくる子は,配偶子の提供者の実子であり,法律上の母は,通説・判例の解釈に従い,第1義的には代理母であるが,代理母が契約通りに任意に子の引渡を行えば,依頼主が法律上の母となると考えるべきである。この場合の現行法の解釈は,母による認知(民法780条)と準正(民法789条2項)の組合せによる。

現行民法の規定,および,通説・判例による解釈の問題点は,民法2条に従っていないことにある。たとえば,男であるパートナーは,自分の精子を提供てもしなくても,いずれの場合でも,嫡出の推定(民法772条),民法774条(嫡出否認),民法776条(嫡出の承認),779条(認知)を駆使すれば,法律上の父となることができる。ところが,女であるパートナーは,たとえ卵子を提供したとしても,分娩の事実がない限り,男のパートナーが使えるすべての法的手段を利用することができない。これが,不当な男女差別でなくて何であろうか。いずれの規定も,以下にのべる修正を行わない限り,憲法に違反して無効と考えるべきであろう。

男だけが使える上記の民法上の制度(法律上の推定,嫡出の否認,嫡出の承認,認知の制度)は,現代においては,男女差別の規定となっているばかりでなく,いずれも,機能不全に陥っており,以下に述べるように条文の改正,または,解釈の変更が必要である。

第1に,民法772条(嫡出の推定)は,相続において嫡出子と嫡出でない子の区別がなくなった現在において,「嫡出の推定」ではなく,「父子関係の推定」と改められるべきである。しかも,「婚姻の成立の日から200日を経過した後」という要件も,妊娠してから婚姻届を出す人が多い現状においては,ほとんど無意味となっている上に,200日には,科学的な根拠がない。また,「婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内」という要件についても,300日の科学的根拠がない上に,婚姻の成立から200日という計算と平仄を合わせていないために,妻の再婚機関の禁止(民法733条)という,男女差別の条文を生み出す原因になっている。このように,民法772条は,どの点をとっても,改正が必要である。

第2に,民法774条(嫡出の否認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…できる。」は,「夫又は妻は,…できる」と改正すべきである。
第3に,民法776条(嫡出の承認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…失う」は,「夫又は妻は,…失う」と改正されるか,嫡出の否認の規定があれば十分であるとして削除されるべきである。上記の第2と第3の改正によって,科学的な根拠なしに濫用されてきた民法772条(嫡出の推定)が,妻によっても覆すことができる法律上の推定に過ぎないことが明らかとなることが重要である。

第4に,民法779条(認知)は,条文の文言を尊重し,厳格な要件の下でみとめられるべき代理出産(ホストマザー方式)の場合に,卵子を提供したことを根拠にして,分娩をしない妻が認知する場合にも適用されるよう,最高裁の解釈(最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件))の変更をすることが必要である。

B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の母体の保護を前提にして,自己決定権が何よりも優先されなければならない。そして,女性の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先すると考えるべきである(民法330条1項2文参照)。

また,妊娠中は,妊娠した女性の母体の保護および自己決定権が何よりも尊重されるべきであるから,保体保護法第14条第1項の「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと修正されるべきであり,第2項は,確認規定に過ぎず,理論上は不要となる。

2. 今後の課題

生殖補助医療は,子を産み育てたいと願う婚姻カップルが有する幸福追求を科学的にサポートする制度であり,わが国で進行している少子化の問題を解決するものの一つとして,尊重すべきである。そのためにも,民法,および,その解釈は,民法2条に規定されている「個人の尊厳と両性の本質的な平等」に立ち返って行う必要がある。結論で示した上記の提言は,いずれも,民法2条の基本原則に立ち返ったものに過ぎない。

本稿では,妊娠以後,特に,生殖補助医療が実施された後の女性の権利の優先的な地位を明らかにすることに焦点を当てて論じたが,この前提となる,生殖補助医療の有効要件を明らかにすることは,今後の課題である([大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]が参考になる])。今後は,生殖補助医療の利害関係者である,妊娠の主体となる女性(代理母を含む),配偶子(精子・卵子)のドナー,遺伝的なつながりのない子どもを育てるパートナー,生まれてくる子どもたち,医師,社会の利益を考慮しつつ,厳格な実施要件を定める方法と立法上の提言を行うことにしたい。


参考文献


[江口・妊娠中絶の生命倫理(2011)]
江口 聡(編・監訳)『妊娠中絶の生命倫理-哲学者たちは何を議論したか』勁草書房 (2011/10/11)

[大野・代理出産(2009)]
大野 和基『代理出産―生殖ビジネスと命の尊厳 』集英社新書(2009/5/15)

[木村・認知無効の取消し(2015)]
木村 敦子「任意認知者による認知無効の取消し」法律時報87巻11号(2015/11)71-78頁

[小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)]
小池 泰「AIDにおける子の出自を知る権利」法律時報87巻11号(2015/11)40-46頁

[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]
小林 亜津子『生殖医療はヒトを幸せにするのか-生命倫理から考える』光文社新書(2014/3/18)

[角田・性と法律(2013)]
角田 由紀子『性と法律 ―変わったこと・変えたいこと』岩波新書(2013/12/21)

[西・凍結精子による懐胎(2015)]
西 希代子「凍結精子による懐胎」法律時報87巻11号(2015/11)32-39頁

[二宮=棚村=水野=窪田・親子法のあり方(2015)]
二宮周平=棚村政行=水野紀子=窪間充見「[座談会]親子法のあり方を求めて」法律時報87巻11号(2015/11)4-24頁

[ノーグレン・中絶と避妊の政治学(2008)]
ティアナ ノーグレン(岩本 美砂子他 (訳))『中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策』青木書店 (2008/08)

[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)]
幡野 弘樹「代理懐胎と親子関係-ヨーロッパ人権裁判所判決とフランス法を参照しつつ」法律時報87巻11号(2015/11)24-31頁

[羽生・性同一障害と民法772条(2015)]
羽生 香織「性同一性障害を理由とする性別の変更と民法772条」法律時報87巻11号(2015/11)63-70頁

[山根・産む産まないは女の権利か(2004)]
山根 純佳『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』勁草書房(2004/8)

[米本他・優生学と人間社会(2000)]
米本 昌平=ぬで島 次郎=松原 洋=市野川 容孝『優生学と人間社会』 講談社現代新書(2000/7/19)

判例評釈「JR東海への認知症罹患者の立入り死亡事件」(最判平28・3・1)


線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条に基づく損害賠償責任が否定された事例

(JR東海への認知症高齢者の線路立入り事件)

第1審:名古屋地裁平22(ワ)第819号,平25・8・9判決
控訴審:名古屋高裁平25(ネ)第752号,平26・4・24判決
上告審:最高裁三小平26(受)第1434号,平28・3・1判決


要約

本件は,アルツハイマー型認知症に罹患し,在宅看護を受けていた高齢者A(91歳)が,同居しているAの妻Y1(85歳)が目を離したわずかの間に徘徊をはじめ,近くの駅からX(JR東海)の列車に乗り,排尿のため次の駅で下車して,ホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてそこから線路に立ち入り,列車と衝突して死亡した事案である。

Xは,列車に遅れが生じるなどの損害が生じたとして,Y1とAの長男Y2,および,Aのその他の相続人2名に対して損害賠償金719万7,740円及び遅延損害金の連帯支払を求めた。

Aの責任能力を否定し,Y1,Y2に対してXを全面勝訴させた第1審判決に対しては,老々介護に対して厳しすぎるなどの社会的な反響が生じ,控訴審は,Y1,Y2に対するXの賠償額を半額に制限する判決を下した。そして,最高裁は,Y1(高齢の配偶者),Y2(別居の長男) ともに,民法714条の監督義務者には該当しないとして,両者の責任を全面的に否定するに至っている。

ただし,最高裁の法廷意見および補足意見によると,本件のような事案の場合には,責任を負う者が全くいなくなることを考慮したためか,裁判官2名による意見(結論は同じだが,理由が異なる)が付されており,その意見においては,別居の長男Y2は民法714条の監督義務者に該当するとした上で,Y2は,監督義務者としての注意義務を尽くしているとの判断がなされている。


Ⅰ 事実関係


Aは,平成12年ころから,認知症の症状をきたすようになったため,平成14年3月頃,Y1(同居しているAの妻),Y2(別居しているAの長男),B(Y2の妻),C(Y2の妹:介護福祉士の資格を有し平成11年から特養併設の介護施設に勤務している)は,Aの介護をどうするかを話し合い,妻のY1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市から愛知県A市にあるA宅の近隣に転居し,Y1によるAの介護を補助することを決めた。

その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度A市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。

平成19年の事故当時,Aは,アルツハイマー型の認知症が進行し,要介護4の認定を受け,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

