民法学の失敗の原因とその再生方法(その2)


民法学の失敗の原因とその再生方法(その2) -あるものをない,ないものをあるという不遜からの脱却方法-


  • 目次
    • Ⅰ 問題の所在
      • わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?
    • Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権
      • 1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている
        • A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する
        • B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する
        • C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている
      • 2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由
      • 3.所有権に基づく請求権の3類型
      • 4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係
        • A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)
        • B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)
        • C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)
      • 5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)
        • A. 事実の概要
        • B. 判決理由
        • C. 判例批評
      • 6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担
      • 7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)
        • A. リーディング・ケース
        • B. 事実の概要
        • C. 判決理由
        • D. 判例批評
    • Ⅲ 結論
    • Ⅳ 参考文献

Ⅰ 問題の所在


わが国の通説は,現行民法には,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしているがそれは本当なのか?

わが国の民法には,占有訴権は別として,本権としての物権に関しては,所有権に基づく請求権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないというのが,[鳩山・物上請求権(1930)117頁]以来のわが国の通説であり,これまで,これに異議を唱える学説は存在しなかった。

わが国の通説を代表する我妻説([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁])も,以下のように述べて,わが国には,所有権を含めて物権的請求権についての規定は存在しないとしている。

動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し,土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる。物権のこのような効力を「物権的請求権」または「物上請求権」という。民法は,占有についてこれを規定しているが,(§§198~200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない。

しかし,この記述は,明文の規定(民法193条,および,民法233条)を参照するならば,誤りであることが分かる。その理由は,以下の通りである。

第1に,民法193条は,「占有物が盗品又は遺失物であるときは,被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定している。そして,我妻説によれば,民法193条における「物の回復を請求すること」とは,「所有権又は質権を回復することである」[我妻=有泉コンメンタール民法(2013)409頁]と解しているのであるから,民法は,所有権に基づく返還請求について「何らの規定も設けていない」のではなく,民法193条という明文の規定によって,「動産の所有者は盗人に対してその返還を請求」することができることを明文で規定しているといわなければならない。

第2に,民法233条第1項は,「隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは,その竹木の所有者に,その枝を切除させることができる」と規定している。枝が倒れずに境界線を越えただけで,土地の所有者は,隣地の所有者に対して,竹木の枝の切除を請求できるのであるから,竹木が倒れてきた場合にも,その枝の切除を請求できることは当然であろう。すなわち,土地の所有者は,民法233条のもちろん解釈として,「隣地から倒れてきた樹木の除去を請求できる」と解すべきである。

このように考えると,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,なんらの規定も設けていないというのは「あるものをない」とする根拠のない暴論であるといわなければならない。


Ⅱ わが国の民法に存在する所有権に基づく請求権


1.所有権に基づく請求権は,わが国の民法においても,明文で規定されている

先に述べたように,わが国の民法を調べてみると,以下のように,所有権に基づく請求権が明文で規定されていることが分かる。第1に,所有権に基づく返還請求権を規定しているのが,民法193条(盗品又は遺失物の回復)であり,第2に,所有権に基づく妨害排除請求権を規定しているのが,民法233条第1項(竹木の枝の切除)であり,所有権に基づく妨害予防請求権を規定しているのが,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)である。さらに,民法は,第4に,所有権に基づく受忍請求権についても,民法233条第2項(竹木の根の切取り)など,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。これらの規定について,体系的に検討してみることにしよう。

A. わが国の民法にも,所有権に基づく返還請求権の規定が存在する

所有権に基づく返還請求権については,わが国の民法は,少なくとも,1箇条ではあるが,民法193条が占有者に対する本権に基づく返還請求権を規定している。

この条文(民法193条)は,善意取得の例外の条文として,占有の箇所に規定されているため,占有訴権であるかのように見える。しかし,その内容は,盗品または遺失物の所有者が,占有を失っていることを前提にして,盗品または遺失物の占有者に対して,本権に基づいて,その返還を求めることを認めた規定である。したがって,この規定が,占有訴権とは異なる所有権に基づく返還請求権を含んでいることについては,疑いの余地がない。

B. わが国の民法にも,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の規定が存在する

わが国の民法は,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,少なくとも以下の3箇条の条文を有している。明文の規定であるため,それが,物権的請求権のうちの,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権であるかどうかは,誰の目にも明らかである。それにもかかわらず,「所有権に基づく請求権については,わが国は明文の規定を欠いている」という誤った考え方が,4半世紀にわたって通説・判例となってきたこと,しかも,今なお,それが学説の一致した見解であることが,わが国の民法学の最大の悲劇であるといってよい。

第1は,民法216条(水流に関する工作物の修繕等)であり,相隣関係の規定に含まれているものの,ある土地とその隣地の関係に限定されているわけではなく,工作物による危険が及ぶすべての土地に関連しており,単なる相隣関係の範囲を超えて,所有権に基づく妨害排除・予防請求権の典型的な規定として位置づけることができる。

第2は,民法233条1項(竹木の枝の切除請求)であり,隣地の枝が境界線を越えて土地の所有権を妨害している場合について,その土地の所有権者は,隣地の所有権者に対して,枝を切除することによって妨害を排除するよう請求できることを明文で認めている(なお,民法233条2項については隣地の根の所有者に対して,自らが妨害排除を行うことを忍容するよう求める請求権であり,受忍請求権の問題として後に検討する)。

第3は,民法234条(境界付近の建築の制限)であり,民法234条1項の境界線から50センチメートルの距離を保つことなしに建物を建築しようとしている隣地の所有者に対して,建築の中止,または,建築の変更を求めるものであり,これが,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権(建築差止請求権)である。この請求権が,民法199条の占有訴権とは別個の「所有権本権に基づく請求権」であることも,疑いの余地がない。

C. わが国の民法は,占有訴権とともに物権本権に基づく請求権を認めている

わが国の民法が,一般論としても,物権的請求権を認めていることは,民法202条1項が,「占有の訴えは本権の訴えを妨げず,また,本権の訴えは占有の訴えを妨げない」と規定していることからも明らかである。なぜなら,上記の本権の訴え(いわゆる物権的請求権)が,占有訴権と併存することを前提としているからである。

そこで,民法202条の意味について,本権である所有権に基づく請求権としての民法234条(境界付近の建築の制限)と占有訴権である民法199条(占有保全の訴え),201条2項(占有保全の訴えの提起期間)とを例に挙げて,両者の関係を整理しておこう。

たとえば,ある土地の所有者Aの隣地の所有者BがAとの境界線から50センチメートルの距離を置かずに建物を建築しようとしたとする。

第1に,Aは,Bに対して,占有訴権を選択し,民法199条および201条2項に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に「妨害の予防」として,工事の差止を請求することができる。第2に,Aは,Bに対して,本権の訴えを選択し,民法234条に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に,「建築を中止」または建築の「変更」を請求することができる」。

このように,民法は,所有権に基づく請求権と占有訴権の両者を明文で規定し,かつ,所有者は,両者をともに利用することができるとしているのである。

なお,ここで注意すべきは,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,民法234条が消滅時効(または除斥期間)を定めていることである。後に述べるように,通説・判例は,いわゆる「物権的請求権は消滅時効にかからない」と考えている。しかし,民法は,そのような一般化はしていないのである。わが国の民法は,いわゆる物権的請求権といえども,消滅時効にかかる場合があることを民法234条(境界付近の建築の制限)によって明確に規定していることに留意しなければならない。

2.現行民法が,一般的な物権的請求権について規定しなかった理由

現行民法とは異なり,旧民法財産編36条は,本権に基づく請求権(本権訴権)と占有訴権との関係を,以下のように一般的に規定していた。

旧民法 財産編 第36条
①所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し,証拠編に記載したるものは此限に在らず。
②又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。

現行民法は,旧民法財産編36条の規定を削除したのであるが,その理由は,それに反対したからではなく,「占有権及び時効に関する規定に因りて自から明らかなるが故」[民法理由書(1987)243頁]であり,旧民法財産編36条の考え方(本権訴権と占有訴権との併存)は,民法202条1項にそのまま受け継がれている。

言い換えると,いわゆる物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権は,わが国の民法に明文(民法193条,216条,233条,234条など)をもって規定されている。そして,民法202条は,それを当然のこととして規定している。つまり,民法の立場は,占有訴権と本権訴権(所有権に基づく請求権,用益権(賃借権)に基づく請求権を含む)とがあれば十分であり,それ以外に,一般的な物権的請求権の概念を必要としてないのである。

このように考えると,わが国の学説が一貫して主張してきた「わが国には物権的請求権に関する明文の規定は存在しない」という誤った命題を金科玉条のように信奉し,それを補うために,ドイツ民法の条文に頼ってきた民法学のあり方自体が問われることになる

むしろ,わが国の物権的請求権論は,民法の具体的な規定を考慮せずに,一般論を展開するものとなっているため,本来物権的請求権を認めるべきでない場合でも,安易に物権的請求権を認めるという問題を引き起こしている。

例えば,占有を伴わない抵当権についても,抵当権者による物権的請求権としての返還請求権まで認めている(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)。

最一判平17・3・10民集59巻2号356頁
抵当不動産の占有者に対する抵当権に基づく妨害排除請求権の行使に当たり,抵当不動産の所有者において抵当権に対する侵害が生じないように抵当不動産を適切に維持管理することが期待できない場合には,抵当権者は,当該占有者に対し,直接自己への抵当不動産の明渡しを求めることができる

この最高裁判決に対しては,批判的な学説があるものの,これを支持するのが多数説となっていることから,わが国の物権的請求権論は,危険な理論へと変化しており,わが国の物権的請求権論は,「ないものをある」とする点で,ドイツ民法を越えて,暴走しているといわざるをえない。

なぜなら,物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においては,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされているからである。

3.所有権に基づく請求権の3類型

物権的請求権には,物権的妨害排除請求権,物権的妨害予防請求権,物権的返還請求権の3種類があるというのが通説である。この3種類は,わが国の民法が占有訴権として規定してる占有保持の訴え(民法198条),占有保全の訴え(民法199条),占有回収の訴え(民法200条)に対応しており,その占有訴権の名称ではなく,その内容が,以下のように,「妨害の停止」(民法198条),「妨害の予防」(民法199条),「物の返還」(民法200条)となっていることに由来している。

第198条(占有保持の訴え)
占有者がその占有を妨害されたときは,占有保持の訴えにより,その妨害の停止及び損害の賠償を請求することができる。

第199条(占有保全の訴え)
占有者がその占有を妨害されるおそれがあるときは,占有保全の訴えにより,その妨害の予防又は損害賠償の担保を請求することができる。

第200条(占有回収の訴え)
①占有者がその占有を奪われたときは,占有回収の訴えにより,その物の返還及び損害の賠償を請求することができる。
②占有回収の訴えは,占有を侵奪した者の特定承継人に対して提起することができない。ただし,その承継人が侵奪の事実を知っていたときは,この限りでない。

これらの占有訴権は,占有を伴う物権を有する者(本権者)は,当然に,これを利用できる。また,占有に関する本権には,賃借権者,受寄者等も含まれるのであり,占有を伴う債権も本権となるので,債権者においても,占有訴権を利用することができる(民法202条)。反対に,物権であっても,占有を伴わない物権,たとえば,先取特権,抵当権等は,占有訴権を有しない。

物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においても,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされている。

4.所有権に基づく請求権における,行為請求権と受忍請求権との関係

所有権に基づく請求権に関しては,誰が相手方の行為を請求できるのか,それとも,所有権者が自力で妨害を排除することを相手方に受忍するように求めることができるだけなのかが問題となる。この問題については,以下の順序を追って考察するのが適切である。

第1に,1つの条文の中で,所有権に基づく妨害排除に関して行為請求権と受忍請求権とをかき分けている民法233条について分析する。第2に,受忍請求権に特化して,隣地への立ち入りを認めることを規定している民法209条について分析する。第3に,妨害排除・妨害予防を含めて,行為請求権を規定している民法216条と234条とを,請求権の主体と相手方の特定の問題を含めて考察する。

A. 所有権に基づく妨害排除請求権について,行為請求と受忍請求とはどのように区別されているのか(民法233条)

行為請求権と受忍請求権との違いを明確に規定しているのは,民法233条である。民法233条1項は,甲土地(隣地)の竹木の枝が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合に,乙土地の所有者に,その枝を切除するように請求する権利(所有権に基づく妨害排除請求権)を認めている。

これに対して,甲土地(隣地)の竹木の根が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合には,乙土地の所有者に,その根を切り取ることを認めている。これは,一見,自力救済を認めたものであるかのように見えるが,実は,乙土地の所有者が自ら妨害排除を行うことを甲土地(隣地)の所有者が受忍しなければならないという義務が法律によって課され,その結果,乙土地の所有者は,妨害目的物の所有者である甲土地(隣地)の所有者に対して,妨害を排除することを受忍せよとの受忍請求権を取得しているのである。

同じ土地所有権を妨害する物でありながら,竹木の枝と根とを区別したのは,なぜか。それは,以下の2つの考慮によるものと考えられる。

第1は,民法211条1項に規定されている原理であるが,権利者にとって「必要であり,かつ,他の土地のために損害が最も少ないものを選ばなければならない」という,所有権に基づく請求権に関する根本原理としての「必要かつ損害最小限の原理」への考慮が働いていると考えられる。

甲土地の竹木の枝が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合には,乙土地の所有者が甲土地の境界を越えて切除するのではなく,甲土地の所有者にその枝を切除させる方が,損害を最小限に抑えることができる。なぜなら,甲土地の所有者は,妨害を除去するために,枝のどの部分から切除するかを決定することができからである。しかも,場合によっては,その竹木を移植することによって,乙土地の所有権の妨害が停止され,かつ,甲土地の所有者にとっても損害が全くないという結果を実現することも可能となる。

これに対して,甲土地の根が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合は,甲土地の所有者が乙土地の境界を越えて根を切り取るのではなく,乙土地の所有者にその根を切り取らせる方が,損害を最小限に抑えることができる。乙土地の所有者は,根を元から切り取るのではなく,妨害が生じている部分だけを切り取るという選択をすることによって,甲土地の所有者の損害を最小限に抑えることが可能となるからである。

第2は,妨害が妨害する側の者の目に見えるか,目に見えないかの区別(帰責性への考慮)があると考えられる。目に見える妨害の場合には,妨害をしている方(枝をはみ出させている帰責性のある甲土地の所有者)に妨害排除義務を課すのが適切である。これに対して,妨害が目に見えない場合には,帰責性のない妨害者ではなく,妨害を受けている側(根によって妨害を受けている乙土地の所有者)に相手方への受忍請求権を与えるのが適切である。

甲土地の竹木の枝が,見える部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者に帰責性があるため,乙土地の所有者に相手方に対する行為請求権(枝を切り取るという行為請求権)を認めるのが妥当である。これに対して,甲土地の竹木の根が見えない部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者には帰責性が認められないため,乙土地の所有者に行為請求権を与えるのではなく,相手方に対する受忍請求権(根の切り取りを受忍せよとの権利)を認めるのが妥当である。すなわち,妨害者に帰責性がある場合には,所有者に行為請求権を与え,妨害者に帰責性がない場合には,所有者に行為請求権ではなく,受忍請求権を認めるのが適切である。すなわち,所有権に基づく請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるということになる。

物権的請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるという考え方は,阪神淡路大震災のように,不可抗力によって甲土地の建物や竹木が倒れて乙土地の所有権を侵害している場合を想定してみるとよくわかる。このような場合には,所有権に基づく請求権を絶対視して,甲土地の所有者に対する乙土地の所有者の行為請求権を認めるのは適切ではなく,逆に,甲土地の所有者が,乙土地に立ち入って後片付けをすることを認める,すなわち,妨害者である甲土地の所有者の方に,乙土地の所有者に対する受忍請求権(立入請求権)を認めるのが妥当であろう。このように,所有権に基づく受忍請求権は,妨害者に帰責性のない場合の解決方法として,デフォルト値(初期値)として尊重することが適切である。

B. 所有権に基づく受忍請求権の典型例としての隣地への立ち入り請求権は,どのように位置づけられるべきか(民法209条)

受忍請求権を考える上で,重要な論点のひとつに,たとえば,甲土地の所有者の洗濯物が風で飛ばされて乙土地の上に落下したり,甲土地でボール遊びをしていてボールが,乙土地に飛んでいったりしたような場合に,甲土地の所有者は,乙土地に立ち入って洗濯物やボールを探して引き取ることを要求できるかどうかである。この点について,ドイツ民法には,以下のような明文の規定がある(ドイツ民法867条)。

§867
BGB
(占有者の探索・引取の忍容請求権)
物が占有者の支配を離れて他人の占有する土地の上に移動した場合に,土地の占有者がその物を自己の占有に移転しない間は,その物の探索(Aufsuchung)及び引取り(Wegschaffung)を忍容しなければならない。その場合において,土地の占有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の占有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。

わが国には,上記のような他人の土地への立入忍容請求権についての明文の規定がない。このため,このような請求権は,物権的請求権の3つの類型に該当せず,第4の類型として独立した類型と考えるべきであるとの主張がなされている[山田・引取請求権(1983)1頁以下]。

しかし,このような請求権は,先に述べたように,所有権に基づく妨害排除請求権について,相手方が進んでその義務を履行しようとするものに過ぎない。すなわち,これは,妨害排除義務を負う側の方から,自ら妨害排除を行うことの認容を求めるものに過ぎず,妨害排除に関する忍容請求権として位置づければ足りる。

確かに,民法233条2項(竹木の根の切り取り)の場合には,妨害を受けた乙土地の所有者から,根の所有者(甲土地の所有者)に対して,根の切り取りを受忍する請求権を認めている。しかし,一定の要件を満たした場合には,逆に,根の所有者(甲土地の所有者)が自ら妨害を排除すること,すなわち,乙地に立ち入って根を切り取ることの認容を請求することを認める方が効率的な場合もありうる。その場合が,「必要かつ損害最小限」の原則(民法211条1項)を満たす場合には,甲土地の所有者からの乙土地への立入受忍請求権が認められるべきであろう。

民法の相隣関係の最初の規定である民法209条が,隣地への立入受忍請求権を規定していることは,この意味で,重要な意義を有するといえよう。したがって,立入受忍請求権を物権的請求権の第4類型とすることを提唱する学説[山田・引取請求権(1983)1頁以下]
が,条文上の根拠として民法209条の類推を示唆しているのは,むしろ,当然のことといえよう。

このようにして,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,所有権に基づく返還請求権(民法193条),所有権に基づく妨害排除請求権(民法216条,民法233条1項),所有権に基づく妨害予防請求権(民法216条,234条)の3類型ばかりでなく,所有権に基づく妨害排除・予防請求権を実現するために,権利者から妨害者に対する受忍請求権(民法233条2項),または,妨害者から所有者に対する受忍請求権(民法209条)といういわゆる第4の類型も認めており,条文の数は少ないとはいえ,内容的には,所有権に基づく請求権のすべての類型について,ドイツ民法に劣らない明文の規定を有していることが明らかになったと思われる。

C. 所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,行為請求権はどのような要件の下で認められているのか(民法216条,234条)

所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,侵害を受けた,または,侵害の恐れがある所有者から,妨害者に対して行為請求権が請求できるのは,妨害者に帰責事由がある場合であり,妨害者に帰責事由がない場合には,所有者には,行為請求権ではなく,妨害排除に関する受忍請求権が認められていることについては,民法233条,および,民法209条の分析を通じて明らかにした。

このことを,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,所有者に行為請求権を認めた民法216条,234条を通じて再確認することにしよう。

民法216条は,土地に貯水,排水又は引水のために設けられた「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定している。この場合において,工作物の破壊又は閉塞により,所有権侵害,または,損害の発生することは,工作物のある土地の所有者にとって予見可能であり,かつ,その回避が可能である。したがって,工作物の所有者に帰責事由があることは明らかであり,行為請求権が認められている。

また,民法234条の場合にも,所有権に基づく建築差止め,または,建築変更の請求権が認められるためには,建物を築造しようとする者に,民法234条1項の違反(境界線から50センチメートル以上の距離を保つべきことに対する違反)があることが要件とされており,したがって,行為請求権が認められている。

なお,民法234条は,物権的請求権について,1年間の除斥期間を認めており,所有権に基づく請求権は,時効にかからないという命題が,普遍的な命題ではないことを明らかにしている点でも注目に値する。

