創造的な論文の書き方(その2)
アブダクション(発見の推論)
問題の所在
法学,特に,法解釈学は,法律の条文について,最高裁の有権解釈を追認し,法文の正当化を行うだけであり,創造性とは無縁の学問であると考えられてきた。
創造性を売り物にする法学の博士論文も,これまでのところ,新しい法原理を発見するというものはほとんどなく,多くは,外国の論文を種本とし,外国の法制度や判例を紹介して,わが国の法解釈に示唆を与えるという,外国法,または,外国の法理論の物まねの域を超えるものではない。
もちろん,新しい問題について,従来の法解釈理論を適用して,新しい問題の解決に寄与する論文とか,新しい問題を契機として,解釈理論に多少の変更をするものはあるが,創造的な解釈理論や法原理を打ち出したといえる論文はほとんど見られないというのが現状である。
確かに,法学は,ローマ法以来,2,000年以上の歴史と伝統を有する学問であり,法学の基盤となる法原理を根本的に変革することは,法的な安定性を害するものであって,慎重でなければならない。しかし,社会・経済の発展は,根本的な法原理についても,さまざまな変革を迫っているのであり,社会・経済の発展に即して,法原理の改革,発展を図ることも重要である。
その場合には,法の創造としての立法や,法理論の創造も不可欠となる。ところが,法学においては,法律の条文とか,法原理とかを前提にして,それをさまざまな事実に適用する方法論,解釈理論は発達してきたものの,新しい法原理や法理論を発見する方法論については,ほとんどないに等しい。
そこで,ここでは,創造的な法理論を発展させるための方法として,科学上の発見の推論といわれるアブダクションを,演繹,帰納と対比して,紹介することにする。また,トゥールミン図式をうまく活用するならば,法学においても,理論(仮説)に対する反証を通じて,創造的な法理論を発展させることができることを論じることにする。
法的推論の典型例としての演繹推論(三段論法)とその問題点
法的推論といえば,以下のような,三段論法(演繹推論)が最も重要とされてきた。
・大前提:すべての人間は死ぬ。
・小前提:ソクラテスは人間である。
・結 論:ソクラテスは死ぬ。
しかし,三段論法には,重要な問題点が含まれている。大前提には,例外が許されない。したがって,法律のような但し書きが多い条文について,三段論法に載せることは困難である。
たとえば,民法709条を大前提にすることはできるが,民法709条の要件をすべて満たすと加害者は損害賠償責任を負うと規定しつつ,民法709条の要件をすべて満たす場合でも,民法720条の要件が満たされると,その加害者の損害賠償責任が否定されるという命題を三段論法で説明することはできない。
トゥールミン図式の登場
そこで,トゥールミン図式では,確率的な議論を取り込み,反論を取り込める論理を議論の図式として作り出したのである。
このトゥールミン図式は,演繹ばかりでなく,帰納も,また,以下に紹介するアブダクションを含めて,すべての推論を図式化することができる点で,法理論の創造にとっても有用である。
推論の3つの型(ケプラーの法則の発見に即して)
論理学上の推論としては,誤りに陥る場合もあるが,有効な方法として,帰納推論とアブダクションという推論方法がある。
英語で表現すると,以上の3つの推論方法は,覚えやすい。なぜなら,演繹は,deductionといい,帰納は,inductionといい,アブダクションは,abductionといって,語尾は共通だからである。
三つの推論の概要を知るために,以下に詳しく述べる,ケプラーの発見した惑星の軌道に関する推論を例にとって説明する。
演繹(deduction)
すでに発見された一般原理から,結論を導き出す推論である。大前提は,発見されるべきものであるから,発見された原理を検証したり,利用する際には,有用であるが,科学的発見には無力であり,使い物にならない。
・大前提:すべての惑星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く。
・小前提:火星は惑星である。
・結 論:火星は太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く。
帰納(induction)
ビッグデータの分析から,一般原理を導きだす推論である。日常的にも用いられる推論。数学的帰納法を除いて,論理学的には正しくない結論を導き出す恐れがあるので,必ず反証を試み,それに耐えうるものであるかどうかを検証する必要がある。
・小前提:水星,地球,木星等の惑星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描いている。