また,Aは,人物の見当識障害があり,昼夜を問わず徘徊するようになり,行方不明となってコンビニエンス・ストアで保護されることが2度も生じたため,Yらは,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通るとY1の枕元でチャイムが鳴ることで,Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。しかし,事務所出入口については,かつて本件事務所でたばこ等を販売していた頃に来客を知らせるために設置した事務所センサー付きチャイムが存したものの,長らく営業を停止していたため,その電源は切られたままであった。

その間,Yら,B及びCは,Aの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,介護のプロであるCが以下のような意見を述べたため,Aを引き続きA宅で介護することに決めていた。

特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。

Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及びY1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,AとY1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。

Aは,I駅から列車に乗り,I駅の北隣の駅であるJ駅で降り,排尿のためホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,J駅構内において本件事故が発生した。

Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

第1審判決は,Y1に対しては,民法709条に基づく不法行為責任を認め,また,Y2に対しては,「社会通念上,民法714条1項の法定監督義務者や同条2項の代理監督者と同視し得るAの事実上の監督者であったと認めることができ,これら法定監督義務者や代理監督者に準ずべき者としてAを監督する義務を負い,その義務を怠らなかったこと又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったことが認められない限り,その責任を免れないと解するのが相当である。」と述べて, Yらは連帯してXに対して損害賠償責任を負うと判示した。

また,第1審判決は,Xの過失等について,「Xに対し,線路上を常に原告の職員が監視することや,人が線路に至ることができないような侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能を強いるもので相当でないというべきであるから,Xに注意義務違反を認めることはできない。よって,本件の損害賠償額を定めるに当たって,職権により原告の過失を斟酌することは相当でない。」と判示した。

このように,大企業であるXには甘く,一般市民であるYらには厳しい責任を課す第1審判決に対して,Yらが控訴した。

控訴審では,「配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻であるY1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。」とし,「Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった」等の事情に照らして,Y1のみが民法714条によって損害賠償責任(過失相殺の趣旨を考慮して意,請求額の半額)を負うと判断した。

このため,Y1 及びXの双方が上告した。


Ⅱ 主たる争点及び当事者の主張


本件の争点は,Aの同居の妻であるY1,および,別居の長男であるY2 が,それぞれ民法714条1項所定の法定の監督義務者又は,同条2項のこれに準ずべき者に当たるか否か,監督義務者に当たるとすれば,Yらは,監督義務を尽くしたか,他方で,Xには,過失相殺に該当する事由があるかどうかである。

本件においては,以下のように,各審級の裁判所の見解がすべて異なっており,最高裁判決においても意見が分かれている点に大きな特色がある。

第1審判決は,一方で,Aが富裕である(5,000万円を超える金融資産を有していた)ことを考慮して,同居の妻Y1(事故当時85歳)に対しては,事故の予見可能性,結果回避可能性を認めて民法709条により責任を認め,別居の長男Y2に対しては,民法714条2項の準用により責任を認め,両者ともに損害額全額を連帯して損害する責任があるとし,他方で,X(資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者)が駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出したことについては,Xの過失相殺を認めなかった。

これに対して,控訴審は,別居の長男Y2については,監督者責任を否定したが,同居の妻Y1 に対しては,民法714条1項の監督責任者を認めた上で,双方の事情(Yらが相当に充実した介護体制を構築していたのに対して,Xの駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情等)を考慮して,Y1 の賠償すべき額を請求額の半額とした。

最高裁は,Yらの上告受理申立てを認め,Xの請求をすべて棄却した。


Ⅲ 判決の要旨


Y1の監督義務者該当性

民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務についてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。

したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y2の監督義務者該当性

また,Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。

その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

Yらの監督義務者適合性(結論)

これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。

Y1は,長年Aと同居していた妻であり,Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

また,Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながらY1によるAの介護を補助していたものの,Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

以上によれば,Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうちY1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいうY1の論旨は理由がある。

そして,以上説示したところによれば,第1審原告のY1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取消し,第1審原告の請求を棄却することとする。

他方,Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理由がないから,第1審原告のY2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。


Ⅳ 評釈


1. 認知症に罹患した高齢者の監督義務者は誰か

精神的障害がある者について,民法714条の監督義務者が誰になるかの問題は,もしも,特別法に該当する規定がある場合には,それに従って監督義務者が決定されるし,民法上も,成年後見の審判がなされていれば,成年後見人が監督義務者となるとされている。

しかし,本件のように,成年後見の審判もなされておらず,特別養護老人ホームへの入所もせずに,在宅看護をしている場合に,民法714条の監督義務者が誰になるのかは,明らかではない。

最高裁は,前記「Ⅲ判決の要旨」の下線部分で示した一般法理を援用しつつ,法廷意見は,Yらについては,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情がないとして,Yらは,監督義務者ではないとした。

しかし,結論は同じものの,理論を異にする岡部裁判官の意見は,「Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。」として,多数意見のいう「特別の事情」の存在をみとめて,Y2は,民法714条1項の法定の監督義務者に準ずべき者といえると判示している。

同居の配偶者だからとか,相続人だからだとか,成年後見制度を利用していたら成年後見人に就任していたとかなどの,画一的な判断とは異なり,岡部裁判官の意見における民法714条の監督義務者の判断基準は,画一的ではない上に,その基準が「第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうか」という明確なものであり,今後の認知症罹患者の徘徊による事故に関する監督義務者の判断について,最も適切な判断基準をしめしたものとして,高く評価できる。

2. 認知症に罹患した高齢者に監督義務者が存在する場合の責任の所在

しかし,岡部意見に従って,Y2が民法714条1項の監督義務者に準じる者と考えた場合には,岡部意見,または,大谷意見(Y2が法定の監督義務者であるとする点で岡部意見と異なるが,Y2が監督義務を尽くしたという点では同じである)にもかからず,Y2の免責の立証は十分とはいえないように思われる。

介護のプロフェッショナルであるCの助言に従ってとはいえ,特別養護老人ホームへの入所を断念し,在宅看護による看護体制を選択して,「第三者に対する加害防止もまた引き受けた」のであれば,それに相応する注意義務を尽くす必要がある。このように考えると,本件事故以前に,Aが事務所の出入り口から徘徊して保護されたことがある以上は,Y2が,事務所の出入り口を施錠せず,そこに設置されたセンサー付チャイムの電源を切ったままに放置したのは,注意義務に違反しているといわざるを得ないであろう。

そうだとすると,Y2の監督者責任を認めつつ,鉄道会社として,第三者に対する加害防止を引き受けているXが,駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出していたことは,控訴審が明らかにしていたように,「駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される」のであり,過失相殺,または,過失相殺の趣旨の類推に値するものであって,賠償額を大幅に減額することで,問題を解決するのが適切であったように思われる。

3. 徘徊事故を未然に防止するための責任のあり方

本件事故は,認知症に罹患したAが徘徊を始めるようになって以降,同居の高齢の配偶者Y1では,徘徊をとめることができず,Y2の妻Bが徘徊に付き添うことにも限界が生じていたのであるから,Y2は,Aが裕福であること考慮して,在宅看護だけに頼らず,特別養護老人ホームへの入所手続きを始めるべきであった。介護のプロフェッショナルとはいえ,相続人の一人であって利益相反関係にあるCの助言に従って特別養護老人ホームへの入所手続きを断念したことが,今回の事故につながる遠因となった。

しかも,最高裁の法廷意見によれば,Y1も,Y2も民法714条の監督義務者に該当しないというのであり,しかも,両者とも,「第三者に対する加害行為の防止に向けて…危険を引き受けている」わけではないというのであるから,最高裁の法廷意見によれば,Yらの介護体制は,それぞれが,民法697条以下の事務管理者としてAの介護に当たったと解釈せざるを得ない。

Yらが,事務管理者であるとすれば,Yらは,本人の意思を知ることができるときは,本人の意思に従って,外出に付き添い(民法697条2項),本人の意思を知ることも,推知することもできないときは,「最も本人の利益に適する方法」によってその事務を管理しなければならない(民法697条1項)。

すなわち,本件のような,認知症に罹患した高齢者による徘徊行為に基づく事故は,在宅看護を引き受けるのであれば,相続人のそれぞれが,相続財産を確保するという自 己の利益を図るのではなく,高齢者の意思を尊重し,意思を知ることも推知できなくなったときは,「最も本人の利益に適合する方法」として,徘徊に付き 添うか,すべての出入り口の施錠,または,センサーつきのチャイムを作動させるという方法を選択するか,それが限界に達している場合に は,特別養護老人ホーム等への入所手続きを開始し,十分な介護と第三者への加害行為を防止を両立させることが必要であったと思われる。