5.所有権に基づく請求権の衝突の解消について(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

所有権に基づく請求権の法的性質,種類等が明らかになると,次に,所有権に基づく請求権間の競合の問題をも容易に解決することができる。以下の例は,境界を接する宅地と田との間で,土砂が落下して迷惑をしている田の所有者が妨害排除請求をすることができるのか,それとも,田を作る際に土砂が崩壊しないように配慮すべきであったことを理由に,家屋の崩壊のおそれがある敷地の所有者が,田の所有者に対して妨害予防請求をできるのかが争われた事例である(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)

大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件
土地の所有者は,其の隣地が自己の所有地内に崩壊するの危険ある場合に於ては,該危険が隣地所有者の行為に基きたると否とを問はず,又,隣地所有者に故意過失の有無を問はず,隣地所有者に対し該危険の防止に必要なる相当設備の施行を請求することを得るものとす。

A. 事実の概要

X(被控訴人,原告)の先代Aの所有宅地に隣接して畑を所有するBは,①昭和7年5月,その畑を掘下げて水田に変換するに際し,A所有の宅地との境界線上から垂直に掘下げたため,Aの宅地とBの水田との境界に直高約73cmの断崖を生じさせた。②Y(控訴人,被告)は昭和10年2月12日,Bからこの水田を買受けて所有権を取得し,③Xは同年3月30日,先代Aの死亡による家督相続の結果,Aの宅地の所有権を取得した。現在のところ,④XとYの両地の境界における断崖は,一部は斜面となり,一部はその下部において窪んで洞窟状となり,そのような断崖の状況は,過去においてX所有宅地の土砂がY所有水田内へ崩落したためであり,一方,X所有の宅地上には境界からわずか約1.8mを距てて住居としての家屋があり,しかも,Xの宅地の地質は砂地であるため,Xの宅地は将来,その断崖からYの水田内へ自然崩壊する危険が生じている。

case1_46

上記の事実関係に基づき,⑤Xは,その宅地の所有権に基き,Yに対して,断崖の崩落の危険を予防するため,特定の設備の施行を求めたところ,原審は,Xの主張を入れて,Yに対し,危険防止に必要な特定の設備の施行を命じた。そこで,これを不服として,Yが上告した。

B. 判決理由

上告棄却。

凡そ所有権の円満なる状態が他より侵害せられたるときは,所有権の効力として其の侵害の排除を請求し得べきと共に,所有権の円満なる状態が他より侵害せらるる虞あるに至りたるときは,又,所有権の効力として,所有権の円満なる状態を保全する為,現に此の危険を生ぜしめつつある者に対し,其の危険の防止を請求し得るものと解せざるべからず。

土地の所有者は,法令の範囲内に於て,完全に土地を支配する権能を有する者なれども,其の土地を占有保管するに付ては,特別の法令に基く事由なき限り,隣地所有者に侵害又は侵害の危険を与へざる様,相当の注意を為すを必要とするものにして,其の所有にかかる土地の現状に基き,隣地所有者の権利を侵害し若くは侵害の危険を発生ぜしめたる場合に在りては,該侵害又は危険が不可抗力に基因する場合,若くは,被害者自ら右侵害を認容すべき義務を負ふ場合の外,該侵害又は危険が自己の行為に基きたると否とを問はず,又,自己に故意過失の有無を問はず,此の侵害を除去し,又は,侵害の危険を防止すべき義務を負担するものと解するを相当とす

果して然らば,被上告人は,其の土地所有権に基き,現に隣地の所有者たる上告人に対し,右危険の防止に必要なる相当設備を請求する権利を有すること前説示するところに照し,洵に明白なりと云ふべく,従て被上告人の右請求を容認したる原判決には所論の如き違法あるものにあらず。

原審は証拠に依りて,被上告人所有の本件宅地は,将来,其の断崖面に於て上告人所有の水田地内に自然崩壊するの危険あること,並に,右宅地上には人の住居に供する家屋あり,該家屋と前記崩落の虞ある個所との距離は僅々約一間なることを認定し,斯くては安んじて右宅地上に生活を営むを得ざるものなりと為し,本件宅地の崩壊に因りて生ずることあるべき損害は極めて重大なりと判示したるものにして,かかる重大なる危険に対し,原判決主文表示の如き予防設備を命じたるは洵に相当にして,上告人に対し過大の負担を課したるものと為すを得ず。

C. 判例批評

本件は,従来の物権的請求権に関する学説(行為請求権説,受忍請求権説,責任説)のうち,どの説が最も妥当な説かを判断する試金石として,重要な意義を有する事案である。なぜなら,本件は,土砂の落下による侵害を被っているYがXに対して妨害排除請求をするのが通常のように見える事案であるにもかかわらず,判例は,それとは逆に,XにYに対する予防工事の請求を認めることを通じて,自分の土砂を落下させているXから,いかにも被害者に見えるYに対する妨害予防請求権を認めており,判例法理の理論的根拠の解明が望まれているからである。

判決は,この点に関して,妥当な結論を述べているのであるが,その根拠となる条文を示していない。しかし,民法の条文を丁寧に検索すると,本件の紛争を解決するにふさわしいいくつかの条文を見つけることができる。それらの条文を活用して,様々な解決方法を模索した後,本件の解決に最もふさわしい条文を選び出すことにしよう。

第1は,本件判決が示しているように,Xの請求を認め,Yに妨害予防措置として,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を義務づけることである。判例は,民法の条文を引用することなく,物権的請求という根拠のない概念を使っているが,物権的請求権という概念が安易に用いられるべきでないことは,すでに述べた。民法にない概念を無理に使う前に,まず,民法にある具体的な条文が活用されるべきである。

民法216条を見てみよう。「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」という,本件に利用できそうな規定があることがわかる。もっとも,この規定は,すべての工作物ではなく,「上流にある貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という限定が加えられている。これに対して,本件の事案では,いわば下流の施設について上流の土地所有者が請求するという逆向きの請求になっている。そこで,民法216条については,予防工事が認められる要件を厳密に検討し,その検討の結果を踏まえて,多少の抽象化(類推の可能性)を図る必要がある。

民法216条が,所有権に基づいて,予防工事を認めているのは,第1に,貯水,排水又は引水のために設けられた工作物によって他人の土地に損害が生じるおそれが生じているからであるが,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という制限は,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある土地工作物」一般に置き換えることが可能である。そのような抽象化の代わりに,「危険な土地工作物の設置については,設置者の帰責性が要求される」という制約条件を付加することによって,抽象化による危険を回避することができよう。つまり,民法216条は,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」だけでなく,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある工作物の設置・保存に瑕疵がある場合」にも類推が可能であると考えられる。

この考え方を本件の事案に応用してみよう。Yが行った行為は,畑を水田という設備に作り直す際に,民法237条の趣旨を無視して,境界から距離を置かずに田を設置した結果,危険な断崖が生じていると考えられる。そうだとすると,本件の危険な断崖について,民法216条の規定を類推することができると思われる。

通常であれば,土砂を他の土地(田)に落下させているXに対して,田の所有者であるYから妨害排除の請求ができそうにも見える。しかし,本件においては,危険な崖を作り出したことについて,帰責性のあるのはYであって,Xにはないことが重要である。この点を考慮して,通常なら認められるはずのYからの妨害排除請求を否定し,Xからの予防工事請求のみを正当化できる点に,この考え方のメリットがある。

第2は,Yがやるべきことをやらないのであるから,Xの方からYの土地に立ち入り,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を行うことを認めることである。その際,これらの場合において,費用負担は,誰がすべきだろうか。

相隣関係の最初の規定である民法209条は,「境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定してる。したがって,Xの方からYの田に立ち入って,土地の崩壊防止に必要な障壁を築造または修繕することができる。

第3に,判決の結論とは逆に,YにXに対する妨害排除請求(落下物に対する予防・妨害排除請求)を認めることはできるであろうか。

もしも,通説のように,条文の根拠なしに,無過失責任としての物権的請求権を認めることになると,Xの土地から落下している土砂に対して,Yから妨害排除請求を認めることも可能となるはずである。

しかし本件の場合,土砂の落下の原因である断崖を作ったのは,Yの前主であるBであり,Bが作成した危険な状態を放置しているために土砂の落下が生じても,妨害排除請求は認めるべきでないと思われる。

しかし,その結論(土砂の落下の危険にさらされているYの物権的請求権を否定する)を導くための理論は,費用負担は別として,通説のように,無過失責任としての物権的請求権の存在を認める以上は,見つからないのではないだろうか。

この問題を解決するために,物権的請求権とは,侵害者にたいする作為請求権ではなく,侵害者に対する忍容請求権に過ぎない。すなわち,Xは,Yに対して,「危険の防止に必要なる相当設備」を請求する権利という作為請求権を有するのではなく,XがYの土地に立ち入り,Yの費用で「危険の防止に必要なる相当設備」を設置することを受忍せよという,忍容請求権を有するに過ぎない(前記の第2の解決方法しか認めない)という考え方がある。しかし,この考え方によれば,本件における妥当な結論である判例の見解を否定しなければならなくなる上に,民法が明文で認めている216条の「工作物の修繕・障害の除去・予防工事請求権」,および,民法235条の「目隠し設置請求権」を否定することになり,わが国の民法の解釈論としては成り立たない考え方であろう。

もっとも,忍容請求権の考え方自体が否定されるべきではない。むしろ,不可抗力の場合,すなわち,侵害者に故意または過失がない場合,または,所有者に忍容義務がある場合には,所有者の行為請求権が成立しないという意味で,認容請求権(忍容義務)は,大きな意味を有している。

判決のような妥当な結論を導くためには,ドイツから輸入された一般的な物権的請求権という考え方にとらわれるのではなく,わが国の民法に規定された,占有訴権,および,相隣関係において規定されている所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関する条文およびその趣旨を考慮した上で,具体的な事例に適合することのできる緻密な解釈論を展開すべきではないだろうか。

このように考えると,大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選Ⅰ第46事件の判旨は,最高裁民事判例集に掲載された,判決理由の法理を反映していない不正確な要旨とは異なり,以下のようにまとめることができよう。

〔1〕甲土地の所有者は,隣接する乙土地の所有者,または,前主が境界線上より掘り下げて断崖を生じさせ,甲土地(宅地)に自然崩壊の危険を生じさせた場合には,乙土地の所有者に対して,危険防止に必要な相当の設備の施行を請求することができる。

〔2〕乙土地の所有者は,隣接する甲土地の土砂が乙土地に崩落する危険があり,または,土砂が崩落している場合には,原則として,甲土地の所有者に対して侵害の防止または除去を請求することができる。ただし,その原因が,不可抗力による場合,または,自ら若しくはその前主が乙土地を境界線上より垂直に掘り下げて断崖を生じさせたことによるため,その侵害を受忍する義務がある場合には,乙土地の所有者は,甲土地の所有者に対して,侵害の防止または除去を請求することができない。

6.所有権に基づく請求権に付随する費用負担

所有権に基づく請求権に関しては,だれが費用を負担すべきかが問題となる。わが国の民法には,物権的請求権についての規定はなく,費用負担についての規定もないとされてきた。しかし,相隣関係の規定全体を見ると,費用負担に関して,以下の原理を抽出することができる。

第1に,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条),または,「費用の増加額を負担しなければならない」(民法227条但し書き)と規定されている。

第2に,両者の利益になる場合には,「利益を受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)と規定されている。

第3に,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)と規定されている。

7.所有権に基づく請求権の主体と相手方(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁,最三判平21・3・10民集63巻3号385頁)

所有権に基づく請求権は,所有権者が,その目的物の排他的な支配(使用・収益,換価・処分)を侵奪,または,侵奪以外の方法で妨害している者に対して,物の返還,または,物の妨害の除去,または,妨害の予防を請求する権利である。したがって,所有権に基づく請求権の権利主体は,目的物の所有者であり,相手方は,目的物を侵奪したり,妨害したり,妨害のおそれを生じさせている者である。

所有権に基づく請求権の相手方については,所有権の目的物を妨害している占有者であるのが原則である。しかし,例外として,占有をしていないがその物の処分権を有している者,処分権を有するとの外観を有している者も含まれると解されている。

例外として,目的物の登記名義人も,所有権に基づく請求権の相手方となることを明らかにしたのは,平成6年最高裁判決(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)である。

A. リーディング・ケース

最三判平6・2・8民集48巻2号373頁(建物収去土地明渡請求事件)(民法判例百選Ⅰ第47事件)
甲所有地上の建物の所有権を取得し,自らの意思に基づいてその旨の登記を経由した乙は,たとい右建物を丙に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,甲に対し,建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできない。

B. 事実の概要

X(原告,控訴人,上告人)は,平成2年11月5日,本件土地を競売による売却により取得したが,本件土地上には,本件建物が存する。本件建物はYの夫であるAの所有であったが,Aが昭和58年5月4日に死亡したため,Yが相続によりこれを取得して,同年12月2日にその旨の登記を経由した。Yは,同年5月17日,本件建物をBに代金250万円で売り渡したが,登記簿上,本件建物はY所有名義のままとなっている。

本件訴訟において,Xは,本件建物の所有者はその所有権移転登記を有するYであり,同人が本件建物を所有することにより本件土地を占有していると主張して,所有権に基づき本件建物収去による本件土地明渡しを求めるのに対し,Yは,Bへの売却により本件建物の所有権を失ったから本件土地を占有するものではないと主張するところ,原審は,右事実関係の下において,Yの主張を容れ,Yが本件建物を所有し本件土地を占有しているとのXの主張は理由がないとして,Xの右請求を棄却すべきものとし,これと同旨の第一審判決に対するXの控訴を棄却した。これを不服として,Xが上告。

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C. 判決理由

破棄自判。

1 土地所有権に基づく物上請求権を行使して建物収去・土地明渡しを請求するには,現実に建物を所有することによってその土地を占拠し,土地所有権を侵害している者を相手方とすべきである。したがって,未登記建物の所有者が未登記のままこれを第三者に譲渡した場合には,これにより確定的に所有権を失うことになるから,その後,その意思に基づかずに譲渡人名義に所有権取得の登記がされても,右譲渡人は,土地所有者による建物収去・土地明渡しの請求につき,建物の所有権の喪失により土地を占有していないことを主張することができるものというべきであり(最高裁昭和31年(オ)第119号同35年6月17日第二小法廷判決・民集14巻8号1396頁参照),また,建物の所有名義人が実際には建物を所有したことがなく,単に自己名義の所有権取得の登記を有するにすぎない場合も,土地所有者に対し,建物収去・土地明渡しの義務を負わないものというべきである(最高裁昭和44年(オ)第1215号同47年12月7日第一小法廷判決・民集26巻10号1829頁参照)。

2 もっとも,他人の土地上の建物の所有権を取得した者が自らの意思に基づいて所有権取得の登記を経由した場合には,たとい建物を他に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,土地所有者に対し,右譲渡による建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできないものと解するのが相当である。けだし,建物は土地を離れては存立し得ず,建物の所有は必然的に土地の占有を伴うものであるから,土地所有者としては,地上建物の所有権の帰属につき重大な利害関係を有するのであって,土地所有者が建物譲渡人に対して所有権に基づき建物収去・土地明渡しを請求する場合の両者の関係は,土地所有者が地上建物の譲渡による所有権の喪失を否定してその帰属を争う点で,あたかも建物についての物権変動における対抗関係にも似た関係というべく,建物所有者は,自らの意思に基づいて自己所有の登記を経由し,これを保有する以上,右土地所有者との関係においては,建物所有権の喪失を主張できないというべきであるからである。もし,これを,登記に関わりなく建物の「実質的所有者」をもって建物収去・土地明渡しの義務者を決すべきものとするならば,土地所有者は,その探求の困難を強いられることになり,また,相手方において,たやすく建物の所有権の移転を主張して明渡しの義務を免れることが可能になるという不合理を生ずるおそれがある。他方,建物所有者が真実その所有権を他に譲渡したのであれば,その旨の登記を行うことは通常はさほど困難なこととはいえず,不動産取引に関する社会の慣行にも合致するから,登記を自己名義にしておきながら自らの所有権の喪失を主張し,その建物の収去義務を否定することは,信義にもとり,公平の見地に照らして許されないものといわなければならない。

3 これを本件についてみるのに,原審の認定に係る前示事実関係によれば,本件建物の所有者であるYはBとの間で本件建物についての売買契約を締結したにとどまり,その旨の所有権移転登記手続を了していないというのであるから,Yは,Xに対して本件建物の所有権の喪失を主張することができず,したがって,本件建物収去・土地明渡しの義務を免れないものというべきである。

そうしてみると,本件建物の譲渡を理由に被上告人は本件土地の占有者に当たらず,建物収去・土地明渡しの義務を負わないとした原審の判断には,右明渡義務が認められる場合についての法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,その趣旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れず,前示事実関係に照らせば,上告人の請求は認容すべきものである。

D. 判例批評

通説([司法研修所・類型別(2006)58頁])は,建物所有による土地の占有によって土地の所有権が侵害されている場合,土地所有者には,土地返還請求権が発生するだけであって,建物収去は,土地明渡しの手段ないし履行態様であるにすぎないと考えている(訴訟物1個説)。この見解に基づいている本判決においても,参照条文には,返還請求権に関する民法200条しか挙げられていない。

しかし,これに対して,[遠藤・注解財産法2(1997)27頁]は,建物収去と土地明渡しの執行方法は明らかに異なるから,建物の収去が土地明渡しの手段ないし履行態様にすぎないというのは無理があると批判している。確かに,建物収去が認められなければ土地明渡しも認められないのであるから,両者は密接不可分の関係にあり,両者を1つの訴訟物と考えることも可能であるように見える。しかし,建物収去が認められないままに(たとえば,建物買取請求権が認められた場合など)土地明渡し請求のみが認められることがあるのであるから,建物収去と土地明渡しとは,別の訴訟物と考えるべきであろう(訴訟物2個説)。通説・判例が,旧訴訟物理論を採用しながら,根拠条文も執行方法も異なる建物収去(民法198条)と土地明渡し(民法200条)とを1つの訴訟物であるとするのは,ご都合主義のそしりを免れない。

訴訟物1個説を主張する[吉川・明渡請求の要件事実(2005)89頁],[塚原・民事裁判の主文(2006)113頁]が,請求の趣旨に関して,「建物を収去して目録記載の土地を明け渡せ」と書くべきところを,「収去して」の後に「,」(読点)を入れると,訴訟物に関する2個説のように読めるので,これを入れるべきでないとするのは,要件事実論者の本質(不親切の親切)がよく表れている。

この判決は,競売による土地の買受人に,建物収去(妨害排除)および土地明しを認めた判決である。しかし,建物収去の相手方が,建物の収去権を有している者(建物の現在の所有者B)ではなく,単にその建物の登記名義人である者(建物の売り主Y)であり,しかも,土地明渡しの相手方も,土地を全く占有していない者(Y)であり,Yに対して土地明渡しの判決を下しても,Yは,本件土地も建物も占有していないのであるから,何の執行もできない実現不能な判決である。

判決は,Xとの関係では,Yを土地所有者だと認定し,その理由を民法177条に求めている。しかし,民法177条は,不動産物権を取得しても,登記がなければ,第三者に対抗できないとする規定であり,反対に,登記を得ていれば,第三者に所有権の取得を対抗できるという,公信力を認めた規定ではない。

本件の適用条文は,所有権に基づく建物収去という,所有権に基づく妨害排除請求権(民法189条の類推),および,所有権に基づく土地の明渡しという,所有権に基づく返還請求権(民法200条の類推)に求められるべきであり,請求の相手方は,当該土地の所有権を妨害している者に対する妨害排除と返還請求である。本件の場合,被告となっているYは,土地を占有しているわけではなく,土地の上にある建物について,すでにその建物をBに譲渡したが,登記名義だけが残っているにすぎない者であり,妨害があるとすれば,Bに移転登記をすべき義務を負っているだけであり,これを実現するには,Bの協力が必要であるため,Xは,Aの権利に代位して,Bに対して登記の移転を受領すべき訴えを提起すべきであって,Yを相手方とする根拠はどこにも存在しない。

本判決は,訴訟の相手方の選択の誤りを,実体法の問題として解決しようとしたところにそもそもの誤りがあり,下された判決も,当事者を誤っているために,理論上は,執行不法の判決といわざるを得えない。

