民法学の失敗の原因とその再生方法(その2)


民法学の失敗の原因とその再生方法(その2) -あるものをない,ないものをあるという不遜からの脱却方法-


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?
    • Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権
      • 1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている
        • A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する
        • B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する
        • C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている
      • 2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由
      • 3.所有権に基づく請求権の3類型
      • 4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係
        • A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)
        • B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)
        • C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)
      • 5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)
        • A. 事実の概要
        • B. 判決理由
        • C. 判例批評
      • 6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担
      • 7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)
        • A. リーディング・ケース
        • B. 事実の概要
        • C. 判決理由
        • D. 判例批評
    • Ⅲ 結論
    • Ⅳ 参考文献

Ⅰ 問題の所在


わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?

わが国の民法には,占有訴権は別として,本権としての物権に関しては,所有権に基づく請求権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないというのが,[鳩山・物上請求権(1930)117頁]以来のわが国の通説であり,これまで,これに異議を唱える学説は存在しなかった。

わが国の通説を代表する我妻説([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁])も,以下のように述べて,わが国には,所有権を含めて物権的請求権についての規定は存在しないとしている。

動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し,土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる。物権のこのような効力を「物権的請求権」または「物上請求権」という。民法は,占有についてこれを規定しているが,(§§198~200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない。

しかし,この記述は,明文の規定(民法193条,および,民法233条)を参照するならば,誤りであることが分かる。その理由は,以下の通りである。

第1に,民法193条は,「占有物が盗品又は遺失物であるときは,被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定している。そして,我妻説によれば,民法193条における「物の回復を請求すること」とは,「所有権又は質権を回復することである」[我妻=有泉コンメンタール民法(2013)409頁]と解しているのであるから,民法は,所有権に基づく返還請求について「何らの規定も設けていない」のではなく,民法193条という明文の規定によって,「動産の所有者は盗人に対してその返還を請求」することができることを明文で規定しているといわなければならない。

第2に,民法233条第1項は,「隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは,その竹木の所有者に,その枝を切除させることができる」と規定している。枝が倒れずに境界線を越えただけで,土地の所有者は,隣地の所有者に対して,竹木の枝の切除を請求できるのであるから,竹木が倒れてきた場合にも,その枝の切除を請求できることは当然であろう。すなわち,土地の所有者は,民法233条のもちろん解釈として,「隣地から倒れてきた樹木の除去を請求できる」と解すべきである。

このように考えると,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,なんらの規定も設けていないというのは「あるものをない」とする根拠のない暴論であるといわなければならない。


Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権


1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている

先に述べたように,わが国の民法を調べてみると,以下のように,所有権に基づく請求権が明文で規定されていることが分かる。第1に,所有権に基づく返還請求権を規定しているのが,民法193条(盗品又は遺失物の回復)であり,第2に,所有権に基づく妨害排除請求権を規定しているのが,民法233条第1項(竹木の枝の切除)であり,所有権に基づく妨害予防請求権を規定しているのが,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)である。さらに,民法は,第4に,所有権に基づく受忍請求権についても,民法233条第2項(竹木の根の切取り)など,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。これらの規定について,体系的に検討してみることにしよう。

A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する

所有権に基づく返還請求権については,わが国の民法は,少なくとも,1箇条ではあるが,民法193条が占有者に対する本権に基づく返還請求権を規定している。

この条文(民法193条)は,善意取得の例外の条文として,占有の箇所に規定されているため,占有訴権であるかのように見える。しかし,その内容は,盗品または遺失物の所有者が,占有を失っていることを前提にして,盗品または遺失物の占有者に対して,本権に基づいて,その返還を求めることを認めた規定である。したがって,この規定が,占有訴権とは異なる所有権に基づく返還請求権を含んでいることについては,疑いの余地がない。

B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する

わが国の民法は,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,少なくとも以下の3箇条の条文を有している。明文の規定であるため,それが,物権的請求権のうちの,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権であるかどうかは,誰の目にも明らかである。それにもかかわらず,「所有権に基づく請求権については,わが国は明文の規定を欠いている」という誤った考え方が,4半世紀にわたって通説・判例となってきたこと,しかも,今なお,それが学説の一致した見解であることが,わが国の民法学の最大の悲劇であるといってよい。

第1は,民法216条(水流に関する工作物の修繕等)であり,相隣関係の規定に含まれているものの,ある土地とその隣地の関係に限定されているわけではなく,工作物による危険が及ぶすべての土地に関連しており,単なる相隣関係の範囲を超えて,所有権に基づく妨害排除・予防請求権の典型的な規定として位置づけることができる。

第2は,民法233条1項(竹木の枝の切除請求)であり,隣地の枝が境界線を越えて土地の所有権を妨害している場合について,その土地の所有権者は,隣地の所有権者に対して,枝を切除することによって妨害を排除するよう請求できることを明文で認めている(なお,民法233条2項については隣地の根の所有者に対して,自らが妨害排除を行うことを忍容するよう求める請求権であり,受忍請求権の問題として後に検討する)。

第3は,民法234条(境界付近の建築の制限)であり,民法234条1項の境界線から50センチメートルの距離を保つことなしに建物を建築しようとしている隣地の所有者に対して,建築の中止,または,建築の変更を求めるものであり,これが,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権(建築差止請求権)である。この請求権が,民法199条の占有訴権とは別個の「所有権本権に基づく請求権」であることも,疑いの余地がない。

C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている

わが国の民法が,一般論としても,物権的請求権を認めていることは,民法202条1項が,「占有の訴えは本権の訴えを妨げず,また,本権の訴えは占有の訴えを妨げない」と規定していることからも明らかである。なぜなら,上記の本権の訴え(いわゆる物権的請求権)が,占有訴権と併存することを前提としているからである。

そこで,民法202条の意味について,本権である所有権に基づく請求権としての民法234条(境界付近の建築の制限)と占有訴権である民法199条(占有保全の訴え),201条2項(占有保全の訴えの提起期間)とを例に挙げて,両者の関係を整理しておこう。

たとえば,ある土地の所有者Aの隣地の所有者BがAとの境界線から50センチメートルの距離を置かずに建物を建築しようとしたとする。

第1に,Aは,Bに対して,占有訴権を選択し,民法199条および201条2項に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に「妨害の予防」として,工事の差止を請求することができる。第2に,Aは,Bに対して,本権の訴えを選択し,民法234条に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に,「建築を中止」または建築の「変更」を請求することができる」。

このように,民法は,所有権に基づく請求権と占有訴権の両者を明文で規定し,かつ,所有者は,両者をともに利用することができるとしているのである。

なお,ここで注意すべきは,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,民法234条が消滅時効(または除斥期間)を定めていることである。後に述べるように,通説・判例は,いわゆる「物権的請求権は消滅時効にかからない」と考えている。しかし,民法は,そのような一般化はしていないのである。わが国の民法は,いわゆる物権的請求権といえども,消滅時効にかかる場合があることを民法234条(境界付近の建築の制限)によって明確に規定していることに留意しなければならない。

2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由

現行民法とは異なり,旧民法財産編36条は,本権に基づく請求権(本権訴権)と占有訴権との関係を,以下のように一般的に規定していた。

旧民法 財産編 第36条
①所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し,証拠編に記載したるものは此限に在らず。
②又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。

現行民法は,旧民法財産編36条の規定を削除したのであるが,その理由は,それに反対したからではなく,「占有権及び時効に関する規定に因りて自から明らかなるが故」[民法理由書(1987)243頁]であり,旧民法財産編36条の考え方(本権訴権と占有訴権との併存)は,民法202条1項にそのまま受け継がれている。

言い換えると,いわゆる物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権は,わが国の民法に明文(民法193条,216条,233条,234条など)をもって規定されている。そして,民法202条は,それを当然のこととして規定している。つまり,民法の立場は,占有訴権と本権訴権(所有権に基づく請求権,用益権(賃借権)に基づく請求権を含む)とがあれば十分であり,それ以外に,一般的な物権的請求権の概念を必要としてないのである。

このように考えると,わが国の学説が一貫して主張してきた「わが国には物権的請求権に関する明文の規定は存在しない」という誤った命題を金科玉条のように信奉し,それを補うために,ドイツ民法の条文に頼ってきた民法学のあり方自体が問われることになる

むしろ,わが国の物権的請求権論は,民法の具体的な規定を考慮せずに,一般論を展開するものとなっているため,本来物権的請求権を認めるべきでない場合でも,安易に物権的請求権を認めるという問題を引き起こしている。

例えば,占有を伴わない抵当権についても,抵当権者による物権的請求権としての返還請求権まで認めている(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)。

最一判平17・3・10民集59巻2号356頁
抵当不動産の占有者に対する抵当権に基づく妨害排除請求権の行使に当たり,抵当不動産の所有者において抵当権に対する侵害が生じないように抵当不動産を適切に維持管理することが期待できない場合には,抵当権者は,当該占有者に対し,直接自己への抵当不動産の明渡しを求めることができる

この最高裁判決に対しては,批判的な学説があるものの,これを支持するのが多数説となっていることから,わが国の物権的請求権論は,危険な理論へと変化しており,わが国の物権的請求権論は,「ないものをある」とする点で,ドイツ民法を越えて,暴走しているといわざるをえない。

なぜなら,物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においては,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされているからである。

3.所有権に基づく請求権の3類型

物権的請求権には,物権的妨害排除請求権,物権的妨害予防請求権,物権的返還請求権の3種類があるというのが通説である。この3種類は,わが国の民法が占有訴権として規定してる占有保持の訴え(民法198条),占有保全の訴え(民法199条),占有回収の訴え(民法200条)に対応しており,その占有訴権の名称ではなく,その内容が,以下のように,「妨害の停止」(民法198条),「妨害の予防」(民法199条),「物の返還」(民法200条)となっていることに由来している。

第198条(占有保持の訴え)
占有者がその占有を妨害されたときは,占有保持の訴えにより,その妨害の停止及び損害の賠償を請求することができる。

第199条(占有保全の訴え)
占有者がその占有を妨害されるおそれがあるときは,占有保全の訴えにより,その妨害の予防又は損害賠償の担保を請求することができる。

第200条(占有回収の訴え)
①占有者がその占有を奪われたときは,占有回収の訴えにより,その物の返還及び損害の賠償を請求することができる。
②占有回収の訴えは,占有を侵奪した者の特定承継人に対して提起することができない。ただし,その承継人が侵奪の事実を知っていたときは,この限りでない。

これらの占有訴権は,占有を伴う物権を有する者(本権者)は,当然に,これを利用できる。また,占有に関する本権には,賃借権者,受寄者等も含まれるのであり,占有を伴う債権も本権となるので,債権者においても,占有訴権を利用することができる(民法202条)。反対に,物権であっても,占有を伴わない物権,たとえば,先取特権,抵当権等は,占有訴権を有しない。

物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においても,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされている。

4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係

所有権に基づく請求権に関しては,誰が相手方の行為を請求できるのか,それとも,所有権者が自力で妨害を排除することを相手方に受忍するように求めることができるだけなのかが問題となる。この問題については,以下の順序を追って考察するのが適切である。

第1に,1つの条文の中で,所有権に基づく妨害排除に関して行為請求権と受忍請求権とをかき分けている民法233条について分析する。第2に,受忍請求権に特化して,隣地への立ち入りを認めることを規定している民法209条について分析する。第3に,妨害排除・妨害予防を含めて,行為請求権を規定している民法216条と234条とを,請求権の主体と相手方の特定の問題を含めて考察する。

A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)

行為請求権と受忍請求権との違いを明確に規定しているのは,民法233条である。民法233条1項は,甲土地(隣地)の竹木の枝が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合に,乙土地の所有者に,その枝を切除するように請求する権利(所有権に基づく妨害排除請求権)を認めている。

これに対して,甲土地(隣地)の竹木の根が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合には,乙土地の所有者に,その根を切り取ることを認めている。これは,一見,自力救済を認めたものであるかのように見えるが,実は,乙土地の所有者が自ら妨害排除を行うことを甲土地(隣地)の所有者が受忍しなければならないという義務が法律によって課され,その結果,乙土地の所有者は,妨害目的物の所有者である甲土地(隣地)の所有者に対して,妨害を排除することを受忍せよとの受忍請求権を取得しているのである。

同じ土地所有権を妨害する物でありながら,竹木の枝と根とを区別したのは,なぜか。それは,以下の2つの考慮によるものと考えられる。

第1は,民法211条1項に規定されている原理であるが,権利者にとって「必要であり,かつ,他の土地のために損害が最も少ないものを選ばなければならない」という,所有権に基づく請求権に関する根本原理としての「必要かつ損害最小限の原理」への考慮が働いていると考えられる。

甲土地の竹木の枝が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合には,乙土地の所有者が甲土地の境界を越えて切除するのではなく,甲土地の所有者にその枝を切除させる方が,損害を最小限に抑えることができる。なぜなら,甲土地の所有者は,妨害を除去するために,枝のどの部分から切除するかを決定することができからである。しかも,場合によっては,その竹木を移植することによって,乙土地の所有権の妨害が停止され,かつ,甲土地の所有者にとっても損害が全くないという結果を実現することも可能となる。

これに対して,甲土地の根が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合は,甲土地の所有者が乙土地の境界を越えて根を切り取るのではなく,乙土地の所有者にその根を切り取らせる方が,損害を最小限に抑えることができる。乙土地の所有者は,根を元から切り取るのではなく,妨害が生じている部分だけを切り取るという選択をすることによって,甲土地の所有者の損害を最小限に抑えることが可能となるからである。

第2は,妨害が妨害する側の者の目に見えるか,目に見えないかの区別(帰責性への考慮)があると考えられる。目に見える妨害の場合には,妨害をしている方(枝をはみ出させている帰責性のある甲土地の所有者)に妨害排除義務を課すのが適切である。これに対して,妨害が目に見えない場合には,帰責性のない妨害者ではなく,妨害を受けている側(根によって妨害を受けている乙土地の所有者)に相手方への受忍請求権を与えるのが適切である。

甲土地の竹木の枝が,見える部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者に帰責性があるため,乙土地の所有者に相手方に対する行為請求権(枝を切り取るという行為請求権)を認めるのが妥当である。これに対して,甲土地の竹木の根が見えない部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者には帰責性が認められないため,乙土地の所有者に行為請求権を与えるのではなく,相手方に対する受忍請求権(根の切り取りを受忍せよとの権利)を認めるのが妥当である。すなわち,妨害者に帰責性がある場合には,所有者に行為請求権を与え,妨害者に帰責性がない場合には,所有者に行為請求権ではなく,受忍請求権を認めるのが適切である。すなわち,所有権に基づく請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるということになる。

物権的請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるという考え方は,阪神淡路大震災のように,不可抗力によって甲土地の建物や竹木が倒れて乙土地の所有権を侵害している場合を想定してみるとよくわかる。このような場合には,所有権に基づく請求権を絶対視して,甲土地の所有者に対する乙土地の所有者の行為請求権を認めるのは適切ではなく,逆に,甲土地の所有者が,乙土地に立ち入って後片付けをすることを認める,すなわち,妨害者である甲土地の所有者の方に,乙土地の所有者に対する受忍請求権(立入請求権)を認めるのが妥当であろう。このように,所有権に基づく受忍請求権は,妨害者に帰責性のない場合の解決方法として,デフォルト値(初期値)として尊重することが適切である。

B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)

受忍請求権を考える上で,重要な論点のひとつに,たとえば,甲土地の所有者の洗濯物が風で飛ばされて乙土地の上に落下したり,甲土地でボール遊びをしていてボールが,乙土地に飛んでいったりしたような場合に,甲土地の所有者は,乙土地に立ち入って洗濯物やボールを探して引き取ることを要求できるかどうかである。この点について,ドイツ民法には,以下のような明文の規定がある(ドイツ民法867条)。

§867
BGB
(占有者の探索・引取の忍容請求権)
物が占有者の支配を離れて他人の占有する土地の上に移動した場合に,土地の占有者がその物を自己の占有に移転しない間は,その物の探索(Aufsuchung)及び引取り(Wegschaffung)を忍容しなければならない。その場合において,土地の占有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の占有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。

わが国には,上記のような他人の土地への立入忍容請求権についての明文の規定がない。このため,このような請求権は,物権的請求権の3つの類型に該当せず,第4の類型として独立した類型と考えるべきであるとの主張がなされている[山田・引取請求権(1983)1頁以下]。

しかし,このような請求権は,先に述べたように,所有権に基づく妨害排除請求権について,相手方が進んでその義務を履行しようとするものに過ぎない。すなわち,これは,妨害排除義務を負う側の方から,自ら妨害排除を行うことの認容を求めるものに過ぎず,妨害排除に関する忍容請求権として位置づければ足りる。

確かに,民法233条2項(竹木の根の切り取り)の場合には,妨害を受けた乙土地の所有者から,根の所有者(甲土地の所有者)に対して,根の切り取りを受忍する請求権を認めている。しかし,一定の要件を満たした場合には,逆に,根の所有者(甲土地の所有者)が自ら妨害を排除すること,すなわち,乙地に立ち入って根を切り取ることの認容を請求することを認める方が効率的な場合もありうる。その場合が,「必要かつ損害最小限」の原則(民法211条1項)を満たす場合には,甲土地の所有者からの乙土地への立入受忍請求権が認められるべきであろう。

民法の相隣関係の最初の規定である民法209条が,隣地への立入受忍請求権を規定していることは,この意味で,重要な意義を有するといえよう。したがって,立入受忍請求権を物権的請求権の第4類型とすることを提唱する学説[山田・引取請求権(1983)1頁以下]
が,条文上の根拠として民法209条の類推を示唆しているのは,むしろ,当然のことといえよう。

このようにして,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,所有権に基づく返還請求権(民法193条),所有権に基づく妨害排除請求権(民法216条,民法233条1項),所有権に基づく妨害予防請求権(民法216条,234条)の3類型ばかりでなく,所有権に基づく妨害排除・予防請求権を実現するために,権利者から妨害者に対する受忍請求権(民法233条2項),または,妨害者から所有者に対する受忍請求権(民法209条)といういわゆる第4の類型も認めており,条文の数は少ないとはいえ,内容的には,所有権に基づく請求権のすべての類型について,ドイツ民法に劣らない明文の規定を有していることが明らかになったと思われる。

C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)

所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,侵害を受けた,または,侵害の恐れがある所有者から,妨害者に対して行為請求権が請求できるのは,妨害者に帰責事由がある場合であり,妨害者に帰責事由がない場合には,所有者には,行為請求権ではなく,妨害排除に関する受忍請求権が認められていることについては,民法233条,および,民法209条の分析を通じて明らかにした。

このことを,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,所有者に行為請求権を認めた民法216条,234条を通じて再確認することにしよう。

民法216条は,土地に貯水,排水又は引水のために設けられた「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定している。この場合において,工作物の破壊又は閉塞により,所有権侵害,または,損害の発生することは,工作物のある土地の所有者にとって予見可能であり,かつ,その回避が可能である。したがって,工作物の所有者に帰責事由があることは明らかであり,行為請求権が認められている。

また,民法234条の場合にも,所有権に基づく建築差止め,または,建築変更の請求権が認められるためには,建物を築造しようとする者に,民法234条1項の違反(境界線から50センチメートル以上の距離を保つべきことに対する違反)があることが要件とされており,したがって,行為請求権が認められている。

なお,民法234条は,物権的請求権について,1年間の除斥期間を認めており,所有権に基づく請求権は,時効にかからないという命題が,普遍的な命題ではないことを明らかにしている点でも注目に値する。

5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

所有権に基づく請求権の法的性質,種類等が明らかになると,次に,所有権に基づく請求権間の競合の問題をも容易に解決することができる。以下の例は,境界を接する宅地と田との間で,土砂が落下して迷惑をしている田の所有者が妨害排除請求をすることができるのか,それとも,田を作る際に土砂が崩壊しないように配慮すべきであったことを理由に,家屋の崩壊のおそれがある敷地の所有者が,田の所有者に対して妨害予防請求をできるのかが争われた事例である(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件
土地の所有者は,其の隣地が自己の所有地内に崩壊するの危険ある場合に於ては,該危険が隣地所有者の行為に基きたると否とを問はず,又,隣地所有者に故意過失の有無を問はず,隣地所有者に対し該危険の防止に必要なる相当設備の施行を請求することを得るものとす。

A. 事実の概要

X(被控訴人,原告)の先代Aの所有宅地に隣接して畑を所有するBは,①昭和7年5月,その畑を掘下げて水田に変換するに際し,A所有の宅地との境界線上から垂直に掘下げたため,Aの宅地とBの水田との境界に直高約73cmの断崖を生じさせた。②Y(控訴人,被告)は昭和10年2月12日,Bからこの水田を買受けて所有権を取得し,③Xは同年3月30日,先代Aの死亡による家督相続の結果,Aの宅地の所有権を取得した。現在のところ,④XとYの両地の境界における断崖は,一部は斜面となり,一部はその下部において窪んで洞窟状となり,そのような断崖の状況は,過去においてX所有宅地の土砂がY所有水田内へ崩落したためであり,一方,X所有の宅地上には境界からわずか約1.8mを距てて住居としての家屋があり,しかも,Xの宅地の地質は砂地であるため,Xの宅地は将来,その断崖からYの水田内へ自然崩壊する危険が生じている。

case1_46

上記の事実関係に基づき,⑤Xは,その宅地の所有権に基き,Yに対して,断崖の崩落の危険を予防するため,特定の設備の施行を求めたところ,原審は,Xの主張を入れて,Yに対し,危険防止に必要な特定の設備の施行を命じた。そこで,これを不服として,Yが上告した。

B. 判決理由

上告棄却。

凡そ所有権の円満なる状態が他より侵害せられたるときは,所有権の効力として其の侵害の排除を請求し得べきと共に,所有権の円満なる状態が他より侵害せらるる虞あるに至りたるときは,又,所有権の効力として,所有権の円満なる状態を保全する為,現に此の危険を生ぜしめつつある者に対し,其の危険の防止を請求し得るものと解せざるべからず。

土地の所有者は,法令の範囲内に於て,完全に土地を支配する権能を有する者なれども,其の土地を占有保管するに付ては,特別の法令に基く事由なき限り,隣地所有者に侵害又は侵害の危険を与へざる様,相当の注意を為すを必要とするものにして,其の所有にかかる土地の現状に基き,隣地所有者の権利を侵害し若くは侵害の危険を発生ぜしめたる場合に在りては,該侵害又は危険が不可抗力に基因する場合,若くは,被害者自ら右侵害を認容すべき義務を負ふ場合の外,該侵害又は危険が自己の行為に基きたると否とを問はず,又,自己に故意過失の有無を問はず,此の侵害を除去し,又は,侵害の危険を防止すべき義務を負担するものと解するを相当とす

果して然らば,被上告人は,其の土地所有権に基き,現に隣地の所有者たる上告人に対し,右危険の防止に必要なる相当設備を請求する権利を有すること前説示するところに照し,洵に明白なりと云ふべく,従て被上告人の右請求を容認したる原判決には所論の如き違法あるものにあらず。

原審は証拠に依りて,被上告人所有の本件宅地は,将来,其の断崖面に於て上告人所有の水田地内に自然崩壊するの危険あること,並に,右宅地上には人の住居に供する家屋あり,該家屋と前記崩落の虞ある個所との距離は僅々約一間なることを認定し,斯くては安んじて右宅地上に生活を営むを得ざるものなりと為し,本件宅地の崩壊に因りて生ずることあるべき損害は極めて重大なりと判示したるものにして,かかる重大なる危険に対し,原判決主文表示の如き予防設備を命じたるは洵に相当にして,上告人に対し過大の負担を課したるものと為すを得ず。

C. 判例批評

本件は,従来の物権的請求権に関する学説(行為請求権説,受忍請求権説,責任説)のうち,どの説が最も妥当な説かを判断する試金石として,重要な意義を有する事案である。なぜなら,本件は,土砂の落下による侵害を被っているYがXに対して妨害排除請求をするのが通常のように見える事案であるにもかかわらず,判例は,それとは逆に,XにYに対する予防工事の請求を認めることを通じて,自分の土砂を落下させているXから,いかにも被害者に見えるYに対する妨害予防請求権を認めており,判例法理の理論的根拠の解明が望まれているからである。

判決は,この点に関して,妥当な結論を述べているのであるが,その根拠となる条文を示していない。しかし,民法の条文を丁寧に検索すると,本件の紛争を解決するにふさわしいいくつかの条文を見つけることができる。それらの条文を活用して,様々な解決方法を模索した後,本件の解決に最もふさわしい条文を選び出すことにしよう。

第1は,本件判決が示しているように,Xの請求を認め,Yに妨害予防措置として,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を義務づけることである。判例は,民法の条文を引用することなく,物権的請求という根拠のない概念を使っているが,物権的請求権という概念が安易に用いられるべきでないことは,すでに述べた。民法にない概念を無理に使う前に,まず,民法にある具体的な条文が活用されるべきである。

民法216条を見てみよう。「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」という,本件に利用できそうな規定があることがわかる。もっとも,この規定は,すべての工作物ではなく,「上流にある貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という限定が加えられている。これに対して,本件の事案では,いわば下流の施設について上流の土地所有者が請求するという逆向きの請求になっている。そこで,民法216条については,予防工事が認められる要件を厳密に検討し,その検討の結果を踏まえて,多少の抽象化(類推の可能性)を図る必要がある。

民法216条が,所有権に基づいて,予防工事を認めているのは,第1に,貯水,排水又は引水のために設けられた工作物によって他人の土地に損害が生じるおそれが生じているからであるが,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という制限は,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある土地工作物」一般に置き換えることが可能である。そのような抽象化の代わりに,「危険な土地工作物の設置については,設置者の帰責性が要求される」という制約条件を付加することによって,抽象化による危険を回避することができよう。つまり,民法216条は,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」だけでなく,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある工作物の設置・保存に瑕疵がある場合」にも類推が可能であると考えられる。

この考え方を本件の事案に応用してみよう。Yが行った行為は,畑を水田という設備に作り直す際に,民法237条の趣旨を無視して,境界から距離を置かずに田を設置した結果,危険な断崖が生じていると考えられる。そうだとすると,本件の危険な断崖について,民法216条の規定を類推することができると思われる。

通常であれば,土砂を他の土地(田)に落下させているXに対して,田の所有者であるYから妨害排除の請求ができそうにも見える。しかし,本件においては,危険な崖を作り出したことについて,帰責性のあるのはYであって,Xにはないことが重要である。この点を考慮して,通常なら認められるはずのYからの妨害排除請求を否定し,Xからの予防工事請求のみを正当化できる点に,この考え方のメリットがある。

第2は,Yがやるべきことをやらないのであるから,Xの方からYの土地に立ち入り,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を行うことを認めることである。その際,これらの場合において,費用負担は,誰がすべきだろうか。

相隣関係の最初の規定である民法209条は,「境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定してる。したがって,Xの方からYの田に立ち入って,土地の崩壊防止に必要な障壁を築造または修繕することができる。

第3に,判決の結論とは逆に,YにXに対する妨害排除請求(落下物に対する予防・妨害排除請求)を認めることはできるであろうか。

もしも,通説のように,条文の根拠なしに,無過失責任としての物権的請求権を認めることになると,Xの土地から落下している土砂に対して,Yから妨害排除請求を認めることも可能となるはずである。

しかし本件の場合,土砂の落下の原因である断崖を作ったのは,Yの前主であるBであり,Bが作成した危険な状態を放置しているために土砂の落下が生じても,妨害排除請求は認めるべきでないと思われる。

しかし,その結論(土砂の落下の危険にさらされているYの物権的請求権を否定する)を導くための理論は,費用負担は別として,通説のように,無過失責任としての物権的請求権の存在を認める以上は,見つからないのではないだろうか。

この問題を解決するために,物権的請求権とは,侵害者にたいする作為請求権ではなく,侵害者に対する忍容請求権に過ぎない。すなわち,Xは,Yに対して,「危険の防止に必要なる相当設備」を請求する権利という作為請求権を有するのではなく,XがYの土地に立ち入り,Yの費用で「危険の防止に必要なる相当設備」を設置することを受忍せよという,忍容請求権を有するに過ぎない(前記の第2の解決方法しか認めない)という考え方がある。しかし,この考え方によれば,本件における妥当な結論である判例の見解を否定しなければならなくなる上に,民法が明文で認めている216条の「工作物の修繕・障害の除去・予防工事請求権」,および,民法235条の「目隠し設置請求権」を否定することになり,わが国の民法の解釈論としては成り立たない考え方であろう。

もっとも,忍容請求権の考え方自体が否定されるべきではない。むしろ,不可抗力の場合,すなわち,侵害者に故意または過失がない場合,または,所有者に忍容義務がある場合には,所有者の行為請求権が成立しないという意味で,認容請求権(忍容義務)は,大きな意味を有している。

判決のような妥当な結論を導くためには,ドイツから輸入された一般的な物権的請求権という考え方にとらわれるのではなく,わが国の民法に規定された,占有訴権,および,相隣関係において規定されている所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関する条文およびその趣旨を考慮した上で,具体的な事例に適合することのできる緻密な解釈論を展開すべきではないだろうか。

このように考えると,大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件の判旨は,最高裁民事判例集に掲載された,判決理由の法理を反映していない不正確な要旨とは異なり,以下のようにまとめることができよう。

〔1〕甲土地の所有者は,隣接する乙土地の所有者,または,前主が境界線上より掘り下げて断崖を生じさせ,甲土地(宅地)に自然崩壊の危険を生じさせた場合には,乙土地の所有者に対して,危険防止に必要な相当の設備の施行を請求することができる。

〔2〕乙土地の所有者は,隣接する甲土地の土砂が乙土地に崩落する危険があり,または,土砂が崩落している場合には,原則として,甲土地の所有者に対して侵害の防止または除去を請求することができる。ただし,その原因が,不可抗力による場合,または,自ら若しくはその前主が乙土地を境界線上より垂直に掘り下げて断崖を生じさせたことによるため,その侵害を受忍する義務がある場合には,乙土地の所有者は,甲土地の所有者に対して,侵害の防止または除去を請求することができない。

6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担

所有権に基づく請求権に関しては,だれが費用を負担すべきかが問題となる。わが国の民法には,物権的請求権についての規定はなく,費用負担についての規定もないとされてきた。しかし,相隣関係の規定全体を見ると,費用負担に関して,以下の原理を抽出することができる。

第1に,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条),または,「費用の増加額を負担しなければならない」(民法227条但し書き)と規定されている。

第2に,両者の利益になる場合には,「利益を受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)と規定されている。

第3に,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)と規定されている。

7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)

所有権に基づく請求権は,所有権者が,その目的物の排他的な支配(使用・収益,換価・処分)を侵奪,または,侵奪以外の方法で妨害している者に対して,物の返還,または,物の妨害の除去,または,妨害の予防を請求する権利である。したがって,所有権に基づく請求権の権利主体は,目的物の所有者であり,相手方は,目的物を侵奪したり,妨害したり,妨害のおそれを生じさせている者である。

所有権に基づく請求権の相手方については,所有権の目的物を妨害している占有者であるのが原則である。しかし,例外として,占有をしていないがその物の処分権を有している者,処分権を有するとの外観を有している者も含まれると解されている。

例外として,目的物の登記名義人も,所有権に基づく請求権の相手方となることを明らかにしたのは,平成6年最高裁判決(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)である。

A. リーディング・ケース

最三判平6・2・8民集48巻2号373頁(建物収去土地明渡請求事件)(民法判例百選Ⅰ第47事件)
甲所有地上の建物の所有権を取得し,自らの意思に基づいてその旨の登記を経由した乙は,たとい右建物を丙に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,甲に対し,建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできない。

B. 事実の概要

X(原告,控訴人,上告人)は,平成2年11月5日,本件土地を競売による売却により取得したが,本件土地上には,本件建物が存する。本件建物はYの夫であるAの所有であったが,Aが昭和58年5月4日に死亡したため,Yが相続によりこれを取得して,同年12月2日にその旨の登記を経由した。Yは,同年5月17日,本件建物をBに代金250万円で売り渡したが,登記簿上,本件建物はY所有名義のままとなっている。

本件訴訟において,Xは,本件建物の所有者はその所有権移転登記を有するYであり,同人が本件建物を所有することにより本件土地を占有していると主張して,所有権に基づき本件建物収去による本件土地明渡しを求めるのに対し,Yは,Bへの売却により本件建物の所有権を失ったから本件土地を占有するものではないと主張するところ,原審は,右事実関係の下において,Yの主張を容れ,Yが本件建物を所有し本件土地を占有しているとのXの主張は理由がないとして,Xの右請求を棄却すべきものとし,これと同旨の第一審判決に対するXの控訴を棄却した。これを不服として,Xが上告。

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C. 判決理由

破棄自判。

1 土地所有権に基づく物上請求権を行使して建物収去・土地明渡しを請求するには,現実に建物を所有することによってその土地を占拠し,土地所有権を侵害している者を相手方とすべきである。したがって,未登記建物の所有者が未登記のままこれを第三者に譲渡した場合には,これにより確定的に所有権を失うことになるから,その後,その意思に基づかずに譲渡人名義に所有権取得の登記がされても,右譲渡人は,土地所有者による建物収去・土地明渡しの請求につき,建物の所有権の喪失により土地を占有していないことを主張することができるものというべきであり(最高裁昭和31年(オ)第119号同35年6月17日第二小法廷判決・民集14巻8号1396頁参照),また,建物の所有名義人が実際には建物を所有したことがなく,単に自己名義の所有権取得の登記を有するにすぎない場合も,土地所有者に対し,建物収去・土地明渡しの義務を負わないものというべきである(最高裁昭和44年(オ)第1215号同47年12月7日第一小法廷判決・民集26巻10号1829頁参照)。

2 もっとも,他人の土地上の建物の所有権を取得した者が自らの意思に基づいて所有権取得の登記を経由した場合には,たとい建物を他に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,土地所有者に対し,右譲渡による建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできないものと解するのが相当である。けだし,建物は土地を離れては存立し得ず,建物の所有は必然的に土地の占有を伴うものであるから,土地所有者としては,地上建物の所有権の帰属につき重大な利害関係を有するのであって,土地所有者が建物譲渡人に対して所有権に基づき建物収去・土地明渡しを請求する場合の両者の関係は,土地所有者が地上建物の譲渡による所有権の喪失を否定してその帰属を争う点で,あたかも建物についての物権変動における対抗関係にも似た関係というべく,建物所有者は,自らの意思に基づいて自己所有の登記を経由し,これを保有する以上,右土地所有者との関係においては,建物所有権の喪失を主張できないというべきであるからである。もし,これを,登記に関わりなく建物の「実質的所有者」をもって建物収去・土地明渡しの義務者を決すべきものとするならば,土地所有者は,その探求の困難を強いられることになり,また,相手方において,たやすく建物の所有権の移転を主張して明渡しの義務を免れることが可能になるという不合理を生ずるおそれがある。他方,建物所有者が真実その所有権を他に譲渡したのであれば,その旨の登記を行うことは通常はさほど困難なこととはいえず,不動産取引に関する社会の慣行にも合致するから,登記を自己名義にしておきながら自らの所有権の喪失を主張し,その建物の収去義務を否定することは,信義にもとり,公平の見地に照らして許されないものといわなければならない。

3 これを本件についてみるのに,原審の認定に係る前示事実関係によれば,本件建物の所有者であるYはBとの間で本件建物についての売買契約を締結したにとどまり,その旨の所有権移転登記手続を了していないというのであるから,Yは,Xに対して本件建物の所有権の喪失を主張することができず,したがって,本件建物収去・土地明渡しの義務を免れないものというべきである。

そうしてみると,本件建物の譲渡を理由に被上告人は本件土地の占有者に当たらず,建物収去・土地明渡しの義務を負わないとした原審の判断には,右明渡義務が認められる場合についての法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,その趣旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れず,前示事実関係に照らせば,上告人の請求は認容すべきものである。

D. 判例批評

通説([司法研修所・類型別(2006)58頁])は,建物所有による土地の占有によって土地の所有権が侵害されている場合,土地所有者には,土地返還請求権が発生するだけであって,建物収去は,土地明渡しの手段ないし履行態様であるにすぎないと考えている(訴訟物1個説)。この見解に基づいている本判決においても,参照条文には,返還請求権に関する民法200条しか挙げられていない。