他方で,Xは,控訴審判決が明確に述べているように,資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者であり,「Xが営む鉄道事業にあっては,専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し,そのことで収益を上げているものであるところ,社会の構成員には,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者なども含まれており,このような社会的弱者も安全に社会で生活し,安全に鉄道を利用できるように,利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で,列車の発着する駅ホーム,列車が通過する踏切等の施設・設備について,人的な面も含めて,一定の安全を確保できるものとすることが要請されている」のであるから,Xも,「駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば,また,J駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあった」以上,本件事故の責任の多くの部分を負担すべきである。

鉄道事業者は,立入り事故について,本件のように遺族等に損害賠償請求をするのではなく,自らの社会的責任として,線路への人の立入りの防止策を進めるとともに,今後は,頻繁に生じている踏切事故の防止を緊急の課題とすべきであり,道路と交差する箇所は,順次,高架,または,地下にすることによって,踏切そのものを撤廃することを目標として掲げることが,鉄道事業者の社会的責任の中でも,最も重要な課題であるように思われる。

4. 結論

本件におけるAの看護体制とは,Aの相続人を中心にして,Y2の妻Bが加わって形成された一種の組合と考えるべきではないだろうか。そのように考えると,その実質的な代表者であるY2が,単に長男だからと言う理由ではなく,責任無能力者であるAの監督義務者,または,監督義務者に準じる者と考えることが可能となる。

このように考えると,最高裁判決の岡部・大谷「意見」が述べているように,Y2を民法714条の監督者,または,これに準じるものと考えるべきであり,しかも,これらの「意見」とは異なり,Y2に過失がある以上,Xによる責任の追及が可能であると考えるべきである。ただし,X自身にも重大な過失があるため,控訴審判決のように,Xの請求を大幅に減額するというのが,妥当な結論であると思われる。

民法714条の監督義務者の行方(最高裁平成28年3月1日判決の問題点)


民法714条(責任無能力者等の監督義務者の責任)に関する注目すべき最近の二つの判決


未成年者であって責任を弁識する能力を有しない場合(通常は,13歳未満の未成年者の場合),または,精神上の障害により,責任を弁識する能力を有しない場合(認知症,酩酊等を含む場合)に,それらの責任無能力者は,不法行為上の損害賠償責任を負わない(それぞれ,民法712条,713条に規定がある)。その代わりに,それらの責任無能力者を監督する法定の義務を負う者(「監督義務者」という)が,責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う(民法714条)。

最近,責任無能力者の監督者責任に関する最高裁判決が2件出され,注目を集めている。一つは,平成27年4月9日の判決(第1判決という),もう一つは平成28年3月1日の判決(第2判決)である。二つの事件ともに,民法714条の責任(責任無能力者の監督義務者等の責任)を否定した点で共通しているが,その理由は異なる。


第1判決(最一判平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁)とその問題点


第1判決は,監督義務者がはっきりしている場合について,監督義務者の免責要件を安易といえるほどに緩和したものであり,第2判決は,監督義務者が誰か曖昧な場合について,事件を起こした高齢者の同居の高齢の妻,および,別居の子は,そもそも監督義務者ではないとして,損害賠償責任を否定したものである。

第1判決の事実関係は,小学校でサッカーのゴールキックを練習していた小学生(当時11歳)の蹴ったサッカーボールが,校庭の外に飛び出して道路に転がり,たまたま,自転車でそこを通りかかった高齢者(当時85歳)がそのボールをよけようとして転倒し,それが契機となって死亡したというものである。この事件においては,責任無能力者の監督義務者は,事件を引き起こした子の親権者であることが明らかであるため,訴訟においては,監督義務者は,どのような行為をすれば,責任を免れるかに問題が集中した。

従来は,責任無能力者の監督義務者が免責されるためには,具体的に何をしたかを詳しく証明しなければならず,しかも,ほとんどの場合に,免責は認められなかった。つまり,免責のハードルは,非常に高かったのである。

これに反して,第1判決は,責任無能力者(11歳の未成年者)の行為が,①周囲の状況を考慮に入れても,その状況下において,日常的な使用方法として通常の行為であること,②その行為によって当該結果が生じるということは,常態であったとはいえない場合であること,③責任無能力者の監督義務者が,危険な行為に及ばないよう日頃から責任無能力者に通常のしつけをしていたことを証明すれば,監督義務者は,民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきであると判示している。

この判決によれば,子の日常的な通常の行為については,親が,危険な行為に及ばないように日ごろから通常のしつけをしておれば,責任を免れるということになり,被害者救済が困難になるのではないのかとの問題点が指摘されている。


第2判決(最三判平成28・3・1)とその問題点


第2判決の多数意見は,この点を踏まえて,痴呆症に罹患した高齢者(91歳)が引き起こした事件(鉄道会社に生じた事故処理等の損害)について,監督義務者の免責の立証責任を緩和するという方向ではなく,高齢者(85歳)である同居の妻,および,別居の子を監督義務者ではないとして,民法714条の責任を否定した点に特色がある。

この判決については,結論は同じだが,理論構成が異なる二つの「意見」が付されている。それらの「意見」によれば,高齢者である同居の妻の監督者責任は否定するが,別居の子の監督者責任は認めるとしつつも,監督義務者である子は,注意義務を怠っていないとの証明を尽くしているため,結果的に民法714条の責任を免れるとしている。

第2事件の最高裁の多数意見によると,この事件においては,責任無能力者の監督義務者は全く存在しないということになってしまうため,被害者の救済という点からは,問題が生じているといえよう。


第2判決に対する評価


事案の解決としては,多数意見ではなく,その他の意見のように,責任無能力の監督義務者は,どこかに存在するとした上で,監督義務者は十分に注意義務を尽くしたとして免責するか,観点を変えて,被害者側の過失(線路内に通じる戸に施錠するのを怠っており,それが事故の原因となっている)を考慮して,大幅な過失相殺を認めるという方法を選択する方が,現行の不法行為法の救済システムに適合しているのではないかと,私は考えている。

本件の場合,責任無能力者が事件を起こさないためには,介護のシステムを整備すべき公共機関の責任にも注意が向けられるべきであろう。

介護施設が不足したり,その環境が十分に整備されていないために,責任無能力者の家族に過大な負担がかけられている実態を踏まえるならば,介護に専念している家族の責任を軽減する一方で,被害を未然に防止するための公益システムの整備を急ぎつつ,その責任のあり方について検討すべき時期にさしかかっているように思われる。


 

《速報》最高裁の最新判例(最高裁第三小法廷平成28年3月1日判決)認知症者の線路立ち入りJR損害賠償請求事件

2016年3月1日に最高裁第三小法廷で注目すべき判決が下された。最高裁のホームページで,即日公開されているだけでなく,テレビ番組,新聞等で大きく報道されており,重要な判決であるので,最高裁のホームページに公開された判決要旨と,全文をテキスト化したものを紹介する。

判決に対するコメントは,判決全文をよく読んでからにするつもりであるが,認知症の夫がJRの線路に立ち入り列車と衝突して死亡したことにより,JRに生じた損害について,死亡した認知症者と同居していた身体障害者の妻,または,別居の子に,損害賠償責任を負わせることができるかどうかについて,最高裁は,妻と子の責任を否定するとの判断を下した。

多数意見(補足意見を含めて,裁判官3名)は,身体障害者である同居の妻も,別居の子も,民法717条の監督義務者ではないとの判断を下した上で,損害賠償責任を否定している。しかし,この多数意見に対しては,妻と子の責任を否定する点では賛同するものの,子は,民法717条の監督義務者ではあるが,監督義務を尽くしたので,責任を免れるとの判断を下している裁判官が2名おり,もしも,子が監督義務を尽くしていない場合であれば,補足意見しだいでは,結論は逆になっていた可能性がある。

したがって,この点において,この判決を引用する場合には,多数意見だけを引用することは危険であり,補足意見,および,意見についても,紹介すべきであろう。

最三判平成28・3・1(認知症者線路立ち入り損害賠償請求事件)

事件番号:平成26(受)1434
事件名:損害賠償請求事件
裁判年月日:平成28年3月1日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別:判決
結果:その他
判例集等:最高裁民事判例集〔 〕巻・〔 〕号・〔 〕頁
原審裁判所名:名古屋高等裁判所
原審事件番号:平成25(ネ)752
原審裁判年月日:平成26年4月24日
判示事項:
裁判要旨: 線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症の者の妻と長男の民法714条1項に基づく損害賠償責任が否定された事例
参照法条:〔空白〕〔民法709条(不法行為による損害賠償),民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任),民法752条(同居,協力及び扶助の義務),民法858条(成年被後見人の意思の尊重及び身上の配慮)介護保険法7条1項〕
判決全文