訴訟の相手方を誰にするかは,それ自体が困難な問題であるが,それは,すべての訴訟につきまとう問題であり,今回の事件は,原告が訴訟の相手方を誤った事件に過ぎず,最高裁は,1審,2審の判断を尊重すべきであったのを,公平の観点を持ち出して破棄したものであるが,結果は,惨憺たるものであり,無価値な判決である。

最高裁は,これに懲りることなく,駐車場に放置された自動車の妨害排除事件(車両撤去土地明渡事件)について,1審,2審の請求棄却判決を破棄し,自動車の所有名義人(クレジット会社)を相手方として,自動車の撤去を認める可能性を示唆する判決を下している(最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,金判1314号24頁)。

最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,判タ1306号217頁,金法1882号78頁,金判1314号24頁
動産の購入代金を立替払した者が,立替金債務の担保として当該動産の所有権を留保する場合において,買主との契約上,期限の利益喪失による残債務全額の弁済期の到来前は当該動産を占有,使用する権原を有せず,その経過後は買主から当該動産の引渡しを受け,これを売却してその代金を残債務の弁済に充当することができるとされているときは,所有権を留保した者は,第三者の土地上に存在してその土地所有権の行使を妨害している当該動産について,上記弁済期が到来するまでは,特段の事情がない限り,撤去義務や不法行為責任を負うことはないが,上記弁済期が経過した後は,留保された所有権が担保権の性質を有するからといって撤去義務や不法行為責任を免れることはない。

もっとも,この事件の場合には,弁済期が経過した後は,相手方であるクレジット会社が目的物について処分権を有するに至るため,この事件については,所有名義人を妨害排除事件の相手方とすることが許される。しかし,その理由は,決して,クレジット会社が所有権留保によって所有名義を有していたからではない。所有権留保(実質的な譲渡担保)に基づく担保権が,実行可能な状態となることによって,クレジット会社に目的物の処分権限が生じたからに過ぎない。

すなわち,この判決の事案は,駐車場の所有者であるXが,駐車中の自動車について,同自動車の購入代金を立替払して同自動車の所有権を留保しているY(クレジット会社)に対し,同自動車の撤去と駐車場の明渡し等を求めたものであり,所有権に基づく請求権の相手方が,単なる所有名義人ではなく,目的物の処分権を有している点で,上記のリーディング・ケースの場合とは,事案が異なっており,具体的な妥当性を有するものとなっているのである。

これに対して,本件(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)の場合には,目的物について,Yには,何らの処分権限もないのであるから,所有名義があるからという理由だけで,建物収去(妨害排除請求),および,土地明渡請求のの相手方とすることは,無意味なのである。


Ⅲ 結論


わが国の通説は,わが国の民法には,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないとしている([我妻=有泉コンメンタール民法(2013)345頁]など参照)。しかし,わが国の民法をよく読めば,以下のように,所有権に基づくあらゆる種類の請求権(物権的請求権)が明文で規定されていることを発見することができる。

第1に,民法193条(盗品又は遺失物の回復)が,「所有権に基づく返還請求権」を規定している。第2に,民法233条第1項(竹木の枝の切除)が,「所有権に基づく妨害排除請求権」を規定している。第3に,民法216条(水流に関する工作物の修繕等),および,民法234条(境界線付近の建築の制限)が,「所有権に基づく妨害予防請求権」を規定している。第4に,民法209条(隣地の使用請求),民法210条以下の囲繞地通行権,民法214条(自然水流に対する妨害の禁止),民法221条(通水用工作物の使用),民法233条第2項(竹木の根の切取り)などが,「所有権に基づく受忍請求権」についても規定している。このように,わが国の民法は,即時取得の規定,および,相隣関係に関する規定の中に,所有権に基づく請求権について,数多くの規定を用意している。

わが国の民法学が,所有権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないという誤りに陥ったのは,旧民法財産編第36条(所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得)とか,ドイツ民法903条(物の所有者は,法律又は第三者の権利に反しない範囲において自由に物を処分し及び物に対する他人のすべての干渉を排除することができる)と比較した場合に,所有権の規定に,このような所有権に基づく請求権の一般規定が存在しないからである。

しかし,わが国の民法も,占有訴権に関する民法202条において,占有訴権(占有保持の訴え,占有保全の訴え,占有回復の訴え)に対応する,本権の訴えがあることを一般的に規定しており,しかも,所有権の個々の条文において,上記のように,所有権に基づく妨害排除請求権,所有権に基づく妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権,所有権に基づく認容請求権,それぞれに関する費用負担の規定を有しているのであるから,わが国の通説は,「あるものをないという」誤りに陥っているといわなければならない。

しかも,わが国の通説は,上記のような条文を無視して,物権的請求権の理論を構築しているため,物権の中で,占有を伴う物権か,占有を伴わない物権かを明確に意識することなく,すべての物権に共通の性質として物権的請求権を一律に認めてしまう危険性を有しており,そのことが,占有を伴わない物権であるはずの抵当権についても,抵当権に基づく返還請求権を認める(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)という誤りを是認する結果を導いている。この点では,わが国の民法学は,「ないものをあるという」誤りに陥っているといわなければならな。このことは,共同不法行為について,民法が連帯責任としているにもかかわらず,それを連帯債務と認めず,民法の体系からは否定すべき「不真正連帯債務」を認ている現在の民法学説についても,同様のことがあてはまる。

このように,わが国の民法学は,権威のある学者が,主としてドイツ民法の学説にならった理論を展開すると,わが国の民法の条文とか,体系とかを深く検討しないままに,権威に追随して通説を形成するという傾向が見られる。つまり,わが国の民法学説は,条文を無視した学説上の権威とか,判例の権威にめっぽう弱く,民法の条文に「あるものをない」といい,民法の条文,または,民法の体系からは肯定すべきでは「ないものをあるもの」という誤った議論に陥る傾向がみられる。したがって,わが国の民法学の最大の課題は,条文の立法理由に立ち返り,しかも,現代社会に適合する矛盾のない民法学の体系を構築することによって,このような傾向を打破していくことにあるといえよう。


Ⅳ 参考文献


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川島武宜「物権的請求権に於ける『支配権』と『責任』の分化」法協55巻6号(1937)25頁以下,9号(1937)34頁以下,11号(1937)67頁以下

[川角・所有権と物権的請求権(1985,1986)]
川角由和「近代的所有権の基本的性格と物権的請求権との関係-その序論的考察-」九法50号(1985)61頁以下,51号(1986)27頁以下

[川角・ネガトリア責任(1996)]
川角由和「ネガトリア責任と金銭賠償責任との関係について-ドイツにおける判例分析を中心に-」『広中俊雄先生古稀祝賀論集(民事法秩序の生成と展開)』(1996)537頁以下

[川角・ヨホウ草案以降のネガトリア請求権(1999)]
川角由和「ヨホウ物権法草案以降におけるネガトリア請求権規定(1004条)形成史の探求-イミッシオーン規定(906条)との関連性を顧慮した覚え書き-」(1999)」『ドイツ民法典の編纂と法学』(1999)419頁以下

[川角・ピッカー『物権的妨害排除請求権』(2004-)]
川角由和「エドアルト・ピッカー著『物権的妨害排除請求権』-Eduard Picker, Der negatorische Beseitigungsanspruch-」龍谷法学37巻2号1頁以下,3号1頁以下,4号1頁以下,38巻1号1頁以下,4号165頁以下,39巻 2号107頁以下

[川角・物権的請求権の独自性(2006)]
川角由和「物権的請求権の独自性・序説-ヴィントシャイト請求権論の『光と影』-」原島重義先生傘寿(市民補学の歴史的・思想的展開)』(2006)397頁以下

[佐賀・物権的請求権(1984)]
佐賀徹哉「物権的請求権」星野英一編集代表『民法講座2』有斐閣(1984)15頁以下

[七戸・物権的請求権概念の推移(1987)]
七戸克彦「我が国における『物権的請求権』概念の推移-旧民法から現代民法に至るまで-」慶應義塾大学大学院法学研究科論文集25 号(1987)79頁以下

[鷹巣・所有権に基づく妨害排除請求権(2003)]
鷹巣信孝「所有権に基づく妨害排除請求権」『所有権と占有権-物権法の基礎理論-』(2003)57頁以下

[田島・物権的請求権の取扱(1939)]
田島順「物権的請求権の取扱」法叢40巻2号(1939)51頁以下

[田中・物権的請求権の拡張(1985)]
田中康博「物権的請求権の拡張」六高台論集32巻2号(1985)173頁以下

[田中・物権的請求権の責任要件(1988)]
田中康博「物権的請求権における『責任要件』について」六高台論集34巻4号(1988)123頁以下

[田中・物権的請求権の内容(1990)]
田中康博「所有権に基づく物権的請求権の請求権内容について」京都学園法学創刊号(1990)53頁以下

[玉樹・妨害除去請求権の機能(1982)]
玉樹智文「妨害除去請求権の機能に関する一考察-ドイツにおける議論を巡って-」『林良平先生還暦記念論文集(現代私法学の課題と展望)』中(1982)127頁以下

[道垣内・物権的請求権(2000)]
道垣内弘人「物権的請求権:『法と経済学』風」『石田喜久夫先生古稀記念(民法学の課題と展望)』日本評論社(2000)199頁以下

[納富・ソフィスト(2006)]
納富信留『ソフィストとは誰か?』人文書院(2006/09)

[西村=古座・物権的請求権の相手方(2008)]
西村嶺裕=古座昭宏「物権的請求権の相手方」産大法学41巻1号(2008)39頁以下

[鳩山・物上請求権(1930)]
鳩山秀夫「所有権より生じる物上請求権」民法研究2巻(1930)117頁以下

[民法理由書(1987)]
広中俊雄『民法修正案(前三編)の理由書』有斐閣(1987)

[堀田・物権的請求権の再検討(1998,1999)]
堀田親臣「物権的請求権の再検討-成立要件という側面からの考察-」広法22巻2号(1998)161頁以下,3号(1999)61頁以下

[堀田・物権的請求権と費用負担(1999)]
堀田親臣「物権的請求権と費用負担の問題の一考察-自力救済との関係を中心に-」広法22巻4号(1999)207頁以下,23巻 1号(1999)141頁以下

[堀田・物権的請求権の共働原因(2000)]
堀田親臣「物権的請求権における共働原因と費用負担-ドイツ法における議論を中心に-」広法23巻4号(2000)165頁以下,24巻1号(1999)89頁以下

[堀田・物権的請求権と破産法(2001)]
堀田親臣「物権的請求権の破産法上の取り扱いに関する一考察-損害賠償請求権との対比を念頭に置いて-」広法24巻4号(2001)87頁以下,25巻1号(2001)27頁以下

[松岡・物権的請求権(2005)]
松岡久和「物権的請求権」『要件事実と民法学との対話』186頁以下

[三野・物権的請求権と請求権(1988)]
三野陽治「物権的請求権と請求権規範」洋法31巻1・2号(1988)1頁以下

[柳沢・ドイツ警察責任(2000)]
柳沢弘士「ドイツ警察責任法立法史管見」日法66巻3号(2000)481頁以下

[山田・引取請求権(1983)]
山田晟「物権的請求権としての『引取請求権』について」法学協会百周年記念論文集3巻(1983)1頁以下

[和田・妨害排除請求権の制限(1993)]

我妻=有泉・コンメンタール民法(2013)]
我妻栄=有泉享=清水誠=田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-』〔第3版〕日本評論社(20013/8/20)

和田真一「費用の過大さを理由とする妨害排除請求の制限-BGB251条2項の適用範囲論をめぐって-」立命225・226号(1993)27頁以下

判例評釈「JR東海への認知症罹患者の立入り死亡事件」(最判平28・3・1)


線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症高齢者の妻と長男の民法714 条に基づく損害賠償責任が否定された事例

(JR東海への認知症高齢者の線路立入り事件)

第1審:名古屋地裁平22(ワ)第819号,平25・8・9判決
控訴審:名古屋高裁平25(ネ)第752号,平26・4・24判決
上告審:最高裁三小平26(受)第1434号,平28・3・1判決


要約

本件は,アルツハイマー型認知症に罹患し,在宅看護を受けていた高齢者A(91歳)が,同居しているAの妻Y1(85歳)が目を離したわずかの間に徘徊をはじめ,近くの駅からX(JR東海)の列車に乗り,排尿のため次の駅で下車して,ホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてそこから線路に立ち入り,列車と衝突して死亡した事案である。

Xは,列車に遅れが生じるなどの損害が生じたとして,Y1とAの長男Y2,および,Aのその他の相続人2名に対して損害賠償金719万7,740円及び遅延損害金の連帯支払を求めた。

Aの責任能力を否定し,Y1,Y2に対してXを全面勝訴させた第1審判決に対しては,老々介護に対して厳しすぎるなどの社会的な反響が生じ,控訴審は,Y1,Y2に対するXの賠償額を半額に制限する判決を下した。そして,最高裁は,Y1(高齢の配偶者),Y2(別居の長男) ともに,民法714条の監督義務者には該当しないとして,両者の責任を全面的に否定するに至っている。

ただし,最高裁の法廷意見および補足意見によると,本件のような事案の場合には,責任を負う者が全くいなくなることを考慮したためか,裁判官2名による意見(結論は同じだが,理由が異なる)が付されており,その意見においては,別居の長男Y2は民法714条の監督義務者に該当するとした上で,Y2は,監督義務者としての注意義務を尽くしているとの判断がなされている。


Ⅰ 事実関係


Aは,平成12年ころから,認知症の症状をきたすようになったため,平成14年3月頃,Y1(同居しているAの妻),Y2(別居しているAの長男),B(Y2の妻),C(Y2の妹:介護福祉士の資格を有し平成11年から特養併設の介護施設に勤務している)は,Aの介護をどうするかを話し合い,妻のY1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市から愛知県A市にあるA宅の近隣に転居し,Y1によるAの介護を補助することを決めた。

その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度A市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。

平成19年の事故当時,Aは,アルツハイマー型の認知症が進行し,要介護4の認定を受け,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

また,Aは,人物の見当識障害があり,昼夜を問わず徘徊するようになり,行方不明となってコンビニエンス・ストアで保護されることが2度も生じたため,Yらは,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通るとY1の枕元でチャイムが鳴ることで,Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。しかし,事務所出入口については,かつて本件事務所でたばこ等を販売していた頃に来客を知らせるために設置した事務所センサー付きチャイムが存したものの,長らく営業を停止していたため,その電源は切られたままであった。

その間,Yら,B及びCは,Aの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,介護のプロであるCが以下のような意見を述べたため,Aを引き続きA宅で介護することに決めていた。

特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。

Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及びY1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,AとY1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。

Aは,I駅から列車に乗り,I駅の北隣の駅であるJ駅で降り,排尿のためホーム先端の施錠されていないフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,J駅構内において本件事故が発生した。

Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

第1審判決は,Y1に対しては,民法709条に基づく不法行為責任を認め,また,Y2に対しては,「社会通念上,民法714条1項の法定監督義務者や同条2項の代理監督者と同視し得るAの事実上の監督者であったと認めることができ,これら法定監督義務者や代理監督者に準ずべき者としてAを監督する義務を負い,その義務を怠らなかったこと又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったことが認められない限り,その責任を免れないと解するのが相当である。」と述べて, Yらは連帯してXに対して損害賠償責任を負うと判示した。

また,第1審判決は,Xの過失等について,「Xに対し,線路上を常に原告の職員が監視することや,人が線路に至ることができないような侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能を強いるもので相当でないというべきであるから,Xに注意義務違反を認めることはできない。よって,本件の損害賠償額を定めるに当たって,職権により原告の過失を斟酌することは相当でない。」と判示した。

このように,大企業であるXには甘く,一般市民であるYらには厳しい責任を課す第1審判決に対して,Yらが控訴した。

控訴審では,「配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻であるY1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。」とし,「Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった」等の事情に照らして,Y1のみが民法714条によって損害賠償責任(過失相殺の趣旨を考慮して意,請求額の半額)を負うと判断した。

このため,Y1 及びXの双方が上告した。


Ⅱ 主たる争点及び当事者の主張


本件の争点は,Aの同居の妻であるY1,および,別居の長男であるY2 が,それぞれ民法714条1項所定の法定の監督義務者又は,同条2項のこれに準ずべき者に当たるか否か,監督義務者に当たるとすれば,Yらは,監督義務を尽くしたか,他方で,Xには,過失相殺に該当する事由があるかどうかである。

本件においては,以下のように,各審級の裁判所の見解がすべて異なっており,最高裁判決においても意見が分かれている点に大きな特色がある。

第1審判決は,一方で,Aが富裕である(5,000万円を超える金融資産を有していた)ことを考慮して,同居の妻Y1(事故当時85歳)に対しては,事故の予見可能性,結果回避可能性を認めて民法709条により責任を認め,別居の長男Y2に対しては,民法714条2項の準用により責任を認め,両者ともに損害額全額を連帯して損害する責任があるとし,他方で,X(資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者)が駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出したことについては,Xの過失相殺を認めなかった。

これに対して,控訴審は,別居の長男Y2については,監督者責任を否定したが,同居の妻Y1 に対しては,民法714条1項の監督責任者を認めた上で,双方の事情(Yらが相当に充実した介護体制を構築していたのに対して,Xの駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情等)を考慮して,Y1 の賠償すべき額を請求額の半額とした。

最高裁は,Yらの上告受理申立てを認め,Xの請求をすべて棄却した。


Ⅲ 判決の要旨


Y1の監督義務者該当性

民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務についてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。

したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

Y2の監督義務者該当性

また,Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。

その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

Yらの監督義務者適合性(結論)

これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。

Y1は,長年Aと同居していた妻であり,Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

また,Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながらY1によるAの介護を補助していたものの,Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。

したがって,Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。

以上によれば,Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうちY1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいうY1の論旨は理由がある。

そして,以上説示したところによれば,第1審原告のY1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取消し,第1審原告の請求を棄却することとする。

他方,Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理由がないから,第1審原告のY2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。


Ⅳ 評釈


1. 認知症に罹患した高齢者の監督義務者は誰か

精神的障害がある者について,民法714条の監督義務者が誰になるかの問題は,もしも,特別法に該当する規定がある場合には,それに従って監督義務者が決定されるし,民法上も,成年後見の審判がなされていれば,成年後見人が監督義務者となるとされている。

しかし,本件のように,成年後見の審判もなされておらず,特別養護老人ホームへの入所もせずに,在宅看護をしている場合に,民法714条の監督義務者が誰になるのかは,明らかではない。

最高裁は,前記「Ⅲ判決の要旨」の下線部分で示した一般法理を援用しつつ,法廷意見は,Yらについては,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情がないとして,Yらは,監督義務者ではないとした。

しかし,結論は同じものの,理論を異にする岡部裁判官の意見は,「Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。」として,多数意見のいう「特別の事情」の存在をみとめて,Y2は,民法714条1項の法定の監督義務者に準ずべき者といえると判示している。

同居の配偶者だからとか,相続人だからだとか,成年後見制度を利用していたら成年後見人に就任していたとかなどの,画一的な判断とは異なり,岡部裁判官の意見における民法714条の監督義務者の判断基準は,画一的ではない上に,その基準が「第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうか」という明確なものであり,今後の認知症罹患者の徘徊による事故に関する監督義務者の判断について,最も適切な判断基準をしめしたものとして,高く評価できる。

2. 認知症に罹患した高齢者に監督義務者が存在する場合の責任の所在

しかし,岡部意見に従って,Y2が民法714条1項の監督義務者に準じる者と考えた場合には,岡部意見,または,大谷意見(Y2が法定の監督義務者であるとする点で岡部意見と異なるが,Y2が監督義務を尽くしたという点では同じである)にもかからず,Y2の免責の立証は十分とはいえないように思われる。

介護のプロフェッショナルであるCの助言に従ってとはいえ,特別養護老人ホームへの入所を断念し,在宅看護による看護体制を選択して,「第三者に対する加害防止もまた引き受けた」のであれば,それに相応する注意義務を尽くす必要がある。このように考えると,本件事故以前に,Aが事務所の出入り口から徘徊して保護されたことがある以上は,Y2が,事務所の出入り口を施錠せず,そこに設置されたセンサー付チャイムの電源を切ったままに放置したのは,注意義務に違反しているといわざるを得ないであろう。