しかし,これに対して,[遠藤・注解財産法2(1997)27頁]は,建物収去と土地明渡しの執行方法は明らかに異なるから,建物の収去が土地明渡しの手段ないし履行態様にすぎないというのは無理があると批判している。確かに,建物収去が認められなければ土地明渡しも認められないのであるから,両者は密接不可分の関係にあり,両者を1つの訴訟物と考えることも可能であるように見える。しかし,建物収去が認められないままに(たとえば,建物買取請求権が認められた場合など)土地明渡し請求のみが認められることがあるのであるから,建物収去と土地明渡しとは,別の訴訟物と考えるべきであろう(訴訟物2個説)。通説・判例が,旧訴訟物理論を採用しながら,根拠条文も執行方法も異なる建物収去(民法198条)と土地明渡し(民法200条)とを1つの訴訟物であるとするのは,ご都合主義のそしりを免れない。

訴訟物1個説を主張する[吉川・明渡請求の要件事実(2005)89頁],[塚原・民事裁判の主文(2006)113頁]が,請求の趣旨に関して,「建物を収去して目録記載の土地を明け渡せ」と書くべきところを,「収去して」の後に「,」(読点)を入れると,訴訟物に関する2個説のように読めるので,これを入れるべきでないとするのは,要件事実論者の本質(不親切の親切)がよく表れている。

この判決は,競売による土地の買受人に,建物収去(妨害排除)および土地明しを認めた判決である。しかし,建物収去の相手方が,建物の収去権を有している者(建物の現在の所有者B)ではなく,単にその建物の登記名義人である者(建物の売り主Y)であり,しかも,土地明渡しの相手方も,土地を全く占有していない者(Y)であり,Yに対して土地明渡しの判決を下しても,Yは,本件土地も建物も占有していないのであるから,何の執行もできない実現不能な判決である。

判決は,Xとの関係では,Yを土地所有者だと認定し,その理由を民法177条に求めている。しかし,民法177条は,不動産物権を取得しても,登記がなければ,第三者に対抗できないとする規定であり,反対に,登記を得ていれば,第三者に所有権の取得を対抗できるという,公信力を認めた規定ではない。

本件の適用条文は,所有権に基づく建物収去という,所有権に基づく妨害排除請求権(民法189条の類推),および,所有権に基づく土地の明渡しという,所有権に基づく返還請求権(民法200条の類推)に求められるべきであり,請求の相手方は,当該土地の所有権を妨害している者に対する妨害排除と返還請求である。本件の場合,被告となっているYは,土地を占有しているわけではなく,土地の上にある建物について,すでにその建物をBに譲渡したが,登記名義だけが残っているにすぎない者であり,妨害があるとすれば,Bに移転登記をすべき義務を負っているだけであり,これを実現するには,Bの協力が必要であるため,Xは,Aの権利に代位して,Bに対して登記の移転を受領すべき訴えを提起すべきであって,Yを相手方とする根拠はどこにも存在しない。

本判決は,訴訟の相手方の選択の誤りを,実体法の問題として解決しようとしたところにそもそもの誤りがあり,下された判決も,当事者を誤っているために,理論上は,執行不法の判決といわざるを得えない。

訴訟の相手方を誰にするかは,それ自体が困難な問題であるが,それは,すべての訴訟につきまとう問題であり,今回の事件は,原告が訴訟の相手方を誤った事件に過ぎず,最高裁は,1審,2審の判断を尊重すべきであったのを,公平の観点を持ち出して破棄したものであるが,結果は,惨憺たるものであり,無価値な判決である。

最高裁は,これに懲りることなく,駐車場に放置された自動車の妨害排除事件(車両撤去土地明渡事件)について,1審,2審の請求棄却判決を破棄し,自動車の所有名義人(クレジット会社)を相手方として,自動車の撤去を認める可能性を示唆する判決を下している(最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,金判1314号24頁)。

最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,判タ1306号217頁,金法1882号78頁,金判1314号24頁
動産の購入代金を立替払した者が,立替金債務の担保として当該動産の所有権を留保する場合において,買主との契約上,期限の利益喪失による残債務全額の弁済期の到来前は当該動産を占有,使用する権原を有せず,その経過後は買主から当該動産の引渡しを受け,これを売却してその代金を残債務の弁済に充当することができるとされているときは,所有権を留保した者は,第三者の土地上に存在してその土地所有権の行使を妨害している当該動産について,上記弁済期が到来するまでは,特段の事情がない限り,撤去義務や不法行為責任を負うことはないが,上記弁済期が経過した後は,留保された所有権が担保権の性質を有するからといって撤去義務や不法行為責任を免れることはない。

もっとも,この事件の場合には,弁済期が経過した後は,相手方であるクレジット会社が目的物について処分権を有するに至るため,この事件については,所有名義人を妨害排除事件の相手方とすることが許される。しかし,その理由は,決して,クレジット会社が所有権留保によって所有名義を有していたからではない。所有権留保(実質的な譲渡担保)に基づく担保権が,実行可能な状態となることによって,クレジット会社に目的物の処分権限が生じたからに過ぎない。

すなわち,この判決の事案は,駐車場の所有者であるXが,駐車中の自動車について,同自動車の購入代金を立替払して同自動車の所有権を留保しているY(クレジット会社)に対し,同自動車の撤去と駐車場の明渡し等を求めたものであり,所有権に基づく請求権の相手方が,単なる所有名義人ではなく,目的物の処分権を有している点で,上記のリーディング・ケースの場合とは,事案が異なっており,具体的な妥当性を有するものとなっているのである。

これに対して,本件(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)の場合には,目的物について,Yには,何らの処分権限もないのであるから,所有名義があるからという理由だけで,建物収去(妨害排除請求),および,土地明渡請求のの相手方とすることは,無意味なのである。


Ⅲ 結論


わが国の通説は,わが国の民法には,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしている([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁]など参照)。しかし,わが国の民法をよく読めば,以下のように,所有権に基づくあらゆる種類の請求権(物権的請求権)が明文で規定されていることを発見することができる。

第1に,民法193条(盗品又は遺失物の回復)が,「所有権に基づく返還請求権」を規定している。第2に,民法233条第1項(竹木の枝の切除)が,「所有権に基づく妨害排除請求権」を規定している。第3に,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)が,「所有権に基づく妨害予防請求権」を規定している。第4に,民法209条(隣地の使用請求),民法210条以下の囲繞地通行権,民法214条(自然水流に対する妨害の禁止),民法221条(通水用工作物の使用),民法233条第2項(竹木の根の切取り)などが,「所有権に基づく受忍請求権」についても規定している。このように,わが国の民法は,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。

わが国の民法学が,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないという誤りに陥ったのは,旧民法財産編第36条(所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得)とか,ドイツ民法903条(物の所有者は,法律又は第三者の権利に反しない範囲において自由に物を処分し及び物に対する他人のすべての干渉を排除することができる)と比較した場合に,所有権の規定に,このような所有権に基づく請求権の一般規定が存在しないからである。

しかし,わが国の民法も,占有訴権に関する民法202条において,占有訴権(占有保持の訴え,占有保全の訴え,占有回復の訴え)に対応する,本権の訴えがあることを一般的に規定しており,しかも,所有権の個々の条文において,上記のように,所有権に基づく妨害排除請求権,所有権に基づく妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権,所有権に基づく認容請求権,それぞれに関する費用負担の規定を有しているのであるから,わが国の通説は,「あるものをないという」誤りに陥っているといわなければならない。

しかも,わが国の通説は,上記のような条文を無視して,物権的請求権の理論を構築しているため,物権の中で,占有を伴う物権か,占有を伴わない物権かを明確に意識することなく,すべての物権に共通の性質として物権的請求権を一律に認めてしまう危険性を有しており,そのことが,占有を伴わない物権であるはずの抵当権についても,抵当権に基づく返還請求権を認める(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)という誤りを是認する結果を導いている。この点では,わが国の民法学は,「ないものをあるという」誤りに陥っているといわなければならな。このことは,共同不法行為について,民法が連帯責任としているにもかかわらず,それを連帯債務と認めず,民法の体系からは否定すべき「不真正連帯債務」を認ている現在の民法学説についても,同様のことがあてはまる。

このように,わが国の民法学は,権威のある学者が,主としてドイツ民法の学説にならった理論を展開すると,わが国の民法の条文とか,体系とかを深く検討しないままに,権威に追随して通説を形成するという傾向が見られる。つまり,わが国の民法学説は,条文を無視した学説上の権威とか,判例の権威にめっぽう弱く,民法の条文に「あるものをない」といい,民法の条文,または,民法の体系からは肯定すべきでは「ないものをあるもの」という誤った議論に陥る傾向がみられる。したがって,わが国の民法学の最大の課題は,条文の立法理由に立ち返り,しかも,現代社会に適合する矛盾のない民法学の体系を構築することによって,このような傾向を打破していくことにあるといえよう。


Ⅳ 参考文献


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川島武宜「物権的請求権に於ける『支配権』と『責任』の分化」法協55巻6号(1937)25頁以下,9号(1937)34頁以下,11号(1937)67頁以下

[川角・所有権と物権的請求権(1985,1986)]
川角由和「近代的所有権の基本的性格と物権的請求権との関係-その序論的考察-」九法50号(1985)61頁以下,51号(1986)27頁以下

[川角・ネガトリア責任(1996)]
川角由和「ネガトリア責任と金銭賠償責任との関係について-ドイツにおける判例分析を中心に-」『広中俊雄先生古稀祝賀論集(民事法秩序の生成と展開)』(1996)537頁以下

[川角・ヨホウ草案以降のネガトリア請求権(1999)]
川角由和「ヨホウ物権法草案以降におけるネガトリア請求権規定(1004条)形成史の探求-イミッシオーン規定(906条)との関連性を顧慮した覚え書き-」(1999)」『ドイツ民法典の編纂と法学』(1999)419頁以下

[川角・ピッカー『物権的妨害排除請求権』(2004-)]
川角由和「エドアルト・ピッカー著『物権的妨害排除請求権』-Eduard Picker, Der negatorische Beseitigungsanspruch-」龍谷法学37巻2号1頁以下,3号1頁以下,4号1頁以下,38巻1号1頁以下,4号165頁以下,39巻 2号107頁以下

[川角・物権的請求権の独自性(2006)]
川角由和「物権的請求権の独自性・序説-ヴィントシャイト請求権論の『光と影』-」原島重義先生傘寿(市民補学の歴史的・思想的展開)』(2006)397頁以下

[佐賀・物権的請求権(1984)]
佐賀徹哉「物権的請求権」星野英一編集代表『民法講座2』有斐閣(1984)15頁以下

[七戸・物権的請求権概念の推移(1987)]
七戸克彦「我が国における『物権的請求権』概念の推移-旧民法から現代民法に至るまで-」慶應義塾大学大学院法学研究科論文集25 号(1987)79頁以下

[鷹巣・所有権に基づく妨害排除請求権(2003)]
鷹巣信孝「所有権に基づく妨害排除請求権」『所有権と占有権-物権法の基礎理論-』(2003)57頁以下

[田島・物権的請求権の取扱(1939)]
田島順「物権的請求権の取扱」法叢40巻2号(1939)51頁以下

[田中・物権的請求権の拡張(1985)]
田中康博「物権的請求権の拡張」六高台論集32巻2号(1985)173頁以下

[田中・物権的請求権の責任要件(1988)]
田中康博「物権的請求権における『責任要件』について」六高台論集34巻4号(1988)123頁以下

[田中・物権的請求権の内容(1990)]
田中康博「所有権に基づく物権的請求権の請求権内容について」京都学園法学創刊号(1990)53頁以下

[玉樹・妨害除去請求権の機能(1982)]
玉樹智文「妨害除去請求権の機能に関する一考察-ドイツにおける議論を巡って-」『林良平先生還暦記念論文集(現代私法学の課題と展望)』中(1982)127頁以下

[道垣内・物権的請求権(2000)]
道垣内弘人「物権的請求権:『法と経済学』風」『石田喜久夫先生古稀記念(民法学の課題と展望)』日本評論社(2000)199頁以下

[納富・ソフィスト(2006)]
納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006/09)

[西村=古座・物権的請求権の相手方(2008)]
西村嶺裕=古座昭宏「物権的請求権の相手方」産大法学41巻1号(2008)39頁以下

[鳩山・物上請求権(1930)]
鳩山秀夫「所有権より生じる物上請求権」民法研究2巻(1930)117頁以下

[民法理由書(1987)]
広中俊雄『民法修正案(前三編)の理由書』有斐閣(1987)

[堀田・物権的請求権の再検討(1998,1999)]
堀田親臣「物権的請求権の再検討-成立要件という側面からの考察-」広法22巻2号(1998)161頁以下,3号(1999)61頁以下

[堀田・物権的請求権と費用負担(1999)]
堀田親臣「物権的請求権と費用負担の問題の一考察-自力救済との関係を中心に-」広法22巻4号(1999)207頁以下,23巻 1号(1999)141頁以下

[堀田・物権的請求権の共働原因(2000)]
堀田親臣「物権的請求権における共働原因と費用負担-ドイツ法における議論を中心に-」広法23巻4号(2000)165頁以下,24巻1号(1999)89頁以下

[堀田・物権的請求権と破産法(2001)]
堀田親臣「物権的請求権の破産法上の取り扱いに関する一考察-損害賠償請求権との対比を念頭に置いて-」広法24巻4号(2001)87頁以下,25巻1号(2001)27頁以下

[松岡・物権的請求権(2005)]
松岡久和「物権的請求権」『要件事実と民法学との対話』186頁以下

[三野・物権的請求権と請求権(1988)]
三野陽治「物権的請求権と請求権規範」洋法31巻1・2号(1988)1頁以下

[柳沢・ドイツ警察責任(2000)]
柳沢弘士「ドイツ警察責任法立法史管見」日法66巻3号(2000)481頁以下

[山田・引取請求権(1983)]
山田晟「物権的請求権としての『引取請求権』について」法学協会百周年記念論文集3巻(1983)1頁以下

[和田・妨害排除請求権の制限(1993)]

我妻=有泉・コンメンタール民法(2013)]
我妻栄=有泉享=清水誠=田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-』〔第3版〕日本評論社(20013/8/20)

和田真一「費用の過大さを理由とする妨害排除請求の制限-BGB251条2項の適用範囲論をめぐって-」立命225・226号(1993)27頁以下

妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則


妊娠中の女性の権利章典


  • 目次
    • Ⅰ 問題提起
      • 1. 問題の所在
      • 2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
    • Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官
      • 1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則
      • 2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合
    • Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)
      • 1. 母体保護法第14条とその問題点
      • 2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案
    • Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正
      • 1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性
      • 2. 嫡出推定から父子関係推定へ
      • 3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性
    • Ⅴ 結論および今後の展望
      • 1. 結論
        • A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性
        • B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則
      • 2. 今後の課題
    • 参考文献

Ⅰ 問題提起


1. 問題の所在

2016年7月23日,京都寒梅舘で開催された民法学研究会において,高嶌英弘教授の報告「日本における生殖補助医療の現状と法的対応」を拝聴して,以下の3点に気づかされた。

  1. 生殖医療においては,子どもができない夫婦の利害をはじめ,生まれ来る子の福祉,医療を実施する医師の利害,社会の利害が複雑に絡み合っており,それらの利害関係を調整するには,利害関係人が納得できる優先順位を含めた法原理の創設が求められている(事実認識)
  2. 親族法における男女不平等の規定(嫡出の否認・承認)及び男女不平等の解釈(母の認知を認めないとする解釈)を放置しながら,生殖医療についての解釈論を積み重ねても,総合的な問題解決を実現することはおぼつかない(従来から気になっている点の再確認)。
  3. 生殖補助医療における主体は,医師でも,夫でも,出生すべき子でもなく,「子を産むことを決意した女性」であり,受精から子の出生の瞬間までの間(期間限定)においては,社会的法益よりも,夫の法益よりも,胎児の法益よりも,「懐胎(妊娠)した女の法益(自己決定の権利)」が優先すると解すべきである(「妊婦の権利章典」の発想)。

もちろん,妊娠期間の前と妊娠期間終了後,すなわち,子の懐胎に至るまで,および,それが完結して子が出生(誕生)してからは,すべての人の法の下の平等,個人の尊厳と,両性の本質的平等の観点が重視されなければならない。特に,子の福祉は,重要な問題である。

2. 仮説としての妊娠期間中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

それにもかかわらず,妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の自己決定権が何よりも優先されなければならないと考えるべきではないだろうか。

このことは,少子化の現状において,女性が子を産むことの決意する際の最大の障害となっていると思われる「不安」,すなわち,妊娠・出産に要する費用を用意できるか,妊娠中・出産後の子育てを含めて配偶者による十分な協力が得られるか,出産後の経済的な支援が十分に得られるかどうかなどの不安ばかりでなく,望まない妊娠や母体が危険となった場合に人工妊娠中絶が可能かという不安を解消するためにも重要な意味を有すると思われる。

妊娠期間中の妊婦の自己決定(幸福追求)の権利を尊重したうえで,社会が,必要最小限の費用を支援し,育児費用の一部を援助するならば,たとえ,配偶者からの全面的な協力が得られない場合でも,女性が子を産み育てるインセンティブを高めることができるように思われる。

確かに,犯罪行為(例えば,堕胎罪等)に対する社会のコントロールは及ぶべきであるが,夫の利益はもちろんのこと,胎児の利益も,妊婦の利益には,常に劣後するように法律関係を構成し解釈すべきだと思われる。すなわち,堕胎罪などの犯罪を除いては,妊婦自身がその妊娠の継続,および,中止について自己決定権を有すると解すべきであろう。

 時の
経過
 精子提供  卵子提供 受精 妊娠期間  出生
 状況  ・夫(AIH)
・AID
 ・妻
・代理母
 ・体内
・体外
胎芽→胎児  子の福祉
 原理  個人の尊厳,両性の本質的平等  女の利益(自己決定権)がすべてに優先する。男,胎児,社会の利益はそれに劣後する。
女の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先する(民法330条1項2文参照)。
 個人の尊厳,両性の本質的平等

代理母の議論において,「子宮を産む道具(機械)として利用することは認められない」という見解が主張されている。その見解はまさに正当であり,代理母が出生した子の引渡を拒絶した場合には,代理母の利益が依頼主の利益よりも優先されるべきである。そうであるならば,通常の婚姻の場合であっても,「妻の子宮を産む道具とみなすことは許されない」と考えるべきであろう。妊娠期間中においては,妊婦の権利(母体の保護,自己決定権)こそが,胎児や夫の権利や社会の利益よりも優先されるべきではあるまいか。

以上の点を考慮しつつ,法曹における男性偏重主義からの脱却,および,妊娠期間中の妊婦の権利章典,並びに,民法における男女不平等の規定とその改正の必要性について論じることにする。


Ⅱ 家制度以来の夫偏重の考え方から脱却できない最高裁の裁判官


1. 現行民法の規定および現行民法の解釈における夫の優越の原則

夫である男は,精子を提供する役割を担うのが通常であるが,社会は男には甘い。自分で精子を提供できない場合でも,AIDと嫡出推定,嫡出承認の組み合わせによって,妻が産んだ子の父となることができる。自分で精子を提供できる場合でも,子の出生が夫のではなく,他の男の精子を使ったとわかれば,嫡出の否認もできる。要するに,男は,やりたい放題ができる。

性同一障害が認められて,生物的な女が法律上の男となった場合には,たとえ,精子を提供できる可能性がゼロの場合であっても,嫡出推定によって,配偶者である妻が産んだ子の父となることができる([羽生・性同一障害と民法772条(2015)]参照)。このことは,「女ならだめだが,男なら何でもあり」と言うに等しいように思われる。

最二判平25・12・10民集67巻9号1847頁
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻が婚姻中に懐胎した子は,民法772条の規定により夫の子と推定されるのであり,夫が妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に実質的に同条の推定を受けないということはできない。(補足意見及び反対意見がある。)

これに対して,妻である女は,卵子を提供し,かつ,約40週にわたる受精卵の養育と出産を義務づけられる。女は,たとえ,自分の卵子を提供したとしても,受精卵の養育と分娩ができなければ,母とは認められない(「腹を痛めない女は,母になれない」と言うに等しいように思われる)。

最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件)
女性が自己以外の女性の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し出産した場合においても,出生した子の母は,その子を懐胎し出産した女性であり,出生した子とその子を懐胎,出産していない女性との間には,その女性が卵子を提供していたとしても,母子関係の成立は認められない。(2につき補足意見がある。)

つまり,男は,自分の精子を提供しなくても,嫡出推定・嫡出承認によって父となることができるばかりでなく,自分の精子を提供していれば,認知によって,父となることができる。これに対して,妻は,卵子を提供したとしても,懐胎と分娩を経なければ,認知によって母となることはができない。民法の条文自体は,父と母とを平等に扱い,父も母も認知ができると規定している(民法779条)。それにもかかわらず,最高裁が母の認知を認めないのであるから,わが国の法曹が,いかに男女差別に鈍感であるかがわかる。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

なお,本稿では,代理母が妊娠した後の女性の自己決定の権利を取り扱うため,代理母を認めるべきかどうかについては直接には論じない。妊娠前の利害対立を調整する際には,広い意味での合意形成の考え方に基づくことが必要であり,したがって,女性の自己決定権だけが優先されるわけではなく,配偶子の提供者,代理母の依頼者,代理母,社会の利益を同等に考慮した上で,有効,無効,条件付き承認等の判断がなされなければならない(これらの問題を総合的に考察したものとして,[大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]参照。また,後に述べるように,凍結精子による懐胎の問題([西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁])についても同様の考慮が必要である)。

ところで,上記の代理母による実子の出生届不受理事件(向井亜紀さん事件)の場合には,代理母によって出生した子は,原告夫婦の嫡出子ではないと認定されている。そうであるならば,この事件の場合,出生した子は,民法789条2項の準正によって,原告夫婦の実子としての嫡出子となると考えるのが,民法2条(解釈基準)に従った解釈方法であろう。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

それにもかかわらず,最高裁は,父母が精子と卵子を提供した場合の代理母によって出生した子が父母の実子であることを否定している。このことは,男は精子を提供できなくても,父となること認め,精子を提供していれば,認知によって父となることができるのに対して,女は,たとえ,卵子を提供しても,分娩までしなければ,母となれないということを意味するのであり,明らかな男女差別である。

このように考えると,最高裁の裁判官は,民法2条(解釈の基準)をわきまえておらず,その結果,民法779条(認知)や民法789条(準正)の規定を無視していることが明らかであり,わが国の法曹には,男女平等の視点が欠落していることがよくわかる。

2. 現行民法における子の「出自を知る権利」との不整合

ところで,通説・判例は,代理母が子出産した場合でも,その子は,依頼者の養子としては認めているのだから,それでもよいのではないかとの反論がなされている。確かに,世界的な潮流においても,代理懐胎により子をもうけた場合,生まれた子の親は代理懐胎者とするのが判例および近時の立法提案の立場であり,また,依頼者夫婦との親子関係を養子縁組により確立する裁判例や立法提案もあるのが現状である[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)25頁]とされている。

しかしながら,現代においては,子の「出自を知る権利」が尊重されるべきことを考慮するならば,その子の産みの親(遺伝的な親)が誰であるか,育ての親が誰であるかは,子に開示すべき段階に入っていると考えるべきであろう([小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)40-46頁]参照)。

したがって,遺伝的な関係がない者の間で実子関係を認めたり,遺伝的な親子関係があるにもかかわらず,実子関係を否定することは,「出自を知る権利」の下では,破綻することが目に見えている。なぜなら,嘘は嘘を,誤魔化しは更なる誤魔化しを呼ぶことになり,際限のない嘘の上塗りを重ねることになって,結局,法に対する市民の信頼を失墜させることは,これまでの経験から明らかだからである。

嫡出子には,養子も含まれるが,実子と養子との違いは,遺伝子によって判別されるべきである。民法772条による嫡出の推定(実子関係の推定)は,あくまで,その場しのぎの推定に過ぎず,期間が限定されるとはいえ,遺伝子情報によって覆されうると考えるべきである(民法786条参照)。

第786条(認知に対する反対の事実の主張)
子その他の利害関係人は,認知に対して反対の事実を主張することができる。

したがって,代理母の問題に関しては,第1に,父母の精子と卵子を利用して出生した子は,後に述べるように,代理母が依頼主への引渡を拒絶した場合には,代理母が養母となり,したがって,精子と卵子の提供者としての父母は,出生した実子を代理母に養子として手放すことを強制されると考えるべきである。これに対して,第2に,代理母の卵子を利用した出生した子は,代理母が実の母であり,依頼主の夫の精子を利用した場合には,子は,父の実子(いわゆる婚外子)であり,第三者の精子を利用した場合と同様に,依頼主は養親となることができると考えるべきである。

そのような前提の下でのみ,代理母の契約は有効であり,代理母が最後まで,任意に契約を履行した場合にのみ,依頼主である配偶者は,子を実子として届け出ることが可能となると考えるべきであろう。


Ⅲ 妊娠期間中の女性の自己決定権の優先(妊娠した女の権利章典)


妊娠期間中の権利関係は,法益が交錯する複雑な様相を呈する。その場合に,誰の利益を優先するかについて,明確な基準がなければ,錯綜する利害を調整することは困難である。

妊娠期間中の法律関係は,受精卵を胎児として成長させ,出生に至るプロセスを遂行できる妊婦だけである。したがって,妊娠期間中の法律関係は,「妊婦の権利」を最優先する必要がある。

1. 母体保護法第14条とその問題点

受精卵を育てるかどうか,胎児を育てるかどうか,出生させるかどうかは,そのプロセスごとに,妊婦の自己決定に委ねられる。受精卵を育てることを拒絶すれば,医師による人工中絶を求めることができる。配偶者がいる場合には,母体保護法第14条1項は,配偶者の同意が必要としているが,理論的には配偶者の同意は必要ではない。同法14条2項が,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときは,本人の同意だけで足りるとしているのがその根拠の一つである。夫(配偶者)は,妻(妊婦)の意向を尊重すべきであり,同条文の規定とは異なり,夫(配偶者)の同意は不要というべきであろう。

母体保護法 第14条(医師の認定による人工妊娠中絶)
①都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一  妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二  暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
②前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

2. 妊娠中の女性の権利の優越原則に基づく母体保護法第14条の改正の提案

妊娠した女性の権利を考える場合には,考えたくないかもしれないが,第1に,男の最も恥ずべき行為としての強姦から議論を始め,第2に,夫が妊娠後に死亡した場合を考察し,第3に,夫の経済力が極端に乏しい場合へと議論を展開していくのがよいと思われる。

第1に,強姦されて,意にそまない妊娠をした場合には,妊娠した女性の権利(自己決定権)が最優先されるべきことについては,大方の理解を得られると思われるのであり,配偶者の同意は要しないと思われる。

母体保護法第14条第1項第2号は,配偶者の同意を得ることを要件としているが,この場合も,たとえ配偶者が同意しなくても,本人が望めば,人工妊娠中絶を認めるべきであろう。配偶者の同意は,強姦の確認の意味を有するに過ぎないと考えるべきだからである。したがって,立法論的には,母体保護法第14条第1項規定中,「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと変更すべきである

第2に,母体保護法14条第2項は,上記の修正を行えば不要となるが,念のために,論じておく。

まず,配偶者が妊娠後に亡くなった場合であるが,二人で協力して子育てをするつもりが,一人で子育てをすることができなくなった場合には,妊娠した女性の自己決定権が尊重されるべきである。この場合の考慮事項は,母体保護だけではありえない。妊娠した女性にとって,妊娠を継続する前提として,生まれるべき子が愛する人(配偶者)の子であること,配偶者が子育てに協力してくれること,配偶者から経済的な支援が得れられることを条件とすることを否定すべきではない。民法752条(同居,協力及び扶助義務)が,婚姻の効力として協力・扶助義務を規定していることからも,これらの効力が失われた場合には,母体保護とは無関係に,妊娠した女性の権利(自己決定権)が尊重されるべきである。

次に,以上のことは,配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないときについても,同様に考えることができる。

第3に,配偶者の経済力が極端に乏しく,妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合(母体保護法第14条第1項)について考察する。

この規定(母体保護法第14条第1項第1号)が,わが国において,人工妊娠中絶の濫用,または,中絶天国という悪評を生じさせていることは事実である。しかし,妊娠期間中の法律関係において,妊娠を継続するか継続しないかを決定する主体は,妊娠した女性であることを再度確認する必要がある。女の子宮を「産む機械」とさせないためにも,妊娠を継続するか,継続しないかを決定できるのは,妊娠した女だけであるからこそ,婚姻という契約が有効となるのと考えるべきであろう。

もしも,母体保護法第14条第1項第1号には該当しないが,ある男が,莫大な財産の相続税を軽減するという目的のために実子の数を増したいという目的だけのために女と婚姻して妊娠させた場合に,その目的を知った妻が妊娠の継続を拒絶することは認められるべきであろう。

このように考えると,妊娠期間中の法律関係の主体は,妊娠した女性であり,その自己決定権が,犯罪の構成要件に該当しない限り,最大限の尊重に値することが明らかとなったと思われる。

もっとも,妊娠中の女性の権利を最優先に考えるとすると,濫用が問題とならないかとの危惧が生じるかもしれない。例えば,凍結精子による懐胎も自由になるのではないとの危惧が生じるかもしれない([小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)],[西・凍結精子による懐胎(2015)32-39頁]参照)。しかし,この問題は,妊娠前の選択の問題であり,本稿で扱う,妊娠期間の女性の自己決定の問題ではない。つまり,凍結精子による懐胎については,代理母を認めるべきかどうかという判断と同様に,精子の提供者,社会の利益が凍結精子を利用する女性の権利と同等の価値をもって考慮されなければならないのであり,凍結精子の利用が許された範囲で,妊娠が始まった場合には,本稿で扱ったように,妊娠中の女性の権利が最優先されるとともに,生まれてくる子の出自を知る権利が尊重されなければならないと考える。


Ⅳ 民法に残る嫡出子と嫡出でない子の不平等の規定の改正


1. 嫡出子と嫡出でない子の区別の不要性

民法は,法律婚から生まれた子である「嫡出子」と,法律婚の以外から生まれた子である「嫡出でない子」を区別している(民法790条(子の氏))。

第791条(子の氏の変更)
①子が父又は母と氏を異にする場合には,子は,家庭裁判所の許可を得て,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父又は母の氏を称することができる。
②父又は母が氏を改めたことにより子が父母と氏を異にする場合には,子は,父母の婚姻中に限り,前項の許可を得ないで,戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,その父母の氏を称することができる。
③子が15歳未満であるときは,その法定代理人が,これに代わって,前2項の行為をすることができる。
④前3項の規定により氏を改めた未成年の子は,成年に達した時から1年以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによって,従前の氏に復することができる。

しかし,子の氏の問題は,家庭裁判所の許可を得て(民法790条1項),または,家庭裁判所の許可を得ずに(民法790条2項,5項)に氏を変更できるため,大きな問題は生じない。

嫡出子と嫡出でない子の効果の違いは,法定相続分の違いであり,嫡出でない子の法定相分は,嫡出子の半分であった(民法旧900条)。しかし,平成25(2013)年9月4日の最高裁大法廷決定によって,「民法第900条第4号但し書きのうち,嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分は憲法違反である」との判断が下された。これを受けて,平成25(2013)年12月5日,民法の一部を改正する法律が成立し,嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になった(平成25(2013)年12月11日公布・施行)。

旧第900条(法定相続分)
同順位の相続人が数人あるときは,その相続分は,次の各号の定めるところによる。
一 子及び配偶者が相続人であるときは,子の相続分及び配偶者の相続分は,各2分の1とする。
二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは,配偶者の相続分は,3分の2とし,直系尊属の相続分は,3分の1とする。
三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者の相続分は,4分の3とし,兄弟姉妹の相続分は,4分の1とする。
四 子,直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは,各自の相続分は,相等しいものとする。ただし,嫡出でない子の相続分は,嫡出である子の相続分の2分の1とし,父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は,父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

このようにして,2013年12月6日以降は,嫡出子であることと嫡出でない子であることの実質的な効力の違いであった相続分の違いが解消されたのであるから,現在においては,嫡出子と嫡出でない子とを区別する実益も解消されたといってよい([二宮=棚村=水野=窪田「親子法のあり方」(2015)14-16頁]参照)。

2. 嫡出推定から父子関係推定へ

そのような観点から現行法の体系を見直してみると,現行民法が「嫡出」の用語を用いている場合というのは,法律婚上の夫婦の実子(民法772条(嫡出の推定)~778条),または,その養子(民法809条)という意味で使われていることがわかる。

しかし,嫡出の推定は,婚姻関係にある夫婦とその下で生まれた子との間の実親子関係を推定するものであり,実子にも養子にも当てはまるため,実子かどうかを特定できないあいまいな用語を用いる必要性はなく,嫡出という概念は,夫婦と子との間の実親子関係,または,養親子関係というように,実子と養子とを区別する用語を用いることが有用であることが明らかである。

もっとも,実子と養子とを同列に考えるという視点からは,嫡出子という言葉は有用である。しかし,民法制定以来,2013年の最高裁の大法廷決定を契機として民法900条第4号の但し書き部分が削除されるまでは,嫡出子と嫡出でない子の間の差別は長きにわたって存続していたのであり,嫡出子と嫡出でない子の差別を解消することが重要である。したがって,子の区別は,子の「出自を知る権利」を配慮して,「出生による実子」と「契約による養子」とを区別するにとどめ,嫡出子と嫡出でない子の間の区別は除去することが重要であると思われる。

そのように考えると,現民法において「嫡出」という用語が用いられている条文は,すべて,実子若しくは実親子関係,養子又は養親子関係という明確な明確な用語によって,読み替えることが可能となることがわかる。

しかも,その読み替えに際して,男女差別を廃するような読み替えを行うと,該当条文は,以下のように,男女差別がなく,しかも,内容が明確であり,子の「出自を知る権利」にも資する条文へと生まれ変わることが分かる。

第772条(嫡出の推定)
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。
②婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

第772条実親子関係の推定)改正(加賀山)私案
①妻が婚姻中に懐胎した子は,夫子と推定する。
②婚姻の成立の日から280日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から280日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。

もっとも,この条文は,内縁や事実婚の場合には,実子関係の推定規定としては利用できないばかりか,法律婚においても,いわゆる「できちゃった婚」の場合にも,嫡出子としての出生届を認める現状においては,ほとんど意味を失っている。

したがって,民法772条2項の規定は,婚姻の成立の日を憲法第24条第1項に合わせて,婚姻の合意の日(プロポーズが受け入れられた日)からとするか,同棲の日からとするか,いずれかの日と解釈することが必要であろう。

3. 現行民法における男女不平等既定の改正の必要性

先にも述べたように,現行民法は,嫡出の推定,嫡出の承認において,夫の権利と妻の権利を不当に差別しており,両性の本質的平等の見地に立ち返って,「夫は」という規定を「夫又は妻は」へと改正すべきである。

また,現行民法は,認知について,男女を平等に扱っているにもかかわらず,通説・判例は,分娩の事実を尊重するあまり,妻の認知を無視するに至っており,民法2条に従って,解釈の変更が必要である。

第774条(嫡出の否認)
第772条〔嫡出の推定〕の場合において,夫は,子が嫡出であることを否認することができる。

第774条実親子関係の否認)改正(加賀山)私案
第772条〔実親子関係の推定〕の場合において,夫又は妻は,子が夫婦の実子であることを否認することができる。

第775条(嫡出否認の訴え)
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第775条実親子関係否認の訴え)改正(加賀山)私案
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母又は夫に対する実親子関係否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。

第776条(嫡出の承認)
夫は,子の出生後において,その嫡出であることを承認したときは,その否認権を失う。

第776条(嫡出の承認)改正(加賀山)私案
又は妻は,子の出生後において,その実親子関係を承認したときは,その否認権を失う。

男女平等の観点からは,このような改正がなされるべきであるが,否認と承認とは,単に肯定と否定の関係にあるだけなので,嫡出の否認の制度があれば,嫡出承認の制度は不要であり,理論的には,民法776条を削除することが可能である([木村・認知無効の取消し(2015)76頁参照])。

第777条(嫡出否認の訴えの出訴期間1)
嫡出否認の訴えは,夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第777条実親子関係否認の訴えの出訴期間1)改正(加賀山)私案
実親子関係否認の訴えは,夫又は妻が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。

第778条〔嫡出否認の訴えの出訴期間2〕
夫が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫が子の出生を知った時から起算する。

第778条実親子関係否認の訴えの出訴期間2〕改正(加賀山)私案
又は妻が成年被後見人であるときは,前条の期間は,後見開始の審判の取消しがあった後夫又は妻が子の出生を知った時から起算する。