1

平成26年(受)第1434号,第1435号
損害賠償請求事件 平成28年3月1日第三小法廷判決

主文

1 平成26年(受)第1434号上告人の上告を棄却する。
2 原判決中,平成26年(受)第1435号上告人敗訴部分を破棄し,同部分につき第1審判決を取り消す。
3 前項の部分に関する平成26年(受)第1435号被上告人の請求を棄却する。
4 第1項に関する上告費用は,平成26年(受)第1434号上告人の負担とし,前2項に関する訴訟の総費用は,平成26年(受)第143
5 号被上告人の負担とする。

理由

平成26年(受)第1434号上告代理人三村量一ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)及び同第1435号上告代理人浅岡輝彦ほかの上告受理申立て理由について

1 本件は,認知症にり患したA(当時91歳)が旅客鉄道事業を営む会社である平成26年(受)第1434号上告人・同第1435号被上告人(以下「第1審原告」という。)の駅構内の線路に立ち入り第1審原告の運行する列車に衝突して死亡した事故(以下「本件事故」という。)に関し,第1審原告が,Aの妻である

2

平成26年(受)第1435号上告人(以下「第1審被告Y1」という。当時85歳及びAの長男である平成26年(受)第1434号被上告人(以下「第1審被告Y2」という。)に対し,本件事故により列車に遅れが生ずるなどして損害を被ったと主張して,民法709条又は714条に基づき,損害賠償金719万7740円及び遅延損害金の連帯支払を求める事案である。第1審被告らがそれぞれ同条所定の法定の監督義務者又はこれに準ずべき者に当たるか否か等が争われている。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) A(大正5年生まれ)と第1審被告Y1(大正11年生まれ)は,昭和20年に婚姻し,以後同居していた。両者の間には4人の子がいるが,このうち,長男である第1審被告Y2及びその妻であるBは,昭和57年にAの自宅(以下「A宅」という。)から横浜市に転居し他の子らもいずれも独立している。Aは,平成10年頃まで不動産仲介業を営んでいた。

(2) A宅は,愛知県a市にあるJRa駅前に位置し,自宅部分と事務所部分から成り,自宅玄関と事務所出入口を備えていた。

(3) Aは,平成12年12月頃,食事をした後に「食事はまだか。」と言い出したり,昼夜の区別がつかなくなったりした。そこで,第1審被告ら及び第1審被告Y2の妹であるCは,Aが認知症にり患したと考えるようになった。
Aは,平成14年になると,晩酌をしたことを忘れて何度も飲酒したり,寝る前に戸締まりをしたのに夜中に何度も戸締まりを確認したりするようになった。
第1審被告ら,B及びCは,平成14年3月頃,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,第1審被告Y1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護

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の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市からA宅の近隣に転居し,第1審被告Y1によるAの介護を補助することを決めた。その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。第1審被告Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度a市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。
その後,Aについて介護保険制度を利用すべきであるとのCの意見を受けて,Bらは,かかりつけのD医師に意見書を作成してもらい,平成14年7月,Aの要介護認定の申請をした。Aは,同年8月,要介護状態区分のうち要介護1の認定を受け,同年11月,同区分が要介護2に変更された(要介護状態区分は5段階になっており,要介護5が最も重度のものである(介護保険法7条1項,要介護認定等に係る介護認定審査会による審査及び判定の基準等に関する省令1条1項)。)。

(4) Aは,平成14年8月頃の入院を機に認知症の悪化をうかがわせる症状を示すようになった。Aは,同年10月,国立療養所中部病院(以下「中部病院」という。)のE医師の診察を受け,その後,おおむね月1回程度中部病院に通院するようになった。E医師は,平成15年3月,Aが平成14年10月にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断した。また,Aは,同月頃以降,a市内の福祉施設「b」(以下「本件福祉施設」という。)に通うようになり,当初は週1回の頻度であったが,本件事故当時は週6回となっていた。Aが本件福祉施設に行かない日には,Bが朝からAの就寝までA宅においてAの介護等を行っていた。
Aの就寝後は,第1審被告Y1がAの様子を見守るようにしていた。

4

Aは,平成15年頃には,第1審被告Y1を自分の母親であると認識したり,自分の子の顔も分からなくなったりするなど人物の見当識障害もみられるようになった。Bは,Aに外出しないように説得しても聞き入れられないため,説得するのをやめて,Aの外出に付き添うようになった。
E医師は,平成16年2月,Aの認知症については,場所及び人物に関する見当識障害や記憶障害が認められ,おおむね中等度から重度に進んでいる旨診断した。
中部病院は,患者の診療について,一定期間の通院後は開業医に引き継ぐ方針を採っていたため,Aは,同月頃以降,再びD医師の診療を受けるようになった。

(5) Aは,平成17年8月3日早朝,1人で外出して行方不明になり,午前5時頃,A宅から徒歩20分程度の距離にあるコンビニエンス・ストアの店長からの連絡で発見された。

(6) 第1審被告Y1は,平成18年1月頃までに,左右下肢に麻ひ拘縮があり,起き上がり・歩行・立ち上がりはつかまれば可能であるなどの調査結果に基づき,要介護1の認定を受けた。

(7) Aは,平成18年12月26日深夜,1人で外出してタクシーに乗車し,認知症に気付いた運転手によりコンビニエンス・ストアで降ろされ,その店長の通報により警察に保護されて,午前3時頃に帰宅した。

(8) Bは,上記(5)及び(7)の出来事の後,家族が気付かないうちにAが外出した場合に備えて,警察にあらかじめ連絡先等を伝えておくとともに,Aの氏名やBの携帯電話の電話番号等を記載した布をAの上着等に縫い付けた。
また,第1審被告Y2は,上記(5)及び(7)の出来事の後,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通ると第1審被告Y1の枕元でチャイム

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が鳴ることで,第1審被告Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。第1審被告ら及びBは,Aが外出できないように門扉に施錠するなどしたこともあったが,Aがいらだって門扉を激しく揺するなどして危険であったため,施錠は中止した。他方,事務所出入口については,夜間は施錠されシャッターが下ろされていたが,日中は開放されており,以前から事務所出入口にセンサー付きチャイムが取り付けられていたものの,上記(5)及び(7)の出来事の後も,本件事故当日までその電源は切られたままであった。

(9) Aは,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

(10) Aは,平成19年2月,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁にみられ,常に介護を必要とする状態で,場所の理解もできないなどの調査結果に基づき,要介護4の認定を受けた。そこで,第1審被告ら,B及びCは,同月,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,Cが「特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。」旨の意見を述べたこともあって,Aを引き続きA宅で介護することに決めた。

(11) Aは,認知症の進行に伴って金銭に興味を示さなくなり,本件事故当時,財布や金銭を身に付けていなかった。本件事故当時,Aの生活に必要な日常の買物は専ら第1審被告Y1とBが行い,また,預金管理等のAの財産管理全般は専ら第

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1審被告Y1が行っていた。
本件事故当時,Bは,午前7時頃にA宅に行き,Aを起こして着替えと食事をさせた後,本件福祉施設に通わせ,Aが本件福祉施設からA宅に戻った後に20分程度Aの話を聞いた後,Aが居眠りを始めると,Aのいる部屋から離れて台所で家事をすることを日課としていた。Aは,居眠りをした後は,Bの声かけによって3日に1回くらい散歩し,その後,夕食をとり入浴をして就寝するという生活を送っており,Bは,Aが眠ったことを確認してから帰るようにしていた。

(12) Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,本件福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及び第1審被告Y1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,Aと第1審被告Y1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,第1審被告Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。Aは,a駅から列車に乗り,a駅の北隣の駅であるJRc駅で降り,排尿のためホーム先端のフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,c駅構内において本件事故が発生した。
Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

3 原審は,次のとおり判断して,第1審原告の第1審被告Y1に対する損害賠償請求を一部認容し,第1審被告Y2に対する損害賠償請求を棄却した。

(1) 一方の配偶者が精神上の障害により精神保健及び精神障害者福祉に関する法律5条に規定する精神障害者となった場合には,同法上の保護者制度(同法20条(平成25年法律第47号による改正前のもの)参照)の趣旨に照らしても,

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の者と現に同居して生活している他方の配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻である第1審被告Y1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。
第1審被告Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった。このこと等に照らせば,第1審被告Y1が,監督義務者として監督義務を怠らなかったとはいえず,また,その義務を怠らなくても損害が生ずべきであったともいえない。

(2) 第1審被告Y2がAの長男として負っていた扶養義務は経済的な扶養を中心とした扶助の義務であって引取義務を意味するものではない上,実際にも第1審被告Y2はAと別居して生活しており,第1審被告Y2がAの成年後見人に選任されたことはなくAの保護者の地位にもなかったことに照らせば,第1審被告Y2が,Aの生活全般に対して配慮し,その身上を監護すべき法的な義務を負っていたとは認められない。したがって,第1審被告Y2は,Aの法定の監督義務者であったとはいえない。また,第1審被告Y2は,20年以上もAと別居して生活していたこと等に照らせば,Aに対する事実上の監督者であったともいえない。