そうだとすると,Y2の監督者責任を認めつつ,鉄道会社として,第三者に対する加害防止を引き受けているXが,駅のホーム突端の線路に通じる扉に施錠をせず,誰でも容易に線路上に下りられる状態を作り出していたことは,控訴審が明らかにしていたように,「駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される」のであり,過失相殺,または,過失相殺の趣旨の類推に値するものであって,賠償額を大幅に減額することで,問題を解決するのが適切であったように思われる。

3. 徘徊事故を未然に防止するための責任のあり方

本件事故は,認知症に罹患したAが徘徊を始めるようになって以降,同居の高齢の配偶者Y1では,徘徊をとめることができず,Y2の妻Bが徘徊に付き添うことにも限界が生じていたのであるから,Y2は,Aが裕福であること考慮して,在宅看護だけに頼らず,特別養護老人ホームへの入所手続きを始めるべきであった。介護のプロフェッショナルとはいえ,相続人の一人であって利益相反関係にあるCの助言に従って特別養護老人ホームへの入所手続きを断念したことが,今回の事故につながる遠因となった。

しかも,最高裁の法廷意見によれば,Y1も,Y2も民法714条の監督義務者に該当しないというのであり,しかも,両者とも,「第三者に対する加害行為の防止に向けて…危険を引き受けている」わけではないというのであるから,最高裁の法廷意見によれば,Yらの介護体制は,それぞれが,民法697条以下の事務管理者としてAの介護に当たったと解釈せざるを得ない。

Yらが,事務管理者であるとすれば,Yらは,本人の意思を知ることができるときは,本人の意思に従って,外出に付き添い(民法697条2項),本人の意思を知ることも,推知することもできないときは,「最も本人の利益に適する方法」によってその事務を管理しなければならない(民法697条1項)。

すなわち,本件のような,認知症に罹患した高齢者による徘徊行為に基づく事故は,在宅看護を引き受けるのであれば,相続人のそれぞれが,相続財産を確保するという自 己の利益を図るのではなく,高齢者の意思を尊重し,意思を知ることも推知できなくなったときは,「最も本人の利益に適合する方法」として,徘徊に付き 添うか,すべての出入り口の施錠,または,センサーつきのチャイムを作動させるという方法を選択するか,それが限界に達している場合に は,特別養護老人ホーム等への入所手続きを開始し,十分な介護と第三者への加害行為を防止を両立させることが必要であったと思われる。

他方で,Xは,控訴審判決が明確に述べているように,資本金の額が1,000億円を超える日本有数の鉄道事業者であり,「Xが営む鉄道事業にあっては,専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し,そのことで収益を上げているものであるところ,社会の構成員には,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者なども含まれており,このような社会的弱者も安全に社会で生活し,安全に鉄道を利用できるように,利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で,列車の発着する駅ホーム,列車が通過する踏切等の施設・設備について,人的な面も含めて,一定の安全を確保できるものとすることが要請されている」のであるから,Xも,「駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば,また,J駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあった」以上,本件事故の責任の多くの部分を負担すべきである。

鉄道事業者は,立入り事故について,本件のように遺族等に損害賠償請求をするのではなく,自らの社会的責任として,線路への人の立入りの防止策を進めるとともに,今後は,頻繁に生じている踏切事故の防止を緊急の課題とすべきであり,道路と交差する箇所は,順次,高架,または,地下にすることによって,踏切そのものを撤廃することを目標として掲げることが,鉄道事業者の社会的責任の中でも,最も重要な課題であるように思われる。

4. 結論

本件におけるAの看護体制とは,Aの相続人を中心にして,Y2の妻Bが加わって形成された一種の組合と考えるべきではないだろうか。そのように考えると,その実質的な代表者であるY2が,単に長男だからと言う理由ではなく,責任無能力者であるAの監督義務者,または,監督義務者に準じる者と考えることが可能となる。

このように考えると,最高裁判決の岡部・大谷「意見」が述べているように,Y2を民法714条の監督者,または,これに準じるものと考えるべきであり,しかも,これらの「意見」とは異なり,Y2に過失がある以上,Xによる責任の追及が可能であると考えるべきである。ただし,X自身にも重大な過失があるため,控訴審判決のように,Xの請求を大幅に減額するというのが,妥当な結論であると思われる。

最高裁の国民審査の実効性を高める方法について


最高裁の女神像撤去運動

最高裁判所の裁判官の国民審査を活性化するための方法論(試論)


問題の所在

最高裁は,わが国の最高権力のひとつであり,「権力は腐敗に向かう」という格言どおりに,著しく腐敗しているといわれています(瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書(2014/2/21))。

最高裁判所の腐敗を防止するためには,最高裁判所裁判官国民審査法(以下,「国民審査法」と略称する。)を改正し,国民が最高裁判所の裁判官を実質的に罷免できることができるようにする制度へ変更するのがもっとも有効な方法でしょう。

なぜなら,現在の国民審査法では,罷免すべき裁判官に×印をつけるという,最高裁判所の裁判官にもっとも有利な「陶片追放」型の投票様式を採用していますが,通常の投票方式である罷免を可としない裁判官の記名投票,または,罷免を可としない裁判官に○印をつける投票様式に変更すれば,裁判官を確実に罷免することができるようになるからです。

具体的には,国民審査法を以下のように改正すれば,最高裁の裁判官の国民に対する上から目線がなくなり,政府よりの目線,大企業よりの目線から,国民全体に対する目線(国民救済の視点)へと変更されることになると思われます。

最高裁判所裁判官国民審査法(改正私案)

第14条(投票用紙の様式)

②投票用紙には、審査に付される各裁判官に対するの記号を記載する欄を設けなければならない。

第15条(投票の方式)

審査人は,投票所において,罷免を可としない裁判官については,投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自らの記号を記載し,罷免を可とする裁判官については,投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで,これを投票箱に入れなければならない。

しかし,最高裁判所に甘い国会議員は,このような改正には賛成しないと思われます。したがって,国会議員による国民審査法の改正を待っていたのでは,最高裁の裁判官が,国民目線でものごとを考えるようにするという,最高裁の改革を実現することはおぼつかないでしょう。

そこで,最高裁のすべての裁判官の目線が国民に向けられるような改革運動を,個々の国民が立ち上がり,最高裁の改革のために運動を起こすことが必要でしょう。

最高裁改革の方法論としての「最高裁の女神像撤去運動」の趣旨

最高権力のひとつとしての最高裁の腐敗を除去し,今後の腐敗を未然に防止する象徴的な行動として,最高裁に鎮座している奇妙な女神像を撤去する運動を開始することを提言したいと思います。

その理由は,法の女神は,本来ならば,第1に,平等と公平を保つために目隠しをし,第2に,公正かつ衡平を担保するために天秤を掲げ,第3に,必要とあらば強制力を行使しますが,そのような権力行使の濫用を防止するためには,剣を下げて持つべきです。

ところが,最高裁の女神像は,以下のように,法の女神の理想像とは正反対の姿をしています(http://www.geocities.jp/wpo_explorer/exp2/003.jpg)。

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  • 第1に,目隠しをせずに目を見開いており,これは,偏見と書面主義を表しており,弁論主義に違背しています。
  • 第2に,最高裁の女神像は,高く掲げるべき天秤を降ろしており,これは,公正・衡平をないがしろにするものであり,法の精神に反しています。
  • 第3に,最高裁の女神像は,高く掲げるべき天秤を降ろす替わりに,剣を高く掲げて,官僚主義的な権力主義をあらわにしており,権力の濫用の禁止に反しています。

以上の理由に基づき,最高裁の女神像は,即刻,撤去し,アメリカ合衆国の連邦裁判所の女神像(ダニエル H. フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007/11/20)41頁)等の世界各地の女神像を比較検討し,わが国において,特に必要とされる「偏見」を取り去り,かつ,「弁論主義」を強調するために「目隠し」をし,「衡平」を確保するために,「天秤を高く掲げ」,「権力の濫用を防止する」ために「剣を降ろした」女神像へと変更すべきであると考えます。

最高裁の女神撤去運動の方法論

日本国憲法第15条第1項は,「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」と規定しています。

また,第79条第2項,および,第3項は,「 最高裁判所の裁判官の任命は,その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し,その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し,その後も同様とする。前項の場合において,投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは,その裁判官は,罷免される。」と規定しています。

ところが,これらの規定は,形骸化し,実効性を完全に失っています。そこで,この規定を活性化する試みのひとつとして,上記の「女神像撤去運動」の趣旨を活用することが必要です。

themisすなわち,最高裁の女神像は,目隠しをせず,天秤を高く掲げず,剣を振り上げるという,本来の法の女神とは正反対に,偏見・不公平・権力の濫用を助長することを象徴している女神像は,速やかに撤去されるべきであり,本来の法の女神像に変更すべきです。

それにもかかわらず,この女神像を撤去せずに放置している最高裁の裁判官たちは,人権感覚が麻痺しており,法の番人として不適格であり,すべて罷免されるべきです。

したがって,最高裁の裁判官の国民審査においては,この女神像撤去運動に賛同する市民は,最高裁の女神像が撤去されるまで,審査に付された裁判官すべてに×を付ける運動を開始することが必要と思われます。

運動の手段の濫用の防止のための方策

国民審査に際しては,この運動に参加するすべての市民は,最高裁の女神像が撤去されるまで,女神像の存続を是認しているとみなされる最高裁の裁判官全員に対して,×をつけるべきですが,最高裁の裁判官の中には,市民のために良心的な判決を下している裁判官もいるはずです。

そのような裁判官を保護する方法としては,「最高裁の女神像撤去運動」に賛同する会員のうち,市民のために適切な判決を下している裁判官であることを知った市民が,その裁判官について,×をつけることを控えることは一向に差し支えありません。

もっとも,このような運動は,現段階では夢物語に過ぎませんが,最高裁の腐敗がさらに進行し,国民がそのことに危機感を抱くような時が到来すれば,このような運動の提言は,社会的貢献につながるのではないかと,私は考えています。

書評:ダニエル・フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007)


ダニエル H. フット『名もない顔もない司法-日本の裁判は変わるのか』NTT出版(2007/11/20)


本書の概要

この本の著者は,1981年にアメリカ合衆国のロースクールを卒業して連邦地方裁判所および連邦最高裁判所のロー・クラーク(裁判官の下で法律の調査や判決の起案をする人のこと)を勤め,合衆国での弁護士経験もある人物です。著者は,1983年に外国人研究生として来日して,東京大学,最高裁等で日本の裁判制度をアメリカの裁判制度と比較しながら研究し,東京大学法学部の助手を経て,2000年からは,東京大学大学院法学政治学の教授(現職)です。

本書は,日本の裁判所とアメリカ合衆国の裁判所を比較することを通じて,日本の裁判所の裁判官の没個性,世間との没交渉性,人事の不透明性,面子にこだわり内部からの批判を排除するという官僚的な性質を見事に暴き出した優れた本です。

本書の特色

本書の第1の特色は,21頁の2枚の写真(最高裁の大法廷の統一した椅子の写真と,アメリカ合衆国連邦裁判所の不揃いの椅子の写真比較する2枚の写真)によって,日本の裁判所の裁判官の没個性と合衆国の裁判所の裁判官の個性の尊重とを一目で理解できるようにしている点にあります。

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わが国の最高裁判所の法廷の統一規格の椅子
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Iphonezine/Iphonezine_6703_1.jpg

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アメリカ合衆国連邦裁判所の法廷の不揃いな椅子
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/Ussupremecourtinterior.JPG
なお,本書21頁の写真では,椅子の不揃いの様子がもっと鮮明に写っています。

本書の第2の特色は,41頁の2枚の写真(最高裁の大法廷の剣を振り上げ,目隠しをしない女神像と,合衆国連邦裁判所の目隠しをした女神像の写真)の対比によって,日本の裁判所の書面重視主義と,アメリカ合衆国の弁論重視主義とを一目で理解できるようにしている点にあります。

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わが国の最高裁判所の女神像
http://www.geocities.jp/wpo_explorer/exp2/003.jpg
最高裁の女神像は,お顔こそ穏やかですが,所作は恐ろしいものです。
目を見開いていることは,偏見と書面重視・弁論軽視の姿勢を示しています。
天秤を下ろして剣を高くかかげた姿は,まさに,官僚的権威主義の象徴です。
これでは,最高裁の裁判官たちの人権感覚が疑われても仕方がないでしょう。
本書の指摘を受けて,最高裁の改革が実現する時というのは,
この女神像が撤去され,この女神像とは正反対に
目隠しをし,天秤を高く掲げ,剣を降ろした女神像に入れ替った時でしょう。
アメリカ合衆国連邦最高裁判所の目隠しをした女神像は,本書41頁をご覧ください。

本書の第3の,そして,最大の特色は,裁判官の政治活動が問題とされた非常によく似た日本の事件(寺西事件)とアメリカ合衆国の事件(サンダース事件)とを取り上げ,優れた比較を行っている点にあります。

すなわち,本書は,上記の二つの事件の内容はほとんど同じにもかかわらず,日本では,政治活動をした裁判官を有罪とし(正確には,仙台高等裁判所の分限裁判で戒告処分を受け,最高裁でも賛成10と反対5で戒告処分が妥当と判断された),アメリカ合衆国では無罪としたという結論の違いだけでなく,日本では,手続きを非公開の裁判としたのに対して,合衆国は,公開の法廷で審理を行ったことに着目し,なぜ,そのような差が生じたのかについて,鋭い分析をしている点にあります。

詳しい内容は,本書を読んでいただくほかありませんが,以下の記述(181-182頁)は,まさに,日本の裁判所の本質を突いていると思われます。

私は,日本の裁判所が〔非公開の〕懲戒手続きをとると決めた際に,〔懲戒手続きは内部の問題であると考えるのとは別の〕もうひとつ別の要因が作用したのではないかという思いを捨て切れない。それは,組織の面子がつぶされたという感覚である。

これを実証的に証明することはできない。しかし,懲戒手続きとして耳目を集めた二つの事件-寺西事件と第3章でみた福島重雄の事件-が,ともに裁判官が裁判所の恥を公にさらした事件だったというのは,単なる偶然とは思えない。

寺西事件は,裁判官は検察や警察による令状の請求に対して盲判を押していると示唆する朝日新聞への投稿に端を発し,福島事件では,知人に送られた(そして報道機関の手に渡った)いわゆる平賀書簡の写しが,若手裁判官が事件で特定の結論を出すように上司から圧力をかけられているような印象を与えた。

もちろん合衆国でも,内部問題についての好ましくない情報を暴露して組織の評判を落とした人に対して,かなりの非難が浴びせられる点では変わりはない。内部告発者は組織の対外的責任を確保するという重要な役割を果たすが,組織内では決して好かれる人物ではない。

日本では,組織の「裏切り者」に対しては,合衆国よりも一段と激しい非難が集中するといえよう。さらに,日本ではキャリアシステムがとられ,労働力の流動性が低いこともあり,組織内部の好ましくない情報を公に暴露する行為に対しては,合衆国よりも相当大きな圧力がかかる。こういった要素が重なることによって,日本では好ましくない事実が秘匿される傾向が強くなっているといえよう。

本書の第4の特色は,わが国で裁判員制度について,アメリカ合衆国の陪審員制度と比較した場合,その制度趣旨が明確でないため,裁判員の利益があまりにも少なく,守秘義務等,負担があまりにも大きいことを明らかにしています。

本書の課題

本書は,アメリカ合衆国の裁判制度との比較を通じて,わが国の裁判制度の特色を見事に浮き彫りにした傑作です。

ただし,本書の著者が接する裁判官が最高裁のトップや優秀な裁判官に限定されているためでしょうか,日本の裁判官に甘い点が少なからず見られる点については,鵜呑みにすべきではないでしょう(瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16) も,この点を強調しています)。

たとえば,完全に形骸化して,機能不全に陥っている最高裁の裁判官の「国民審査」について,限界を認めつつも,以下のように指摘していますが(105頁),いかにも甘すぎる評価のように思われます。

私個人としてはこの国民審査制はよい制度だと思っている。この制度は,少なくとも定期的に最高裁判所に対する人々の関心を呼び起こす役割を果たしている。

日本の裁判官について得られる情報量は,ミズーリ州や合衆国の他の州と比べると格段に少ないものの,インターネットの普及とともに裁判官に関する情報はかなり手に入りやすくなっている。そして,退官した裁判官の話によれば,裁判官自身,罷免を求める票の割合にはかなり関心をもっており,その割合は小さくとも一定の影響力はあるのかもしれない。

また,瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)は,本書について,以下のように,厳しく批判しています。

フット教授による日本の司法の分析については,全体としては評価すべき部分があると思うが,前記の書物〔本書〕についてみると,日本の裁判所・裁判官制度の決定的な特色であるヒエラルキー的な上位下達の官僚組織という側面の問題点に関する十分な認識が欠けているように思われる。

〔裁判員制度に対する期待(本書289頁以下)についても〕,法社会学者の分析としてはいくら何でも甘すぎるのではないかと私〔『絶望の裁判所』の著者・瀬木〕は考える。私の周囲の学者にも,私の知る限りの民事訴訟法学者にも,裁判員が裁判官に及ぼす効果についてそのような甘い期待ないし幻想を抱いている人はあまりいない。

それにもかかわらず,本書は,日本人が見過ごしているさまざまな点について,比較研究の視点から鋭く抉り出しており,わが国の裁判所に関する一級の啓蒙書であることに間違いはありません。

上記のような批判点があることに留意するならば,本書は,なお,私たちが読むに値する優れた本であり,法律の専門家だけでなく,広く市民一般に読まれるべき良書として,すべての人に,本書の一読を勧めたいと思います。

書評:瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)


瀬木 比呂志『ニッポンの裁判』講談社現代新書 (2015/1/16)


本書の概要

本書は,瀬木 比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書(2014)の姉妹書です。『絶望の裁判所』が制度批判の書物であったのに対し,本書『ニッポンの裁判』は,裁判批判を内容とするものです。

本書は,99.9%という異常な有罪率を誇る刑事裁判において生み出されている数多くの冤罪と恣意的な国策捜査,民事の名誉毀損損賠賠償訴訟・原発訴訟における最高裁事務総局による下級審の裁判内容のコントロール,原告勝訴率わずかに8.4%の行政訴訟,調査官のいいなりと揶揄される憲法裁判,刑事系裁判官による裁判員制度の悪用,裁判員制度のイベント企画にまつわる不正経理の実態など,具体的な事例を紹介しつつ,裁判所と裁判官は自浄作用が期待できないほどに腐敗していることを明らかにしています。

本書の特色

本書によって,裁判所は,前近代的な服務規律が改めら得れることもなく,ハラスメント防止のためのガイドラインも,相談窓口や審査機関もなく,セクシュアル,パワー,モラル等の各種のハラスメントが横行するというように,究極の腐敗状態に陥っていることが明らかにされています。

しかし,筆者によれば,裁判所は,清く正しくあってこそ,正当性を有しているのであって,人々がそう思っているから,人々を従わせることができるに過ぎません。したがって,もしも,国民が,裁判所が究極的に腐敗していることを知るようになれば,裁判所の権威など誰も認めなくなり,提訴率は激減し,裁判所の判断には誰も従わなくなるに違いありません。

そこで,筆者は,腐敗をとめられずに暴走しつつあるわが国の裁判所・裁判官制度を根本的に改革するには,事務総局人事局の解体とそれ以外のセクションの大学事務局的な部門への改革,キャリアシステムの法曹一元制度への移行以外にないと断言しています。

本書の課題

本書の筆者は,第7章(株式会社ジャスティスの悲惨な現状)において,以下のように豪語しています。

裁判所・裁判官制度の根本的な改革は,事務総局人事局の解体とそれ以外のセクションの大学事務局的な部門への改革(権力的な要素をなくして事務方に徹するようにするという趣旨),そして,キャリアシステムの法曹一元制度への移行以外によってはなしえないのではないかと考える(『絶望』第6章)。それ以外の有効な方法があると考える人がいるなら,きちんと実名を示してそれを提案していただきたいと思う。

『絶望』に対する専門家の意見はかなりの数あった(もっとも多くは匿名)が,私の知る限り,現在の裁判所・裁判官制度の改善に関する有効な対案は,示されたことがないのではないかと考える。