第779条(認知)
嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第779条(認知)改正(加賀山)私案
夫婦の実親子関係が推定されない子は,その父又は母がこれを認知することができる。

第789条(準正)
①父が認知した子は,その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,嫡出子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第789条(準正)改正(加賀山)私案
①父又は母が認知した子は,その父母の婚姻によって夫婦の実子の身分を取得する。
②婚姻中父母が認知した子は,その認知の時から,夫婦の実子の身分を取得する。
③前2項の規定は,子が既に死亡していた場合について準用する。

第790条(子の氏)
①嫡出子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
②嫡出でない子は,母の氏を称する。

第790条(子の氏)改正(加賀山)私案
①夫婦の実子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。
夫婦の実親子関係が推定されない子は,母の氏を称する。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の嫡出である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第795条(配偶者のある者が未成年者を養子とする縁組)改正(加賀山)私案
配偶者のある者が未成年者を養子とするには,配偶者とともにしなければならない。ただし,配偶者の実子である子を養子とする場合又は配偶者がその意思を表示することができない場合は,この限りでない。

第809条(嫡出子の身分の取得)
養子は,縁組の日から,養親の嫡出子の身分を取得する。

第809条夫婦の養子の身分の取得)改正(加賀山)私案
養子は,縁組の日から,養親の養子の身分を取得する。
②養子は,その性質に反しない限りで,実子と同一の権利義務を有する。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)
①養親となる者は,配偶者のある者でなければならない。
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の嫡出である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。

第817条の3(養親の夫婦共同縁組)改正(加賀山)私案
①養親となる者は,配偶者のある者であることを要しない
②夫婦の一方は,他の一方が養親とならないときは,養親となることができない。ただし,夫婦の一方が他の一方の実子である子(特別養子縁組以外の縁組による養子を除く。)の養親となる場合は,この限りでない。


Ⅴ 結論および今後の展望


1. 結論

A. 民法2条(解釈の基準)に従った解釈の必要性

生殖補助医療が進展している現代においては,例えば,AIDにおいては,法律婚上の父と遺伝子上の父との分離が生じる。さらに,代理母については,サロゲートマザー(人工授精型)の場合には,法律上の父と遺伝子上の父の分離,さらに,法律上の母(代理母)と契約上の母(依頼主)との分離が生じるし,ホストマザー(体外受精型)の場合には,父の分離の問題は生じないものの,法律上の母(代理母)と遺伝子上の母(依頼主)との分離が生じる。

このような現状においては,生殖補助医療に関する法の不備によって,利害関係者は,困難な問題に直面する。子の出自を知る権利を尊重するならば,実子関係は,遺伝子上の親子,法律上の親子関係は,民法の定めるところによる(民法2条に従って解釈を含む)ということになる。

例えば,AIDの場合には,生まれてくる子は,ドナーの実子であり,法律上の父は,民法の規定によって定めることにすべきである。厳格な要件の下に認められるべき代理出産の場合についても,生まれてくる子は,配偶子の提供者の実子であり,法律上の母は,通説・判例の解釈に従い,第1義的には代理母であるが,代理母が契約通りに任意に子の引渡を行えば,依頼主が法律上の母となると考えるべきである。この場合の現行法の解釈は,母による認知(民法780条)と準正(民法789条2項)の組合せによる。

現行民法の規定,および,通説・判例による解釈の問題点は,民法2条に従っていないことにある。たとえば,男であるパートナーは,自分の精子を提供てもしなくても,いずれの場合でも,嫡出の推定(民法772条),民法774条(嫡出否認),民法776条(嫡出の承認),779条(認知)を駆使すれば,法律上の父となることができる。ところが,女であるパートナーは,たとえ卵子を提供したとしても,分娩の事実がない限り,男のパートナーが使えるすべての法的手段を利用することができない。これが,不当な男女差別でなくて何であろうか。いずれの規定も,以下にのべる修正を行わない限り,憲法に違反して無効と考えるべきであろう。

男だけが使える上記の民法上の制度(法律上の推定,嫡出の否認,嫡出の承認,認知の制度)は,現代においては,男女差別の規定となっているばかりでなく,いずれも,機能不全に陥っており,以下に述べるように条文の改正,または,解釈の変更が必要である。

第1に,民法772条(嫡出の推定)は,相続において嫡出子と嫡出でない子の区別がなくなった現在において,「嫡出の推定」ではなく,「父子関係の推定」と改められるべきである。しかも,「婚姻の成立の日から200日を経過した後」という要件も,妊娠してから婚姻届を出す人が多い現状においては,ほとんど無意味となっている上に,200日には,科学的な根拠がない。また,「婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内」という要件についても,300日の科学的根拠がない上に,婚姻の成立から200日という計算と平仄を合わせていないために,妻の再婚機関の禁止(民法733条)という,男女差別の条文を生み出す原因になっている。このように,民法772条は,どの点をとっても,改正が必要である。

第2に,民法774条(嫡出の否認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…できる。」は,「夫又は妻は,…できる」と改正すべきである。
第3に,民法776条(嫡出の承認)も,男女差別の規定であり,「夫は,…失う」は,「夫又は妻は,…失う」と改正されるか,嫡出の否認の規定があれば十分であるとして削除されるべきである。上記の第2と第3の改正によって,科学的な根拠なしに濫用されてきた民法772条(嫡出の推定)が,妻によっても覆すことができる法律上の推定に過ぎないことが明らかとなることが重要である。

第4に,民法779条(認知)は,条文の文言を尊重し,厳格な要件の下でみとめられるべき代理出産(ホストマザー方式)の場合に,卵子を提供したことを根拠にして,分娩をしない妻が認知する場合にも適用されるよう,最高裁の解釈(最二判平19・3・23民集61巻2号619頁(代理母による実子の出生届不受理事件))の変更をすることが必要である。

B. 妊娠中の女性の権利(自己決定権)の優越の原則

妊娠期間(子の懐胎から出生までの間)については,懐胎(妊娠)した女性だけが,生命を育み出生させることができる唯一の存在であることを考慮するならば,妊娠の継続,妊娠の中絶を含めて,女性の母体の保護を前提にして,自己決定権が何よりも優先されなければならない。そして,女性の内部では,卵子の提供者よりも,子宮の提供者(代理母)の権利が優先すると考えるべきである(民法330条1項2文参照)。

また,妊娠中は,妊娠した女性の母体の保護および自己決定権が何よりも尊重されるべきであるから,保体保護法第14条第1項の「本人及び配偶者の同意」は,「本人の同意」へと修正されるべきであり,第2項は,確認規定に過ぎず,理論上は不要となる。

2. 今後の課題

生殖補助医療は,子を産み育てたいと願う婚姻カップルが有する幸福追求を科学的にサポートする制度であり,わが国で進行している少子化の問題を解決するものの一つとして,尊重すべきである。そのためにも,民法,および,その解釈は,民法2条に規定されている「個人の尊厳と両性の本質的な平等」に立ち返って行う必要がある。結論で示した上記の提言は,いずれも,民法2条の基本原則に立ち返ったものに過ぎない。

本稿では,妊娠以後,特に,生殖補助医療が実施された後の女性の権利の優先的な地位を明らかにすることに焦点を当てて論じたが,この前提となる,生殖補助医療の有効要件を明らかにすることは,今後の課題である([大野・代理出産(2009)],[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]が参考になる])。今後は,生殖補助医療の利害関係者である,妊娠の主体となる女性(代理母を含む),配偶子(精子・卵子)のドナー,遺伝的なつながりのない子どもを育てるパートナー,生まれてくる子どもたち,医師,社会の利益を考慮しつつ,厳格な実施要件を定める方法と立法上の提言を行うことにしたい。


参考文献


[江口・妊娠中絶の生命倫理(2011)]
江口 聡(編・監訳)『妊娠中絶の生命倫理-哲学者たちは何を議論したか』勁草書房 (2011/10/11)

[大野・代理出産(2009)]
大野 和基『代理出産―生殖ビジネスと命の尊厳 』集英社新書(2009/5/15)

[木村・認知無効の取消し(2015)]
木村 敦子「任意認知者による認知無効の取消し」法律時報87巻11号(2015/11)71-78頁

[小池・AIDにおける子の出自を知る権利(2015)]
小池 泰「AIDにおける子の出自を知る権利」法律時報87巻11号(2015/11)40-46頁

[小林・生殖医療はヒトを幸せにするのか(2014)]
小林 亜津子『生殖医療はヒトを幸せにするのか-生命倫理から考える』光文社新書(2014/3/18)

[角田・性と法律(2013)]
角田 由紀子『性と法律 ―変わったこと・変えたいこと』岩波新書(2013/12/21)

[西・凍結精子による懐胎(2015)]
西 希代子「凍結精子による懐胎」法律時報87巻11号(2015/11)32-39頁

[二宮=棚村=水野=窪田・親子法のあり方(2015)]
二宮周平=棚村政行=水野紀子=窪間充見「[座談会]親子法のあり方を求めて」法律時報87巻11号(2015/11)4-24頁

[ノーグレン・中絶と避妊の政治学(2008)]
ティアナ ノーグレン(岩本 美砂子他 (訳))『中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策』青木書店 (2008/08)

[幡野・代理懐胎と親子関係(2015)]
幡野 弘樹「代理懐胎と親子関係-ヨーロッパ人権裁判所判決とフランス法を参照しつつ」法律時報87巻11号(2015/11)24-31頁

[羽生・性同一障害と民法772条(2015)]
羽生 香織「性同一性障害を理由とする性別の変更と民法772条」法律時報87巻11号(2015/11)63-70頁

[山根・産む産まないは女の権利か(2004)]
山根 純佳『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』勁草書房(2004/8)

[米本他・優生学と人間社会(2000)]
米本 昌平=ぬで島 次郎=松原 洋=市野川 容孝『優生学と人間社会』 講談社現代新書(2000/7/19)

保証・連帯債務の本質から見た民法学の腐敗の一斑


保証の本質から見た民法改正案の問題点
-民法学における腐敗の構造の一斑-


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • 1.設例による問題
      • 2.連帯債務の定義における矛盾と民法学の腐敗
        • (1)通説の第1の誤り
        • (2)通説の第2の誤り
        • (3)いつまでも通説の誤りを正すことができない民法学の腐敗
      • 3.連帯債務に関する通説の失敗の原因の解明と解決の方法
        • (1)通説が誤りに陥っている原因 -連帯債務に付従性はない? -
        • (2)通説の再生のための道筋 -相互保証理論によるジレンマからの解放-
      • 4.通説からの相互保証理論に対する批判とその反論(再評価)
    • Ⅱ 保証の本質に関する民法学の腐敗
      • 1.物上保証と保証は債務か,債務のない責任か?
      • 2.保証の定義における矛盾とは何か?
      • 3.保証人の弁済は,主たる債務を消滅させるか?
      • 4.保証契約は,無償かつ片務の契約か?保証人保護の理由は何か?
    • Ⅲ 民法改正案の問題点
      • 1.保証契約の性質に関する理解不足
      • 2.保証の付従性の確保の失敗
      • 3.保証人の補充性の確保の失敗
      • 4.債権者の担保保存義務の強化の失敗
      • 5.経営者保証は会社の有限責任と矛盾する
    • Ⅳ 結論
      • 1.連帯債務と保証に関する学説は,民法学における腐敗の構造の典型例である
      • 2.保証の性質と保証人による弁済の効果
        • (1) 保証契約は,債務者と保証人との間で締結される「第三者(債権者)のためにする契約」(民法537条)である
        • (2) 保証契約の内容は,「保証人による債務の履行の引受け」であり,保証人が負うのは,「債務のない責任」である
        • (3) 保証人の弁済によって求償権が生じ,債権は,消滅せず,保証人に移転する
      • 3.保証契約の公序良俗違反性
      • 4.連帯債務の性質
      • 5.連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの基準
      • 6.保証人と連帯債務者の求償権の性質
      • 7.民法改正案の失敗の原因と廃案の必要性
    • 参考文献

Ⅰ 問題の所在


1.設例による問題

本稿の問題提起として,読者に以下のような問題を実際に解いてもらうことから始めてみたい。

(なお,問題を解くのが苦手な人は,【問題】の部分を読み飛ばしてもらっても差し支えない。また,論文を読んでいて,気分が悪くなった人は,論文を読むのを直ちに中止すべきである。加賀山の論文は,刺激が強すぎるため,読んでいて吐き気を催す人があるので,予め注意を促しておく)。


【問題】
以下の記述は,有斐閣『法律学小辞典』〔第4版補訂版〕における「連帯債務」の項目の最初の記述(定義)である。問題を鮮明にするために,この記述の後に具体例を当てはめて,わかりやすくパラフレーズしている。以下の文章をよく読んで,そこに矛盾または誤りがあるかどうかを検討し,矛盾または誤りがあれば,それをすべて指摘しなさい。


〔連帯債務の意義〕
複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務を連帯債務という。

〔具体例によるパラフレーズ〕
連帯債務とは,例えば,債権者(X)から,Y1が300万円を借り,Y2が200万円を借り,Y3が100万円を借りて,Y1 ,Y2,Y3 が,Xに対して連帯して債務を負うことを約した場合に,「複数の債務者(Y1,Y2,Y3)は,同一内容の給付(600万円の支払い)について,それぞれ独立に債権者(X)に対して全部(600万円)の給付をする債務を負い,その中の一人(例えばY1 )が(600万円)弁済すれば,他の者(Y2,,Y3)も債務を免れるという多数当事者の債務」である。


読者のうち,この「間違い探し」の問題を解くことができる人は何人いるのであろうか。私は,民法を長く勉強した人ほど,この問題を解くことができず,反対に,民法以外の学問分野を修めた人は,割と容易にこの問題を解くことができるのではないかと予想している。

2.連帯債務の定義における矛盾と民法学の腐敗

筆者の見解によれば,連帯債務の性質・定義に関する民法学の通説の誤りは,以下の2点である。

(1)通説の第1の誤り

第1は,通説が,連帯債務者はそれぞれ「独立に」債権者に対して「全部の給付義務を負う」としている点にある。

Joint_Several000Mujun

独立の意味は,一つがなくなっても他には影響が及ばず,かつ,金額の合計は足し算によって求められるということである。

ところが,具体例の場合,それぞれの連帯債務の額は600万円であるが,連帯債務の総額は,600万円×3=1,800万円ではなく,600万円である。そうだとすると,「それぞれ独立に…全部の給付義務を負う」という記述は誤りであるということになる。

通説の考え方は,1+1=1としているのに等しいことに気づくべきである。通説の中には,これを「連帯債務における給付の一倍額性」という名称までつけて,正当化しようとしている(尾崎三芳「連帯債務・不真正連帯債務」(1985)212頁,近江幸治『債権総論』(2005)180頁)。しかし,この考え方も,1×2=1(正確には,連帯債務額:S,連帯債務者の人数:n>1のとき,S×n=S)とするものであり,誤りである。

後に詳しく述べるように,この答えは,1+1=1でも,1×2=1でもなく,正解は,1+0=1である(正確には,連帯債務者の負担部分がP1 ,P2,…,Pnのとき,連帯債務の総額S = ΣPn + 0 である)。

(2)通説の第2の誤り

第2は,通説が,「一人が弁済すれば,他の者も債務を免れる」としている点にある。

連帯債務者の一人であるY1 が,連帯債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,Y1 は,Y2に対して200万円,Y3に対して100万円を求償請求できる(民法442条)。したがって,他の債務者Y2,Y3は,Y1に対して求償に応じなければならない。

この場合における,Y2,Y3の求償に応じる義務とは,何であろうか。通説は,連帯債務の内部関係から生じるものであり,外部関係としては,債権は,すでに消滅していると考えている。

しかし,それは誤りである。なぜなら,弁済者の求償権を確保するために,弁済者は,「自己の権利に基づいて求償をすることができる範囲内において,債権の効力及び担保としてその債権者が有していた一切の権利を行使することができる」(民法501条)と規定しており,求償権の範囲で,債権は消滅することなく,Y1に移転しており,Y1のY2,および,Y3に対する請求は,Y1がXに代わって,Xの債権を行使するものだからである。

Joint_Several02Payment

つまり,連帯債務者間の求償問題に関する正解は,Y1のY2に対する200万円の請求,および,Y1 のY3に対する請求は,消滅せずに残存する300万円の債権について,債権者に代位したY1が,債権者の立場に代位して,本来の債務の弁済として,Y2 ,Y3に対して,それぞれ,200万円,100万円を請求できるというものである。これは,債権者に基づく連帯債務者への主たる債権に基づく請求であるから,単なる連帯債務者間の内部関係とはいえない。

したがって,連帯債務の定義は,以下のように改正すべきであろう。

〔正解としての連帯債務の定義〕

複数の債務者が各自の債務(負担部分)に加えて,他の債務者の債務を相互に連帯保証(保証部分)することが,契約によって,または,法律の規定によって義務づけられているために,各債務者のそれぞれが,負担部分と保証部分の合計額を債権者に対して弁済する責任を負う多数当事者の債権・債務関係を連帯債務という。

連帯債務の債務者の一人が自己の負担部分のみを弁済した場合には,他の連帯債務者の当該債務者に対する保証部分は付従性によって消滅する。さらに,自己の負担部分を越えて弁済した場合には,その他の連帯債務者に対して,その負担部分に応じて,債権者に代位して求償することができる。

(3)いつまでも通説の誤りを正すことができない民法学の腐敗

このような結論は,いずれも,求償に関する明文の規定(422条)および,民法500条以下の弁済による代位の規定に従って導き出されているのであるから,通説も,この結論を覆すことはできない。

それにもかかわらず,通説が,「各連帯債務者は,独立して連帯債務額を負担するが,一人が全額を弁済すると他の連帯債務者も債務を免れる(『有斐閣・法律学小辞典』)」という記述を訂正せずに使い続けており,ほとんどの民法学者(内田貴,近江幸治,奥田昌道,潮見佳男,高橋眞,椿寿夫,円谷峻,中田裕康,前田達明など)がそれを鵜呑みにしている現状は,民法学の腐敗といわざるをえない。

3.連帯債務に関する通説の失敗の原因の解明と解決の方法

(1)通説が誤りに陥っている原因 -連帯債務に付従性はない?

このような基本的な誤りが通説として通用してきた理由は何か。その原因は,保証の性質にまでさかのぼる。

通説は,後に述べるように,保証を「債務のない責任」ではなく,「主たる債務とは別個・独立の保証債務」であると考えているばかりでなく,連帯債務は,「本来的な債務であり,保証債務とは異なり,主従の差はなく」,連帯債務には付従性は存在しないと考えている([平井・債権総論(1994)327,330頁],[淡路・債権総論(2002)342頁],[内田・民法Ⅲ(2005)374頁])。

そのことによって,通説は,連帯債務の総額が,それぞれ独立するはずの連帯債務者の連帯債務額の合計とはならない(足し算ができない)のはなぜなのかを説明することができず,さらに,連帯債務者の一人が自らの独立した連帯債務額を弁済すると,他の連帯債務者に影響が及ぶのか(民法440条には,弁済が絶対的効力を有することは規定されていない)も説明することができず,しかも,最終的には,一人の連帯債務者が連帯債務の総額を弁済すると,他の債務者が債務を免れるという誤った結論に陥っているのである。

(2)通説の再生のための道筋 -相互保証理論によるジレンマからの解放

このように破綻した通説を再生するには,出発点から見直す必要がある。連帯債務者は,求償を通じて,最初に負担した負担部分の債務しか,結果的には債務を負担しないのであり,連帯債務者の本来の債務は,負担部分であること,その他の部分は,他の連帯債務者に対する連帯保証であり,債務額の足し算からは免れていることから出発しなければならない。

なぜなら,そのように考えないと,連帯債務者の一人が,自己の負担部分を越えて弁済し,共通の免責を得た場合の求償の根拠は,債務の弁済からは導き出すことができないからであり,連帯債務の本質を本来の債務(負担部分)と連帯債務者の相互の連帯保証(保証部分)との結合であると考え(相互保証理論),かつ,連帯債務者の全額弁済を負担部分の弁済と保証部分の弁済との二つの部分に分けて考えることによってはじめて,以下の三つの謎が解明されるからである。

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第1に,連帯債務の合計額が600万円になる理由は,債務の額は,負担部分だけの合計であり,連帯保証部分は,保証が本来の債務ではないからである。つまり,合計額の計算式は,600×3=1,800ではなく,(300+0)+(200+0)+(100+0)=600となる。

第2に,連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済した場合(弁済と同様の効果が生じる相殺,更改,混同の場合も同様である)には,債務が消滅せず,負担部分を超えた金額の範囲で,債権が保証人に移転する理由は,民法442条,500条,501条の組合せによって明らかとなる。

第3に,連帯債務の絶対的効力のうち,負担部分についてのみ効力が生じる(無効・取消,免除,消滅時効)は,すべて,負担部分の無効・消滅による連帯保証部分の付従性に基づく無効・消滅として,論理必然的に説明できる。

第4に,請求の絶対的効力も,民法457条(主たる債務者について生じた事由の効力)第1項が,「主たる債務者に対する履行の請求その他の事由による時効の中断は,保証人に対しても,その効力を生じる」を準用することによって説明が可能となる。ただし,保証の規定を連帯債務に準用する場合には,「主たる債務者に対する履行の請求」は,「連帯債務者の一人の負担部分に対する請求」へと,「保証人に対して」は,「他の連帯債務者に対して」へとパラフレーズされるため,連帯債務の履行の請求は,請求を行った連帯債務者の負担部分にしか効力を生じない。したがって,現行民法434条(連帯債務者の一人に対する履行の請求)が,連帯債務全体について時効を中断すると解されているのは行き過ぎであり,それを理由に,民法改正案が,この規定を削除しようとしているのは,誤解に誤解を重ねて,二重に誤りを犯していることになり,いずれも妥当ではない。

このように,連帯債務に関する通説は,定義・性質論から始まり,連帯債務者の一人に生じた問題と求償の関係に至るまで,すべて論理破綻しており,反対に,連帯債務に関する相互保証理論は,連帯債務のすべての問題を整合的に解決できる理論であることが明らかとなったと思われる。

4.通説からの相互保証理論に対する批判とその反論(再評価)

それにもかかわらず,通説が相互保証理論の採用をためらってきた理由はどこにあるのだろうか。それは,連帯債務は,債務であり,連帯保証などの保証とは,性質が全く異なるというかたくなな考え方に固執しているからである。

椿説,淡路説,平井説に代表されるように,相互保証理論を理解していると自認している学説でさえ,連帯債務は債務であって,保証とは異なり付従性は存在しないとしており,実は,相互保証理論のイロハも理解していないことがよくわかる。

なお,相互保証理論の提唱者である中島玉吉(従来は,相互保証理論の提唱者は,山中康雄とされていたが,成田博『連帯債務論攷』日本評論社(2015)1~37頁によって,相互保証理論の提唱者は,中島玉吉([中島・連帯債務(1911)1頁以下],[中島・連帯債務再論(1911)1621頁以下])にまでさかのぼることが論証されている)と通説を代表する石坂音四郎([石坂・中島第一批判(1911)],[石坂・中島第二批判(1911)])との間の激しい論争については,上記の成田博『連帯債務論攷』に詳細に紹介されており,議論の分析も的確であるので,そこに譲り,ここでは取り上げない。

ここでは,相互保証理論を理解したと称しつつ,相互保証理論を批判する代表的な学説である平井説([平井・債権総論(1994)327,330頁])を取り上げ,この批判に反論しておく。平井説による相互保証理論に対する批判の概要は以下の通りである。

〔保証と異なり〕連帯債務においては,複数の債務の間に主従の別(付従性)が存在せず,各自が同一内容の独立の債務を負担しているにとどまる(327頁)。

〔相互保証〕説はきわめて明快であり,連帯債務を対人担保の側面において理解しようとする本書の立場の理論的根拠となるものではあるけれども,負担部分を基礎とした効果を生じる場合以外の場合(435条〔更改〕,438条〔混同:民法438条によって弁済をしたものとみなされる〕についての説明に窮する(330頁)。

なお,[淡路・債権総論(2002)342頁],[内田・民法Ⅲ(2005)374頁]も平井説に賛成し,「この考え方〔相互保証理論〕は明快で理解しやすいが,請求の絶対効などはうまく説明できない」とし,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すことは困難である」との平井説に賛同している。

しかしながら,通説からの相互保証理論に対する批判は,上記で明らかなように,相互保証理論が,本来の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合であり,したがって,負担部分の無効・消滅は,「付従性」によって保証部分の無効・消滅を導くという,相互保証理論の出発点,および,理論の中核部分を理解せずに批判を加えており,全くの的外れである。

しかも,先に述べたように,弁済の絶対的効力(更改,混同の絶対的効力も同じ)を,債権が消滅しないことを含めて,求償関係の法理まで,きちんと説明できるのは,相互保証理論だけである[深川・相互保証理論の再評価(2014)357-391頁] 。通説は,このことに,全く気づいていない。

法律学にも,学問的独自性は必要であるが,「独立」とか「従属」とかいう基本的な用語については,他の学問分野(特に,論理学と数学)の学者にも理解できるような用語法を採用すべきである。もしも,「独立」という用語を使いながら,他に影響を及ぼすことがあり,しかも,合計が足し算によって求められない(1+1=1)というときは,法律学の理論自体が誤っていることに気づくべきであろう。

わが国において,連帯債務に関する研究を発展させた代表的学者は椿寿夫,および,淡路剛久であると評価されている([尾崎・連帯・不真正連帯債務(1985)207頁])。しかし,椿,および,淡路は,連帯債務の個数と独立性について,以下のように述べており([尾崎・連帯・不真正連帯債務(1985)213-214頁]),私は,このことが,わが国の連帯債務論の出発点に誤り(1+1=1)をもたらしたと考えている。

だいたい個数論などというものは,どちらとみたほうが連帯債務の諸現象を無難に説けるか,というくらいの意味しかない([椿・多数当事者の債権(1965)51頁])。

この個数論は,連帯債務概念を無意識のうちに実体化したため生じた問題であり,債務の個数など全く問題にする必要がない([淡路・連帯債務(1975)3-4頁,8頁] )。

さらに言えば,相互保証理論に対する通説の批判,すなわち,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すことは困難である」という言明は,民法学の学説が陥りがちな「論理的に説明できないが,法律学とはそういうものだ」という考え方の典型例であって,きちんと反論しておく必要があろう。

確かに,すべての問題について論理的・演繹的な説明が成功するとは限らないが,相互保証理論は,「連帯債務の性質を一義的に定め,そこから連帯債務の要件・効果を導くための前提を論理的・演繹的に導き出すこと」に成功した稀有の例であり,通説がこれを十分に理解することなしに非難するとすれば,それは,通説が,学問的探究を放棄していることを意味する。椿,淡路,平井等の上記批判こそが,民法学が腐敗に向かう傾向の一斑を示しているといえよう。


Ⅱ 保証の本質に関する民法学の腐敗


1.物上保証と保証は債務か,債務のない責任か?

通常の保証の性質について考察する前に,「債務のない責任」とされている物上保証(民法351条)について,概観しておく。

通説に従った解説の代表例である,『有斐閣・法律学小事典』によれば,物上保証の性質は,以下のように記述されている。

自己所有の財産を他人の債務の担保に供することを物上保証といい,これをした者を物上保証人という。例えば,他人の債務のために,自己所有の財産の上に抵当権を設定するなどである。

物上保証人は保証人と違って債務を負わず,単に担保に提供した財産に対し担保権が実行されるのを甘受する責任を負担するにすぎない。

したがって,債権者は物上保証人に対し,担保物によって弁済されなかった残余の債務の弁済の請求はもちろんのこと,債務自体について履行の請求等はできない。

しかし,物上保証人は,実質的には保証人と同様な地位に立つ ので,担保権が実行され又は債務者に代わって弁済したときは,保証人と同様の求償権を取得する〔民351・372〕。

以上の『有斐閣・法律学小辞典』の記述の問題点は,物上保証は,「債務のない責任」であることを明確に述べつつ,「物上保証人は,実質的には保証人と同様な立場に立つ」としているものの,どの点が同じなのかを明確に述べていない点にある。

物上保証人も,担保に提供した物によって,債務の弁済を行うのであり,だからこそ,債権者の債権は,その額の範囲で満足を受け,したがって,物上保証人は,その額の範囲で,債務者に求償権を有するのである。

そうだとすると,物上保証人も,提供した担保が執行されることによって,間接的にせよ,弁済を行っている。したがって,債権者は,物上保証人に対して「債務自体について履行の請求ができない」というのは,実体を無視していると言わざるをえない。なぜなら,債権者は,物上保証人に対して,債務を弁済する目的で物的担保の提供を受け,それに対して,債務の弁済を受ける目的で履行を強制し,換価し,配当金から債務の弁済を受けるのであるから,実質的には,担保権の実行を通じて,債務の弁済を強制できるといわなければならない。

つまり,物上保証人は,物上担保の実行を強制され,その実行によって債務の弁済をしているのであるから,物上保証の性質は,保証人が債務の弁済を履行する責任を有しているのと同様に,物上保証人も債務の履行を引き受けているということができる。つまり,物上保証と保証とは,その性質は,主たる債務とは別個の債務ではなく,求償ができる「主たる債務の間接的な履行の引受け(物上保証),または,直接的な履行の引き受け(通常保証)」であって,その実質は同じである。そして,両者の違いは,保証が無限責任であるのに対して,物上保証は,有限責任である点にあるに過ぎない。

このように考えると,『有斐閣・法律学小辞典』の記述は,物上保証人は,債務を負わない点で保証人とは異なるといいつつ,実質は,保証人と同じであるという点で,意味不明の記述となっており,物上保証の性質を正確には記述していない。

2.保証の定義における矛盾とは何か?

それでは,『有斐閣・法律学小辞典』は,保証債務については,正確な記述を行っているのであろうか?

辞典の記述を見る前に,保証に関する民法の冒頭条文(民法446条1項)を掲げて,民法が保証をどのように定義づけているのかの確認をしておこう。

第446条(保証人の責任等)
①保証人は,主たる債務者がその債務を履行しないときに,その履行をする責任を負う。

ここで重要なことは,「保証人は,その(主たる債務の)履行をする責任を負う」と規定している点である。すなわち,条文を素直に読めば,「保証人は,主たる債務について主たる債務者に代わって,主たる債務を履行する責任を負っている」,すなわち,「保証人は,主たる債務の履行引受けの責任を負っている」と規定していることがわかる。要するに,民法の条文からは,保証は,債務ではなく,物上保証人と同様,「債務のない責任」を負っていると読むことが可能である。

さて,『有斐閣・法律学小事典』によれば,保証は,物上保証とは異なり,債務のない責任ではなく,本来の債務であるとして,以下のような記述を行っている。

1 意義・機能

SがGに対して債務を負っている場合に,BとGとの間の契約で,もしSが債務を履行しないときにはSに代わってBがその履行をする旨の債務を負担することがある。

この場合のGに対するBの債務を保証債務といい〔民446~465の5〕,Sを主たる債務者,Bを保証人という。

保証は主たる債務を担保する債権担保の手段(人的担保)であり,抵当権などの物的担保と並んで頻繁に用いられる。

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しかし,保証債務の弁済が債務の履行であるとすると,債権者の債権は消滅するはずである。ところが,保証人が債務を弁済した場合には,債権者の債権は消滅せず,民法500条以下の規定によって,当然に保証人へと移転する。本来の債権が消滅せず,債権が保証人に移転するのであるから,保証人が独自の債務を負担するとはいえない。保証人が負担するのは,債務者に代わって本来の弁済するという負担,すなわち,「履行の引受責任」を負担しているに過ぎないと解すべきなのである。

2 付従性のない保証(損害担保契約)との比較

身元引受けのような損害担保契約における損害担保債務は保証債務と類似するが,前者においては,必ずしも主たる債務が存在しなくてもよい点で(例えば,被用者の身元保証の場合に,被用者が無過失のために使用者に対して損害賠償債務を負わない場合であっても,身元保証人が損害をてん補しなければならないことがある),後者と区別される。

保証は,損害担保契約等とは異なり,常に付従性を有する。付従性とは,本来の債務に従属するという意味であり,独立の債務ではないことを意味する。

ところで,債務者が破産し,破産手続きを経て免責されると,債務者は自由の身となる。ところが,保証の付従性(民法448条)によって保証人も免責されるというのが実体法としての民法の帰結であるが,以下の破産法第253条第2項によって,保証人の責任は,付従性のない債務へと劇的に変化すると解されている。

破産法 第253条 第2項
②免責許可の決定は,破産債権者が破産者の保証人その他破産者と共に債務を負担する者に対して有する権利及び破産者以外の者が破産債権者のために供した担保に影響を及ぼさない。

しかし,保証の性質は,民法448条に明確に規定されているように,主たる債務者の責任よりも重くなることはないのであり,このことが,保証契約を締結する際の前提事項であろう。債務者が破産した場合に,債務者が債務を負う限りは,保証人も責任を負うのは当然である。しかし,債務者が免責されても,保証人だけが責任を負担しなければならないとしたら,それは,契約の前提と矛盾しており,保証契約の錯誤無効をもたらすことになるのであって,破産法253条 第2項の規定は,実体法の原則に反するものとして無効と解するか,「影響を及ぼさない」という文言の意味を,保証契約の性質(付従性)に影響を及ぼさないと解すべきである。いずれにせよ,債務者が免責される以上は,当然に,保証人も免責されると解すべきであろう(加賀山・契約法講義(2007)377-379頁,加賀山・担保法(2009)151頁)。

3 成立

保証債務は保証人と債権者との間の契約によって生ずるのが普通である。主たる債務者との関係では,その者の委託を受けて保証人になること(受託保証人)が多いが,民法上は委託を必要としないし,その意思に反しても保証人になれる〔民462〕。

保証契約は,書面でしなければその効力を生じない〔民446<2>〕が,保証契約の内容が電磁的記録によってされたときは,書面によってされたものとみなされる〔民446<3>〕。

この記述も,実務を無視している。保証契約のほぼ100パーセントが,債務者と保証人間の保証委託契約によって成立している(実は,これが,「第三者のためにする保証契約」であり,これまで,保証契約とされてきた,債権者と保証人との間のやり取りは,第三者のためにする保証契約の受益の意思表示の書面化に過ぎない。保証契約の書面は,保証委託契約においてこそ,必要であると考えるべきである)。しかも,債権者と保証人との間で,直接契約交渉が行われることは,むしろ,まれであり,いわゆる保証委託契約の成立の証拠として,形式的に債権者と保証人との間で,形式的に締結されるに過ぎない。

従来は,保証契約とは,債権者と保証人との間でなされるとされてきたが,保証委託契約を抜きにした保証(委託のない保証)は,事前求償権が与えられないばかりか(民法460条参照),求償権が制限される(民法462条)など,保証人にとってきわめて不利な契約であり,このような契約を通常の保証人が行う意味は存在しない。したがって,委託のない保証は,債権者を不当に優遇する一方で,保証人の地位を著しく不利にするものでであり,特別の事情のない限り,虚偽表示として,無効と考えるべきであろう。

つまり,通常の保証契約とは,債務者と保証人との間で行わる,いわゆる保証委託契約であり,これこそが,第三者のためにする真正の保証契約と考えるべきである。

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そうすると,債権者と保証人との間で行われている保証契約とは,通説とは異なり,債務者と保証人との間で行われる第三者のためにする保証契約(真の保証契約)に対する,債権者の受益の意思表示を書面で明らかにしたものに過ぎないと考えるべきであろう。

4 効力

イ 保証債務は附従性をもつ。

すなわち,主たる債務の内容の変更に応じて,保証債務もその内容を変更し,主たる債務が無効であったり,消滅したりすると保証債務も無効,消滅を来す。また,保証債務は主たる債務より重い態様であってはならない〔民448〕。

保証債務が付従性を持つことについて,争いはない。しかし,そのことは,保証債務が主たる債務とは別個独立の債務であるとする通説の見解と矛盾することに気づかなければならない。

もしも,すべての人が保証に付従性を認めるのであれば,保証は,主たる債務から独立した債務ではないことを認めなければならない。そして,従たる債務とは,一体,どのような債務であるのかを,保証の冒頭条文,すなわち,民法446条1項に即して考えなければならない。

第446条(保証人の責任等)
①保証人は,主たる債務者がその債務を履行しないときに,その履行をする責任を負う。

民法446条を素直に読めば,保証人は,主たる債務を履行する責任を負うのであるから,保証も,「主たる債務について,債権者に対して『履行の引受け』をしたことによる責任」であると考えるべきである。