4 しかしながら,原審の上記3(2)の判断は結論において是認することができるが,同(1)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)ア 民法714条1項の規定は,責任無能力者が他人に損害を加えた場合に

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はその責任無能力者を監督する法定の義務を負う者が損害賠償責任を負うべきものとしているところ,このうち精神上の障害による責任無能力者について監督義務が法定されていたものとしては,平成11年法律第65号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律22条1項により精神障害者に対する自傷他害防止監督義務が定められていた保護者や,平成11年法律第149号による改正前の民法858条1項により禁治産者に対する療養看護義務が定められていた後見人が挙げられる。しかし,保護者の精神障害者に対する自傷他害防止監督義務は,上記平成11年法律第65号により廃止された(なお,保護者制度そのものが平成25年法律第47号により廃止された。)。また,後見人の禁治産者に対する療養看護義務は,上記平成11年法律第149号による改正後の民法858条において成年後見人がその事務を行うに当たっては成年被後見人の心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない旨のいわゆる身上配慮義務に改められた。この身上配慮義務は,成年後見人の権限等に照らすと,成年後見人が契約等の法律行為を行う際に成年被後見人の身上について配慮すべきことを求めるものであって,成年後見人に対し事実行為として成年被後見人の現実の介護を行うことや成年被後見人の行動を監督することを求めるものと解することはできない。そうすると,平成19年当時において,保護者や成年後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者に該当するということはできない。

イ 民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務につ

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いてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。
したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

ウ 第1審被告Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,第1審被告Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。
また,第1審被告Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

(2)ア もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用さ

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れると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

イ これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。第1審被告Y1は,長年Aと同居していた妻であり,第1審被告Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,第1審被告Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けて

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いたとみるべき特段の事情があったとはいえない。
したがって,第1審被告Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない

ウ また,第1審被告Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながら第1審被告Y1によるAの介護を補助していたものの,第1審被告Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,第1審被告Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。したがって,第1審被告Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。
5 以上によれば,第1審被告Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうち第1審被告Y1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいう第1審被告Y1の論旨は理由がある。そして,以上説示したところによれば,第1審原告の第1審被告Y1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取り消し,第1審原告の請求を棄却することとする。
他方,第1審被告Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理

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由がないから,第1審原告の第1審被告Y2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。
なお,その余の請求に関する第1審原告の上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官木内道祥の補足意見,裁判官岡部喜代子,同大谷剛彦の各意見がある。

裁判官木内道祥の補足意見は,次のとおりである。

私は民法714条の法定監督義務者,準監督義務者についての多数意見に賛同するものであるが,保護者,成年後見人とこれらの義務者との関係などについて補足して意見を述べる。

1 平成11年改正前の保護者,後見人平成11年改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」という。)の定める保護者,民法の定める後見人に関する定めは次のようなものであった。
精神障害者が禁治産宣告を受けている場合,配偶者がいれば,配偶者が当然に後見人となる(民法840条)。後見人には,禁治産者の療養看護の義務があり(同法858条1項),裁判所の許可を得て,精神病院又はこれに準ずる施設に入れることができる(同条2項)。後見人は第1順位で当然に保護者となるから,保護者として自傷他害がないように監督する義務がある(精神保健福祉法20条2項,22条1項)。
民法714条が「法定」監督義務者とする趣旨は,監督義務者が法によって一般的,類型的に定められることを想定していると解され,実際の法制上も,保護者,

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後見人に他害防止の監督義務が課せられていることは,それに照応するものである。
民法714条は,責任無能力である精神障害者の監督義務者に責任を負わせる制度であるが,配偶者がいる限り,配偶者が当然に保護者・後見人となり,また,監督義務者に該当すると解されてきた。
このような制度は,昭和25年の精神衛生法の制定以来,平成11年改正まで変わっていない。
それ以前の昭和22年改正前の民法(以下「改正前民法」という。)及び精神病者監護法(明治33年法律第38号)の下でも,禁治産宣告がなされると,禁治産者に配偶者がいれば,配偶者が当然に後見人となり,精神病者の監護義務者は,後見人,配偶者,戸主の順番で当然に定まるとされており(精神病者監護法1条),戸主が優先して後見人,監護義務者となるものではなく,禁治産者に配偶者がいる限り,配偶者が後見人,監護義務者として監督義務者に該当すると解されてきたことは,平成11年改正前と同じであった。民法714条の監督義務者の損害賠償責任が家族共同体における家長の責任に由来するといわれることがあるが,改正前民法においても,戸主が後見人となるのは,禁治産者に配偶者がおらず親権を行う父又は母もいない場合に限られていた(改正前民法902条,903条)のであり,必ずしも「家長の責任」がわが国の法制における監督義務者の損害賠償責任の淵源ということはできない。

2 平成11年改正後の監督義務者平成11年民法改正によって後見人は「療養看護に努めなければならない」との規定(民法858条1項)が「成年後見人は,…事務を行うに当たっては,…心身

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の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。」と改正され,成年後見人が成年被後見人の行動の監督を求められるものでないことは多数意見の述べるとおりである。
成年後見人の負うとされる身上配慮義務は,審判による付与を含めても特定の法律行為の同意権,代理権を有するに留まる保佐人(民法13条の保佐人の固有の同意事項には厳密には法律行為に該当しないものも含まれているが,実質的には全てが法律行為といってよい。),補助人も,契約によって受託業務の代理権を付与される任意後見人も同種の義務として負担している(民法876条の5第1項,876条の10第1項,任意後見契約に関する法律6条)。このことにも,身上配慮義務が法律行為を行うについての善管注意義務の明確化であるという性質があらわれている。
したがって,精神障害者の日常行動を監視し,他害防止のために監督するという事実行為は成年後見人の事務ではなく,成年後見人であることをもって,民法714条の監督義務者として法定されたということはできない。
家庭裁判所実務における成年後見人等の選任についてみると,親族ではない第三者を成年後見人等に選任する比率は,本件事故のあった平成19年で27.7%(平成26年で65.0%)に達しており,成年被後見人の保有財産が一定額以上の案件では,親族を後見人としても専門職の後見監督人を選任する,又はこれに代えて専門職の後見人を選任することが原則的に行われている。成年後見人を法定監督義務者と解することは,このような実情にそぐわないものである。
成年後見人の要件として成年被後見人との一定の身分関係が求められているものではなく,また,このような選任の実情を前提とすると,成年後見が開始されてい

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れば成年後見人に選任されてしかるべき者が誰であるかを成年後見人選任前に想定することは困難・不相当である。
平成11年民法改正によって,配偶者等の親族がその法律上の地位の故に成年後見人に選任されることはなくなった。これは,改正前民法が配偶者等の本人と一定の身分関係にある者を法定の後見人とし,それがない場合にも親族会が後見人を選任するとしていた後見制度を,昭和22年改正民法を経て,成年後見制度を親族に基盤を置く制度とは異なるものとしたのであり,配偶者とか親とか子が成年後見人として選任される場合にも,その人は,法律上の地位の故にではなく,民法843条4項の基準に従って適任であるが故に選任されるのである。成年後見人に選任されてしかるべき者として親族が優先的に取り扱われる理由はない。
保護者については,平成11年改正により「保護者は,精神障害者…に治療を受けさせ,及び精神障害者の財産上の利益を保護しなければならない。と改められ,改正前の「精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」する義務があるとの規定は削除された。治療を受けさせる義務は,実質上,入院・通院していない精神障害者に通院をさせることに留まり,財産上の利益の保護も,身の回りの財産が散逸しないように看守するとか,荷物をまとめて保管するなどの事実上のものに留まる(第1審被告Y1はAの保護者に該当するが,AはD医師の診療を受けていたのであるから,治療を受けさせる義務を負うこともない。)。したがって,保護者をもって,民法714条の監督義務者に該当すると解することはできない。
このように,平成11年改正により,後見人が法定監督義務者であることを根拠付けていた民法858条の療養看護義務,精神保健福祉法の自傷他害防止の監督義

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務は存在しなくなったのであるから,改正後の法定監督義務者の解釈を改正前と連続性をもって行うことはその前提を欠くものである。
他方,精神科病院に入院している精神障害による責任無能力者については,精神科病院の管理者が,自傷他害のおそれによる入院を引き受け,入院患者の行動制限を行う権限を有しており(精神保健福祉法36条1項),行動制限の手続を含む処遇基準は大臣が定めるものとされている(同法37条1項)。介護施設についても,法令によって身体的拘束等の原則禁止とそれを行うについての適正手続が定められている。このように精神障害者が施設による監護を受けている場合,施設との間では,法令による定めによって,監護に関する権限とその行使基準が定められているのであり,これらの定めによる施設の負うべき義務は民法714条1項の法定監督義務に該当すると解する余地がある。施設による監護を受けている精神障害者の不法行為による施設ないし施設管理者の責任については,従来,学説上,同条2項の代理監督義務者の問題とされてきたが,このような観点からは,同条1項の法定監督義務者に該当するか否かの問題として検討されるべきであり,保護者,成年後見人が同項の法定監督義務者に該当しないと解しても,同項の法定監督義務者が想定されないことになるものではない。