以下の記述は,本書の筆者に対するささやかな反論と実名を示した提案です。

本書で提言されている裁判所改革は,自浄作用が期待できないはずの裁判所(絶望の裁判所)による改革です。これでは,効果は期待できないのではないでしょうか。

裁判所の腐敗を止めるには,以下のように,国会,および,国民という,外部からの裁判所に対する監視・弾劾機能を強化することが必要です。

第1に,三権のうちで国民に近い存在であり,裁判官を罷免する実績を有する国会による弾劾裁判(裁判官弾劾法第2条以下)のいっそうの強化によって,下級審の裁判官の基本的人権を侵害している最高裁の事務総局のトップ,裁判官の独立を侵害している下級裁判所のトップ等を罷免できるようにすることが不可欠でしょう。

第2に,国民自身による国民審査の改革を進めて,国民に奉仕するのではなく,最高裁の事務総局に奉仕したり,天下り先の大手の弁護士事務所や銀行の利益に奉仕している腐敗した最高裁の裁判官を国民審査(憲法第79条第2項~第4項)を通じて罷免したり,事後収賄罪(刑法第197条の3第3項)で告発したりするほかないと思われます。

そうではなく,裁判所による改革に頼っていたのでは,法の解釈に関して,最終的な決定権を有するため,実質的に,国権の最高機関となっている最高裁の改革は,いつまでたっても実現できないでしょう。

書評:瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)


瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書 (2014/2/21)


本書の概要

わが国の裁判官は,一般には,優秀で,公正,中立,廉直という印象をもたれています。しかし,その印象は誤りであり,実際の裁判官は,さほど優秀でもなく,公正でも,中立でも,廉直でもなく,むしろ,腐敗しており,しかも,裁判所自身の努力によってそれを改善することは絶望的であるというのが,33年間裁判官を務めた筆者の見解です。

本書の特色

筆者は,現在,裁判官を辞任し,学者に転進しています。筆者によれば,現在の裁判所は,情実人事,裁判官の不祥事等が横行しており,裁判官の個人の尊厳も,表現の自由も奪われており,サービス業で最も重要な「顧客志向」の精神が完全に欠落しているといいます。そして,裁判所がそのような危機的な状態に陥っているのは,最高裁による巧妙な裁判官支配によって,現在の裁判官の視線は,国民に向けられているのではなく,判決が評価され,昇進に響く,上級審や最高裁(事務総局)に向けられているからであるというのが筆者の分析です。

その結果,裁判を利用した人々の満足度は,2割を切っているのですが,それを改善しようとする裁判所の動きは皆無であり,裁判所は,その自浄作用も期待できない危機的な状態にあるということを筆者が実際に経験した具体的な事例を踏まえて明らかにしている点に本書の特色があります。

本書の課題

司法官僚の支配によって絶望的な腐敗状況にある裁判所を国民のための裁判所にするためには,裁判官の任官制度を改革して,弁護士を経験し,人生の機微を理解すようになった上で,裁判官になるという法曹一元の制度を構築することが必要であるというのが筆者の改革提言です。

しかし,司法を改革するのに,司法の内部で改革しようとしても,おそらく問題は解決できないと思います。人間ばかりでなく,法律が無効であるかどうかを裁くという,物事の最終的な決定権を最高裁が握っている以上,司法によって司法の腐敗を止めることはできないでしょう。

三権のバランスを回復し,これまでにも,裁判官を罷免する実績を有する,国会の内部に開設される弾劾裁判所のシステムを強化・整備し,憲法に反する支配体制を進めている最高裁判所のトップを弾劾できるようにしなければ,裁判所の腐敗を止めることはできないでしょう。

なぜなら,アクトン卿の格言にあるように,「権力は腐敗に向かう,絶対的権力は絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」からです。

 

明治学院大学法学部フレッシャーズ研修での講評


明治学院大学法学部入学者のための研修会での事例研究の後の講評


明治学院大学法学部に入学した学生たちのために,新高輪プリンスホテルの飛天の間でフレッシャーズ研修が開催されました。

プリンスホテル新高輪

 

そこでは,「サッカーボール回避高齢者転倒死亡事件」(最高裁第一小法廷平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁)をモデルにして,法学部の上級生であるSC(Student Counselor)たちが作成した事例(9歳の児童が公園でフットサルをしていて,その子の蹴ったボールが公園の外に飛び出し,自転車で通行していた人が,そのボールをよけようとして転倒して骨折した事件)について,SCの司会・進行の下に,法学部の新入生たちが,20名程度のグループに分かれて,詳しく検討しました。

以下の文章は,新入生の検討の後に,私(加賀山)が講評をした内容に,多少の追加をしたものです。


民法をマスターする近道は,民法のGoogle mapを作ること


民法は,条文数が1,044カ条というように,法律の中でも,条文数が最も多い法律の一つです。したがって,民法をマスターしようと思えば,常に,民法の個々の条文と民法全体の体系とを結びつけて学習するようにしないと,迷子になってしまいます。

迷子にならないようにするために必要なのが,地図ですが,最近の地図,たとえば,上の図で示したように,Google map を利用すると,住所を入力するだけで,住宅地図,分県地図,日本地図,世界地図へと,逆に,世界地図,日本地図,分県地図,住宅地図へとシームレスに移行することができます。したがって,自分が行こうとする場所へのアクセスが最短距離,最低料金等,目的に応じて選択できるようになりますし,常に,自分がどこにいるのかを確かめることができます。

法律,特に,条文数の多い民法を学ぶときも,同じことがいえます。自分が学習しようとする問題について,民法のどの条文が適用されるのか,その条文は,民法の全体の体系の中で,どのように位置づけられているかを知ることが,迷子にならないために必要です。

WagatsumeGuidanceOfCivilLawところが,現在のところ,民法の世界では,Google map に相当する民法の案内図がいまだに存在しません。民法の代表的な入門書である我妻栄『民法案内』第1巻『私法の道しるべ』にも,地図的な思考方法の重要さが述べられていますが,偉大な我妻先生でも,民法の完全な地図を作ることはできませんでした。

しかし,あきらめてはいけません。「民法のGoogle map」を作成するという目標と粘り強い努力を続けるならば,数年後には,「民法のGoogle map」(日本民法典)を完成させることができると,私は考えています。


法学部生の強みは何か(事案から条文への逆向き推論の能力)


今回,新入生の皆さんが検討した事例は,サッカーボール事件であり,この問題を解決するには,民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)の解釈が重要になりますが,そのほかに,民法712条(責任能力),709条(不法行為による損害賠償),719条(共同不法行為)を理解することが必要です。

ところで,このような個別の条文(民法709条,712条,714条,719条)にたどり着くために,皆さんは,どのような勉強をしなければならないのでしょうか。

民法を学習する目的は,市民生活の中で生じた紛争を平和的に解決することができる解決案を提示できる能力を養うことです。つまり,具体的に生じた事案に対して,最も適切な条文を探索する能力が必要です。

rule_based_j1しかし,この能力を養成することが,実は,非常に難しいのです。見つかった条文を前提にして,その条文がどのような意味を持ち,どのような先例があるのかを知ることであれば,法学部の学生でなくても,法律辞書と六法と判例データベースがあれば,誰でもできます(トップ・ダウン式の思考方法)。

しかし,逆向きの推論,すなわち,具体的な事例に対して,2,000近くもある法律の中から,適切な法律を選び,しかも,民法の場合であれば,1,044カ条もある条文の中から,その事件に適用されるべき条文を選択することは,至難の業です(ボトム・アップ式の思考方法)。法学部で,厳しい訓練を受けた学生以外の学生には,とうていなしうる業ではありません。

法学部以外の経済学部や社会学の学生たちは,社会に出たとき,確かに統計資料等の資料を用いて,問題の定量的な分析はできるかもしれません。しかし,解決が困難な問題が生じた際に,六法をめくりながら,「この問題には,この条文が適用される可能性が高く,出るところに出れば,こちらにとって,不利な判決が出る可能性があります。ですから,早急に,対応をとることが必要です。」と言えるようになるのは,法学部の卒業生だけでしょう。

せっかく,法学部に入学したのですから,皆さんは,そのような能力,すなわち,「困難な問題について,適切な条文を根拠にして,当事者も,専門家も,社会も,すなわち,誰もが納得できる解決案を提示できる能力」を養うための方法を知らなければ,もったいないと思います。

そこで,今回のサッカー(フットサル)ボール事件を例に取りながら,民法の正しい学習法について概観してみることにしましょう。


民法の学習の道しるべ


スライド3民法は,5編からなりなっています。第1編総則,第2編物権,第3編債権,第4編親族,第5編相続です。第1編の総則の第1章は,通則とされており,第1条と第2条が,民法全体に通用する原則を定めています。

民法第1編,第1章の通則(民法第1条,第2条)に規定されている民法の大原則は,憲法の基本的人権の規定に裏打ちされた規定であり,たとえ,憲法が改正されたとしても,その精神が変わることがないとされており,数百年単位で安定した部分であって,しっかりと理解する必要があります。

スライド4しかも,たとえば,民法第1条は,民法の大原則として重要な位置を占めるばかりでなく,後に述べる民法適用条文ベスト10に入っており,民法709条を中心に下不法行為方,民法415条の契約(債務)不履行責任に次いで,最もよく使われる条文の一つとなっています。

民法通則のうち,民法1条(基本原則,私の解釈によれば,私権の制限)は,上の図のように,憲法第29条【財産権】を受けて作成された条文であり,また,民法2条(解釈の基準,私の解釈によれば,私権の目的)は,憲法第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】を受けて作成された条文ですが,いずれも,憲法第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】の規定を押さえて作成されており,民法全体を見渡す上で,非常に重要な役割を果たしています。

スライド6今回の事例(サッカー(フットサル)ボール事件)は,不法行為の事件ですので,民法第3編債権の第5章不法行為の箇所の条文を見る必要があります。

不法行為法は,「一般」不法行為としての民法709条,712条,713条,720条,724条,および,「特別」不法行為としての民法714条~民法719条,723条とで成り立っています。

スライド7不法行為法は,民法適用ベスト10に多くの条文が入っており,最もよく使われている条文です。特に民法709条は,民法が適用される全事件の約3割が民法709条に基づいて解決されており,民事の事件について,どの条文が適用されるだろうかと言われたら,「民法709条」ですと言えば,3割は当たるというほどに重要な条文です。

今回の事例では,それが,民法709条に書かれている要件を満たしたといえいるかどうかが基本的に重要となりますが,未成年者であって,事理弁識能力を欠く場合には,民法712条によると,その人の責任を追及することができませんので,民法714条に従ってその監督義務者である親権者に対して責任を追及することになります。

第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

第712条(責任能力1)
未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない。

第714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)
①前2条〔責任能力〕の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合におい て,その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は,その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし,監督義務者がその義務を怠ら なかったとき,又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは,この限りでない。
②監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も,前項の責任を負う。


不法行為法の全体像の理解(電気回路図による比ゆ的な表現)


CivSysPart3Chap5Circuit01不法行為法は,先に述べましたように,民法の中で最も適用頻度の高い分野であり,しかも,一つのシステムを構成していますので,これを電気回路図で比ゆ的に表現することができます。

しかも,この電気回路図によると,スイッチを入れるのが誰なのか,すなわち,不法行為法の要件を証明するのが原告の方なのか被告なのかを明確に表現することができます。右上の図では,上の列にあるのが,原告が証明するスイッチ,右の列にあるスイッチが被告が証明すべきスイッチです。そして,下の列にあるのが,いったんついた電灯(損害賠償請求権)を消滅させるスイッチを示しています。以上が,一般不法行為法の全体像です。

CivSysPart3Chap5Circuit03次に,特別不法行為の場合には,被害者をよりよく救済するために,特に,被害者による証明が困難な「故意又は過失」の証明を軽減すために,バイパスが用意されていると考えることができます。

原告が,ある事件が一般不法行為ばかりでなく,バイパスに該当することが証明されると,立証責任が転換されて,加害者の方で,過失がなかったこと,すなわち,十分な注意を尽くしたことを証明しない限り,損害賠償責任が認められます。

CivSysPart3Chap5Circuit04いったん損害賠償責任が認められると,その責任が消滅するには,時間の経過が必要です。加害者を知ってから3年,加害者がわからない場合でも,事故から20年が経過すると損害賠償責任が消滅します。

このように,不法行為の全体像を図示して頭に入れておくと,どのような事件が生じた場合にでも,どのような条文が適用され,原告と被告とは,何を証明しなければならないかがよくわかるようになると思います。


200年以上にわたって,変わることがなかった法原理としての民法709条の学習の重要性


民法709条の背景に控えている法原理,すなわち,「有用と思うことは自由にしてよい。しかし,他人に損害を与えないように注意し,社会的費用を最小にするように行動せよ。もしも,故意または過失によって他人に損害を与えた場合には,その損害を賠償せよ」という不法行為法の大原則について,述べておきます。

このような一般不法行為の法原理は,「一般」不法行為法を発明したフランスの学説が,1804年に成立したフランス民法典(Code civil)の第1382条によって,初めて世界に発信されました。わが国の民法709条は,この伝統を引き継いで起草された条文です。

CodeCivil2016ssフランス民法典 第1382条
フォート(故意又は過失)によって,他人に損害を生じさせた者は,それによって生じた損害を賠償をする責任を負う。
Art. 1382
Tout fait quelconque de l’homme, qui cause à autrui un dommage, oblige celui par la faute duquel il est arrivé à le réparer.

日本民法 第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

これらの条文は,フランスにおいても,また,わが国においても,すでに,200年間にわたって,変わることなく適用され続けており,今後も数百年にわたって変化することはない,大原則だと思います。

しかも,民法709条は,わが国において,もっとも頻繁に適用されている条文です。民法が制定されて以来,裁判所で適用された民法の条文の中で,約3割という,突出した適用頻度を保ち続けているのは,民法709条だけです。したがって,皆さんは,民法を勉強するに際しては,この条文から学習を始めるのがよいでしょう。

さらに,世の中に生じる不条理な事件は,単独で行われるよりも,複数の人とか,複数の原因が絡んで生じることが多いことに気づくならば,共同不法行為(民法719条)の考え方について学習を深めましょう。

第719条(共同不法行為者の責任)
①数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも,同様とする。
②行為者を教唆した者及び幇(ほう)助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する。

そうすると,今回の事件も,実は,サッカーボールを蹴った子供だけが事故の原因を作り出したのではなく,子供に付き添わなかった親,事件が起こった公園の管理者,事故を起こした被害者の行動など,複数の原因が絡み合って生じており,その場合の責任の分配がどのようになされるべきであるのかを知ることができるようになります。


結論(法学部で学ぶ者の責務)


刻々と変化する社会の複雑な現象に対して,私たち法学部で学ぶ者は,以下のような二つの道具を使いこなして,誰もが(当事者も,専門家も,社会もが)納得できるような紛争解決案を提示する能力を養わなければなりません。

第1は,人類が獲得してきた永遠の法原理(「有用と思うことは自由にやってよい。しかし,他人に損害を生じさせないように注意し,社会的費用を最小にするように行動せよ。もしも,故意又は過失によって他人に損害を生じさせた場合には,その損害を賠償せよ」という法原理)を常にバックボーンとして持ち,ぶれることのない判断を行うことです。

第2は,法原理から抽出されるものではあるものの,時代に合わせて緩やかに変更される個々の条文(民法だけでなく,特別法の条文)を使いこなして,専門知識に基づいた正確な判断を下さなければなりません。

このような二つの道具を駆使して,最終到達目標としての「紛争の平和的解決能力を養うこと」こそが,法学部で学習した人々の責務なのです。

そのような責務に耐えうる能力を養うために,皆さんが,4年間,しっかりと法律を学習されることを願って,今回の講評を終えることにします。皆さんの今後のご健闘を祈ります。


参考文献


 

  • 民法の入門書
    • 加賀山茂『現代民法 民法学習法入門』信山社(2007)
    • 加賀山茂『民法入門・担保法革命』信山社(2013)(DVD付)
  • 民法(財産法)全体を理解する上での助っ人
    • 我妻栄=有泉亨『コンメンタール民法』〔第3版〕日本評論社(2013)
    • 金子=新堂=平井編『法律学小辞典』有斐閣(2008)
  • 契約法全体についての概説書
    • 加賀山茂『契約法講義』日本評論社(2009)

 

民法714条の監督義務者の行方(最高裁平成28年3月1日判決の問題点)


民法714条(責任無能力者等の監督義務者の責任)に関する注目すべき最近の二つの判決


未成年者であって責任を弁識する能力を有しない場合(通常は,13歳未満の未成年者の場合),または,精神上の障害により,責任を弁識する能力を有しない場合(認知症,酩酊等を含む場合)に,それらの責任無能力者は,不法行為上の損害賠償責任を負わない(それぞれ,民法712条,713条に規定がある)。その代わりに,それらの責任無能力者を監督する法定の義務を負う者(「監督義務者」という)が,責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う(民法714条)。

最近,責任無能力者の監督者責任に関する最高裁判決が2件出され,注目を集めている。一つは,平成27年4月9日の判決(第1判決という),もう一つは平成28年3月1日の判決(第2判決)である。二つの事件ともに,民法714条の責任(責任無能力者の監督義務者等の責任)を否定した点で共通しているが,その理由は異なる。


第1判決(最一判平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁)とその問題点


第1判決は,監督義務者がはっきりしている場合について,監督義務者の免責要件を安易といえるほどに緩和したものであり,第2判決は,監督義務者が誰か曖昧な場合について,事件を起こした高齢者の同居の高齢の妻,および,別居の子は,そもそも監督義務者ではないとして,損害賠償責任を否定したものである。

第1判決の事実関係は,小学校でサッカーのゴールキックを練習していた小学生(当時11歳)の蹴ったサッカーボールが,校庭の外に飛び出して道路に転がり,たまたま,自転車でそこを通りかかった高齢者(当時85歳)がそのボールをよけようとして転倒し,それが契機となって死亡したというものである。この事件においては,責任無能力者の監督義務者は,事件を引き起こした子の親権者であることが明らかであるため,訴訟においては,監督義務者は,どのような行為をすれば,責任を免れるかに問題が集中した。

従来は,責任無能力者の監督義務者が免責されるためには,具体的に何をしたかを詳しく証明しなければならず,しかも,ほとんどの場合に,免責は認められなかった。つまり,免責のハードルは,非常に高かったのである。

これに反して,第1判決は,責任無能力者(11歳の未成年者)の行為が,①周囲の状況を考慮に入れても,その状況下において,日常的な使用方法として通常の行為であること,②その行為によって当該結果が生じるということは,常態であったとはいえない場合であること,③責任無能力者の監督義務者が,危険な行為に及ばないよう日頃から責任無能力者に通常のしつけをしていたことを証明すれば,監督義務者は,民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきであると判示している。

この判決によれば,子の日常的な通常の行為については,親が,危険な行為に及ばないように日ごろから通常のしつけをしておれば,責任を免れるということになり,被害者救済が困難になるのではないのかとの問題点が指摘されている。


第2判決(最三判平成28・3・1)とその問題点


第2判決の多数意見は,この点を踏まえて,痴呆症に罹患した高齢者(91歳)が引き起こした事件(鉄道会社に生じた事故処理等の損害)について,監督義務者の免責の立証責任を緩和するという方向ではなく,高齢者(85歳)である同居の妻,および,別居の子を監督義務者ではないとして,民法714条の責任を否定した点に特色がある。

この判決については,結論は同じだが,理論構成が異なる二つの「意見」が付されている。それらの「意見」によれば,高齢者である同居の妻の監督者責任は否定するが,別居の子の監督者責任は認めるとしつつも,監督義務者である子は,注意義務を怠っていないとの証明を尽くしているため,結果的に民法714条の責任を免れるとしている。

第2事件の最高裁の多数意見によると,この事件においては,責任無能力者の監督義務者は全く存在しないということになってしまうため,被害者の救済という点からは,問題が生じているといえよう。


第2判決に対する評価


事案の解決としては,多数意見ではなく,その他の意見のように,責任無能力の監督義務者は,どこかに存在するとした上で,監督義務者は十分に注意義務を尽くしたとして免責するか,観点を変えて,被害者側の過失(線路内に通じる戸に施錠するのを怠っており,それが事故の原因となっている)を考慮して,大幅な過失相殺を認めるという方法を選択する方が,現行の不法行為法の救済システムに適合しているのではないかと,私は考えている。