保証人は,債務者ではなく,第三者として,主たる債務の履行を引き受けているに過ぎない。第三者として履行を引き受けているからこそ,債権者に主たる債務の履行をしても,債務も債権も,ともに消滅せず,債務者に対する求償権の範囲で,債権は,自動的に,保証人へと移転するのである(民法500条以下)。

主たる債務が無効であったり,消滅すれば,「履行の引受け」としての保証も効力を失うのであり,それこそが,保証の付従性の意味である。主たる債務とは別個独立に保証債務が存在するといいつつ,保証債務に付従性があると認めるのは,矛盾以外のなにものでもないことに気づくべきである。

なお,保証人は主たる債務者がもつ抗弁権(時効の抗弁や同時履行の抗弁権など。取消権や解除権については争いがあるが,それが行使されるかどうか不確定の間は履行を拒絶できるとするのが通説)を主張できる。

先に述べたように,真の保証契約とは,債権者と保証人との間で締結される,委託を受けない保証契約ではなく,債務者と保証人との間で締結される,債権者のためにする保証契約であると解するならば,保証人のもつ抗弁権は,民法539条(債務者の抗弁)によって,学説ばかりでなく,明文の根拠を持つことになる。このように考えることによってこそ,保証人の保護の法理が明確となるのである。

ロ 保証債務は主たる債務に随伴する(随伴性)。

すなわち,主たる債務が移転されると,保証債務もこれとともに移転する。

保証には,付従性があると同時に,随伴性があるのは,保証が主たる債務の履行を引き受けているからである。主たる債務が消滅すれば,主たる債務の履行引受けの責任も消滅するのは,当然である。主たる債務が移転すれば,主たる債務の履行引受けの責任も移転するのが原則となる。

もしも,保証が,主たる債務とは別個独立の債務であるならば,付従性とは矛盾するし,随伴性についても,それを説明することはできないであろう。

保証の付従性と随伴性を説明できるのは,保証は,第三者による主たる債務の履行の引受けに基づく責任であり,主たる債務とは別個の保証債務という債務が存在するのではないことを認めなければならない。債務は,主たる債務ただ一つであり,保証債務という債務は実は存在しないのである。存在するのは,第三者による主たる債務の履行の引受けから生じる,債務のない責任のみである。

ハ 保証債務は補充性をもつ。

すなわち,主たる債務者が履行しない場合に,履行しなければならない義務である。したがって,保証人は,催告の抗弁権〔民452〕・検索の抗弁権〔民453〕をもつ。

しかし,連帯保証人はこれらの抗弁権をもたない〔民454〕。

保証が主たる債務に対して補充性を持つのは,付従性が理論上の必然的な結果であるのとも,随伴性が,実務上の要請に合致しているからでもなく,債権回収の手段として人のよい第三者に,「無償で無限責任を負担させる」という,保証契約が必然的に有する,「公序良俗違反性」を緩和するためのものである。

債務者以外の第三者に無償で無限責任を負わせるという制度は,そのままでは,公序良俗に違反して無効となる。保証契約が,かろうじて無効とならないのは,民法によって,保証人の求償権が確保されているからである。保証人がいったん弁済すると,求償権の確保は困難となる。したがって,保証人の求償権を確保するための最良の方法は,なるべく債務者に弁済させて,求償権の必要をなくすことであり(保証の補充性:民法452条~455条),事前求償権を認めて,弁済の前に求償権を確保することである(民法460条)。

したがって,求償権の確保を困難にする連帯保証は,民法454条の規定にもかかわらず,無償の保証人の責任をさらに強化するものであり,原則に立ち返って無効と考えるべきである。

もっとも,民法が規定している連帯保証の考え方そのものは,否定されるべき概念ではなく,例えば,連帯債務とか,民法719条の共同不法行為とかの場合のように,もともと債務を負っている者に対して,他の債務者の負担部分を連帯保証するという場合には,重要な意義を有している。

しかし,債務を負っていない第三者に連帯保証責任を負わせるという,連帯保証契約は,原則に立ち返って,無効と考えなければならない。

市販の保証契約書は,保証で済む問題を,すべて,一律に,連帯保証とするように規定されている。したがって,このような契約書によって締結された保証契約,すなわち,連帯保証契約は,すべて無効と考えるべきである。

ニ 貸金等根保証契約

貸金等根保証契約とは,一定の範囲に属する不特定の債務を主たる債務とする保証契約(根保証契約)であって,その債務の範囲に金銭の貸渡しや手形割引によって負担する債務(貸金等債務)が含まれるものをいう。なお,保証人が法人であるものを除く)〔民465の2以下〕

貸金等根保証契約については,元本の確定期日と確定事由が問題となる。前者については,確定期日を定めた場合において,それが5年以内であればその期日であり,5年を超える期日(これは無効とされる)か,又は確定期日を定めなかった場合には,3年を経過する日とされる〔民465の3<1><2>〕。

また元本の確定事由は,債権者が主たる債務者又は保証人の財産について金銭の支払を目的とする債権について強制執行又は担保権の実行を申し立てたとき〔民465の4〔1〕〕,主たる債務者又は保証人が破産手続開始の決定を受けたとき〔民465の4〔2〕〕,主たる債務者又は保証人が死亡したとき〔民465の4〔3〕〕である。

根保証契約は,保証人の負担を加重するものであり,本来的には,無効と考えるべきであるが,民法によって,極度額が定められ,かつ,確定期日,または,確定事由が明確に定められているという理由によって,かろうじて,無効を免れている契約である。

5 求償

保証人は他人(主たる債務者)のために弁済するのであるから,保証人が弁済したときには,主たる債務者に対して求償権をもつ。その範囲は,受託保証人か委託なき保証人かで異なる〔民459~465〕。なお,受託保証人は一定の場合には,求償権を確保するため事前求償権をもつ〔民460〕。

保証を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えた場合に陥る最大の問題点は,保証人が債務を弁済した場合に,債務者が債務の弁済をしたのであれば,求償権が生じるはずはないのに,なぜ,保証人が弁済すると,保証人は債務者に求償権を取得し,かつ,弁済を受けた債権が,自動的に保証人に移転するのかを説明することができないことである。

保証を主たる債務とは,別個・独立の債務とは考えず,第三者(保証人)による主たる債務の履行引受けであると考えると,利害関係者の弁済による求償権の取得も,弁済による代位が生じることも,すべて,理論上の当然の帰結として説明することができる。

主たる債務と保証との関係を理解しようと思うのであれば,主たる債務者が債務を全額弁済した場合の法律関係と,保証人が主たる債務者に代わって全額弁済した場合の法律関係を比較・検討してみればよくわかる。

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第1に,主たる債務者が主たる債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって,主たる債務は消滅する。さらに,主たる債務の消滅による付従性によって,保証責任も消滅する。つまり,主たる債務者が債務の全額を弁済した場合には,すべてが消滅する。

第2に,保証人が債務者に代わって,債権者に全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって債権者は満足するが,保証人には,債務者に対する求償権が残る。この求償権を確保するため,民法500条以下によって,弁済による代位が発生する。すなわち,満足した債権者に代わって,保証人が債権者に代位して,債務者に債務の履行を請求できるのである。つまり,この場合には,債権は消滅せず,あらゆる担保を含めて,債権者のすべての権利が消滅することなく,保証人へと移転するのである(民法501条)。

従来の通説は,保証人による保証債務の弁済によって,保証債務は消滅し,主たる債務も消滅すると考えた上で,内部関係として,保証人には,不当利得に基づく返還請求権としての求償権が生じると考えてきた。

しかし,この考え方は,以下のように,完全に破綻している。

第1に,保証債務の弁済によっても保証債務は消滅しない。民法501条によって,債権に随伴して,保証債務も保証人に移転した上で,混同によって消滅するに過ぎない。

第2に,保証債務の弁済によっても,主たる債務も消滅しない。保証人の求償権を確保するために,債権者の有していた債権は,保証人へと移転し,存続するからである。主たる債務が消滅するのは,債務者が保証人の求償に応じて,債務を弁済したときである。

第3に,求償権は,広い意味での不当利得の考え方に含まれるが,民法上は,求償権は,民法459条~民法465条までの詳細な規定によって保証人に与えられる権利であり,「法律上の原因」に該当する。したがって,「法律上の原因がない」ことを発生原因とする,民法703条以下の不当利得の規定は適用されない。

6 種類

以上に述べた通常の保証債務のほか,連帯保証と共同保証とがある。

これらについては,民法に特別の規定〔民454・456〕がある。 【通常の保証・保証連帯・連帯保証の比較】

3.保証人の弁済は,主たる債務を消滅させるか?

最二判平25・9・13民集67巻6号1356頁は,債務者を相続した場合の事例においてではあるが,以下のように述べて,保証人が,保証人として「保証債務」を一部弁済した場合でも,主たる債務の時効が中断すると判示している。

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債務の弁済が,債務の承認を表示するものにほかならないことからすれば,主たる債務者兼保証人の地位にある者が主たる債務を相続したことを知りながらした弁済は,これが保証債務の弁済であっても,債権者に対し,併せて負担している主たる債務の承認を表示することを包含するものといえる。

もしも,保証債務を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えるならば,保証債務の弁済は,あくまで,保証債務の消滅原因に過ぎないと考えるべきであり,それは,主たる債務の消滅原因でもなく,一部弁済の場合も,主たる債務の時効中断原因ともならないと考えなければ一貫しない。

しかし,保証人の弁済は,保証債務という主たる債務とは別個・独立の債務ではなく,正当な権限者として,主たる債務の履行を引き受けているのであるから,保証人の弁済は,たとえ,主たる債務者を相続していない場合であっても,主たる債務の一部弁済であるから,常に,主たる債務の時効を中断すると考えるならば(加賀山 茂「判批・債務者を相続した保証人が「保証債務」を弁済した場合の時効の中断」法律時報87巻12号(2015/11)113-116頁),最高裁の判決するところの意味がよく理解できる。

通説の出発点である,保証債務は,本来の債務と同様,独立した債務であるとしながら,本来の債務に付従するとしている点は,論理的な破綻である。このような論理の破綻を重大であると考えないところに,法律学が,社会科学としての存在を危ぶまれる原因がある。法律学にとって,論理は重要であり,論理学を無視した法律学は,学問として成り立たないといわなければならない。

このように考えると,民法の保証に関する学説は,はじめ(債務のない責任であるのに,主たる債務とは別個・独立の債務であると誤解)から終わり(保証債務の弁済による求償のメカニズム)まで,すべての点で誤りに陥っていることがわかる。しかし,出発点を誤れば,最後まで誤るのは当然の帰結であり,民法学は,その点は,一貫しているともいえよう。

4.保証契約は,無償かつ片務の契約か?保証人保護の理由は何か?

民法の保証契約は,原則として,無償契約かつ片務契約だと考えられてきた。

第1に,有償の保証契約としては,保証協会による信用保証契約があるが,これは,保証ではなく,有償の債権売買(ファクタリング)と考えるべきであろう。この契約においては,資本主義の契約にふさわしく,有償性と交換性が兼ね備えられており,国家の保護まで受けている信用保証協会を民法上の保証人として保護する必要がないからである。その他の場合であっても,有償性と交換性が備わっている保証契約は,民法上の保証契約とは異なる契約として,民法上の特別の保護を必要としないと考えるべきであろう。

第2に,保証を片務契約だと考えるのは,民法上も誤りであると考える。民法は,債権者が催告の抗弁,検索の抗弁に違反した場合に,保証人を免責することを規定しており(民法455条),このことから,債権者は,適時執行義務を負っていると考えられている。また,民法5054条は,債権者の担保保存義務を規定しているが,この場合の債権者の典型例は,保証人と考えられている。したがって,民法上も,債権者は,債務者に対して,保証人に対して,債務を負っており,片務契約とはいえないと思われる。さらに,民法改正案は,民法458条の2,458条の3を新設し,そこにおいて,債権者の保証人に対する情報提供義務を規定することになっており,保証契約の双務契約性が強化されることになる。

保証契約は,資本主義の特色である,交換性と対価性を欠いており,利子を含めた債務額の範囲ではあるが,債務者の無資力のリスクを保証人に,無償で,かつ,無限責任を負わせるものであり,本来は,公序良俗に違反する契約というべきである。

保証契約が公序良俗に違反して無効となれない理由は,民法が,保証人の責任を付従性,補充性,求償権の確保に万全を期しているからである。

したがって,民法における保証人保護に関する規定について,債権者の有利に変更した場合には,保証契約は,保証人に無償で過酷な無限責任を負わせる契約として無効となると考えるべきであろう。

このことが,保証人保護の意味であり,たとえば,保証の補充性を奪う,連帯保証契約は,特別の理由が示されない限り,無効と解すべきであるし,債権者の担保保存義務を免責する約款も,同様にして,無効と解すべきである。


Ⅲ 民法改正案の問題点


1.保証契約の性質に関する理解不足

以上の考察を通じて,保証契約において,保証の付従性,補充性,求償権の確保が必要な理由が明らかになったと思われる。

保証人を保護しなければならない理由は,単に人のいい保証人を保護するという政策的配慮以上に,保証契約の性質が,現代社会にそぐわない前近代的な契約だからである。

保証契約は,本来債権者が負担すべき債務者の無資力のリスクを無償で,無制限に保証人に転嫁するという,資本主義社会においては,あるまじき契約であり,しかも,資本主義において促進すべき交換性も有償性も存在しない契約である。

したがって,債務者の無資力を無償かつ無制限に転嫁しようとする保証契約は,本来的には,公序良俗に反する無効な契約であり,将来的には,有償でリスクを分散する保険契約へと転化・解消されていくべき契約であると考えるべきである。

このような本来公序良俗に反する契約が,民法において有効とされている理由は,民法においては,以下の三つの要素が確保されているからである。

  1. 保証の付従性が確保されている(民法448条)
  2. 保証人に対する債権者の義務が確保されている(民法455条,504条)
  3. 保証人の求償権が確保されている(民法459条~465条)

したがって,このような保証人保護の規定が確保されない場合,または,債権者の義務が免責される場合には,保証契約は,原則に戻って,無効と考えるべきである。

それにもかかわらず,今回の民法改正は,保証人保護を標榜しているものの,以上の要件を確保するどころか,債権者に免責を与える規定を新設するなど,保証人の保護に反する規定を増加させており,保証人保護の期待を裏切るものとなっている。

2.保証の付従性の確保の失敗

保証人は,債務者の無資力の危険を一時的に回避する責任であり,債務者の責任よりも重い責任であってはならない。

民法は,このことを,保証の付従性として,明文で規定している(民法448条)。ところが,破産法は,この原則に反して,債務者が免責されても,保証人は責任を負い続けるとしている(破産法 第253条第2項)。

したがって,民法改正の理由の一つが,保証人の保護とされている以上は,債務者を免責させる一方で,保証人を免責しないという破産法の規定を改正することが重要である。

その方法としては,アメリカの一部の州のように保証人がいる場合には,債務者の破産免責を認めないとするか,フランス法のように,保証人の求償権は破産後も消滅しないとするか,いずれかの方法を採用すべきである。このような提案をしないのであれば,今回の民法改正について,保証人の保護を目的とすると標榜すべきではない。

3.保証人の補充性の確保の失敗

現代においては,純粋な保証契約はほとんど存在せず,ほとんどが連帯保証契約となっている。しかし,連帯保証契約には,補充性がなく,債権者が負担すべき適時執行義務違反による保証人の免責のチャンスを奪っている。

今回の民法改正の目玉である,債権者の保証人に対する情報提供義務(改正案第485条の2,第485条の3)は,まさに,債権者の義務を強化するものであるが,連帯保証を野放しにしていたのでは,債権者の義務を強化したことにはならない。

保証人の保護を強化するのであれば,保証人の補充性を強化するため,特別の理由がない限り,連帯保証契約は,無効とするという改正を行うべきである。

4.債権者の担保保存義務の強化の失敗

今回の民法改正は,保証人の保護を奪う規定が多い。その最たるものが,債権者の担保保存義務を免責する明文の規定(民法504条第2項の免責規定)を置いた点に表れている。フランス民法(2314条)は,保証人を保護し,債権者の保証人に対する義務を強化するために,債権者の担保保存義務を免責する条項は無効と定めている(加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学法科大学院ローレビュー第24号(2016/3/) 1-20頁)。

これに反して,保証人の保護を標榜しながら,保証人の保護を弱める規定を新設するようでは,誇大表示といわざるを得ない。したがって,改正案第504条第2項は,削除されるべきである。

5.経営者保証は会社の有限責任と矛盾する

今回の民法改正における保証人保護の目玉として,個人根保証契約における保証人の保護がある。

しかし,個人保証で最も過酷な責任を負わされるのが,経営者保証であり,株式会社等の有限責任会社について,個人保証契約を認めることは,経営者個人の無限責任を認めるものであり,株式会社の有限責任の法理に逆行する。この点からも,改正案465条の9は,削除されるべきである。


Ⅳ 結論


1.連帯債務と保証に関する学説は,民法学における腐敗の構造の典型例である

民法学者のほとんどは,連帯債務とは,「複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務である」という定義を是認し続けている。

しかし,この定義は,独立の債務が複数合わさっても,債権額が同一である(1+1=1)という点で誤っており,連帯債務者の一人が全額を弁済すれば,弁済した者は,債権者に代わって,他の者に対して債務の履行を請求できる点でも,誤っている。

このような,論理学や数学の基本にも悖る定義を是認し続けて,少数とはいえ,このような根本的な誤りの指摘があるにもかかわらず,それらの指摘を無視し続けている民法学は,腐敗しているといわなければならない。

また,保証債務は,主たる債務とは別個・独立の債務であるとしながら,主たる債務が消滅すると,保証債務も消滅するとしているのは,論理的に矛盾している。さらに,保証人が保証債務を弁済すると,主たる債務は消滅するとしているが,主たる債務とは独立の債務を弁済しても,主たる債務は消滅するはずがないし,実際にも,保証人の求償権を確保するために,主たる債務は存続する。

このような論理的にも破綻し,実際にも誤った結論を保持し続けている民法学は,腐敗しているといわなければならない。

2.保証の性質と保証人による弁済の効果

本稿によって,保証契約の当事者,保証の性質と保証人による弁済の効果について,以下の3点が明らかにされた。

(1) 保証契約は,債務者と保証人との間で締結される「第三者(債権者)のためにする契約」(民法537条)である

保証契約は,従来は債権者と保証人との間で締結される契約であると考えられてきたが,それだけでは,委託受けない保証という,事前求償権もなく(民法460条の反対解釈),求償権も制限される(民法462条)という,保証人にとって非常に不利な契約となってしまうため,実際には,保証契約のすべてが,委託を受けた保証となっている。

この点を考慮するならば,現実の保証契約は,委託を受けた保証契約であり,契約当事者も,債権者と保証人との間で行われているというのは形式的な見せかけの保証契約に過ぎず,真の保証契約とは,債務者と保証人との間で行われる書面による「債権者のためにする保証契約」(民法537条~539条)であると考えるべきである。そうすると,債権者と保証人との間で行われる保証契約とは,債権者の受益の意思表示を書面で明確にしたものに過ぎないということになる。

しかも,このように考えると,債務者と保証人との間の契約が書面で行われていなければ無効となる(民法446条2項)ため,保証人が保護される上に,保証人が債務者に対して有している抗弁は,すべて,債権者に対抗できることになる(民法539条)。さらに,保証人は,債権者と債務者との間で生じた主たる債務の不成立・無効・消滅についても,保証の付従性(民法448条)によって保護されることになる。

(2) 保証契約の内容は,「保証人による債務の履行の引受け」であり,保証人が負うのは,「債務のない責任」である

上記の保証契約(書面による無償の債権者のための保証契約)によって生じる保証の内容は,債務者が任意に弁済しない場合に,債権者のために,保証人が債務者に代わって債務を弁済することを引受けることであり,その契約によって,保証人は,直接,債権者に対して債務を履行する責任負う。したがって,保証人が負う責任は,債務のない責任に過ぎず,本来の債務のほかに保証債務という独立の債務が存在するわけではない。

(3) 保証人の弁済によって求償権が生じ,債権は,消滅せず,保証人に移転する

保証人の弁済は,保証債務という債務の弁済ではなく,第三者による主たる債務の肩代わり弁済であり,第三者である保証人の求償権を確保するために,主たる債権・債務は消滅することはない。

保証人の求償権を確保するために,債権は存続し,保証人に移転するのであって(民法500条,501条),債権が消滅するのは,債務者が保証人に債務を弁済したときである。

3.保証契約の公序良俗違反性

保証契約は,債権者を保護するために,債務者の無資力のリスクを無償で保証人に転嫁するという契約であり,取引における交換性,対価性を欠いており,本来は,公序良俗に違反する契約として無効とされるべき契約である。

しかし,保証の付従性が確保され,かつ,債権者にも,保証人に対して,債務および債務者に関する情報提供義務,債務者に対する適時執行義務,および,担保保存義務が確実に課され,さらに,保証人の求償権が確保されている場合にのみ,かろうじて無効となることを免れて,有効となる。

4.連帯債務の性質

連帯債務とは,本来の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合である。したがって,連帯債務の定義は,従来の定義に替えて,以下のように定義しなおすべきである。

連帯債務とは,複数の債務者が各自の債務(負担部分)に加えて,他の債務者の債務を相互に連帯保証(保証部分)することが,契約によって,または,法律の規定によって義務づけられているために,各債務者のそれぞれが,負担部分と保証部分の合計額を債権者に対して弁済する責任を負う多数当事者の債権・債務関係をいう。

連帯債務の債務者の一人が自己の負担部分のみを弁済した場合には,他の連帯債務者の当該債務者に対する保証部分は付従性によって消滅する。さらに,自己の負担部分を越えて弁済した場合には,その他の連帯債務者に対して,その負担部分に応じて,債権者に代位して求償することができる。

連帯債務が連帯保証契約を含むものである以上,連帯債務契約の場合にも,保証債務の場合と同様,連帯債務者間の債権者のためにする連帯保証契約を書面で作成し,債権者の受益の意思表示が必要である。いずれを欠いても,連帯債務契約は無効となる(民法446条2項)。もっとも,法律上の連帯債務(民法719条など)の場合には,法定責任であるため,書面の作成は必要ではない。

5.連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの基準

連帯債務者の一人に生じた事由が他の連帯債務者に影響を及ぼすかどうかの決定的基準は,保証の付従性である。

連帯債務の一人に生じた事由が連帯債務に影響を及ぼす場合は,以下の3つにまとめることができる。

  1. 連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済した場合(弁済と同様の効果が生じる相殺,更改,混同の場合も同様である)には,債務が消滅せず,負担部分を超えた金額の範囲で,債権が保証人に移転する理由は,民法442条,500条,501条の組合せによって明らかとなる。
  2. 連帯債務の絶対的効力のうち,負担部分についてのみ効力が生じる(無効・取消,免除,消滅時効)については,すべて,負担部分の無効・消滅による連帯保証部分の付従性に基づく無効・消滅として,論理必然的に説明できる。
  3. 請求の絶対的効力も,民法457条(主たる債務者について生じた事由の効力)第1項が,「主たる債務者に対する履行の請求その他の事由による時効の中断は,保証人に対しても,その効力を生じる」を準用することによって説明が可能となる。

6.保証人と連帯債務者の求償権の性質

保証人と連帯債務者が,それぞれの負担部分を越えて弁済し,共通の免責を得てことによって生じる求償権は,債権者の満足によって生じる債権の保証人・連帯債務者への法定移転によって確保される。

7.民法改正案の失敗の原因と廃案の必要性

民法(債権関係)改正案の保証と連帯債務に関する部分の失敗は,保証の本質と連帯債務の本質に対する無知から生じている。

民法学の腐敗を防止するためには,民法典論争の場合と同様に,民法改正案を廃案とし,新しいメンバーによって改正案を作成し直すべきである(なお,今回の民法改正における法制審議会の構造的な腐敗については,鈴木仁志『民法改正の真実-自壊する日本の法と社会』講談社(2013/03/10)参照)。


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福田誠治「連帯債務の学説史」平井一雄・清水 元編『日本民法学史・続編』信山社(2015)257-305頁

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前田達明『口述 債権総論』〔第3版〕成文堂(1993/4/1)317-390頁

[山中・連帯債務の本質(1955)]
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[我妻・債権総論(1964)]
我妻栄『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』岩波書店(1964)401頁以下

民法学の失敗の原因とその再生方法(その1)


民法学の失敗の原因とその再生方法について(その1)


  • 目次
    • Ⅰ 問題提起
    • Ⅱ 通説の失敗の分類
      • 1.論理学的に矛盾しているもの
        • (1) 事実的因果関係
        • (2) 保証債務
        • (3) 連帯債務
        • (4) 担保物権
      • 2.反対解釈を誤っているもの
        • (1) 抵当権の消滅
        • (2) 保証債務(民法465条)と連帯債務(民法442条)との間の求償の要件(負担部分を越えて弁済することが必要かどうか)に関する区別
        • (3) 転貸借における転借人の前払いと後払い
      • 3.数学的に誤っているもの
        • (1) 足し算ができない-連帯債務の合計額が足し算で求まらないのはなぜか?
        • (2) 引き算の理解が不十分-差額説と個別損害項目積み上げ方式の関係が不明
        • (3) 現価計算(等比級数の和の計算)の誤り-逸失利益の算定におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の誤り
        • (4) 微分が理解できない-ハンドの公式の誤り
      • 4.基準が恣意的なもの
        • (1) 対抗問題とは何か
        • (2) 連帯債務の絶対的効力の範囲
        • (3) 不真正連帯債務とは何か
        • (4) 第三者のためにする契約に該当する契約
    • Ⅲ 民法学の失敗の原因の究明
      • 1.事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の温存にみられる論理的思考の不徹底とごまかしに頼る傾向
      • 2.連帯債務の法的性質にみられる足し算さえできない概念に頼る論理的思考の欠如
        • (1) 通説の誤りの始まり(独立した債務なのに足し算ができない)
        • (2) 通説の暴走の始まり(民法の明文の規定を無視しても,通説にしがみつく)
        • (3) 歯止めの効かない暴走(民法改正案にみる連帯債務の性質の無理解)
    • Ⅳ 結論
    • Ⅴ 今後の課題
    • 参考文献

Ⅰ 問題提起


民法を学び始めると,以下のように,民法の条文に直接は出てこない奇妙な考え方や,難解な学術用語に出会って,とまどうのが普通であろう。

・因果関係の判断は,『あれがあるのは,これがあるからだ』と考えるのではなく,法的には,まず,『事実的因果関係』の考え方,すなわち,『あれなければ,これなし(sine qua non)』によって判断すべきである。

・条文には「対抗できない」と書かれていても,民法177条の不動産の二重譲渡の場合のように『食うか食われるかの対抗問題』という『本当の対抗問題』と,民法96条3項の「詐欺の取消しをもって善意の第三者にに対抗できない」というような『対抗問題ではない場合』とを区別しなければならない。

・担保物権は,被担保債権に「付従する物権」であるが,被担保債権とは「別個で独立する物権」である。

・保証債務は,主たる債務に「付従する債務」であるが,主たる債務とは「別個で独立の債務」である。

・債務者A,B,Cが債権者Dから,それぞれ,300万円,200万円,100万円を借りて,それぞれ連帯債務を負担することにすると,A,B,Cは,それぞれ,600万円の独立の連帯債務を負担することになる。しかし,連帯債務全体の合計額は,600(万円)×3=1,800(万円)ではなく,600万円のままである

・民法719条の共同不法行為の効果は,条文では「各自が連帯して…責任を負う」としているが,この責任は,『連帯債務』とは異なる『不真正連帯債務』と考えるべきである。

このような,門外漢にとっては奇異に映る通説の考え方に対して,はじめこそ戸惑っていた人々も,通説を唱える民法学者から何度も繰り返しそれらの考え方を聞いているうちに,違和感をなくしていく。そして,民法学の内部では,次第に,通説とか判例としての地位を確保するようになる。そうなると,その権威によって,仲間内からの批判は見事に消えていく。これが現在も進行中の民法学の腐敗の始まりである。

さらには,論理的に破綻したり,数学的に誤った学説であるため,他の社会科学や自然科学の専門家にとっては理解できない学説であっても,それが,多数説を占め,民法学の常識となってしまうと,民法学は,他の学問分野から孤立して行き,独善化と腐敗の道をたどることになる。なぜなら,論理的に破綻した学説は,内部者以外には理解できるはずもなく,他の専門分野の学者との間の交流が阻害されてしまうからである。

しかし,民法学が,世の中に起こる紛争に対して,単に当事者の利害を調整するだけでなく,専門家にとっても,また,他分野の専門家を含めた広く社会一般にとっても,合理的であると納得される解決方法を提案できるようになるためには,論理学や数学をも尊重して理論を構成することが望ましい

論理的にも,また,数学的にも誤りがなく,しかも,他分野の専門家を含めて,民法学を市民にとってわかりやすいく体系化するためには,孤立化の歩みを止めて,いったん立ち止まり,現在の民法の通説がどのような論理的破綻,数学的な破綻に陥っており,その結果,どのような不都合が生じているのかを振り返ってみることが有用であろう。

そこで,筆者は,民法を学ぼうとする人が,必ず躓く問題として,「あれなければこれなし」とか,「対抗問題」とかの考え方をはじめ,民法を理解する上で理解すべき重要な考え方について,「ほとんどの学習者が,そこで躓くのはなぜなのか」,「ほとんどの人が躓くのは,素人のゆえなのか,それとも,通説を説く学者の側に誤りが生じているのか」について,長年の教育実践を通じて,徹底的に検討してみた。

その結果として,民法を学び始める人が必ず躓く難解な考え方は,単に素人にとって難解であるという以上に,論理学的に矛盾しているもの(反対解釈の誤りを含む),数学的な誤りに陥っているもの,基準があいまいで,定義の体をなしていないものであることが次第に浮かび上がってきた。

そこで,本稿では,民法を初めて学ぶ人々が必ず躓く難解な考え方について,以下の分類に従って,問題点の指摘とその問題の解決方法を探っていくことにする。

1.通説のうち,論理学的に矛盾しているもの

(1) 事実的な因果関係(あれなければこれなし)の考え方

(2) 担保物権は被担保債権とは別個・独立の物権であるという考え方

(3) 保証債務は主たる債務とは別個・独立の債務であるという考え方

2.通説のうち,反対解釈の誤りに陥っているもの

(1) 抵当権は,債務者又は抵当権設定者に対しては,消滅時効によって消滅しないが(民法369条),それ以外の者に対しては,反対解釈により,消滅時効によって消滅する。

(2) 共同保証人の求償権は,負担部分を越えて弁済したときにのみ生じるが(民法465条1項),連帯債務の場合は,その反対解釈により,負担部分を越える弁済でなくても,求償権が発生する(民法442条には明文の規定がないので,民法465条1項を反対解釈する)。

(3) 転借人は,賃料の「前払い」は賃貸人に対抗できないが(民法613条1項2文),その反対解釈によって,賃料の「後払い」は,賃貸人に対抗できる。

3.通説のうち,数学的な誤りに陥っているもの

(1) 連帯債務者の一人一人が独立して負うという連帯債務の額とその合計額であるはずの連帯債務の合計額との計算が合わない(足し算が合わないような理論では,もはや,学問とは言えない。一部に付従性が存在することに気づいていないからである)。

(2) 損害賠償額の計算について,差額説と個別損害項目積上げ方式が併存しているにもかかわらず,実務は個別損害項目積上げ方式のみを利用している(両者は,数学的に全く同じものであり,個別損害項目積上げ方式は,漏れが生じる恐れがあるので,算定に誤りがないか,差額説によって誤りをチェックすべきである)。

(3) 上記の損害賠償額の計算のうち,逸失利益の算定については,将来収入が一定でない場合でも,ホフマン方式,ライプニッツ方式によって算定することができる(会計学上は,現価計算の完全な誤り)。

(4) 過失の判断におけるハンドの方式の肯定的評価(費用と限界費用とを混同していることに気づいていない)。

4.通説のうち,定義とか基準とかがあいまいなために混乱に陥っているもの

(1) 民法の条文のうち「対抗することができない」と書かれていても,民法177条の場合は,対抗問題であるが,民法94条2項や民法96条3項の場合には,対抗問題ではない(基準が不明。何が「対抗問題」なのかは,「登記が必要な場合」という点で一致が見られるものの,どの場合に登記が必要かは,学説によって大きく異なる)。

(2) 連帯債務の絶対的効力は,弁済以外の事由については,なるべく認めないように解釈すべきであり,無効・取消の絶対効,免除の絶対効は制限的に解釈すべきである(民法440条の恣意的な解釈)。

(3) 民法719条の責任は,連帯債務ではなく,不真正連帯債務である(不真正連帯債務が何であり,負担部分が存在するのかどうかも学説と判例で対立があり,求償できるのであれば,負担部分を認めるべきであり,負担部分があれば,絶対的効力が生じるのは必然であるにもかかわらず,絶対的効力を恣意的に制限しようとしている)。

(4) 第三者のためにする契約が該当する契約の範囲について,判例は,生命保険契約は第三者のためにする契約であるが,振込・振替契約の前身である電信送金契約は,第三者のためにする契約ではないとしているが,その根拠は明確ではなく,学説は多様である。


Ⅱ 通説の失敗の分類


1.論理学的に矛盾しているもの


(1) 事実的因果関係


(A)通説の論理学上の誤り

通説によれば,因果関係を判断する際に利用される,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,場合によっては,因果関係が広がりすぎることがあるため,相当因果関係であるとか,保護範囲とかによって,修正を加える必要がある。しかし,そのような修正が後に必要となるとしても,因果関係の判断として,最初に考えるべき重要な考え方は,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方であるとされている。

しかし,「あれなければ,これなし」という事実的因果関係の考え方というのは,本来の因果関係である「あれがあるから,これがある」(A→B)を証明するのに,「あれなければこれなし」(¬A → ¬B)で代用しているのであり,論理学的な厳密さからいえば,誤った使い方である。

なぜなら,「Aという原因から,Bという結果が生じる かどうか(A → B)」を判断するのに,「Aという原因を取り除くとBという結果が生じない(¬A → ¬B)」という「裏」命題で代用すると,AとBとが同値(A ⇔ B)の時に,かつ,その時に限って,論理的に成り立つに過ぎず,そうでない場合,例えば,Aが複数の時には,常に誤りに陥るからである。

(B)複数原因の場合の致命的な誤り

事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,特に,複数原因の場合に,致命的な誤りに陥る。

例えば,致死量10mgの毒物をY1,Y2,Y3 が,それぞれ,(1) 4mgずつ,(2) 5mgずつ,(3) 10mgずつ,Xのワイングラスに入れて,Xを殺害したという場合を考えてみよう。そうすると,事実的因果関係の考え方(あれなければ,これなし)が誤りに陥ることがよくわかる([加賀山・共同不法行為(1997)373頁以下]参照)。

なぜなら,第(1)の場合(Yらが4mgずつ入れる場合)には,因果関係があるとする点では正しいが,Y1も,Y2も,Y3も,Xの死亡について,全面的な因果関係があることになる。しかし,それぞれ4mgしか毒を入れていない第(1)の場合については,Y1もY2もY3も,単独では,Xを死亡させることはできないのであるから,Y1も,Y2も,Y3も,Xの死亡について,全面的な因果関係があると考えるのは誤りである。

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すなわち,(Y1∧Y2∧Y3 ) → R(Xの死亡)という前提から始まっているにもかかわらず,事実的因果関係の理論を経由することによって,(Y1 → R,Y2 → R,Y3 → R),すなわち,(Y1∨Y2∨Y3) → R(Xの死亡)という,とんでもない結論が導かれることになる。

このことが原因となって,共同不法行為は,単独不法行為の単なる寄せ集めに過ぎないという誤った考え方が一般に流布されることになるのだが,この問題については,後に詳しく論じる。

第(2)の場合(Yらが5mgずつ入れる場合)には,第(1)の場合よりもそれぞれが毒の量を増やしたにも関わらず,一人を取り除いても,結果が生じるため,Y1も,Y2 も,Y3も,いずれもXの死亡について因果関係がないという,予想外の結果が生じてしまう。