3 (準)監督義務者と責任無能力者の保護

責任無能力の制度は,法的価値判断能力を欠く者(以下「本人」ともいう。)のための保護制度であるが,保護としては,本人が債務を負わされないということに留まらず,本人が行動制限をされないということが重要である。本人に責任を問わないとしても,監督者が責任を問われるとなると,監督者に本人の行動制限をする動機付けが生ずる。本人が行動制限をされる可能性としては,本人に責任を負わせ

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る場合よりも監督者に責任を負わせる場合の方が大きい。本人が責任を免れないとしても本人に財産がなければ監督者に本人の行動制限をする動機付けは生じないが,監督者に責任を負わせると本人の財産の有無にかかわらず,本人の行動制限をする動機付けが監督者に生ずるからである。
保護者の他害防止監督義務,後見人の事実行為としての監護義務の削除の理由は,保護者,後見人の負担が重すぎることであるが,その意味は,保護者,後見人に本人の行動制限の権限はなく,また,行動制限が本人の状態に悪影響を与えるために行動制限を行わないとすると,四六時中本人に付き添っている必要があり,それでは保護者,後見人の負担が重すぎるということなのである。
したがって,法定監督義務者以外に民法714条の損害賠償責任を問うことができる準監督義務者は,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなどの客観的状況にあるものである必要があり,そうでない者にこの責任を負わせることは本人に過重な行動制限をもたらし,本人の保護に反するおそれがある。準監督義務者として責任を問われるのは,衡平の見地から法定監督義務者と同視できるような場合であるが,その判断においては,上記のような本人保護の観点も考慮する必要があると解される。
他害防止を含む監督と介護は異なり,介護の引受けと監督の引受けは区別される。この点は岡部裁判官の意見に同感であるが,岡部裁判官とは,同居ないし身近にいないが環境形成,体制作りをすることも監督を現に行っており,監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情に該当し得るとする点で,意見を異にする。Aの介護の環境形成,体制作りは,第1審被告Y2だけが行ったものではない。24時間体制,365日体制,それが何年にも及び,本人の生活の質の維持をこころがける

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認知症高齢者の在宅での介護は,身近にいる者だけでできるものではないが,身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め,本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり,各人が合意して環境形成,体制作りを行い,それぞれの役割を引き受けているのである。各人が引き受けた役割について民法709条による責任を負うことがあり得るのは別として,このような環境形成,体制作りへの関与,それぞれの役割の引受けをもって監督義務者という加重された責任を負う根拠とするべきではない。

裁判官岡部喜代子の意見は,次のとおりである。

私は,多数意見の結論に賛成するものであるが,第1審被告Y2は法定の監督義務者に準ずべき者に該当するものの民法714条1項ただし書にいう「その義務を怠らなかったとき」に該当すると考えるのでその理由を述べる(以下,事実認定に係る部分は全て原審の認定したところによる。)。

1 Aには子が4人あり,上からF,第1審被告Y2,C,Gであるところ,Fは5歳の時に養子となって養家において養育されて現在に至り,第1審被告Y2は昭和57年までAと同居した後東京に転勤となったため家を出,Gは昭和48年に大阪の大学に入学して家を出,Cは昭和52年に結婚して家を出た。第1審被告Y2はA宅の近辺であるa市dに自宅(以下「Y2自宅」という。)を有しているが,これは第1審被告Y2が将来の両親の介護のためにA所有の土地上に第1審被告Y1との共有名義で建てたものである。上記のとおりの家族状況の中で,平成14年3月頃,第1審被告ら,C,BはAの介護について話し合い,Cの助言もあり,第1審被告Y1が1人でAの介護を担うことは困難であるとの共通の認識に基づいて,Bが単身Y2
自宅に移り住んで第1審被告Y1と2人でAの介護を行うこ

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とに決めたのであったが,このことについて第1審被告Y2はBが長男の嫁であるから当然のことであると考えていたというのである。以来,Bは毎日A宅に通って(時々泊まり込み)第1審被告Y1と共に介護にあたり,第1審被告Y2も月に1,2回a市に通い,本件事故直前には月3回くらいA宅を訪ね,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。この間,Cは介護の実務に精通していることから専門知識による助言を行っていたが現実には時折訪ねる程度であり,F及びGは介護には全く関与していなかった。Aの外出願望は平成14年11月頃には見られるようになり,3日に1回くらいはBが声かけをして散歩に連れ出し,またAが外出を希望したときはBが付き添うという方法で対処していた。平成17年,18年には1回ずつ無断で外出して行方不明になったことがあり,その後,第1審被告Y2はA宅玄関付近にセンサーを設置し,あるいは門扉に施錠するなどの対策をとったこともあった。
Aが要介護4の認定を受けた際は第1審被告Y2,C,BがAの介護の在り方について話合いを行い,Cからの,特養は希望者が多いため入居まで2,3年かかる,Aは家族の見守りにより自宅で過ごす能力を有している,特養に入ればAの混乱は更に悪化するとの助言もあって,従前同様の介護を続けることとした。
こうしてみると,第1審被告Y2はAの介護の節目節目で介護方針の決定に関与していたといえる。金銭管理については,Aが不動産仲介業を営んでいるときは,日常の帳簿付け,税務署との対応,預金通帳の管理は全て第1審被告Y1に任せ,Aは事務所の移転や不動産の購入・売却等の重要な事柄を決定していた。本件事故当時は,預金管理や不動産の賃貸借契約の更新・切替などのAの財産管理全般は専ら第1審被告Y1が行っていた点はAの稼働中と同様であるものの,Aの介護開始以来財産関係に変動を与えるような重要事項に関する決定がなされたことを

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うかがわせる状況は存在せず,不動産の購入・売却等の重要な事柄について誰が決定することになるのかについては認定されていない。第1審被告Y2は昭和57年以降横浜市に居住しているが,第1審被告Y2がa市に戻らなかったのはその職場が東京であったためであった。

2 そこで,第1審被告Y2が法定の監督義務者に準ずべき者といえるか否かを検討する。第1審被告Y2はもともと両親の介護を担う意思を有していたところ,平成14年3月頃,Aに認知症の症状が出た際の話合い(多数意見2(3)の話合い)において,妻であるBが単身Y2自宅に転居して第1審被告Y1と共に現実の介護を担うこととしている。このような形態の介護を行うについて第1審被告Y2の意向が大きな影響を与えたことは,BがAの介護を行うことは長男の嫁であるから当然であると第1審被告Y2が考えていたこと,Bの別居は第1審被告Y2の負担にもなること,上記1において述べたとおりの家族関係において中心的な立場にあって第1審被告Y2自身Aの介護を担うものとして自覚していたことによって裏付けられる。つまり,第1審被告Y2は,第1審被告Y1とBが現実の介護を行うという体制で,Aの介護を引き受けたということができる。ただ,その段階では介護を引き受けたものであって,必ずしも第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうかは明確ではない。しかし,その後,第1審被告Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであ

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ろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。確かに第1審被告Y2はAと同居していないが,加害防止義務の内容としては同居して現実に防止行動をすることだけを意味するわけではない。第三者に対する加害行為を行うことを実際に引き留める,実際に外出しないように実力を行使する,というような行動ばかりではなく,第三者に対する加害を行わないような環境を形成する,加害行為のおそれがある場合にはそれが行われないようにしかるべき人物に防止を依頼することができるようにするといった体制作りも含まれる。監督するという行為を行うには被監督者の行動を制御できることが必要であるが,その方法として現実の制御行動に限る理由は存在しない。第1審被告Y2においては,第1審被告Y1の見守りとBの外出時の付添い,週6回のデイサービスの利用という体制を組むという形態で,徘徊による事故防止,第三者に対する加害防止を行ったといえる。すなわち,第1審被告Y2には,少なくとも平成18年中に,第三者に対する加害行為の防止に向けてAの監督を現に行っており,その態様が単なる事実上の監督を超え,監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる。

3 次に,第1審被告Y2がその監督義務を怠らなかったといえるか否かについて検討する。

まず第1審被告Y2の採った監督体制は,デイサービスの利用,第1審被告Y1がAの見守りを行い,Bが外出時にAに付き添うというもので,上記1において述べた家族状況の下ではそのような体制を採ったことは合理的であり,第1審被告Y1及びBの現実の介護方法にも問題はない。問題となり得るのは,Aについて要介護4の認定がなされた際に特に監督体制を変更しなかった点である。確かにAの