本件の場合,責任無能力者が事件を起こさないためには,介護のシステムを整備すべき公共機関の責任にも注意が向けられるべきであろう。

介護施設が不足したり,その環境が十分に整備されていないために,責任無能力者の家族に過大な負担がかけられている実態を踏まえるならば,介護に専念している家族の責任を軽減する一方で,被害を未然に防止するための公益システムの整備を急ぎつつ,その責任のあり方について検討すべき時期にさしかかっているように思われる。


 

《関連判例紹介》最一判平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁(サッカーボールよけ高齢者転倒死亡事件)


2016年3月1日に下された最高裁判決(認知症者線路立ち入り損害賠償請求事件)に関連する判決として,1年ほど前の2015年4月9日に下された最高裁第一小法廷平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁(サッカーボールよけ高齢者転倒死亡事件)を紹介する。

日本民法典研究支援センターの編集目標である『日本民法典』においては,各条文ごとに重要判例を付記するが,その際,どの程度の詳しさで判例を紹介するかについては,今後の検討課題である。

しかし,『日本民法典』の編集過程で作成する判例データベースにおいては,以下のような項目を取り上げて作成するつもりである。

なお,今回紹介する判例においては,作成する判例データベースの雛形を意識して,最高裁のホームーページを土台としつつも,そこでは記載されていない重要項目(タイトル,その他の出典,判例評釈,事実関係)については,その項目をイタリックで表記している。


タイトル:最一判平成27年4月9日判決民集69巻3号455頁(サッカーボールよけ高齢者転倒死亡事件)(2015/04/09)
事件番号: 平成24(受)1948
事件名: 損害賠償請求事件
裁判年月日: 平成27年4月9日
法廷名: 最高裁判所第一小法廷
裁判種別: 判決
結果: 破棄自判
判例集等巻・号・頁:民集69巻3号455頁
その他の出典:判時2261号145頁,判タ1415号69頁
判例評釈:田中壯太・NBL1052号81頁,安達敏男=吉川樹士・戸籍時報726号70頁,加賀山茂・旬刊速報税理34巻22号40頁,菊池絵理・法律のひろば68巻7号57頁,小國隆輔・判例地方自治395号90頁,久保野恵美子・法学教室420号52頁
原審裁判所名: 大阪高等裁判所
原審事件番号: 平成23(ネ)2294
原審裁判年月日: 平成24年6月7日
判示事項: 責任を弁識する能力のない未成年者が,サッカーボールを蹴って他人に損害を加えた場合において,その親権者が民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったとされた事例
裁判要旨: 責任を弁識する能力のない未成年者の蹴ったサッカーボールが校庭から道路に転がり出て,これを避けようとした自動二輪車の運転者が転倒して負傷し,その後死亡した場合において,次の(1)~(3)など判示の事情の下では,当該未成年者の親権者は,民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきである。
(1)上記未成年者は,放課後,児童らのために開放されていた小学校の校庭において,使用可能な状態で設置されていたサッカーゴールに向けてフリーキックの練習をしていたのであり,殊更に道路に向けてボールを蹴ったなどの事情もうかがわれない。
(2)上記サッカーゴールに向けてボールを蹴ったとしても,ボールが道路上に出ることが常態であったものとはみられない。
(3)上記未成年者の親権者である父母は,危険な行為に及ばないよう日頃から通常のしつけをしており,上記未成年者の本件における行為について具体的に予見可能であったなどの特別の事情があったこともうかがわれない。
参照法条: 民法709条,民法712条,民法714条
事実関係:本件の事故は2004年に愛媛県今治市の公立小学校脇の道路で起きた。自動二輪車を運転して小学校の校庭横の道路を進行していたA(当時85歳)が,その校庭から蹴り出されたサッカーボールを避けようとして転倒して負傷し,足を骨折。認知症の症状が出て,約1年半後に肺炎で死亡した。
Aの権利義務を承継した遺族である被上告人Xら(原告,被控訴人,被上告人)が,2007年に,サッカーボールを蹴ったB(当時11歳)の父母であるYら(被告,控訴人,上告人)に対し,民法709条又は民法714条1項に基づいて,約5千万円の損害賠償を求めて提訴した。
原審は,ボールを蹴った当時小学生だったBの過失を認め,その両親であるYらは,ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務があり,Yらはこれを怠ったなどとして,Xらの民法714条1項(監督義務)に基づく損害賠償請求の一部(約1,100万円の損害賠償)を認容したため,Yらが上告した。


全文

1

平成24年(受)第1948号
損害賠償請求事件 平成27年4月9日 第一小法廷判決

主文

1 原判決中,上告人らの敗訴部分をいずれも破棄する。
2 第1審判決中,上告人らの敗訴部分をいずれも取り消す。
3 前項の取消部分に関する被上告人らの請求をいずれも棄却する。
4 第1項の破棄部分に関する承継前被上告人Aの請求に係る被上告人X2及び同X3の附帯控訴を棄却する。
5 訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人森本宏,同大石武宏,同小島崇宏の上告受理申立て理由第3の3について

1 本件は,自動二輪車を運転して小学校の校庭横の道路を進行していたB(当時85歳)が,その校庭から転がり出てきたサッカーボールを避けようとして転倒して負傷し,その後死亡したことにつき,同人の権利義務を承継した被上告人らが,上記サッカーボールを蹴ったC(当時11歳)の父母である上告人らに対し,民法709条又は714条1項に基づく損害賠償を請求する事案である。上告人らがCに対する監督義務を怠らなかったかどうかが争われている。

2

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) C(平成4年3月生まれ)は,平成16年2月当時,愛媛県越智郡D町立(現在は今治市立)E小学校(以下「本件小学校」という。)に通学していた児童である。

(2) 本件小学校は,放課後,児童らに対して校庭(以下「本件校庭」という。)を開放していた。本件校庭の南端近くには,ゴールネットが張られたサッカーゴール(以下「本件ゴール」という。)が設置されていた。本件ゴールの後方約10mの場所には門扉の高さ約1.3mの門(以下「南門」という。)があり,その左右には本件校庭の南端に沿って高さ約1.2mのネットフェンスが設置されていた。また,本件校庭の南側には幅約1.8mの側溝を隔てて道路(以下「本件道路」という。)があり,南門と本件道路との間には橋が架けられていた。本件小学校の周辺には田畑も存在し,本件道路の交通量は少なかった。

(3) Cは,平成16年2月25日の放課後,本件校庭において,友人らと共にサッカーボールを用いてフリーキックの練習をしていた。Cが,同日午後5時16分頃,本件ゴールに向かってボールを蹴ったところ,そのボールは,本件校庭から南門の門扉の上を越えて橋の上を転がり,本件道路上に出た。折から自動二輪車を運転して本件道路を西方向に進行してきたB(大正7年3月生まれ)は,そのボールを避けようとして転倒した(以下,この事故を「本件事故」という。)。

(4) Bは,本件事故により左脛骨及び左腓骨骨折等の傷害を負い,入院中の平成17年7月10日,誤嚥性肺炎により死亡した。

(5) Cは,本件事故当時,満11歳11箇月の男子児童であり,責任を弁識する能力がなかった。上告人らは,Cの親権者であり,危険な行為に及ばないよう日

3

頃からCに通常のしつけを施してきた。

3 原審は,上記事実関係の下において,本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ることはその後方にある本件道路に向けて蹴ることになり,蹴り方次第ではボールが本件道路に飛び出す危険性があるから,上告人らにはこのような場所では周囲に危険が及ぶような行為をしないよう指導する義務,すなわちそもそも本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務があり,上告人らはこれを怠ったなどとして,被上告人らの民法714条1項に基づく損害賠償請求を一部認容した。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係によれば,満11歳の男子児童であるCが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったことは,ボールが本件道路に転がり出る可能性があり,本件道路を通行する第三者との関係では危険性を有する行為であったということができるものではあるが,Cは,友人らと共に,放課後,児童らのために開放されていた本件校庭において,使用可能な状態で設置されていた本件ゴールに向けてフリーキックの練習をしていたのであり,このようなCの行為自体は,本件ゴールの後方に本件道路があることを考慮に入れても,本件校庭の日常的な使用方法として通常の行為である。また,本件ゴールにはゴールネットが張られ,その後方約10mの場所には本件校庭の南端に沿って南門及びネットフェンスが設置され,これらと本件道路との間には幅約1.8mの側溝があったのであり,本件ゴールに向けてボールを蹴ったとしても,ボールが本件道路上に出ることが常態であったものとはみられない。本件事故は,Cが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったところ,ボール

4

が南門の門扉の上を越えて南門の前に架けられた橋の上を転がり,本件道路上に出たことにより,折から同所を進行していたBがこれを避けようとして生じたものであって,Cが,殊更に本件道路に向けてボールを蹴ったなどの事情もうかがわれない。
責任能力のない未成年者の親権者は,その直接的な監視下にない子の行動について,人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう日頃から指導監督する義務があると解されるが,本件ゴールに向けたフリーキックの練習は,上記各事実に照らすと,通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。また,親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日頃の指導監督は,ある程度一般的なものとならざるを得ないから,通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は,当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り,子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない。
Cの父母である上告人らは,危険な行為に及ばないよう日頃からCに通常のしつけをしていたというのであり,Cの本件における行為について具体的に予見可能であったなどの特別の事情があったこともうかがわれない。そうすると,本件の事実関係に照らせば,上告人らは,民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきである。

5 以上によれば,原審の判断中,上告人らの敗訴部分には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,この点に関する論旨は理由がある。そして,以上説示したところによれば,被上告人らの民法714条1項に基づく損害賠償請求は理由がなく,被上告人らの民法709条に基づく損害賠償請求も理由がないこと

5

となるから,原判決中上告人らの敗訴部分をいずれも破棄し,第1審判決中上告人らの敗訴部分をいずれも取り消した上,上記取消部分に関する被上告人らの請求をいずれも棄却し,かつ,上記破棄部分に関する承継前被上告人Aの請求に係る被上告人X2及び同X3の附帯控訴を棄却すべきである。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山浦善樹,裁判官 櫻井龍子,裁判官 金築誠志,裁判官 池上政幸)


コメント(加賀山茂):本判決を速報した朝日新聞は,「民法は、子どもが事故を起こした場合、親などが監督責任を怠っていれば代わりに賠償責任を負うと定めている。これまでの類似の訴訟では、被害者を救済する観点から、ほぼ無条件に親の監督責任が認められてきた。今回の最高裁の判断は、親の責任を限定するもので、同様の争いに今後影響を与える」と報じている。

本判決は,一見したところでは,新聞報道されたように,民法714条第1項但し書き,すなわち,「監督義務者がその義務を怠らなかったとき,又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは,この限りでない。」という免責事由を認めたように見える。

確かに,本件は,通常では事故が起こることが予想できない未成年者の「日常的な行為」によって,重大な損害が生じたという特異な事案ではある。しかし,たとえ,そのような特異な事例だったとしても,最高裁が認定した「危険な行為に及ばないよう日頃から通常のしつけをしていた」という程度の抽象的な事実の立証で,民法714条の監督者責任が免責されるということになると,今後は,ほとんどの未成年事例で,監督義務者が免責されることになりかねない。

従来の判例の動向と本判例とを整合的に解釈し,民法714条1項における免責事由は,今後も,具体的な立証が必要であると考えるならば,本判決は,「危険な行為に及ばないよう日頃から通常のしつけをしていた」という単純な事由によって免責されたのではなく,以下に述べるように,責任無能力者の行為と第三者に生じた損害との間に,民法416条にいわゆる相当因果関係が認められなかったからであると解釈するのが合理的であると思われる。

最高裁は,本件において,民法714条の監督責任が免責される条件として,第1に,「日常的な行為のなかで起きた予想できない事故である」こと,第2に,事故時に直接監督をしていない監督義務者が,「危険な行為に及ばないよう日ごろから通常のしつけを行っていた」という二つの条件を挙げている。

このことは,一見したところでは,民法714条1項ただし書きの免責事由が認められたように見えるが,相当因果関係の立場に立つならば,民法416条における損害賠償の範囲外の損害であるということと趣旨が同じであると解釈することができる。なぜなら,日常的な行為から起きた予想できない事故は,民法416条1項の通常事情から生じた通常損害ではなく,特別事情から生じた損害であるため,当事者が予見できない場合には,民法416条2項によって,損害賠償責任が生じないからである。

つまり,本件の場合には,そもそも,Bの行為(サッカーボールのフリーキックの練習行為)と,Aの損害(死亡)との間には,事実的な因果関係はあるものの,相当因果関係は存在しないために,Yらは,損害賠償責任を負わない事例だったということになる。その上で,最高裁が,監督義務者が「危険な行為に及ばないよう日ごろから通常のしつけを行っていた」ことを,損害賠償を負わない要件として追加したのは,民法714条の免責要件の立証としてではなく,通常事情から生じた特別損害あることを明確にする要件として認定したものと考えるべきであろう。

このように考えると,本件において,民法714条1項の免責事由について,その証明が容易となったと考えるのは,早計であると思われる。

なお,本件の場合,XらのYらに対する請求は棄却されたのであるが,そうすると,Xらは,誰の責任も追及できないのかどうかについて,簡単に触れておく。

本件事故は,交通事故とともに,学校事故としての性質をも有しているのであるから,責任の追及の可能性があるとすれば,それは,フリーキックの練習でボールが道路に飛び出すような環境を作り出した公立学校に対して,国家賠償法2条の営造物責任を追及する方法が考えられる。

本稿は,民法714条の監督者責任について考察することを主眼としており,国家賠償責任については,詳しく論じることはできないが,もしも,フリーキックの練習でボールがフェンスを越えることが予見できる状況であったとすると,営造物の設置・保存の瑕疵が存在する可能性も否定できないため,この方法によって,公立小学校を運営している今治市の責任を追及することも可能であったと思われる。


 

《速報》最高裁の最新判例(最高裁第三小法廷平成28年3月1日判決)認知症者の線路立ち入りJR損害賠償請求事件

2016年3月1日に最高裁第三小法廷で注目すべき判決が下された。最高裁のホームページで,即日公開されているだけでなく,テレビ番組,新聞等で大きく報道されており,重要な判決であるので,最高裁のホームページに公開された判決要旨と,全文をテキスト化したものを紹介する。

判決に対するコメントは,判決全文をよく読んでからにするつもりであるが,認知症の夫がJRの線路に立ち入り列車と衝突して死亡したことにより,JRに生じた損害について,死亡した認知症者と同居していた身体障害者の妻,または,別居の子に,損害賠償責任を負わせることができるかどうかについて,最高裁は,妻と子の責任を否定するとの判断を下した。

多数意見(補足意見を含めて,裁判官3名)は,身体障害者である同居の妻も,別居の子も,民法717条の監督義務者ではないとの判断を下した上で,損害賠償責任を否定している。しかし,この多数意見に対しては,妻と子の責任を否定する点では賛同するものの,子は,民法717条の監督義務者ではあるが,監督義務を尽くしたので,責任を免れるとの判断を下している裁判官が2名おり,もしも,子が監督義務を尽くしていない場合であれば,補足意見しだいでは,結論は逆になっていた可能性がある。

したがって,この点において,この判決を引用する場合には,多数意見だけを引用することは危険であり,補足意見,および,意見についても,紹介すべきであろう。

最三判平成28・3・1(認知症者線路立ち入り損害賠償請求事件)

事件番号:平成26(受)1434
事件名:損害賠償請求事件
裁判年月日:平成28年3月1日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別:判決
結果:その他
判例集等:最高裁民事判例集〔 〕巻・〔 〕号・〔 〕頁
原審裁判所名:名古屋高等裁判所
原審事件番号:平成25(ネ)752
原審裁判年月日:平成26年4月24日
判示事項:
裁判要旨: 線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症の者の妻と長男の民法714条1項に基づく損害賠償責任が否定された事例
参照法条:〔空白〕〔民法709条(不法行為による損害賠償),民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任),民法752条(同居,協力及び扶助の義務),民法858条(成年被後見人の意思の尊重及び身上の配慮)介護保険法7条1項〕
判決全文

1

平成26年(受)第1434号,第1435号
損害賠償請求事件 平成28年3月1日第三小法廷判決

主文

1 平成26年(受)第1434号上告人の上告を棄却する。
2 原判決中,平成26年(受)第1435号上告人敗訴部分を破棄し,同部分につき第1審判決を取り消す。
3 前項の部分に関する平成26年(受)第1435号被上告人の請求を棄却する。
4 第1項に関する上告費用は,平成26年(受)第1434号上告人の負担とし,前2項に関する訴訟の総費用は,平成26年(受)第143
5 号被上告人の負担とする。

理由

平成26年(受)第1434号上告代理人三村量一ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)及び同第1435号上告代理人浅岡輝彦ほかの上告受理申立て理由について

1 本件は,認知症にり患したA(当時91歳)が旅客鉄道事業を営む会社である平成26年(受)第1434号上告人・同第1435号被上告人(以下「第1審原告」という。)の駅構内の線路に立ち入り第1審原告の運行する列車に衝突して死亡した事故(以下「本件事故」という。)に関し,第1審原告が,Aの妻である

2

平成26年(受)第1435号上告人(以下「第1審被告Y1」という。当時85歳及びAの長男である平成26年(受)第1434号被上告人(以下「第1審被告Y2」という。)に対し,本件事故により列車に遅れが生ずるなどして損害を被ったと主張して,民法709条又は714条に基づき,損害賠償金719万7740円及び遅延損害金の連帯支払を求める事案である。第1審被告らがそれぞれ同条所定の法定の監督義務者又はこれに準ずべき者に当たるか否か等が争われている。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) A(大正5年生まれ)と第1審被告Y1(大正11年生まれ)は,昭和20年に婚姻し,以後同居していた。両者の間には4人の子がいるが,このうち,長男である第1審被告Y2及びその妻であるBは,昭和57年にAの自宅(以下「A宅」という。)から横浜市に転居し他の子らもいずれも独立している。Aは,平成10年頃まで不動産仲介業を営んでいた。

(2) A宅は,愛知県a市にあるJRa駅前に位置し,自宅部分と事務所部分から成り,自宅玄関と事務所出入口を備えていた。

(3) Aは,平成12年12月頃,食事をした後に「食事はまだか。」と言い出したり,昼夜の区別がつかなくなったりした。そこで,第1審被告ら及び第1審被告Y2の妹であるCは,Aが認知症にり患したと考えるようになった。
Aは,平成14年になると,晩酌をしたことを忘れて何度も飲酒したり,寝る前に戸締まりをしたのに夜中に何度も戸締まりを確認したりするようになった。
第1審被告ら,B及びCは,平成14年3月頃,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,第1審被告Y1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護

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の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市からA宅の近隣に転居し,第1審被告Y1によるAの介護を補助することを決めた。その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。第1審被告Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度a市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。
その後,Aについて介護保険制度を利用すべきであるとのCの意見を受けて,Bらは,かかりつけのD医師に意見書を作成してもらい,平成14年7月,Aの要介護認定の申請をした。Aは,同年8月,要介護状態区分のうち要介護1の認定を受け,同年11月,同区分が要介護2に変更された(要介護状態区分は5段階になっており,要介護5が最も重度のものである(介護保険法7条1項,要介護認定等に係る介護認定審査会による審査及び判定の基準等に関する省令1条1項)。)。

(4) Aは,平成14年8月頃の入院を機に認知症の悪化をうかがわせる症状を示すようになった。Aは,同年10月,国立療養所中部病院(以下「中部病院」という。)のE医師の診察を受け,その後,おおむね月1回程度中部病院に通院するようになった。E医師は,平成15年3月,Aが平成14年10月にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断した。また,Aは,同月頃以降,a市内の福祉施設「b」(以下「本件福祉施設」という。)に通うようになり,当初は週1回の頻度であったが,本件事故当時は週6回となっていた。Aが本件福祉施設に行かない日には,Bが朝からAの就寝までA宅においてAの介護等を行っていた。
Aの就寝後は,第1審被告Y1がAの様子を見守るようにしていた。