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第(3)の場合(Yらが10mgずつ入れる場合)には,それぞれが,第(1)の場合よりも,第(2)の場合よりも,さらに,毒の量を増やしているのにもかかわらず,事実的因果関係の理論を経由すると,Y1も,Y2も,Y3 も,Xの死亡について,因果関係がないという,とんでもない結論が導かれることになる。

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従来の理論によれば,第(3)の場合だけは,さすがに,事実的因果関係の理論(あれなければこれなし)の考え方は使えないが,第(1)の場合には,事実的因果関係の理論は正しいと考えられ,第(2)の場合は,無視されてきた。しかし,以上の考察によって,第(1)の場合も,第(2)の場合も,第(3)の場合も,いずれについても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,誤りであることが明らかとなったと思われる。

このようにして,事実的因果関係の考え方は,世の中で生じる最も多くの場合である複数原因の場合には,常に誤りに陥るのであり,複数原因の場合には,事実的因果関係の考え方を利用することは非常に危険でり,決して使ってはならないことを銘記すべきである。

(C)民法学の失敗の原因の根源は「あれなければこれなし」の信仰にある

筆者は,かつて,多くの民法学者に次の質問をしてみたことがある。

「因果関係の判断において,「あれなければ,これなし」の考え方は,正しい,または,因果関係の判断において有用だと考えますか?」

この問いに「はい」と答えた学者は,例外なしに,因果関係における定量的分析,すなわち,部分的因果関係の考え方に反対し,かつ,不真正連帯債務の考え方に賛成していることが判明している。

つまり,事実的因果関係「あれなければこれなし」の考え方が論理学的に誤りであることを民法学者が理解できるようになれば,民法学は,定性分析だけに終始し,定量分析をほとんど行わないという体質を脱して,社会科学の一分野として立ち直ることができるはずである([加賀山・不法行為法の定量分析(2011)17頁以下参照])。

これとは逆に,因果関係の判断において,全面的に「あれなければ,これなし」を使い続けるならば,共同不法行為は,独立の単独不法行為の単なる寄せ集めということになり,その結果として,加害者の責任は,連帯責任ではなく,不真正連帯責任(全部義務:obligation in solidum)であると考えることになってしまい,民法学の失敗をさらに拡大することになる。

なぜなら,不真正連帯債務とは何かについては,学者の間で激しく争われており,もともと求償権が生じない債務(全部義務)として生成した不真正連帯債務について,なぜ,求償権が生じるのか不明だからである。もしも,不真正連帯債務の求償の根拠として負担部分を観念するのであれば,それは,概念としては,連帯債務と同じであり,いずれにしても,「不真正連帯債務とは何か」を定義することはできないからである。

「あれなければこれなし」を信じる学者の暴走はそれにとどまらない。これらの学者の多くは,被害者保護の錦の御旗の下に,債権者のみを保護し,連帯債務者の一人に生じた事由の絶対的効力を極力抑えるために,連帯債務は,不真正連帯債務を基本にして再構成すべきであるというように,本末転倒の考え方に突き進んでいるからである([加賀山・民法改正案の評価(2015)11-12頁])。

民法学を論理学的にも,また,数学的にも誤りがないものにするためには,民法学が陥っている最大の誤りである,事実的因果関係「あれなければこれなし」の考え方の適用を単一原因の場合に限定し,世の中で一番多い例である複数原因の因果関係には使用できないことをすべての民法学者が認識することが必要であると思われる。

(D)ほとんどの民法学者は,誤りに陥っていることの自覚がない

このように警告しても,ほとんどの民法学者は,それを自分のこととは考えない。なぜなら,「あれなければこれなし」の危険性(上記の毒物の例のうちの第(3)の事例(Y1,Y2,Y3が10mgずつ入れた場合))は十分に認識していると考えているからである。

しかし,これは錯覚に過ぎない。「因果関係がある」という結論だけは正しいだけに,誤りに気づくのが難しいとはいえ,第(1)の事例(Y1,Y2,Y3が4mgずつ入れた場合)においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,致命的な誤りに陥っていることを,ほとんどの民法学者は,自覚できないままである。

第1の事例(Y1,Y2,Y3が4mgずつ入れた場合)においては,確かに,因果関係があるという点だけは正しい。しかし,Y1,Y2 ,Y3 は,単独では,結果を生じさせることができないことが前提とされているにもかかわらず,「あれなければこれなし」の考え方を利用すると,「Y1,Y2,Y3のそれぞれが結果のすべてについて因果関係を有する」という誤った結論が導かれていることに,ほとんどの民法学者は,気づいていない。

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その結果として,最近のほとんどの民法学者は,「民法719条の共同不法行為の要件は,民法709条の単独不法行為の要件を常に満たしている」と考えている。しかし,そのこと自体が,「あれなければこれなし」の理論に影響された誤った考えであることを自覚することができないでいる。

民法学者の自覚を促すために,もう一度,繰り返すことにするが,多くの民法学者は,上記の第1の例,すなわちち,Y1,Y2,Y3が致死量10mgの毒をそれぞれ4mgずつ入れてXを死亡させた例において,Y1 ,Y2 ,Y3 は,民法719条の共同不法行為の要件を満たしているばかりでなく,単独不法行為,すなわち民法709条の因果関係の要件をも満たしていると考えている。しかし,これこそが,「あれなければこれなし」の誤った適用であることを自覚すべきである。

確かに,上記の例において「あれなければこれなし」を適用すると,Y1も,Y2 も,Y3 もそれぞれが,Xの死亡について単独で因果関係を有していることになる。しかし,これが根本的な誤りなのである。なぜなら,前提に立ち戻れば,Y1の4mgではXは死亡しないし,Y2 の4mgでも,Xは死亡しないし,Y3の4mgでも,Xは死亡しない。それらが共同して,はじめてXの死亡という結果が生じるのからである。

このような基本的な問題において,多くの民法学者が「民法719条の共同不法行為において,各当事者は,民法709条の要件も満たしている」と考えているのであるから,民法学における腐敗は,想像を超えるほどに根が深いことがわかる。

(E)民法719条における通説の変容と課題

従来の共同不法行為の通説は,「各行為者自身の行為は損害の全部に対して相当因果関係に立たない場合もあるから,この点においても特殊の不法行為となすことを得る([我妻・不法行為(1937)191-192頁])として,共同不法行為の要件は,各行為者と損害との間の因果関係は必ずしも要求されないとしていた。

もっとも従来の通説も,狭義の(共同正犯的な)共同不法行為の場合には,「数人の行為は何れも当該の損害の原因を為し独立して不法行為となるのである」([我妻・不法行為(1937)193頁])として,共同不法行為者は,独立して不法行為の要件を満たしているとのあいまいな記述も残していた。

この点については,従来の通説(我妻栄,加藤一郎)は,行為者との間には関連共同性があることを要件としてたため,関連共同性を中間項として置いているために,関連共同性のある行為全体と結果との間には因果関係が成り立つので,問題は顕在化しなかった。

しかし,このような共同不法行為の因果関係における通説のあいまいさを批判し,通説の見解によるならば,各自の行為と一つの損害という結果との間に因果関係が存在するのであるから,共同不法行為は単独不法行為に還元できることになってしまうはずであるとして,従来の民法学を誤りを指摘したのが,その当時としては画期的な淡路教授の論文「淡路剛久「最近の公害訴訟と私法理論(2)」判タ271号(1972/3/15)2頁以下」であった。

淡路教授の論理は,以下のように要約できる。

(1) 従来の通説判例(例えば,加藤一郎『不法行為』207頁,徳本鎮『注釈民法』(19)323頁以下,特に324頁)によると,民法717条1項前段の共同不法行為の成立要件は,共同行為者各人の行為は独立に不法行為の要件を満たすものでなければならない(4頁)。

(2) しかし,被害者側が各人の行為と損害の発生との間の因果関係を立証できたならば,各人は-もちろん故意・過失,権利侵害(違法性)などその他の要件が満たされている限り,民法709条によって当然不法行為責任を負うことになり,行為の関連共同性という要件を付け加えるところの共同関連性の規定は,成立要件としては無意味・無用のものとなる(5頁)。

この理論によって,法律の条文には存在しない関連共同性の欺瞞性が暴露されることになった。しかし,共同不法行為のなかでも,上記の事例の第2,および,第3の場合(致死量10mgの毒をY1,Y2,Y3が,それぞれ,5mgずつ,および,10mgずつXのワイングラスに入れる場合)には,事実的因果関係の理論を貫徹することができないことは,自明であるため,最近の理論は,共同不法行為の要件として,関連共同性のある共同行為全体と結果との間の事実的因果関係の存在だけを要求することにしている。

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しかし,条文にない概念である関連共同性が何かについては,最近の通説も,説明に窮している。主観的な共同性ばかりでなく,客観的な共同性が判例によって認められているため,何をもって関連共同性があるかは,学説の間でも激しく争われているからである。

関連共同性という概念を利用して,共同不法行為を一体としてとらえ,そのことによって,共同不法行為における事実的因果関係の破綻を隠そうとしても,共同不法行為を一つの行為として観念することは,複数当事者の不法行為であることを単独不法行為として扱うのに等しい暴挙であり,理論的な破綻を免れることができない。

つまり,現在における共同不法行為理論は,従来の通説を批判した最近の不法行為学説も,自らが批判した関連共同性を利用せざるを得ず,結局のところ,後に述べる部分的因果関係を採用するごく少数の学説を除いて,論理的に破綻しているといわざるを得ない。

もっとも,従来の不法行為学説を批判した学説は,加害行為を除外しても結果が生じると思われる「弱い関連共同性」しかない加害者を除外しつつ,加害行為を除外すると結果が生じなくなると思われる「強い関連共同性」を有する加害者にのみに,全部の因果関係を認め,それらの加害者に全部義務(不真正連帯債務)を負わせることができるという点で,被害者救済の法理としては,有用性を持っていた。

しかし,そのような考え方は,他方で,いったん全損害の賠償を行った加害企業がが求償を行う段階においては,不具合が生じる。なぜなら,損害賠償を行った加害者は,「事実的因果関係」の考え方に基づいて,損害全部について因果関係を有するとされているため,求償の根拠を失っているからである。

(F)事実的因果関係の問題点の解決方法

この問題を解決するためには,共同不法行為に「あれなければこれなし」の考え方を適用するのをやめ,加害企業が損害発生にどの程度寄与したかという「部分的な因果関係」(浜上則雄「損害賠償法における『保証理論』と『部分的因果関係の理論』(1) 民商66巻4号(1972/07/15)523-553 頁,(2) 民商66巻5号(1972/08/05)737- 767頁参照)を認定し,すべての加害企業が連帯して責任を負った上で,負担(寄与)部分を越えて弁済した加害者は,他の加害者の負担部分の限度で求償できるとする理論を採用すべきである。

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被害者の救済を行うことは重要であるが,自己の寄与割合を越えて損害を賠償した加害者も,代位弁済者として,被害者同様に救済されるべきであり,「あれなければこれなし」によって,全部義務を負わせることは,負担部分を越えて弁済をした加害者に対して,過酷な責任を負わせる点で不当である。

世の中に生起する複雑な問題は,そのほとんどが,広い意味での共同不法行為に還元することができるのであり,共同不法行為について,適正な因果関係の理論と損害の公平な分配を実現できれば,民法理論は,飛躍的に発展することになる。このためにも,民法学は,事実的因果関係の理論から決別し,部分的因果関係の理論へと移行することが必要である。


(2) 保証債務


通説によれば,保証債務とは,「主たる債務とは別個独立の債務」であるが,「主たる債務に付従する」という性質を有するとされている。

しかし,「独立かつ付従(従属)」というのは論理的に矛盾している。このような矛盾が法律学では通説として認められていることを恥ずべきであろう([加賀山・担保法(2009)137-139頁],[加賀山・債権担保法(2011)111頁]参照)。

物上保証が「債務のない責任」であると認められているように,保証債務といわれているものも,実は,主たる債務とは別個独立の債務ではなく,主たる債務について,その履行を引き受けたことによる「債務のない責任」に過ぎないと考えるべきである。

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このように考えると,最二判平25・9・13民集67巻6号1356頁は,債務者を相続した場合の事例においてではあるが,保証人が,保証人として「保証債務」を一部弁済した場合でも,主たる債務の時効が中断すると判示している理由が明らかとなる。

保証人の弁済は,保証債務という主たる債務とは別個・独立の債務ではなく,正当な権限者として,主たる債務の履行を引き受けているのであるから,保証人の弁済は,たとえ,主たる債務者を相続していない場合であっても,主たる債務の一部弁済であるから,常に,主たる債務の時効を中断するのである(加賀山 茂「判批・債務者を相続した保証人が「保証債務」を弁済した場合の時効の中断」法報87巻12号(2015/11)113-116頁)。

 

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もしも,保証債務を主たる債務とは別個・独立の債務であると考えるならば,保証債務の弁済は,あくまで,保証債務の消滅原因に過ぎないと考えるべきであり,それは,主たる債務の消滅原因でもなく,一部弁済の場合も,主たる債務の時効中断原因ともならないと考えなければ一貫しないからである。

主たる債務と保証との関係を理解しようと思うのであれば,主たる債務者が債務を全額弁済した場合の法律関係と,保証人が主たる債務者に代わって全額弁済した場合の法律関係を検討してみればよくわかる。

第1に,主たる債務者が主たる債務の全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって,主たる債務は消滅する。さらに,主たる債務の消滅による付従性によって,保証責任も消滅する。つまり,主たる債務者が債務の全額を弁済した場合には,すべてが消滅する。

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第2に,保証人が債務者に代わって,債権者に全額を弁済した場合を考えてみよう。この場合,弁済によって債権者は満足するが,保証人には,債務者に対する求償権が残る。この求償権を確保するため,民法500条以下によって,弁済による代位が発生する。すなわち,満足した債権者に代わって,保証人が債権者に代位して,債務者に債務の履行を請求できるのである。つまり,この場合には,債権は消滅せず,あらゆる担保を含めて,債権者のすべての権利が消滅することなく,保証人へと移転するのである。

従来の通説は,保証人による保証債務の弁済によって,保証債務は消滅し,主たる債務も消滅すると考えた上で,内部関係として,保証人には,不当利得に基づく返還請求権としての求償権が生じると考えてきた。

しかし,この考え方は,以下のように,完全に破綻している。

第1に,保証債務の弁済によっても保証債務は消滅しない。民法501条によって,債権に随伴して,保証債務も保証人に移転した上で,混同によって消滅するに過ぎない。

第2に,保証債務の弁済によっても,主たる債務も消滅しない。保証人の求償権を確保するために,債権者の有していた債権は,保証人へと移転し,存続するからである。主たる債務が消滅するのは,債務者が保証人の求償に応じて,債務を弁済したときである。

第3に,求償権は,広い意味での不当利得の考え方に含まれるが,民法上は,求償権hあ,民法459条~民法465条までの詳細な規定によって保証人に与えられる権利であり,「法律上の原因」に該当する。したがって,「法律上の原因がない」ことを発生原因とする,民法703条以下の不当利得の規定は適用されない。

このように考えると,民法の保証に関する学説は,はじめ(債務のない責任であるのに,主たる債務とは別個・独立の債務であると誤解)から終わり(保証債務の弁済による求償のメカニズム)まで,すべての点で誤りに陥っていることがわかる。しかし,出発点を誤れば,最後まで誤るのは当然の帰結であり,民法学は,その点は,一貫しているともいえよう。


(3) 連帯債務


連帯債務について考察するに際して,次のような具体例を考えてみる。すなわち,債権者Xから,Y1が300万円借り,Y2が200万円借り,Y3が100万円を借りて,それぞれがXに対して600万円を連帯して返済するという連帯債務を負担したとしよう。

この場合,通説によれば,Y1も,Y2も,Y3も,各自が,独立して,600万円の連帯債務を負うと考えている。

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このように,通説は,連帯債務は,保証ととは異なり,純粋な債務であるから,保証とは異なり付従性はないと考えている。

しかし,「付従性は存在しないが,連帯債務者の一人が連帯債務の全額を弁済をした場合には,連帯債務は消滅する」というのは,矛盾している。

その理由は以下の通りである([加賀山・連帯債務の相互保証モデル(2001)19頁以下参照])。

たとえば,Y1が返済期日に連帯債務の全額600万円を弁済したとする。

通説は,Y1,Y2,Y3のそれぞれが600万円について,独立した連帯債務を負うしているにもかかわらず,Y1が連帯債務の全額600万円を支払うと,Y2の連帯債務も,Y3の連帯債務も消滅すると考えている。

しかし,この考え方は,第1に,通説の唱える「連帯債務の独立性」に反している。第2に,全額弁済をしたY1は,Y2 ,Y3に対して,それぞれの負担部分に応じて,200万円,100万円を求償する権利を有しており(民法442条1項),その求償権を確保するために,民法500条,501条によって,債権者の有する債権のうち,300万円は消滅せず,すべての権利がY1に移転するのであるから,通説の考え方は,自らの理論的前提にも,また,民法の明文の規定(民法500条以下)にも反している。

通説の考え方をしばし離れて,論理的に順を追って考えるならば,連帯債務者の一人であるY1が連帯債務の全額である600万円を弁済した場合,その結果については,二つのことを区別して考える必要がある。

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第1は,Y1の負担部分である300万円の弁済である。負担部分300万円の弁済によって,他の連帯債務者の保証部分は,付従性によって消滅する。

第2は,Y1の保証部分である300万円の弁済である。保証部分の弁済によって,弁済した連帯債務者Y1は,他の連帯債務者Y2,Y3に対して求償権を取得する。なぜなら,負担部分を超える保証部分の弁済は,連帯保証人としての弁済であり,その部分については,主たる債権・債務は消滅せず,求償権を確保するために,連帯債務者に移転するからである。

このように考えると,連帯債務は,負担部分は真正の債務であって付従性は存在しないが,負担部分は,連帯保証であり,付従性が存在することが分かる。

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さらに,連帯債務の絶対的効力とは,負担分が不成立・無効・消滅したときに,付従性によって,他の連帯債務者に生じる利益であることもわかる。

つまり,連帯債務の絶対的効力は,連帯債務が真正の債務と連帯保証の結合によって成り立っている必然的結果であり,連帯債務者の一人に生じた負担部分の不成立・無効・消滅によって,他の連債務者の保証部分が付従性によって消滅するという,いわゆる「絶対的効力」は,実は,例外的な現象でも,付随的な効果でもなく,連帯債務に本質的な効果なのである。


(4) 担保物権


通説によれば,担保物権は,債務とは別個独立の物権であるが,債権に付従するとされている。

しかし,「独立かつ付従(従属)」というのは矛盾している。このような矛盾が法律学では通説として認められていることを恥ずべきであろう([加賀山・債権の優先弁済権としての担保物権(2002)291頁以下]参照)。

担保物権は,債権が有する固有の効力である掴取力(債務者の財産を強制執行を通じて換価処分できるという効力)について,他の債権者に先立って配当を受けるという権利に過ぎず,債権のほかに,別個独立の物権が存在するわけではない。その理由は,以下の通りである([加賀山・担保法のパラダイム(2011)1頁以下]参照)。

Property_Obligation

第1に,留置権は,債権者の許可を得ずに,目的物を使用することも,収益することも,処分することもできない(民法298条2項)。これは,物権の定義に反する。また,動産留置権の対抗要件は,引渡ではく,占有の継続であり(民法302条),不動産留置権の対抗要件は,登記ではなく,占有の継続である(民法302条)。これは,物権総則の対抗要件規定に反している。

第2に,先取特権は,特定の債権に与えられた優先弁済権に過ぎず,以下に述べるように,物権として性質を持っていないし,物権の対抗要件の原則に従っていない。

(1) 一般先取特権の対象は,債務者の全財産に及ぶ(民法306条)。しかし,他人の全財産を対象とするという物権は存在するのであろうか。考えるだけでも恐ろしいことである。そればかりでなく,一般先取特権は,物権に必要な特定の原則にも反しているし,物権としての対抗要件とは異なり,対抗要件として,引渡も登記も不要である点でも,物権ではありえない。つまり,一般先取特権とは,特定の債権について,他の債権者に先立って配当を受ける権利を有するだけであり,債権以外の何物でもない。

(2) 動産先取特権も,動産物権変動の対抗要件に従っておらず,目的物の引渡しを要しない。しかも,優先順位についても,のちの保存が先の保存に優先するなど,物権法の法理とは逆の法理に服している。

(3) 不動産先取特権は,抵当権の規定が準用されるため,対抗要件が登記とされ,物権の対抗要件と同様となるが,不動産賃借権の対抗要件も登記であり,登記が対抗要件だから物権であるとはいえない。しかも,後に述べるように,抵当権自体が,その処分(抵当権の放棄・譲渡)に関しては,物権としての性質に反している側面があるばかりでなく(民法377条は,抵当権の処分の対抗要件は,登記ではなく,債権譲渡の対抗要件の規定を準用している),不動産保存・工事の先取特権は,抵当権の登記が先行しており,その後に登記をした場合であっても,抵当権に優先する効力を有する点で(民法339条),物権の法理に従っていない。

第3に,質権も,そのほとんどが,物権の対抗要件に従ってない。

(1) 動産先度特権の対抗要件は,引渡しではなく,占有の継続であり(民法352条),物権の対抗要件に従っていない。

これに対して,(2) 不動産質権の場合は,抵当権の規定が準用されるため,対抗要件が登記とされ,物権の対抗要件と同様となる。

しかし,(3) 権利質については,その対象が無体物であり(民法362条),物権の対象は有体物に限るという原則(民法85条の立法理由参照)に反しており,それゆえに,民法の起草者は,権利質については,物権であることを否定していた。

第4に,抵当権についても,冒頭条文にある地上権,永小作権を対象とする抵当権(民法369条2項)は,無体物に対する権利であり,物権の対象は有体物に限るという原則に反している。

また,先に述べたように,抵当権の放棄(民法376条)は,抵当権が物権であれば,抵当権が消滅するはずであるが,抵当権の放棄は,一般債権者との間で,その優先権を放棄するにとどまっており,このことからも,抵当権が物権ではなく,債権に付された優先権に過ぎないことが明らかとなっている。しかも,抵当権の処分の対抗要件が,登記ではなく,債権譲渡の対抗要件を準用している(民法377条)ことも,抵当権が物権ではないことの傍証となっている。

さらに,さきに述べたように,抵当権の登記が先になされていても,後に登記した不動産保存・登記の先取特権に劣後する(民法339条)ことも,物権法の法理からは説明不能である。

以上のことから,担保物権は,被担保債権から独立した物権ではなく,被担保債権が,法律の規定により(留置権,先取特権),または,当事者の合意と公示によって(質権,抵当権),他の債権者に先立って弁済を受ける権利,すなわち,優先弁済権が付加されているに過ぎないと考えるべきである。

担保物権の付従性は,被担保債権とは別個・独立の物権が存在するのではなく,存在するのは,被担保債権のみであり,したがって,被担保債権が消滅すれば,被担保債権に付与されていた優先弁済権も必然的に消滅するのである。担保物権の付従性とは,被担保債権以外に別個・独立の担保物権は存在しないということの証明でもある。


2.反対解釈を誤っているもの


(1) 抵当権の消滅

民法396条によると,「抵当権は,債務者及び抵当権設定者に対しては,その担保する債権と同時でなければ,時効によって消滅しない。」のであるから,抵当権は,債務者又は抵当権設定者以外の者については,債権とは独立に,20年の消滅時効によって消滅する(民法167条2項)。

しかし,民法397条によれば,「債務者又は抵当権設定者でない者が抵当不動産について取得時効に必要な要件を具備する占有をしたときは,抵当権は,これによって消滅する。」とされており,債務者又は抵当権設定者以外の者についても,抵当目的物について所有権の原始取得によって消滅(混同による消滅,または,追及効の消滅による抵当権の消滅)する場合以外は,抵当権は消滅しないと解すべきである(([加賀山・担保法(2009)575-583頁],[加賀山・債権担保法(2011)478-486頁]))。

(2) 保証債務(民法465条)と連帯債務(民法442条)との間の求償の要件(負担部分を越えて弁済することが必要かどうか)に関する区別

通説は,保証債務の場合は,負担部分を越えて弁済をした場合についてのみ求償ができるとしているので(民法465条),連帯債務の場合には,そのような制限が規定されていないので(民法442条),反対解釈によって,連帯債務の場合には,負担部分を越えて弁済をしていなくても,求償ができると考えている。

しかし,現行民法の起草の際に参考にされ,その規定の内容について修正がされてない旧民法の規定を見てみると,そこでは,共同保証人の求償権が先に規定されており,そこにおいて,共同保証人は,負担部分を超えて弁済をした場合についてのみ求償ができることが規定され,次に,連帯債務の規定において,この共同保証人の求償の規定が準用されていたのである。この場合には,連帯債務の求償において反対解釈を行うことはできず,共同保証のばあいも,また,連帯債務の場合も,負担部分を越えて弁済をした場合にのみ求償権が発生することが明らかである([加賀山・担保法(2009)140-142頁],[加賀山・債権担保法(2011)116-119頁])。

現行法の連帯債務者および共同保証人の求償の規定は,その内容を旧民法から受け継いでおり,内容の変更はなされていない。ただし,現行民法は,両者の規定の順序を入れ替え,連帯債務の求償の規定(442条)を保証の求償の規定(465条)よりも先に置いたため,反対解釈の余地が生まれたに過ぎない。

現行民法の立法の歴史を振り返り,規定の意味をよく理解するならば,民法442条について,民法465条の反対解釈をすることは無意味であることがよくわかるはずである。

(3) 転貸借における転借人の前払いと後払い

民法613条は,以下のように規定している。

第613条(転貸の効果)

①賃借人が適法に賃借物を転貸したときは,転借人は,賃貸人に対して直接に義務を負う。この場合においては,賃料の前払をもって賃貸人に対抗することができない。
②前項の規定は,賃貸人が賃借人に対してその権利を行使することを妨げない。

民法613条1項2文が,「賃料の前払をもって賃貸人に対抗することができない。 」としているため,通説は,「賃料の『後払』をもって賃貸人に対抗することができる」と解している。

しかし,そのように解すると,民法613条1項1文と矛盾することになる。なぜなら,民法613条の趣旨は,賃貸人を保護するため,賃料の支払い期限も到来し,転貸借の賃料の期限も到来し,いずれも,賃料を支払いをしていない場合に,賃貸人は,民法613条1項1文に従って,転借人に対して直接に賃料の支払いを請求できるとすることであるからである。

もしも,この場合に,転借人が,「後払い」だから,賃貸人に対抗できる,すなわち,賃貸人の請求を無視して,賃借人に払ってもよいということになると,民法613条は,その意味を失ってしまう([加賀山・民法613条の直接訴権(2)(1977)87頁以下]参照)。

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現実を見ても,賃借人が賃料不払いを続け,賃貸人が転借人に請求しても,転借人がこれを拒むということになると,賃貸人は,債務不履行を理由に賃貸借契約を解除することができ,その場合には,転貸借契約も終了するに至るというのが,通説・判例の見解だからである。

民法613条の立法趣旨は,賃貸人の転借人に対する直接の権利は,賃料債権の存在と,転借料債権の存在との2つの要件を前提として,両者の債権額の共通の範囲内で,賃貸人の転借人に対する直接の請求を認めるものである。したがって,賃貸人の直接請求の前に転借人がすでに転借料を支払っておれば,その前提が崩れるため,そもそも直接請求権は発生しない。しかし,転借人が賃貸人を害するために,何年分も転借料を前払いするなど,詐害的な前払いをした場合には,その前払いをもって賃貸人に対抗委できないとしたのである。したがって,直接請求権の要件が満たされた後は,転借人は,賃借人に支払いをすることは禁止され,必ず,賃貸人に支払わなければならないのである([加賀山・契約法(2007)493頁]参照)。

民法613条の直接請求権をさらに発展させた,交通事故の場合における被害者の保険会社に対する直接請求権場合には,交通事故の発生時点から,保険会社が,加害者である被保険者に保険金を支払うことを明文で禁止している(自賠法15条)。

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この場合と同様に,民法613条の場合においても,賃貸人が直接請求をするまでは,慣習に基づいた前払い,期日後の後払いも許されるが,賃貸人が直接請求したのちは,転借人は転借料を賃貸人に支払うことはできないのである。

つまり,民法613条1項2文の反対解釈は,民法613条1項1文に反する限りで許されないのである。


3.数学的に誤っているもの


(1) 足し算ができない-連帯債務の合計額が足し算で求まらないのはなぜか?

通説によると,連帯債務者は,それぞれ,連帯債務額全額について,独立して債務を負担するとしている。

例えば,債権者Xから,Y1が300万円借り,Y2が200万円借り,Y3が100万円を借りて,それぞれがXに対して600万円を連帯して返済するという連帯債務を負担したとすると,各連帯債務者は,それぞれ,600万円の独立した債務を負担するという。

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独立した債務であれば,債権者は,各連帯債務者が負担する600万円の3倍の債権を有することになるはずであるが,さすがに,通説も,債権者は,600万円の債権しか有さないとしている。

合計額が600万円ならば,各自が独立して600万円ずつの債務を負担するはずはない。
したがって,通説は,次のいずれかを選択しなけれならない。

第1に,連帯債務者が,それぞれ独立して600万円の債務を負担するというのであれば,連帯債務の総額は,1,800万円とならなければならない。
第2に,連帯債務額の総額が600万円であるというのであれば,連帯債務者は,各自が独立に600万円の債務を負担するのではなく,各自の債務は,それぞれが借り入れた300万円,200万円,100万円のみであり,残りは,本来の債務ではなく,相互に連帯保証をしているに過ぎないと考えなければならない。もしも,そう考えるのであれば,連帯債務の総額は600万円で計算が合うが,連帯保証を負う範囲で,付従性が生じることを認めなければならない。

通説は,いまだに,連帯債務者は,各自が独立して連帯債務額全額について債務を負担し,連帯債務は保証と異なり,付従性を有しないとしている。債務が独立ならば,合計額は足し算によって求められるはずであり,その計算が合わないまま,それが学説として認められているというのが,法律学の悲劇であろう。

すべての民法学者は,足し算もできない哀れな通説を捨てるべきであり,その代わりに,理論的な整合性を有する相互保証理論を学び直すべきであろう。

(2) 引き算の理解が不十分-差額説と個別損害項目積み上げ方式の関係が不明

損害額に算定に当たり,通説・判例は,損害項目ごとの損害を積算する方法を採用している(個別損害項目積み上げ方式)。この方法の問題点は,積極損害(治療費とか,修理代金等)消極損害(逸失利益)を積算する際に,積算項目に見落としが生じるおそれが付きまとう点である。

これに対して,差額説は,不法行為や債務不履行がなければ被害者が置かれているであろう抽象的な財産状態を計算し,そこから,不法行為や債務不履行があったために被害者が置かれている財産状態(収入-支出)を引き算するという方法を採用する。

差額説の場合は,現在の財産状態は,(事故後の収入-事故後の支出)として確実に計算できる上に,不法行為や債務不履行がなければ置かれていた財産状態も,(事故の前の財産状態-事故前の収入)を基準として,現状に回復するか,事故による症状が固定するまでの間の財産状態を試算することによって,算定することが可能である。

しかも,差額説は,個別損害項目積上げ方式と同値になることが明確であるため,個別損害項目積上げ方式による計算は,実は,不要である。

その理由は,以下の通りである。

差額 = あるべき財産状態 - 現実の財産状態
差額 = (あるべき収入-あるべき支出) - (現実の収入 - 現実の支出)
差額 = (あるべき収入 - 現実の収入)+ (現実の支出 - あるべき支出)
差額 = 消極損害(逸失利益)+ 積極損害

したがって,損害賠償額を決定するためには,二つの方向から計算した式が一致しているときにのみ,その限りで損害賠償請求を認めるべきである。

なぜなら,個別損害項目積み上げ方式は,損害項目が抜け落ちる危険性があるばかりでなく,水増し請求の温床となる危険性が高いからである。そこで,個別損害積み上げ方式で計算された損害賠償額について,家計簿等から,事故前の収入から想定されるあるべき収入から現実の収入を引いた額に,現実の支出から従来の支出から想定されるあるべき支出を加えた額が,個別損害積み上げ方式によって示されている損害額とが一致する範囲でのみ,損害額を認定すべきである。

このような二重のチェックを行わずに,安易に損害額を算定したり,認定することは,不正経理を行うに等しいことを法律家は自覚すべきであろう。

(3) 現価計算(等比級数の和の計算)の誤り-逸失利益の算定におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の誤り

現在の法律家の多くは,逸失利益の計算に際して,特に年収が増加傾向にある被害者について,正しい計算式に比して法外な逸失利益の算定を行って,損害賠償額の水増し請求を行っている。

なぜなら,逸失利益の計算は,会計上は,将来収入を現在価値に変換する手続きであり,現価計算の正しい方法があるにもかかわらず,,現在の法律実務は,それを利用せず,年収が一定でない場合についても,年収を一定と仮定して,ホフマン係数やライプニッツ係数を利用しているが,このような取り扱いは,年収が増加傾向になる被害者の損害賠償額が大幅に水増しされることになり,不正経理に手を染めているに等しい。

逸失利益の計算は,将来に得ることができる収入を現在価値に換算することなので,以下のようにして,中間利息の控除する手続きを行わなければならない。

現在価値×(1+年利)^年=将来価値であるから,複利計算をするのであれば,
現在価値=将来価値/(1+年利)^年として算定される。

具体的には,年収がa1, a2, a3, …, anとなる場合の逸失利益の現在価値は,以下のように計算されなければならない。

S=a1/(1+r) + a2/(1+r)^2 +…+an/(1+r)^n

確かに,a1=a2=…anの時に限っては,以下のように,

初項:a×(1/(1+r)),公比:1/(1+r);項数:n

という場合の等比級数の和の公式を当てはめることができる。

Sn=a×(1/(1+r))×(1-(1/(1+r))^n)/(1-(1/(1+r)))
S1=a×0.952380952
S2=a×1.859410431
S3=a×2.723248029

Sn=a×(1/1.05)×(1-(1/1.05^n)/(1-(1/1.05))

上記の式の右辺のaを除いた数が,ライプニッツ係数であるが,このライプニッツ係数が意味を持つのは,あくまで,年収aが一定である場合に限定される([加賀山=竹内・中間利息控除の問題点(1990)17-26頁])。

しかも,aを平均年収で代替することは,数百万,数千万単位の誤差を生じさせるため,年収を平均年収で代替することはできない(加賀山茂「逸失利益(4)-中間利息控除(ホフマン方式)(最二判平3・11・8交通民集24巻6号1333頁)」交通事故判例百選[第4版](1999)118-119頁)。

したがって,単利計算に基づいて計算されたホフマン係数も,複利計算に基づいて計算されたライプニッツ係数も,現実の損害賠償の額を決定するのに使うことはできないのである。

その代わりに,逸失利益の計算は,原理に立ち返って,以下のように計算しなければならない。

Sn=a1×(1/(1+r)^1)+a2×(1/(1+r)^2)+ … +an×(1/(1+r)^n)

この計算は,表計算ソフトを利用すれば,一瞬で計算が完了するのであり,計算に時間がかかった時代に濫用されたホフマン係数やライプニッツ係数を利用し続けることは,不正経理を行うに等しいことをすべての法律家が自覚すべきである。

このように考えると,法律家としても,ホフマン方式やライプニッツ方式で逸失利益を算定することは,年収が増加傾向にある被害者の逸失利益の算定は,水増し請求となるのであって,そのような不正な請求を行うことは,専門家として恥ずべき行為であり,直ちに停止すべきであろう。

(4) 微分が理解できない-ハンドの公式の誤り

民法学においては,従来は,過失とは,「うっかりしている」等の内心的な緊張を欠く状態を意味していたが,それでは,故意と同じように証明が困難である上に,恣意的な認定が行われるおそれがあった。

そこで,現在では,外形から判断できる行為に着目し,「自らの行為から一定の好ましくない結果が発生することが認識できるにもかかわらず,不注意で,予見可能な結果を回避する注意義務に違反することである」と考えられるようになっており,客観的な証明が可能な概念へと進化している。

そうはいっても,過失の判断は,「あるか,ないか」の判断であり,定量的な分析にはなじまないとされてきた。この点について,法と経済学(法の経済学的分析)の研究は,過失についても,定量的な分析を可能にしてくれている([加賀山・不法行為法の定量分析(2011)17頁以下]参照)。