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認知症の症状は悪化し,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ,常に介護を必要とする,常に目を離すことができない状態であると判断されているのであるから,従前とは異なる何らかの措置をとるべきであったとの意見もあり得るところである。しかし,そのようにいえるかについては,具体的状況の下でいかなる内容の監督義務を負っているかを検討しなければならない。
まず,本件において第1審被告Y2の監督義務の具体的内容は徘徊行動の防止措置であるところ,ここでいう徘徊は,Aの本件事故に係る徘徊行動そのものを示すのではなく,民法714条の監督義務における監督すべき行為の対象としての徘徊行為一般である。次に,監督義務の存否を判断する基準について考える必要がある。すなわち,法定の監督義務者に準ずべき者には,様々な根拠に基づく様々な状況があり,予見可能性,結果回避可能性の広狭,法的な義務として負わされる範囲など,多様な状況を想定することができる。本件の第1審被告Y2については,義務発生の根拠は意思であり,その立場は親族である。専門職にあるわけでもなく,専門知識を有するわけでもなく,人的な結び付きに基づく意思を有するのみという本件のような場合の判断基準は,一般通常人とするのが相当である。本件の下で2回の徘徊行為を行っているところからすれば,一般通常人を基準としても徘徊の予見可能性はあり,多数意見2(10)の話合いにおいて検討されたところからすれば,予見もしており,一般通常人としても徘徊行動の回避措置をとることは可能である。そこで第1審被告Y2が徘徊防止義務を怠っていなかったか否かを検討しなければならない。まず,要介護4と認定された時点で徘徊行為について従前と明確な変化があったことは認められていない。2回の行方不明後には警察にあらかじめ連

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絡するなどの対処をしている。事務所出入口から無断で外出し,排水溝に排尿するなどの行為は従前よりしばしばなされていたもののBが排尿後の面倒を見ており,そのような排尿行為から何らかの問題が生じたとは認められていない。Bは,朝7時にA宅に行き,寝ているAを起こして着替え及び食事をさせた後,デイサービスへ通所させ,Aが同所から自宅に戻った後は,お茶とおやつを出し,20分くらいAの話を聞いた後,Aが居眠りを始めると,Aのいる部屋から離れて台所で家事をするという日課であり,また,3日に1回くらいはAを散歩に連れ出し,夕食,入浴をさせてAが就寝したことを確認してY2自宅に戻るという生活をしていた。第1審被告Y1はBが家事をする間,Aが就寝している間などに,Aの側にいて外出しそうな場合はBに知らせていた。このような日課は確かに十分苦労の多いものといえるが,週6回のデイサービスの利用及び夜間A就寝後にはBはAの介護と付添いから解放されており,無理な体制であったとまではいえない。週6回のデイサービスの利用は,一般通常人としての徘徊防止措置としては相当効果のある対策を立てているといえよう。本件事故直前には第1審被告Y2自身も月3回くらい週末にA宅を訪ねて第1審被告Y1やBの体制に関与しようとする姿勢を見せてもいる。
仮に他の対策を立てるとなると,既にデイサービスを週6回利用しているところからすれば施設入所を検討することになろうが,施設入所はAにとって望ましいものではないとのCの助言などもある段階では,施設入所に至らなかったとしてもやむを得ないといわねばならない。Aの無断外出を防止するために門扉に施錠したこともあったがAがいらだって門扉を揺するなどしたために施錠は中止したこと,事務所出入口のセンサーがあったにもかかわらず本件事故当時電源が切られていたことというような問題もないわけではない。しかし,徘徊による問題が生じていたとい

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うような状況ではなく,第1審被告Y1とBによる体制が機能している上記の状況の下では,センサー等が機能するように設備を整えることを要求することは,一般通常人を基準とすると過大な要求といわざるを得ないのであって相当ではない。すなわち,第1審被告Y2は,Aの徘徊行動を防止するために,週6回のデイサービスの利用並びに第1審被告Y1及びBの現実の見守りと付添いという体制を組むことによって,Aの徘徊行為を防止するための義務を怠りなく履行していたということができるのである。第1審被告Y2の採った徘徊行動防止体制は一般通常人を基準とすれば相当なものであり,法定の監督義務者に準ずべき者としての監督義務を怠っていなかったということができる。

4 ここで,結論を同じくする大谷裁判官の意見について若干述べておきたい。

大谷裁判官の意見については利害の調整という観点から共感を覚えるものである。
しかし,成年後見人の成年被後見人に対する身上配慮義務から第三者に対する加害防止義務を導き出すのは無理があるのであり,成年後見人であっても,第三者に対する加害防止義務を認めるためには他の何らかの責任原因が必要であると考える。
成年後見人を法定の監督義務者ということはできないとする多数意見と同様の結論となる。多数意見は準監督義務者の要件として監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情を挙げているところ,その考え方は現代における民法714条の存在意義を認めたうえで,他害防止義務を負う根拠を説明し得ているので賛意を表したい。
そうすると,成年後見人であっても成年後見人であることから法定の監督義務者としての責任を当然に負うのではなく,上記要件を満たすときに準監督義務者としての責任を負うことになる。多数意見の述べるように,準監督義務者の責任が衡平のために諸般の事情によって認められるところによる引受けを根拠とする責任である

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ならば,その責任の内容は,従前説明されていたような団体的秩序を根拠とする家長等の絶対的責任とは異質なものであって,被監督者の行動についてほぼ無過失責任と同様の責任を負うべきであるとする根拠はない。準監督義務者の義務の履行について,諸般の状況により予見可能性,結果回避可能性を検討することが許されると解することが可能になる。民法714条は同法709条とは別個の義務として被監督者の一般的な行動に関する加害防止義務ではあるが,そうであるからといって準監督義務者に不可能を強いることはできない。以上述べたところを根拠として,本件においては一般人を基準として義務を怠らなかったといえるかどうかを検討してきたところである。

5 以上のとおりであるから,第1審被告Y2は法定の監督義務者に準ずべき者に該当するものの民法714条1項ただし書にいう「その義務を怠らなかったとき」に該当し,その責任を負わないものである。なお,第1審被告Y2が法定の監督義務者に準ずべき者に該当することは上記1において述べたとおりの諸般の事情に基づくものであって一般的に長男であることないし長男という立場に基づくものではないことを注意的に付言する。

裁判官大谷剛彦の意見は,次のとおりである。

1 私は,結論として多数意見と同じく第1審被告らは民法714条1項の法定の監督義務者としての損害賠償責任を負わないと考える。しかし,多数意見と異なり,同項の責任主体として法定の監督義務者に準ずべき者には第1審被告Y2が該当するが,第1審被告Y2はその義務を怠らなかったとして同項ただし書により免責されるものと考える。なお,この点では,岡部裁判官の意見と同じであるが,責任主体としての捉え方について考えを異にするので,意見を述べたい。

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2 民法714条の趣旨は,責任を弁識する能力がない者(同法712条の未成年者,同法713条の精神障害者等)が他人に損害を加えた場合に,その責任無能力者の行為については過失に相当するものの有無を考慮することができず,そのため不法行為の責任を負う者がなければ被害者の救済に欠けるところから,その監督義務者に損害の賠償を義務付けるとともに,監督義務者に過失がなかったときはその責任を免れさせることとしたものである(最高裁平成3年(オ)第1989号同7年1月24日第三小法廷判決・民集49巻1号25頁参照)。
また,民法714条の監督義務者について,判例は,直接に法定の監督義務者に当たらない場合においても,法定の監督義務者に準ずべき者という概念の下に,この立場にある者に責任主体性を認めてきている(前掲最高裁昭和58年2月24日第一小法廷判決)。

3 ところで,平成11年の民法等の改正の内容,及びその趣旨は多数意見4(1)アのとおりである。
この改正前の民法714条の「法定の監督義務者」としては,未成年者については,親権者,監護者,ないし未成年後見人が選任されていればその者が,一方,心神喪失者については,禁治産宣告がなされて後見に付されれば後見人(改正前民法8条)や精神衛生法上の保護義務者(同法20条,22条1項)がこれに該当すると解されてきたものといえよう。従前の後見人については,改正前の民法858条1項の後見人の職務規定に加え,自傷他害防止の監督義務が定められていた保護義務者の第1順位が後見人とされていたことも支えになって,法定の監督義務者性が根拠付けられていたと考えられる。
平成11年の民法改正においては,禁治産者についての後見人に代え,精神障害