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Aは,平成15年頃には,第1審被告Y1を自分の母親であると認識したり,自分の子の顔も分からなくなったりするなど人物の見当識障害もみられるようになった。Bは,Aに外出しないように説得しても聞き入れられないため,説得するのをやめて,Aの外出に付き添うようになった。
E医師は,平成16年2月,Aの認知症については,場所及び人物に関する見当識障害や記憶障害が認められ,おおむね中等度から重度に進んでいる旨診断した。
中部病院は,患者の診療について,一定期間の通院後は開業医に引き継ぐ方針を採っていたため,Aは,同月頃以降,再びD医師の診療を受けるようになった。

(5) Aは,平成17年8月3日早朝,1人で外出して行方不明になり,午前5時頃,A宅から徒歩20分程度の距離にあるコンビニエンス・ストアの店長からの連絡で発見された。

(6) 第1審被告Y1は,平成18年1月頃までに,左右下肢に麻ひ拘縮があり,起き上がり・歩行・立ち上がりはつかまれば可能であるなどの調査結果に基づき,要介護1の認定を受けた。

(7) Aは,平成18年12月26日深夜,1人で外出してタクシーに乗車し,認知症に気付いた運転手によりコンビニエンス・ストアで降ろされ,その店長の通報により警察に保護されて,午前3時頃に帰宅した。

(8) Bは,上記(5)及び(7)の出来事の後,家族が気付かないうちにAが外出した場合に備えて,警察にあらかじめ連絡先等を伝えておくとともに,Aの氏名やBの携帯電話の電話番号等を記載した布をAの上着等に縫い付けた。
また,第1審被告Y2は,上記(5)及び(7)の出来事の後,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通ると第1審被告Y1の枕元でチャイム

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が鳴ることで,第1審被告Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。第1審被告ら及びBは,Aが外出できないように門扉に施錠するなどしたこともあったが,Aがいらだって門扉を激しく揺するなどして危険であったため,施錠は中止した。他方,事務所出入口については,夜間は施錠されシャッターが下ろされていたが,日中は開放されており,以前から事務所出入口にセンサー付きチャイムが取り付けられていたものの,上記(5)及び(7)の出来事の後も,本件事故当日までその電源は切られたままであった。

(9) Aは,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。

(10) Aは,平成19年2月,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁にみられ,常に介護を必要とする状態で,場所の理解もできないなどの調査結果に基づき,要介護4の認定を受けた。そこで,第1審被告ら,B及びCは,同月,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,Cが「特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。」旨の意見を述べたこともあって,Aを引き続きA宅で介護することに決めた。

(11) Aは,認知症の進行に伴って金銭に興味を示さなくなり,本件事故当時,財布や金銭を身に付けていなかった。本件事故当時,Aの生活に必要な日常の買物は専ら第1審被告Y1とBが行い,また,預金管理等のAの財産管理全般は専ら第

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1審被告Y1が行っていた。
本件事故当時,Bは,午前7時頃にA宅に行き,Aを起こして着替えと食事をさせた後,本件福祉施設に通わせ,Aが本件福祉施設からA宅に戻った後に20分程度Aの話を聞いた後,Aが居眠りを始めると,Aのいる部屋から離れて台所で家事をすることを日課としていた。Aは,居眠りをした後は,Bの声かけによって3日に1回くらい散歩し,その後,夕食をとり入浴をして就寝するという生活を送っており,Bは,Aが眠ったことを確認してから帰るようにしていた。

(12) Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,本件福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及び第1審被告Y1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,Aと第1審被告Y1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,第1審被告Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。Aは,a駅から列車に乗り,a駅の北隣の駅であるJRc駅で降り,排尿のためホーム先端のフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,c駅構内において本件事故が発生した。
Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。

3 原審は,次のとおり判断して,第1審原告の第1審被告Y1に対する損害賠償請求を一部認容し,第1審被告Y2に対する損害賠償請求を棄却した。

(1) 一方の配偶者が精神上の障害により精神保健及び精神障害者福祉に関する法律5条に規定する精神障害者となった場合には,同法上の保護者制度(同法20条(平成25年法律第47号による改正前のもの)参照)の趣旨に照らしても,

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の者と現に同居して生活している他方の配偶者は,夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り,夫婦の同居,協力及び扶助の義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項所定の法定の監督義務者に該当するものというべきである。そして,Aと同居していた妻である第1審被告Y1は,Aの法定の監督義務者であったといえる。
第1審被告Y1は,Aが重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに,A宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった。このこと等に照らせば,第1審被告Y1が,監督義務者として監督義務を怠らなかったとはいえず,また,その義務を怠らなくても損害が生ずべきであったともいえない。

(2) 第1審被告Y2がAの長男として負っていた扶養義務は経済的な扶養を中心とした扶助の義務であって引取義務を意味するものではない上,実際にも第1審被告Y2はAと別居して生活しており,第1審被告Y2がAの成年後見人に選任されたことはなくAの保護者の地位にもなかったことに照らせば,第1審被告Y2が,Aの生活全般に対して配慮し,その身上を監護すべき法的な義務を負っていたとは認められない。したがって,第1審被告Y2は,Aの法定の監督義務者であったとはいえない。また,第1審被告Y2は,20年以上もAと別居して生活していたこと等に照らせば,Aに対する事実上の監督者であったともいえない。

4 しかしながら,原審の上記3(2)の判断は結論において是認することができるが,同(1)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)ア 民法714条1項の規定は,責任無能力者が他人に損害を加えた場合に

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はその責任無能力者を監督する法定の義務を負う者が損害賠償責任を負うべきものとしているところ,このうち精神上の障害による責任無能力者について監督義務が法定されていたものとしては,平成11年法律第65号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律22条1項により精神障害者に対する自傷他害防止監督義務が定められていた保護者や,平成11年法律第149号による改正前の民法858条1項により禁治産者に対する療養看護義務が定められていた後見人が挙げられる。しかし,保護者の精神障害者に対する自傷他害防止監督義務は,上記平成11年法律第65号により廃止された(なお,保護者制度そのものが平成25年法律第47号により廃止された。)。また,後見人の禁治産者に対する療養看護義務は,上記平成11年法律第149号による改正後の民法858条において成年後見人がその事務を行うに当たっては成年被後見人の心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない旨のいわゆる身上配慮義務に改められた。この身上配慮義務は,成年後見人の権限等に照らすと,成年後見人が契約等の法律行為を行う際に成年被後見人の身上について配慮すべきことを求めるものであって,成年後見人に対し事実行為として成年被後見人の現実の介護を行うことや成年被後見人の行動を監督することを求めるものと解することはできない。そうすると,平成19年当時において,保護者や成年後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者に該当するということはできない。

イ 民法752条は,夫婦の同居,協力及び扶助の義務について規定しているが,これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって,第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく,しかも,同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり,協力の義務につ

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いてはそれ自体抽象的なものである。また,扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても,そのことから直ちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると,同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず,他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。
したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

ウ 第1審被告Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,第1審被告Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。
また,第1審被告Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

(2)ア もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用さ

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れると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

イ これを本件についてみると,Aは,平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し,平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され,平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し,平成19年2月には要介護状態区分のうち要介護4の認定を受けた者である(なお,本件事故に至るまでにAが1人で外出して数時間行方不明になったことがあるが,それは平成17年及び同18年に各1回の合計2回だけであった。)。第1審被告Y1は,長年Aと同居していた妻であり,第1審被告Y2,B及びCの了解を得てAの介護に当たっていたものの,本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,第1審被告Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けて

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いたとみるべき特段の事情があったとはいえない。
したがって,第1審被告Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない

ウ また,第1審被告Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながら第1審被告Y1によるAの介護を補助していたものの,第1審被告Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,第1審被告Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。したがって,第1審被告Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。
5 以上によれば,第1審被告Y1の民法714条に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決のうち第1審被告Y1敗訴部分は破棄を免れない。この点をいう第1審被告Y1の論旨は理由がある。そして,以上説示したところによれば,第1審原告の第1審被告Y1に対する民法714条に基づく損害賠償請求は理由がなく,同法709条に基づく損害賠償請求も理由がないことになるから,上記部分につき,第1審判決を取り消し,第1審原告の請求を棄却することとする。
他方,第1審被告Y2の民法714条に基づく損害賠償責任を否定した原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する第1審原告の論旨は理

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由がないから,第1審原告の第1審被告Y2に対する同条に基づく損害賠償請求を棄却した部分に関する第1審原告の上告は棄却すべきである。
なお,その余の請求に関する第1審原告の上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官木内道祥の補足意見,裁判官岡部喜代子,同大谷剛彦の各意見がある。

裁判官木内道祥の補足意見は,次のとおりである。

私は民法714条の法定監督義務者,準監督義務者についての多数意見に賛同するものであるが,保護者,成年後見人とこれらの義務者との関係などについて補足して意見を述べる。

1 平成11年改正前の保護者,後見人平成11年改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」という。)の定める保護者,民法の定める後見人に関する定めは次のようなものであった。
精神障害者が禁治産宣告を受けている場合,配偶者がいれば,配偶者が当然に後見人となる(民法840条)。後見人には,禁治産者の療養看護の義務があり(同法858条1項),裁判所の許可を得て,精神病院又はこれに準ずる施設に入れることができる(同条2項)。後見人は第1順位で当然に保護者となるから,保護者として自傷他害がないように監督する義務がある(精神保健福祉法20条2項,22条1項)。
民法714条が「法定」監督義務者とする趣旨は,監督義務者が法によって一般的,類型的に定められることを想定していると解され,実際の法制上も,保護者,

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後見人に他害防止の監督義務が課せられていることは,それに照応するものである。
民法714条は,責任無能力である精神障害者の監督義務者に責任を負わせる制度であるが,配偶者がいる限り,配偶者が当然に保護者・後見人となり,また,監督義務者に該当すると解されてきた。
このような制度は,昭和25年の精神衛生法の制定以来,平成11年改正まで変わっていない。
それ以前の昭和22年改正前の民法(以下「改正前民法」という。)及び精神病者監護法(明治33年法律第38号)の下でも,禁治産宣告がなされると,禁治産者に配偶者がいれば,配偶者が当然に後見人となり,精神病者の監護義務者は,後見人,配偶者,戸主の順番で当然に定まるとされており(精神病者監護法1条),戸主が優先して後見人,監護義務者となるものではなく,禁治産者に配偶者がいる限り,配偶者が後見人,監護義務者として監督義務者に該当すると解されてきたことは,平成11年改正前と同じであった。民法714条の監督義務者の損害賠償責任が家族共同体における家長の責任に由来するといわれることがあるが,改正前民法においても,戸主が後見人となるのは,禁治産者に配偶者がおらず親権を行う父又は母もいない場合に限られていた(改正前民法902条,903条)のであり,必ずしも「家長の責任」がわが国の法制における監督義務者の損害賠償責任の淵源ということはできない。

2 平成11年改正後の監督義務者平成11年民法改正によって後見人は「療養看護に努めなければならない」との規定(民法858条1項)が「成年後見人は,…事務を行うに当たっては,…心身

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の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。」と改正され,成年後見人が成年被後見人の行動の監督を求められるものでないことは多数意見の述べるとおりである。
成年後見人の負うとされる身上配慮義務は,審判による付与を含めても特定の法律行為の同意権,代理権を有するに留まる保佐人(民法13条の保佐人の固有の同意事項には厳密には法律行為に該当しないものも含まれているが,実質的には全てが法律行為といってよい。),補助人も,契約によって受託業務の代理権を付与される任意後見人も同種の義務として負担している(民法876条の5第1項,876条の10第1項,任意後見契約に関する法律6条)。このことにも,身上配慮義務が法律行為を行うについての善管注意義務の明確化であるという性質があらわれている。
したがって,精神障害者の日常行動を監視し,他害防止のために監督するという事実行為は成年後見人の事務ではなく,成年後見人であることをもって,民法714条の監督義務者として法定されたということはできない。
家庭裁判所実務における成年後見人等の選任についてみると,親族ではない第三者を成年後見人等に選任する比率は,本件事故のあった平成19年で27.7%(平成26年で65.0%)に達しており,成年被後見人の保有財産が一定額以上の案件では,親族を後見人としても専門職の後見監督人を選任する,又はこれに代えて専門職の後見人を選任することが原則的に行われている。成年後見人を法定監督義務者と解することは,このような実情にそぐわないものである。
成年後見人の要件として成年被後見人との一定の身分関係が求められているものではなく,また,このような選任の実情を前提とすると,成年後見が開始されてい

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れば成年後見人に選任されてしかるべき者が誰であるかを成年後見人選任前に想定することは困難・不相当である。
平成11年民法改正によって,配偶者等の親族がその法律上の地位の故に成年後見人に選任されることはなくなった。これは,改正前民法が配偶者等の本人と一定の身分関係にある者を法定の後見人とし,それがない場合にも親族会が後見人を選任するとしていた後見制度を,昭和22年改正民法を経て,成年後見制度を親族に基盤を置く制度とは異なるものとしたのであり,配偶者とか親とか子が成年後見人として選任される場合にも,その人は,法律上の地位の故にではなく,民法843条4項の基準に従って適任であるが故に選任されるのである。成年後見人に選任されてしかるべき者として親族が優先的に取り扱われる理由はない。
保護者については,平成11年改正により「保護者は,精神障害者…に治療を受けさせ,及び精神障害者の財産上の利益を保護しなければならない。と改められ,改正前の「精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」する義務があるとの規定は削除された。治療を受けさせる義務は,実質上,入院・通院していない精神障害者に通院をさせることに留まり,財産上の利益の保護も,身の回りの財産が散逸しないように看守するとか,荷物をまとめて保管するなどの事実上のものに留まる(第1審被告Y1はAの保護者に該当するが,AはD医師の診療を受けていたのであるから,治療を受けさせる義務を負うこともない。)。したがって,保護者をもって,民法714条の監督義務者に該当すると解することはできない。
このように,平成11年改正により,後見人が法定監督義務者であることを根拠付けていた民法858条の療養看護義務,精神保健福祉法の自傷他害防止の監督義

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務は存在しなくなったのであるから,改正後の法定監督義務者の解釈を改正前と連続性をもって行うことはその前提を欠くものである。
他方,精神科病院に入院している精神障害による責任無能力者については,精神科病院の管理者が,自傷他害のおそれによる入院を引き受け,入院患者の行動制限を行う権限を有しており(精神保健福祉法36条1項),行動制限の手続を含む処遇基準は大臣が定めるものとされている(同法37条1項)。介護施設についても,法令によって身体的拘束等の原則禁止とそれを行うについての適正手続が定められている。このように精神障害者が施設による監護を受けている場合,施設との間では,法令による定めによって,監護に関する権限とその行使基準が定められているのであり,これらの定めによる施設の負うべき義務は民法714条1項の法定監督義務に該当すると解する余地がある。施設による監護を受けている精神障害者の不法行為による施設ないし施設管理者の責任については,従来,学説上,同条2項の代理監督義務者の問題とされてきたが,このような観点からは,同条1項の法定監督義務者に該当するか否かの問題として検討されるべきであり,保護者,成年後見人が同項の法定監督義務者に該当しないと解しても,同項の法定監督義務者が想定されないことになるものではない。

3 (準)監督義務者と責任無能力者の保護

責任無能力の制度は,法的価値判断能力を欠く者(以下「本人」ともいう。)のための保護制度であるが,保護としては,本人が債務を負わされないということに留まらず,本人が行動制限をされないということが重要である。本人に責任を問わないとしても,監督者が責任を問われるとなると,監督者に本人の行動制限をする動機付けが生ずる。本人が行動制限をされる可能性としては,本人に責任を負わせ

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る場合よりも監督者に責任を負わせる場合の方が大きい。本人が責任を免れないとしても本人に財産がなければ監督者に本人の行動制限をする動機付けは生じないが,監督者に責任を負わせると本人の財産の有無にかかわらず,本人の行動制限をする動機付けが監督者に生ずるからである。
保護者の他害防止監督義務,後見人の事実行為としての監護義務の削除の理由は,保護者,後見人の負担が重すぎることであるが,その意味は,保護者,後見人に本人の行動制限の権限はなく,また,行動制限が本人の状態に悪影響を与えるために行動制限を行わないとすると,四六時中本人に付き添っている必要があり,それでは保護者,後見人の負担が重すぎるということなのである。
したがって,法定監督義務者以外に民法714条の損害賠償責任を問うことができる準監督義務者は,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなどの客観的状況にあるものである必要があり,そうでない者にこの責任を負わせることは本人に過重な行動制限をもたらし,本人の保護に反するおそれがある。準監督義務者として責任を問われるのは,衡平の見地から法定監督義務者と同視できるような場合であるが,その判断においては,上記のような本人保護の観点も考慮する必要があると解される。
他害防止を含む監督と介護は異なり,介護の引受けと監督の引受けは区別される。この点は岡部裁判官の意見に同感であるが,岡部裁判官とは,同居ないし身近にいないが環境形成,体制作りをすることも監督を現に行っており,監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情に該当し得るとする点で,意見を異にする。Aの介護の環境形成,体制作りは,第1審被告Y2だけが行ったものではない。24時間体制,365日体制,それが何年にも及び,本人の生活の質の維持をこころがける

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認知症高齢者の在宅での介護は,身近にいる者だけでできるものではないが,身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め,本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり,各人が合意して環境形成,体制作りを行い,それぞれの役割を引き受けているのである。各人が引き受けた役割について民法709条による責任を負うことがあり得るのは別として,このような環境形成,体制作りへの関与,それぞれの役割の引受けをもって監督義務者という加重された責任を負う根拠とするべきではない。

裁判官岡部喜代子の意見は,次のとおりである。

私は,多数意見の結論に賛成するものであるが,第1審被告Y2は法定の監督義務者に準ずべき者に該当するものの民法714条1項ただし書にいう「その義務を怠らなかったとき」に該当すると考えるのでその理由を述べる(以下,事実認定に係る部分は全て原審の認定したところによる。)。

1 Aには子が4人あり,上からF,第1審被告Y2,C,Gであるところ,Fは5歳の時に養子となって養家において養育されて現在に至り,第1審被告Y2は昭和57年までAと同居した後東京に転勤となったため家を出,Gは昭和48年に大阪の大学に入学して家を出,Cは昭和52年に結婚して家を出た。第1審被告Y2はA宅の近辺であるa市dに自宅(以下「Y2自宅」という。)を有しているが,これは第1審被告Y2が将来の両親の介護のためにA所有の土地上に第1審被告Y1との共有名義で建てたものである。上記のとおりの家族状況の中で,平成14年3月頃,第1審被告ら,C,BはAの介護について話し合い,Cの助言もあり,第1審被告Y1が1人でAの介護を担うことは困難であるとの共通の認識に基づいて,Bが単身Y2
自宅に移り住んで第1審被告Y1と2人でAの介護を行うこ

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とに決めたのであったが,このことについて第1審被告Y2はBが長男の嫁であるから当然のことであると考えていたというのである。以来,Bは毎日A宅に通って(時々泊まり込み)第1審被告Y1と共に介護にあたり,第1審被告Y2も月に1,2回a市に通い,本件事故直前には月3回くらいA宅を訪ね,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。この間,Cは介護の実務に精通していることから専門知識による助言を行っていたが現実には時折訪ねる程度であり,F及びGは介護には全く関与していなかった。Aの外出願望は平成14年11月頃には見られるようになり,3日に1回くらいはBが声かけをして散歩に連れ出し,またAが外出を希望したときはBが付き添うという方法で対処していた。平成17年,18年には1回ずつ無断で外出して行方不明になったことがあり,その後,第1審被告Y2はA宅玄関付近にセンサーを設置し,あるいは門扉に施錠するなどの対策をとったこともあった。
Aが要介護4の認定を受けた際は第1審被告Y2,C,BがAの介護の在り方について話合いを行い,Cからの,特養は希望者が多いため入居まで2,3年かかる,Aは家族の見守りにより自宅で過ごす能力を有している,特養に入ればAの混乱は更に悪化するとの助言もあって,従前同様の介護を続けることとした。
こうしてみると,第1審被告Y2はAの介護の節目節目で介護方針の決定に関与していたといえる。金銭管理については,Aが不動産仲介業を営んでいるときは,日常の帳簿付け,税務署との対応,預金通帳の管理は全て第1審被告Y1に任せ,Aは事務所の移転や不動産の購入・売却等の重要な事柄を決定していた。本件事故当時は,預金管理や不動産の賃貸借契約の更新・切替などのAの財産管理全般は専ら第1審被告Y1が行っていた点はAの稼働中と同様であるものの,Aの介護開始以来財産関係に変動を与えるような重要事項に関する決定がなされたことを