法と経済学の知見によると,過失の判断における注意義務の程度,すなわち,行為者が果たすべき合理的な注意の量(x)は,その注意の量に応じた「注意費用」(Bx)とそのような注意を払ってもなお生じる可能性のある損害の額,すなわち,「期待損害」(p(x)L)との合計額,すなわち,社会費用(SC)を最小とするような注意の量(x*)として決定される[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)352-358頁]。

下の図においては,以下の3つの線が重要な役割を果たしている。

・注意費用直線:注意の量が増えるに従って増加する注意費用が,右上がりの直線(Bx)として表示されている。
・期待損害曲線:注意の量に応じて,減少する期待損害が,右下がりの曲線(p(x)L)として表示されている。
・社会費用曲線:上記の2つの費用の合計額が社会費用(SC: Social Cost = Bx+p(x)L)であり,この社会費用は,下に凸の曲線として表示されている。

この社会費用曲線が最小となる点,すなわち,限界注意費用と限界期待損害との和がゼロとなる点(B(x)’+ p(x)’L = 0)を求めると,その場合のxの値が,注意義務の量として決定される。下の図では,このxの量が縦の直線で表されている。

Hand01

図 法の経済分析からみた「ハンドの定式」の誤り
ハンドの定式:注意費用 <期待損害 のとき,過失となる
法の経済分析:限界費用 < 限界期待損害 のとき,過失となる

社会的費用を最小にする注意の量は,以下に述べるように,「ハンドの定式」(United States v. Carroll Towing Co. 159 F. 2d 169(2d Cir. 1947)([藤倉他・英米法判例百選(1996)170-171頁])参照)において決定的に重要とされる「注意費用と期待損害費用とが一致する点」,すなわち,注意費用直線と期待損害曲線との交点とは,全く異なる点であることに注意する必要がある。

「ハンドの定式」においては,注意費用と期待損害とが等しくなる点,すなわち,B(x) = p(x)Lを満たす注意の量であるxの値が過失と無過失とを分ける点とされている(ハンド判事自身が,「過失を決める方程式をB = PDとする。Bは危険を避けるのに必要な注意,Lは被害の大きさ, Pは被害の発生する蓋然性である」([藤倉他・英米法判例百選(1996)171頁])と述べている。そして,注意費用が期待損害を下回る場合,すなわち,B(x) <p(x)Lの場合に,行為者に過失があるとしている([藤倉他・英米法判例百選(1996)170頁])。

しかし,上の図でも明らかなように,過失と無過失とを分ける点は,注意費用と期待損害とが等しくなる点ではなく,限界注意費用と限界期待費用とが等しくなる点,すなわち,社会費用が最少となる点である。その点で,ハンドの公式は,費用と限界費用とを取り違えた基本的な誤りを犯しているといえよう(ハンドの方式に対しては,[クーター,ユーレン・法と経済学(1997)369-373頁]が,「法と経済学」の立場から,徹底的な批判と問題の解明を行っている)。


4.基準が恣意的なもの


(1) 対抗問題とは何か


通説は,民法177条の「対抗することができない」は,対抗問題だが,民法94条2項,民法96条3項の「対抗することができない」は,対抗問題ではないとしている。

このような区別の基準を探求してみると,通説は,第三者に対抗するために登記が必要と考える場合には,それを対抗問題といい,第三者に対抗するのに登記を必要としない場合は,対抗問題ではないと言い換えているに過ぎないことがわかる。

しかし,基準となる「登記を必要としない場合とは,対抗問題ではない」という命題は,その対偶(元の命題と同値)を取ってみると,「対抗問題とは,登記を必要とする問題である」ということになる。しかし,AがBによる詐欺によって不動産をBに売却し,Bが善意の第三者に転売したところ,AがBの詐欺に気づいて取消をした場合に,保護を求めるA,または,Cは,検視保護資格要件として登記を必要とすると考えるが有力説となっており,民法96条3項の「対抗することができない」という意味を,対抗問題ではないとは言い切れない状況となっている。

そこで,「対抗することができない」という意味を一般的に定義したり,「対抗することができない」という意味を民法全体にわたって整合的に理解することが,民法学の課題となる([加賀山・対抗不能の一般理論(1986)6頁以下]参照)。

この問題について,わが国で最初に取り組み,「対抗不能の一般理論」を提唱したのがが筆者であることは,私法学会のシンポジウムの中舎発言でも明らかにされている。

そこで,ここで,筆者の「対抗不能の一般理論」を紹介し,民法にでてくる「対抗することができない」という意味は,整合的,かつ,統一的に解釈できることを示すことにする。

(A)民法37条が最初の一歩

民法において,「対抗することができない」という用語が初めて現れるのは,民法37条であり,この条文は,「対抗することができない」という意味を統一的に理解するうえで,非常に意味深い条文である。

ここでは,民法37条のうち,「対抗することができない」という条文と,それを言い換えて表現している「否認することができない」という条文を対比して示すことにする。

第37条(外国法人の登記)

②前項各号に掲げる事項に変更を生じたときは,3週間以内に,変更の登記をしなければならない。この場合において,登記前にあっては,その変更をもって第三者に対抗することができない

⑤外国法人が初めて日本に事務所を設けたときは,その事務所の所在地において登記するまでは,第三者は,その法人の成立を否認することができる

民法37条2項は,「A(外国法人)は,登記するまでは,B(登記事項の変更)をもって,C(第三者)に対抗できない」と表現しているのに対して,民法37条5項は,主語を逆転させて,「C(第三者)は,A(外国法人)が登記するまでは,B(法人の成立)を否認することができる。」と規定している。

後者については,これを「外国法人は,登記をするまでは,法人の成立をもって第三者に対抗することできない」という意味であることに,争いはない。

そうだとすると,Aに一定の不備があると,「AはBをもってCに対抗できない」という意味は,主語を逆転させて,Aに一定の不備がある場合には,「Cは,Cの利益を保護する範囲で,Aの有するBの効果を否認することができる」と言い換えることができそうである。

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つまり,民法において「対抗することができない」という用語が最初に出現する民法37条2項「登記前にあっては,その変更をもって第三者に対抗することができない」は,「第三者は,登記前にあっては,その変更を否認することができる」と言い換えることができることになる。

「AはBをもってCに対抗することができない」という用語法を「Cは,Cが保護されるべき範囲に限ってAが有するBの効果を否認できる」と言い換えるメリットは,「対抗できない」というあいまいな否定形ではなく,主語と範囲が明確となる肯定文として表現できるからである。

(B)民法37条の民法176条,民法177条への応用

民法37条の分析を通じて,「Aは,Bをもって,Cに対抗できない」というあいまいな表現は,主語と効果の範囲が明確な「Cは,Cの利益が保護されるべき範囲で,AのBの権利を否認できる」と言い換えることができることが明らかとなった。

そこで,この考え方を,民法176条,および,177条に応用してみることにしよう。

民法176条によると,不動産の物権変動は,意思表示の合致のみで実現できる。したがって,例えば,不動産の買主Aが売主Bと売買契約をし,契約条項にある所有権移転の条件として売買代金を完済すると,所有権は,BからAに移転し,Aは,完全な所有権者となる。

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しかし,Aが登記をBから移転せずに放置している間に,Cが登記を有しているBから当該不動産を買い受けて先に登記をすると,第一買主であるAは,所有権の移転の効果を第二買主であるCに対抗できなくなる。これが,民法177条の意味である。

民法177条の意味は,民法37条で習得した「否認」による書き換えをすると,一層わかりやすくなる。

すなわち,民法177条は,「(権利保護要件としての登記を先に得た)第三者は,民法176条によって取得したAの権利のうち,売買契約上の不履行責任等の効力までは奪えないものの,Bの利益を害する物権的移転の効力に限って,これを否認することができる」と書き換えることができる。

このように書き換えると,登記を怠った第一買主は,売買契約は有効であるので,売主に対して,債務不履行に基づく損害賠償を請求できることになるが,所有権の取得は,はじめに遡って否認されることになることがよく理解できる。

(C)民法37条の民法96条3項への応用

通説によれば,条文上は「対抗することができない」と書かれているが,民法177条にいわゆる「対抗問題ではない」とされている,民法96条3項についても,民法37条の分析から得た「否認」の考え方を応用して,民法96条3項を書き換えてみて,その意味を理解することにしよう。

民法96条3項は,「詐欺による意思表示の取消しは,善意の第三者に対抗することができない」と規定している。

「AはBをもってCに対抗することができない」を「Cは,Cの利益を害する範囲でAの有する権利のうちの一部を否認することができる」として,書き換えるのであるが,民法177条の場合は,例えば,売買契約の効果のうち,物権移転の効果だけが否認された。

これに対して,民法96条3項の場合には,否認されるのは,「はじめに遡って無効となる」(民法121条)という取消しの効果のうち,遡及効だけが否認される。

つまり,民法96条3項は,「善意の第三者は,その利益を害されることになる遡及効に限って,詐欺による意思表示の取消しの効果を否認することができる」と書き換えることができる。

そうすると,善意の第三者によって,詐欺による意思表示の効果は,民法748条の「婚姻の取消しの場合と同様,「将来に向かってのみその効力を生ずる」,すなわち,復帰的物権変動が,初めに遡るのではなく,取消しの時点から生じることになる。

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このように考えると,取消しによる売主Bから第一買主に対する復帰的物権変動と,売主Bから善意の第三との間に生じる売買契約による物権変動が,まさに,二重譲渡の関係になるため,この時から,民法177条が適用されることになるのである。

(D)詐害行為取消権の取消しも否認として理解する

このようにして,第1に,「AはBをもってCに対抗することができない」の意味を,「Cは,自己の利益が害する範囲で,BについてAの権利を否認できる」であると理解できるようになり,第2に,この場合の否認とは,当事者間で法律行為を無効にする取消とは異なり,第三者が当事者間の法律行為の効果の一部を取り消すことであると理解することができるようになると,さらに視野が広がるようになる。

なぜなら,詐害行為取消権の取消しも,実は,当事者間で行われる法律行為の取消しではなく,第三者(債権者)が債務者と受益者との間で行われた法律行為,または,受益者と転得者との間の法律行為,さらには,転得者と別の転得者との間で行われた法律行為について,責任財産を逸失刺せるという効果のみを否認して,逸失した債務者の目的財産を債務者の責任財産とみなして目的財産に対して強制執行をする準備をするものであることが理解できるようになるからである。

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このように考えると,詐害行為取消権とは,破産法上の否認権が債務者の総財産を対象にして,債務者の総財産を管理する破産管財人が債務者の財産の逸失行為を否認するものであるのに対して,民法上の詐害行為取消権は,特定財産に対して,債権者が債務者等の責任財産の逸失行為を否認するものであることが理解できるようになる。

つまり,民法424条における「債権者は,債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求することができる。」は,以下のように書き換えることができることになる。

債務者が債権者を害することを知ってした法律行為は,債権者に対抗することができない。
債権者は,その法律行為意によって逸失した財産について,債務者の財産とみなし,受益者,または,転得者の下で強制執行をすることを裁判所に請求することができる。


(2) 連帯債務の絶対的効力の範囲


債権者と連帯債務者の一人との間で生じた事由は,契約の相対的効力の原則にしたがって,原則として,他の連帯債務者に及ばないとするのが,民法440条(相対的効力の原則)の趣旨である。

第440条(相対的効力の原則)

第434条から前条まで〔連帯債務者の1人について生じた事由の他の連帯債務者に対する絶対的効力〕に規定する場合を除き,連帯債務者の1人について生じた事由は,他の連帯債務者に対してその効力を生じない。

しかし,民法440条は,逆から見ると,434条~439条までの規定について,絶対効があることを明確にしているほか,厳密には,絶対的効力のすべてを尽くしていないという点で,立法の過誤というべき規定である。

なぜなら,弁済については,すべての学説が,絶対的効力を認めているが,民法440条には,弁済が絶対的効力を有する例外であることが規定されていない。

さらに問題であるのは,絶対的効力の例外を民法434条から始めているが,その前の民法433条も絶対的効力の規定であるにもかかわらず,433条の規定を絶対的効力に含めていない点である。

民法433条は,旧民法債権担保編第58条を修正したものであるが,旧民法が,取消しについてのみ,行為無能力,瑕疵ある意思表示を理由に取り消されたときは,「債務に於ける其者の部分に付き他の債務者を利す」と規定していた。現行民法の立法理由によれば,現行民法は,「既成法典は,取消の場合のみに付きて規定を設けたるを以て,無効の場合に於ては如何なる結果を生ずべきかに付き疑を生ずるに至れり。」と述べて,旧民法が取消しについてのみ規定しているのを,むしろ,不十分とし,無効の場合をも追加して規定したものであり,「無効・取消の絶対的効力」を否定したものではない。

このように,現行民法には,立法理由とは異なり,「絶対的効力」をすべて列挙していないという立法上の過誤が存在している。このため,学説は,絶対的効力についての整合的な解釈に失敗しており,民法が絶対的効力として認めている免除の絶対効(民法437条),消滅時効の絶対効(民法439条)を制限的に解釈し,民法改正においては,これらを削除するとの提案までしている。

しかし,連帯債務の性質を,真の債務(負担部分)と連帯保証(保証部分)との結合であると理解する場合には,絶対的効力の意味を以下のように理解することが可能となる。

連帯債務者の一人に生じた事由は,原則として他の連帯債務者に影響を及ぼさないが,一定の場合には,他の連帯債務者に対して影響を及ぼすことがある。


(3) 不真正連帯債務とは何か


連帯債務とは異なり,弁済以外には絶対的効力が生じないが,負担部分を越えて弁済をした場合には,求償はできる。

しかし,負担部分があるのであれば,それは連帯債務そのものであり,負担部分が消滅すれば,絶対的効力も生じるはずである。

この点について,興味深い事例を提供しているのが,最一判平6・11・24判時1514号82頁であり,以下のような事案である([加賀山・連帯債務の相互保証モデル(2001)19頁以下]参照)。

妻Xと夫Aとの婚姻関係を継続中,第三者であるY女が夫Aと不貞行為に及び,そのため右婚姻関係が破綻するに至ったとして,妻Xは,Y女に対し,不法行為に基づく慰謝料300万円とこれに対する遅延損害金の支払を請求して訴えを提起した。

この事案について,第一審は,Xの請求を全部認容した。これに対して,控訴審は,本件不法行為に基づく慰謝料は300万円が相当であると判断したものの,Yが原審において主張した債務免除の抗弁を一部認め,YがXに支払うべき慰謝料は150万円が相当であるとし,一審判決を変更して,Yに対し,150万円及びこれに対する遅延損害金の支払を命じた。

控訴審判決は,以下のように,民法719条の連帯責任について,民法437条の規定を適用しており,事案の解決として妥当である。

Y女と夫Aの不貞行為は妻Xに対する共同不法行為というべきところ,XとAとの間には平成元年6月27日離婚の調停が成立し,その調停条項には,調停の「条項に定めるほか名目の如何を問わず互いに金銭その他一切の請求をしない」旨の定めがあるから,XはAに対して離婚に伴う慰謝料支払義務を免除したものというべきである。

YとAがXに対して負う本件不法行為に基づく損害賠償債務は不真正連帯債務であるところ,両名にはそれぞれ負担部分があるものとみられるから,本件調停による右債務の免除はAの負担部分につきYの利益のためにもその効力を生じ,YとAがXに対して負う右損害賠償債務のうちY固有の負担部分の額は150万円とするのが相当である。

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ところが最高裁判例は,「民法719条所定の共同不法行為(者)が負担する損害賠償債務は,いわゆる不真正連帯債務であって連帯債務ではないから,その損害賠償債務については連帯債務に関する同法437条(免除の絶対効)の規定は適用されないものと解するのが相当である(最高裁昭和43年(オ)第431号同48年2月16日第二小法廷判決・民集27巻1号99頁参照)。」と判示している。

しかし,この事案は,共同不法行為者とされる夫と不倫関係に女性の二人であり,まさしく,共謀がある事案であるから,競合的共同不法行為とは異なり,加害者間に主観的関連共同がある事案であり,したがって,その責任を通常の連帯債務と考えても,何の不都合もない事案であった。

しかも,原告(妻)は,夫への請求を免じしているのであるから,妻は夫と不倫関係にある女性に対して連帯債務の全額を請求した場合には,その女性は夫に対して求償ができるため,夫にした免除は実質的な意味を持たず,回り求償を生じさせる分,免除を受けない連帯債務者にとって,不当に重い責任を課すものとなっている。


(4) 第三者のためにする契約に該当する契約


「第三者のためにする契約」は,三当事者にかかわる様々な制度,例えば,生命保険契約,債権譲渡,債務引受,契約上の地位の譲渡,保証などを公正に構築できる優れた制度である。しかし,現状では,その利点が活かされていない。なぜなら,「振込制度」の前身である「電信送金契約」に関して,判例は「第三者のための契約」ではないと断定したからである(大判大11・9・29民集1巻557頁,最一判昭43・12・5民集22巻13号2876頁)。

これが,「第三者のためにする契約」の解釈学の悲劇の始まりである。その後,振込についても,「判例(大判昭9・5・25民集13巻829頁)は,振込契約を第三者のための制度ではないと判断している」という考え方が通説となっている。

このため,「第三者のためにする契約」に基づいて振込制度の基礎理論を形成するという機会が阻害されている。

「振込契約」に関する最近の判例(最二判平8・4・26 民集50巻5号1267頁)も,第三者のためにする契約の考え方を無視し,以下のように,誤振込のように,原因関係がなくても振込は有効」という考え方を採用するに至っている。

振込みの原因となる法律関係が存在しない場合であっても,受取人と銀行との間に,振込金額相当の普通預金契約が成立する。

このため,反社会的集団による「振り込め詐欺」に対しても,「原因関係がなくても振込は有効」であるという判例法理が足枷となって,適切な対処できないという混迷状態が続いている。

そこで,「第三者のためにする契約」について,原点に立ち返って基礎的研究を行い,その効用を再評価をすることが必要となっている。


Ⅲ 民法学の失敗の原因の究明


最後に,民法学の最大の失敗のうちの二つを例(事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方,および,連帯債務の法的性質)を取り上げ,なぜ,このような失敗が放置されているのかを考えてみよう。


1.事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の温存にみられる論理的思考の不徹底とごまかしに頼る傾向


事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が,一定の場合に誤りに陥るということは,昔から指摘されてきた。すなわち致死量10mgの毒をY1が10mg,Y2が10mg,Y3が10mgをXのワイングラスに入れて,Xが死亡するという場合(上記第(3)の場合)には,一人を取り除いても,結果が生じるので,例外的に事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は使えないとされてきた。

しかし,Y1が4mg,Y2 が4mg,Y3が4mgを入れた場合(上記第(1)の場合)には,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の結果が正しいため,この考え方自体が誤りであるとは,認識されなかった。

もしも,Y1が4mg,Y2 が4mg,Y3が4mgを入れた場合(上記第(1)の場合)においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を使うと,Y1もY2もY3もXの死亡という結果全体について因果関係があるという結論が生じる。このため,この場合においても,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が誤りに陥ることに気づいていれば,複数原因の場合には,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,常に誤りに陥るので,使ってはならないという結論が導かれる可能性が存在していた。しかし,民法学は,このような絶好の機会を生かすことができなかった。

しかも,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方は,相当因果関係,または,規範の保護範囲の考え方に先立って適用されるという役割を果たしているため,Y1が5mg,Y2が5mg,Y3が5mgを入れたという第(2)の場合には,深刻な問題が生じる。なぜなら,この場合には,Y1,Y2,Y3の行為とXの死亡という結果との間に,第(1)の場合よりも,より強い因果関係があるはずであるにもかかわらず,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方によれば,Y1の行為も,Y2の行為も,Y3の行為も結果との間に因果関係がないという判断が下されてしまい,相当因果関係の判断も,規範の保護範囲の考え方も経由することなく,因果関係はないとの判断が下される危険性があるからである。

ところが,法律学は,上記のような徹底的な論理的な追究を行うことなく,関連共同性というごまかしの概念に逃げ込んでしまう。

関連共同性という概念が無意味な概念であることは,多くの学者が指摘しているにもかかわらず,ほとんどの民法学者が,この概念に頼ることになっているのはなぜかというと,関連共同性という中間概念を共同行為者と結果の間にかませると,その概念から結果までの因果関係は,一対一に対応しており,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が誤りに陥ることはないからである。

つまり,民法学は,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方の論理の誤りを詰めていくという面倒な思考を避け,その誤りについて考察することから免れることができる安易な方法として,共同不法行為を一つにまとめるという,結果的に,共同不法行為の概念を破壊するに等しい「関連共同性」という概念を共同不能行為の因果関係を判断する場合の中間項として利用することを選択したのである。

しかし,このようなごまかしをすることによって,民法学は,第1に,複数原因の場合に事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を利用する危険性をきちんと考察する機会を失っただけでなく,第2に,共同行為者の一人が全額を弁済した場合の求償関係について,負担部分をどのように算定するのかについての考察について,部分的な因果関係の考え方を含めて,因果関係との関係を遮断されることを認めてしまう。その結果,第3に,上記のすべての場合について,Y1,Y2 ,Y3の負う責任を,部分的因果関係にもとづく寄与部分に従って成立する真正の連帯債務と考えることを否定し,不真正連帯債務という,人によって,その定義も効果も異なる破綻した考え方を採用して,ごまかしを拡大するという悲惨な結果を生じさせているのである。


2.連帯債務の法的性質にみられる足し算さえできない概念に頼る論理的思考の欠如


通説によれば,連帯債務とは,以下のように定義されている([有斐閣・法律学小辞典])。

複数の債務者が同一内容の給付について,それぞれ独立に債権者に対して全部の給付をする債務を負い,その中の1人が弁済すれば,他の者も債務を免れるという多数当事者の債務を連帯債務という。


(1) 通説の誤りの始まり(独立した債務なのに足し算ができない)


これを具体例で説明すれば,以下の通りとなる。

(A) 連帯債務とは,債権者(X)から,Y1が300万円を借り,Y2が200万円を借り,Y3が100万円を借りて,Y1 ,Y2,Y3 が,Xに対して連帯して債務を負うことを約した場合に,「複数の債務者(Y1,Y2,Y3)は,同一内容の給付(600万円)について,それぞれ独立に債権者(X)に対して全部(600万円)の給付をする債務を負う。

(B) そして,その中の一人(例えばY1 )が弁済すれば,他の者(Y2,,Y3)も債務を免れるという多数当事者の債務である。

しかし,この定義は,(A)についても,また,(B)についても,ごまかしにあふれている。まず,(A)について,Y1も,Y2も,Y3も,独立して債務を負うのであれば,連帯債務の額は,600万円×3=1,800万円となるはずである。ところが,連帯債務の額は,600万円のままである。

もしも,民法学者が,足し算ができないのだから,それぞれの連帯債務は,独立の関係にないと見破っていれば,今回のような破綻は生じなかった。そして,連帯債務の性質は,負担部分という本来の債務(負担部分)と他の連帯債務者の負担部分を相互に保証する連帯保証(保証部分)とから成り立つという,相互保証理論の正しさを認識できたはずである。

その考え方に立ってのみ,連帯債務の総額は,連帯保証の部分を除いた,それぞれの連帯債務者の負担部分の総計(300万円+200万円+100万円=600万円)であるという足し算が可能となるのである。

しかし,民法学者らは,自分の頭で考えることをやめ,連帯債務の中に存在する付従性を抱えた連帯保証の存在に気づくこともなく,通説を唱える権威に盲従しているのである。これが,私のいう民法学の腐敗の第1の原因である。


(2) 通説の暴走の始まり(民法の明文の規定を無視しても,通説にしがみつく)


次に,(B)について考察すると,これも完全な誤りであることが判明する。なぜならば,Y1が600万円全額を支払った場合には,Y1は,Y2 に対して200万円,Y3に対して,100万円の求償権を取得する(民法442条)。この点について,争いはない。

そして,Y1の求償権を保護するために,民法は,その500条以下において,Y1に対して,弁済による代位の権利を与えている。すなわち,民法501条は,「自己の権利に基づいて求償することができる範囲内において,債権の効力及び担保としてその債権者が有していった一切の権利を行使することができる」と規定しており,この意味が,債権の法定的移転であることについても,現在においては,争いがない。

そうすると,債権者のY2に対する債権は,Y1の求償権である200万円の範囲でY1 に移転して存続し,債権者のY1 に対する債権も,Y1の求償権である100万円の範囲でY1に移転するのであって,Y2もY3も求償権に応じて,Y1に弁済するまでは,債務を免れることはできないことになる。

したがって,通説による上記の(B)の説明は,誤りであることが分かる。この説明は,ほぼすべての教科書がそのような記述に従っているので,民法学は,連帯債務の性質について,すべて誤りを犯していることになる。

しかし,なぜ,このような誤りが生じたのであろうか。この場合も,通説は,一応もっともらしい説明を付けてその場をとりつくろう「ごまかし」(外部関係の内部関係の遮断)に逃げ込んでいる。

そのもっともらしい説明というのは,「Y1が連帯債務の全額を弁済すると,外部的には,Y2,Y3も債務を免れる。しかし,内部関係としては,不当利得に基づいて,Y1は,Y2,Y3に対して新たな求償権を有することになる」というものである。

しかし,これは,先に説明した民法500条以下の弁済による代位の明文の規定に反しており,破綻を免れることができない。

それでもな,通説が,このようなごまかしで生き残っているのは,民法学者が通説に弱いからに他ならない。これが,私の指摘する民法学の腐敗の第2の原因である。


(3) 歯止めの効かない暴走(民法改正案にみる連帯債務の性質の無理解)


以上の二つの例は,連帯債務が分からないまま,債権者を保護するという理由だけで,連帯債務者に一人に生じた事由の絶対的効力を極力否定しようとする通説の考え方につながる。

そして,この考え方は,不真正連帯債務を説明する通説によって,加速度をつけ,さらに,先に述べた事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方が加わることによって,もはや,民法学の暴走に歯止めがかけられない事態にまで進んでいるのである。

民法(債権関係)の改正案が,連帯債務の本質を誤解している通説に従って,連帯債務に本質的に有する保証部分の付従性を否定し,民法437条(連帯債務の一人に対する免除),および,民法439条(連帯債務者の一人についての時効の完成)を削除しようとしているのは,民法学の失敗の暴走の一例に過ぎない。

このような暴走が,以上に述べた民法学の失敗の原因に基づいていることに気づかないと,民法学の腐敗は,やがて,自らを自滅に追い込むことになることを,すべての民法学者が理解すべきであり,腐敗を防止するための活動を開始しなければならないと,私は考えている。


Ⅳ 結論


以上の検討を通じて,民法学における難解な以下のような学術用語は,実は,学説の過誤によって生成し,誤りが正されないままに存続しているに過ぎず,民法を初めて学ぶ人が理解できないのは,むしろ当然のことが明らかになった。

1.複数原因の判断における事実的因果関係(あれなければこれなし)の採用
2.物権変動における対抗問題の定義
3.被担保債権とは別個・独立に存在するとされる担保物権の定義
4.主たる債務とは別個・独立に存在するとされる保証債務の定義
5.連帯債務における相対的効力の原則の強化
6.各人が独立して負うとされる不真正連帯債務の存在
7.中間利息控除におけるホフマン方式,ライプニッツ方式の採用
8.詐害行為取消権における「取消し」の定義

したがって,民法学の課題は,以下のように,誤りは誤りとして認め,それらを正していくことであることも明らかであろう。

1.複数原因の場合の因果関係の判断について,事実的因果関係(あれなければこれなし)の考え方を用いると,すべて,誤りに陥る。複数原因に関しては,部分的因果関係の理論によって考察すべきである。

2.物権変動の対抗問題は,「AはBについてCに対抗することができない」という条文の意味を「Cはその権利が保護される範囲で,Bについて,Aの権利を否認できる」と書き換えることを通じて整合的に判断すべきである。

3.担保物権は,被担保債権の掴取力に優先弁済効が付加されたものに過ぎない。したがって,「被担保債権から独立した物権としての担保物権は存在しない」。

4.保証は,第三者による主たる債務の履行引受けの一種であり,物上保証と同じく,「債務のない責任」である。したがって,主たる債務から独立した「保証債務という債務は存在しない」。

5.連帯債務の絶対的効力は,連帯債務に存する保証部分から必然的に生じる付従性の効果である。したがって,連帯債務の一人について生じた負担部分の消滅事由について,絶対的効力を否定することは誤りである。

6.弁済以外の絶対的効力を否定するという不真正連帯債務は,概念矛盾でり,真正な連帯債務に置き換えられるべきである。

7.中間利息控除に利用されているホフマン方式,ライプニッツ方式は,収入が一定の場合にしか使えない方式であり,実務で利用すべきでない。特に,収入が増加傾向にある被害者の損害賠償額の算定に利用すると,損害賠償額を大幅に水増しすることになり,不正な会計処理の問題を生じる。

8.詐害行為取消権は,法律行為の当事者にだけに与えられる「取消権」ではなく,第三者が詐害的な責任財産の逸失行為を否認し,受益者または転得者の下で強制執行を可能にする権利である。

民法学が,このような誤りを正す努力を重ねることによってこそ,民法学は,他の法学分野,および,他の社会科学と協力体制を組むことができるようになり,世の中に生じる様々な紛争を平和的に解決することに貢献できるようになると思われる。


Ⅴ 今後の課題


読者の中にも,民法の通説の中に,矛盾や誤りを見出している人々は多いと思われる。読者の協力を得て,そのような通説の破綻をすべて収集し,それぞれについて,破綻の原因を突き止め,それらをすべて克服できる民法の体系的な理論を構築することが今後の課題となる。

私の仮説は,通説に誤りが生じている原因は,民法の研究者・学習者たちが,ある通説がおかしいと感じても,「法律学とは,そういうものだ」とあきらめているからではないかというものである。

ひと昔になるが,三ケ月 章 教授が,学者には,第1に,「通説からの自由」,第2に,「恩師の学説からの自由」,第3に,「自らの過去の学説からの自由」という三つの態度を怠らない努力が求められると力説されたことがある。

私の観察するところによれば,民法学者だけでなく,一般的にいって法学者には,これとは反対に,第1に,通説に甘く,第2に,恩師の学説には逆らわず,第3に,自分の書いたものを訂正する勇気がない人が少なくないように思われる。それが,法律学に腐敗をもたらせているのではないだろうかと,私は考えている。

読者の方々には,法律家のそのような傾向にストップをかけ,民法学が腐敗から立ち直るような方法を模索していただきたいと考えている。読者の協力をお願いする次第である。


参考文献


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加賀山茂「振込と組戻しの民法理論-『第三者のためにする契約』による振込の基礎理論の構築-」明治学院大学法科大学院ローレビュー18号(2013/03)1-19頁

[加賀山・第三者のためにする契約の機能(2013)]
加賀山茂「第三者のためにする契約の機能-債務者のイニシアティブによる公平な三面関係の創設機能-」高森八四郎先生古希記念(2013/10)

[加賀山・ビジュアル民法講義(2013)]
加賀山茂『DVD講義 ビジュアル民法講義シリーズ1 民法入門・担保法革命』信山社(2013/12)

[加賀山・民事訴訟法理論の破綻と修復(2014)]
加賀山茂「民事訴訟法理論の破綻と修復の必要性-法律上の推定の復権という観点からの民訴法学に対する苦言と提言-」明治学院大学法科大学院ローレビュー 20号(2014/03)5-36頁

[加賀山・サブ契約の理論(2015)]
加賀山茂「保証人,転借人,下請人の保護のための『サブ契約』理論の構築」明治学院大学法科大学院ローレビュー 22号(2015/03)1-11頁

[加賀山・判批「保証債務の弁済と時効の中断」(2015)]   加賀山茂「民事判例研究(948)債務者を相続した保証人が『保証債務』を弁済した場合の時効の中断」法律時報2015年11月号113-116頁

[加賀山・第三者のためにする契約の活用(2015)]
加賀山茂「『第三者のためにする契約』の活用による立替払い契約の購入者の保護」明治学院大学法科大学院ローレビュー第23号(2015/12)1-12頁

[加賀山・民法改正案の社会通念の不要性(2016)]
加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学ローレビュー第23号(2016/03)1-20頁

[加賀山・判批「JR東海線路立入り事件」(2006)]
加賀山茂「判批・線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条1 項に基づく損害賠償責任が否定された事例(JR東海認知症高齢者線路立入事件)」『速報税理』2016年5月1日号(ぎょうせい) 50-56頁

 

書評:岸見=古賀『幸せになる勇気』ダイヤモンド社(2016/2/26)


岸見一郎=古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社 (2016/2/26)


本書の概要

本書は,アドラー心理学の基礎を学んだ人が,その理論を教育(カウンセリング等の広い意味での再教育)を実践する際にぶつかる疑問点について,対話形式で解説するものであり,ベストセラーである同一著者による『嫌われる勇気』(2013)の続編です。

3年間にわたってアドラー心理学を実践してみて,ついに挫折した教師と哲学者との対話を通じて,『嫌われる勇気』(2013)では具体的に論じられなかった以下の点について,詳しく解説されています。

1.問題行動の心理学的分析

アドラー心理学の特色である「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を現場で実践する場合に,強固に立ちはだかる障害は,それに反発する伝統的な考え方です。

本書は,教育の現場で「叱ってはいけない,ほめてもいけない」を実践してみて,見事に挫折した教師の愚痴(「悪いあの人」,「かわいそうな私」)の話から始まります。(なお,本書では,すべての悩み相談の内容は,このパターン(「1. 悪いあの人,2. かわいそうな私」)に集約されるとしています。カウンセリングでは,そこ(過去の原因の究明)は聞き流し,「3. これからどうするか」(将来の目標)に話題を転じることが必要だとされています。)

それを受けて,本書では,対人関係で生じる相手方の問題行動が心理学的に分析されます。そして,問題行動は,対処を誤ると,以下の5段階へと発展することが明らかにされます。すなわち,1.賞賛要求(いい子),2. 注目喚起(よい子がだめなら悪い子),3. 権力争い(どれもだめなら,反抗・妨害),4. 復讐(憎しみによる嫌がらせ・ストーカー行為),5. 無能の証明(絶望)です。

これらの問題行動をする人の目的は,すべて,「共同体の中で特別の地位を確保すること」から始まっているので,3の段階にまで悪化する前に,私たちは,共同体の中で,特別の地位を占めるのではなく,普通の地位を占め,構成員と「横の関係」を築くことが重要であること,そのことを身をもって示すことが大切であることが語られています。

詳しくは,本書を読んでいただくほかありませんが,その心理分析は見事であり,しかも,その段階ごとに注意すべき点が明らかにされており,この部分は,アドラー心理学の真髄でもあるので,皆さんも,本書を読んで,詳しく検討されることをお勧めします。

2.自立を阻害する要因の分析と克服

生まれたばかりの人間が,1. 賞賛要求,2. 注目喚起を行うのは自然のことです。しかし,そこから生じる依存体質を克服し,自立をめざすには,他人からの賞賛や注目を期待するのではなく,自らが,「ありのままの自分を承認すること」が必要だというのがアドラー心理学の出発点です。

もちろん,自立をめざすと,とたんに,理想と現実のギャップから生じ,誰でも劣等感を持ちます。しかし,この劣等感に対しては,「Aだから,Bできない」という劣等コンプレックスに陥るのではなく,反対に,「自分のありのままを受け入れる勇気をもつこと」によって,自立の第一歩を踏み出すことができます。なぜなら,自立とは,「わたくし」の価値を,「自らが決定すること」であり,そのことが,「自分のことは,自分で決めることができる」という確信を持つことにつながっていくからです。

3.課題の分離と共同体のミッションの実現に向けた協力

「自分のことは自分で決めることができる」という確信(勇気)は,同時に,「他人のことは,他人が決めるのであって,他人の領域には,土足で踏み込まない」という,課題の分離,そして,「自己中心性からの脱却」という,「自立」のもう一つの定義につながっていきます。そして,いったん分離した課題を統合するのが,共同体のミッションに向けた相互協力であり,お互いに支援しあう横の関係の構築です。

以上のプロセス,すなわち,「自分のありのままを受け入れること」,同時に,「他人を自己と異なるものとして受け入れること」,したがって,「課題分離すること」,しかし,共同体のミッションを実現するために,他人と競争ではなく,横の関係の中で協力すること,それらの一連のプロセスを通じて,人間は,共同体への貢献感を得ることができるようになる。それが,人間が幸せになるということだというのが本書の概要です。

本書の特色と示唆

本書を読むと,心理学的分析が,哲学とつながっていることがよくわかります。哲学とは,人生で生じる様々な問題点について,「権威や神話から離れて,自分の頭で考えること」だからです。