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者については,成年後見開始の審判がなされて成年後見人が選任されると,成年後見人がその職務を行うことになり,一方,民法858条1項の職務規定は改正され,職務の内容に一定の変更も加えられた。また,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律22条1項も改正され,保護義務者の自傷他害防止の監督義務が削除された。
このように民法等の改正がされたところであるが,損害賠償規定の民法714条1項の責任主体に関する規定には何らの変更は加えられなかったところであり,従前の解釈との連続性という観点からすると,基本的に,成年被後見人の身上監護事務を行う成年後見人が選任されていれば,その成年後見人が「法定の監督義務者」に当たる者として想定されていると解される。仮に,身上監護を行う成年後見人が監督義務者に該当せず,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律における保護(義務)者制度も改められて監督義務者たりえないとすれば,平成11年改正(及び16年改正)において民法714条の責任主体規定は従前どおり維持されながら,およそ実定法上の法定の監督義務者が想定されない意味に乏しい規定として存置されたことになり,また,実定法上の監督義務者が存しないにもかかわらず,これに「準ずべきもの」や同条2項のこれに「代わって監督義務を行う者」が存するという,分かりにくい構造の規定となる。従前との連続性を踏まえて解釈しないと,上記2の同条の趣旨が没却されかねないと考えられる。
上記平成11年改正後の民法858条においては,成年後見人は,基本的に,「生活,療養看護に関する事務」(身上監護事務)と「財産管理に関する事務」(財産管理事務)を行うことを前提に,その「事務」(事実行為と対比される。)を行うに当たっての善管注意義務の内容として被後見人の「意思尊重義務」及び心

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身の状態と生活の状況の配慮義務(「身上配慮義務」)とが定められた。この改正の趣旨から,成年後見人の職務に関し,事実行為としての療養看護(療養看護労働)はその職務内容から除外されたことは明らかであるが,法的行為としての身上監護「事務」と財産管理「事務」は依然その職務内容とされている。この事務を行うに当たって,上記内容の善良な管理者の注意をもって処理する義務も規定されている(同法869条,644条)。改正前の後見人について,職務内容の「療養看護」に監督を含めて法定の監督義務者性が認められてきたが,これと同様の理由で,改正後の「生活,療養看護に関する事務」を職務内容とする成年後見人についても,法的な身上監護事務等を行うに当たって,相当な範囲の監督義務が含まれると解することができ,その限度では同法714条1項の責任主体として想定し得ると考えられる。

4 一方,民法714条1項ただし書の免責要件たる「監督義務者がその義務を怠らなかったとき」の「その義務」については,従前はこれを一般的監督義務として,監督義務者にほぼ無過失の責任を負わせる方向にあったが,責任主体として想定される成年後見人については,ここにいう監督義務者の義務も,改正後の同法858条が成年被後見人の意思尊重義務と身上配慮義務をその善管注意義務の内容として規定した以上,この規定に沿った従前よりは緩和された善管注意義務の懈怠(過失責任)の有無により免責が判断されることになる。
その意味で,成年後見人が責任主体になり得ると解しても,成年後見人に損害賠償の面で,多大な負担を負わせることにはならないと考えられる。

5 本件においては,精神障害者のうち,高齢者の認知症による責任無能力が問題とされるが,このような認知症による責任無能力者についての「生活,療養看護

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に関する事務」(身上監護事務)は,いわゆる介護(介護保険法等参照)として行われる。介護は,介護労務という事実的行為と介護体制を構築する事務的行為とからなる。現在の高齢者介護は,個人や家族の介護労務をもっては限界があって,公的又は私的な保健医療サービス及び福祉サービスと緊密に連携して適切な介護を行う必要があり,また複数の関係者が分担,協力して行う必要もあり,要介護者の意思や,心身の状態及び生活の状況に配慮しつつ,これらサービスも利用し,関係者の協力を得て,人的,物的に効果的な介護体制を構築し,この体制が効果的に機能しているかを見守ることこそ重要であって,この介護体制の構築等は,医療保険機関や介護福祉機関との契約関係,また関係者への委任関係など,つとめて法的な事務との性格を有するといえる。この介護体制の構築等は,責任無能力者の第三者に対する加害行為の防止のための監督体制に通ずるものといえる。
そうすると,高齢者の認知症による責任無能力者の場合において,民法714条1項における責任主体としては,身上監護の事務を行う成年後見人が選任されていれば,基本的にはこの成年後見人が,法的な事務との性格を有する介護体制の構築等をして適切な身上監護事務等を行う者として,法定の監督義務者に当たると考えられる。

6 ところで,本件においては,責任無能力のAについて成年後見開始の審判はなされておらず,成年後見人に選任された者はいない。ここにおいて,前記昭和58年判例にいう「法定の監督義務者に準ずべき者」が存在するか,第1審被告らがこれに当たるかが検討されなければならない。この場合も,高齢者の認知症による責任無能力の場合に,身上監護事務を行う成年後見人が法定の監督義務者として想定される以上,成年後見が開始されていればその成年後見人に選任されてしかるべ

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き立場にある者,その職務内容である適切な介護体制を構築等すべき立場にある者という観点から検討されるべきであろう。
成年後見人の選任に当たっての家庭裁判所の考慮事項は,民法843条4項に定められているが,被後見人についての生活,療養看護に関する事務を行う者は,実定法上,同法730条(直系血族及び同居の親族の相互の扶け合い),同法752条(夫婦の相互の協力,扶助)の定めと親和性を持つところから,第一次的にはこれらの者の中で,同法843条4項の事情を考慮して,能力,信用,利害関係等の点で成年後見人として選任されてしかるべき者が法定の監督義務者に「準ずべき者」として,責任主体として挙げられることになる。
なお,民法714条1項の「法定の監督義務者」に準ずべき者の責任範囲,同項ただし書の免責規定における注意義務の程度については,上記4と同様と考えられる。

7 以上の観点から,本件における民法714条1項の責任主体について検討するに,まず,配偶者としての第1審被告Y1及び直系血族(長男)としての第1審被告Y2が身上監護を行う成年後見人として選任されてしかるべき者かどうかが検討されよう。
この点の検討は,法定監督義務者に準ずべき者についての多数意見の判断枠組みにおいて第1審被告Y2の責任主体性を認める岡部裁判官の詳細な検討と共通するところであるので,改めて論ずることは避けるが,介護体制の構築等による監督体制という観点からしても,第1審被告Y2こそがその構築等について中心的な立場にあったと認めることができる。この観点からは,原審と多数意見の指摘する,第1審被告Y2がAと同居しておらず,現に監督を行っていなかったことは,「準ず

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べき者」の該当性判断の妨げとなるものではなく,他に第1審被告Y2の責任主体性を否定する事情はうかがわれない。
そうすると,本件では第1審被告Y2が,成年後見人に選任されてしかるべき者として,法定の監督義務者に準ずべき者に当たると認められる。

8 次に,第1審被告Y2において,監督義務者としての義務を怠っていなかったかどうかの免責要件について検討するが,この主張,立証責任は,条文の構成からみて被告側が負うこととなる。
この点についても,第1審被告Y2に責任主体性を認めた上,免責を認める岡部裁判官が詳細に検討されており,改めて論ずることは避けるが,第1審被告Y2をはじめ第1審被告ら家族の行ってきた介護,監督の体制は,Aの意思を尊重し,かつ,その心身の状態及び生活の状況に配慮した人的,物的に必要にして十分な介護体制と評価できるところである。そして,このような介護体制の構築等において中心的な立場にあったのが第1審被告Y2であったことは前述のとおりである。
原審は,事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源が入れられておらず作動しなかった点を監督体制の不備と指摘するが,元々はこのチャイムは事務所に出入りする客の出入りを把握するためのものであり,この装置の不作動を捉えて介護,監督体制の欠陥とみることは相当でない。
そうすると,Aに対する身上監護事務上の注意義務を怠っていなかったとの第1審被告Y2の立証は尽くされており,第三者との関係においても監督義務を怠っていなかったと認められ,第1審被告Y2は免責されてしかるべきと考えられる。

9 民法714条が,損害賠償の面で,精神上の障害による責任無能力者の保護と,責任無能力者の加害行為による被害者の救済との調整を図る規定であること

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は,上記2のとおりである。高齢者の認知症による責任無能力者の場合については,対被害者との関係でも,損害賠償義務を負う責任主体はなるべく一義的,客観的に決められてしかるべきであり,一方,その責任の範囲については,責任者が法の要請する責任無能力者の意思を尊重し,かつその心身の状態及び生活の状況に配慮した注意義務をもってその責任を果たしていれば,免責の範囲を拡げて適用されてしかるべきであって,そのことを社会も受け入れることによって,調整が図られるべきものと考える。

(裁判長裁判官 岡部喜代子,裁判官 大谷剛彦,裁判官 大橋正春,裁判官 木内道祥,裁判官 山崎敏充)