・大前提:すべての惑星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く。
(ここに論理の飛躍が潜むことが多い)
・結 論:火星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く。
アブダクション(abduction)
ひとつのことを徹底的に分析した結果,一般原理を発見する推論。学者による発見は,ほとんどの場合に,この方法によっている。若い学者が,老練の学者を超えることができるのは,一つのことを徹底的に分析するのであれば,経験の豊富さに影響されないからである。
・小前提:火星は惑星である。(周知の事実)
・結 論:火星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描いている(ケプラーの発見)
・大前提:すべての惑星は,太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く(ケプラーの法則の発見)
(論理の飛躍があるので,反証に耐えるかどうか検証しなければならない)
発見の推論としてのアブダクションの推論方法を確認するために,ケプラーの発見のプロセスをもう一度振り返ってみよう。
第1に,ケプラーは,火星は惑星であるというところから出発している。そして,第2に,ティコブラーエの膨大な観測記録を10年がかりで分析し,ついに,火星は,太陽を1つの焦点とした楕円軌道を描いていることを発見する。第3に,全ての惑星は,太陽を1つの焦点とした楕円軌道を描くという天文学上の大法則を導くことができた。
この時代,ガリレイもコペルニクスも,惑星は,太陽の周りを円軌道を描いていると信じていた。コペルニクスの地動説が長い間受け入れられなかった原因は,円運動にとらわれた地動説が,観測結果と合致しなかったからである。
ケプラーが惑星の運動を円運動ではなく,楕円運動だと発見したことによって,地動説は,観測結果との間の齟齬が解消されたばかりでなく,その後のニュートン力学の創造に決定的な寄与をすることができたのである。
結論
法解釈学といえば,三段論法が連想され,判決は,三段論法によってその正当性を確保していると信じられてきた。しかし,三段論法の大前提は,例外を許さない原則でなければならず,実は,法律の条文や法原則は,必ずといってよいほど,例外を許すものであるため,三段論法による正当化はできないのである。したがって,法解釈学においても,その推論は,帰納的推論,および,今回紹介した,発見の推論としてのアブダクションを大いに用いるべきである。
その際,注意しなければならないのは,帰納的推論も,アブダクションも,論理学的には,完全な推論とはいえないので,反証に耐えうるかどうか,常に検証を怠らないことが大切である。その際に有用なのが,トゥールミン図式の活用である。
確かに,トゥールミン図式の基本形においては,データを正当化するための根拠に対する裏づけは想定されているが,反論に対する裏づけは,用意されていない。しかし,トゥールミン図式の基本形にヒントを得て,筆者が多少の変形を加えた,法的議論のためのトゥールミン図式の応用型においては,反論に対する裏づけが用意されている。
このトゥールミン図式の応用型に基づいて,根拠と反論とを包み込み,両者が納得できる原理を構築することが,まさに,法学(特に,法解釈学)上の発見の推論に当たるのである。
このように考えると,法学,特に,正当化の議論に終始していると非難されてきた法解釈学も,さまざまな条文と但し書きを裏付ける一般的な法原理を導き出し,法の体系化を推進することが,法学,特に,法解釈学の発展を約束するものということができよう。
参考文献
・阿部博幸『がんで死なない治療の選択-アポトーシスの秘密』徳間書店(2014/5/31)
・伊丹敬之『創造的論文の書き方』有斐閣(2001/12)
・トーマス・クーン,中山 茂 (訳) 『科学革命の構造』みすず書房(1971/01)
・高橋健二『ドイツの名詩名句鑑賞』郁文堂 (1991)
・スティーヴン・トゥールミン(戸田山和久,福澤一吉訳)『議論の技法(The Uses of Argument(1958, 2003)) トゥールミンモデルの原点』東京図書(2011)
・野家啓一『パラダイムとは何か クーンの科学史革命 』(講談社学術文庫(2008/6/10)
・プラトン著,藤沢令夫(訳)『メノン』岩波文庫(1994)
・フリチョフ・ハフト/平野敏彦訳『レトリック流法律学習法』〔レトリック研究会叢書2〕木鐸社(1992年)
・米盛裕二『アブダクション-仮説と発見の論理』勁草書房(2007/9/20)