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うかがわせる状況は存在せず,不動産の購入・売却等の重要な事柄について誰が決定することになるのかについては認定されていない。第1審被告Y2は昭和57年以降横浜市に居住しているが,第1審被告Y2がa市に戻らなかったのはその職場が東京であったためであった。

2 そこで,第1審被告Y2が法定の監督義務者に準ずべき者といえるか否かを検討する。第1審被告Y2はもともと両親の介護を担う意思を有していたところ,平成14年3月頃,Aに認知症の症状が出た際の話合い(多数意見2(3)の話合い)において,妻であるBが単身Y2自宅に転居して第1審被告Y1と共に現実の介護を担うこととしている。このような形態の介護を行うについて第1審被告Y2の意向が大きな影響を与えたことは,BがAの介護を行うことは長男の嫁であるから当然であると第1審被告Y2が考えていたこと,Bの別居は第1審被告Y2の負担にもなること,上記1において述べたとおりの家族関係において中心的な立場にあって第1審被告Y2自身Aの介護を担うものとして自覚していたことによって裏付けられる。つまり,第1審被告Y2は,第1審被告Y1とBが現実の介護を行うという体制で,Aの介護を引き受けたということができる。ただ,その段階では介護を引き受けたものであって,必ずしも第三者に対する加害を防止することまでを引き受けたといえるかどうかは明確ではない。しかし,その後,第1審被告Y2は,Aが2回の徘徊をして行方不明になるなど,外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて,BがAの外出に付き添う方法を了承し,また施錠,センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い,また現実の対策を講ずるなどして,監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであ

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ろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって,第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。確かに第1審被告Y2はAと同居していないが,加害防止義務の内容としては同居して現実に防止行動をすることだけを意味するわけではない。第三者に対する加害行為を行うことを実際に引き留める,実際に外出しないように実力を行使する,というような行動ばかりではなく,第三者に対する加害を行わないような環境を形成する,加害行為のおそれがある場合にはそれが行われないようにしかるべき人物に防止を依頼することができるようにするといった体制作りも含まれる。監督するという行為を行うには被監督者の行動を制御できることが必要であるが,その方法として現実の制御行動に限る理由は存在しない。第1審被告Y2においては,第1審被告Y1の見守りとBの外出時の付添い,週6回のデイサービスの利用という体制を組むという形態で,徘徊による事故防止,第三者に対する加害防止を行ったといえる。すなわち,第1審被告Y2には,少なくとも平成18年中に,第三者に対する加害行為の防止に向けてAの監督を現に行っており,その態様が単なる事実上の監督を超え,監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる。

3 次に,第1審被告Y2がその監督義務を怠らなかったといえるか否かについて検討する。

まず第1審被告Y2の採った監督体制は,デイサービスの利用,第1審被告Y1がAの見守りを行い,Bが外出時にAに付き添うというもので,上記1において述べた家族状況の下ではそのような体制を採ったことは合理的であり,第1審被告Y1及びBの現実の介護方法にも問題はない。問題となり得るのは,Aについて要介護4の認定がなされた際に特に監督体制を変更しなかった点である。確かにAの

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認知症の症状は悪化し,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ,常に介護を必要とする,常に目を離すことができない状態であると判断されているのであるから,従前とは異なる何らかの措置をとるべきであったとの意見もあり得るところである。しかし,そのようにいえるかについては,具体的状況の下でいかなる内容の監督義務を負っているかを検討しなければならない。
まず,本件において第1審被告Y2の監督義務の具体的内容は徘徊行動の防止措置であるところ,ここでいう徘徊は,Aの本件事故に係る徘徊行動そのものを示すのではなく,民法714条の監督義務における監督すべき行為の対象としての徘徊行為一般である。次に,監督義務の存否を判断する基準について考える必要がある。すなわち,法定の監督義務者に準ずべき者には,様々な根拠に基づく様々な状況があり,予見可能性,結果回避可能性の広狭,法的な義務として負わされる範囲など,多様な状況を想定することができる。本件の第1審被告Y2については,義務発生の根拠は意思であり,その立場は親族である。専門職にあるわけでもなく,専門知識を有するわけでもなく,人的な結び付きに基づく意思を有するのみという本件のような場合の判断基準は,一般通常人とするのが相当である。本件の下で2回の徘徊行為を行っているところからすれば,一般通常人を基準としても徘徊の予見可能性はあり,多数意見2(10)の話合いにおいて検討されたところからすれば,予見もしており,一般通常人としても徘徊行動の回避措置をとることは可能である。そこで第1審被告Y2が徘徊防止義務を怠っていなかったか否かを検討しなければならない。まず,要介護4と認定された時点で徘徊行為について従前と明確な変化があったことは認められていない。2回の行方不明後には警察にあらかじめ連

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絡するなどの対処をしている。事務所出入口から無断で外出し,排水溝に排尿するなどの行為は従前よりしばしばなされていたもののBが排尿後の面倒を見ており,そのような排尿行為から何らかの問題が生じたとは認められていない。Bは,朝7時にA宅に行き,寝ているAを起こして着替え及び食事をさせた後,デイサービスへ通所させ,Aが同所から自宅に戻った後は,お茶とおやつを出し,20分くらいAの話を聞いた後,Aが居眠りを始めると,Aのいる部屋から離れて台所で家事をするという日課であり,また,3日に1回くらいはAを散歩に連れ出し,夕食,入浴をさせてAが就寝したことを確認してY2自宅に戻るという生活をしていた。第1審被告Y1はBが家事をする間,Aが就寝している間などに,Aの側にいて外出しそうな場合はBに知らせていた。このような日課は確かに十分苦労の多いものといえるが,週6回のデイサービスの利用及び夜間A就寝後にはBはAの介護と付添いから解放されており,無理な体制であったとまではいえない。週6回のデイサービスの利用は,一般通常人としての徘徊防止措置としては相当効果のある対策を立てているといえよう。本件事故直前には第1審被告Y2自身も月3回くらい週末にA宅を訪ねて第1審被告Y1やBの体制に関与しようとする姿勢を見せてもいる。
仮に他の対策を立てるとなると,既にデイサービスを週6回利用しているところからすれば施設入所を検討することになろうが,施設入所はAにとって望ましいものではないとのCの助言などもある段階では,施設入所に至らなかったとしてもやむを得ないといわねばならない。Aの無断外出を防止するために門扉に施錠したこともあったがAがいらだって門扉を揺するなどしたために施錠は中止したこと,事務所出入口のセンサーがあったにもかかわらず本件事故当時電源が切られていたことというような問題もないわけではない。しかし,徘徊による問題が生じていたとい

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うような状況ではなく,第1審被告Y1とBによる体制が機能している上記の状況の下では,センサー等が機能するように設備を整えることを要求することは,一般通常人を基準とすると過大な要求といわざるを得ないのであって相当ではない。すなわち,第1審被告Y2は,Aの徘徊行動を防止するために,週6回のデイサービスの利用並びに第1審被告Y1及びBの現実の見守りと付添いという体制を組むことによって,Aの徘徊行為を防止するための義務を怠りなく履行していたということができるのである。第1審被告Y2の採った徘徊行動防止体制は一般通常人を基準とすれば相当なものであり,法定の監督義務者に準ずべき者としての監督義務を怠っていなかったということができる。

4 ここで,結論を同じくする大谷裁判官の意見について若干述べておきたい。

大谷裁判官の意見については利害の調整という観点から共感を覚えるものである。
しかし,成年後見人の成年被後見人に対する身上配慮義務から第三者に対する加害防止義務を導き出すのは無理があるのであり,成年後見人であっても,第三者に対する加害防止義務を認めるためには他の何らかの責任原因が必要であると考える。
成年後見人を法定の監督義務者ということはできないとする多数意見と同様の結論となる。多数意見は準監督義務者の要件として監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情を挙げているところ,その考え方は現代における民法714条の存在意義を認めたうえで,他害防止義務を負う根拠を説明し得ているので賛意を表したい。
そうすると,成年後見人であっても成年後見人であることから法定の監督義務者としての責任を当然に負うのではなく,上記要件を満たすときに準監督義務者としての責任を負うことになる。多数意見の述べるように,準監督義務者の責任が衡平のために諸般の事情によって認められるところによる引受けを根拠とする責任である

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ならば,その責任の内容は,従前説明されていたような団体的秩序を根拠とする家長等の絶対的責任とは異質なものであって,被監督者の行動についてほぼ無過失責任と同様の責任を負うべきであるとする根拠はない。準監督義務者の義務の履行について,諸般の状況により予見可能性,結果回避可能性を検討することが許されると解することが可能になる。民法714条は同法709条とは別個の義務として被監督者の一般的な行動に関する加害防止義務ではあるが,そうであるからといって準監督義務者に不可能を強いることはできない。以上述べたところを根拠として,本件においては一般人を基準として義務を怠らなかったといえるかどうかを検討してきたところである。

5 以上のとおりであるから,第1審被告Y2は法定の監督義務者に準ずべき者に該当するものの民法714条1項ただし書にいう「その義務を怠らなかったとき」に該当し,その責任を負わないものである。なお,第1審被告Y2が法定の監督義務者に準ずべき者に該当することは上記1において述べたとおりの諸般の事情に基づくものであって一般的に長男であることないし長男という立場に基づくものではないことを注意的に付言する。

裁判官大谷剛彦の意見は,次のとおりである。

1 私は,結論として多数意見と同じく第1審被告らは民法714条1項の法定の監督義務者としての損害賠償責任を負わないと考える。しかし,多数意見と異なり,同項の責任主体として法定の監督義務者に準ずべき者には第1審被告Y2が該当するが,第1審被告Y2はその義務を怠らなかったとして同項ただし書により免責されるものと考える。なお,この点では,岡部裁判官の意見と同じであるが,責任主体としての捉え方について考えを異にするので,意見を述べたい。

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2 民法714条の趣旨は,責任を弁識する能力がない者(同法712条の未成年者,同法713条の精神障害者等)が他人に損害を加えた場合に,その責任無能力者の行為については過失に相当するものの有無を考慮することができず,そのため不法行為の責任を負う者がなければ被害者の救済に欠けるところから,その監督義務者に損害の賠償を義務付けるとともに,監督義務者に過失がなかったときはその責任を免れさせることとしたものである(最高裁平成3年(オ)第1989号同7年1月24日第三小法廷判決・民集49巻1号25頁参照)。
また,民法714条の監督義務者について,判例は,直接に法定の監督義務者に当たらない場合においても,法定の監督義務者に準ずべき者という概念の下に,この立場にある者に責任主体性を認めてきている(前掲最高裁昭和58年2月24日第一小法廷判決)。

3 ところで,平成11年の民法等の改正の内容,及びその趣旨は多数意見4(1)アのとおりである。
この改正前の民法714条の「法定の監督義務者」としては,未成年者については,親権者,監護者,ないし未成年後見人が選任されていればその者が,一方,心神喪失者については,禁治産宣告がなされて後見に付されれば後見人(改正前民法8条)や精神衛生法上の保護義務者(同法20条,22条1項)がこれに該当すると解されてきたものといえよう。従前の後見人については,改正前の民法858条1項の後見人の職務規定に加え,自傷他害防止の監督義務が定められていた保護義務者の第1順位が後見人とされていたことも支えになって,法定の監督義務者性が根拠付けられていたと考えられる。
平成11年の民法改正においては,禁治産者についての後見人に代え,精神障害

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者については,成年後見開始の審判がなされて成年後見人が選任されると,成年後見人がその職務を行うことになり,一方,民法858条1項の職務規定は改正され,職務の内容に一定の変更も加えられた。また,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律22条1項も改正され,保護義務者の自傷他害防止の監督義務が削除された。
このように民法等の改正がされたところであるが,損害賠償規定の民法714条1項の責任主体に関する規定には何らの変更は加えられなかったところであり,従前の解釈との連続性という観点からすると,基本的に,成年被後見人の身上監護事務を行う成年後見人が選任されていれば,その成年後見人が「法定の監督義務者」に当たる者として想定されていると解される。仮に,身上監護を行う成年後見人が監督義務者に該当せず,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律における保護(義務)者制度も改められて監督義務者たりえないとすれば,平成11年改正(及び16年改正)において民法714条の責任主体規定は従前どおり維持されながら,およそ実定法上の法定の監督義務者が想定されない意味に乏しい規定として存置されたことになり,また,実定法上の監督義務者が存しないにもかかわらず,これに「準ずべきもの」や同条2項のこれに「代わって監督義務を行う者」が存するという,分かりにくい構造の規定となる。従前との連続性を踏まえて解釈しないと,上記2の同条の趣旨が没却されかねないと考えられる。
上記平成11年改正後の民法858条においては,成年後見人は,基本的に,「生活,療養看護に関する事務」(身上監護事務)と「財産管理に関する事務」(財産管理事務)を行うことを前提に,その「事務」(事実行為と対比される。)を行うに当たっての善管注意義務の内容として被後見人の「意思尊重義務」及び心

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身の状態と生活の状況の配慮義務(「身上配慮義務」)とが定められた。この改正の趣旨から,成年後見人の職務に関し,事実行為としての療養看護(療養看護労働)はその職務内容から除外されたことは明らかであるが,法的行為としての身上監護「事務」と財産管理「事務」は依然その職務内容とされている。この事務を行うに当たって,上記内容の善良な管理者の注意をもって処理する義務も規定されている(同法869条,644条)。改正前の後見人について,職務内容の「療養看護」に監督を含めて法定の監督義務者性が認められてきたが,これと同様の理由で,改正後の「生活,療養看護に関する事務」を職務内容とする成年後見人についても,法的な身上監護事務等を行うに当たって,相当な範囲の監督義務が含まれると解することができ,その限度では同法714条1項の責任主体として想定し得ると考えられる。

4 一方,民法714条1項ただし書の免責要件たる「監督義務者がその義務を怠らなかったとき」の「その義務」については,従前はこれを一般的監督義務として,監督義務者にほぼ無過失の責任を負わせる方向にあったが,責任主体として想定される成年後見人については,ここにいう監督義務者の義務も,改正後の同法858条が成年被後見人の意思尊重義務と身上配慮義務をその善管注意義務の内容として規定した以上,この規定に沿った従前よりは緩和された善管注意義務の懈怠(過失責任)の有無により免責が判断されることになる。
その意味で,成年後見人が責任主体になり得ると解しても,成年後見人に損害賠償の面で,多大な負担を負わせることにはならないと考えられる。

5 本件においては,精神障害者のうち,高齢者の認知症による責任無能力が問題とされるが,このような認知症による責任無能力者についての「生活,療養看護

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に関する事務」(身上監護事務)は,いわゆる介護(介護保険法等参照)として行われる。介護は,介護労務という事実的行為と介護体制を構築する事務的行為とからなる。現在の高齢者介護は,個人や家族の介護労務をもっては限界があって,公的又は私的な保健医療サービス及び福祉サービスと緊密に連携して適切な介護を行う必要があり,また複数の関係者が分担,協力して行う必要もあり,要介護者の意思や,心身の状態及び生活の状況に配慮しつつ,これらサービスも利用し,関係者の協力を得て,人的,物的に効果的な介護体制を構築し,この体制が効果的に機能しているかを見守ることこそ重要であって,この介護体制の構築等は,医療保険機関や介護福祉機関との契約関係,また関係者への委任関係など,つとめて法的な事務との性格を有するといえる。この介護体制の構築等は,責任無能力者の第三者に対する加害行為の防止のための監督体制に通ずるものといえる。
そうすると,高齢者の認知症による責任無能力者の場合において,民法714条1項における責任主体としては,身上監護の事務を行う成年後見人が選任されていれば,基本的にはこの成年後見人が,法的な事務との性格を有する介護体制の構築等をして適切な身上監護事務等を行う者として,法定の監督義務者に当たると考えられる。

6 ところで,本件においては,責任無能力のAについて成年後見開始の審判はなされておらず,成年後見人に選任された者はいない。ここにおいて,前記昭和58年判例にいう「法定の監督義務者に準ずべき者」が存在するか,第1審被告らがこれに当たるかが検討されなければならない。この場合も,高齢者の認知症による責任無能力の場合に,身上監護事務を行う成年後見人が法定の監督義務者として想定される以上,成年後見が開始されていればその成年後見人に選任されてしかるべ

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き立場にある者,その職務内容である適切な介護体制を構築等すべき立場にある者という観点から検討されるべきであろう。
成年後見人の選任に当たっての家庭裁判所の考慮事項は,民法843条4項に定められているが,被後見人についての生活,療養看護に関する事務を行う者は,実定法上,同法730条(直系血族及び同居の親族の相互の扶け合い),同法752条(夫婦の相互の協力,扶助)の定めと親和性を持つところから,第一次的にはこれらの者の中で,同法843条4項の事情を考慮して,能力,信用,利害関係等の点で成年後見人として選任されてしかるべき者が法定の監督義務者に「準ずべき者」として,責任主体として挙げられることになる。
なお,民法714条1項の「法定の監督義務者」に準ずべき者の責任範囲,同項ただし書の免責規定における注意義務の程度については,上記4と同様と考えられる。

7 以上の観点から,本件における民法714条1項の責任主体について検討するに,まず,配偶者としての第1審被告Y1及び直系血族(長男)としての第1審被告Y2が身上監護を行う成年後見人として選任されてしかるべき者かどうかが検討されよう。
この点の検討は,法定監督義務者に準ずべき者についての多数意見の判断枠組みにおいて第1審被告Y2の責任主体性を認める岡部裁判官の詳細な検討と共通するところであるので,改めて論ずることは避けるが,介護体制の構築等による監督体制という観点からしても,第1審被告Y2こそがその構築等について中心的な立場にあったと認めることができる。この観点からは,原審と多数意見の指摘する,第1審被告Y2がAと同居しておらず,現に監督を行っていなかったことは,「準ず

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べき者」の該当性判断の妨げとなるものではなく,他に第1審被告Y2の責任主体性を否定する事情はうかがわれない。
そうすると,本件では第1審被告Y2が,成年後見人に選任されてしかるべき者として,法定の監督義務者に準ずべき者に当たると認められる。

8 次に,第1審被告Y2において,監督義務者としての義務を怠っていなかったかどうかの免責要件について検討するが,この主張,立証責任は,条文の構成からみて被告側が負うこととなる。
この点についても,第1審被告Y2に責任主体性を認めた上,免責を認める岡部裁判官が詳細に検討されており,改めて論ずることは避けるが,第1審被告Y2をはじめ第1審被告ら家族の行ってきた介護,監督の体制は,Aの意思を尊重し,かつ,その心身の状態及び生活の状況に配慮した人的,物的に必要にして十分な介護体制と評価できるところである。そして,このような介護体制の構築等において中心的な立場にあったのが第1審被告Y2であったことは前述のとおりである。
原審は,事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源が入れられておらず作動しなかった点を監督体制の不備と指摘するが,元々はこのチャイムは事務所に出入りする客の出入りを把握するためのものであり,この装置の不作動を捉えて介護,監督体制の欠陥とみることは相当でない。
そうすると,Aに対する身上監護事務上の注意義務を怠っていなかったとの第1審被告Y2の立証は尽くされており,第三者との関係においても監督義務を怠っていなかったと認められ,第1審被告Y2は免責されてしかるべきと考えられる。

9 民法714条が,損害賠償の面で,精神上の障害による責任無能力者の保護と,責任無能力者の加害行為による被害者の救済との調整を図る規定であること

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は,上記2のとおりである。高齢者の認知症による責任無能力者の場合については,対被害者との関係でも,損害賠償義務を負う責任主体はなるべく一義的,客観的に決められてしかるべきであり,一方,その責任の範囲については,責任者が法の要請する責任無能力者の意思を尊重し,かつその心身の状態及び生活の状況に配慮した注意義務をもってその責任を果たしていれば,免責の範囲を拡げて適用されてしかるべきであって,そのことを社会も受け入れることによって,調整が図られるべきものと考える。

(裁判長裁判官 岡部喜代子,裁判官 大谷剛彦,裁判官 大橋正春,裁判官 木内道祥,裁判官 山崎敏充)