しかし,自分で考えたことを科学の世界へと高めていくためには,疑うことのできない事実と仮説のみに基づいて,普遍的な原理を探求していかなければなりません。私は,これまで,人類に普遍的な原理は,以下の5つに集約できると考えてきました。

1. 人間は社会的動物である。なぜなら,生まれたままで放置されたら,すぐに死ぬのであって,親とか社会による支援が不可欠である。
2. 人間は,生まれながらに,支援を求めるが,次第に,自由を求めるようになる。しかし,自由は,他人の自由とも調和させなけば,社会の平和を保つことができない。
3. そこで,人間は,自分にとって,または,社会的に有用だと思うことは自由に行動してよいが,その際に,他の人の損害,または,社会的費用を最小限にするように注意を払う義務を負うというルールに服さなければならない。
4. もしも,そのような義務を怠って他人に損害を与えた場合には,民事的な,または,刑事的な責任を負わなければならない。
5. 自由と責任の関係がバランスをとって実現されている社会において,互いに協力しあうことが,すべての人の幸福につながる。

しかし,以上の5つの命題には,個人が自立するプロセスと,その過程で生じる問題についての考察が欠けていました。(もっとも,私は,定年を控えた最近になって,教育の目標は,単に学習者一人ひとりの「知的レベルの向上」だけではなく,一人ひとりの「自立」にあると思うようになってきましたが,自立についての考察は,まだまだ発展途上です)。

本書は,先に述べたように,自立を求めて生きる人間が陥りやすい問題行動の5段階を明らかにしており,しかも,それぞれの段階における問題行動に対処する方法を明らかにしているため,私の未熟な考え方を修正し,自立の部分を追加する契機となりました。現在のところ,上記の2.と3.との間に,「自己のありのままの承認,他人の課題と自分の課題との分離,それを前提としつつも,共同体のミッションを実現するための相互協力」という考え方を追加したいと考えています。そして,将来的には,「求めるよりも与えることを先行させること」を前提とする,『愛の家族法』の執筆へと,私の学説を発展させていきたいと考えています。

本書の課題

本書が採用している対話方式(ソクラテスの弁証法)ですが,本書の姉妹編『嫌われる勇気』(2013)のように,アドラー心理学の全体像を知るためには,対話による部分を少なくして,アリストテレスのレトリック流の体系的な記述を増やした方がよいのかもしれません。本書の筆者の一人が執筆した体系書である『アドラー心理学入門』(1999)の方が,アドラー心理学の全体像を理解するには,便利だからです。

しかし,アドラー心理学の基礎を学んだ上で,アドラー心理学を教育等の現場で実践しようとすると,いろいろな問題点が出てきます。そのような問題点について,どのように解決すべきかという点については,本書のようなソクラテス流の対話方式は,まさに効果的であると思います。

同一著者による『嫌われる勇気』(2013)と『幸せになる勇気』(2016)を続けて読んだ者としては,前著『嫌われる勇気』(2013)については,体系的な概説を中心に据えたうえで,部分的に対話を挿入するという方法を採用し,本書『幸せになる勇気』(2016)については,対話を中心としてよいが,最後のまとめとして,アドラー心理学の哲学的観点から総まとめを追加するとさらによいのではないかと感じています。

参考文献

・浅野樽英『論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術』講談社現代新書(1996/4/20)
・アリストテレス(戸塚 七郎訳)『弁論術』 岩波文庫)(1992/3/16)
・NHKスペシャル取材班『ヒューマン-なぜヒトは人間になれたのか-』角川書店(2012/3/25)
・ポール・エクマン(管靖彦訳)『顔は口ほどに嘘をつく(Emotions Revealed)』河出書房新社(2006/6/3)
・岸見一郎=古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社(2013/12/12)
・岸見一郎『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』ベストセラーズ (1999/09)
・クリス・ギレボー,本田直之(訳)『1万円起業-片手間で始めて十分な収入を稼ぐ方法』飛鳥新社 (2013/9/11)
・鈴木克明『教材設計マニュアル-独学を支援するために』北大路書房(2002/4)
・戸田忠雄『教えるな!-できる子に育てる5つの極意』NHK出版新書(2011/6/8)
・中村あきら『東京以外で,1人で年商1億円のネットビジネスを作る方法』朝日新聞出版(2014)
・プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波文庫(1994/10/17)
・プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫(1967/1/16)
・プラトン(加来 彰俊 訳)『ゴルギアス』 岩波文庫(1967/6/16)

判例評釈「JR東海への認知症罹患者の立入り死亡事件」(最判平28・3・1)


線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条に基づく損害賠償責任が否定された事例

(JR東海への認知症高齢者の線路立入り事件)

第1審:名古屋地裁平22(ワ)第819号,平25・8・9判決
控訴審:名古屋高裁平25(ネ)第752号,平26・4・24判決
上告審:最高裁三小平26(受)第1434号,平28・3・1判決


要約

本件は,アルツハイマー型認知症に罹患し,在宅看護を受けていた高齢者A(91歳)が,同居しているAの妻Y1(85歳)が目を離したわずかの間に徘徊をはじめ,近くの駅からX(JR東海)の列車に乗り,排尿のため次の駅で下車して,ホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてそこから線路に立ち入り,列車と衝突して死亡した事案である。

Xは,列車に遅れが生じるなどの損害が生じたとして,Y1とAの長男Y2,および,Aのその他の相続人2名に対して損害賠償金719万7,740円及び遅延損害金の連帯支払を求めた。

Aの責任能力を否定し,Y1,Y2に対してXを全面勝訴させた第1審判決に対しては,老々介護に対して厳しすぎるなどの社会的な反響が生じ,控訴審は,Y1,Y2に対するXの賠償額を半額に制限する判決を下した。そして,最高裁は,Y1(高齢の配偶者),Y2(別居の長男) ともに,民法714条の監督義務者には該当しないとして,両者の責任を全面的に否定するに至っている。

ただし,最高裁の法廷意見および補足意見によると,本件のような事案の場合には,責任を負う者が全くいなくなることを考慮したためか,裁判官2名による意見(結論は同じだが,理由が異なる)が付されており,その意見においては,別居の長男Y2は民法714条の監督義務者に該当するとした上で,Y2は,監督義務者としての注意義務を尽くしているとの判断がなされている。


Ⅰ 事実関係


Aは,平成12年ころから,認知症の症状をきたすようになったため,平成14年3月頃,Y1(同居しているAの妻),Y2(別居しているAの長男),B(Y2の妻),C(Y2の妹:介護福祉士の資格を有し平成11年から特養併設の介護施設に勤務している)は,Aの介護をどうするかを話し合い,妻のY1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市から愛知県A市にあるA宅の近隣に転居し,Y1によるAの介護を補助することを決めた。

その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度A市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。

平成19年の事故当時,Aは,アルツハイマー型の認知症が進行し,要介護4の認定を受け,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

また,Aは,人物の見当識障害があり,昼夜を問わず徘徊するようになり,行方不明となってコンビニエンス・ストアで保護されることが2度も生じたため,Yらは,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通るとY1の枕元でチャイムが鳴ることで,Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。しかし,事務所出入口については,かつて本件事務所でたばこ等を販売していた頃に来客を知らせるために設置した事務所センサー付きチャイムが存したものの,長らく営業を停止していたため,その電源は切られたままであった。

その間,Yら,B及びCは,Aの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,介護のプロであるCが以下のような意見を述べたため,Aを引き続きA宅で介護することに決めていた。

特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。

Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及びY1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,AとY1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。

Aは,I駅から列車に乗り,I駅の北隣の駅であるJ駅で降り,排尿のためホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,J駅構内において本件事故が発生した。

Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

第1審判決は,Y1に対しては,民法709条に基づく不法行為責任を認め,また,Y2に対しては,「社会通念上,民法714条1項の法定監督義務者や同条2項の代理監督者と同視し得るAの事実上の監督者であったと認めることができ,これら法定監督義務者や代理監督者に準ずべき者としてAを監督する義務を負い,その義務を怠らなかったこと又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったことが認められない限り,その責任を免れないと解するのが相当である。」と述べて, Yらは連帯してXに対して損害賠償責任を負うと判示した。

また,第1審判決は,Xの過失等について,「Xに対し,線路上を常に原告の職員が監視することや,人が線路に至ることができないような侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能を強いるもので相当でないというべきであるから,Xに注意義務違反を認めることはできない。よって,本件の損害賠償額を定めるに当たって,職権により原告の過失を斟酌することは相当でない。」と判示した。

このように,大企業であるXには甘く,一般市民であるYらには厳しい責任を課す第1審判決に対して,Yらが控訴した。

控訴審では,「配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻であるY1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。」とし,「Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった」等の事情に照らして,Y1のみが民法714条によって損害賠償責任(過失相殺の趣旨を考慮して意,請求額の半額)を負うと判断した。

このため,Y1 及びXの双方が上告した。


Ⅱ 主たる争点及び当事者の主張


本件の争点は,Aの同居の妻であるY1,および,別居の長男であるY2 が,それぞれ民法714条1項所定の法定の監督義務者又は,同条2項のこれに準ずべき者に当たるか否か,監督義務者に当たるとすれば,Yらは,監督義務を尽くしたか,他方で,Xには,過失相殺に該当する事由があるかどうかである。

本件においては,以下のように,各審級の裁判所の見解がすべて異なっており,最高裁判決においても意見が分かれている点に大きな特色がある。

第1審判決は,一方で,Aが富裕である(5,000万円を超える金融資産を有していた)ことを考慮して,同居の妻Y1(事故当時85歳)に対しては,事故の予見可能性,結果回避可能性を認めて民法709条により責任を認め,別居の長男Y2に対しては,民法714条2項の準用により責任を認め,両者ともに損害額全額を連帯して損害する責任があるとし,他方で,X(資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者)が駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出したことについては,Xの過失相殺を認めなかった。

これに対して,控訴審は,別居の長男Y2については,監督者責任を否定したが,同居の妻Y1 に対しては,民法714条1項の監督責任者を認めた上で,双方の事情(Yらが相当に充実した介護体制を構築していたのに対して,Xの駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情等)を考慮して,Y1 の賠償すべき額を請求額の半額とした。

最高裁は,Yらの上告受理申立てを認め,Xの請求をすべて棄却した。


Ⅲ 判決の要旨


Y1の監督義務者該当性

民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務についてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。

したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y2の監督義務者該当性

また,Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。

その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

Yらの監督義務者適合性(結論)

これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。

Y1は,長年Aと同居していた妻であり,Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

また,Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながらY1によるAの介護を補助していたものの,Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

以上によれば,Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうちY1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいうY1の論旨は理由がある。

そして,以上説示したところによれば,第1審原告のY1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取消し,第1審原告の請求を棄却することとする。

他方,Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理由がないから,第1審原告のY2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。


Ⅳ 評釈


1. 認知症に罹患した高齢者の監督義務者は誰か

精神的障害がある者について,民法714条の監督義務者が誰になるかの問題は,もしも,特別法に該当する規定がある場合には,それに従って監督義務者が決定されるし,民法上も,成年後見の審判がなされていれば,成年後見人が監督義務者となるとされている。

しかし,本件のように,成年後見の審判もなされておらず,特別養護老人ホームへの入所もせずに,在宅看護をしている場合に,民法714条の監督義務者が誰になるのかは,明らかではない。

最高裁は,前記「Ⅲ判決の要旨」の下線部分で示した一般法理を援用しつつ,法廷意見は,Yらについては,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情がないとして,Yらは,監督義務者ではないとした。

しかし,結論は同じものの,理論を異にする岡部裁判官の意見は,「Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。」として,多数意見のいう「特別の事情」の存在をみとめて,Y2は,民法714条1項の法定の監督義務者に準ずべき者といえると判示している。

同居の配偶者だからとか,相続人だからだとか,成年後見制度を利用していたら成年後見人に就任していたとかなどの,画一的な判断とは異なり,岡部裁判官の意見における民法714条の監督義務者の判断基準は,画一的ではない上に,その基準が「第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうか」という明確なものであり,今後の認知症罹患者の徘徊による事故に関する監督義務者の判断について,最も適切な判断基準をしめしたものとして,高く評価できる。

2. 認知症に罹患した高齢者に監督義務者が存在する場合の責任の所在

しかし,岡部意見に従って,Y2が民法714条1項の監督義務者に準じる者と考えた場合には,岡部意見,または,大谷意見(Y2が法定の監督義務者であるとする点で岡部意見と異なるが,Y2が監督義務を尽くしたという点では同じである)にもかからず,Y2の免責の立証は十分とはいえないように思われる。

介護のプロフェッショナルであるCの助言に従ってとはいえ,特別養護老人ホームへの入所を断念し,在宅看護による看護体制を選択して,「第三者に対する加害防止もまた引き受けた」のであれば,それに相応する注意義務を尽くす必要がある。このように考えると,本件事故以前に,Aが事務所の出入り口から徘徊して保護されたことがある以上は,Y2が,事務所の出入り口を施錠せず,そこに設置されたセンサー付チャイムの電源を切ったままに放置したのは,注意義務に違反しているといわざるを得ないであろう。

そうだとすると,Y2の監督者責任を認めつつ,鉄道会社として,第三者に対する加害防止を引き受けているXが,駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出していたことは,控訴審が明らかにしていたように,「駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される」のであり,過失相殺,または,過失相殺の趣旨の類推に値するものであって,賠償額を大幅に減額することで,問題を解決するのが適切であったように思われる。

3. 徘徊事故を未然に防止するための責任のあり方

本件事故は,認知症に罹患したAが徘徊を始めるようになって以降,同居の高齢の配偶者Y1では,徘徊をとめることができず,Y2の妻Bが徘徊に付き添うことにも限界が生じていたのであるから,Y2は,Aが裕福であること考慮して,在宅看護だけに頼らず,特別養護老人ホームへの入所手続きを始めるべきであった。介護のプロフェッショナルとはいえ,相続人の一人であって利益相反関係にあるCの助言に従って特別養護老人ホームへの入所手続きを断念したことが,今回の事故につながる遠因となった。

しかも,最高裁の法廷意見によれば,Y1も,Y2も民法714条の監督義務者に該当しないというのであり,しかも,両者とも,「第三者に対する加害行為の防止に向けて…危険を引き受けている」わけではないというのであるから,最高裁の法廷意見によれば,Yらの介護体制は,それぞれが,民法697条以下の事務管理者としてAの介護に当たったと解釈せざるを得ない。

Yらが,事務管理者であるとすれば,Yらは,本人の意思を知ることができるときは,本人の意思に従って,外出に付き添い(民法697条2項),本人の意思を知ることも,推知することもできないときは,「最も本人の利益に適する方法」によってその事務を管理しなければならない(民法697条1項)。

すなわち,本件のような,認知症に罹患した高齢者による徘徊行為に基づく事故は,在宅看護を引き受けるのであれば,相続人のそれぞれが,相続財産を確保するという自 己の利益を図るのではなく,高齢者の意思を尊重し,意思を知ることも推知できなくなったときは,「最も本人の利益に適合する方法」として,徘徊に付き 添うか,すべての出入り口の施錠,または,センサーつきのチャイムを作動させるという方法を選択するか,それが限界に達している場合に は,特別養護老人ホーム等への入所手続きを開始し,十分な介護と第三者への加害行為を防止を両立させることが必要であったと思われる。

他方で,Xは,控訴審判決が明確に述べているように,資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者であり,「Xが営む鉄道事業にあっては,専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し,そのことで収益を上げているものであるところ,社会の構成員には,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者なども含まれており,このような社会的弱者も安全に社会で生活し,安全に鉄道を利用できるように,利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で,列車の発着する駅ホーム,列車が通過する踏切等の施設・設備について,人的な面も含めて,一定の安全を確保できるものとすることが要請されている」のであるから,Xも,「駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば,また,J駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあった」以上,本件事故の責任の多くの部分を負担すべきである。

鉄道事業者は,立入り事故について,本件のように遺族等に損害賠償請求をするのではなく,自らの社会的責任として,線路への人の立入りの防止策を進めるとともに,今後は,頻繁に生じている踏切事故の防止を緊急の課題とすべきであり,道路と交差する箇所は,順次,高架,または,地下にすることによって,踏切そのものを撤廃することを目標として掲げることが,鉄道事業者の社会的責任の中でも,最も重要な課題であるように思われる。

4. 結論

本件におけるAの看護体制とは,Aの相続人を中心にして,Y2の妻Bが加わって形成された一種の組合と考えるべきではないだろうか。そのように考えると,その実質的な代表者であるY2が,単に長男だからと言う理由ではなく,責任無能力者であるAの監督義務者,または,監督義務者に準じる者と考えることが可能となる。

このように考えると,最高裁判決の岡部・大谷「意見」が述べているように,Y2を民法714条の監督者,または,これに準じるものと考えるべきであり,しかも,これらの「意見」とは異なり,Y2に過失がある以上,Xによる責任の追及が可能であると考えるべきである。ただし,X自身にも重大な過失があるため,控訴審判決のように,Xの請求を大幅に減額するというのが,妥当な結論であると思われる。

債務不履行と帰責事由との関係(履行不能のドグマの解消=債務不履行法・革命)


債務(契約)不履行と帰責事由との関係


目次
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 債務不履行の効果と帰責事由との関係
1.債務不履行責任のうち,損害賠償責任についてのみ,帰責事由(故意または過失)が必要とされるのはなぜか?
2.帰責事由(故意または過失)は,損害賠償責任の要件ではないとする最近の有力説(潮見説)の矛盾
Ⅲ 履行不能のドグマの消滅(履行遅滞および履行拒絶による履行不能概念の吸収・消滅)
1.民法415条第2文(履行不能の部分)は必要か?
2.民法543条但し書き(履行不能の場合の解除の障害要件)は必要か?
 結論
Ⅴ 参考文献


Ⅰ 問題の所在


わが国の債務不履行は,民法415条第1文は,債務不履行の一元説を採用した非常によくできた規定なのですが,その2文(下線部分)で,「履行不能」を特別扱いしているために,「履行不能のドグマ」によって理論的な混乱が生じる原因を作り出してきました。

第415条(債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。
債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも,同様とする。

なお,「履行不能のドグマ」とは,広義では,債務不履行の類型の中で,「履行不能」だけを特別扱いすることをいい(上記の民法415条の第2文の下線部,次に述べる民法543条の但し書きがその典型例),狭義では,債務者に帰責事由がない場合において,「履行不能」を債務不履行の一般法理の適用から除外する以下のような法理のことをいいます。

1.原始的不能の場合は,債務不履行の問題ではなく,無効の問題とする。
(1) 原始的全部不能の場合は,契約を無効とする(ドイツ民法第306条がこの立場をとっていたが,債務法改正によって,無効ではなく,債務不履行とすることに改正された)。
(2)  原始的一部不能の場合は,一部無効の問題とし,法定責任としての瑕疵担保責任を適用する(わが国の従来の通説の見解。現在では,少数派となっている)。
2.後発的不能の場合は,債務不履行ではなく,危険負担の問題とする。
(1) 後発的全部不能の場合は,危険負担における目的物の滅失として処理する。
(2) 後発的一部不能の場合は,危険負担における目的物の損傷として処理する。

また,民法543条但し書き(下線部分)は,「契約の目的を達することができない」場合であって,本来の契約解除の要件を満たしているはずの「履行不能」の場合であっても,債務者に帰責事由がない場合には,契約の解除を認めていません。

第543条(履行不能による解除権)
履行の全部又は一部が不能となったときは,債権者は,契約の解除をすることができる。ただしその債務の不履行が債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない

しかも,現行民法の中で,最も不合理な規定である民法534条(下線部分)から始まる危険負担の問題として処理することにしたため,債務不履行に関する効果について,大きな混乱を生じさせる原因を作り出してきました。

第534条(債権者の危険負担)
①特定物に関する物権の設定又は移転を双務契約の目的とした場合において,その物が債務者の責めに帰することができない事由によって滅失し,又は損傷したときは,その滅失又は損傷は,債権者の負担に帰する
②不特定物に関する契約については,第401条〔種類債権〕第2項の規定によりその物が確定した時から,前項の規定を適用する。

そこで,本稿は,以下の二つの方向性を推進することによって,「履行不能のドグマ」を完全に解消し(すなわち,上記の条文の下線部分をすべて削除するのと同様の結果をもたらす解釈論を展開する),もって,わが国の債務不履行法をシンプルで国民一般にとってわかりやすくすることを試みることにします。

・ 一方で,民法(債権法)改正案によって,危険負担の債権者主義を採用してきた悪名高い民法534条,535条の削除が実現される予定となったことを契機として,この考え方を推し進めます。すなわち,「履行不能」も債務不履行のひとつに過ぎないのであり,これを特別扱いせず,債務者に帰責事由がない場合に,これを危険負担の問題として,解除を認めないとする考え方を廃し,債務者に帰責事由がない場合であっても,「契約をした目的を達することができないとき」は,債務不履行の一般原則に従って,常に,契約の解除を認めることにします。

・ 他方で,民法(債権関係)改正案が「履行拒絶」という概念を採用し,「履行遅滞」と「履行拒絶」によって,定義が困難な「履行不能」概念を不要とすることが可能になりました。それにかかわらず,民法(債権関係)改正案の立法者が,「履行不能」の概念に固執したために,第1に,債務不履行概念間の重複と矛盾,第2に,「社会通念」という無意味な概念による「履行不能」の定義(改正法案第412条の2),および,「帰責事由」の定義(改正案第415条1項但し書き)に伴う混乱など,債務不履行理論の混迷がいっそう深まるおそれがあります。
・ そこで,本稿では,履行遅滞(債務者に履行の意思がある場合)と履行拒絶(債務者に履行の意思がない場合)という二つの明確な概念によって,「履行不能」の概念を吸収・消滅させ,「履行不能」の概念自体を不要とすることを試みることにします(債務不履行法・革命)。


Ⅱ 債務不履行の効果と帰責事由との関係


1.債務不履行責任のうち,損害賠償責任についてのみ,帰責事由(故意または過失)が必要とされるのはなぜか?


債務不履行とほぼ同義の契約不履行の効果は,以下の3つに分類されています。

・第1に,契約の拘束力そのままに履行の強制を認めるという効果(民法414条)。
・第2に,契約の拘束力そのものを否定して,当事者を契約の拘束力から解放すること,すなわち契約の解除を認めるという効果(民法540条~548条)。
・第3に,契約の拘束力をみとめつつも,その拘束力を変形して,金銭による損害賠償を認めるという効果(民法415条)。

これらの効果が認められるために,その要件として帰責事由が必要なのかどうか,それぞれの効果ごとに分析を試みることにします。

(1) 強制履行には,帰責事由は不要である(通説と同じ)

帰責事由との関係では,契約の拘束力をそのまま認める効果である強制履行に関しては,そもそも,帰責事由は問題になりません。なぜなら,契約の本旨に従った履行を求めるに過ぎないのであるからです。

したがって,履行期に任意の履行がなければ,債務者の帰責事由の有無とは無関係に履行の強制を求めることができます。

(2) 契約の解除にも,帰責事由は不要(新しい考え方)

契約の解除は,契約の拘束力そのものを否定するものですから,その要件は,契約の拘束力を認めることが無意味になったこと,すなわち,契約利益の喪失,または,契約目的の不達成がその要件となります。

履行強制の場合と同様,契約の解除の場合にも,債務者の帰責事由は問題となりません。債務者に帰責事由が存在してもしなくても,契約が意味を失った場合には,その拘束力から契約当事者を解放することが必要だからです。したがって,契約解除の場合には,帰責事由とは無関係に契約の解除が認められます。

これが,民法(債権関係)改正案をはじめ,世界的に主流となりつつある新しい考え方です。ところが,従来のわが国の民法の条文,および,学説は,契約解除の場合であっても,民法543条但し書きの規定に従って,債務者に帰責事由なない場合には,契約解除ができないと考えてきました。

しかし,債務者に帰責事由がない場合においては,民法534条以下の危険負担の規定が適用されるのであり,危険負担の原則規定(民法536条)に従うと,債権者に帰責事由がない場合には,民法536条1項によって,債権者は反対給付を受けることができないのですから,その結果は,契約解除が認められたのと同じです。

第536条(債務者の危険負担等)
①前2条に規定する場合を除き,当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を有しない
②債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を失わない。この場合において,自己の債務を免れたことによって利益を得たときは,これを債権者に償還しなければならない。

例外的に,債権者だけに帰責事由がある場合には,上記のように,民法536条2項が適用されるため,契約解除が認められないのと同様の結果が生じます。

しかし,その結果は,契約解除の規定においても,民法548条第1項(解除権の行為等による解除権の消滅)の規定によってカバーされているので,結局のところ,危険負担の原則である民法536条の規定は,民法540条~548条の解除の規定によって,吸収されてしまいます。

第548条(解除権者の行為等による解除権の消滅)
解除権を有する者が自己の行為若しくは過失によって契約の目的物を著しく損傷し,若しくは返還することができなくなったとき,又は加工若しくは改造によってこれを他の種類の物に変えたときは,解除権は,消滅する
②契約の目的物が解除権を有する者の行為又は過失によらないで滅失し,又は損傷したときは,解除権は,消滅しない。

このように考えると,債務者に帰責事由がない場合でも,解除を認めたのと同様の結果が生じていることがわかります。すなわち,債権者のみに帰責事由がある場合であっても,解除権は発生しますが,民法548条に該当する場合には,いったん発生した解除権が消滅すると考えることになります。

このようなシンプルで一貫した解釈の障害となっていたのは,履行不能が生じたとしても,債務者の帰責事由がない場合には,債権者は,なお,反対給付の請求できるとし,契約解除を認めるのとは反対の結論をとっていた,民法534条,535条の規定です。

しかし,これらの規定は,民法(債権関係)改正案によれば,すべて削除されることになっているため,将来的には,履行不能が債務者の帰責事由なしに生じた場合であっても,解除を認めるという考え方をとることに,障害はなくなります。

民法(債権関係)改正案(2015年3月31日国会提出法案)
第534条(債権者の危険負担) 削除
第535条(停止条件付双務契約における危険負担) 削除

したがって,現行法の解釈を含めて,現在の新しい学説においては,履行不能の場合についても,「危険負担における債権者主義」については,これを極力制限的に解釈し,契約解除に関しては,債務者の帰責事由の有無は問題とならず,契約解除ができるかどうかは,債務不履行によって,「契約をした目的を達することができない」(民法542条,566条1項の文言参照)状態となっているかどうかだと解釈することができます。

すなわち,契約解除の統一的な要件は,契約不履行によって,「契約をした目的を達することができない」場合のみであるということができます。つまり,次に述べる損害賠償の場合とは異なり,契約解除の場合には,帰責事由は解除の要件から完全に脱落させることができます。

(3) 損害賠償の場合にのみ,例外的に,帰責事由が必要(通説と同じ)

通常は,債務不履行とは,契約不履行に限定して考えられています。このため,不法行為に基づく損害賠償責任は,債務不履行には含まれないと一般に考えられています。しかし,民法におけるパンデクテン方式の理論を厳密に適用すると,民法415条は,債権各論を含む総論に位置しているのですから,債務不履行責任には,不法行為に基づく損害賠償責任も概念上は含まれていることになり,それゆえに,債務不履行に基づく損害賠償責任には,債務者(加害者)に帰責事由(故意または過失)が必要であると考えることができます。

契約不履行に基づく損害賠償の場合に,帰責事由が必要であると考えられてきた理由は,契約不履行に基づく損害賠償請求は,債務の本旨に従った履行に代えて,金銭での履行を求めるものであり,このことを契約の拘束力だけでは説明できないからです。

むしろ,契約不履行に基づく損害賠償責任は,契約の拘束力そのものからは生じないのであって,不法行為に基づく損害賠償の場合と同様に,債務者を非難するに値する事由としての帰責事由(故意,または,過失)が必要と考えるべきでしょう。


2.帰責事由(故意または過失)は,損害賠償責任の要件ではないとする最近の有力説(潮見説)の矛盾


ところが,最近では,債務(契約)不履行責任のうち,損害賠償責任と帰責事由との関係について,債務(契約)不履行に基づく損害賠償責任を追及するには,契約自体から生じる拘束力とは別の意味での帰責事由(故意または過失)は必要ではなく,契約の拘束力自体から説明できるとする説,すなわち,契約によって債務者は債務不履行から生じる危険を引き受けており,その危険が発生した以上,債務者の帰責事由(故意または過失)とは無関係に,契約の拘束力自体から,債務者が損害賠償責任を負う理由を説明できるとする以下のような説が有力に主張されています。

契約上の債務につき,債務者の行動自由の保障を基礎に吸えた過失責任の原理は,もはや損害賠償を正当化する原理としての地位を滑り落ちる。それに代わって,ここでは,契約の拘束力を損害賠償の正当化原理として基礎に据え,「債務の本旨に従った履行をしなかった債務者は,契約を守らなかったことを理由に,債権者に生じた損害を賠償する責任を負わなければならない」というのが適切である。([潮見・債務不履行の帰責事由(2016)640-641頁])

(1) 債務の本旨に従った履行請求と,損害賠償請求とは性質が異なる

しかし,先に述べたように,債務不履行に基づく損害賠償責任は,債務の本旨に従った履行の請求ではなく,それに代えて,債務者に金銭による損害賠償債務を負担させるものであり,契約の拘束力からだけでは導くことはできないのです。そのことを端的に示しているのが,民法419条第3項の規定です。

第419条(金銭債務の特則)
金銭の給付を目的とする債務の不履行については,その損害賠償の額は,法定利率によって定める。ただし,約定利率が法定利率を超えるときは,約定利率による。
②前項の損害賠償については,債権者は,損害の証明をすることを要しない。
③第1項の損害賠償については,債務者は,不可抗力をもって抗弁とすることができない

金銭債権の場合,その債務不履行に基づく損害賠償(法定利息)と,もともとの本旨に従った履行とは,同じ金銭債権であって,厳密な区別は不要です。したがって,金銭債権の場合には,債務不履行が生じた場合に,その損賠償責任は,もともとの債務の履行強制(帰責事由は必要としない)と同様に扱ってよいことになります。したがって,民法419条は,金銭債権の場合の損害賠償責任には,帰責事由は要件とならず,したがって,「不可抗力をもって抗弁とすることができない」と規定しているのです。

《以下,追加》(2016/5/27)
なお,本来の金銭債権の履行と,金銭債権に遅滞分の法定利率に基づく利息を付加した損害賠償請求は,性質が異なるのではないかとの疑問が生じるかもしれません。しかし,この点については,現在の価値と将来の価値とを変換する「現価(現在価値)」という概念を介在させると,両者の等質性を理解することができます。

たとえば,逸失利益は,将来的に生じる損害を現在価値に変換したものをいうのですが,その際には,逸失利益は,将来価値を法定利率で割り引くという手続きに従って,算定されます。これを中間利息の控除といいます。反対に,現在支払うべき価値を将来に支払う,遅延損害の場合には,現在価値を法定利率で割り増すという手続きに従って,算定されます。これが,金銭債権における損害賠償の意味です。

したがって,逸失利益における中間利息控除と中間利息の控除との両者を等質のものとして認めるのであれば,金銭債権の遅延賠償と債権額を法定利率で割り増すことの両者をも,等質のものとして認めるべきです。
《追加,終了》(2016/5/27)

 (2)  帰責事由と「故意または過失」とは,同じことである

このように考えると,金銭債権の例外を除いて,債務の本旨の履行請求と,債務不履行を非難して金銭債権の支払いへと転化させる損害賠償請求(金銭債務の履行)とは性質が異なることが,理解できます。したがって,債務の履行請求の場合とは異なり,債務不履行に基づく損害賠償請求権(金銭債務の履行請求)の成立には,債務不履行に加えて,債務者に対する非難可能性としての帰責事由が必要であることがわかります。そして,帰責事由とは,不法行為に基づく損害賠償請求権の要件における「故意または過失」であると考えるのが,従来の通説であり,それをあえて変更する必要はありません。

たしかに,潮見説は,民法(債権関係)改正中間試案の補足説明」に即して,帰責事由と「故意または過失」とは異なるとして,その理由を以下のように述べています([ 潮見・債務不履行の帰責事由(2016)646頁])。

裁判例の分析を通じて,裁判実務においても,「債務者の責めに帰すべき事由」が,債務者の心理的な不注意契約を離れて措定される注意義務の違反といった,本来の意味での過失として理解されていないことが指摘されている。

そして,部会の審議においても,契約による債務の不履行による損害賠償につき免責を認めるべきか否かは,契約の性質,契約をした目的,契約締結に至る経緯,取引通念等の契約をめぐる一切の事情から導かれる契約の趣旨に照らして,債務不履行の原因が債務者においてそのリスクを負担すべき立場にはなかったと評価できるか否かによって決せられるとの考え方が,裁判実務における免責判断の在り方に即していることにつき,異論はなかった。

しかし,以上の見解は,従来の不法行為に基づく損害賠償請求における過失概念を曲解するものであって,とうてい賛成できるものではありません。

なぜなら,現在における不法行為学説においては,潮見説を含めて,過失を「単なる心理的な不注意」であるとする説はもはや存在しませんし([潮見・不法行為法Ⅰ(2009 )277-278頁]),契約責任と不法行為責任とが競合する場合(たとえば,医療過誤訴訟など)における過失の認定において,「契約を離れて措定される注意義務の違反」を過失と考える学説も現存しないからです([潮見・不法行為法Ⅰ(2009 )332-333頁])。

契約と不法行為とが競合する不法行為事件(たとえば,医療過誤に関する不法行為事件)の場合には,裁判実務においても,過失を判断するに際して,「契約(たとえば診療契約)の性質,契約をした目的,契約締結に至る経緯,取引通念等の契約をめぐる一切の事情(たとえば,医療水準)から導かれる契約の趣旨に照らして」,不法行為者(債務者)の注意義務違反としての過失の判断がなされているのであって,不法行為における過失の意味を「契約を離れて措定される注意義務の違反」解する見解は,もはや存在しません。

それにもかかわらず,債務(契約)不履行に基づく損害賠償責任を契約の拘束力から導き出そうとする考え方は,以下に述べるように,損害賠償責任の制度趣旨に反するばかりでなく,論理的矛盾に陥ることになります。

(3) 損害賠償責任は「契約の拘束力」からだけでは説明できない

第1に,先に述べたように,契約の拘束力は,債務の本旨に従った履行がない場合にそれを強制する場合にのみ妥当します。これとは異なり,債務の本旨に従った履行の代わりに,損害賠償を請求する場合には,その要件として,不法行為に基づく損害賠償の場合と同様に,債務者に対する非難可能性の要件として,帰責事由(故意または過失)が必要となると考えるべきです。

たとえば,金銭での支払いを望まない当事者が物々交換の契約をしたとしましょう。一方の当事者が契約不履行をした場合に,契約の拘束力とか,契約の趣旨から,当事者が避けようとした金銭の支払い,すなわち,金銭による損害賠償をするという拘束力を説明できるのでしょうか。金銭賠償を義務付けるには,契約不履行に陥った債務者に故意または過失があるという帰責事由が必要だと思われます。

したがって,債務者に帰責事由がない場合,すなわち,債務者が契約の本旨に従って相当な注意を払って行動している場合には,債務者には,非難可能性はなく,債務の本旨に従った履行に代わる損害賠償責任を追及することはできません。

契約不履行に基づく損害賠償責任は,債務者に非難可能性がある場合にのみ効果を生じるものであり,債務の本旨に従った履行責任,すなわち,契約の拘束力とは,その制度趣旨を異にしています。

(4) 天変地異の場合の損害賠償責任の免責は,債務者に帰責事由がないからであって,債務者が危険を引き受けているかどうかとは無関係

第2に,債務者に帰責事由(故意または過失)がない場合,たとえば,天変地異の場合には,債務者は債務不履行責任を免れることについては,最近の有力説も,異論を唱えていません。

しかし,天変地異について,落雷によって損害が発生した場合はどうか,震度5の地震によって損害が発生した場合はどうか,さらに,震度5の地震が何度も繰り返された場合はどうか,震度6の地震の場合はどうか,それが繰り返し生じた場合はどうか,震度7の地震の場合はどうか,震度8の地震の場合はどうか,震度9の地震の場合はどうかというように細かく見ていくと,当事者がどの場合についてまで危険の引き受けをしていたかどうかは,ほとんどの場合に不明であり,この場合には,従来の帰責事由(故意,または,過失)の判断基準による方が,具体的に妥当な結論を導きだすことができます。

危険の引き受けが明確な場合には,通常は,保険を付保するか,損害賠償額の予定をするのであって,その場合には,それ以外に危険の引受けに基づく損害賠償責任は問題となはならないでしょう。

(5) 債務者に帰責事由がない場合に損害賠償責任の免責を認めつつ,帰責事由をその要件として認めないのは論理矛盾

第3に,天変地異の場合に,債務者が免責されるのは,債務者に帰責事由(故意または過失)がないからであると考えないと,要件事実に関する理論に破綻が生じます。

その理由は,天変地異の場合のように,帰責事由(故意または過失)がない場合に,債務者の免責を認めるのであれば,その理論的帰結として,債務不履行に基づく損害賠償責任には,帰責事由(故意または過失)が要件となることを認めざるを得ないからです。

先にも述べたように,債務の履行責任と損害賠償責任との性質が同一である金銭債権の場合には,帰責事由は,損害賠償の要件となりません。金銭債権以外の債権について,不可抗力の場合,すなわち,債務者に責めに帰すべき事由がない場合に損害賠償責任を負わないのは,損害賠償責任と債務の本旨に従った履行責任とが,その性質を異にするからです。


Ⅲ 履行不能のドグマの消滅(履行遅滞および履行拒絶による履行不能概念の吸収・消滅)


債務不履行の効果に関する分析によって,債務不履行の効果のうち,帰責事由が問題となるのは,損害賠償責任の場合だけであり,損害賠償責任に帰責事由が必要とされる理由は,損害賠償責任が,債務者を非難して,債務の本旨の履行とは異なる,損害賠償を求めるものだからであることが明らかとなったと思います。

先に述べたように,わが国の現行民法も,また,従来の学説も,債務不履行のうち,履行不能だけを別扱いにして,履行不能の場合には,損害賠償責任の場合ばかりでなく,契約解除の場合にも,解除の要件として,帰責事由を要求してきました。

しかし,この考え方は,民法(債権関係)改正案による危険負担の規定(民法534条,535条)の削除を通じて克服されつつあり,現行法の解釈としても,履行不能の場合には,帰責事由がない場合であっても,民法536条第1項の解釈を通じて,契約解除ができるのと同じ結果を導くことが可能となっています。

つまり,契約解除の要件は,先に述べたように,「契約をした目的を達することができない」場合であり,かつ,その場合に限るのですから,履行不能の場合には,常に,契約解除ができることになるのです。なぜなら,履行不能は,常に,「契約をした目的を達することができない」場合に該当するからです。

このように考えると,危険負担の規定が,契約解除の規定によってすべて吸収されるのと同様に,履行不能の規定も,すべて,履行遅滞の規定に吸収される可能性があります。そうすると,民法415条第2文の規定も,また,民法543条但し書きの規定は,もはや,不要であって,削除すべきではないかとの疑問が生じることになります。

1.民法415条第2文(履行不能の部分)は必要か?

民法415条第1文は,債務不履行を「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき」として,一元的に定義した世界に誇るべき規定です。

ところが,従来の見解によると,債務の本旨に従った履行をしないときとは,具体的には,(1) 履行遅滞,(2) 履行不能,(3) 不完全履行の三つに分類されてきました。

しかし,危険負担における債権者主義の規定が削除されることが明らかになりつつある現在において,履行不能を特別視する必要も,なくなりつつあります。

Non-Performance1s

その理由は,以下の通りです。

第1に,履行不能かどうかは,時代の変遷によって変化し,定義することが困難です。たとえば,従来は,船舶で輸送していた商品について,その船舶が沈没した場合には,履行不能が生じると考えられてきました。しかし,サルベージ技術が発達した今日においては,船舶を含めて海底から引き上げることが容易となっており,費用の低下を含めて,必ずしも,履行不能とはいえないようになっています。また,修復技術の発達により,これまで,履行不能と考えられてきた場合についても,履行が可能となりつつあります。さらに,3D プリンタが進化すれば,完全に滅失した商品についても,設計図さえあれば,再生させることも可能となるでしょう。このように考えると,履行不能を厳密に定義することは不可能に近いことがわかります。

第2に,履行不能は,債権者が主張・立証すべき証明主題であるが,履行不能の事実は,通常,第三者,または,債務者の危険領域で生じるので,債権者が履行不能を証明することは,非常に困難です。

しかし,そもそも,債権者が債務不履行を証明する必要は存在しないのです。なぜなら,債権者は,履行遅滞を主張・立証すれば,定期行為の場合には,即時に解除ができるし(民法542条),そうでない場合でも,相当の期間を定めて催告をし,それでも履行がなければ,契約の解除ができるからです(民法541条)。しかも,債務不履行が,履行不能に該当する場合であれ,履行拒絶に該当する場合であれ,それらの事情とは無関係に契約を解除することができますし,契約解除をせずに,遅延賠償,および,填補賠償を請求することもできます。したがって,債権者にとって,履行不能を主張・立証する必要は皆無なのです。

さらに,従来ならば,債務者に帰責事由がない場合には,債務者が履行不能を主張・立証すれば,契約解除を免れることができましたし,しかも,民法534条が適用される場合には,目的物の引渡しができないにもかかわらず,債務者は,反対給付を取得することまで可能でありました。

ところが,民法(債権関係)改正を通じて,民法534条は削除されることになり,債務者の帰責事由は,契約解除の要件としては不要となるのですから,債務者にとっても,履行不能を主張・立証する利益はなくなっています。

第3に,民法(債権関係)改正によって,債務不履行の三分類に加えて,履行拒絶が明文で規定されることになると,履行不能の要件は,理論上も不要な概念となってしまいます。

Non-Performance2s

なぜなら,履行不能は,履行遅滞(履行期に履行がないが,債務者は遅れてでも履行しようとする履行の意思がある場合),または,履行拒絶(履行期に履行がなく,債務者に履行する意思がない場合)のいずれかに吸収され,履行不能の概念自体が,独立性を失っているからです。


2.民法543条但し書き(履行不能の場合の解除の障害要件)は必要か?


先に述べたように,現在においても,また,民法(債権関係)改正が実現した場合においては,なおさらのこと,債権者にとっても,また,債務者にとっても,履行不能を主張・立証する利益は存在しません。しかも,履行不の野概念自体が,履行遅滞,または,履行拒絶に吸収されるのですから,民法において,履行不能について規定する必要性はなくなってしまいます。

このように考えると,将来的には,債務不履行の定義は,民法415条の1文のみで足り,第2文は不要な規定として削除されるべきです。また,危険負担の債権者主義に該当する民法534条,545条が削除されるばかりでなく,履行拒絶概念が民法に明文で規定されることになるため,履行不能の概念は,履行遅滞,または,履行拒絶に完全に吸収されることになるため,民法543条但し書きも不要となって,削除されるべきことになります。

Non-Performance3

以上のプロセスを通じて,わが国の民法における債務不履行責任は,上の図のように,非常にシンプルでわかり安いものへと革新することができることが理解できたと思います。


Ⅳ 結論


以上の考察を通じて,第1に,わが国の債務不履行法について,これまで,特別扱いを受けてきた「履行不能概念」を解消し,履行遅滞と履行拒絶とに吸収させることで,単純明快なものとなることを論証することができたと思います。第2に,債務者の「帰責事由」の要件についても,その要件は,損害賠償責任についてのみ必要であり,債務不履行と帰責事由とは独立の関係にあることも論証することができたと考えます。

これまでの債務不履行法は,債務者に帰責事由がない場合において,以下のような履行不能のドグマに害され,複雑怪奇な理論へと陥っていました。

原始的全部不能の契約は,債務不履行ではなく,無効である
・ドイツ債務法改正によって,全面的に改正されたドイツ民法306条によって,わが国の民法学説は,長くにわたって呪縛され,債務不履行の理論が複雑怪奇となっていた。
原始的一部不能の契約は,債務不履行ではなく,一部無効の理論に基づく法定責任である。したがって,瑕疵担保責任は,不完全履行の問題ではなく,無過失責任としての,法定責任である。
後発的不能の場合,債務者に帰責事由が場合には,債務不履行が問題となるが,債務者に帰責事由がない場合には,債務不履行の問題ではなく,危険負担の問題となり,契約の解除は問題とならない。

この点,債務不履行に関する新しい理論によれば,以上のような債務不履行理論についてのさまざまな制約は解消され,以下のような,シンプルでわかりやすい体系へと進化することができるでしょう。

第1に,債務不履行は,「債務の本旨に従った履行をしなこと」として,現在の民法415条第1文だけで定義されますし,損害賠償責任における債務者の「帰責事由」の必要性についても,履行不能を特別扱いしない但し書にすることで,明確にすることができます。

第415条(債務不履行による損害賠償)(加賀山改正私案)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。
ただし,その損害が,債務者の責めに帰すべき事由によるものでないときは,この限りでない。

第2に,債務履行の三分類については,履行期に履行がない場合としての (1) 履行遅滞(債務者に履行の意思がある場合)と (2) 履行拒絶(債務者に履行の意思がない場合),および,履行期に履行があるが,(3) 履行が不完全(履行に瑕疵がある)場合に整理され,「履行不能」は不要となります。その結果,債務不履行に関して,これまで生じていた概念の重複も,遺漏もなくなります。

第543条(履行不能による解除権)(加賀山改正私案)
履行の全部又は一部が不能となったときは,債権者は,契約の解除をすることができる。ただし,その債務の不履行が債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない。

第3に,債務不履行の効果は,従来どおり,強制履行,契約解除,損害賠償の三つですが,その要件は,それぞれ,以下のように異なります。

履行強制(債務の本旨に従った履行を求めるもの)
・履行を強制をすることが不適切な場合(作為債務の場合のように,履行の意思がない債務者に履行を強制することが人権を侵害するおそれがあるとか,ほかの手段によって容易に履行が可能である場合など)を除き,債務者に帰責事由があるかないかを問わず,債権者は,裁判所を通じて,債務者に対して履行を強制できます。
契約解除(目的不達成の契約の拘束力から当事者を解放するもの)
・債務不履行によって,契約をした目的を達することができない場合に限って,債権者は,契約の解除をすることができます。この場合,債務者に帰責事由があるかどうかは,問題となりません。
損害賠償(債務の本旨に従った履行の代わりに,金銭債務の履行を求めるもの)
・債務者に帰責事由がある場合には,損害賠償責任が課せられ,債務者に帰責事由がない場合には,債務者は,損害賠償責任を免れます。
・ただし,金銭債権のように,損害賠償責任と履行責任とが同じ性質を有する場合には,履行強制には,債務者の帰責事由が不要であったのと同様に,損害賠償責任の要件として,債務者の帰責事由は不要です。


Ⅴ 参考文献


・加賀山茂『民法体系1』信山社(1996/10)
・加賀山茂『契約法講義』日本評論社(2007/11)
・「新しい要件事実論の必要性とその構築方法-要件事実論という名の官僚法学との戦い-」明治学院大学法科大学院ローレビュー13号(2010/12)23-49頁
・司法研修所の要件事実論に代わる『新しい要件事実論』の構築のために」法学研究84巻12号(斎藤和夫先生退職記念号)(2011/12)203-240頁
・加賀山茂「民事訴訟法理論の破綻と修復の必要性-法律上の推定の復権という観点からの民訴法学に対する苦言と提言-」明治学院大学法科大学院ローレビュー 20号(2014/03)5-36頁
・加賀山茂『民法改正案の評価-債権関係法案の問題点と解決策』信山社(2015/11)
・加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学ローレビュー第23号(2016/03)1-20頁
・加藤正信『迫りつつある債権法改正』信山社(2015年)136頁以下
・潮見佳男『不法行為法Ⅰ』〔第2版〕信山社(2009 )
・潮見佳男『民法(債権関係)改正法案の概要』金融財政事情研究会(2018/08)
・潮見佳男「債権法改正と『債務不履行の帰責事由』」法曹時報 68巻3号(2016/03 )633-663頁

明治学院大学法学部フレッシャーズ研修での講評


明治学院大学法学部入学者のための研修会での事例研究の後の講評


明治学院大学法学部に入学した学生たちのために,新高輪プリンスホテルの飛天の間でフレッシャーズ研修が開催されました。

プリンスホテル新高輪

 

そこでは,「サッカーボール回避高齢者転倒死亡事件」(最高裁第一小法廷平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁)をモデルにして,法学部の上級生であるSC(Student Counselor)たちが作成した事例(9歳の児童が公園でフットサルをしていて,その子の蹴ったボールが公園の外に飛び出し,自転車で通行していた人が,そのボールをよけようとして転倒して骨折した事件)について,SCの司会・進行の下に,法学部の新入生たちが,20名程度のグループに分かれて,詳しく検討しました。

以下の文章は,新入生の検討の後に,私(加賀山)が講評をした内容に,多少の追加をしたものです。


民法をマスターする近道は,民法のGoogle mapを作ること


民法は,条文数が1,044カ条というように,法律の中でも,条文数が最も多い法律の一つです。したがって,民法をマスターしようと思えば,常に,民法の個々の条文と民法全体の体系とを結びつけて学習するようにしないと,迷子になってしまいます。

迷子にならないようにするために必要なのが,地図ですが,最近の地図,たとえば,上の図で示したように,Google map を利用すると,住所を入力するだけで,住宅地図,分県地図,日本地図,世界地図へと,逆に,世界地図,日本地図,分県地図,住宅地図へとシームレスに移行することができます。したがって,自分が行こうとする場所へのアクセスが最短距離,最低料金等,目的に応じて選択できるようになりますし,常に,自分がどこにいるのかを確かめることができます。

法律,特に,条文数の多い民法を学ぶときも,同じことがいえます。自分が学習しようとする問題について,民法のどの条文が適用されるのか,その条文は,民法の全体の体系の中で,どのように位置づけられているかを知ることが,迷子にならないために必要です。

WagatsumeGuidanceOfCivilLawところが,現在のところ,民法の世界では,Google map に相当する民法の案内図がいまだに存在しません。民法の代表的な入門書である我妻栄『民法案内』第1巻『私法の道しるべ』にも,地図的な思考方法の重要さが述べられていますが,偉大な我妻先生でも,民法の完全な地図を作ることはできませんでした。

しかし,あきらめてはいけません。「民法のGoogle map」を作成するという目標と粘り強い努力を続けるならば,数年後には,「民法のGoogle map」(日本民法典)を完成させることができると,私は考えています。


法学部生の強みは何か(事案から条文への逆向き推論の能力)


今回,新入生の皆さんが検討した事例は,サッカーボール事件であり,この問題を解決するには,民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)の解釈が重要になりますが,そのほかに,民法712条(責任能力),709条(不法行為による損害賠償),719条(共同不法行為)を理解することが必要です。

ところで,このような個別の条文(民法709条,712条,714条,719条)にたどり着くために,皆さんは,どのような勉強をしなければならないのでしょうか。

民法を学習する目的は,市民生活の中で生じた紛争を平和的に解決することができる解決案を提示できる能力を養うことです。つまり,具体的に生じた事案に対して,最も適切な条文を探索する能力が必要です。

rule_based_j1しかし,この能力を養成することが,実は,非常に難しいのです。見つかった条文を前提にして,その条文がどのような意味を持ち,どのような先例があるのかを知ることであれば,法学部の学生でなくても,法律辞書と六法と判例データベースがあれば,誰でもできます(トップ・ダウン式の思考方法)。

しかし,逆向きの推論,すなわち,具体的な事例に対して,2,000近くもある法律の中から,適切な法律を選び,しかも,民法の場合であれば,1,044カ条もある条文の中から,その事件に適用されるべき条文を選択することは,至難の業です(ボトム・アップ式の思考方法)。法学部で,厳しい訓練を受けた学生以外の学生には,とうていなしうる業ではありません。

法学部以外の経済学部や社会学の学生たちは,社会に出たとき,確かに統計資料等の資料を用いて,問題の定量的な分析はできるかもしれません。しかし,解決が困難な問題が生じた際に,六法をめくりながら,「この問題には,この条文が適用される可能性が高く,出るところに出れば,こちらにとって,不利な判決が出る可能性があります。ですから,早急に,対応をとることが必要です。」と言えるようになるのは,法学部の卒業生だけでしょう。

せっかく,法学部に入学したのですから,皆さんは,そのような能力,すなわち,「困難な問題について,適切な条文を根拠にして,当事者も,専門家も,社会も,すなわち,誰もが納得できる解決案を提示できる能力」を養うための方法を知らなければ,もったいないと思います。

そこで,今回のサッカー(フットサル)ボール事件を例に取りながら,民法の正しい学習法について概観してみることにしましょう。


民法の学習の道しるべ


スライド3民法は,5編からなりなっています。第1編総則,第2編物権,第3編債権,第4編親族,第5編相続です。第1編の総則の第1章は,通則とされており,第1条と第2条が,民法全体に通用する原則を定めています。

民法第1編,第1章の通則(民法第1条,第2条)に規定されている民法の大原則は,憲法の基本的人権の規定に裏打ちされた規定であり,たとえ,憲法が改正されたとしても,その精神が変わることがないとされており,数百年単位で安定した部分であって,しっかりと理解する必要があります。

スライド4しかも,たとえば,民法第1条は,民法の大原則として重要な位置を占めるばかりでなく,後に述べる民法適用条文ベスト10に入っており,民法709条を中心に下不法行為方,民法415条の契約(債務)不履行責任に次いで,最もよく使われる条文の一つとなっています。

民法通則のうち,民法1条(基本原則,私の解釈によれば,私権の制限)は,上の図のように,憲法第29条【財産権】を受けて作成された条文であり,また,民法2条(解釈の基準,私の解釈によれば,私権の目的)は,憲法第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】を受けて作成された条文ですが,いずれも,憲法第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】の規定を押さえて作成されており,民法全体を見渡す上で,非常に重要な役割を果たしています。

スライド6今回の事例(サッカー(フットサル)ボール事件)は,不法行為の事件ですので,民法第3編債権の第5章不法行為の箇所の条文を見る必要があります。

不法行為法は,「一般」不法行為としての民法709条,712条,713条,720条,724条,および,「特別」不法行為としての民法714条~民法719条,723条とで成り立っています。

スライド7不法行為法は,民法適用ベスト10に多くの条文が入っており,最もよく使われている条文です。特に民法709条は,民法が適用される全事件の約3割が民法709条に基づいて解決されており,民事の事件について,どの条文が適用されるだろうかと言われたら,「民法709条」ですと言えば,3割は当たるというほどに重要な条文です。

今回の事例では,それが,民法709条に書かれている要件を満たしたといえいるかどうかが基本的に重要となりますが,未成年者であって,事理弁識能力を欠く場合には,民法712条によると,その人の責任を追及することができませんので,民法714条に従ってその監督義務者である親権者に対して責任を追及することになります。

第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

第712条(責任能力1)
未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない。

第714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)
①前2条〔責任能力〕の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合におい て,その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は,その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし,監督義務者がその義務を怠ら なかったとき,又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは,この限りでない。
②監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も,前項の責任を負う。


不法行為法の全体像の理解(電気回路図による比ゆ的な表現)


CivSysPart3Chap5Circuit01不法行為法は,先に述べましたように,民法の中で最も適用頻度の高い分野であり,しかも,一つのシステムを構成していますので,これを電気回路図で比ゆ的に表現することができます。

しかも,この電気回路図によると,スイッチを入れるのが誰なのか,すなわち,不法行為法の要件を証明するのが原告の方なのか被告なのかを明確に表現することができます。右上の図では,上の列にあるのが,原告が証明するスイッチ,右の列にあるスイッチが被告が証明すべきスイッチです。そして,下の列にあるのが,いったんついた電灯(損害賠償請求権)を消滅させるスイッチを示しています。以上が,一般不法行為法の全体像です。

CivSysPart3Chap5Circuit03次に,特別不法行為の場合には,被害者をよりよく救済するために,特に,被害者による証明が困難な「故意又は過失」の証明を軽減すために,バイパスが用意されていると考えることができます。

原告が,ある事件が一般不法行為ばかりでなく,バイパスに該当することが証明されると,立証責任が転換されて,加害者の方で,過失がなかったこと,すなわち,十分な注意を尽くしたことを証明しない限り,損害賠償責任が認められます。

CivSysPart3Chap5Circuit04いったん損害賠償責任が認められると,その責任が消滅するには,時間の経過が必要です。加害者を知ってから3年,加害者がわからない場合でも,事故から20年が経過すると損害賠償責任が消滅します。

このように,不法行為の全体像を図示して頭に入れておくと,どのような事件が生じた場合にでも,どのような条文が適用され,原告と被告とは,何を証明しなければならないかがよくわかるようになると思います。


200年以上にわたって,変わることがなかった法原理としての民法709条の学習の重要性


民法709条の背景に控えている法原理,すなわち,「有用と思うことは自由にしてよい。しかし,他人に損害を与えないように注意し,社会的費用を最小にするように行動せよ。もしも,故意または過失によって他人に損害を与えた場合には,その損害を賠償せよ」という不法行為法の大原則について,述べておきます。

このような一般不法行為の法原理は,「一般」不法行為法を発明したフランスの学説が,1804年に成立したフランス民法典(Code civil)の第1382条によって,初めて世界に発信されました。わが国の民法709条は,この伝統を引き継いで起草された条文です。

CodeCivil2016ssフランス民法典 第1382条
フォート(故意又は過失)によって,他人に損害を生じさせた者は,それによって生じた損害を賠償をする責任を負う。
Art. 1382
Tout fait quelconque de l’homme, qui cause à autrui un dommage, oblige celui par la faute duquel il est arrivé à le réparer.

日本民法 第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

これらの条文は,フランスにおいても,また,わが国においても,すでに,200年間にわたって,変わることなく適用され続けており,今後も数百年にわたって変化することはない,大原則だと思います。

しかも,民法709条は,わが国において,もっとも頻繁に適用されている条文です。民法が制定されて以来,裁判所で適用された民法の条文の中で,約3割という,突出した適用頻度を保ち続けているのは,民法709条だけです。したがって,皆さんは,民法を勉強するに際しては,この条文から学習を始めるのがよいでしょう。

さらに,世の中に生じる不条理な事件は,単独で行われるよりも,複数の人とか,複数の原因が絡んで生じることが多いことに気づくならば,共同不法行為(民法719条)の考え方について学習を深めましょう。

第719条(共同不法行為者の責任)
①数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも,同様とする。
②行為者を教唆した者及び幇(ほう)助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する。

そうすると,今回の事件も,実は,サッカーボールを蹴った子供だけが事故の原因を作り出したのではなく,子供に付き添わなかった親,事件が起こった公園の管理者,事故を起こした被害者の行動など,複数の原因が絡み合って生じており,その場合の責任の分配がどのようになされるべきであるのかを知ることができるようになります。


結論(法学部で学ぶ者の責務)


刻々と変化する社会の複雑な現象に対して,私たち法学部で学ぶ者は,以下のような二つの道具を使いこなして,誰もが(当事者も,専門家も,社会もが)納得できるような紛争解決案を提示する能力を養わなければなりません。

第1は,人類が獲得してきた永遠の法原理(「有用と思うことは自由にやってよい。しかし,他人に損害を生じさせないように注意し,社会的費用を最小にするように行動せよ。もしも,故意又は過失によって他人に損害を生じさせた場合には,その損害を賠償せよ」という法原理)を常にバックボーンとして持ち,ぶれることのない判断を行うことです。

第2は,法原理から抽出されるものではあるものの,時代に合わせて緩やかに変更される個々の条文(民法だけでなく,特別法の条文)を使いこなして,専門知識に基づいた正確な判断を下さなければなりません。

このような二つの道具を駆使して,最終到達目標としての「紛争の平和的解決能力を養うこと」こそが,法学部で学習した人々の責務なのです。

そのような責務に耐えうる能力を養うために,皆さんが,4年間,しっかりと法律を学習されることを願って,今回の講評を終えることにします。皆さんの今後のご健闘を祈ります。


参考文献


 

  • 民法の入門書
    • 加賀山茂『現代民法 民法学習法入門』信山社(2007)
    • 加賀山茂『民法入門・担保法革命』信山社(2013)(DVD付)
  • 民法(財産法)全体を理解する上での助っ人
    • 我妻栄=有泉亨『コンメンタール民法』〔第3版〕日本評論社(2013)
    • 金子=新堂=平井編『法律学小辞典』有斐閣(2008)
  • 契約法全体についての概説書
    • 加賀山茂『契約法講義』日本評論社(2009)

 

アウトラインプロセッサ(OlivineEditor)を使った民法の体系化(中間報告2)

アウトラインプロセッサを使った民法の体系化を進めています。前回は,民法総則の体系化について報告しました。Civ02Real今回は,物権法の体系化について報告します。

これまでは,物権法の体系を右の図ような系統図で示していました(白抜きは学術用語,その他は,法令用語です)。

全体図としては,わかりやすいし,それぞれの枝葉の部分にリンクをつけていくと,それなりの体系図となるのですが,やはり,全体の中の位置づけを示すには,アウトラインとして表現するのが一番だと思い,アウトラインプロセッサで条文,立法理由,文献,判例,改正案のレベルまで辿れるアウトラインを作成しつつあります。

アウトラインのうち,Windowsのコマンドプロンプトを使って,ディレクトリのレベルまでを示すと以下のようになります。すべての体系が完成するには,あと2年がかかる予定ですが,折り畳みが可能な動態的なアウトラインをどのようにネットで表現できるか,並行して追求していきたいと考えています。

Structure of Civil Code of Japan (民法の体系化(物権部分のみ))
│ ├─Part2 Real property law (第2編 物権)
│ │ ├─Chapter1 General provisions of real property (第1章 総則)
│ │ ├─Chapter2 Possessory rights (第2章 占有)
│ │ │ ├─Section1 Acquisition of possessory rights (第1節 占有権の取得)
│ │ │ ├─Section2 Effect of possessory rights (第2節 占有権の効力)
│ │ │ │ ├─2. Acquisition of title right by possession (本権の取得)
│ │ │ │ └─3. Possessory actions (占有訴権)
│ │ │ ├─Section3 Extinction of possessory rights (第3節 占有権の消滅)
│ │ │ └─Section4 Quasi-possession (第4節 準占有)
│ │ ├─Chapter3 Ownership (第3章 所有権)
│ │ │ ├─Section1 Extent of ownership (第1節 所有権の限界)
│ │ │ │ ├─Subsection1 Content and scope of ownership (第1款 取有権の内容及び範囲)
│ │ │ │ └─Subsection2 Neighboring relationships (第2款 相隣関係)
│ │ │ │ ├─1. Use of Neighboring Land (隣地の利用)
│ │ │ │ ├─2. Management of Water streams (水流の管理)
│ │ │ │ ├─3. Management of Boundary (境界の管理)
│ │ │ │ └─4. Neighboring Structure on land (隣地近傍の工作物)
│ │ │ ├─Section2 Acquisition of ownership (第2節 所有権の取得)
│ │ │ │ ├─1. Possession, finding and discovery (先占,拾得,発見)
│ │ │ │ └─2. Accession, mixture and processing (添付)
│ │ │ └─Section3 Co-ownership (第3節 共有)
│ │ │ ├─1. Management of co-ownership (共有物の管理)
│ │ │ ├─2. Partition of co-owned thing (共有物の分割)
│ │ │ ├─3. Rights of common with nature of co-ownership (共有の性質を有する入会権)
│ │ │ └─4. Quasi co-ownership (準共有)
│ │ ├─Chapter3-2 Rights of usufructuary (用益物権)
│ │ │ ├─Chapter4 Superficies (第4章 地上権)
│ │ │ ├─Chapter5 Emphyteusis (第5章 永小作権)
│ │ │ │ ├─1. Acquisition of Emphyteusis (永小作権の取得)
│ │ │ │ └─2. Extinction of emphyteusis (永小作権の消滅)
│ │ │ └─Chapter6 Servitudes (第6章 地役権)
│ │ │ ├─1. Acquisition of servitudes (地役権の取得)
│ │ │ ├─2. Extinction of servitudes (地役権の消滅)
│ │ │ └─3. Common with the nature of servitudes (共有の性質を有しない入会権)
│ │ └─Chapter3-3. Real security (担保物権)
│ │ ├─Chapter07 Right of retention (第7章 留置権)
│ │ │ ├─1. Acquisition of right of retention (留置権の性質)
│ │ │ ├─2. Effect of right of retention (留置権の効力)
│ │ │ └─3. Extinction of right of retention (留置権の消滅)
│ │ ├─Chapter08 Statutory liens (第8章 先取特権)
│ │ │ ├─Section1 General provisions (第1節 総則)
│ │ │ ├─Section2 Kinds of statutory liens (第2節 先取特権の種類)
│ │ │ ├─Section3 Order of priority of statutory liens (第3節 先取特権の順位)
│ │ │ └─Section4 Effect of statutory liens (第4節 先取特権の効力)
│ │ ├─Chapter09 Pledges (第9章 質権)
│ │ │ ├─Section1 General provisions (第1節 総則)
│ │ │ ├─Section2 Pledges of movables (第2節 動産質)
│ │ │ ├─Section3 Pledges of immovable properties (第3節 不動産質)
│ │ │ └─Section4 Pledges of rights (第4節 権利質)
│ │ └─Chapter10 Mortgages (第10章 抵当権)
│ │ ├─Section1 General provisions (第1節 総則)
│ │ ├─Section2 Effect of mortgages (第2節 抵当権の効力)
│ │ │ ├─3. Disposition of mortgages (抵当権の処分)
│ │ │ ├─6. Statutory superficies (法定地上権)
│ │ │ ├─7. Joint mortgages (共同抵当)
│ │ │ └─8. Nobless oblige in mortgagees (抵当権におけるノブレス・オブリージュ)
│ │ ├─Section3 Extinction of mortgages (抵当権の消滅)
│ │ └─Section4 Revolving mortgages (根抵当)
│ │ └─4. Joint revolving mortgages(共同根抵当)

コマンドプロンプトの”tree”命令のデフォルトを利用しているので,一部ディレクトリが省略されてしまっています(なぜ,欠落が生じるのか不明です)。

もちろん,”tree/f”の命令を使うと,ファイルのレベルまでツリーを描くことができるのですが,これだと,あまりにも複雑になるので,今回は,ディレクトリのレベルで表示しています。

今後,ファイルのレベルでの入力が進めば,不要なファイルを除去するプログラムを作成して,すべての条文のレベルまで表示した体系図を示すつもりです。

アウトラインプロセッサ(OlivineEditor)を使った民法の体系化(中間報告1)


アウトラインプロセッサ(OlivineEditor)を使った民法の体系化の試み(総則まで)


Routine民法は,パンデクテン方式という編別方式を採用しています。

このパンデクテン方式というのは,各編,各条文の共通部分を抜き出して,総則として,前に出してまとめるという方式であり,コンピュータのプログラムに似た構造を有しています。

すなわち,各編(たとえば,物権編とか,債権編の契約の類型に基づいた「契約の流れ」とか)がメインルーティンであり,民法総則がサブルーティンに該当すると考えることができます。


従来の体系化の試み(静態的な体系図)


このため,民法の体系を図式化すれば,民法の全体像がわかりやすくなると考え,たとえば,以下のような図を作成してきました。

CivSystem1

Civ00All03左の図のように,もう少し簡潔に表示することもできますが,これでは,体系図としては,貧弱すぎます。

しかし,これらの図は,いずれにせよ,全体像を示すこと以外の機能を持ちません。この体系に,条文や文献,判例等を追加しようとすると,図画途方もなく大きくなり,一つの図として示すことができなくなります。

Civ01Generalもちろん,以下に示す,民法総則の全体像は,右の図のように簡潔に示すことができますし,それぞれの枝葉にリンクをつけることで,かなり深くまで表示することができるのですが,条文の内容,立法理由,学説,判例まで表示することはできません。


アウトラインプロセッサを使った動態的な体系図


しかし,アウトラインプロセッサを使って,民法を体系化すると,レベル1のノードだけ見せて,後は折りたたんだり,ある部分について,すべてのレベルまで展開したりすることができます。これは,あたかも,Googleマップで世界地図から,日本地図,分県地図,住宅地図のように,概略図から,詳細な図まで,自由自在に行き来できるようになるのと同じです。

以下の図は,アウトラインプロセッサを使って作成中の民法の体系をWindowsのディレクトリのレベルまで展開したものです。Windowsのコマンドプロンプトで,”tree”というシステム述語を用いると,以下のような,ツリー構造を示してくれます。


Structure of Civil Code of Japan(民法民法典の体系)
├─1 Property law(財産法)
│ ├─Part1 General provisions(第1編 総則)
│ │ ├─Chapter1 General principles(第1章 通則)
│ │ │ ├─Section1 Private and public interests(私権と公共の福祉との関係)
│ │ │ ├─Section2 Standard of act(私人の行動原理)
│ │ │ │ ├─ Art. 1 al. 2 Principle of good faith(信義則)
│ │ │ │ └─ Art. 1 al. 3 Prohibition of abuse of rights(権利濫用の禁止)
│ │ │ └─Section3 Aim and Interpretation of civil law(民法の目的と解釈)
│ │ │ └─Art. 2 Dignity and equality(個人の尊厳と両性の本質的平等)
│ │ ├─Chapter2-3 Person(人)
│ │ │ ├─Chapter2 Natural person(第2章 自然人)
│ │ │ │ ├─Secction1 Capacity to hold rights(第1節 権利能力)
│ │ │ │ ├─Section2 Capacity to legal act(第2節 行為能力)
│ │ │ │ │ ├─1. Majorities(成年)
│ │ │ │ │ ├─2. Minors(未成年)
│ │ │ │ │ ├─3. Guardianship(成年後見)
│ │ │ │ │ ├─4. Curatorship(保佐)
│ │ │ │ │ ├─5. Assistance(補助)
│ │ │ │ │ └─6. Right of counterparty(制限能力者の相手方の権利)
│ │ │ │ ├─Section3 Domicile(第3節 住所)
│ │ │ │ ├─Section4-1 Management of absentee property(第4節 不在者の財産管理)
│ │ │ │ ├─Section4-2 Adjudication of disappearance(第4節 失踪宣告)
│ │ │ │ └─Section5 Presumption of simultaneous death(第5節 同時死亡の推定)
│ │ │ └─Chapter3 Juridical person(第3章 法人)
│ │ │ └─1. Establishment of juridical person(法人の設立)
│ │ ├─Chapter4 Object of right(第4章 物)
│ │ │ └─Clasification(物の種類)
│ │ │ ├─1. Tansible or Intangible(有体物と無体物)
│ │ │ │ └─Art. 85 Tangible(有体物)
│ │ │ └─2. Principal or Appurtenance(主物と従物)
│ │ │ └─Art. 88 Fruits(元物と果実)
│ │ ├─Chapter5 Legal acts(第5章 法律行為)
│ │ │ ├─Section1 General provisions of legal acts(第1節 総則)
│ │ │ ├─Section2 Manifestation of intention(第2節 意思表示)
│ │ │ ├─Section3 Agency(第3節 代理)
│ │ │ │ ├─1. Condition of egency(代理の要件)
│ │ │ │ ├─2. Sub-agency(復代理)
│ │ │ │ ├─3. Conflict of agency(利益相反)
│ │ │ │ ├─4. Apparent agency(表見代理)
│ │ │ │ └─5. Unauthorized agency(無権代理)
│ │ │ ├─Section4 Void or Invalidity of legal acts(第4節 無効及び取消し)
│ │ │ │ ├─1. Void(無効)
│ │ │ │ └─2. Invalidity(取消し)
│ │ │ └─Section5 Conditions and Time limit(第5節 条件と期限)
│ │ │ ├─Conditions(条件)
│ │ │ └─Time limit(期限)
│ │ ├─Chapter6 Calculation of period(第6章 期間の計算)
│ │ └─Chapter7 Prescription(第7章 時効)
│ │ ├─Section1 General provisions(第1節 総則)
│ │ │ ├─1. Effect and waiver(時効利益とその放棄)
│ │ │ ├─2. Interruption(時効の中断)
│ │ │ └─3. Suspension(時効の停止)
│ │ ├─Section2. Acquisitive prescription(第2節 取得時効)
│ │ └─Section3. Extinctive prescription(第3節 消滅時効)
│ │ ├─1. Long term(長期消滅時効)
│ │ └─2. Short term(短期消滅時効)


アウトラインプロセッサの中身には,この下に,条文,文献,判例を順次追加しているのですが,そこまで展開すると,詳細に過ぎるので,ここでは,ディレクトリができている部分に限定して一覧をしています。

この後も,アウトラインプロセッサで民法の体系化の作業を進めていきます。